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スターレッド・レイ  作者: 一葉
7/7

7話

横谷三兄弟と言えばそれなりに知られている。


横谷の跡取りと目されているのは長男、左近。

長男としての自覚もあり、昔は兄弟の先頭に立って村を騒がせていたのだが最近になってめっきり思慮を覚えたと聞く。


次男は惣左衛門。

体格に恵まれた彼は兄弟でも一番の力自慢だったが、見た目に反して野心とは無縁に兄を支えていこうという気構えがあった。


三男は庄八郎。

末っ子特有の明るく朗らかな性格だが血気盛んでもあり、何かと騒動を起こしてきたのだが、実のところ三人の中では最も頭の回転が速く、感情を制御する術を得れば傑物になるだろうと兄らから太鼓判を押されていた。


母から一番溺愛されていたのはこの三男であったが、彼もまた兄弟で家督を争う意義を見出していなかった。


総じて横谷三兄弟の仲は良好で、気概はあってもその性質は骨肉の争いには向いていない。

跡目を継ぐにはお家騒動がつきものと思っていたが、この代ではそんなこともなさそうだというのが領内の町人たちの共通した認識だった。


その長男、左近もそろそろ元服かという年まで成長した。


左近は同年代の少年に先んじて父から元服を申しつけられていたのだが、主君筋の若君が元服していないのだからともっともらしい理由を盾にのらりくらりとかわし続けて早一年。


いい加減しびれを切らしてきた母の詰問は日に日に厳しくなる。

しかもやがて仕えるようになるだろう若君がついに元服を迎えたと言われれば左近に断る理由はない。


逃げ切れないかと深いため息を吐けば二人の弟が声をかけてきた。


「兄上」

「ああ、お前たちか。困ったことになったぞ、ついに真田の若様が元服なさったらしい」


弟二人はすぐにその意味を悟り、揃って顔を顰めた。


「もう時間がないのですね」


だが、いまだ待ち人来たらず。


左近が自らの元服を避けてきたのは理由があった。

人を待っている。

三人が幼い頃から共有する秘密がそれだ。


兄弟には見目麗しい姉が一人いる。

時々しか会うことの出来ない彼女が三人は大好きだった。


どんな村娘にも負けず、花のように笑う彼女が実のところ初恋であったかもしれないと左近は振り返る。

弟二人にもしてもそうだろう。

左近とは一年と違わないが、優しく、頭がよく、気立てもいい。


諭すように窘める言葉は母や乳母と違って素直に聞けたし、彼女が教えてくれる知識は眠たくなるばかりの教師の授業とはまるで違った。


怒るばかりではなく、教えてくれるばかりでもなく、彼女は共に遊び回ってくれた。

悪戯に知恵を貸して、腕をまくって誰よりも張り切っていたのが彼女。


一番驚いたのは、いつだったか、四人で屋敷を抜け出した折、近所の悪ガキに絡まれた時だろうか。

せめて姉だけは守ろうと決めた兄弟の前に進み出た姉は見事彼らを叩きのめしてしまった。


「お前、一秋か!?ずるいぞ、女のなりで騙すなんてひきょうだ!」

「はん、負け犬の遠吠えだな。そんな見目のか弱い女を襲おうとしたのはどこの誰だ。文句なら一度でも勝ってからいいやがれ!」


逃げていく彼らの背に浴びせた言葉はぞんざい。


「あ、姉上?」


呼び声に答えて振り返った彼女は悪戯っ子の顔で笑った。


「お前たち、わたしが好き?」


迷わず答えた。

彼女は満足そうに笑って、ならばこれは秘密だと言い聞かせた。


「知られれば俺は殺されてしまうからね」


恐ろしい言葉を何てことなく吐いた姉は、本当のところ兄だったのだと知った日のこと。


ごくごく自然に三人は受け入れた。

自分達には兄が居て、ならばそれを支えていくのが弟の役割だ。


美しい姉はやがて艶やかな美女に成長したが、その思いは変わらなかった。


姉というフィルタを取り去って見てみれば、彼は横谷の当主として自分達の誰よりよほど優秀だと素直に認められる人物だ。


左近はことある事に横谷当主としての心構えを人々から説かれたが、それは重圧にもならない。

跡目を継ぐべきは隠されたあの兄。

その思いがあった。


当主として相応しいと褒められても野心など抱けないほどに兄は立派で、慢心するにも彼の姿がちらついて自分の未熟さを教えられるだけ。

だからこそ左近は女として身を隠している彼がもどかしかった。


なのにあの兄は争いを好まない性質らしく、いつまで経っても表には出て来てくれない。

彼が「ついて来い」と一言いうだけで自分達は彼の後ろに控える用意があるというのに。


もしかしたら、彼が自分達の兄ではなかったなら、今頃三人で仲良く頭を悩ましていることはなかったかもしれない。


何もかも及第点より少し上の自分と、力自慢の惣左衛門と、小細工好きの庄八郎。

飛び抜けるものがない自分達は互いを認められず、いつか我こそがと名乗りを上げただろう。


だがそうはならなかった。

三人が三人とも見上げる兄がいる。


絶対的に盲信するほどの人物が彼らにはいたのだ。


「兄上、あれ」


弟が思考に浸っていた左近を呼び戻して指を差す。


優美な立ち姿。

見間違える訳もない。


「姉上!」


戴くべき兄を殺される訳にはいかないという思いから、長らく彼らは兄を姉と呼び続けていた。


「おお、左近に惣と庄まで。どうした?」

「どうしたもこうしたも!」


その姉でもあり兄でもある彼は気楽に片手を上げて答える。

ふと気付いたのは庄八郎だ。


「姉上、その格好は」


着流しのラフな服装は、間違っても女性がしていいものではない。

ぞんざいな口調も。

完璧に女性を演じてきた兄ならなおさらそんな失敗はしないだろう。


もしかして。

気付いた三人は期待を抱く。


その三人に一秋は違わず笑顔を向けた。

あの、共に悪戯を仕掛けた日々と同じ顔で。


長く待った一言を口にした。


「俺は男に戻るよ。どうする?」


向けた目は約束された栄華を奪い去る弟に。

だが左近は考えることなくその座を彼に譲る。


「もちろん、お供させて頂きますよ、兄上」


左近にとっては最初からそれは彼のものだった。


少しだけ驚いた顔をした一秋が、苦笑を刻む。


「良くできた弟たちだな」


三人は満足げに、自分達が仰ぐべき兄の帰還を喜んだ。






昌幸の隣でその仕事ぶりを見つつも幸村はぼんやりとしていた。

ここ数日佐助とあれやこれやと策を練っていて、睡眠と食事と甘味がなければ覇気を欠く幸村は見事上の空。

眠気というよりはつい親友のことに頭を巡らせてしまう。


佐助が注意を促すように「幸村様!ちょっと幸村様、ぼうっとしてる場合じゃありませんよ!」と焦りを滲ませて囁く声がしたが幸村はそれすら右から左に聞き流す。


早く助けに行かねば。

一秋は埋もれていていい人材ではない。

何よりも、彼は自分の隣に居るべきだと、当たり前に思う。


そんな幸村の鼓膜を突然叩く声がした。


「お初にお目に掛かります」


頭を下げた男が家臣に囲まれて、昌幸に向かって平伏している。


「横谷家次期当主として、本日より真田家に誠心誠意お仕えさせて頂く所存」


声もない幸村に、男が顔を上げた。


「幸村様におきましては、どうぞ末永くお付き合いくださいますよう!」


目線を合わせて、にやりと笑う顔は彼以外の何者でもない。


ちらりと流した目線の先にはきっと佐助がいるのだろう。

さっきの佐助の忠告の意味が今更わかっても、幸村はそれに関しての感想を思い浮かべることはできなかった。


今はただ驚愕が幸村を支配していた。

してやったりとほくそ笑む、悪戯が成功した時の明るい光を瞳に宿した男の顔は見慣れた姿。


「一秋!!!?」


真田邸を訪れる度にあの美女は誰だと噂されていたたおやかさはそこにはない。

美しい顔はそのままに、だがにやりとした意地の悪い笑みが彼を男だと示す。


「王子様の助けが遅すぎてあくびが出たんでな。助けを待つだけのお姫様じゃつまらない」


だから自分で檻を破ってきたのだ。

一秋は幸村にそう告げた。


唖然とした幸村に一秋は破顔する。


ゆらは死んだ。

何一つ得ることの出来なかったあの愚かな女は死んだ。

その遺産を抱えて、一秋は選び取る。


選ぶことは背負うこと。

自分で、自分の道を決めること。

ならば口を引き結んで、険しい道でも文句は言うまい。


だからこそ、人は選ぶのだろう。

自分の命を自分で背負うために。


何と生きやすい世界か。

なんと過ごしやすい時代か。

なんとわかりやすい道か。


ゆらはとても生きにくい時代に生まれた。

なにかを見つけにくい場所で、何一悟ることも出来ず、命を一秋に託したのだろう。


ゆらの無意味な命に一秋が色をつける。

彼女の記憶がなければ思いもしなかったはずの感情。


一秋の人生が、始まった。

命が音を立てて巡り始める。


生きる意味を、今度こそ見つけてみせよう。


お前となら、見つけられるだろう。


「なあ、幸村?」


俺の太陽。







―さて、そんなこんなで落ち着いた俺の生活。


実はそんなに変わりがない。


「ごらー!?幸村、ふざっけるな、なんだこの適当な分配は!!」

「お、おれは適当になど、やってない!」

「あーそう…じゃあぜひ説明して欲しい部分があるんだけど?いいかな、幸村くん?」


ひいっと仰け反る幸村と、その後ろで傍観者よろしく幸村をにやにやと笑っている佐助。

佐助にもちょっとばかりかちんと来た。


「佐助く~ん、なーに笑ってるのかな?お前、幸村の仕事見てたんだろ。なんでこんないい加減な書類俺に提出させるわけ?」

「え、いきなり俺の責任!?だって俺の仕事って幸村様の護衛と情報収集だよ!?」

「だからカンケーないって?違うだろ!お前の仕事は幸村の世話役!!ならちゃんと監督しろよ!!」

「俺の仕事は世話役じゃ…」

「あ゛ぁ?」

「あ、ごめんなさい。次から気をつけます、はい」


その答えに満足して幸村に向き直る。


「幸村、まさか計算間違ったとか、言わないよな?」

「…む、無論!」

「そうかーそれは安心…ってするわけねーだろ!意図的なら余計にたちが悪いわー!?こっちとこれと、分配に差を出してどうする!!不満が溜まるだけだろ!お前、今、わざとって言ったよな!どういうことか説明してもらおうじゃねーか、どういう意図があってこういう采配になった!!」

「兄さん、ちょっと落ち着いて。幸村様が泣きそうだから、もう少しお手柔らかに」

「泣いてどうする!男だろお前、軽蔑すんぞ」


低く言ってやれば慌てたように幸村が情けない顔を引っ込めた。


騒がしい場所に場違いにふふと小さな笑い声が届く。

俺は聞き覚えのある声に荒げていた音を潜める。


「毎日精が出ますね」

「「山手様」」

「母上」


俺と佐助の声が被って、幸村がワンテンポ遅れて呼ぶ。


「一秋うちの馬鹿息子がごめんなさいね、疲れるでしょうに。せっかくだから一緒にお茶にしませんか?」

「喜んで」


幸村が馬鹿だということを否定は出来ない。

ホントに馬鹿だからな。


これで解放されるとばかりに表情を輝かせた幸村とほっとため息を吐き出した佐助。

一応二人には釘を刺しておく。


「お前らはこれのやり直し。説明できるようにするか、練り直すか」

「それは酷い!おれも一緒に茶を…」

「自分の仕事が出来ないヤツは半人前、半人前には休憩など必要ない」


お前の事だと指を差してやれば幸村は助けを求めるように山手様へと視線を向けた。


「母上…」

「ほほほ、幸村、一秋の言うことはきちんと聞くのですよ」


がっくりと項垂れる幸村の姿はここ半年で見慣れた姿だ。

すごすごと歩き出した幸村と付き従う佐助を見送って、俺は山手様に誘われるまま茶をご馳走になる。


最近の世間話は幸村の事。

今度、この上田を離れて、父の昌幸様と共に上司に挨拶に行くとか。


俺の上司は真田、真田の上司は武田。

そう言うことらしいが、その武田が武田信玄だと聞いた時に茶を噴き出してしまった俺は悪くない。


うそお!あの武田信玄!?

と、歴史が得意ではなかった「ゆら」の記憶にさえ残っている名に驚愕した覚えがある。


俺は驚いた後にまあいいかとすぐに冷静さを取り戻した。

いつか考えたことと同じ結論。

俺はここで生きていくだけだ。


どんな世界であろうとも、俺にはあまり関係ない。

真田幸村が見る夢を支えてやるのが家臣の役割ってヤツだろう。


「あの子が留守の間、どうぞこの真田をよろしくお願いしますね」


山手様が小さく笑った。

俺はただの家臣で、幸村付きの補佐役で、なのに彼らは全幅の信頼で俺に居場所をくれる。


横谷のことは俺よりよほど優秀な弟たちに任せていれば心配はない。

何故か我先にと面倒な仕事を片付けてくれる彼らに、俺は未来の日本に多く生存していたワーカーホリックのルーツを見た気がしたね。


どうやら幸村の留守の代理を務める羽目になりそうだと俺はやはり笑って答えた。


「承知」


躑躅ヶ城館から帰還した幸村と俺の関係はまた少し変化を迎えるのだけど、それはまた後の話。


今は耳を澄ます。

慌ただしい足音と共に障子が勢い良く開かれて顔を出すはずの幼馴染みの登場を待つ。


「一秋ー!出来たぞー!」


そんな声が遠くから聞こえた。




一説では横谷三兄弟の末っ子が猿飛佐助のモデルだとか。

庄八郎、ここでは佐助と別人。


短くはございましたが、最後までお付き合いありがとうございました。

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