第73話-物が…しゃべった…!!?!?!?
惑星監理局の技術班は、その日、廊下の認証ゲートを更新した。
目的は単純だった。
新人職員の通行ミスを減らすこと。
監理局の内部区画は、権限によって細かく分かれている。
訓練場。
資料室。
医療区画。
監理班通路。
外務用転移室。
食堂裏の備蓄室。
新人はよく間違える。
入ってはいけないところに入ろうとして警告音を鳴らし、入っていいところで緊張して立ち止まり、なぜか食堂に行きたいだけなのに第五封鎖区画の前で迷子になる。
だから技術班は、認証ゲートに親切な音声案内機能を追加した。
名前と所属を確認し、通行可否を柔らかく伝える。
ただそれだけだった。
ただそれだけのはずだった。
朝。
レトはロジーと並んで廊下を歩いていた。
淡緑の長い髪を左側でまとめ、青いキューブの髪飾りを揺らしている。
今日のレトは、訓練場へ向かう途中だった。
ロジーは横で、頭上デバイスに朝の予定表を出している。
「レト、今日の午前は戦闘班訓練。午後は生活班の安全講習。夜は女子会」
「うん!」
「安全講習、寝ないでね」
「寝ないよ!」
「前回、消火器の説明でちょっと目がとろんとしてた」
「寝てないもん。消火器の気持ちを考えてただけだもん」
「消火器に気持ちはないよ」
「知ってるもん!」
そう言い合いながら、二人は訓練場前の認証ゲートに近づいた。
いつもなら、レトがカードをかざす。
ゲートが短く鳴る。
扉が開く。
それだけで終わる。
レトはカードをかざした。
ぴん。
ゲートの灯りが淡く点いた。
そして、柔らかい機械音声が流れた。
『おはようございます、レト隊員。戦闘班、単騎遊撃担当。入場を許可します。本日も安全第一でお願いします』
レトが止まった。
完全に止まった。
まばたきもしない。
ロジーは一歩進んでから振り返った。
「レト?」
レトはゆっくり、ゲートを見た。
それから、自分のカードを見た。
もう一度、ゲートを見た。
口が少し開いた。
「……ロジー」
「なに?」
「今」
「うん」
「ゲートが」
「うん」
「喋った」
「喋ったね」
「ゲートが、わたしに」
「うん」
「話しかけてくれた」
ロジーは瞬きした。
「まあ、音声案内だからね」
「わたしのこと」
「うん」
「レト隊員って言った」
「言ったね」
「戦闘班って言った」
「言ったね」
「単騎遊撃担当って言った」
「言ったね」
レトの肩が震えた。
ロジーは、その震えを見て少し嫌な予感がした。
「レト?」
「わたし……」
レトは両手でカードを握りしめた。
「わたし、ゲートに認められた……!」
「いや、認証されただけだよ」
「認められた!!」
レトの声が廊下に響いた。
「ゲートが! わたしのこと! 戦闘班って! 単騎遊撃って! 隊員って!!」
近くにいた戦闘班職員が振り向いた。
技術班の職員も振り向いた。
レトは、もう止まらなかった。
「ロジー! 物が喋った!」
「機械音声ね!」
「物が! わたしに! 喋ってくれた!」
「そこも刺さってるの!?」
「わたし、いつも物に話しかけてたけど……」
レトはゲートを見上げた。
目が、もうきらきらしすぎていた。
「物の方から、ちゃんとわたしに言ってくれたの、初めてかも……!」
ロジーは頭を抱えた。
「だめだ、想定より深いところに刺さってる」
「ロジー! もう一回聞きたい!」
「一回通ったから無理じゃない?」
「出る!」
「え」
レトは一歩下がり、ゲートの外へ戻った。
ぴん。
『退場を確認しました、レト隊員。訓練後の水分補給を推奨します』
レトが胸を押さえた。
「水分補給まで……!」
「親切機能だよ」
「わたしのこと、心配してる……!」
「機械音声だよ」
「物が……わたしの体調を……!」
「ゲートに感情移入しすぎ!」
「もう一回入る!」
「待って待って待って」
レトは再びカードをかざした。
ぴん。
『おかえりなさい、レト隊員。戦闘班、単騎遊撃担当。入場を許可します。本日も安全第一でお願いします』
レトは両拳を握りしめた。
「おかえりなさいって言った!!!!」
ロジーは頭を抱えた。
「そこ!?」
「ロジー! 聞いた!? ゲートが! わたしに! おかえりなさいって!」
「聞いたよ! 廊下の端まで聞こえたよ!」
「わたし、帰ってきていいんだ……!」
「訓練場のゲートに!? 訓練場のゲートに帰属意識持たないで!」
その時点で、近くの職員たちは口元を押さえ始めていた。
技術班の職員が小声で言う。
「……想定外反応です」
戦闘班職員が小声で返す。
「想定しておけ」
「無理です」
「レトさんだぞ」
「それはそうですが」
レトは三度目の出入りを試みた。
ロジーが腕にしがみつく。
「レト! だめ! ゲートで反復横跳びしない!」
「でも聞きたい!」
「録音するから!」
「ほんと!?」
「する! するから一旦落ち着いて!」
ロジーのデバイスが即座に記録モードへ切り替わった。
「はい、音声ログ保存! タイトル、レト隊員認証事件!」
「事件なの!?」
「もう事件だよ!」
レトは顔を輝かせた。
「じゃあ、これは任務?」
「違う!」
「認証任務?」
「違う!」
「物のお返事任務?」
「違うけど語感はかわいい!」
レトはさらに目を輝かせた。
「ロジー、次のゲートも行こう!」
「え」
「食堂ゲート!」
「食堂はゲートじゃなくて自動扉!」
「でもカードかざすところある!」
「職員用搬入口ね!」
「行こう!」
「訓練は!?」
「ゲートに挨拶してから!」
「違う違う違う!」
だが、ロジーは止めきれなかった。
勢いのあるレトを、ロジーが完全に止められることは少ない。
結果。
五分後。
食堂裏の職員用搬入口に、レトとロジーと、なぜか通りがかったエルがいた。
エルは少し首を傾げている。
「ゲート、話すの?」
レトは真剣に頷いた。
「うん。わたしを隊員って呼んでくれる」
「すごい」
「すごいよね!」
ロジーはぼそっと言った。
「エルが肯定したせいで加速した」
レトはカードをかざした。
ぴん。
『おはようございます、レト隊員。食堂搬入口です。衛生管理のため、入室前に手洗いをお願いします』
レトはその場で両手を上げた。
「手洗い任務、了解しました!!」
食堂班の職員が中から顔を出した。
「レト? そこで何を」
「手を洗います!」
「それは偉いけど、ここ職員用搬入口です」
「ゲートに言われました!」
「ゲートに?」
ロジーが横で記録する。
「レト、食堂ゲートから衛生指導を受ける。指示に即時服従。えらい」
エルも小さく頷いた。
「手、洗うの大事」
「うん!」
レトは手洗い場へ走ろうとして、廊下を二歩で止まった。
「走っちゃだめだった」
ぴたりと止まる。
ロジーは目を見開いた。
「レトが自主的に廊下を走るのを止めた!」
近くの生活班職員が小さく拍手した。
レトは照れながら、歩いて手を洗った。
戻ってきたレトは、顔がもう危なかった。
目がきらきらしすぎている。
頬が赤い。
髪飾りが揺れるたびに、青いキューブが光っているように見える。
「次は医務室前」
「なんで!?」
ロジーが叫ぶ。
「医務室ゲートなら、健康のこと言ってくれるかもしれない!」
「予想が当たるのが怖い!」
三人は医務室前へ向かった。
医療班主任がちょうど廊下に出てきたところだった。
「何をしているの?」
ロジーが即答する。
「レトが認証ゲートにハマりました!」
「何それ」
レトはカードをかざした。
ぴん。
『レト隊員。医療区画への入室には本日の訓練終了後、または医療班の許可が必要です。体調不良の場合は無理をせず申告してください』
レトが震えた。
「むり……」
ロジーが顔を向ける。
「何が?」
「無理しないでって……言われた……」
「うん」
「医務室が……わたしに……無理しないでって……」
医療班主任が腕を組んだ。
「それは普段から私たちも言っているけど」
レトは主任を見上げた。
「職員さんも言う」
「言います」
「ゲートも言う」
「言いますね」
「物も……わたしに言ってくれる……」
「音声案内です」
「でも、わたしに言ってる」
医療班主任は少しだけ黙った。
そして、優しく言った。
「そうですね。あなたに向けた案内です」
その瞬間、レトの中で何かが跳ねた。
「わたし……」
レトは胸を押さえた。
「監理局に……いっぱい……おかえりなさいって……安全第一って……無理しないでって……手を洗ってって……」
ロジーが不安そうに言う。
「最後だけ急に生活感あるね」
レトは聞いていなかった。
「職員さんだけじゃなくて……ゲートも……廊下の物も……わたしに喋ってくれる……!」
「廊下の物はまだ喋ってないよ!」
「わたし、ここにいていいんだ……!」
「いや、それはそうだよ」
「ゲートにも分かってもらえた……!」
「ゲートはデータベース参照してるだけだよ!」
「データベースにも……!」
「広げないで!」
レトの周囲に、小さな青白い硝子片がぽろぽろ浮き始めた。
魔力過多というほどではない。
ただの情緒排熱だった。
医療班主任が即座に言う。
「レト、呼吸」
「すぅ……!」
「吐いて」
「はぁ……!」
「もう一度」
「すぅ……!」
そこへ、ジェレミーが通りかかった。
偶然ではない。
廊下の各所から送られてくる「レトが認証ゲートで情緒過熱中」という報告を見て、来たのである。
ジェレミーは状況を見た。
レト。
ロジー。
エル。
医療班主任。
浮いている硝子片。
妙に満足げな食堂班職員。
遠巻きに見守る技術班職員。
ジェレミーは短く言った。
「レト」
レトが振り向いた。
「お兄さん!」
「何をしている」
「認証されています!」
ジェレミーは一秒だけ沈黙した。
「そうか」
「お兄さん、ゲートがね、わたしのこと、レト隊員って呼ぶの!」
「登録名だ」
「戦闘班って言うの!」
「所属だ」
「単騎遊撃担当って言うの!」
「職務だ」
「おかえりなさいって言うの!」
「音声案内だな」
「物が喋ったの!」
ジェレミーはレトを見た。
レトは必死だった。
嬉しくて、震えていて、両手でカードを握りしめていた。
「わたし、昔、物にいっぱい話しかけてたでしょ」
「ああ」
「物は物って、今は知ってるよ」
「知っているな」
「でも、ゲートが喋ったの」
「ああ」
「わたしに、喋ったの」
ジェレミーは少しだけ目を細めた。
「そうだな」
レトの顔が、さらに明るくなった。
「そうだなって言った!」
ロジーが両手を上げた。
「局長、今の肯定は危ない!」
ジェレミーは続けた。
「ここは、帰ってきていい場所だからな」
その言葉は、静かだった。
大きな声ではない。
特別に甘い言い方でもない。
いつものジェレミーの声だった。
だが、今のレトにはだめだった。
レトの表情が、ぱあっと明るくなった。
明るくなりすぎた。
「お兄さんが……」
「レト?」
「お兄さんが、帰ってきていい場所って……」
ロジーが嫌な予感で一歩下がる。
「レト、待って。今のは危ない。今のは効きすぎる」
「わたし……」
レトの瞳がきらきらする。
青白い硝子片が、ぱらぱらと星屑みたいに周囲を回る。
「わたし、レト隊員で……戦闘班で……単騎遊撃で……物が喋ってくれて……安全第一で……手を洗って……無理しないで……おかえりなさいで……帰ってきていい場所で……」
「情報量の処理に失敗してる!」
ロジーが叫んだ。
エルがぽつりと言う。
「レト、いっぱい」
「いっぱい……!」
レトは両手を広げた。
「わたし、いっぱい!!!!」
そして、すとん、と倒れた。
本当に、すとん、だった。
糸が切れたみたいに、膝から崩れて、医療班主任が慣れた手つきで受け止めた。
周囲が静まり返る。
ロジーのデバイスだけが、ぴこ、と記録完了音を鳴らした。
ロジーは倒れたレトを見た。
それから、ゲートを見た。
ジェレミーを見た。
もう一度、レトを見た。
そして、ぽつりと呟いた。
「バカすぎる……」
医療班主任が脈を確認する。
「興奮性の一時的な失神です。問題はありません」
ジェレミーが言う。
「運ぶ」
「はい」
レトは医療班主任に支えられながら、半分だけ意識を戻した。
「お兄さん……」
「起きたか」
「わたし……レト隊員……?」
「そうだ」
「ゲート……喋った……?」
「喋った」
レトはふにゃっと笑った。
「えへへ……」
ロジーが頭を抱える。
「追撃した! 局長が追撃した!」
ジェレミーは表情を変えない。
「事実だ」
「事実で倒れるんだよ、この子!」
エルは認証ゲートをじっと見た。
そして、自分のカードをかざした。
ぴん。
『おはようございます、エルさん。通行権限を確認しました』
エルは少し考えた。
「エルさん」
ロジーが慌てる。
「エルは倒れないでね!?」
エルは首を傾げた。
「倒れない」
それから、担がれていくレトを見て、ぽつりと言った。
「レト、ゲートに弱い」
ロジーは深く頷いた。
「今日判明したね」
その後、技術班は認証ゲートの設定に新しい注意項目を追加した。
特定職員に対し、過度に情緒へ作用する音声案内を連続再生しないこと。
副長はその報告書を読み、しばらく黙った。
そして、備考欄に一文を追加した。
特定職員:主にレト。
さらに、その下にもう一文を加えた。
補足:当該職員は、音声案内を“物からの返事”として受け取る可能性がある。
技術班は、その補足を見て全員黙った。
そして、誰も削除しなかった。
その日の夜。
医務室で目を覚ましたレトは、枕元に置かれた自分のカードをぎゅっと握っていた。
ロジーが椅子に座っている。
エルも隣にいる。
ジェレミーは壁際に立っている。
レトは小さな声で言った。
「ロジー」
「なに?」
「音声ログ、ある?」
ロジーは、ものすごく嫌な顔をした。
「あるけど」
「聞きたい」
「倒れたでしょ」
「小さく聞く」
「音量の問題じゃないんだよ」
レトは布団の中で、もぞもぞした。
「でも……レト隊員……」
ロジーはしばらく黙った。
そして、ため息をついた。
「一回だけね」
「やった」
ロジーのデバイスが、小さく音声を再生した。
『おはようございます、レト隊員』
レトは布団の中で、幸せそうに目を閉じた。
「えへへ……喋ってくれた……」
ロジーはその顔を見て、もう一度、小さく呟いた。
「バカすぎる……」
でも、その声は少し笑っていた。




