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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち【旧版】  作者: 硝子玉の宇宙
長編-わたしたちじゃない箱庭の娘たち

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第89話-わたしたち以外の箱庭の娘たちって、どこにいるのかな?

惑星監理局の午後は、珍しく穏やかだった。


食堂の昼食時間は過ぎ、廊下を急ぐ職員も少なくなり、訓練室の遠い振動だけが床をかすかに震わせている。


そんな監理局の廊下の隅に、いつもの小さな女子会空間が浮いていた。


淡い星明かり。

丸いクッション。

小さな机。

ロジーの頭上デバイスから投影される小さな写真群。

エルがどこからか出した、ふよふよ浮く飴玉。

レトが作った、硝子の小さな指示棒。


三人は、いつものように話していた。


最初は、ほんとうにどうでもいい話だった。


レトが食堂の新作プリンについて語り、ロジーが「今日のレトのリアクション指数」を過去比較してランキング表示し、エルがロジーのランキングを「うれしいレトがたくさん」と表現した。


レトは真剣に言った。


「プリンはね、わたしのことが好きだから、私を喜ばせてくれてるだけなんだよ!」


ロジーはすぐに記録した。


「レト、プリンの情緒を理解?重要発言!」


「ロジー、それ書かなくていいよ!」


「書くよ! 未来のプリン研究のために!」


エルは飴玉をつまみながら、ぽつりと言った。


「プリン研究、ある?」


「いま作った!」


ロジーが胸を張る。


レトは笑った。


エルも、ほんの少しだけ目元を緩めた。


それから話題は、いつものようにあちこちへ飛んだ。


新しいリボンの話。

ロジーのデバイスに入れた女子会用スタンプの話。

エルが昨日作った魔法アイテム、目を閉じたときにだけ見える星の話。

副長がそれを見て「これは職員の精神錯乱を誘発しかねませんね」と真顔で言った話。


三人は笑っていた。


笑って、騒いで、クッションに転がって、また起き上がって。


その途中で、レトがふと顔を上げた。


「ねえ、エル」


「うん」


「箱庭の娘たちって、他にはどんな子がいるのかな?」


ロジーの手が止まった。


エルも、飴玉を持ったままレトを見た。


「他の子」


「うん」


レトは指示棒を両手で持ち直した。


「わたしたちみたいに、硝子玉の宇宙で生まれた子。レトと、ロジーと、エル以外にもいるのかなって」


ロジーの目が、ぱっと輝いた。


「いるかもしれない!」


「だよね!」


「未発見の箱庭の娘たち! 分類不明! 出自不明! 外見不明! 能力不明! これは記録価値が高すぎる!」


「ロジー、仲良くなるのが先だよ」


「もちろん! 仲良くなる記録も取る!」


エルは、少しだけ首を傾げた。


「探してみる?」


空気が、一瞬だけ止まった。


レトとロジーが同時にエルを見る。


「探せるの?」


「たぶん」


「たぶん!?」


ロジーが机を叩く勢いで身を乗り出した。


「エル、それ、かなりすごいやつじゃない!?」


エルはあまり気負わずに頷いた。


「箱庭の娘たち。硝子玉の宇宙で生まれた子。あたしの内側で、似た響きがあるなら、分かるかも」


「似た響き……」


レトは胸元を押さえた。


「仲間の響き?」


「うん。たぶん、そう」


ロジーの頭上デバイスが、即座にホログラムを展開した。


硝子玉の宇宙の宙域マップ。


惑星、航路、外縁壁面、監理局管轄区域、未登録宙域。


立体的な星図が女子会空間の中に浮かび、淡い光で回転する。


ロジーは高速で操作した。


「じゃあ、検索補助出す! 魔力生命体反応、箱庭の娘分類候補、既知データ除外、監理局保護個体除外、未登録反応優先!」


レトはそわそわしながら身を乗り出した。


「いるかな」


「いるかも」


「いたら、どうしよう」


「会う!」


ロジーが即答した。


レトの目が輝く。


「会う……!」


エルはマップの前に立った。


小さな手を、星図へ伸ばす。


その指先に、淡い光が宿った。


術式ではない。

ロジーの検索でも、監理局の観測機器でもない。


エルが、ただ願う。


仲間を知りたい。

会えたら楽しい。

寂しくない方が、きっと幸せ。


その認識が、世界の奥へ沈んでいく。


マップ上の星々が、少しだけ揺れた。


ロジーのデバイスが小さく警告音を鳴らす。


「うわ、通常検索じゃない反応入ってる……!」


レトは息を呑んだ。


「エル?」


「探してる」


エルは静かに言った。


次の瞬間。


宙域マップの片隅に、小さな光点が灯った。


ひとつだけ。


淡く、弱く、今にも消えそうな光。


三人は黙った。


ロジーのデバイスが位置情報を拡大する。


外縁に近い小さな惑星。


文明反応は低い。

魔術通信網はほぼ未整備。

監理局の通常巡回記録は古い。

危険区域指定はない。


レトが、ぽつりと言った。


「いた」


ロジーは画面を凝視していた。


「いた……かもしれない。反応は、箱庭の娘たちに類似。すごく弱いけど、確かにある」


エルは、光点を見つめる。


「いる」


その声は、いつものように淡々としていた。


けれど、レトには分かった。


エルも、少しだけ嬉しそうだった。


ロジーが振り向く。


「ねえ、会いに行ってみない?」


レトは反射的に言った。


「お兄さんとか、副長にも言わなきゃだめだよ!」


言った。


ちゃんと言った。


それは、今まで何度も教えられてきたことだった。


勝手に外へ行かない。

分からないものへ触れない。

エルの魔法で移動しない。

ロジーは記録を無許可で開かない。

レトは任務だと思い込んで突っ走らない。


三人とも、知っていた。


知っていたのに。


ロジーは、唇を尖らせた。


「でもさ、すぐ会いたいよ!」


「それは……」


レトの声が揺れた。


ロジーはホログラムの光点を指差す。


「だって、箱庭の娘かもしれないんだよ? 私たちみたいな子かもしれないんだよ? ずっと一人だったらどうするの?」


レトの胸が、きゅっとなった。


一人。


その言葉に、弱かった。


エルも黙っている。


ロジーは、少しだけ声を落とした。


「もし、会いたがってたら?」


レトは両手を握った。


「でも、勝手に行ったら、また怒られるかも」


「ちゃんと行って、ちゃんと見て、ちゃんと帰って、ちゃんと報告する!」


ロジーは勢いよく言った。


「前はうまくできなかっただけ! 今なら、もっとできるよ!」


その言葉は、危うかった。


理由のない万能感。


過去の失敗を、成長した自分たちなら乗り越えられると思ってしまう幼さ。


今なら大丈夫。

今ならうまくできる。

ちょっとだけなら。

会ってすぐ帰るだけなら。


レトは、自分が迷っていることに気づいた。


止めるべきだと分かっている。


でも、胸の奥から別の声がする。


会いたい。


仲間かもしれない子に、会いたい。


「……ほんとは」


レトは小さく言った。


「わたしも」


ロジーの顔がぱっと明るくなる。


エルは、二人を見た。


「行く?」


レトは一度だけ、廊下の方を見た。


女子会空間の外では、職員たちが普通に仕事をしている。


ここから出て、外務班に言えばいい。

副長に相談すればいい。

お兄さんに報告すればいい。


そうすれば、きっと安全に会える。


でも。


その間に、光が消えてしまったら?


その子が、いなくなってしまったら?


レトは唇を噛んだ。


ロジーが言う。


「すぐ帰る」


エルが言う。


「近くまで。危なかったら戻る」


レトは、ぎゅっと目を閉じた。


そして、開いた。


「……見つけたら、ちゃんと連れて帰るんじゃなくて、まず報告するんだよ」


ロジーが笑った。


「うん!」


エルが小さく頷く。


「うん」


レトは、まだ不安だった。


けれど、胸の奥のわくわくが、それより少しだけ大きかった。


エルが手を上げる。


空間が、ふわりと揺れた。


次の瞬間。


三人は、監理局から消えた。



転移先は、花畑だった。


どこまでも明るい、穏やかな惑星の昼。


空は薄い青。

雲は小さく、風は柔らかい。

見渡す限り、花が咲いている。


白。

淡い紫。

薄い黄色。

水色。

名前も知らない小さな花々が、丘の斜面を覆っていた。


レトは一瞬、目的を忘れた。


「わあああああ……!」


ロジーも忘れた。


「すごい! 花畑! 自然光! 風! 映える! めちゃくちゃ映える!」


エルは、足元の花を見ていた。


「これ、かわいい」


レトは両手を広げて、花畑の中を駆け出した。


「ロジー! エル! 見て! お花いっぱい!」


「見てる! 記録してる! レトがもう任務忘れてるところまで記録してる!」


「忘れてないよ!」


レトは振り向いた。


その拍子に花びらが舞い、淡緑の髪と青い髪飾りの周りで光った。


ロジーはすかさず写真を撮る。


「はい、かわいい! 今日の一枚!」


「ロジー!」


エルは花を一輪、じっと観察していた。


「花、集まってる」


「花畑だからね!」


「みんなでいると、かわいい」


レトはその言葉に嬉しくなった。


「うん! みんなでいるとかわいい!」


三人はしばらく、花畑ではしゃいだ。


ロジーはデバイスで自撮りをしようとし、レトは花冠を作ろうとして失敗し、エルは魔法で花冠を作ろうとして、レトに「それは今はだめ!」と止められた。


そこで、レトがはっとした。


「あ!」


ロジーもはっとした。


「あ!」


エルも少し遅れて、顔を上げる。


「仲間」


「そう! 仲間探しが目的なんだった!」


レトは自分の頬を両手で挟んだ。


「だめだよ、わたし! お花で浮かれてた!」


「私も!」


ロジーが元気よく手を上げた。


「でも記録は完璧!」


「記録じゃなくて目的!」


「目的も今思い出した!」


エルは、小さな硝子の方位針のようなものを手のひらに出した。


透明な花びらのような板が重なり、中心に淡い光が灯っている。


「これ、使う」


レトが覗き込む。


「なに?」


「いる場所を知るもの」


ロジーの目が輝く。


「魔法アイテム!」


「安全?」


レトが少し身構える。


エルは考えた。


「たぶん」


「たぶんはちょっと不安!」


ロジーが笑う。


「レトが成長してる! 危険認識がある!」


「ロジーもして!」


「はい!」


エルは方位針を見つめる。


硝子の針が、花畑の奥を指した。


三人は顔を見合わせる。


そして、歩き出した。


最初は楽しかった。


花畑の中を進むだけで、遠足みたいだった。


レトは先頭を歩き、ロジーは記録を取り、エルは方位針を見る。


「こっち」


「了解! 箱庭仲間探索作戦、進行中!」


「ロジー、作戦名つけたの?」


「つけた!」


「お兄さんに怒られないかな」


「帰ってから謝る!」


「謝る前提なの!?」


そんな会話をしながら、三人は進んだ。


やがて、花畑の一角に、小さな小屋が見えた。


古びた木造の小屋だった。


屋根は傾き、壁板は一部剥がれ、窓には埃が積もっている。

花畑の中に埋もれるように建っているのに、その小屋だけが妙に暗かった。


レトの足が止まった。


ロジーも、少しだけ黙った。


エルの方位針は、小屋を指している。


「ここ?」


レトが小さく言った。


エルは頷く。


「ここ」


ロジーが声を明るくしようとした。


「住んでるところ、かな?」


けれど、その声は少し上ずっていた。


レトは小屋を見上げる。


「古いね」


「うん」


「でも、いるかもしれない」


「うん」


三人は小屋の扉の前に立った。


レトが前に出る。


「わたしがノックする」


「戦闘班っぽい」


「ノックは戦闘じゃないよ」


レトは手を上げた。


こんこん。


返事はない。


「……いませんか?」


返事はない。


ロジーが小声で言う。


「もうちょっと強め」


レトは頷いた。


こんこんこん。


古い扉が、ぎしりと鳴った。


「こんにちは! わたしたち、惑星監理局の……」


言い終わる前に。


扉が崩れた。


ばきり、と乾いた音。


蝶番が外れ、木片が内側へ倒れ込む。


レトは飛び上がった。


「うわあ!!!」


ロジーも叫ぶ。


「壊れた!! レトが扉を倒した!!」


「わたしじゃない! わたし、ノックしただけ!」


エルは倒れた扉を見て、ぽつりと言った。


「扉、弱かった」


「そうだけど!」


三人はしばらく固まっていた。


やがて、レトが恐る恐る中を覗く。


小屋の中は、廃墟だった。


家具らしいものはほとんどない。

埃をかぶった棚。

割れた椅子。

朽ちた布。

床板の隙間から伸びる草。


誰かが暮らしている気配はなかった。


ロジーのデバイスが、低く環境音を拾う。


「生活反応なし。熱源なし。最近の足跡も……うーん、ないっぽい」


「じゃあ、ここじゃない?」


レトが不安そうに言う。


エルは方位針を見る。


硝子の針は、小屋の床を指していた。


「下」


「下?」


三人は床を見る。


埃と草に隠れていたが、中央に古い鉄の蓋があった。


取っ手がついている。


明らかに、地下へ続くものだった。


レトの喉が鳴った。


「……これ、もう絶対、職員さん呼んだ方がいいやつじゃない?」


ロジーは黙っていた。


いつものロジーなら、ここで真っ先に「開けよう!」と言う。


でも、言わなかった。


言わなかった代わりに、目が離せなくなっていた。


未知の記録。

隠された部屋。

消えた箱庭の娘かもしれない反応。


ロジーにとって、それはあまりにも強い引力だった。


エルが蓋に手を伸ばす。


レトが慌てて止めた。


「待って! わたしが見る!」


「レト?」


「戦闘班だから!」


そう言いながら、レトの声は少し震えていた。


レトは鉄の蓋に手をかける。


重い。


けれど、レトの力なら開けられる。


ぎい、と錆びた音がした。


蓋が開く。


地下へ続く階段が現れた。


暗い。


花畑の明るさが嘘みたいに、下は暗かった。


ロジーのデバイスが自動で照明を投げる。


白い光が階段を照らす。


石ではない。

土でもない。


人工的な壁。

古い配線。

剥がれた標識。

錆びた金属。


三人は、ゆっくり降りた。


地下にあったのは、怪しい空間だった。


実験室。


研究所。


その言葉を、三人ともすぐには口にできなかった。


部屋は広くない。


だが、壁には壊れた機材が並んでいた。

硝子管。

拘束台らしい台座。

古い記録端末。

乾いた薬品瓶。

黒ずんだ床の痕。

魔術式の残骸。

破れた紙束。


どれも古い。


ずっと前に放棄された場所だった。


でも、ただ古いだけではなかった。


空気が重い。


そこにいた何かの気配が、もういないのに、まだ残っている。


レトは胸を押さえた。


「ここ……いやな感じがする」


ロジーは唇を結んでいた。


エルの方位針は、部屋の奥を指している。


三人は進んだ。


奥の台の上に、それはあった。


しなびた一輪の花。


茶色く乾き、茎は折れかけ、花びらはほとんど崩れている。


それでも、かろうじて花の形をしていた。


エルの方位針は、その花を指していた。


レトは、何も言えなかった。


ロジーも、何も言えなかった。


エルは花を見ていた。


「ここ」


その声は、とても小さかった。


ロジーが、一歩前へ出た。


頭上のデバイスが、静かに光を強める。


いつもの記録モードではない。


もっと深い場所へ、手を伸ばそうとする光。


レトは、それに気づいた。


理屈ではなかった。


戦闘班としての勘でも、魔術知識でもない。


ただ、嫌な予感がした。


ロジーが見ようとしているものを、今ここで見てはいけない。


そんな気がした。


レトは、ロジーの袖を掴んだ。


「ロジー」


ロジーは振り向かない。


「ちょっとだけ」


「だめ」


レトの声は、自分でも驚くほどはっきりしていた。


ロジーがようやく振り向く。


「レト?」


レトは首を振った。


「いまは見ちゃだめ」


ロジーの目が揺れた。


「でも、ここに何があったか分かるかもしれない」


「うん」


「この花が何か、分かるかもしれない」


「うん」


「もしかしたら、その子の記録が」


「ロジー」


レトは、袖を握る手に力を込めた。


「これ、職員さんに相談したほうがいいやつだと思う」


ロジーは息を止めた。


エルは花を見ていた。


何も言わない。


レトは、泣きそうな顔になりながら、それでも続けた。


「わたしたち、勝手に来ちゃった。ここまで来ちゃった。でも、これ以上は、だめな気がする」


ロジーのデバイスが、淡く明滅する。


見るなと言われること。


記録者であるロジーにとって、それは簡単なことではない。


目の前に記録がある。

失われたものがある。

隠されたものがある。

誰も知らないかもしれないものがある。


それを見ない。


その選択は、ロジーにとって痛かった。


でも、レトの手が震えていた。


ロジーは、それを見た。


「……分かった」


声は小さかった。


レトは息を吐いた。


「ありがとう」


ロジーは目を逸らした。


「まだ見てない。だから、えらい?」


レトはすぐに頷いた。


「えらい。すごくえらい」


エルが、花の前にしゃがんだ。


手を伸ばしかけて、止めた。


「これも、触らない?」


レトは少し迷って、頷いた。


「触らない」


エルは手を下ろした。


「分かった」


三人は、その花を置いたまま、地下室を出た。


誰も走らなかった。


誰も笑わなかった。


花畑は、相変わらず綺麗だった。


でも、さっきとは違って見えた。


明るい花の下に、何かが埋まっている。


そう思うだけで、風の音まで変わって聞こえた。



監理局へ戻った三人は、正直に報告した。


勝手に外出したこと。

エルの魔法で転移したこと。

宙域マップに反応を見つけたこと。

花畑の惑星へ行ったこと。

古びた小屋を見つけたこと。

地下に研究施設のような場所があったこと。

エルの魔法アイテムが、しなびた一輪の花を指し示したこと。


全部、言った。


レトは報告の途中で泣きそうになっていた。


ロジーはいつもの勢いがなく、デバイスの表示も最小限だった。


エルは、淡々としていたが、いつもより言葉が少なかった。


ジェレミーは、最後まで黙って聞いた。


副長もいた。

調査班長、情報班主任、魔術制御部長も途中から呼ばれた。


三人の報告が終わると、部屋はしばらく沈黙した。


レトは膝の上で両手を握りしめた。


「ごめんなさい」


ロジーも小さく言った。


「勝手に行きました」


エルはジェレミーを見る。


「あたしが、連れて行った」


ジェレミーは、短く言った。


「事実確認を優先する」


レトが顔を上げる。


怒られると思っていた。


副長の長い説教も、外出制限も、任務停止も、全部覚悟していた。


けれど、ジェレミーは怒鳴らなかった。


副長も笑わなかった。


それが、逆に怖かった。


ジェレミーは調査班長を見る。


「即時出動。外務班を経由しない。監理局直轄調査案件として扱え」


「了解」


「現地封鎖。小屋、地下施設、周辺花畑を含めて全域。民間接触履歴、所有権、過去の入植記録、観測網の欠落を洗え」


「はい」


情報班主任がロジーを見た。


ロジーは、その視線だけで察した。


「……私、見てない」


情報班主任は静かに頷いた。


「見ていないことを記録します」


ロジーは唇を噛んだ。


副長が言う。


「三名は本件について、以後、独自調査を禁止します」


レトが小さく頷く。


「はい」


ロジーも、少し遅れて頷く。


「……はい」


エルは黙っていた。


ジェレミーがエルを見る。


「エル」


「うん」


「この件に対して、監理局が調べ終わるまで魔法を使うな」


エルは瞬きした。


「花、戻すのも?」


「戻すな」


「いるか、見るのも?」


「見るな」


「会うのも?」


「まだだ」


エルは少しだけ目を伏せた。


「……分かった」


その言葉を聞いて、ジェレミーはロジーへ視線を移した。


「ロジー」


ロジーの肩が跳ねた。


「はい」


いつものため口ではなかった。


ジェレミーは、少しだけ間を置いた。


「これは命令ではない」


ロジーが顔を上げる。


「お願いだ」


部屋の空気が、さらに静かになった。


ジェレミーは続ける。


「記録を見るな」


ロジーの目が揺れた。


「局長」


「君なら到達できる可能性がある。地下施設の過去、花の由来、そこにいたかもしれない個体の記録。通常の調査より早く、深く、正確に見ることができるかもしれない」


ロジーは何も言わなかった。


「だが、見るな」


ジェレミーの声は、冷たくはなかった。


ただ、逃げ道がなかった。


「君の心のために言っている」


ロジーのデバイスが、淡く震えた。


ロジーは、自分の両手を見た。


「……命令じゃないの?」


「命令ではない」


「じゃあ、私が見ようと思ったら」


「止められない」


副長が、目を伏せる。


情報班主任も、黙っている。


ロジーは笑おうとした。


失敗した。


「ずるいなあ」


ジェレミーは何も言わない。


ロジーは唇を噛み、何度も瞬きした。


「お願いって、ずるい」


「そうだ」


「局長、ずるい」


「そうだ」


ロジーは、俯いた。


しばらくして、小さく頷いた。


「……見ない」


誰も、すぐには反応しなかった。


ロジーはもう一度言った。


「見ない。今は。見ない」


ジェレミーは短く答えた。


「ありがとう」


ロジーの顔が、少しだけ歪んだ。


その隣で、レトがずっと震えていた。


ジェレミーはそれに気づいていた。


報告の間、ずっと。


叱られる怖さではない。


見つけたものの意味が分からない怖さ。

仲間かもしれない子がいたのに、もういないかもしれない怖さ。

自分たちが、楽しい気持ちで踏み込んでしまった場所が、取り返しのつかない場所だったかもしれない怖さ。


レトは、やっと言った。


「お兄さん」


声が震えていた。


「わたしたち、悪いことした?」


ジェレミーは、レトの前まで歩いた。


膝をつく。


視線を合わせる。


「勝手に外出したことは悪い」


レトの目に涙が溜まる。


「うん」


「だが、途中で止まった」


「……うん」


「ロジーを止めた」


レトの涙が落ちた。


「怖かった」


「そうだろう」


「見ちゃだめな気がした。でも、なんでだめか分からなくて」


「それでいい」


ジェレミーは、静かに言った。


「分からない時に止まれたなら、それでいい」


レトの顔が崩れた。


「お兄さん……」


ジェレミーは、レトを抱き締めた。


レトはすぐにしがみついた。


淡緑の髪がジェレミーの腕に触れ、青いキューブの髪飾りが小さく揺れる。


「こわかった」


「ああ」


「花があった」


「ああ」


「でも、女の子はいなかった」


ジェレミーは、少しだけ目を伏せた。


「ああ」


「仲間かもしれなかったのに」


ジェレミーは答えなかった。


答えられる段階ではなかった。


ただ、抱き締める腕に少しだけ力を込めた。


「今は休め」


「でも」


「調査班が行く」


「わたしも」


「行かせない」


レトは震えた。


ジェレミーは続ける。


「これは命令だ」


レトは、ジェレミーの服を握りしめた。


「……はい」


ロジーはそれを見ていた。


エルも見ていた。


副長は静かに立っていた。


誰も、三人を責めなかった。


けれど、その優しさは、許されたという意味ではなかった。


三人を守るために、ここから先の扉を閉じる。


そういう優しさだった。



調査班は、その日のうちに出発した。


花畑の惑星は、監理局直轄の封鎖対象になった。


小屋の周辺には遮断結界が張られ、地下施設は外部干渉を防ぐために段階的に封印された。


記録端末、紙束、魔術式の残骸、乾いた薬品瓶、床の痕跡、台座、そしてしなびた一輪の花。


すべてが、慎重に保全された。


三人には、何も知らされなかった。


知る必要がないからではない。


今は、知らせてはいけないからだった。


監理局の第七会議室。


遮音術式四重展開。

記録制限。

外部干渉遮断。

魔力残滓の自動分解。


ジェレミー、副長、調査班長、情報班主任、魔術制御部長、精神保護室長、倫理監査主任、医療班主任が集まっていた。


卓上には、現地から届いた一次報告が並んでいる。


調査班長の声は硬かった。


「地下施設は、民間研究所として登録されていません。惑星所有記録にも該当なし。複数の偽装名義が使用されています」


情報班主任が続ける。


「古い記録端末の復旧を開始しています。完全な復元には時間がかかりますが、断片的な語句が出ています」


副長は画面を見た。


表示された単語は、どれも短かった。


魔力生命体。

幼体成熟。

再生反応。

硝子玉由来。

情緒刺激。

検体。


会議室の温度が、一段下がったように感じられた。


魔術制御部長が低く言う。


「箱庭の娘を研究していた可能性が高い」


誰も、すぐには答えなかった。


精神保護室長が目を閉じる。


医療班主任は、報告書の一部を見たまま動かない。


副長の薄い笑みは消えていた。


ジェレミーは、卓上の映像を見ていた。


花畑の奥。


古びた小屋。


地下の研究施設。


台座の上の、しなびた一輪の花。


調査班長が、声を落とした。


「そして、反応源と見られる個体は……」


言葉が途切れた。


誰も急かさなかった。


調査班長は、報告書を閉じるように視線を下げた。


「生存していません」


会議室に、音がなくなった。


しばらくして、副長が静かに言った。


「三名への情報制限を最上位に引き上げます」


「承認する」


ジェレミーは即答した。


「ロジーの記録接触も遮断。ただし、強制措置ではなく、本人の同意を前提にする。情報班主任、そばにいろ」


「はい」


「エルには、魔法行使制限を継続。精神保護室と生活班で観察しろ。願望反応が出た場合、説得を優先」


「了解」


「レトは私が見る」


誰も異論を挟まなかった。


副長が一度だけ、ジェレミーを見た。


「局長」


「何だ」


「この件は、通常の未登録研究所摘発ではありません」


「ああ」


「箱庭の娘たちの保護規定、その根幹に触れます」


「分かっている」


ジェレミーの声は、いつもと同じだった。


冷静で、短く、機械的。


だが、その場にいる全員が理解していた。


これは、報告書の上だけで終わる案件ではない。


ジェレミーは立ち上がった。


「調査を続けろ。事実だけを積み上げる。推測で動くな。怒りで判断するな」


副長が頷く。


「はい」


ジェレミーは会議室の扉へ向かった。


一度だけ、足を止める。


「三人に、この部屋の空気を持ち込むな」


その言葉に、全員が背筋を正した。


「彼女たちは、花畑を見た」


ジェレミーは続けた。


「地下は、まだ見せるな」


扉が開く。


会議室の外には、いつもの監理局の廊下があった。


職員が歩き、遠くで誰かが書類を落とし、食堂の方から微かな食器の音がする。


日常は続いている。


けれど、ジェレミーの背後では、封鎖された会議室の中で、花畑の惑星の記録が静かに増え続けていた。


そしてその頃、生活区画の小さな休憩室では。


レトが、ロジーとエルの間に座っていた。


誰も騒がない。


ロジーはデバイスの表示を消している。


エルは膝の上で両手を重ねている。


レトは、二人の手を片方ずつ握っていた。


「……また、会えるかな」


誰に、とも言わなかった。


ロジーは答えられなかった。


エルも答えなかった。


ただ、三人は手を離さなかった。


窓の外では、監理局の中庭に小さな花が揺れていた。


それは、あの惑星の花とは違う。


違うのに。


三人はしばらく、その花を見ていた。



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