他人任せの後始末
「イエッタという少女と『四聖徒』の件は我々に任せていただけまいか」
イエッタによる『四聖徒』殺害事件の扱いについて、教皇ケレスティヌスはマルティンにそう願い出た。
マルティンとしては、そうすることに否やはない。『四聖徒』はダールバイ教における職位の1つであり政治的な権力も無い。ゆえにダールバイ教内部の事件として扱うのが妥当と思われた。
その点については、クヴァルティス帝国第三軍の参謀と隊長連も同意した。
「今回のことはダールバイ教内の問題であり、猊下を初め枢機卿の面々が解決するのが宜しかろうと思う。だが……」
マルティンは言葉をいったん区切った。
問題はおそらく、ダールバイ教徒だけで対応できる範囲を超越していると思えた。
それは、イエッタ・ルキスという少女の存在。
彼女は何者なのか? 彼女が操る光による事象は魔術の一種であるとしても(それはそれで驚きだが)、それを彼女はどこで覚えたのか。『テトラルカ』を敵対勢力とみなす理由は何か? しかも、彼女が目的とする『テトラルカ』は『四聖徒』ではなく『四魔王』である。クヴァルティス人に取ってみれば、『四魔王』などというものは神話の登場人物で、ほぼ架空の存在であり、敵対するような相手ではない。
しかしながら、それを理由にイエッタの発言を世迷い言と一笑に付すのは難しい。彼女が見せた魔術もまた、存在が忘れられ架空のものと考えられるようになっていた点で神話と共通している。いわばイエッタという少女が神話と魔術の両方を現代に引き戻したようなものである。
問題は、信民対策にある。
高い人気を誇る『四聖徒』の内2人までが殺害された今回の事件は信民に対する影響が大きかった。それを収めるためには、『四聖徒』の死の意義を教義的に解釈し、ダールバイ教にとって意味のあるものに置き換えなければならない。
どういうことかというと。
例えば、今回の事件は偶然たまたま発生したのではなく、ダールバイ教の予言書に予言されていたことが実現したのであるとか。
例えば、2人は殺されたのではなく、天使によって命を召し上げられたのであるとか。
例えば、イエッタは魔王であり、『四聖徒』は2人の犠牲を払って撃退したのであるとか。
そんな風にダールバイ教信民の信仰心が薄れない方向に事件を解釈するーー悪く言えばねじ曲げ、こじつけるーー必要がある。
その時、イエッタという存在を教義上どのように定義付けるかは、非常に難しい問題となる。
もっとも、これも、カムネリア教徒でありクヴァルティス人であるマルティンが頭を抱えるべき問題ではなく、ダールバイ人の問題である。ゆえにクヴァルティス側としては不安を覚えつつもダールバイ人に一任するしか術が無い状況だった。
だが、マルティンも参謀将校のセラーニセンも失念していたことがあった。
それは、『現在のダールバイはクヴァルティスの占領下』にあり、『ダールバイでは反発が起こるほどクヴァルティスに反感が高まっている』という点だ。
噂が噂を呼びこの反クヴァルティス感情とイエッタ事件が結びつきを持ってしまったとしても、それは自然の成り行きと言わざるを得なかった。




