【風使い外伝】シューティングスターターあぶみ!(2)
「うわあ、風見先輩……おっきいですね」
私は思わず、感嘆の声を漏らしていました。目の前の光景に興味津々、もう釘付けです。
「そうだろ。自慢のゾウさんだからな」
「へえ……あ、すごい! 持ち上がるんですね……何だか、筋肉の塊みたいです」
「なんだ虎走、生で見るの初めてか?」
「はい。映像でしか見たことないです……うーん、大したことないだろうって高を括ってたんですけど、いざ目の前にすると興奮しちゃいますね……触ってみたいです」
「やめとけって。危ねえよ」
「ですか……って、うわっ!」
柵の向こうの猛獣が、大きな鳴き声を上げました。
鳴き声?
っていうんですかね。
二頭いる象がその長い鼻を、よく晴れた秋空に向かって高く突き上げ、同時にぱおーん、と叫びました。パワフルです。
「しかし、なんで私たち、二人して象なんて見てるんでしょうね」
「ホントにな。ったく、若い男女を見ればすぐにカップルに仕立てあげるのは、大人の習性なのかね……」
それは九月の大型連休。
私はお母さんと叔母さんに連れられ、女三人で動物園を訪れていました。ペリカンの檻の前で、親戚の付き添いだという風見先輩とばったり顔を合わせ、いつも通りのやり取りを交わしていると――
「あらあら、若い二人の邪魔しちゃ悪いわね。おほほ、私たちはあっちでお茶でもしてこようかしら」
――なんて、叔母さんが言い出したのをきっかけに、大人たちは(小さな子供もいましたが)そそくさと、私と風見先輩を残してどこかへ消えていったのでした。
それで、先輩と二人、動物園デート。
肩を並べて、象さんを鑑賞中です。
「手でも繋いでみますか、先輩?」
「冗談だろ。そうやってふざけてる時に限って、知り合いに見かけられちまうんだぜ。お前、為末くんにでも目撃されたらアウトだろ」
「ああー、ですね」
そういうパターンはよくありそうです。
「で、誤解を解こうとドタバタしている内にトラブルに巻き込まれて、なんだかんだあった後、結局いい話風に締めくくるんですよね。ワンパターンです。飽きられちゃいますよ」
「……ネタ振りにも聞こえるな、それ。つーかお前って時々、神様みたいな高っかい視点からモノを言うよな。何様だよ」
何を隠そう、私は『魔法使い』様です――
なーんて、言えないですけどね。
隕石魔法の使い手だなんて、誰にも打ち明けていません。為末くんにすら話したことはありませんし、これからも告白することはないでしょう。必要のないことです。
+ + +
「まあ、せっかくだし楽しもうぜ。次はどこ見るかな。虎走、見たい動物とかいるか?」
「パンダはいないですよねえ……」
「だな。あ、向こうに『ふれあいコーナー』があるみたいだぜ。ウサギとか……お! ライオンの赤ちゃんも抱っこできるらしいぜ」
風見先輩は、園内の案内板を覗き込みながら弾んだ声を上げます。意外と可愛らしいところもあるんですね、先輩にも。
「いいよなあ、ライオンの雄って」
「先輩はライオン好きですか?」
「当たり前だろ、ライオンの群れって基本、一頭の雄にたくさんの雌で構成されてるらしくってさ、つまりハーレムらしいんだぜ? 雄は狩りだってしなくていいし、まさに百獣の王! って感じがするよな」
「……先輩、ふれあいコーナーには確かに私も興味を引かれますし、ぜひ行ってみたいですけど……先輩はライオンの赤ちゃんに触れないでもらえます?」
先輩は眉をひそめて、
「は? なんでだよ」
「赤ちゃんが汚れます」
「おいおいおい、虎走。虎走後輩よ。僕の男子力を幼い獅子に分け与えてやろうってんだから、つまりこれは善行なんだぞ?」
「はいはい。じゃ、行きましょ」
「って、待てよ!」
ぐだぐだ言う先輩には取り合わず、私はふれあいコーナーに向かって早足で歩いていきます。すぐに先輩も追いついて来て、秋空の下、二人揃って園内を散策です……何だか、本当にデートみたいな格好で、悪いことをしているような気分になります。
ちらりと横目で先輩を見てみると――うん、意識している様子はまったくありませんね。
私の小さな困惑など気づく様子もなく、いつも通りの締まらない顔で、時には鼻歌なんて歌いながら、ぶーらぶーらと足を投げ出しながら歩いています。
まあ別に、意識して欲しい訳ではありませんが……、一人の女子として、まったくドギマギされないというのもちょっとした敗北感があります。
ここでいきなり風見先輩に私の腕を絡めて、「あれー、どうしたんですか先輩? 顔が真っ赤ですよ」とかやってみたいですが……そこはほら、私には大事な彼氏がいますから。たとえ悪ふざけであっても、それは裏切り行為に含まれます。
どこからが浮気か――なんて、きっと人によって違うんでしょうけど、さすがに意味もなく異性と腕を組むのは……
「あ」
私が足を止めると、
「どうした、虎走?」
気づいた先輩がこちらを振り向きます。
――きっとその時、私は随分と間抜けな顔をしていたことでしょう。
突然、世界の終わりがやってきたような、恐怖の魔王が空から降ってきたみたいな、オリンピックの百メートル走決勝で、四レーンの選手が急にバック走を始めたのを目の当たりにしたような……そんな、受け入れられない現実に直面したかのごとき顔をしていたのでしょうね、きっと。
「ん? 何が――」
怪訝そうにしていた風見先輩が、私の視線の先へと顔を向けて、「うげ」と唸りました。
「そ、そっちか……」
私たちの視線の先には、背の高い男の子と、とっても綺麗な女の子(ついでに胸も大きい)が、腕を組み、体を密着させて、距離感なんでゼロの、二人でひとつみたいな空気感を醸し出し、満面の笑顔と笑顔で、仲良さそうに、仲睦まじく、お似合いの、お揃いの、おしどりみたいに、きゃっきゃ、うふふ、いちゃいちゃ、恋人らしく、夫婦のごとく、赤い糸で結ばれて、あれがそれで、きっと指なんて絡ませちゃって、ペアで、つがいの、一対の、お似合いな、ベタベタと…………ああもう。
為末くんが、他の女の子と歩いていました。
+ + +
「おーい、おーい虎走……。ほら、ジュース買ってきてやったぞ。甘いそー、うまいぞー。早くしないと、なくなっちゃうぞ」
「……………………いいです。先輩飲んでください」
動物園のトイレの横の暗ーいところで、膝を抱えて座り込んで、私は世界の終わりを実感していました。
先輩はしばらく私を見下ろしていましたが、深い溜息をついて、どこかへ行ってしまいました。きっと呆れられたのでしょう。それはそうです。
こんな惨めで卑屈な女子と付き合って、貴重な休みを浪費することはないのです。
彼氏の浮気現場を目撃してしまった。
仲良く二人で歩いているところに、出くわしてしまいました。
幸い――いえ、不幸なことに、向こうは私に気づかずに去っていきました。私のことなんて眼中になく、見つけてすらもらえず――そんな余地もないくらい、為末くんはあの女の子と二人きりの世界にいて、きっと今頃も、あの綺麗系女子と一緒に、楽しく動物を眺めているのでしょう。
……しかも彼女は、私とはまったく正反対のタイプでした。
しゅっとしたスタイルで、けれど女性としての魅力も湛えた、売出し中の女優さんみたいな女の子だったのです。髪も長くて綺麗で、キューティクルがきらきら輝いてて、大人びた顔をしていて。
きっとキスするときも、少しの背伸びで為末くんの口元まで届いて、あの薄くて綺麗な唇で…………いえ、考えたくありません。
けれど一番のショックは、為末くんのあの表情。
楽しそうに笑うだけでなく、彼女の言葉に怒ったような顔をしたり、呆れたような色を見せたり……私にはまだ見せてくれたことのないような為末くんを、惜しむことなく披露していました。
敵いません。
きっと、私では彼女に敵わない。
敵わなくて、叶わない。
為末くんの隣に居続けることはもう叶わない。
信じなきゃいけない、為末くんのことを、もっと信じないといけないのに。
そう思ったところで、心のエネルギーが足りませんでした。奮い立たせようにも、私のハートはうんともすんとも言いません。すっかすかです。もう、虫食いだらけの穴だらけ。
いつかニュースで見たクレーターのように、ぽっかりと穴が空いてしまいました。
一体、私は何分くらいこうしていたのでしょう。体感ではもう何時間にも――何日にも感じられます。
肩が震えました。まだ日も高い時間帯なのに、急に風が冷たくなってきて、自然と体が震えます。
ああ、寒い。
このまま、ライオンの餌にでもなってしまいたい。
あんまりお肉は柔らかくないかもしれませんが、カルシウムくらいは摂れるんじゃないですかね。要りませんかね、ライオンにカルシウムは。……要りますよね。
寒い。
風が寒い。
ほら、びゅうって――
「虎走」
風見先輩の声がして顔を上げると、
「お前はさ、いっつもうずくまってんな。ちっちゃい女だぜ」
「……ほっといてください」
精一杯強がって応えますが、どうにも声が滲んでいます。
私、ダサいです。
「私なんて、どうせちっちゃいですよ……ちっちゃくて、自分のことばっかで、逃げてて……知ってます。私はそんな人間です」
膝に顔をうずめて、私はそんなことを言います。
ああ、カッコ悪い。勝手に振られて、先輩に八つ当たりして、自分を貶めることで少しでも楽になろうとして、惨めであろうとして……馬鹿です。
「馬鹿だな。お前は馬鹿だ」
「…………」
先輩の声が、すぐそばで聞こえます。
「顔上げろ、馬鹿」
「あいたっ――」
頭頂部を小突かれました。痛いです。
思わず顔を上げると、
「おい、お前が変な前フリするから、オチもベタだったぞ」
「…………? だった?」
「おう。さっき為末くんに会ってきた」
「は、はい!?」
会ったって、浮気中の――もしかしたらあっちが本命かもですけど――為末くんに、会いに行ってきたのでしょうか? そんな。
「まあ、代償はあったんだけどな……でもお前が動物園に来てることは言ってないから。それなら大丈夫だろ? 偶然会った風を装ってさ、話を聞いてきたんだよ」
「…………」
「ほら、収穫アリだ。ベタなやつ」
先輩は何を言いたいのでしょうか。
さっぱりです。
「妹だってよ」
「は? ……え、う、嘘です。あんなに背が高くて、大人っぽくて……」
「いやほら、兄妹なんだから同じように身長があったって、不思議じゃないだろ」
「それはそうですけど……」
「そりゃあなあ、こんなベタな展開、お前も信じられないだろうと思ってさ、証拠もゲットして来たぜ」
そう言って、先輩はスマートフォンを取り出し、何やら操作したかと思うと、SNSの画面を私に見せて来るのです。そこには確かに――為末くんの妹さんの実名が、写真とともに登録されていて……
「な? 妹だろ、十四歳。中三だってよ」
「う、うええ? あれで中学生……」
何だか現実が目まぐるしく私の前を通りすぎて行って、もう頭が追いつきません。ひとつ下の妹――まあ、年齢にして私とも一歳差ですからほぼ同世代ですけども――それにしたってあの大人びたルックス、違う意味でまたショックです。
「いやあ、本当は『妹さんを紹介してください』っつって連絡先交換しようとしたんだけどさ、やんわり断られちゃって……土下座して、頭を地面に擦り付けてお願いしたら、なんとかSNSで繋がらせてもらったぜ」
「先輩……そこまで……」
「ふっふっふ、美少女との繋がり、ゲットだぜ。ああ、これから毎日毎分、彼女のあんなことやこんなことを眺められるなんてなあ……」
「ネ、ネットストーカーの恐怖……!」
冗談だって、と言って風見先輩はカラカラ笑います。
「……まあ、先輩はそういうタイプじゃなさそうですけど。迫るなら、真正面からにじり寄る系の変態ですもんね」
「お、さすが虎走、分かってんじゃん」
「変態は別に否定しないんですね」
「お褒めに預かり光栄です」
先輩は恭しく敬礼します。
ああもう、笑うしかないじゃないですか。
冷たい風はいつの間にか止んでいました。代わりに、おひさまの匂いがする温かい風がそよいでいます。
「ほら立て、虎走」
「はい、ありがとうございます」
やっぱり、風見先輩にも敵いません。私は立ち上がり、先輩と笑顔を交わし…………重大なことを思い出しました。
「あの、先輩。非常に言いづらいんですけど……」
「なんだ、漏れそうか? トイレならほら、そこにあるだろ」
「違います。デリカシーないですね。……えっと、じゃなくて。ちょっとしたピンチなんです」
「お前が?」
「街が」
首をかしげる先輩に、私は告げます。
「いま、ここに向かって隕石が降ってきています」
世界の終わりを宣告するのです。
「えっと……三十個ほど」
えへへ、と私ははにかむのでした。
(【風使い外伝】シューティングスターターあぶみ!(2) 終わり)




