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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち【旧版】  作者: 硝子玉の宇宙
箱庭の娘たち

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7/135

第7話-かわいい、げんき、戦略級

最初の異常は、廃棄宙域の巡回観測機が消失したことだった。


通信断ではない。


故障でもない。


観測機が存在していた座標から、機体を構成していた物質そのものが失われていた。


代わりに残されていたのは、濃い魔力反応。


そして、観測機を食い尽くした何かが発した、意味を持たない攻撃信号だった。



惑星監理局、中央指令室。


巨大な星図の中央に、赤い領域が表示されていた。


廃棄宙域、管理番号D‐19。


かつて星間戦争で使用された宇宙戦艦や輸送艦、作業艦が集積されている、無人の船舶墓場である。


そこには数百年分の残骸があった。


解体を待つ戦艦。


航行不能となった巡洋艦。


船体を半分失った輸送艦。


動力炉だけを抜かれた空母。


さらに、衝突防止用の牽引術式で固定された大小無数の小惑星。


本来ならば、動くものは何もない。


だが今、そのすべてが動いていた。


「変質個体、確認数を更新」


情報班職員が報告する。


「廃棄宇宙艦艇、百八十三隻。小型艇および分離構造体、六百二十一。小惑星由来個体、四千二百以上。現在も増加中です」


星図を埋め尽くす赤い光点。


それらは互いに衝突し、融合し、別の形へ変わりながら進んでいた。


折れた船首から、岩石の牙が生えている。


砲塔の代わりに、小惑星を削って作られた巨大な眼球状構造が回転している。


装甲板の隙間を、血管のような魔力光が走っている。


艦艇だったもの。


岩石だったもの。


どれも、もう物ではなかった。


外部術式がなくても動いている。


損傷すれば周囲の残骸を取り込み、自らを修復する。


観測機の動きに反応し、追跡し、攻撃した。


そして今は、最も近い大規模魔力源へ向かっている。


有人中継惑星、ラジア。


避難開始済み。


到達予測、四十七分。


作戦統括官が低い声で言った。


「魔力災害による無機物の生命化。全個体、敵性判定」


「交信は?」


ジェレミー・クリエットが問う。


「三度実施。言語反応なし。停止要求、進路変更要求、警告信号、すべてに対して攻撃で応答」


「自己保存行動は」


「確認されています。ただし、逃走ではありません。損傷個体が大型個体へ融合し、攻撃能力を維持しようとします」


敵性魔力生命体。


生きている。


だが、対話は成立しない。


接近するものを襲い、破壊し、取り込み、増殖する。


そして、その進路上には人間の暮らす惑星がある。


作戦統括官が宙域図を拡大した。


「通常艦隊による迎撃は推奨できません。敵は魔力砲撃を吸収し、損傷箇所の再生へ転用しています。物理砲撃でも、破壊した船体片が小型個体として再活動する可能性が高い」


戦闘班長が腕を組む。


「数が多すぎる。艦隊で包囲すれば、包囲網そのものを食われる」


「加えて、廃棄宙域全体がすでに魔力災害の発生源となっています。艦艇を落としても、小惑星が次の身体になります」


指令室に沈黙が落ちた。


敵を破壊するだけでは終わらない。


破壊したものまで敵になる。


一隻ずつ処理している時間もない。


ジェレミーは赤い星図を見た。


「戦闘班」


「はい」


「単騎遊撃を出す」


誰のことか、確認する者はいなかった。



出撃準備室で、レトは両手を広げていた。


生活班の職員が戦闘服の固定具を確認する。


医療班が体温と魔力循環を測定する。


技術班が髪飾り周辺の魔力干渉を確認する。


淡緑色の長い髪は、いつも通り左側でワンサイドテールにまとめられていた。


青いキューブ状の髪飾りが二つ。


エメラルドグリーンの瞳。


身長百五十センチの、小柄な少女。


「腕、上げたままでいてください」


「はーい!」


「回ってください」


レトはその場で一回転した。


「問題ない?」


「回りすぎです」


「一回だよ?」


「勢いの問題です」


レトは首を傾げた。


「でも、ちゃんと一周だったよ」


医療班職員が魔力測定器を外す。


「平常値より少し高いですね」


「任務だから!」


「任務だから上がっているんです」


「だめ?」


「駄目ではありません。自分が興奮していることを覚えておいてください」


「うん!」


勢いよく頷いてから、レトは少しだけ不安そうな顔をした。


「職員さん」


「はい」


「ほんとに、わたし一人?」


「戦闘宙域に入るのは、レトさん一人です」


通信、観測、分析、撤退支援。


監理局の各班は、すべて後方にいる。


だが、敵の群れの中へ入るのはレトだけだった。


通常の戦闘班員では、あの数を相手に生き残れない。


艦隊を投入すれば、敵の餌が増える。


だから単騎。


だから遊撃。


レトは、小さく息を吸った。


「わたしなら、できるから?」


「はい」


職員は迷わず答えた。


「ですが、できることと、無理をしていいことは同じではありません」


レトは少し考えた。


「自分も、守る対象」


「その通りです」


「帰ってくるまでが任務」


「よく覚えています」


レトの顔が明るくなる。


「えへへ」


出撃準備室の扉が開いた。


ジェレミーが入ってくる。


レトはすぐに振り向いた。


「お兄さん!」


「状況は聞いたか」


「聞いた! 壊れたお船と石が、いっぱい生き物になっちゃった。止まってって言っても、攻撃してくる。ラジアに行く前に止める!」


「そうだ」


「わたしが行く!」


「そうだ」


ジェレミーはレトの前に立った。


「殲滅許可は出ている。全個体を停止させろ」


レトは真剣な顔で頷いた。


「うん」


「ただし、出力を上げる前に報告しろ」


「うん」


「意識に異常が出たら即時撤退」


「うん」


「まだ戦える、は報告にならない」


レトは少し口を尖らせた。


「言おうと思ってたのに」


「だから先に禁止した」


「お兄さん、ずるい」


「帰ってこい」


その一言で、レトの表情が変わった。


少しだけ丸くなった目。


握られた両手。


それから、まっすぐな笑顔。


「うん。帰ってくる!」



廃棄宙域。


星の光さえ遮るほどの残骸が、宇宙を埋め尽くしていた。


動力を失ったはずの戦艦が、歪んだ船体を震わせている。


小惑星と融合した巡洋艦が、岩石の腕を伸ばす。


数千の小型個体が、破片の群れとなって移動する。


音のない宇宙。


だが、魔力観測では、そこは絶叫に近い雑音で満ちていた。


敵意。


捕食。


破壊。


接近する魔力への、無差別な攻撃衝動。


その群れの前に、小さな光が現れた。


レトだった。


宇宙空間に浮かび、敵の全体を見渡す。


遠く。


広く。


上下も、左右もない。


どの方向を見ても敵がいる。


『レト、敵性個体群との距離、八千』


通信から作戦統括官の声が届く。


『全体数、継続増加。小型個体が接近している』


レトは両手を広げた。


透明な硝子が、指先から生まれる。


細く。


鋭く。


内部に青白い高熱を閉じ込めた十二本の短剣。


綺針鋲。


短剣群はレトの周囲へ円を描くように浮かんだ。


「聞こえる?」


敵は答えない。


ただ、数百の砲門が一斉にレトを向いた。


「そっか」


レトの瞳から、笑みが消えた。


「じゃあ、止めるね」


砲撃。


宇宙が光で埋まった。


旧式戦艦の主砲。


作業艦の解体光線。


小惑星の表面から伸びた岩石弾。


数百の攻撃が、レト一人へ集中する。


レトは逃げなかった。


指先を、ほんの少し動かした。


目の前の空間に、薄い硝子の板が生まれる。


一枚。


二枚。


十枚。


透明な板が、異なる角度で重なった。


砲撃が硝子へ触れる。


防いだのではない。


進行方向が、ずれた。


ほんの一度。


ほんの数度。


それだけで、砲撃はレトの身体を外れた。


背後から接近していた敵性艦へ直撃する。


岩石弾が別の小惑星へ突き刺さる。


十数隻の艦艇が、味方の砲撃によって同時に崩れた。


だが、崩れた装甲板が停止しない。


破片一つ一つに魔力が走り、小型個体へ変わる。


『破壊片、再活動!』


「うん。見えてる!」


レトの足元で、硝子が砕けた。


青白い光が彗星の尾となって伸びる。


彗星灯痕。


レトの姿が消えた。


観測画面の追跡表示が、一瞬遅れる。


次に現れた時、レトは敵艦の真上にいた。


短剣が一斉に走る。


装甲へ刺さる。


弾かれる。


砕ける。


普通ならば、それで失敗だった。


だが、レトの硝子は、砕けてからが攻撃だった。


飛び散った硝子片の内部から、青白い熱が解放される。


装甲表面を走っていた魔力の流れが焼き切れた。


敵艦の動きが止まる。


そこへ、二本目の短剣。


三本目。


刃先は、まったく同じ場所へは向かわない。


一度目の破砕で生まれた亀裂。


熱によって弱くなった接合部。


魔力循環が外部へ露出した箇所。


レトは、そのすべてを見ていた。


短剣が、曲がる。


直角に折れる。


敵艦の船体を回り込み、死角から突き刺さる。


空間に青白い線が引かれていた。


星屑落架。


短剣はその線に沿い、あり得ない角度で加速する。


一隻。


三隻。


七隻。


大型艦の魔力核が、外側から順番に焼き切られていく。


レトは止まらない。


一隻を落とすたびに、次の敵へ向かう。


敵の砲撃を避ける。


避けた砲撃を、別の敵へ当てる。


砕いた短剣の破片を、そのまま次の敵への足場にする。


足場を蹴り、加速する。


加速に使った硝子を砕き、背後の敵を焼く。


敵が回り込めば、距離をずらす。


前方にいた敵を後方へ。


横から迫った小惑星を、ほんの少し上へ。


わずかな位置の差が、宇宙空間では巨大な衝突へ変わる。


小惑星同士が激突する。


融合艦の進路へ、別の融合艦が滑り込む。


二つの巨体が衝突し、互いの装甲を砕く。


そこへ硝子短剣が飛び込む。


観測画面上で、レトの軌跡は一本の線には見えなかった。


数百の青白い線が、宙域全体へ同時に広がっているように見えた。


情報班職員が追跡表示を拡大する。


「位置情報が重複しています」


「故障か?」


「違います。移動が速すぎる。残留魔力を現在位置と誤認しています」


指令室の星図に、青白い彗星の軌跡が増えていく。


その中心にいるのは、一人だけ。


レトだけだった。


『敵性個体、千を下回りました』


報告が届く。


だが、敵の進行は止まっていない。


むしろ、動きが変わった。


小型個体が戦闘をやめ、後方へ集まり始める。


損傷した艦艇も。


砕けた小惑星も。


レトが焼き切れなかった破片も。


すべてが、宙域中央へ向かっていく。


レトが振り返る。


「集まってる」


『確認した。敵性個体群、融合開始』


宇宙戦艦が、小惑星へ突き刺さる。


輸送艦が折れ曲がり、別の艦艇を包み込む。


砲塔。


装甲。


岩石。


艦橋。


骨のような船体梁。


無数の残骸が、一つの巨大な魔力循環によって結ばれていく。


直径、百二十。


百八十。


二百四十。


なおも拡大。


それはもはや艦艇ではなかった。


小さな月ほどの、廃艦と岩石の塊。


表面に数千の砲門を持つ、巨大な魔力生命体。


進路は変わらない。


有人中継惑星、ラジア。


『敵性統合個体、加速を開始』


『到達予測、三十一分』


『通常砲撃では停止不能』


レトは巨大な敵を見上げた。


小さな身体。


あまりにも大きな敵。


敵の表面が光った。


数千の砲門が、同時に魔力を収束させる。


狙いはレトではない。


レトの向こう側。


監理局の観測艦。


そして、その先にあるラジア。


「だめ」


レトの周囲で、硝子短剣が止まった。


『レト、統合個体の砲撃準備を確認。推定射線は広域』


「だめだよ」


声は大きくなかった。


けれど、指令室の全員に聞こえた。


「そっちは、人がいるの」


敵は止まらない。


「職員さんもいる」


砲門の光が強くなる。


「お兄さんも見てる」


レトは両手を握った。


青白い硝子が、周囲へ広がる。


『レト、現在出力を報告しろ』


ジェレミーの声。


レトは一瞬、黙った。


それから、きちんと答えた。


「七十二。まだ上がる」


『身体状態』


「熱い。痛くない。ちょっと、頭がふわふわする前」


まだ戦える、とは言わなかった。


正確に、自分の状態を伝えた。


ジェレミーは星図を見る。


敵とラジアの距離。


周辺の無人範囲。


味方艦の撤退状況。


レトの魔力値。


「広域殲滅を許可する」


レトの瞳が、青白い光を映した。


「うん」


「レト」


「なに?」


「自分を範囲に入れるな」


レトは少しだけ笑った。


「わかってる!」


十二本の短剣が、レトから離れた。


敵へは向かわない。


それぞれが、異なる方向へ飛んでいく。


巨大な敵性個体を中心に。


遠く。


さらに遠く。


短剣は十二の座標へ到達し、宇宙空間に静止した。


レトが両手を広げる。


十二本の短剣を結ぶように、青白い光の線が生まれる。


線と線が繋がる。


面になる。


透明な硝子面が、宙域全体を囲んでいく。


上も下もない宇宙に、巨大な多面体が形成された。


硝子の鳥籠。


ただし、それは一隻の敵を閉じ込める檻ではない。


数百キロメートルに及ぶ戦場そのものを閉じ込める檻だった。


敵の砲撃が放たれる。


数千の光が、鳥籠の外へ向かう。


硝子面へ触れる。


曲がる。


折れる。


別の面へ。


さらに別の面へ。


砲撃は鳥籠の内部を巡り、すべて敵自身へ返っていく。


統合個体の表面で、連続して爆発が起きた。


装甲と岩石が吹き飛ぶ。


だが、破片は外へ逃げない。


空間の角度を変えられ、再び中央へ戻される。


砕けたものが、砕いたものへ衝突する。


逃げようとした小型個体も。


外へ向かった魔力も。


放たれた砲弾も。


すべてが一つの領域へ閉じ込められていく。


「まだ」


レトの周囲に、無数の硝子片が生まれた。


最初は、雪のようだった。


透明で。


小さく。


青白い光を内側へ閉じ込めた、綺麗な欠片。


それが百。


千。


数え切れないほど増えていく。


一つ一つが、レトの短剣が砕けた時と同じ熱を持っている。


レトが片手を上げた。


すべての硝子片が、鳥籠の外周へ飛んだ。


巨大な透明の天蓋が完成する。


流星天蓋。


通常なら、地表へ向けて降らせる広域殲滅魔術。


だが、ここには地表がない。


だからレトは、敵性個体のある方向を下にした。


鳥籠の全方向が、空になった。


そして。


そのすべてから、流星が降った。


青白い硝子片が、巨大な敵へ殺到する。


正面から。


背後から。


上から。


下から。


存在するすべての方向から。


敵が迎撃する。


砲撃が硝子片を砕く。


砕かれた硝子片が熱を解放する。


その熱が砲撃口を焼く。


別の破片が亀裂へ入る。


さらに砕ける。


光る。


焼く。


破砕されるほど、攻撃が増えていく。


統合個体の表面が青白く染まった。


岩石が溶ける。


装甲が剥がれる。


船体を繋いでいた魔力の筋が、一本ずつ焼き切られる。


敵は巨大な腕を伸ばした。


廃棄戦艦数十隻が束ねられた腕。


レト一人を押し潰すために振り下ろされる。


レトは、そこから動かなかった。


手のひらを、横へ滑らせる。


腕の進行方向が、ほんの少しずれた。


統合個体自身の中心へ。


巨大な腕が、自分の胴体へ突き刺さる。


構造が歪む。


内部の魔力循環が、外側へ露出する。


レトの周囲に、小さな透明の雫が生まれた。


一滴。


ただ一滴。


青白い光さえ、ほとんど外へ漏れない。


融熱の雫。


レトはそれを指先で弾いた。


雫が飛ぶ。


星屑落架の誘導線へ乗る。


一度曲がる。


二度曲がる。


流星の隙間を縫う。


崩れた戦艦の間を通る。


露出した魔力循環の中心へ、外側から到達する。


音はなかった。


巨大な爆発もなかった。


ただ、敵性統合個体の中心から、青白い光が透けた。


岩石。


装甲。


艦艇。


すべての亀裂から光が漏れる。


次の瞬間。


中心部の魔力が、熱へ変わった。


統合個体が内側から崩れ始める。


連結を失った宇宙戦艦が離れる。


小惑星が割れる。


無数の破片が四方へ広がろうとする。


だが、硝子の鳥籠が逃がさない。


空間を折り。


軌道を曲げ。


飛び散るすべてを、無人宙域側へ流していく。


レトは目を見開いたまま、両手を動かし続けていた。


一つの破片も、ラジアへ向かわせない。


一発の砲弾も、観測艦へ通さない。


敵の破壊。


砲撃の反射。


数千の破片の軌道制御。


魔力災害領域の封鎖。


残留熱の吸収。


すべてを、同時に処理している。


指令室の観測装置に、警告が走った。


『演算限界』


『空間座標更新不能』


『対象数超過』


人間の作った機械が、レトの行っている処理を追えなくなった。


星図上から、敵の赤い光点が消えていく。


四千。


千。


三百。


五十。


十二。


三。


最後の一つ。


小さな岩石個体が、鳥籠の端を這っていた。


身体の半分を失いながら、それでもラジアの方角へ進もうとしている。


一本の硝子短剣が飛んだ。


岩石個体の魔力核を貫く。


青白い光。


停止。


赤い光点が、すべて消えた。


廃棄宙域に、静寂が戻る。


透明な硝子の鳥籠。


その中を、熱を失った残骸がゆっくり漂っている。


中心に、レトがいた。


淡緑色の髪が宇宙に広がっている。


青い髪飾り。


小さな身体。


戦場を覆っていた青白い光が、少しずつ消えていく。


『敵性反応、消失』


『魔力災害領域、縮小を確認』


『ラジアへの飛翔物、なし』


『観測艦被害、なし』


報告が続く。


誰も歓声を上げなかった。


ただ、巨大な星図の中央にいる小さな光を見ていた。


ジェレミーが通信を開く。


「レト」


返事がない。


指令室の空気が固まる。


「レト」


少し遅れて、声が届いた。


『……お兄さん』


「身体状態を言え」


『熱い』


「ほかは」


『手が、ちょっと震える。目、ちゃんと見える。頭、ふわふわする。眠い』


「帰還しろ」


短い沈黙。


『でも、残ってるの片づけ――』


「帰還しろ」


レトは漂う残骸を見た。


もう動かない。


もう襲ってこない。


監理局の回収艦が来れば、安全に処理できる。


自分の任務は終わっている。


『……うん』


返事は少しだけ寂しそうだった。


それでも、レトは命令に従った。


最後に一度、宙域全体を見渡す。


「もう、動いちゃだめだよ」


返事はない。


レトはそれを確認してから、帰還用の硝子板へ手を触れた。


小さな身体が、青白い光に包まれる。


そして、戦場から消えた。



帰還直後、レトは医療班に捕まった。


足が床へ触れた瞬間に膝が折れ、待機していた職員に抱き留められた。


「歩ける!」


「歩けていません」


「いまから歩くところだったの!」


「その前に倒れました」


「倒れてないよ。ちょっと床が上に来た」


「床は動いていません」


冷却処置。


魔力循環確認。


眼球反応確認。


四肢の震え。


過剰発熱。


軽度の意識混濁。


医療班職員たちが手早く処置を進める。


レトは冷却布に包まれ、診療台の上で不満そうに頬を膨らませていた。


「任務、終わったのに」


「終わったから治療しています」


「報告したい」


「報告は通信で済んでいます」


「お兄さんに、ちゃんと顔見て報告するの」


「検査が先です」


扉が開いた。


ジェレミーが入ってくる。


レトの頬が一瞬で戻った。


「お兄さん!」


起き上がろうとして、医療班職員に肩を押さえられる。


「寝ていてください」


「でも!」


「寝たまま報告しろ」


ジェレミーが言った。


レトは冷却布に包まれたまま、姿勢だけを正そうとした。


「敵性魔力生命体、全部止めました! ラジアと、観測艦と、職員さん、みんな無事です! 残骸は無人宙域にまとめました! わたしも帰ってきました!」


最後だけ、少し得意そうだった。


ジェレミーは頷く。


「確認した」


レトは期待する目で見上げる。


「それだけ?」


「作戦は成功だ」


「うん」


「よくやった」


レトの顔が、ぱっと明るくなった。


「えへへ」


「そして、状態報告も以前より正確だった」


「そこも?」


「重要だ」


「わたし、自分も守った?」


「守った」


レトは冷却布の中へ少し沈んだ。


安心したように、目を細める。


「じゃあ、任務ぜんぶ成功」


「ああ」


数秒もしないうちに、レトのまぶたが重くなり始めた。


それでも眠る直前、レトは小さく呟いた。


「お兄さん」


「何だ」


「わたし、すごかった?」


「ああ」


「どれくらい?」


ジェレミーは少しだけ考えた。


「戦略級だ」


レトは満足そうに笑った。


「そっかぁ」


そのまま目を閉じる。


数秒後には、静かな寝息が聞こえていた。



翌日の新人研修。


副長は、前日の戦闘記録を壁面へ表示した。


編集は最小限。


敵性個体の数。


宙域規模。


レトの移動軌跡。


広域空間制御。


敵性反応の完全消失。


帰還後の医療記録だけは表示されていない。


新人三十名は、誰も言葉を発しなかった。


昨日まで、戦略級という言葉は分類だった。


大きな力を持つ。


単独で戦場の局面を変える。


その程度の理解だった。


だが、記録の中でレトが行ったことは、単純な大規模破壊ではなかった。


敵を倒した。


味方を守った。


惑星を守った。


敵の砲撃を制御した。


破片の軌道を制御した。


魔力災害を封鎖した。


戦場へ一人で入り。


一人で戦場全域を支配し。


二次災害まで止めて。


そして、帰ってきた。


副長は静かに言った。


「昨日、レトさんを戦略級と説明しました」


壁面には、戦闘後の廃棄宙域が映っている。


巨大な残骸。


それを包む透明な硝子。


中央から監理局へ帰還する、小さな青白い光。


「戦略級とは、大きなものを壊せる者を指す言葉ではありません」


副長は新人たちを見渡した。


「一人の存在を投入するだけで、艦隊の配置が変わる。文明の存亡判断が変わる。作戦そのものの前提が変わる」


プリンを前に騒ぐ少女。


物に謝る少女。


お兄さんと呼ぶ相手に褒めてもらいたがる少女。


そして。


数千の敵性魔力生命体を、一人で終わらせた戦闘班員。


「彼女が戦場へ出た時点で、戦況ではなく、戦場の定義そのものが変わる」


副長は映像を止めた。


「それが、レトさんが戦略級である理由です」



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