【風使い外伝】天馬美津姫のワンポイント看護(3)
「あは、あはははは――」
「何だよ天馬、そんなに笑うことないだろ……」
「ごめんごめん……」
試着室のカーテンを開いたその先には、膝上丈のショートパンツに、エキゾチックな柄のワイシャツ、そして濃紺のハットを被った爽介くんの姿があった。
「大体、これ天馬チョイスじゃんか」
爽介くんは口を尖らせる。
「うん、そうだね――ふふふ」
映画の後、ショッピングモールに入り、私の買い物に付き合ってもらった。
とはいえ、今日のためにトータルコーディネートで服を買っていた私は、買い物をしたい訳ではなかった。
女子だらけのお店に戸惑う爽介くんを見て楽しんだり、わざと下着売り場の前で「ここ入る?」と、からかったりして、ウィンドウショッピングを満喫していた。
ただ、下着売り場に関しては完全に失敗で、
「お、いいね! 僕が選んでやるよ。天馬のスリーサイズなら完璧に把握してるからな。安心しろ。さ、行くぜ」
と言って、ずんずん進んで行く爽介くんを止めるのが大変だった。店員さんも巻き込んで、危うく警備員さんを呼ばれそうになるくらい、騒ぎは大きくなった。
そしてフロアを変え、爽介くんの服を選んであげるという口実で、彼を試着室に押し込んだのだけれど――
駄目だ。ショートパンツの裾から覗く足は、細身だけれど逞しい。さすが陸上部。でも、そんな造形以上に気になるのは……
膝から下が日焼けしていて、でも太ももは白くて……極太のポッキーみたいだった。笑い過ぎてお腹が痛い。
「あ、あと――あはは、ハット、似合わないね。何でだろ」
笑いを堪え切れない私を、爽介くんは不満げに睨んでくる。
「だから言ったじゃん! 僕、こういうの似合わないんだって」
「そうだっけ、ふふ、聞いてなかった」
「……天馬、これお前の趣味か?」
「ううん。全然。面白さ優先。ちょっとそのショートパンツは……苦手」
答えながら、また笑いがこぼれてしまう。
「苦手なのかよ」
「いつものお返し。今朝だって私、恥ずかしかったんだからね。これくらいさせてよね」
「よーし、分かった。いつかお前にメイド服を着せて傅かせてやる。僕を旦那様って呼ばせてやるからな!」
「ふふ、楽しみにしてるね」
今に見てろ、目にもの見せてやる――なんて、古い悪役みたいな捨て台詞を残して、爽介くんは試着室のカーテンを閉めた。
着替えを待っていると、電話の着信があった。
「あ――爽介くん、ちょっと電話してくるね」
カーテンに向かって声をかけると、おう、と短い返答。
私はお店を出ながら電話を取る。
お兄ちゃんだった。
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「おう、美津姫。電話大丈夫か?」
「うん、どうしたの、お兄ちゃんから電話なんて珍しいね」
「そうかな。――ん? 周りが騒がしいな」
「買い物中だからね」
私はショッピングモールの通路まで出て、足を止めて会話を続けた。
相変わらず大きくて朗らかな声で、お兄ちゃんは冗談めかして言う。
「なんだ、デートか?」
「そんなとこ」
「おい、変な男じゃないだろうな。年上か? 大学生はやめとけよ。ロクなのいないぞ」
「お兄ちゃんだって、大学生じゃない」
お兄ちゃんも空良も、別に私にべったりではないけれど、それでも唯一の女兄弟だから気にしてくれているらしい。
「……何かされたら俺に言うんだぞ。そいつの事、ただじゃおかないから」
「大丈夫だってば、たぶん」
変な人だし、何かされたかと言えば……心当たりが、多すぎるくらいにある。
電話口で、彼のことを上手に説明する自信がなくて――私は話題を逸らした。いや、むしろ本題に戻した。
「そんなことよりお兄ちゃん、どうしたの。何か用があるんじゃなかったの」
「ん、ああ、別に大したことじゃないんだけどさ。お盆、帰れそうになくなったから。バイトで」
「そうなの? お母さんたちには伝えた?」
「これから連絡する。でもきっと忙しいだろ、二人とも」
そう、母は看護師としてフル回転で働いているし、父は海外へ単身赴任している。
みんなが揃うことは滅多にないけれど、特段、家族仲が悪いわけではない。それぞれやるべき事や、どうしようもない事があるだけなのだ。
きっと、お兄ちゃんだって。
「本当にバイト?」
「疑ってるのか。バイトだよ。別に遊び回ってるわけじゃないから」
「そうじゃないよ。体調は……発作は最近どう?」
「ほとんどないさ。美津姫が心配することないって」
ほとんど――ということは、たまにはあるんだろう。どうにも私の兄弟は、私を除いて嘘をつくのが下手だ。誠実だということなのかもしれない。
お兄ちゃんには持病がある。急に体が痙攣して、自分ではどうしようもなくなる。前触れもなく、そんな発作が起こるのだ。
意識を失うようなことはないけれど、暮らしにくいのは間違いないだろう。そんなお兄ちゃんが遠方の大学へ行くのを、家族全員が心配した。
私も、心配だった。今も心配だ。お兄ちゃんが私に電話をしてくるのは、大抵、気持ちが弱っているときだからだ。
「美津姫の声って、癒やしの効果があるんだよな」
いつだったか、おどけた風にお兄ちゃんは言っていた。あの時、私はなんて応えただろう。
私が『時間を戻す』能力を得た時――ほぼ一年ほど前だ――、真っ先に考えたのはお兄ちゃんの持病を治すことだった。神様の手で、彼の苦しみを取り除いてあげたいと思った。
けれど、記憶の中のお兄ちゃんは、いつもその病と向き合っているお兄ちゃんだった。そうではないお兄ちゃんを、私は知らない。
どうしようもない。
どの時点にも『ない』のだから、私には出来ない。
神様のような力だけど、それはただの力だ。使うのは私。結局、私は私の出来ることしか出来ない。当たり前だけど、大切な事のように思えた。
お兄ちゃんと二言、三言、他愛のない話をしながら、私は左手に視線を落とす。頼りない指、薄い手のひら。何かを掴めそうな気は――しない。
爽介くんならどうだろうか。彼は、『出来る』とか、『出来ない』とか、そういった境界を軽く飛び越えてしまいそうだ。
『やりたい』か『やりたくない』か。
そんな基準の上で生きているような気がする。
「お盆じゃなくても帰って来てよ。そうだ、空良のサッカーでも見に行ってあげて。あの子、一年生なのに試合に出してもらってるんだから」
「そうなのか。あいつ、何も連絡してこないからな」
「お兄ちゃんだって似たようなものじゃない」
ショッピングモールの通路は、たくさんの賑わいで溢れていた。私の視界の左から右へ、小さな靴を鳴らしながら男の子たちが駆けていった。兄弟なんだろう。遅れて、母親らしき人が叱りながら追いかけていく。
私はそんな光景を目で追いながら、
「たまには用事がなくても連絡してきてよね。それだけで安心するんだから」
「母さんみたいなこと言うようになったな、美津姫も」
「お兄ちゃん、返事は?」
「はいはい」
私がお兄ちゃんの心を癒せたかどうかは分からない。そもそも、お兄ちゃんが本当に弱っていたのかすら、実際は分からなかった。
けれど、私たちは明るい声であいさつを交わして通話を終えた。
(【風使い外伝】天馬美津姫のワンポイント看護(3) 終わり)
(続く)




