表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち【旧版】  作者: 硝子玉の宇宙
箱庭の娘たち

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
83/135

第83話-レトの心の中

――わたし、ちゃんとここにいる


朝。


レトは、目が覚めた瞬間に天井を見た。


白い天井。

監理局の生活区画の、いつもの天井。


そこに青白い光はない。

警報もない。

誰かの足音が走ってくる気配もない。


安全な朝。


レトは布団の中で、ぱちぱちと瞬きをした。


安全。


その言葉を心の中で言うと、胸の真ん中が少しだけ柔らかくなる。


昔は、目が覚めた瞬間にまず周りを探していた。


どこ。

誰。

お兄さんはいる。

ここは痛くない場所。

ここは怒られない場所。

ここは置いていかれない場所。


今は、起きた瞬間にそこまで考えなくてもいい。


でも、まったく考えないわけではない。


レトは布団の端をぎゅっと握った。


今日も、ここにいる。


わたしは、監理局にいる。


お兄さんがいる。


ロジーがいる。


エルがいる。


職員さんたちがいる。


その確認が終わると、レトは勢いよく起き上がった。


「よし!」


声に出す。


声に出すと、気持ちが前に出る。


元気になる。


ほんとうは、まだ少し眠かった。


でも、元気に起きた方がいい。


元気に起きると、今日が最初からきらきらする気がする。


レトは寝癖のついた淡緑の髪を手で押さえ、鏡の前に立った。


長い髪を左側へ集める。


いつものワンサイドテール。


髪をまとめる時、レトは少しだけ真剣になる。


これは、かわいくする時間。


そして、ちゃんとする時間。


髪を結べた日は、ちゃんとしたレトになれる気がする。


青いキューブの髪飾りをつける。


硝子の彗星の欠片。


小さく揺れるそれを見ると、胸の奥に青白い熱が灯る。


熱い。


でも、怖い熱じゃない。


わたしの熱。


わたしがここにいる熱。


レトは鏡の中の自分に向かって、にこっと笑った。


「今日のわたし、かわいい」


言ってから、少し照れる。


でも訂正しない。


かわいいと思ったなら、かわいいでいい。


嬉しいと思ったなら、嬉しいでいい。


好きなら、好きでいい。


レトはそういうふうに生きている。


だって、黙っていたら伝わらない。


伝わらないと、寂しい。


寂しいのは、嫌だ。


だからレトは、ちゃんと言う。


「おはよう、わたし!」


そう言って、部屋を出た。


廊下の自動扉が開く。


レトは一瞬だけ足を止めた。


「開いてくれてありがとう」


小さく言う。


昔より、ずっと小さな声。


物は物。


職員さんたちから何度も教わった。


扉は生きているわけではない。

返事はしない。

感情もない。


それは分かっている。


分かっているけど、開いてくれると嬉しい。


だから、ありがとうくらいは言いたい。


レトの心の中では、それは変なことではなかった。


廊下に出ると、生活班の女性職員が大きな布袋を抱えていた。


中には洗濯されたタオルが詰まっている。


レトはすぐに駆け寄った。


「職員さん! それ重い?」


「おはようございます、レト。少しだけ」


「わたし持つ!」


「大丈夫ですよ」


「持てるよ!」


言った瞬間、胸がぱっと熱くなる。


持てる。


役に立てる。


誰かが困っている。


わたしが助けられる。


その三つが重なると、レトの足は勝手に前へ出る。


頼まれていなくても、身体が動く。


それは、戦闘の時と少し似ている。


守れるかもしれないと思った瞬間、考えるより先に動く。


日常でも同じだった。


タオル袋を受け取る。


思ったより重い。


腕にずしっと重さが乗る。


けれど、レトは笑った。


「大丈夫!」


生活班職員は少し心配そうにした。


「無理はしないでくださいね」


「無理じゃないよ!」


そう言いながら、レトは歩き出した。


タオルの匂いがする。


清潔な匂い。


乾いた布の柔らかい匂い。


レトはそれが好きだった。


監理局の匂いだと思う。


ここで眠って、ここで起きて、ここで髪を乾かしてもらって、ここで怪我を手当てしてもらう。


そういう場所の匂い。


袋を抱え直す。


腕が少し痛い。


でも、まだ持てる。


持てるなら、持ちたい。


レトの心の中に、小さな声が出る。


見てて。


誰に向けた声なのか、自分でも分からない。


生活班の職員さんかもしれない。


廊下の向こうにいる誰かかもしれない。


お兄さんかもしれない。


見てて。


わたし、できるよ。


わたし、ちゃんと役に立つよ。


わたし、ここにいていいよね。


その時、曲がり角から新人寄りの職員が出てきた。


まだレトとの距離感に慣れていない職員だった。


腕に資料箱を二つ抱えて、慌てて足を止める。


「あ、レトちゃん。危ないですよ」


レトの足が止まった。


レトちゃん。


別に、嫌いな呼ばれ方ではない。


かわいいと言われるのは好き。


ちゃん付けされても、怒るほどではない。


でも、今は少しだけ違った。


レトはタオル袋を抱えている。


頼まれて持っている。


任務みたいに、ちゃんと運んでいる。


だから今は、かわいいだけじゃなくて、ちゃんと見てほしかった。


職員として。


仲間として。


その小さな引っかかりが胸に生まれた瞬間、職員が続けた。


「それ、子供には重いでしょう。無理しなくていいです」


胸の中の熱が、ぱちんと跳ねた。


子供。


重い。


無理。


その言葉が、全部まとめて刺さる。


痛いというより、熱い。


目の奥がつんとする。


泣きたいわけではない。


でも、泣く直前みたいに喉が狭くなる。


レトはタオル袋を床に置かなかった。


ぎゅっと抱えた。


「わたし、子供だけじゃないもん」


声が出た。


思ったより硬い声だった。


新人職員が瞬きをする。


「え?」


「わたし、戦闘班だもん。タオルくらい持てるもん」


言いながら、胸の奥がどんどん熱くなる。


怒っている。


自分でも分かるくらい、怒っている。


怒りは、レトの中で隠れない。


隠そうとする前に、顔に出る。


声に出る。


目に出る。


「かわいいって言われるのは嬉しいけど、できないって決められるのは嫌!」


廊下が一瞬静かになる。


新人職員は、困った顔をした。


悪気がないのは分かる。


心配してくれたのも、たぶん本当。


でも、嫌だった。


嫌だったことまで、なかったことにはできない。


レトは唇をぎゅっと結んだ。


怒っている。


でも、どう怒ればいいか分からない。


攻撃したいわけじゃない。


嫌いになりたいわけでもない。


ただ、ちゃんと見てほしい。


わたしを、小さいだけにしないでほしい。


新人職員は、資料箱を抱え直して、少し頭を下げた。


「すみません。言い方が悪かったです」


レトは黙った。


怒りがすぐに消えるわけではない。


謝られたから、はい全部なくなりました、とはならない。


胸の熱はまだ残っている。


でも、相手がちゃんと謝ったことは分かる。


レトは怒ったまま、考えた。


謝ってくれた。


それは、嬉しい。


でも、まだちょっと怒ってる。


じゃあ、どうする?


レトは、自分の感情を両手で持っているみたいな気持ちになった。


怒り。

嬉しさ。

まだ痛い感じ。

謝ってくれたから許したい感じ。

でも、すぐ笑うと、嫌だったことが軽くなる気がする感じ。


全部ある。


ひとつだけじゃない。


レトは深呼吸した。


「わたし、まだちょっと怒ってる」


新人職員は真面目に頷いた。


「はい」


「でも、謝ってくれたのは嬉しい」


「はい」


「次から、できるか聞いて」


新人職員の表情が少し変わった。


「ああ……はい。分かりました。レト、持てますか?」


レトは、ぱっと顔を上げた。


名前。


ちゃん付けじゃなくて、レト。


できるか聞いた。


胸の熱が、少しだけ違う温度になる。


怒りの熱ではなく、嬉しい熱。


「持てる!」


「では、お願いします。無理だと思ったら言ってください」


「うん!」


レトはタオル袋を抱え直して歩き出した。


数歩進んでから、振り返る。


「あとね!」


「はい」


「心配してくれたのは、ありがとう!」


言えた。


言った瞬間、胸がすっと軽くなる。


怒ったまま、ありがとうも言える。


嫌だったことを言ったまま、相手の優しさも受け取れる。


それが少し大人っぽい気がして、レトはちょっとだけ誇らしくなった。


午前の仕事が終わると、レトは食堂へ向かった。


食堂は昼前の準備で賑やかだった。


鍋の音。

食器の音。

職員さんたちの声。

焼きたてのパンの匂い。


レトはこの時間が好きだった。


みんなが生きている感じがする。


戦闘班も、情報班も、生活班も、医療班も、監理班も、同じ場所でご飯を食べる。


すごい。


みんな違う仕事をしているのに、ご飯の前では少しだけ同じになる。


レトはショーケースを覗いた。


プリンがあった。


一個。


きらきらしている。


つやつやしている。


とてもえらい。


レトの目が輝いた。


「プリン……」


食堂職員が笑った。


「今日のデザートです。一人一個ですよ」


「一人一個」


レトは真剣に頷いた。


一人一個。


それは大事。


公平。


お兄さんは公平な人だ。


だから、レトも公平を守りたい。


でも。


レトはプリンを見た。


これ、お兄さんにも食べてほしい。


お兄さんは忙しい。


いつも静かに仕事をしている。


コーヒーばかり飲んでいる。


甘いものを食べたら、少しだけほっとするかもしれない。


レトは心の中で想像した。


お兄さんがプリンを食べる。


表情はあまり変わらない。


でも、ほんの少しだけ目元が柔らかくなる。


「うまい」と短く言う。


それだけで、レトはたぶん一日中跳ねられる。


だから、あげたい。


自分の分をあげてもいい。


でも、それをすると、お兄さんはきっと言う。


「お前の分だ。食べろ」


言う。


絶対言う。


レトは頬を膨らませた。


お兄さんは優しい。


でも、優しいからこそ、レトが自分の分を減らすと受け取らない。


それは分かる。


分かるけど、あげたい。


好きだから。


好きな人には、いいものを渡したい。


おいしいものを食べてほしい。


嬉しくなってほしい。


レトはショーケースの前で、真剣に悩んだ。


食堂職員が少し身をかがめる。


「レト、どうしました?」


「お兄さんにもプリン食べてほしい」


「局長の分は、局長が来た時に取れますよ」


「ほんと?」


「はい。一人一個ですから」


レトの胸に、ぱあっと光が差した。


「お兄さんの分、ある!」


「あります」


「じゃあ、わたしの分、食べていい?」


「もちろんです」


レトは嬉しくて、両手を握った。


よかった。


公平で、好きも守れる。


自分も食べていい。


お兄さんの分もある。


世界は今、とても正しい。


レトはプリンを受け取り、席に座った。


スプーンを入れる前に、じっと見る。


きれい。


かわいい。


おいしそう。


これを食べたら嬉しい。


嬉しいものを食べられることが、もう嬉しい。


レトは一口食べた。


「おいしい!」


思った瞬間に声が出た。


食堂職員が厨房の奥で小さくガッツポーズしたのを、レトは見逃さなかった。


「職員さん、今うれしいした!」


食堂職員は咳払いした。


「気のせいです」


「うそ! うれしいしてた!」


「プリンを食べてください」


「うん!」


レトは笑った。


嬉しいものを隠す大人は、ちょっと不思議だ。


嬉しいなら嬉しいって言えばいいのに。


でも、そういう大人の隠した嬉しさを見つけるのも、レトは好きだった。


午後。


レトは訓練場にいた。


今日の訓練は軽めだった。


空間転移の連続使用ではなく、短距離機動と制動確認。


つまり、飛びすぎない訓練。


レトはこれが少し苦手だった。


速く動くのは好き。


思いきり飛ぶのも好き。


硝子短剣を展開して、空間を裂くように動くと、身体の中の青白い熱が喜ぶ。


でも、止まる訓練は難しい。


行きたい。


もっと行ける。


まだできる。


そう思う身体を、途中で止める。


それは、少しだけ寂しい。


もっとやりたいのに、やめる。


もっと見せたいのに、止まる。


レトは訓練場の端に立ち、手のひらに小さな硝子片を作った。


透明な硝子。


中に青白い光。


かわいい。


強い。


わたしの魔力。


「開始」


戦闘班職員の声で、レトは飛んだ。


一歩目。


空間が薄く歪む。


二歩目。


身体が前へ抜ける。


三歩目。


床すれすれで制動。


よし。


できた。


次。


もう一度。


次。


もう一度。


楽しい。


身体が軽い。


視界が流れる。


空気が切れる。


心臓が跳ねる。


見て。


わたし、速い。


見て。


わたし、ちゃんと止まれる。


見て。


わたし、もっとできる。


十回目を終えた時、戦闘班職員が手を上げた。


「休憩」


「まだできる!」


反射で言った。


本当に、まだできると思った。


でも、言った直後に気づく。


足首が少し熱い。


呼吸が少し速い。


指先に硝子片が多く出ている。


魔力が余っている時の硝子じゃない。


逃がしている時の硝子。


レトは自分の手を見た。


小さな欠片が、ぱらぱらと床に落ちる。


綺麗。


でも、これはたぶん、休む合図。


戦闘班職員は何も言わずに待っていた。


叱らない。


急かさない。


レトが自分で言うのを待っている。


それが分かると、レトの胸が少しだけきゅっとした。


自分で言わなきゃ。


ちゃんと。


レトは唇を結んだ。


休みたいって言うのは、少し嫌だ。


弱いみたいだから。


頑張れないみたいだから。


お兄さんに、職員さんたちに、ちゃんとできるって思ってほしい。


でも。


守る対象に、自分も入る。


前に教わった言葉が、心の中でゆっくり出てくる。


自分も守る。


自分を壊さない。


痛かったら、痛いって言う。


疲れたら、疲れたって言う。


それは、甘えじゃない。


作戦評価。


レトは息を吸った。


「……ちょっと、休む」


言えた。


言えた瞬間、悔しさが来た。


でも、そのあとすぐに、別の気持ちも来た。


言えた。


ちゃんと言えた。


戦闘班職員が頷いた。


「よし。良い判断です」


良い判断。


その言葉が、胸に入る。


褒められた。


休んだのに。


止まったのに。


まだできるって言わなかったのに。


褒められた。


レトは、目を丸くしたあと、ぱあっと笑った。


「良い判断!」


「はい」


「わたし、休んだのに?」


「休むべき時に休むのは、戦闘班として必要な判断です」


戦闘班として。


レトの胸の奥が、きゅうっと熱くなる。


それは嬉しすぎて痛い時の熱だった。


「わたし、戦闘班として休んだ!」


「そうです」


「じゃあ、えらい?」


「えらいです」


レトは椅子に座った。


座った瞬間、足に疲れが来た。


思ったより疲れていた。


身体は正直だった。


レトは膝に手を置いて、小さく笑った。


「疲れてた」


「はい」


「気づかなかった」


「気づけました」


「うん」


レトは水を飲んだ。


冷たい。


身体の中の熱が、少し落ち着く。


止まるのは嫌い。


でも、止まったら、また走れる。


それなら、止まるのも任務かもしれない。


夕方。


レトは局長室の前にいた。


報告の時間だった。


今日のことを、お兄さんに言う。


そう思うだけで、心臓が少し速くなる。


嬉しい。


でも、少し緊張する。


お兄さんに会えるのは嬉しい。


でも、お兄さんに報告する時は、ちゃんとしたい。


レトは扉の前で背筋を伸ばした。


ノック。


「入れ」


お兄さんの声。


その一言だけで、胸が跳ねる。


レトは扉を開けた。


「お兄さん!」


ジェレミーは机の向こうにいた。


書類。

端末。

淡い照明。

いつもの静かな顔。


レトを見ると、ほんの少しだけ視線が柔らかくなる。


それだけで、レトは嬉しい。


すぐに駆け寄りたい。


抱きつきたい。


今日あったことを全部一気に言いたい。


でも、まず報告。


レトは足を揃えた。


「本日の報告をします!」


ジェレミーは短く頷いた。


「聞こう」


レトは両手を握った。


「朝、生活班の職員さんのタオルを運びました!」


「そうか」


「重かったけど、持てました!」


「無理は」


「してない! 途中でちょっと重いって思ったけど、ちゃんと持てる重さだった!」


ジェレミーは頷いた。


「続けろ」


「途中で、新人の職員さんに、子供には重いって言われました」


ジェレミーの視線が少しだけ止まる。


レトはすぐに言った。


「わたし、怒った!」


隠さない。


怒ったことを、悪いことみたいに隠したくなかった。


怒った。


嫌だった。


それは本当。


「ちゃんと、できないって決められるの嫌って言った。子供だけじゃないって言った。職員さん、謝ってくれた。わたし、まだちょっと怒ってたけど、心配してくれたのはありがとうって言った」


言いながら、レトは少し不安になる。


怒ったのは、だめだっただろうか。


もっと我慢した方がよかっただろうか。


お兄さんは、怒るだろうか。


ジェレミーはしばらく黙っていた。


その沈黙の間、レトの胸は忙しく動く。


褒められたい。


でも、間違っていたら直してほしい。


でも、嫌われたくない。


でも、怒った自分をなかったことにはしたくない。


全部が一緒にある。


ジェレミーが口を開いた。


「怒ったこと自体は問題ではない」


レトは息を止めた。


「相手を傷つけるために怒ったのか」


「違う」


「ならいい。嫌だったことを言語化し、相手の謝罪を受け、必要な要求を伝えた。悪くない」


レトの目が、じわっと熱くなった。


悪くない。


それだけなのに、ものすごく安心する。


泣きそうになる。


でも泣きたくない。


いや、泣いてもいい。


でも今は報告中。


レトは鼻をすすった。


「次、食堂でプリン食べました!」


ジェレミーは少しだけ瞬きした。


「重要報告か」


「重要!」


「そうか」


「お兄さんの分もあるって聞いて、安心しました!」


「私の分か」


「うん! お兄さんにも食べてほしかった。でも、わたしの分をあげたら、お兄さんは食べろって言うと思ったから」


「言うな」


「だよね!」


レトは嬉しそうに笑った。


当たった。


お兄さんのことを、ちゃんと分かっている。


それが嬉しい。


「だから、一人一個があってよかったです!」


「公平だな」


「うん! お兄さんは公平だから、わたしも公平したい!」


「公平は動詞ではない」


「えっ」


ジェレミーは淡々と言った。


「だが、意味は分かる」


「じゃあ、いい?」


「いい」


レトはほっとした。


言葉が少し間違っても、意味が届くなら嬉しい。


「午後は訓練しました。まだできるって言ったけど、硝子片が出てて、足も熱くて、だから、ちょっと休むって言いました」


ジェレミーの目が、少しだけ細くなる。


「自分で言ったのか」


「うん」


「そうか」


短い。


けれど、レトには分かる。


今のお兄さんは、ちゃんと聞いている。


大事に聞いている。


だから、レトは胸を張った。


「戦闘班として休みました!」


「良い判断だ」


その瞬間。


レトの中で、何かが弾けた。


朝からずっと持っていたもの。


できたこと。

怒ったこと。

悩んだこと。

プリンのこと。

休むって言えたこと。

褒められたい気持ち。

見ててほしい気持ち。


全部が、ぱっと光った。


「お兄さん!」


レトは一歩前に出た。


「ぎゅってしていい!?」


ジェレミーは一拍置いて、椅子から立った。


「来い」


レトは飛び込んだ。


ぎゅっと抱きつく。


ジェレミーの服の匂い。


静かな体温。


大きな腕。


安全。


安全。


安全。


レトは顔を押しつけた。


「わたし、今日、がんばった!」


「ああ」


「怒った!」


「ああ」


「プリン食べた!」


「ああ」


「休んだ!」


「ああ」


「お兄さん、だいすき!」


「そうか」


「そこは、わたしもだ、って言って!」


ジェレミーは少し黙った。


レトは顔を上げる。


「言って!」


愛情も、欲しい時は欲しいと言う。


我慢しない。


だって、聞きたい。


好きな人に好きと言われたい。


それは、レトにとってとても大事なことだった。


ジェレミーは、静かに言った。


「私も、レトを大事に思っている」


レトは目を丸くした。


だいすき、ではなかった。


でも、それはお兄さんの言葉だった。


お兄さんの、ちゃんとした言葉。


軽くない言葉。


レトは数秒かけて、それを胸の中に入れた。


大事に思っている。


わたしを。


お兄さんが。


大事に。


入った瞬間、レトの顔がくしゃっと崩れた。


「うれしい……!」


涙が出た。


泣くつもりはなかった。


でも出た。


嬉しいと、出る。


悲しい時だけじゃない。


安心した時も、愛情がいっぱいになった時も、涙は出る。


レトは泣きながら笑った。


「わたし、明日もがんばる」


「休むことも含めてだ」


「うん! 休むこともがんばる!」


「それでいい」


レトは何度も頷いた。


夜。


レトは自室のベッドに寝転がっていた。


身体は少し疲れている。


足もまだ少し熱い。


でも、嫌な疲れではない。


一日をちゃんと使ったあとの疲れ。


レトは布団を抱きしめた。


今日のことを思い出す。


朝、起きた。


髪を結んだ。


タオルを運んだ。


怒った。


ありがとうも言った。


プリンを食べた。


休むって言った。


お兄さんに報告した。


ぎゅってした。


大事に思っているって言われた。


胸の中が、また熱くなる。


レトは小さく丸まった。


わたしは、子供だけじゃない。


でも、子供みたいに泣く時もある。


戦闘班。


でも、プリンで嬉しくなる。


強い。


でも、疲れる。


怒る。


でも、ありがとうも言える。


お兄さんが好き。


ロジーも好き。


エルも好き。


職員さんたちも好き。


好きがいっぱいある。


怒りもある。


寂しさもある。


嬉しさもある。


全部ある。


全部、わたしの中にある。


レトは、目を閉じる前に小さく呟いた。


「今日のわたし、ちゃんとここにいた」


その言葉は、誰に聞かせるためでもなかった。


でも、言うと安心した。


明日も、きっと起きる。


また天井を見る。


髪を結ぶ。


廊下に出る。


誰かに会う。


嬉しくなる。


怒るかもしれない。


泣くかもしれない。


笑う。


走る。


休む。


好きって言う。


ちゃんと、言う。


レトは布団の中で、にへっと笑った。


「お兄さん、だいすき」


眠る前の最後の気持ちは、それだった。


隠す必要のない、いちばんまっすぐな気持ち。


青白い熱は、胸の奥で静かに灯っていた。


今日もレトは、レトだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私の活動場所です! 総合リンクです! TiktokやYouTube、lineスタンプなどの総合リンクになってます!! よかったらみに来てくださいね! 箱庭の娘たちのイラストや動画をAI生成していますっ(*´▽`*) おはなしが気に入ってくださったら、評価やリアクション、ブックマークなどしてくださると、とっても嬉しいです(≧∀≦*)
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ