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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち【旧版】  作者: 硝子玉の宇宙
箱庭の娘たち

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第82話-人間の魔法

惑星監理局の中庭には、エルが作った硝子の小鳥がいた。


透明な身体。

淡い虹色の羽。

小さなくちばし。

歩くたびに、ちりん、と澄んだ音が鳴る。


魔法アイテムというより、エルの遊び相手に近いものだった。


小鳥は中庭の芝生を歩き、花壇の縁に止まり、時々エルの肩に乗る。

職員たちが通ると首を傾げ、レトが走ってくると逃げ、ロジーが記録しようとすると真正面からカメラを覗き込む。


エルは、その小鳥を気に入っていた。


「この子、きらきら」


そう言って、指先で小鳥の頭を撫でる。


小鳥はちりんと鳴く。


エルは少しだけ満足そうに頷く。


「うん。きらきら」


その日も、エルは中庭にいた。


芝生の上に座って、硝子の小鳥を両手に乗せている。


小鳥はエルの手のひらの上で、ころんと横になったり、羽を広げたり、くちばしでエルの指先をつついたりしていた。


「今日、元気」


エルが言う。


小鳥はちりんと鳴いた。


「うん。元気」


会話が成立しているかどうかは分からない。


ただ、エルには成立しているようだった。


その時、風が吹いた。


中庭の風は、魔術制御で強くなりすぎないよう調整されている。

だから、本来なら危険はない。


けれど、その日はたまたま、花壇の端に置かれていた小さな園芸用具が倒れた。


金属の柄が、かつん、と床を叩く。


その音に、硝子の小鳥が驚いた。


ぱっと羽ばたく。


エルの手のひらから飛び立とうとして、少しだけ軌道を誤った。


小鳥は、すぐそばの石畳に落ちた。


高い音がした。


ちりん、ではなかった。


ぱきん。


透明な羽が割れた。


胴体にひびが入り、片方の脚が折れた。


小鳥は動かなくなった。


エルは、手を伸ばしたまま止まった。


「……あ」


中庭の音が、少し遠くなる。


エルは割れた小鳥を見ていた。


目を見開くでもない。

泣くでもない。

叫ぶでもない。


ただ、じっと見ていた。


白髪の毛先が、風に少し揺れる。


エルは、小鳥の破片を両手でそっと拾った。


「割れた」


それだけ言った。


近くを通っていた生活班の職員が、すぐに足を止めた。


「エルさん?」


エルは返事をしなかった。


手の中の小鳥を見ていた。


「この子、割れた」


生活班の職員は、すぐにしゃがんだ。


「見せてもらってもいいですか?」


エルは少しだけ迷った。


それから、小鳥を手のひらごと差し出す。


職員は破片を取らなかった。


まず、エルの手に触れない位置で、そっと覗き込んだ。


「……大事な子だったんですね」


エルは小さく頷いた。


「うん」


「悲しいですか?」


エルは考えた。


長く考えた。


「……胸、へん」


「へん?」


「ここ、重い」


エルは自分の胸元を指した。


「きらきら、割れた。戻らない。胸、へん」


生活班の職員は、表情を柔らかくした。


「それは、悲しい時に近いかもしれません」


「悲しい」


エルはその言葉を口の中で転がすように言った。


「これ、悲しい?」


「たぶん、そうです」


エルは小鳥を見る。


「悲しい、重いね」


「はい」


生活班の職員は、少しだけ手を広げた。


「撫でてもいいですか?」


エルは瞬きした。


「撫でる?」


「はい。悲しい時、少し落ち着くことがあります」


「直る?」


「小鳥は直りません。でも、エルさんの胸の重さが、少し軽くなるかもしれません」


エルは、また考えた。


「じゃあ、して」


職員は、エルの頭をそっと撫でた。


白髪に触れる手つきは、慎重だった。


壊れものに触るようではない。

でも、乱暴でもない。


エルは動かなかった。


撫でられる。


一回。

二回。

三回。


エルは目を伏せた。


「……少し、あったかい」


「はい」


「胸、まだ重い」


「すぐには軽くならないかもしれません」


「でも、さっきより、へんじゃない」


「それならよかったです」


そこへ、別の生活班職員が駆けてきた。


「技術班に連絡しました。魔法アイテム扱いなので、破片確認だけ先に」


「お願いします」


少しして、技術班の職員が道具箱を抱えて中庭に来た。


工具。

薄い手袋。

魔力測定器。

小さな作業用の布。


技術班職員は、エルの前にしゃがみ込む。


「エルさん、小鳥を見せてもらえますか」


エルは小鳥を抱き込むようにした。


「持っていく?」


「持っていきません。ここで見ます」


「ほんと?」


「はい。エルさんの前で作業します」


エルは、少しだけ手を緩めた。


技術班職員は、白い布を広げた。


「ここに置いてください」


エルは、割れた小鳥をそっと置いた。


破片が小さく鳴る。


その音で、エルの肩が少しだけ動いた。


生活班の職員が、またエルの頭を撫でる。


「大丈夫です」


エルは小さく頷いた。


技術班職員は、破片を一つずつ確認した。


「魔力核は残っています。自律機能は停止。術式じゃなくて、エルさんの魔法由来なので、完全復元は私たちにはできません」


エルは静かに聞いていた。


「でも、形だけなら戻せます」


「形」


「はい。元通りに見えるように、破片を接合します。動きません。鳴きません。でも、割れたままよりは、エルさんのそばに置ける形にできます」


エルは小鳥を見る。


「この子、死んだ?」


技術班職員は、すぐには答えなかった。


生活班の職員も黙っていた。


少しして、技術班職員が言った。


「人間の生き物と同じ意味で死んだ、とは言い切れません。でも、この子がさっきまでみたいに動くことは、もうできません」


エルは頷いた。


「そっか」


「形を戻してもいいですか?」


エルは、小鳥の割れた羽を見た。


「うん。お願い」


技術班職員は慎重に作業を始めた。


細い接合用の魔術光が、破片の断面をなぞる。

割れた羽が、ゆっくり元の位置へ戻る。

折れた脚が、細い支柱で支えられる。

胴体のひびは完全には消えない。


でも、形は戻っていく。


小鳥はもう一度、小鳥の形になった。


透明な身体。

淡い虹色の羽。

小さなくちばし。


ただ、動かない。


ちりん、とも鳴かない。


技術班職員は、最後に小さな台座を作った。


「これで、飾れるようにしました」


エルは台座に乗った小鳥を見た。


「きらきら」


「はい。きらきらです」


「でも、さっきと違う」


「違います」


職員はごまかさなかった。


「元通りではありません」


エルは、その言葉を聞いて、小さく頷いた。


「うん。元通りじゃない。でも、ここにいる」


「はい」


「ありがとう」


技術班職員は、少しだけ表情を和らげた。


「どういたしまして」


その時、中庭の入り口から、食堂班の職員が顔を出した。


手には、小さな皿を持っている。


「エルさん」


エルが振り向く。


食堂班の職員は、少しだけ照れたように皿を差し出した。


「試作のスイーツです。まだ正式メニューではないんですが」


皿の上には、小さな透明ゼリーが乗っていた。


中に、星型の果実が閉じ込められている。

上には淡い桃色のクリーム。

その周りに、細かい砂糖の粒がきらきら光っていた。


エルはじっと見た。


「小鳥?」


「小鳥ではありません。星空ゼリーです」


「きらきら」


「はい。元気が出るかと思って」


エルは皿を受け取った。


スプーンですくう。


透明なゼリーが、ぷるんと揺れた。


エルは一口食べた。


少しだけ目を瞬かせる。


「つめたい」


「はい」


「甘い」


「はい」


「きらきら、食べられる」


「そうですね」


エルはもう一口食べた。


そして、台座の上の小鳥を見た。


撫でてくれる生活班。

形を戻してくれた技術班。

甘いものをくれた食堂班。


小鳥は動かない。


元通りではない。


胸はまだ、少し重い。


でも。


エルは、自分の胸に手を置いた。


「軽くなった」


生活班の職員が微笑む。


「よかったです」


エルは、職員たちを見た。


じっと見た。


いつもの、少し遠くから人間を観察する目で。


でも今日は、そこに小さな発見があった。


「すごい」


職員たちは首を傾げる。


エルは言った。


「人間も、幸せの魔法を使う」


中庭が静かになった。


技術班職員が、作業道具を持ったまま固まる。


食堂班の職員も、皿を持ったまま瞬きした。


生活班の職員は、少し困ったように笑った。


エルは真剣だった。


「あたしの胸、重かった。小鳥、割れた。元通りじゃない。でも、職員さんが撫でた。職員さんが形を戻した。職員さんが甘いきらきらをくれた」


エルは、ゼリーを見た。


「胸、軽くなった」


そして、職員たちを見る。


「人間、魔法使い」


旧世代からの評価だった。


大袈裟すぎる。


本来なら、誰かが笑って否定してもおかしくない。


魔法ではありません。

そんな大したものではありません。

普通のことです。


そう言いたくなる言葉だった。


でも、誰もそう言わなかった。


生活班の職員は、ゆっくり首を振った。


「エルさん。私たちは、エルさんみたいな魔法は使えません」


エルは首を傾げた。


「でも、軽くした」


「はい」


技術班職員が言った。


「私たちは、壊れたものを完全に元通りにはできません。魔法みたいに、なかったことにはできません」


食堂班の職員も続ける。


「悲しいことを消すこともできません」


エルは黙って聞いている。


生活班の職員は、エルの目線に合わせてしゃがんだ。


「でも、そばにいることはできます」


技術班職員が、小鳥の台座をそっと整える。


「できる範囲で直すことはできます」


食堂班の職員が、ゼリーの皿を少しだけエルの方へ寄せる。


「少し元気が出るものを渡すこともできます」


生活班の職員は言った。


「魔法を使わなくても、誰かの気持ちを少し楽にすることはできます」


エルは、その言葉をゆっくり飲み込んだ。


「魔法じゃない?」


「エルさんの言う魔法とは、違います」


「でも、幸せに近い」


「はい」


生活班の職員は微笑んだ。


「たぶん、それは同じです」


エルは、小鳥を見た。


小鳥は動かない。


でも、ひびの入った羽は光を受けて、前より少し複雑にきらめいていた。


割れた線が、星座みたいに見える。


エルはゼリーをもう一口食べた。


「人間、魔法使いじゃない」


「はい」


「でも、幸せにすること、できる」


「はい」


「魔法なしで」


「はい」


エルは、少しだけ目を伏せた。


「すごいね」


生活班の職員は、今度は否定しなかった。


「ありがとうございます」


エルは台座の小鳥を両手で持った。


「この子、部屋に置く」


「はい」


「ゼリーも、また食べる」


食堂班の職員の顔が少し明るくなった。


「正式メニュー化を検討します」


「正式」


エルは頷いた。


「正式、すごい」


技術班職員が道具を片付けながら言った。


「小鳥の台座は、必要なら後で補強します」


「うん」


エルは立ち上がった。


小鳥を胸元に抱える。


前より少し慎重に。


生活班の職員が聞いた。


「お部屋まで一緒に行きましょうか?」


エルは少し考えた。


「うん」


それから、職員たちを見上げる。


「あたし、今日、覚えた」


「何をですか?」


「幸せは、消すだけじゃない」


職員たちは黙った。


エルは続けた。


「戻すだけでもない」


ひびの入った小鳥を見下ろす。


「割れたまま、そばに置くこともある」


生活班の職員は、静かに頷いた。


「はい」


エルはまた、胸に手を置いた。


「重いの、少し持ってもらうこともある」


「はい」


「甘いの、食べることもある」


食堂班の職員が小さく笑った。


「それもあります」


エルは、少しだけ口元を緩めた。


ほんの少し。


でも確かに、気持ちが軽くなった顔だった。


「人間、すごい」


そして、もう一度言った。


「魔法なしで、すごい」


その日から、エルの部屋には、ひびの入った硝子の小鳥が飾られるようになった。


動かない。


鳴かない。


飛ばない。


でも、窓辺で光を受けると、ひびの線がきらきら光る。


エルは時々それを見て、胸に手を当てる。


まだ少し重い。


けれど、それは悪いだけの重さではなかった。


その重さのそばには、撫でてくれた手がある。

形を戻してくれた指先がある。

甘いゼリーの味がある。


魔法ではないもの。


でも、幸せに近づけるもの。


エルはそれを、人間から教わった。



――ひびの小鳥が鳴いた日


エルの部屋の窓辺には、ひびの入った硝子の小鳥が置かれていた。


透明な身体。

淡い虹色の羽。

小さなくちばし。

細い脚。


技術班の職員が直してくれた台座の上で、小鳥は静かに光を受けている。


もう動かない。


もう鳴かない。


でも、形は小鳥だった。


割れたままではなくなった。

破片のままでもなくなった。

ちゃんと、そこにいる形をしていた。


エルは、窓辺の椅子に座って、それを見ていた。


部屋は静かだった。


レトもいない。

ロジーもいない。

職員さんもいない。


エルと、ひびの小鳥だけ。


外から差し込む光が、小鳥の羽に触れる。

ひびの線が、きらりと光る。


エルは胸元に手を置いた。


まだ、少し重い。


前よりは軽い。


生活班の職員さんが撫でてくれた。

技術班の職員さんが形を戻してくれた。

食堂班の職員さんが甘いきらきらをくれた。


だから、胸は少し軽くなった。


でも、小鳥は動かない。


「……」


エルは、小鳥を見ていた。


小鳥は、何も言わない。


ちりん、とも鳴かない。


エルはそっと手を伸ばした。


指先が、小鳥の頭に触れる。


硬い。


つめたい。


前も硬かった。

前も硝子だった。

でも、前は小さく首を傾げた。


前は、エルの指をくちばしでつついた。


前は、エルの肩に乗った。


前は、ちりん、と鳴いた。


「……小鳥」


エルは小さく呼んだ。


当然、返事はない。


エルはもう一度、呼んだ。


「小鳥」


やっぱり、返事はない。


エルは、小鳥の台座を両手で持った。


胸の重さが、少しだけ大きくなる。


「また、動いてほしい」


言葉は、ぽつりと落ちた。


自分でも、言ってから気づいた。


これは願いだ。


エルは、自分の胸元を見た。


監理局で教わったことが、頭の中に並ぶ。


勝手に戻さない。

悲しいを消さない。

壊れたことを、なかったことにしない。

元通りじゃないものを、元通りだったことにしない。


エルは、小鳥を見る。


「でも」


小鳥は動かない。


「この子、あたしが作った」


自分の魔法で作った小鳥。


中庭で遊んでいた小鳥。

花びらをくわえていた小鳥。

レトから逃げた小鳥。

ロジーのカメラを覗き込んだ小鳥。


そして、職員さんたちが直してくれた小鳥。


割れたことをなかったことにはしない。


ひびはある。


台座もある。


職員さんが直してくれた跡もある。


そのまま。


そのまま、また動いてほしい。


エルは、小鳥を両手で包んだ。


「お願い」


声は、とても小さかった。


「動いて」


部屋の中で、何も起きなかった。


小鳥は静かだった。


「……」


エルは待った。


小鳥は動かない。


「……動いて」


もう一度、言った。


小鳥は動かない。


エルの眉が、ほんの少しだけ下がった。


「……だめ?」


小鳥は答えない。


エルは台座ごと小鳥を胸元に抱いた。


硬い台座が、服越しに当たる。


ひびの入った羽が、エルの指に触れる。


「小鳥」


エルは目を伏せた。


「また、ちりんってして」


その瞬間。


小鳥のひびの奥で、淡い光が揺れた。


ほんの少し。


硝子の内側に、消えかけの星が灯るような光だった。


エルは目を開けた。


「……?」


光は、一度消えた。


そして、もう一度灯った。


ひびの線をなぞるように、細い魔力光が走る。


割れた跡が消えるのではない。


むしろ、ひびの線そのものが光の道になった。


技術班が接合した断面。

支柱で支えられた脚。

台座に固定された小さな爪。


その全部を、エルの魔法がそっと辿っていく。


破片だったものを、もう一度つなぎ直すのではない。


職員さんが直してくれた形を、帰る場所にしていた。


小鳥の羽が、かすかに震えた。


エルは息を止めた。


羽が、もう一度震える。


小さなくちばしが、ほんの少し開く。


それから。


ちりん。


音が鳴った。


エルは固まった。


小鳥も固まった。


ちりん。


もう一度鳴った。


小鳥が、ぎこちなく首を傾げる。


ひびの入った羽が、かすかに開く。


前より少しゆっくりだった。


前より少し、音が細かった。


でも。


動いた。


「……小鳥」


エルの声が震えた。


小鳥は、台座の上で一歩動こうとした。


しかし脚は台座に固定されている。


ぴたりと止まる。


そして、ちりん、と鳴いた。


エルは小鳥を両手で持ったまま、じっと見た。


「動いた」


小鳥は首を傾げる。


「動いた」


もう一度言う。


小鳥は羽を小さく震わせる。


エルは椅子から降りた。


台座を抱えたまま、部屋の扉へ向かう。


歩く。


少し早く歩く。


廊下に出る。


近くを通っていた生活班の職員が気づいた。


「エルさん?」


エルは立ち止まった。


両手で小鳥を差し出す。


「動いた」


生活班の職員は、一瞬、意味が分からなかった。


次の瞬間、小鳥がちりんと鳴いた。


職員の目が少し丸くなる。


「……小鳥さん?」


小鳥は、ひびの入った羽を震わせた。


ちりん。


エルは言った。


「動いた」


「はい」


「また、動いた」


「はい。動いていますね」


エルは、小鳥を見た。


それから、職員を見る。


「職員さんが直してくれたから」


生活班の職員は、静かに聞いていた。


エルは続けた。


「職員さんが、形にしてくれた」


小鳥の台座を撫でる。


「割れたままじゃなかった。破片じゃなかった。小鳥の形だった」


ひびの入った羽が光る。


「だから、帰れた」


生活班の職員は、すぐに否定しなかった。


小鳥がもう一度鳴く。


ちりん。


エルは、少しだけ目を伏せた。


「職員さんが直してくれたから、生き返れた」


それは、エルの中では真実だった。


魔法はエルのものだった。

願ったのもエルだった。


でも、帰る場所を作ったのは、人間だった。


生活班の職員は、ゆっくり頷いた。


「そう思ってくれるなら、嬉しいです」


エルは職員を見上げた。


「ありがと」


声は小さかった。


でも、とてもまっすぐだった。


「ありがと……」


生活班の職員は、少しだけ目元を柔らかくした。


「どういたしまして」


そこへ、技術班の職員が廊下の向こうから歩いてきた。


手には点検用の端末を持っている。


「あれ、エルさん。小鳥の台座、何か不具合が――」


ちりん。


技術班職員が止まった。


小鳥が鳴いた。


技術班職員は、端末を落としかけた。


「……鳴きました?」


エルは頷いた。


「鳴いた」


「動いてます?」


「動いてる」


小鳥は、ひびの入った羽をぱたぱたと震わせた。


飛べるほどではない。


けれど、確かに動いている。


技術班職員は、ゆっくりしゃがんだ。


「確認してもいいですか」


エルは小鳥を抱え込む。


「持っていく?」


「持っていきません。ここで見ます」


前と同じ言葉だった。


エルは少し安心した顔で、小鳥を差し出した。


技術班職員は測定器を近づける。


端末に、淡い魔力反応が表示された。


「……エルさんの魔法反応です。でも、接合部を中心に安定している」


生活班の職員が聞く。


「危険は?」


「今のところありません。むしろ、こちらの接合作業を基盤にして再起動しているように見えます」


「基盤?」


エルが首を傾げた。


技術班職員は、少し考えて言葉を選んだ。


「私たちが直した形を、エルさんの魔法が使ったんです」


「使った」


「はい。破片から無理に戻したんじゃなくて、直した場所を通って動き出しています」


エルは小鳥を見る。


「職員さんの直したところ、道になった」


技術班職員は、わずかに笑った。


「そうですね。道になった、という言い方が近いです」


エルは小鳥を見つめた。


小鳥は、ひびの光をちかちかさせながら、ちりんと鳴く。


エルは胸元に手を置いた。


さっきより、もっと軽い。


でも、ゼロではない。


ひびがあるから。


割れたことを覚えているから。


それでも、動いている。


「元通りじゃない」


エルは言った。


生活班の職員が頷く。


「はい」


「でも、動いた」


技術班職員も頷く。


「はい」


「ひび、ある」


「あります」


「職員さんが直したところも、ある」


「あります」


エルは、小鳥を抱えた。


「この子、前と違う」


「はい」


「でも、この子」


「はい」


エルは少しだけ口元を緩めた。


「よかった」


その時、食堂班の職員が通りかかった。


手には、試作用のトレーを持っている。


「エルさん、ちょうどよかった。昨日の星空ゼリーなんですが、甘さを少し調整――」


ちりん。


食堂班の職員も止まった。


小鳥を見る。


エルを見る。


もう一度、小鳥を見る。


「……動いてます?」


エルは頷いた。


「動いた」


食堂班の職員は、ぱっと顔を明るくした。


「よかったですね」


エルは頷いた。


「うん」


食堂班の職員は、トレーから小さなカップを一つ取り出した。


「では、お祝いにどうぞ。改良版です」


透明なゼリー。

中には小さな星型の果実。

上には、昨日より少し薄い桃色のクリーム。

そして今日は、砂糖の粒が鳥の羽みたいな形に散らされていた。


エルはそれを見た。


「小鳥ゼリー?」


「星空ゼリー小鳥記念版です。正式名称はまだ決まっていません」


技術班職員が真顔で言った。


「正式名称が長いですね」


生活班の職員が小さく笑う。


エルはゼリーを受け取った。


小鳥を台座ごと片腕で支え、もう片方の手でスプーンを持つ。


一口食べる。


「甘い」


「昨日より少し軽くしました」


「胸、軽い味」


食堂班の職員は、一瞬言葉に詰まった。


それから、とても嬉しそうに頷いた。


「それは、採用したい感想です」


エルはゼリーをもう一口食べた。


小鳥がちりんと鳴く。


エルは小鳥を見る。


「小鳥も食べる?」


技術班職員が即座に言った。


「食べません」


生活班の職員も頷いた。


「食べませんね」


食堂班の職員も言う。


「食べる構造ではありません」


エルは少し残念そうに頷いた。


「そっか」


小鳥はちりんと鳴いた。


まるで、自分は食べなくていい、と言っているようだった。


エルは、小鳥をそっと撫でる。


「あなたは、きらきらでいいね」


ちりん。


廊下の空気が、やわらかくなった。


そこへ副長が通りかかった。


手には書類束。


足を止める。


小鳥を見る。


エルを見る。


生活班、技術班、食堂班を見る。


そして、いつもの薄い笑みを浮かべた。


「なるほど。小鳥さん、復帰されたのですね」


エルは頷いた。


「復帰」


副長は小鳥に軽く会釈した。


「おかえりなさい」


小鳥は、ちりんと鳴いた。


副長は満足そうに頷く。


「礼儀正しい」


技術班職員が小さく咳払いした。


「副長、念のため後ほど安全確認を」


「もちろんです。ただし、今この場で回収すると、関係各所の情緒に大きな損耗が出そうですね」


エルは小鳥を抱きしめた。


生活班の職員も、少しだけ苦笑する。


副長は言った。


「では、エルの同席のもとで確認。小鳥さんは持ち去らない。危険性がなければ窓辺復帰。これでいきましょう」


エルは頷いた。


「うん」


副長は少しだけ視線を柔らかくした。


「よかったですね、エル」


エルは小鳥を見る。


それから、職員たちを見る。


「うん」


そして、もう一度言った。


「職員さんが直してくれたから」


副長は否定しなかった。


生活班も、技術班も、食堂班も、否定しなかった。


エルの魔法が起こした奇跡だった。


でも、職員たちの手がなければ、エルはきっと同じ願い方をしなかった。


ひびを消すのではなく、ひびを抱えたまま動いてほしい。


元通りに戻すのではなく、今の小鳥としてまた鳴いてほしい。


そう願えたのは、人間が割れた小鳥を破片のままにせず、元通りではない形で大切に直してくれたからだった。


エルは小鳥を抱えて、静かに笑った。


ほんの少し。


「人間、すごい」


ちりん。


小鳥が鳴いた。


エルは頷いた。


「うん。すごいね」


その日の午後。


エルの部屋の窓辺には、ひびの入った硝子の小鳥が戻った。


ただし、前と違って、台座の上で時々首を傾げる。


飛ばない。

走らない。

前みたいに中庭を自由に歩き回ることは、まだできない。


でも、光が差すと羽を震わせる。


エルが呼ぶと、ちりんと鳴く。


ひびの線が、星座みたいに光る。


エルはそれを見て、胸に手を当てる。


重さは、まだ少しある。


でも、その重さの中に、あたたかいものが混ざっていた。


割れたこと。


直してもらったこと。


もう一度願ったこと。


また動いたこと。


ありがとうと言えたこと。


全部が、小鳥のひびの中できらきらしている。


エルは窓辺に座り、小鳥にそっと言った。


「おかえり」


小鳥は首を傾げた。


ちりん。


エルは、小さく頷いた。


「うん」


そして、静かに付け足した。


「ありがと」



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