第7話-かわいい、げんき、戦略級
最初の異常は、廃棄宙域の巡回観測機が消失したことだった。
通信断ではない。
故障でもない。
観測機が存在していた座標から、機体を構成していた物質そのものが失われていた。
代わりに残されていたのは、濃い魔力反応。
そして、観測機を食い尽くした何かが発した、意味を持たない攻撃信号だった。
◇
惑星監理局、中央指令室。
巨大な星図の中央に、赤い領域が表示されていた。
廃棄宙域、管理番号D‐19。
かつて星間戦争で使用された宇宙戦艦や輸送艦、作業艦が集積されている、無人の船舶墓場である。
そこには数百年分の残骸があった。
解体を待つ戦艦。
航行不能となった巡洋艦。
船体を半分失った輸送艦。
動力炉だけを抜かれた空母。
さらに、衝突防止用の牽引術式で固定された大小無数の小惑星。
本来ならば、動くものは何もない。
だが今、そのすべてが動いていた。
「変質個体、確認数を更新」
情報班職員が報告する。
「廃棄宇宙艦艇、百八十三隻。小型艇および分離構造体、六百二十一。小惑星由来個体、四千二百以上。現在も増加中です」
星図を埋め尽くす赤い光点。
それらは互いに衝突し、融合し、別の形へ変わりながら進んでいた。
折れた船首から、岩石の牙が生えている。
砲塔の代わりに、小惑星を削って作られた巨大な眼球状構造が回転している。
装甲板の隙間を、血管のような魔力光が走っている。
艦艇だったもの。
岩石だったもの。
どれも、もう物ではなかった。
外部術式がなくても動いている。
損傷すれば周囲の残骸を取り込み、自らを修復する。
観測機の動きに反応し、追跡し、攻撃した。
そして今は、最も近い大規模魔力源へ向かっている。
有人中継惑星、ラジア。
避難開始済み。
到達予測、四十七分。
作戦統括官が低い声で言った。
「魔力災害による無機物の生命化。全個体、敵性判定」
「交信は?」
ジェレミー・クリエットが問う。
「三度実施。言語反応なし。停止要求、進路変更要求、警告信号、すべてに対して攻撃で応答」
「自己保存行動は」
「確認されています。ただし、逃走ではありません。損傷個体が大型個体へ融合し、攻撃能力を維持しようとします」
敵性魔力生命体。
生きている。
だが、対話は成立しない。
接近するものを襲い、破壊し、取り込み、増殖する。
そして、その進路上には人間の暮らす惑星がある。
作戦統括官が宙域図を拡大した。
「通常艦隊による迎撃は推奨できません。敵は魔力砲撃を吸収し、損傷箇所の再生へ転用しています。物理砲撃でも、破壊した船体片が小型個体として再活動する可能性が高い」
戦闘班長が腕を組む。
「数が多すぎる。艦隊で包囲すれば、包囲網そのものを食われる」
「加えて、廃棄宙域全体がすでに魔力災害の発生源となっています。艦艇を落としても、小惑星が次の身体になります」
指令室に沈黙が落ちた。
敵を破壊するだけでは終わらない。
破壊したものまで敵になる。
一隻ずつ処理している時間もない。
ジェレミーは赤い星図を見た。
「戦闘班」
「はい」
「単騎遊撃を出す」
誰のことか、確認する者はいなかった。
◇
出撃準備室で、レトは両手を広げていた。
生活班の職員が戦闘服の固定具を確認する。
医療班が体温と魔力循環を測定する。
技術班が髪飾り周辺の魔力干渉を確認する。
淡緑色の長い髪は、いつも通り左側でワンサイドテールにまとめられていた。
青いキューブ状の髪飾りが二つ。
エメラルドグリーンの瞳。
身長百五十センチの、小柄な少女。
「腕、上げたままでいてください」
「はーい!」
「回ってください」
レトはその場で一回転した。
「問題ない?」
「回りすぎです」
「一回だよ?」
「勢いの問題です」
レトは首を傾げた。
「でも、ちゃんと一周だったよ」
医療班職員が魔力測定器を外す。
「平常値より少し高いですね」
「任務だから!」
「任務だから上がっているんです」
「だめ?」
「駄目ではありません。自分が興奮していることを覚えておいてください」
「うん!」
勢いよく頷いてから、レトは少しだけ不安そうな顔をした。
「職員さん」
「はい」
「ほんとに、わたし一人?」
「戦闘宙域に入るのは、レトさん一人です」
通信、観測、分析、撤退支援。
監理局の各班は、すべて後方にいる。
だが、敵の群れの中へ入るのはレトだけだった。
通常の戦闘班員では、あの数を相手に生き残れない。
艦隊を投入すれば、敵の餌が増える。
だから単騎。
だから遊撃。
レトは、小さく息を吸った。
「わたしなら、できるから?」
「はい」
職員は迷わず答えた。
「ですが、できることと、無理をしていいことは同じではありません」
レトは少し考えた。
「自分も、守る対象」
「その通りです」
「帰ってくるまでが任務」
「よく覚えています」
レトの顔が明るくなる。
「えへへ」
出撃準備室の扉が開いた。
ジェレミーが入ってくる。
レトはすぐに振り向いた。
「お兄さん!」
「状況は聞いたか」
「聞いた! 壊れたお船と石が、いっぱい生き物になっちゃった。止まってって言っても、攻撃してくる。ラジアに行く前に止める!」
「そうだ」
「わたしが行く!」
「そうだ」
ジェレミーはレトの前に立った。
「殲滅許可は出ている。全個体を停止させろ」
レトは真剣な顔で頷いた。
「うん」
「ただし、出力を上げる前に報告しろ」
「うん」
「意識に異常が出たら即時撤退」
「うん」
「まだ戦える、は報告にならない」
レトは少し口を尖らせた。
「言おうと思ってたのに」
「だから先に禁止した」
「お兄さん、ずるい」
「帰ってこい」
その一言で、レトの表情が変わった。
少しだけ丸くなった目。
握られた両手。
それから、まっすぐな笑顔。
「うん。帰ってくる!」
◇
廃棄宙域。
星の光さえ遮るほどの残骸が、宇宙を埋め尽くしていた。
動力を失ったはずの戦艦が、歪んだ船体を震わせている。
小惑星と融合した巡洋艦が、岩石の腕を伸ばす。
数千の小型個体が、破片の群れとなって移動する。
音のない宇宙。
だが、魔力観測では、そこは絶叫に近い雑音で満ちていた。
敵意。
捕食。
破壊。
接近する魔力への、無差別な攻撃衝動。
その群れの前に、小さな光が現れた。
レトだった。
宇宙空間に浮かび、敵の全体を見渡す。
遠く。
広く。
上下も、左右もない。
どの方向を見ても敵がいる。
『レト、敵性個体群との距離、八千』
通信から作戦統括官の声が届く。
『全体数、継続増加。小型個体が接近している』
レトは両手を広げた。
透明な硝子が、指先から生まれる。
細く。
鋭く。
内部に青白い高熱を閉じ込めた十二本の短剣。
綺針鋲。
短剣群はレトの周囲へ円を描くように浮かんだ。
「聞こえる?」
敵は答えない。
ただ、数百の砲門が一斉にレトを向いた。
「そっか」
レトの瞳から、笑みが消えた。
「じゃあ、止めるね」
砲撃。
宇宙が光で埋まった。
旧式戦艦の主砲。
作業艦の解体光線。
小惑星の表面から伸びた岩石弾。
数百の攻撃が、レト一人へ集中する。
レトは逃げなかった。
指先を、ほんの少し動かした。
目の前の空間に、薄い硝子の板が生まれる。
一枚。
二枚。
十枚。
透明な板が、異なる角度で重なった。
砲撃が硝子へ触れる。
防いだのではない。
進行方向が、ずれた。
ほんの一度。
ほんの数度。
それだけで、砲撃はレトの身体を外れた。
背後から接近していた敵性艦へ直撃する。
岩石弾が別の小惑星へ突き刺さる。
十数隻の艦艇が、味方の砲撃によって同時に崩れた。
だが、崩れた装甲板が停止しない。
破片一つ一つに魔力が走り、小型個体へ変わる。
『破壊片、再活動!』
「うん。見えてる!」
レトの足元で、硝子が砕けた。
青白い光が彗星の尾となって伸びる。
彗星灯痕。
レトの姿が消えた。
観測画面の追跡表示が、一瞬遅れる。
次に現れた時、レトは敵艦の真上にいた。
短剣が一斉に走る。
装甲へ刺さる。
弾かれる。
砕ける。
普通ならば、それで失敗だった。
だが、レトの硝子は、砕けてからが攻撃だった。
飛び散った硝子片の内部から、青白い熱が解放される。
装甲表面を走っていた魔力の流れが焼き切れた。
敵艦の動きが止まる。
そこへ、二本目の短剣。
三本目。
刃先は、まったく同じ場所へは向かわない。
一度目の破砕で生まれた亀裂。
熱によって弱くなった接合部。
魔力循環が外部へ露出した箇所。
レトは、そのすべてを見ていた。
短剣が、曲がる。
直角に折れる。
敵艦の船体を回り込み、死角から突き刺さる。
空間に青白い線が引かれていた。
星屑落架。
短剣はその線に沿い、あり得ない角度で加速する。
一隻。
三隻。
七隻。
大型艦の魔力核が、外側から順番に焼き切られていく。
レトは止まらない。
一隻を落とすたびに、次の敵へ向かう。
敵の砲撃を避ける。
避けた砲撃を、別の敵へ当てる。
砕いた短剣の破片を、そのまま次の敵への足場にする。
足場を蹴り、加速する。
加速に使った硝子を砕き、背後の敵を焼く。
敵が回り込めば、距離をずらす。
前方にいた敵を後方へ。
横から迫った小惑星を、ほんの少し上へ。
わずかな位置の差が、宇宙空間では巨大な衝突へ変わる。
小惑星同士が激突する。
融合艦の進路へ、別の融合艦が滑り込む。
二つの巨体が衝突し、互いの装甲を砕く。
そこへ硝子短剣が飛び込む。
観測画面上で、レトの軌跡は一本の線には見えなかった。
数百の青白い線が、宙域全体へ同時に広がっているように見えた。
情報班職員が追跡表示を拡大する。
「位置情報が重複しています」
「故障か?」
「違います。移動が速すぎる。残留魔力を現在位置と誤認しています」
指令室の星図に、青白い彗星の軌跡が増えていく。
その中心にいるのは、一人だけ。
レトだけだった。
『敵性個体、千を下回りました』
報告が届く。
だが、敵の進行は止まっていない。
むしろ、動きが変わった。
小型個体が戦闘をやめ、後方へ集まり始める。
損傷した艦艇も。
砕けた小惑星も。
レトが焼き切れなかった破片も。
すべてが、宙域中央へ向かっていく。
レトが振り返る。
「集まってる」
『確認した。敵性個体群、融合開始』
宇宙戦艦が、小惑星へ突き刺さる。
輸送艦が折れ曲がり、別の艦艇を包み込む。
砲塔。
装甲。
岩石。
艦橋。
骨のような船体梁。
無数の残骸が、一つの巨大な魔力循環によって結ばれていく。
直径、百二十。
百八十。
二百四十。
なおも拡大。
それはもはや艦艇ではなかった。
小さな月ほどの、廃艦と岩石の塊。
表面に数千の砲門を持つ、巨大な魔力生命体。
進路は変わらない。
有人中継惑星、ラジア。
『敵性統合個体、加速を開始』
『到達予測、三十一分』
『通常砲撃では停止不能』
レトは巨大な敵を見上げた。
小さな身体。
あまりにも大きな敵。
敵の表面が光った。
数千の砲門が、同時に魔力を収束させる。
狙いはレトではない。
レトの向こう側。
監理局の観測艦。
そして、その先にあるラジア。
「だめ」
レトの周囲で、硝子短剣が止まった。
『レト、統合個体の砲撃準備を確認。推定射線は広域』
「だめだよ」
声は大きくなかった。
けれど、指令室の全員に聞こえた。
「そっちは、人がいるの」
敵は止まらない。
「職員さんもいる」
砲門の光が強くなる。
「お兄さんも見てる」
レトは両手を握った。
青白い硝子が、周囲へ広がる。
『レト、現在出力を報告しろ』
ジェレミーの声。
レトは一瞬、黙った。
それから、きちんと答えた。
「七十二。まだ上がる」
『身体状態』
「熱い。痛くない。ちょっと、頭がふわふわする前」
まだ戦える、とは言わなかった。
正確に、自分の状態を伝えた。
ジェレミーは星図を見る。
敵とラジアの距離。
周辺の無人範囲。
味方艦の撤退状況。
レトの魔力値。
「広域殲滅を許可する」
レトの瞳が、青白い光を映した。
「うん」
「レト」
「なに?」
「自分を範囲に入れるな」
レトは少しだけ笑った。
「わかってる!」
十二本の短剣が、レトから離れた。
敵へは向かわない。
それぞれが、異なる方向へ飛んでいく。
巨大な敵性個体を中心に。
遠く。
さらに遠く。
短剣は十二の座標へ到達し、宇宙空間に静止した。
レトが両手を広げる。
十二本の短剣を結ぶように、青白い光の線が生まれる。
線と線が繋がる。
面になる。
透明な硝子面が、宙域全体を囲んでいく。
上も下もない宇宙に、巨大な多面体が形成された。
硝子の鳥籠。
ただし、それは一隻の敵を閉じ込める檻ではない。
数百キロメートルに及ぶ戦場そのものを閉じ込める檻だった。
敵の砲撃が放たれる。
数千の光が、鳥籠の外へ向かう。
硝子面へ触れる。
曲がる。
折れる。
別の面へ。
さらに別の面へ。
砲撃は鳥籠の内部を巡り、すべて敵自身へ返っていく。
統合個体の表面で、連続して爆発が起きた。
装甲と岩石が吹き飛ぶ。
だが、破片は外へ逃げない。
空間の角度を変えられ、再び中央へ戻される。
砕けたものが、砕いたものへ衝突する。
逃げようとした小型個体も。
外へ向かった魔力も。
放たれた砲弾も。
すべてが一つの領域へ閉じ込められていく。
「まだ」
レトの周囲に、無数の硝子片が生まれた。
最初は、雪のようだった。
透明で。
小さく。
青白い光を内側へ閉じ込めた、綺麗な欠片。
それが百。
千。
数え切れないほど増えていく。
一つ一つが、レトの短剣が砕けた時と同じ熱を持っている。
レトが片手を上げた。
すべての硝子片が、鳥籠の外周へ飛んだ。
巨大な透明の天蓋が完成する。
流星天蓋。
通常なら、地表へ向けて降らせる広域殲滅魔術。
だが、ここには地表がない。
だからレトは、敵性個体のある方向を下にした。
鳥籠の全方向が、空になった。
そして。
そのすべてから、流星が降った。
青白い硝子片が、巨大な敵へ殺到する。
正面から。
背後から。
上から。
下から。
存在するすべての方向から。
敵が迎撃する。
砲撃が硝子片を砕く。
砕かれた硝子片が熱を解放する。
その熱が砲撃口を焼く。
別の破片が亀裂へ入る。
さらに砕ける。
光る。
焼く。
破砕されるほど、攻撃が増えていく。
統合個体の表面が青白く染まった。
岩石が溶ける。
装甲が剥がれる。
船体を繋いでいた魔力の筋が、一本ずつ焼き切られる。
敵は巨大な腕を伸ばした。
廃棄戦艦数十隻が束ねられた腕。
レト一人を押し潰すために振り下ろされる。
レトは、そこから動かなかった。
手のひらを、横へ滑らせる。
腕の進行方向が、ほんの少しずれた。
統合個体自身の中心へ。
巨大な腕が、自分の胴体へ突き刺さる。
構造が歪む。
内部の魔力循環が、外側へ露出する。
レトの周囲に、小さな透明の雫が生まれた。
一滴。
ただ一滴。
青白い光さえ、ほとんど外へ漏れない。
融熱の雫。
レトはそれを指先で弾いた。
雫が飛ぶ。
星屑落架の誘導線へ乗る。
一度曲がる。
二度曲がる。
流星の隙間を縫う。
崩れた戦艦の間を通る。
露出した魔力循環の中心へ、外側から到達する。
音はなかった。
巨大な爆発もなかった。
ただ、敵性統合個体の中心から、青白い光が透けた。
岩石。
装甲。
艦艇。
すべての亀裂から光が漏れる。
次の瞬間。
中心部の魔力が、熱へ変わった。
統合個体が内側から崩れ始める。
連結を失った宇宙戦艦が離れる。
小惑星が割れる。
無数の破片が四方へ広がろうとする。
だが、硝子の鳥籠が逃がさない。
空間を折り。
軌道を曲げ。
飛び散るすべてを、無人宙域側へ流していく。
レトは目を見開いたまま、両手を動かし続けていた。
一つの破片も、ラジアへ向かわせない。
一発の砲弾も、観測艦へ通さない。
敵の破壊。
砲撃の反射。
数千の破片の軌道制御。
魔力災害領域の封鎖。
残留熱の吸収。
すべてを、同時に処理している。
指令室の観測装置に、警告が走った。
『演算限界』
『空間座標更新不能』
『対象数超過』
人間の作った機械が、レトの行っている処理を追えなくなった。
星図上から、敵の赤い光点が消えていく。
四千。
千。
三百。
五十。
十二。
三。
最後の一つ。
小さな岩石個体が、鳥籠の端を這っていた。
身体の半分を失いながら、それでもラジアの方角へ進もうとしている。
一本の硝子短剣が飛んだ。
岩石個体の魔力核を貫く。
青白い光。
停止。
赤い光点が、すべて消えた。
廃棄宙域に、静寂が戻る。
透明な硝子の鳥籠。
その中を、熱を失った残骸がゆっくり漂っている。
中心に、レトがいた。
淡緑色の髪が宇宙に広がっている。
青い髪飾り。
小さな身体。
戦場を覆っていた青白い光が、少しずつ消えていく。
『敵性反応、消失』
『魔力災害領域、縮小を確認』
『ラジアへの飛翔物、なし』
『観測艦被害、なし』
報告が続く。
誰も歓声を上げなかった。
ただ、巨大な星図の中央にいる小さな光を見ていた。
ジェレミーが通信を開く。
「レト」
返事がない。
指令室の空気が固まる。
「レト」
少し遅れて、声が届いた。
『……お兄さん』
「身体状態を言え」
『熱い』
「ほかは」
『手が、ちょっと震える。目、ちゃんと見える。頭、ふわふわする。眠い』
「帰還しろ」
短い沈黙。
『でも、残ってるの片づけ――』
「帰還しろ」
レトは漂う残骸を見た。
もう動かない。
もう襲ってこない。
監理局の回収艦が来れば、安全に処理できる。
自分の任務は終わっている。
『……うん』
返事は少しだけ寂しそうだった。
それでも、レトは命令に従った。
最後に一度、宙域全体を見渡す。
「もう、動いちゃだめだよ」
返事はない。
レトはそれを確認してから、帰還用の硝子板へ手を触れた。
小さな身体が、青白い光に包まれる。
そして、戦場から消えた。
◇
帰還直後、レトは医療班に捕まった。
足が床へ触れた瞬間に膝が折れ、待機していた職員に抱き留められた。
「歩ける!」
「歩けていません」
「いまから歩くところだったの!」
「その前に倒れました」
「倒れてないよ。ちょっと床が上に来た」
「床は動いていません」
冷却処置。
魔力循環確認。
眼球反応確認。
四肢の震え。
過剰発熱。
軽度の意識混濁。
医療班職員たちが手早く処置を進める。
レトは冷却布に包まれ、診療台の上で不満そうに頬を膨らませていた。
「任務、終わったのに」
「終わったから治療しています」
「報告したい」
「報告は通信で済んでいます」
「お兄さんに、ちゃんと顔見て報告するの」
「検査が先です」
扉が開いた。
ジェレミーが入ってくる。
レトの頬が一瞬で戻った。
「お兄さん!」
起き上がろうとして、医療班職員に肩を押さえられる。
「寝ていてください」
「でも!」
「寝たまま報告しろ」
ジェレミーが言った。
レトは冷却布に包まれたまま、姿勢だけを正そうとした。
「敵性魔力生命体、全部止めました! ラジアと、観測艦と、職員さん、みんな無事です! 残骸は無人宙域にまとめました! わたしも帰ってきました!」
最後だけ、少し得意そうだった。
ジェレミーは頷く。
「確認した」
レトは期待する目で見上げる。
「それだけ?」
「作戦は成功だ」
「うん」
「よくやった」
レトの顔が、ぱっと明るくなった。
「えへへ」
「そして、状態報告も以前より正確だった」
「そこも?」
「重要だ」
「わたし、自分も守った?」
「守った」
レトは冷却布の中へ少し沈んだ。
安心したように、目を細める。
「じゃあ、任務ぜんぶ成功」
「ああ」
数秒もしないうちに、レトのまぶたが重くなり始めた。
それでも眠る直前、レトは小さく呟いた。
「お兄さん」
「何だ」
「わたし、すごかった?」
「ああ」
「どれくらい?」
ジェレミーは少しだけ考えた。
「戦略級だ」
レトは満足そうに笑った。
「そっかぁ」
そのまま目を閉じる。
数秒後には、静かな寝息が聞こえていた。
◇
翌日の新人研修。
副長は、前日の戦闘記録を壁面へ表示した。
編集は最小限。
敵性個体の数。
宙域規模。
レトの移動軌跡。
広域空間制御。
敵性反応の完全消失。
帰還後の医療記録だけは表示されていない。
新人三十名は、誰も言葉を発しなかった。
昨日まで、戦略級という言葉は分類だった。
大きな力を持つ。
単独で戦場の局面を変える。
その程度の理解だった。
だが、記録の中でレトが行ったことは、単純な大規模破壊ではなかった。
敵を倒した。
味方を守った。
惑星を守った。
敵の砲撃を制御した。
破片の軌道を制御した。
魔力災害を封鎖した。
戦場へ一人で入り。
一人で戦場全域を支配し。
二次災害まで止めて。
そして、帰ってきた。
副長は静かに言った。
「昨日、レトさんを戦略級と説明しました」
壁面には、戦闘後の廃棄宙域が映っている。
巨大な残骸。
それを包む透明な硝子。
中央から監理局へ帰還する、小さな青白い光。
「戦略級とは、大きなものを壊せる者を指す言葉ではありません」
副長は新人たちを見渡した。
「一人の存在を投入するだけで、艦隊の配置が変わる。文明の存亡判断が変わる。作戦そのものの前提が変わる」
プリンを前に騒ぐ少女。
物に謝る少女。
お兄さんと呼ぶ相手に褒めてもらいたがる少女。
そして。
数千の敵性魔力生命体を、一人で終わらせた戦闘班員。
「彼女が戦場へ出た時点で、戦況ではなく、戦場の定義そのものが変わる」
副長は映像を止めた。
「それが、レトさんが戦略級である理由です」




