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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち【旧版】  作者: 硝子玉の宇宙
箱庭の娘たち

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85/135

第85話-『轢殺の神性存在』

挿絵(By みてみん)

轢殺の神性存在 ――止まらない車輪


産業惑星オルド・レーンには、地平線まで続く輸送路があった。


巨大工場群を結ぶ軍需輸送路。

鉱石、燃料、兵装部品、重機、廃材、そして人間を運ぶための線路。

それらは惑星表面を黒い血管のように走り、昼も夜も止まらず稼働していた。


かつて、そこでは何度も同じ言葉が叫ばれた。


進め。

止まるな。

遅れるな。

積め。

運べ。

踏み潰してでも進め。


工場の納期。

軍需輸送の命令。

避難民を置き去りにした列車。

退避勧告より優先された貨物。

故障した作業員をまたいで進んだ搬送機。

線路上で助けを求めた声を、煙と警笛が塗り潰した記録。


それらの感情が、長い時間をかけて一つに固まった。


人間の精神集合体。

神性存在。


監理局の分類名は、轢殺の神性存在。


現場で呼ばれた名は、もっと単純だった。


止まらない車輪。


それは、線路の彼方から来た。


最初は、煙だった。


黒い煙が地平線に立ち、工場の排気塔と見分けがつかなかった。

次に、地鳴り。

その次に、線路そのものが震えた。


輸送路の鉄骨が、地面から浮き上がる。

舗装道路に銀色の溝が走る。

避難用の広場が、一直線の軌道へ変質する。


地形が線路化していた。


そして、それが姿を現す。


巨大な車輪。

獣の前脚。

列車の装甲。

煙突のような喉。

全身の関節に回転する車輪。

背骨に沿って走る連結器。

胸部に、赤白く燃える炉核。


口のように裂けた前面装甲から、煙が吐き出される。


『――進め』


音ではなかった。


蒸気の唸り、車軸の悲鳴、踏み潰されるものの破砕音が、意味になっていた。


『――止まるな』


巨大な前輪が地面を噛む。


その瞬間、線路沿いに設置されていた防護壁の魔術強度が落ちた。


防御力低下。


重装隊員が歯を食いしばる。


「障害物認定、来ます!」


戦闘班長の声が通信に走った。


『全隊、退避誘導を最優先。止めるな。止めようとするな。進路を読み、外へ流せ』


作戦統括官の立体地図には、惑星表面の輸送路が赤く表示されている。


止まらない車輪は、最短経路を走っていない。


人が多い場所。

構造物が密集する場所。

逃げ遅れがいる場所。


それらを、障害物として認定しながら進んでいた。


障害物は、踏み潰すためにある。


だから進む。


監理局の避難誘導部隊が、工場居住区へ展開していた。


「第二居住区、退避完了まで四分!」


「無理だ、四分はない!」


「地下搬送路に民間人二百二十名!」


「止まらない車輪、現在速度、時速二百六十。上昇中!」


戦闘班長は短く判断した。


「時間を買う」


その一言で、戦闘班が前に出た。


重装隊員三名が、輸送路上に展開する。


黒い重装甲。

肩部の固定杭。

両腕の大型盾。

背部に接続された地面固定用アンカー。


彼らの前に、魔術砲撃担当が三人。

後方高架上に狙撃担当二名。

側面の工場壁には、近接戦闘員が跳び移っていた。


レトは、そのさらに前にいた。


淡緑の長い髪が左側のワンサイドテールで揺れる。

青いキューブの髪飾りが、震動で小さく鳴った。

足元には、半透明の硝子短剣が十六本、花弁のように浮いている。


レトは巨大な神性存在を見上げた。


「職員さん、わたしが行く」


戦闘班長が即答する。


『単独で止めるな、レト。今回は止める相手じゃない』


「うん。止めない」


レトは、短剣を一本、前方へ投げた。


硝子短剣は空中で消え、百メートル先の線路脇に突き立つ。


次の瞬間、レトの姿も消えた。


空間転移。


彼女は短剣の位置へ現れ、その場でさらに三本の短剣を投げる。


右。

左。

上。

線路の縁。

工場の支柱。

空間の継ぎ目。


レトは走るのではない。


走行ルートに沿って、飛び石のように転移していく。


一瞬で前へ。

次の瞬間には側面へ。

さらに次には高架の下へ。


硝子短剣が次々と線路化した地面に刺さる。


目的は攻撃ではない。


測るためだった。


どこまでが進路なのか。

どこまでが神性存在の権能に染められた空間なのか。

どこを曲げれば、車輪が食いつくのか。


「右側、硬い! 左側の軌道が薄い!」


レトの報告を、情報支援の職員が即座に立体地図へ反映する。


『左側の線路化、密度低下。曲げ候補、三番支線』


「三番支線は居住区に近い!」


『なら四番へ流す。廃棄炉跡だ。人はいない』


戦闘班長が命じる。


「全隊、四番支線へ誘導。停止ではなく偏向。繰り返す、止めるな」


重装隊員が盾を構えた。


「了解。受けるんじゃない。滑らせる」


止まらない車輪が迫る。


地面が震える。


空気が圧縮される。


巨大な前輪が回転しながら、線路上の全てを障害物として認定する。


重装隊員の盾に、赤い警告が走った。


防御力が落ちる。


「来る!」


衝突。


盾が砕けた。


防護結界が削れる。

装甲表面が潰れる。

アンカーが地面から引き抜かれる。


重装隊員三名は、正面から受け止めなかった。


左肩を下げる。

盾を斜めにする。

足元のアンカーを片側だけ解除する。


止まらない車輪の巨体が、盾の上を滑った。


ほんのわずか、角度が変わる。


「一度目、偏向成功!」


「偏向角、二度!」


「足りない!」


魔術砲撃担当が撃った。


炎ではない。

爆発でもない。


高圧の衝撃弾が、神性存在の右側車輪群を叩く。


狙いは破壊ではない。


車輪の回転に、わずかな偏りを作ること。


しかし、止まらない車輪は速度を上げた。


車輪が速くなる。

装甲が硬くなる。

砲撃が弾かれる。

硝子短剣が刺さらず、表面で砕ける。


レトは空中へ転移した。


「硬くなった!」


『速度上昇に伴い装甲強度増加。正面攻撃、無効化されます!』


近接戦闘員が工場壁から跳んだ。


手にしているのは刃ではない。

楔型の小型魔術杭。


彼は止まらない車輪の側面へ着地しようとした。


だが、着地直前に身体が後方へ引かれた。


「っ、後退判定!」


後退する対象を引き戻す権能。


離れようとした者は、進路へ戻される。


近接戦闘員の身体が、車輪の下へ吸い込まれかけた。


レトが消えた。


次に現れた時、彼女は近接戦闘員の襟を両手で掴んでいた。


「こっち!」


空間が硝子のように鳴る。


二人の位置がずれる。


車輪が真下を通過した。


圧力だけで、レトの頬に細い傷が走る。


近接戦闘員は工場屋根の上に転がった。


「助かった、レト!」


「まだ!」


レトは息を吐く暇もなく、次の短剣へ転移する。


止まらない車輪は、さらに速くなっていた。


全身の車輪が唸る。

胸の炉核が明滅する。

口から黒煙が吹き出し、煙の中に燃えた文字のようなものが浮かぶ。


進め。

止まるな。

踏め。

遅れるな。

捨てろ。

置いていけ。

潰せ。


避難民の恐怖と、輸送命令の狂気が混ざっている。


レトはそれを見て、顔をしかめた。


「いやな声……!」


戦闘班長が通信で言う。


『聞きすぎるな。感情汚染がある』


「うん!」


レトは両手を広げた。


周囲の硝子短剣が、一斉に青白く光る。


「じゃあ、声じゃなくて、道を見る!」


短剣が地面に刺さる。


一点ではない。


線として刺さる。


線路化した地形の左右に、硝子の点が並ぶ。


レトの空間魔術は、空間を完全に支配するものではない。


だが、ずらすことはできる。


繋ぎ目を作る。

距離を誤魔化す。

角度を変える。

踏み込んだ先を、ほんの少し横へ送る。


レトは四番支線へ向けて、透明な転轍器を作り始めた。


硝子の短剣一本ごとに、空間の角度が半度ずつ変わる。


半度。

一度。

一度半。

二度。


止まらない車輪は、それを障害物として認定する。


だから踏み潰そうとする。


踏み潰した瞬間、短剣が砕ける。


砕けた硝子から、青白い熱が漏れる。


熱は車輪を焼かない。


地面を焼く。


線路化した地形の表層だけを、わずかに溶かす。


車輪が滑る。


「今!」


重装隊員が二度目の斜面盾を展開した。


今度は正面ではなく、左側から。


止まらない車輪の進路に、斜めの壁が立つ。


普通なら轢き砕かれる。


実際、砕かれた。


だが砕かれるまでの一瞬だけ、車輪はその斜面に乗った。


巨体が右へ傾く。


魔術砲撃担当が右車輪群を叩く。

近接戦闘員が左側の軌道に杭を打つ。

狙撃担当が炉核周辺の装甲板を撃ち、振動を与える。


全て、止めるためではない。


曲げるため。


止まらない車輪は咆哮した。


『――止まらない』


「止めてない!」


レトは叫んだ。


「曲がって!」


彼女は自分の真下に短剣を刺した。


空間が割れる。


レトの身体が、青白い光に包まれる。


彼女の足元から、硝子の線が走った。


線路のように。

でも、神性存在の線路ではない。


レトが作った、曲がるための硝子の軌道。


止まらない車輪の前輪が、その上に乗った。


瞬間。


神性存在の権能が反応する。


進路上のものを障害物認定。

障害物の防御力を下げる。

踏み潰す。


硝子の軌道は砕けた。


だが、砕ける直前に役目を果たした。


進路を、わずかに右へずらした。


止まらない車輪が四番支線へ入る。


廃棄炉跡へ向かう支線。

かつて工場の排熱を捨てていた、巨大な空洞地帯。


そこには人がいない。


戦闘班長が叫ぶ。


『全隊、最終段階! 脱輪させる!』


止まらない車輪は、支線に入った瞬間、さらに速度を上げた。


自分の作った線路を走る限り、それは無敵に近い。


装甲が硬くなる。

砲撃が効かない。

短剣が弾かれる。

重装隊員の盾はもう残り少ない。


だが、作戦統括官の読み通りだった。


支線には、曲線がある。


本来なら緩やかなカーブだった場所を、止まらない車輪の権能が強引に線路化している。

そこへレトの空間ずらしが重なる。


自分で作った線路。

レトが曲げた空間。

戦闘班が削った左右の摩擦差。


三つが噛み合う。


前輪が、一瞬だけ線路を噛み損ねた。


脱輪。


巨体が跳ねた。


地面が爆ぜる。

煙が裂ける。

全身の車輪が空転する。


止まらない車輪は止まっていない。


しかし、走れていない。


速度と進行が、噛み合わない。


その瞬間、胸部装甲が開いた。


炉核が露出する。


赤白く燃える炉。

その周囲に、制御弁が三つ。

高速走行時は装甲内部に隠れ、進路変更時だけ動力分配のために開く部位。


狙撃担当が息を止めた。


「制御弁、見えた」


戦闘班長が言う。


「撃て」


一発目。


左制御弁が砕けた。


炉核の光が乱れる。


二発目。


右制御弁が破裂する。


蒸気が逆流し、止まらない車輪の口から白い炎が漏れた。


三発目。


中央制御弁へ向かった弾丸が、直前で弾かれた。


装甲が閉じ始めている。


「閉じる!」


「間に合わない!」


レトが転移した。


場所は、炉核の真正面。


距離は近すぎる。


胸の炉から放たれる熱が、レトの髪を揺らした。

青いキューブの髪飾りが光を反射する。

彼女の周囲で硝子短剣が次々と溶け、形を失う。


戦闘班長が怒鳴る。


『レト、離れろ!』


「やだ!」


レトは両手を前に出した。


「ここ、開けたままにする!」


彼女は炉核を攻撃しなかった。


装甲の閉じる隙間に、硝子の短剣を差し込む。


一本。

二本。

三本。

十本。

二十本。


短剣は砕ける。


砕けても、次を入れる。


硝子片が熱で弾け、青白い火花が散る。


レトの腕に細かい傷が走った。


それでも彼女は、装甲の隙間を押し広げた。


「職員さん!」


狙撃担当が撃つ。


弾丸は、レトが作った硝子の隙間を通った。


中央制御弁に命中。


炉核が、大きく脈打った。


戦闘班長が即座に命じる。


「爆砕班、前へ!」


魔術砲撃担当二名が飛び込む。


重装隊員が残った盾で破片を受ける。

近接戦闘員が爆砕杭を炉核外周へ打ち込む。

狙撃担当が弁の奥を撃ち続け、炉核の圧力逃がしを封じる。


レトは最後の短剣を握った。


それは、いつもの浮遊短剣ではない。


彼女の手の中で直接造形された、青白い硝子の短剣。


「これで、終わり!」


レトは炉核の縁へ短剣を突き立てた。


短剣が砕ける。


内部に封じられていた青白い高熱が、炉核の制御を一瞬だけ乱した。


爆砕杭が起動する。


戦闘班の一斉砲撃が重なる。


炉核が割れた。


轟音。


止まらない車輪の胸から、赤白い光が噴き上がる。


全身の車輪がばらばらに回転する。

線路化していた地形が崩れる。

煙が逆流し、獣のような前脚が砕ける。

列車の装甲が剥がれ、巨大な車輪が空中で止まりかける。


それでも神性存在は、最後まで停止しなかった。


砕けながら、前へ進もうとした。


『――進め』


レトは、息を切らしながらそれを見た。


「もう、行くところないよ」


戦闘班長が静かに言う。


「討伐完了まで油断するな」


炉核の亀裂から、光が抜ける。


車輪が一つ、地面に落ちた。


回転しようとして、できなかった。


二つ目。

三つ目。

無数の車輪が順番に崩れ、黒い煙へ変わる。


最後に残った巨大な前輪だけが、しばらく地面を削っていた。


前へ。

前へ。

前へ。


けれど、線路はもうなかった。


レトの硝子片も、戦闘班の杭も、砕けた炉核も、全部が混ざった廃棄炉跡の中心で。


止まらない車輪は、ようやく崩壊した。


音が消える。


地鳴りが止む。


工場群の遠くから、避難誘導完了の報告が入った。


『第二居住区、退避完了』

『地下搬送路、民間人全員保護』

『軍需輸送路、線路化解除を確認』

『神性存在反応、消失』


レトはその場に座り込んだ。


膝が震えていた。


腕は傷だらけで、髪も少し乱れている。

それでも、彼女は炉核のあった場所をじっと見ていた。


重装隊員が近づく。


「レト、大丈夫か」


「うん」


「本当に?」


レトは少し考えてから、首を横に振った。


「ちょっと、こわかった」


重装隊員は頷いた。


「正しい報告だ」


近接戦闘員が笑う。


「助けられた。襟、伸びたけど」


「ごめん!」


「命に比べれば安い」


魔術砲撃担当が、砕けた砲身を見ながら言った。


「止められなかったな」


戦闘班長が答える。


「止める必要はなかった」


彼は、崩れた線路跡を見た。


「曲げた。外した。撃ち抜いた。それで十分だ」


レトは顔を上げた。


「わたし、ちゃんと曲げられた?」


戦闘班長は少しだけ口元を緩める。


「ああ。完璧ではないが、戦場では十分すぎる」


「完璧じゃない?」


「次はもっと上手くやる」


レトの目が、少しだけ明るくなった。


「次も、わたし出る?」


「必要ならな。ただし、医療班の検査を受けてからだ」


「う……」


通信に、医療班主任の声が割り込んだ。


『今すぐです』


レトは肩を跳ねさせた。


「聞いてたの!?」


『全て聞いていました』


戦闘班の数名が、そこでようやく笑った。


遠くでは、避難民を乗せた輸送艇が空へ上がっていく。

もう線路に縛られていない。

もう置き去りにはされない。


レトはそれを見て、小さく息を吐いた。


止まらないものは、止められなかった。


けれど、進む先は変えられた。


踏み潰すための道から、誰もいない場所へ。


轢殺の神性存在は、そうして討伐された。


作戦記録には、こう残された。


轢殺の神性存在《止まらない車輪》討伐作戦。

停止作戦、全案破棄。

空間偏向および進路脱線により炉核露出。

戦闘班共同射撃、制御弁破壊。

レトによる炉核開口維持後、爆砕処理完了。

民間人被害、追加発生なし。


最後の備考欄に、戦闘班長は一行だけ加えた。


本件は、単騎戦力による討伐ではない。

戦闘班全隊による転轍成功である。


それを読んだレトは、少しだけ胸を張った。


「転轍成功……」


言葉の意味をあとで調べようと思いながら、レトは医療班に連れていかれた。


腕の手当てをされながら、彼女はぽつりと言った。


「お兄さんに報告しなきゃ」


医療班主任が包帯を巻く。


「まず安静です」


「でも、報告」


「安静後です」


「むぅ……」


レトは不満そうに頬を膨らませた。


けれど、その目はまだ、廃棄炉跡の線路を見ていた。


止まらないものを、止めなかった日。


踏み潰すための進行を、守るために曲げた日。


レトはその日、また一つ、戦闘班の戦い方を覚えた。



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