表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/19

【風使い外伝】天馬美津姫のワンポイント看護(4)

 お兄ちゃんと電話をしていたのは時間にして二分かそこらだろう。

 もう着替え終わっているはずの爽介くんのところに戻ろうとして、不意に声を掛けられた。


「あのさ、フードコートってどっちに行ったらいいか、分かるかな」


 二人組だった。

 年上だろう。地元ではあまり見ることのない、ちょっと上等なファッションに身を包んだ二人組の男性。私のすぐ側まで寄ってくる。初対面の相手に対しては、近すぎる気がする。


 私は少し身構えながら、


「一つ下のフロアですよ。あっちのエレベーターから降りると近いはずです」

「出来れば案内してくれると助かるんだけどな。俺たちって方向音痴でさ。ね、お願い」

「いえ、あの、友達と来てるので……」

「あ、お友達も居るんだね。じゃあ、その子とも一緒に行こうよ。軽くお腹空かない? おごるからさ」


 どうやら、ガイドを探しているようではないらしい。きっぱりと断ったほうがいいようだ。


「男友達と来てるので、すみません」

「そうなの? 女の子を放っておいて酷いやつだね」


 むっとして抗議しようとした時、


「あの、僕の友達に何か用ですか?」


 爽介くんが私の後ろに居た。


「ああ、これが君の言ってたお友達?」


 二人組の内の一人が、薄ら笑いを浮かべて爽介くんのほうを見る。

 しかし、爽介くんは気にもめず、


「天馬、この人たちは?」

「えっと、今声をかけられて……」

「じゃあ知り合いってワケじゃないんだな」


 爽介くんはいつもの軽い調子で頷く。


「いいっすか、お二人さん。天馬は僕の友達だ。悪いけどこれから予定も詰まってるし」


 物怖ものおじしない爽介くんに、二人組は揃って怪訝けげんな表情をする。

 爽介くんは、私と二人組の間に割って入って、話し始める。


「そう、この後、僕らは喫茶店に立ち寄って愛を語らうんだ……店内にはかぐわしいコーヒーの香りと、レトロなメイド服を着たウエイトレスさんの笑顔。……あ、彼女はきっと僕に一目惚れだ。でも残念。彼女の気持ちには応えられないな」


 爽介くんの演説は止まらない。


「そうそう、シックなBGMに、雰囲気のいい白髪のマスター……シチュエーションはばっちりだ。僕たちは仲睦なかむつまじく手に手を取り、見つめ合い……将来の約束を交わす。そこにアンタたちの姿はない。ドゥーユーアンダースタン?」


 いくつか突っ込みたい内容はあったけど、大学生らしき二人組は、そもそも彼が何を言っているかすら分からないようで、眉をひそめ、首をかしげている。


「更には帰り道。天馬が小さく『私、今日は帰りたくないかも……』なんてつぶやくんだ。僕は何度か彼女を帰そうとするんだけど、聞き届けてくれなくて……とうとう僕も理性を抑えきれずに天馬の手を取り――」


 額を押さえ、肩を落とす私の視線と、通訳を求めるように目を泳がせる彼らの視線とが交差する。


 私が、「すみません、こんな人なんです」というニュアンスを含めた苦笑いを浮かべると――彼らも「なんかゴメンね、もう退散するから」という意味が込められたような、引きつった笑みを見せた。


 驚くべきことに私たちは、初対面にしてアイコンタクトに成功したのだ。


 そうして、まだ滔々(とうとう)と演説を続ける爽介くんに気付かれないよう、彼らは静かに退散していった。


「……爽介くん。もう大丈夫だから」

「それで朝になってスズメがチュンチュン鳴いてな――ん?」


 爽介くんの妄想(ストーリー)の中では、いつの間にか私の純潔が散らされていたようだった。頭が痛い。


「恥ずかしいから、もういいよ」


 爽介くんはようやく私のほうを見て、


「ちょっと待て。まだこれからいいところなんだよ。――えっとな、天馬は起きたばっかりで喉が乾いててな……」

「え、まだ続くの……。ちょっともう私、耐えられそうにないんだけど……」


 彼の冗談――冗談だと信じたい――に付き合うのは慣れているからいいんだけれど、場所が悪い。


 小さな女の子が指をくわえて聞き入っているその後ろから、母親が耳を塞いで、抱きかかえて逃げていった。老夫婦は、「あらまあ」なんて暖かな視線を送っている。ケータイで、写真か、動画を撮影する女の子たちもいる。


 行き交う人達の視線を集めに集めて、何だかもう、爽介くんオンステージだった。


 もちろん隣に立っている私もワンセットで見られているので、それはもう、とても恥ずかしい。自分でも顔が赤くなるのが分かるくらい。いたたまれない。


「そ、爽介くん、私、先に行ってるからね」


 熱弁を振るう彼の横顔に、口早にそう告げて、私は歩み去る。


「うん? ちょっと待てよ、美津姫」

「…………」


 どうやら一夜を共にした結果、爽介くんは私の事を名前で呼ぶようになったらしい。下の名前で呼ばれるだなんて、普段だったらさぞかし興奮してしまったことだろう。


 けれど今の私は、まずはこの場から逃れることで精一杯だった。


「おーい美津姫、待てってば」


 背中越しに聞こえる爽介くんの声から遠ざかるように、早足になる。


 これは、彼をからかい過ぎた罰なのだろうか。助けてくれたのは嬉しかったけど、ちょっと代償が大きすぎる……。


 周囲の視線を避けるように、うつむき加減で歩いていた私は、危うく前から来るカップルとぶつかりそうになった。


「――すみません」


 慌てて半身になって避けたところで、足元がふらつく。


「危ね――」


 声がして、私の右手首が、ぐいっと後ろに引っ張られる。既にバランスが崩れていた私は、そのまま引かれる方向――爽介くんのほうへと倒れ込む。二人して転倒。


 仰向けに倒れた爽介くんの、その上に覆いかぶさるように、私。


「え、あ……」


 私の口から戸惑いがこぼれる。

 咄嗟とっさに体を起こして、爽介くんを見る。


「痛て、だ、大丈夫か、天馬……」


 爽介くんは後ろ頭を抑えながらうめいている。


「私は平気、爽介くんのお陰で――」


 もつれて倒れる時、爽介くんは私をかばうようにしてくれた。一瞬のことだったから、意識してのことなのかは、分からない。


 でも私はそれ以上に――


 とにかく。

 私は、爽介くんの隣に膝をつき、後頭部にそっと手を添える。慎重に、間違えないように。彼の痛みを取り除くように。……ついでに記憶も、少しだけ巻き戻ってくれるとありがたいけど……。


「……あれ?」


 痛みが急に引いたことに戸惑っているのか、爽介くんは目をパチクリさせる。

 私は彼の顔を覗き込んで、


「痛いの痛いの、飛んでった――かな」

「ん、ああ。さんきゅ、天馬」

「私が不注意だったのがいけなかったから。ごめんなさい。……ううん、そうじゃないね。……あの、助けてくれてありがとう。さっきも、今も。すごく嬉しかったよ」

「そっか。それは良かった」


 爽介くんはいたずらっ子みたいな笑みを私に向ける。

 何だか途端に恥ずかしくなって、私は彼の視線から逃れるように立ち上がる。さっきの演説会場から、そう遠くない場所でこんな騒ぎを起こしたせいで、私たちに注がれる視線は更に増えていた。


「爽介くん、行こ」


 彼の手を取って歩き出す。


 頬が熱かった。


 倒れた拍子に、かすかに爽介くんの唇が触れた――左の頬。燃え上がりそうに熱かった。


 ********************


 私たちの町までは、電車で三十分。夕方の電車は混んでいた。

 ドアの付近で押しつぶされそうになりながら、電車に揺られる。爽介くんの肩が目の前にあって、彼の体が放つ熱気を、文字通り肌で感じられるくらいだった。


 ドギマギしながら爽介くんの顔を見上げると、彼の視線は所在なさげに、窓の外を彷徨さまよっていた。何か話しかけてみようかと思ったけれど、もったいない気がしてやめた。


 触れ合ってしまわないように、必死に体を強張こわばらせる。この距離感と、無言の時間が、たまらなく大事な物のように思えた。


 やがて二駅、三駅と過ぎると、次第に乗客は減っていき、車内は幾分いくぶんか涼しくなった。西日が差して、窓枠の影が私たちの足元で伸びる。


「爽介くん、今日は付き合ってくれてありがとね」

「何だよ今さら。言っただろ、僕は天馬のトコにならいつでも駆けつけるって」

「はいはい。……あ、もう『美津姫』って呼ばないんだ」

「う……あれは……」


 戸惑う爽介くんの顔を見て、私は笑う。


「そうだね、またの機会に取っておこうね」

「――お、おう。そうだよな」


 爽介くんは、つり革に掴まるのと別の手で頬をかく。その手は大きくて、筋張っていて、私のとは違って力強そうだった。

 

 ********************


 そうしている内に、電車は私たちの降りる駅に到着した。改札を出て、爽介くんの自転車を停めてある駐輪場まで、一緒に歩いた。


「じゃあ、また連絡するね」


 私たちの家は方角が違う。だからここでお別れだ。名残惜しいけど、仕方がない。


「天馬って、どうやって帰るの?」

「バスかな。もうちょっと待てば来ると思うし……」

「んじゃ送ってくよ。ほら、後ろに乗れって」


 爽介くんはあごで自転車の荷台を差す。


「え、でも――」

「大丈夫だって。今度はコケないからさ」

「……うん」


 私はもちろん、そんな心配をしているわけじゃない。爽介くんは私の気持ちに気づいているのか、どうなのか。気軽なふうに、ほら乗れって、なんて言ってくる。


 男の子の自転車に乗るのなんて初めてだ。荷台に腰掛ける動きも、どうしてもぎこちなくなる。


 横向きに腰を乗せる。右手で荷台の端っこを握って、左手で爽介くんのシャツを掴んだ。


「よし、行くぜ」

「うん。お願いします」


 私が乗って重くなっているはずなのに、自転車はフラつきもせずにゆっくりと、けれどしっかりと転がっていく。初めは怖かったけれど、次第に慣れてきて、初めての感覚に身を任せる。


 シャツを掴む私の手が、爽介くんの筋肉の動きを感じ取る。足の回転に合わせて、背中の筋肉がリズミカルに動くのが分かった。


 ********************


 郊外にある私の家へと向かいながら、大きな橋に差し掛かる。ゆったりとした川の流れが、沈みゆく太陽を反射してキラキラと眩しい。風が河川敷の草むらを揺らして、緑の波を作る。


 私は目を細めてその光景を眺めながら、爽介くんの背中に語りかける。


「風が気持ちいいね」

「だな。暑くないか?」

「ちょっとまぶしいけど、私は楽させてもらってるから、快適だよ。爽介くんこそ、暑いんじゃない?」

「僕は大丈夫。風は僕の味方だからな」

「そっか」


 爽介くんの声と、宝石みたいに輝く水面みなも


 ――いつまでも家に着かなければいいのに。

 一生懸命に自転車をぐ爽介くんには悪いけれど、私はそう思っていた。


 ********************


 橋を渡ってホームセンターの角を曲がり、緩やかな坂を登った団地の中に、私の家はあった。近くの公園の前で、私は荷台から降りた。


 さすがに家の前まで送ってもらうのは、家族に見つかりそうで気恥ずかしい。


 久しぶりに地面に足をつけると、何だかふわふわした。見上げた空は紫のグラデーションに染まっていて、遠くには小さな星が光っていた。

 

「こんなトコまで送ってもらって。助かっちゃった。ありがとう」

「楽勝楽勝。足腰には自信あるからな」

「うん、それは今日見たから知ってる」

「うぐ……あれは忘れてください天馬さん……」

「爽介くん、美脚だったよ」

 

 色はともかく、筋肉の付き方はセクシーだった。


「もういいってば。くそう、僕も天馬の太ももを目に焼き付けて帰るからな」

「ん、いいよ。じっくり見ても」

「え、そう言われると……逆に恥ずかしいな」

「爽介くんでも恥ずかしいなんて、あるんだね」


 今日の出来事を思い出しながら、他愛のない話を続けた。お別れの言葉を口にしたくなくて、彼を引き留めている内に、夕日は山の端に沈んでいった。夜の静けさが、すぐそこまで迫っていた。


「――そろそろ帰らなきゃだね。爽介くん、遅くなっちゃう」

「僕はまあ、いつもこんなもんだし」

「あれ? もしかして爽介くん、『僕、今日は帰りたくないかも』なんて言っちゃう?」


 私は意地悪く笑った。


「だから天馬、許してくれって」

「爽介くんって、意外と奥手だよね」


 笑いながら、彼の困った顔を眺める。ああ、また引き止めるような会話になっちゃった。解放してあげないと、本当に遅くなっちゃう。


「帰り道、気をつけてね」

「おう。天馬も……すぐそこだろうけど、気をつけてな。どこに変態が潜んでるか分からないぜ」

「その時は、いつでも駆けつけてくれるんでしょ?」

「もちろんだ。すぐに僕を呼べ」

「そうする。警察より先に、爽介くんに連絡するね」

 

 ああもう、だから話し込んじゃ駄目じゃないか。一度だけ視線を足元に落として、そして彼の顔を見て言った。


「じゃあね、爽介くん。今日はすごく楽しかったよ」

「僕も楽しかった。今日が終わらなきゃいいのにって思うくらいにな。ありがとうな、天馬」

「うん。ありがとう」


 爽介くんは自転車に乗り、ゆっくりと漕ぎ出した。


 一度、止まって、振り返って手を振ってくれた。彼の背中は、風に乗ってどこまでも飛んで行きそうな気がして、寂しくなった。角を曲がると彼の姿が見えなくなった。


 私は、左手で頬に触れる。

 爽介くんは気づいていなかった……だろう。私の頬にキスしてしまったことを。


 それでいい。

 それがいい。

 今はまだ――いい。


 頬を撫でて、時間を巻き戻すことは簡単だ。けれども、私はそうしない。それは違うと思った。


 時間を巻き戻したって、あのままの気持ちは戻って来ない。思い出すしかない。細い糸を手繰たぐるように、途切れてしまわないように。


 ――慎重に、慎重に。


 頬の内側に残った、あの燃えるような感触を、思い出すんだ。


 私は、左手を頬から離して、空にかざしてみる。


 欲しい物を無理やり掴み取れるような、そんな力強さはどこにもない。所詮、過去をたどるくらいしか出来ない弱々しい手のひらだ。


 だけど私は欲張りだ。もっと欲しい。もっともっと欲しい。あんなアクシデントなんかじゃなくて、しっかりとした彼が欲しい。


 この手で掴めるだろうか。神様の手じゃなく、一人の人間の手で。欲しい未来を手繰り寄せることが出来るだろうか。


 ――やろう。やってやろうじゃないか。


 そう決めて、手のひらを握った。薄暗い空で輝き出した白い星を、手のひらに収めた。

 火照った頬を、夜風が優しく撫でていった。


 ********************


 あれ以来、頬に触れるのが私の癖になった。


 意識して触ることもあれば、無意識のこともある。私はまだ、欲しい物を手に入れていない。けれども、不満はない。


 ――今はまだこれでいい。ゆっくりと行こう。


 胸の中でつぶやいて顔を上げると、空良が不思議そうに首を捻っていた。

 万が一にも空良に心を見透かされないように、私は目を逸らす。


「さ、洗い物、済ませちゃおう」


 勢い良くダイニングチェアから立ち上がる。空良に手伝ってもらいながら食器を運んで、じゃぶじゃぶと洗う。


 泡に濡れた手が、つい頬に伸びてしまった。

 そうだ、まずは料理の腕を磨かなきゃ。

 彼の胃袋を、ぎゅっと掴んでしまおう。


 私の気持ちは、巻き戻らず。さかのぼらず。

 ただ、前に進むのだ。


(【風使い外伝】天馬美津姫のワンポイント看護(4) 終わり)

(天馬美津姫の裏事情 了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ