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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち  作者: 硝子玉の宇宙


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第6話-箱庭の娘たち概論

 惑星監理局に配属される者は、例外なく優秀である。


 少なくとも、普通の意味での新人はいない。


 各惑星の行政機関、軍事組織、研究機関、医療機関、魔術技術局、外交調整室。そこから選抜され、推薦され、審査され、時には引き抜かれてここへ来る。若くとも実績があり、経験があり、自分の専門領域ではすでに一人前以上の評価を得ている者たちだ。


 だが、惑星監理局では、それでも新人だった。


 監理局で扱うものは、国家ではない。


 惑星でもない。


 時には、文明そのものですらない。


 硝子玉の宇宙に存在する秩序、その継続性。そのために必要ならば、局員たちは惑星規模の災害、文明間戦争、神性存在の発生、魔術汚染、外部秘匿案件、そして分類不能の存在と向き合う。


 だから新人研修は厳しい。


 四日目。


 研修予定表に記されていた講義名は、短かった。


 箱庭の娘たち概論。


     ◆


 講義室は、通常区画にはなかった。


 新人三十名は、監理班の職員に案内され、本庁舎の地下深くへ降りた。そこからさらに認証を三つ通過し、魔力反応検査、記録媒体検査、通信遮断確認を受ける。


 最後にたどり着いたのは、窓のない白い部屋だった。


 椅子と机が整然と並んでいる。壁面には投影装置。天井には感知器。床面には多重術式の封印ラインが薄く走っていた。


 完全隔離空間。


 外部との通信は遮断され、内部で発生した音声、映像、魔力波形、思考補助端末のログまで、すべて持ち出しが禁止される。


 新人たちは席についた。


 講義開始時刻の一分前、前方の扉が開く。


 入ってきたのは副長だった。


 金髪の細身長身。常に笑顔、またはうっすら笑顔を浮かべている男。昨日までの研修では、穏やかで冗談も交える、余裕のある上官として振る舞っていた。


 だが、その日の副長は笑っていなかった。


 いや、口元にはいつもの薄い笑みがあった。


 けれど、それは温度のない笑みだった。


「着席のままで結構です」


 副長は教卓の前に立った。


「本日の研修は、箱庭の娘たち概論。惑星監理局に在籍する三名の特異存在について、基礎情報、接触規定、能力概要、ならびに最重要秘匿事項を共有します」


 室内の空気が変わる。


「講義に入る前に、同意確認を行います」


 壁面に文書が投影された。


 記録禁止。


 漏洩禁止。


 外部流出の際は、記憶消去措置を行ったのち、監理局から懲戒処分が言い渡される。


 講義内容を無断で複製、筆記、端末記録、魔術記憶補助、外部者への伝達、暗号化保存、私的符号化することを禁ずる。


 また、この同意に応じない者は本研修を受けることができず、今後一切、箱庭の娘たちと接触する職務には就けない。


 新人たちは黙って文面を読んだ。


 厳しすぎる、という表情をした者はいなかった。


 ここが惑星監理局である以上、機密研修があること自体は予想していた。だが、記憶消去措置という言葉が正式文書に出た瞬間、誰もが理解する。


 これは、危険物の扱いではない。


 危険な情報の扱いだ。


「同意できない方は、今この場で退室してください。不利益はありますが、処分ではありません。適性外として、別職務に配置されます」


 誰も立たなかった。


 副長は一人ずつ視線を向けた。


 確認のためではない。


 覚えるための視線だった。


「全員、同意とみなします」


 壁面の文書が消える。


 代わりに、三つの名前が表示された。


 レト。


 ロジー。


 エル。


「まず、共通分類から説明します」


 副長の声は静かだった。


「箱庭の娘たち。閉ざされた硝子玉の宇宙内で発生、または確認された、人間型の魔力生命体を指す監理局内分類です。身体構造は人間に近く、血液、体温、痛覚、食欲、睡眠欲を有します。人格もあります。職務能力もあります。感情もあります」


 そこで副長は、ほんの少し間を置いた。


「そして、彼女たちは幼体のまま成熟します」


 新人の一人がわずかに眉を動かした。


「肉体は少女の姿で安定し、一般的な人間のように成人体へ移行しません。ですが、これは精神が未熟なまま固定されるという意味ではありません。経験、知識、責任能力、職務能力は個体ごとに異なります。従って、幼い容姿のみを根拠に庇護対象としてのみ扱うことを禁じます」


 副長の声は、そこで少しだけ硬くなった。


「同時に、職務能力のみを根拠に大人としてのみ扱うことも禁じます」


 新人たちは、誰もメモを取らない。


 取れない。


 ただ聞き、覚えるしかなかった。


「この二つを間違えると、彼女たちを傷つけます。あるいは、あたたたち、ひいては我々の組織が死にます」


 室内が静まり返る。


 副長は淡々と続けた。


「では、個別説明に入ります」


     ◆


 壁面に、レトの画像が映された。


 淡緑の長い髪。左側頭部で結ばれたワンサイドテール。青いキューブの髪飾り。身長百五十センチ。


 映像の中のレトは、食堂でプリンを前にしていた。


 スプーンを握りしめ、何かを大真面目に主張している。音声はないが、表情だけで騒がしさが伝わる。


 何人かの新人が、少しだけ緊張を緩めかけた。秘匿情報研修でこれを見せられる意味を深く考える者も多くいた。


 副長は、それを見逃さなかった。


「レトさん。戦闘班所属、単騎、遊撃。出自は硝子の彗星。星間を流れていた硝子質の魔力が凝集し、人間型の生命体として発生しました」


 映像が切り替わる。


 訓練室。


 レトが床を蹴る。


 次の瞬間、映像上の彼女の姿がぶれた。空間に青白い線が走り、無数の硝子短剣が展開される。透明な刃は美しく、同時に、訓練用標的を一瞬で包囲した。


 新人たちの表情が変わる。


「魔力性質は硝子質。青白い高熱を伴います。空間干渉適性が高く、硝子細工状の魔力造形、特に短剣群の生成と遠隔制御を得意とします。空間硝子化、瞬間移動に近い機動、熱光線、広域制圧を含む戦闘能力を有します」


 副長は端末を操作した。


 画面に、いくつかの文字が表示される。


 戦略級。


「彼女の魔術出力は、人間の限界を遥かに凌駕しています。局内基準では戦略級に分類されます。条件次第では、単独で戦場の局面を変えます」


 誰かが小さく息を呑んだ。


 映像の中で、レトが訓練相手の背後に現れる。空間魔術を応用した空間転移。


 首元へ硝子の刃が止まる。


 判定音。


 次の映像では、レトが廊下で手動ドアの前に立ち、箱を抱えて困っていた。


 泣きそうな顔で、扉へ何かをお願いしている。


 新人たちは、一瞬反応に困った。


 副長は言う。


「また、レトさんは情緒面に幼さを残しています。明るく、素直で、少々依存傾向があります。局長を『お兄さん』と呼び、強い信頼と愛着を向けています。この呼称は彼女と局長の信頼関係の上に成り立っています、安易に矯正しようとしたり、見くびることは許しません。」


 副長の声には、からかいがなかった。


「彼女たちは人間ではありません、生まれ方は皆一様ではありません。レトは硝子の彗星から生まれました。無機物由来の出自を持ちます。そのため、物に対して自分に近しいものという認知を残しています。人間社会での学習により、物は物であると理解していますが、困った時や緊張時には、物に語りかけることがあります」


 映像の中で、レトが扉に向かって真剣に頭を下げている。


「これは演技ではありません。あざとさでもありません。彼女の認識の根幹に由来する振る舞いです。笑うなとは言いません。実際、私も耐えきれないことがあります」


 新人たちの何人かが、思わず副長を見た。


 副長は真顔だった。


「ですが、嘲笑は禁じます。 infantilize、すなわち幼児扱いして責任から外すことも禁じます。彼女は戦闘班員です。任務を担います。判断もします。失敗もします。褒め、叱り、守り、任せてください」


 映像が止まる。


 レトが青い硝子短剣を展開した姿で静止する。


「接し方の基本は三つ」


 副長が指を一本立てた。


「第一に、出力ではなく人格を見ること。彼女は兵器ではありません」


 二本目。


「第二に、幼さを理由に職務能力を軽んじないこと。任務の遂行能力に不信を持たないこと。彼女は立派な局員です」


 三本目。


「第三に、精神的安全を軽視しないこと。戦略級の魔術を持つ幼い心は、雑に扱っていいものではありません。彼女が安定して笑っていることは、監理局の安全保障にも関わります」


 誰も笑わなかった。


 プリンを前にした少女と、戦略級の戦闘班員。


 その二つが、同じ人物である。


 新人たちはようやく、その意味を理解し始めていた。


     ◆


 次に映ったのは、ロジーだった。


 ピンク髪のツインおさげ。身長百136センチ。頭上に浮かぶデバイス。映像の中の彼女は、廊下の床に座り込んで、きらきらしたシールとアクセサリーを並べていた。


 ホログラム表には、かわいい度、きらきら係数、並べた時の相性、レト反応予測、エルが魔法アイテム化しそうな危険度、などの項目が並んでいる。


「ロジーさん。情報班。通称アカシックレコードオフライン所属」


 副長が言った。


「出自に関する詳細は、さらに上位の閲覧制限がかかっています。本講義で共有する範囲は、禁忌指定の魔道書を読了した結果、脳機能に重大な損傷を負い、現在は頭上のデバイスによって思考制御を補助している、という点までです」


 新人たちは映像を見る。


 ロジーは笑っている。


 床でおもちゃを広げ、通りすがりの職員に何かを見せている。


「彼女は騒がしく、距離が近く、誰とでも仲良くなろうとします。子供のような感性を持ち、かわいいもの、記録すること、見たことのないものを好みます」


 映像内で、職員がロジーに話しかけた。


 次の瞬間、空中に膨大な量のホログラムモニターが展開され、資料索引を開始した。彼女は床に座ったまま、片手でアクセサリーを分類し、もう片方で報告書、過去ログ、施設データ、星域記録を引き出していく。


 その速度は、映像越しでも異常だった。


「業務能力は、我々人間を遥かに凌ぎます」


 副長は断言した。


「軽率な態度で、恐ろしいほどの情報を索引し、分類し、解決へ向かいます。彼女は己が見聞きしていない情報も把握していることがあります。本人は『索引能力と記憶力が良いだけ』と言い張ることがありますが、その言葉を額面通りに受け取らないでください。多少の警戒心を持って接するように」


 新人の一人が表情を引き締めた。


「ロジーさんに対して、容姿や振る舞いを根拠に責任を与えないことを禁じます」


 副長の声が少し重くなった。


「また、軽んじることを禁じます」


 映像の中で、ロジーが笑っている。


 だが、ホログラムの中では、七十年以上前の移民記録、現行設備ログ、神性存在の兆候解析、職員の報告書修正履歴までが同時に整理されていた。


「彼女は弱い、と評価されることがあります。身体能力、継戦能力、直接出力の面では事実です。しかし、それを理由に彼女を小さく扱うなら、あなたは情報班の仕事を理解していません」


 副長は新人たちを見渡す。


「ロジーさんは、監理局における記録と索引の中核です。彼女の判断は多くの案件で初動を左右します。彼女がふざけた口調で言ったことが、直近で十七の案件で市民の命を救ったこともあります。彼女が笑いながら指摘した一文が、惑星間紛争を未然に止めたこともあります」


 映像が切り替わる。


 夜の情報班。


 ロジーが一人で端末の前に座っている。騒がしさはない。頭上のデバイスだけが淡く光り、彼女は無数の記録の海を見上げていた。


「接し方の基本」


 副長が言う。


「第一に、彼女の騒がしさを理由に、発言の価値を下げないこと」


 指が二本目を示す。


「第二に、彼女の業務能力を理由に、休息や保護を不要とみなさないこと」


 三本目。


「第三に、彼女が見たがる、記録したがる理由を、単なる趣味としてだけ片づけないこと、ただし、プライバシーの線引きはしっかりと指摘すること」


 新人たちは黙っていた。


 子供のように騒ぐ少女。


 大人以上の知識を持つ情報班員。


 そして、そのどちらにも収まらない、どこか得体の知れない長命の雰囲気。


「ロジーさんは、自分の精神的な弱さを隠します。明るさで覆います。皆さんがそれに乗ることは構いません。むしろ、彼女はそれを望むことが多い。ですが、見ないふりをすることと、見守ることは違います」


 副長は端末を閉じた。


「そこを間違えないように」


     ◆


 三人目。


 壁面に、エルが映った。


 白髪のボブ。毛先に淡いピンク。身長百三十九センチ。ふわふわと床から少し浮きながら、廊下を歩く職員に小さな箱を差し出している。


 それまでの二人と同じように、映像だけを見れば、彼女は小さな少女だった。


 少し不思議で、少し眠そうで、何を考えているのか分かりにくい少女。


 副長はしばらく何も言わなかった。


 沈黙が長い。


 新人たちは、その沈黙で察した。


 ここから先が、本題なのだと。


「エルさん」


 副長は言った。


「分類上は、箱庭の娘たちに含まれます」


 分類上は。


 その言葉だけが、室内に残った。


「彼女の正体を説明する前に、この世界における魔術と魔法の違いを確認します、魔術とは何か、皆さんには当たり前の基礎です」


 壁面表示が切り替わる。


 魔術。


「一般に、我々が扱う魔術とは、魔力を術式に通し、体系化された手順によって現象を発生させる技術です。発火、治癒、通信、身体強化、空間固定、記録保存、精神干渉。分類は多岐にわたりますが、基本は同じです」


 副長は教卓に手を置いた。


「魔力というエネルギー、術式という構造、発動条件、制御条件、消費量、解除条件。魔術は技術です。再現性があり、検証ができ、失敗理由を解析できます。高度な魔術ほど複雑ではありますが、それでも過程があります」


 新人たちはうなずく。


 この程度は、彼らにとって基礎だった。


「では、魔法とは何か」


 表示が切り替わる。


 魔法。


 説明文はない。


「この世界で魔法と呼ばれるものは、おとぎ話の言葉ではありません。旧世代の力です」


 旧世代。


 その単語で、何人かの新人が息を止めた。


 歴史以前の文献に出てくる存在。


 宇宙よりも長い時間を生きるとされる生物。


 現実と精神の境界を持たず、思考そのものが現象になると記されるもの。


 多くの者にとって、それは神話か、古代資料の比喩だった。


「旧世代は、名前を持ちます」


 副長は言った。


「我々の名前とは違います。識別名ではありません。社会的な呼称でもありません。旧世代にとって、名前とは存在定義そのものです。名前が意味する力しか使えず、名前が示す在り方に縛られます。名前の否定は、存在の否定です」


 壁面に、一つの文字列が映る。


 elkore_felico


「エルさんの本当の名前です」


 室内の空気が、完全に止まった。


「意味は、本当の幸せ」


 副長は淡々と告げた。


「エルさんは旧世代です。そして、この硝子玉の宇宙の創造者です」


 誰も動かなかった。


 言葉の意味が大きすぎて、すぐには理解が追いつかない。


 副長は続ける。


「我々が暮らすこの硝子玉の宇宙は、エルさんの内側にあります。より正確に言えば、エルさんの脳内に存在する宇宙です」


 新人の一人が、机の端をつかんだ。


 別の新人が、無意識に天井を見上げた。


 そこには白い隔離室の天井しかない。


 だが、その向こうにあるはずの宇宙全体が、突然、別の意味を持ちはじめた。


「本当の宇宙とは隔絶された硝子玉の宇宙。その理由の中核が、これです」


 副長の声は揺れなかった。


「この情報は、本研修以前の者に漏らしてはいけません。一般職員にも開示段階があります。外部流出は、文明規模の混乱につながります」


 壁面に、エルの映像が戻る。


 中庭で、彼女は小さな魔法アイテムを浮かべて遊んでいた。


「エルさんが行使する力を、監理局では魔法と定義します。術式によって制御される魔術ではありません。彼女の願い、思考、認識が、結果として現実に顕現します」


 副長は新人たちの表情を見た。


「旧世代の魔法、文献で見たことがある方もいるでしょう、正式名称は『想像の魔法』旧世代の魔法は、思い、願うだけで世界の法則を書き換えます、そして過程を無視します」


 その言葉は、静かだった。


 だが、重かった。


「例えば、誰かが怪我をしている。治したいと願う。魔術であれば、損傷部位を確認し、生命維持、感染対策、組織再生、拒絶反応、魔力負荷、術後安定を考慮します。過程があり、限界があり、失敗理由があります」


 副長は指先で机を軽く叩いた。


「魔法は、願うだけで結果へ飛びます。治る、という結果が先に来ます。途中の整合性は、必要に応じて現実が後から合わせられる。あるいは、合わせられないまま歪む」


 新人の喉が鳴った。


「もう一つ例を挙げます。戦争を止めたいと願った場合、魔術や行政であれば、停戦交渉、補給遮断、指揮系統の調整、民間被害の抑制、戦後処理を考えます。魔法は、戦争が止まるという結果へ飛ぶ可能性があります」


 副長の目が、少しだけ細くなった。


「その時、兵士全員の戦意が消えるのか。武器が消えるのか。国家が消えるのか。怒りの記憶が消えるのか。そもそも戦争が起きなかったことになるのか。それは、彼女の認識と願いの形に左右されます」


 誰も声を出さない。


「これが、魔法です。万能に見えるかもしれません。ですが、過程を無視する力は、我々が守るべきものまで飛び越えることがあります」


 壁面に、エルの台詞が表示された。


 それは幸せ?


「エルさんと接する際、最も警戒すべき問いです」


 副長は言った。


「彼女は人間が好きです。人間の幸せに強い関心を持っています。ですが、人間の感覚、感情、倫理、痛み、選択、後悔、納得、そうした尺度を完全には共有していません」


 副長の声は穏やかだった。


「従って、彼女が『それは幸せ?』と問うた時、安易に肯定してはいけません。安易に否定してもいけません、彼女の名前に触れる問いです、この問いへの回答は、彼女の魔法の発動の引き金になります。あなたたちの気軽な返答が、この世界を歪める可能性を秘めています。」


 表示に、応対指針が並ぶ。


 個人の感じ方に戻すこと。


 全体化しないこと。


 本人の同意を確認すること。


 過程の価値を説明すること。


 必要なら局長、副長、または許可者へ引き継ぐこと。


「回答例を示します」


 副長は壁面の文章を読み上げる。


「『その人がそう感じるなら、幸せかもしれません』」


「『嬉しい人もいますが、そうでない人もいます』」


「『使う前に本人へ聞くべきです』」


「『悲しみや疲れがあること自体が、その人にとって必要な場合もあります』」


「『すぐに消すより、支える方がよいこともあります』」


 副長は新人たちを見る。


「最悪の回答例は、『全員が幸せになるなら何をしてもいい』です」


 空気が冷えた。


「その言葉を、エルさんの前で言わないでください」


     ◆


 そこで、一人の新人が手を挙げた。


 軍務経験のある男だった。昨日の研修でも質問は的確で、感情より実務を優先するタイプに見えた。


 副長が視線で促す。


「質問を」


「はい」


 男は立ち上がらずに言った。


「エルさんの力が、説明通りのものであるなら、我々のような職務は必要ないのではありませんか、過程の無視による事象の発現を制御する方針さえ固まれば、我々の業務の必要性は極小さいものとなります、なぜ、そのような措置をとらないのでしょうか」


 室内の何人かが、わずかに反応した。


 問うべきではない、という顔ではない。


 誰もが一度は考えたことだった。


「惑星規模の災害、戦争、神性存在の発生、魔術汚染。そうした問題を、結果として解決できる力があるのなら、監理局が複雑な手順を踏む意味は何なのでしょうか」


 副長は少しだけ沈黙した。


 怒ってはいない。


 むしろ、その問いを待っていたようだった。


「気持ちは分かります」


 副長は言った。


「その疑問は自然です。私も、かつて同じことを考えました」


 新人たちは副長を見る。


「ですが、先ほど説明した通り、魔法は過程を無視するものです。危険性について説明します。ひとつ、過程は不可逆性を帯びることもあります。ひとつ、全ての過程を把握することは不可能です、魔法の行使者であるエルさんでさえ。ひとつ、そもそも幸せの定義付けを行うのは、エルさん個人です。」


 副長は壁面に、惑星紛争の簡略図を映した。


「我々の職務は、単に問題を消すことではありません。なぜそれが起きたのか。誰が傷ついたのか。誰が責任を負うのか。誰が納得し、誰が納得できないのか。どの痛みを残し、どの傷を癒やし、どの選択を尊重するのか。それらを扱うことです」


 図が変わる。


 災害支援。


 医療搬送。


 停戦交渉。


 魔術汚染封鎖。


 記憶保護。


「結果だけを整えるなら、過程で生じるはずだった学習、償い、選択、関係修復、責任の所在が失われることがあります」


 副長は続ける。


「そして、エルさん個人の幸せが、我々の幸せであるとは限らない。彼女の魔法は、全員を等しく幸せにする万能の力ではありません、彼女が幸せだと認識した事象を世界に適用する力です」


 新人の男は黙って聞いていた。


「エルさんの魔法は、強大です。ですが、彼女は人間ではありません。人間を愛していますが、人間の心を人間と同じ尺度では理解しません。だから、我々が必要です」


 副長の声は静かだった。


「我々は、魔法の代用品ではありません。魔法に頼らずに済む過程を作るためにいます。あるいは、魔法が発生した時、人間が人間でいられる形に戻すためにいます」


 壁面の図が消える。


「惑星監理局は、エルさんを管理しているわけではありません」


 その言葉に、新人たちが反応した。


「正確には、管理できません」


 副長は言い直した。


「レトさんも、ロジーさんも、エルさんも、制御盤の中に収められる存在ではありません、本来、我々の監理など抜け出してすべてを破壊する程の力を持っています。しかし、彼女たちはここを居場所にしてくれています。我々は、その居場所が壊れないようにしているだけです。」


 副長は、少しだけ笑った。


 今度の笑みには、温度があった。


「そして彼女たちが、今日も食堂でプリンを食べ、廊下で騒ぎ、中庭で何かを作っている。それが、この宇宙の安全保障に直結している場合があります」


 新人たちは、誰も笑わなかった。


 それが冗談ではないと、もう分かっていた。


     ◆


 講義はさらに続いた。


 箱庭の娘たちへの接触規定。


 業務依頼時の手順。


 個別許可が必要な情報範囲。


 レトを任務に同行させる際の精神負荷確認。


 ロジーに照会する際の情報倫理。


 エルの未検査アイテムを発見した場合の回収手順。


 エルが「幸せ」に関する問いを発した時の応対。


 局長、副長、医療班、技術班、情報班への連絡経路。


 そして、開示情報の段階管理。


 新人たちは疲れていた。


 肉体ではなく、認識が疲れていた。


 昨日まで廊下で見かけた少女たちが、別の意味を持ちはじめている。


 手動ドアにお願いしていたレト。


 床でアクセサリーを広げていたロジー。


 小さな箱を抱えて、職員に「これ、見る?」と聞いていたエル。


 そのすべてが本当で。


 それだけではまったく足りなかった。


「最後に」


 副長は言った。


「この研修を受けたからといって、彼女たちへの態度を急変させないでください」


 新人たちは顔を上げた。


「怖がりすぎることも、崇めることも、避けることも禁じます。彼女たちは敏感です。特にレトさんは、周囲の空気の変化を自分のせいだと受け取りやすい。ロジーさんは、変化の理由を高確率で察します。エルさんは、変化そのものに興味を持ちます」


 副長は少しだけ目を伏せた。


「いつも通りに接してください。ただし、知らなかった頃と同じ無知ではいないでください」


 重い沈黙が落ちる。


 その時、隔離室の外側で、何かが小さく鳴った。


 副長が端末を確認する。


 ほんの一瞬、彼の表情が変わった。


 苦笑に近い何か。


「……研修終了予定まで、あと七分ありますが」


 副長は壁面表示を切り替えた。


 外部カメラの映像が映る。


 隔離区画の外、認証扉の前。


 レト、ロジー、エルの三人がいた。


 レトは両手に小さな紙袋を持っている。ロジーはその横でホログラムを出し、何かのランキング表を回している。エルは片手に透明な球体を浮かべていた。


 音声はない。


 だが、レトが扉に向かって一生懸命何かを言っているのは分かった。


 ロジーが笑っている。


 エルが扉を見上げている。


 副長はこめかみに指を当てた。


「完全隔離空間なので、外部からは入れません。彼女たちにも伝えてあります」


 新人たちは映像を見る。


 レトが紙袋を掲げた。


 おそらく差し入れだ。


 ロジーがホログラムに大きく文字を出す。


 研修おつかれ!


 エルが透明な球体を振った。


 中から星がこぼれ、認証扉の前で小さな銀河が咲いて消えた。


 隔離室の中で、新人たちは誰も声を出さなかった。


 先ほどまで聞かされた情報が、頭の中に残っている。


 戦略級の魔術。


 記録の怪物。


 旧世代。


 魔法。


 硝子玉の宇宙の創造者。


 その言葉の重さを、まだ処理しきれていない。


 だが、映像の中の三人は、ただ扉の前で待っていた。


 研修が終わる頃に、差し入れを渡したいのだろう。


 たぶん、食堂で買った焼き菓子か何かを。


 副長は深く息を吐いた。


「見ての通りです」


 彼は言った。


「これが、箱庭の娘たちです」


 壁面の中で、レトがまた扉に向かって何かをお願いしている。


 おそらく、開けて、ではない。


 まだ開かないのは知っているはずだ。


 それでも扉に話しかけている。


 ロジーはその横で、差し入れの渡し方ランキングでも作っているのかもしれない。


 エルは透明な球体を眺めながら、星の瞬きを調整している。


 副長は言った。


「皆さんがこれから接するのは、資料上の特異存在ではありません。あの三人です」


 新人たちは、映像から目を離せなかった。


「恐ろしい力を持ちます。理解不能な部分もあります。扱いを誤れば、取り返しのつかないことになります」


 副長の声は、穏やかだった。


「ですが、まず挨拶をしてください。名前を呼んでください。廊下で会ったら、道を譲るだけでなく、必要なら会話をしてください。ロジーさんの遊びに巻き込まれたら、可能な範囲で付き合ってあげてください。エルさんの問いには、慎重に、誠実に答えてください。レトさんが親しげに話しかけてきたら、同じように親しく接してあげてください」


 最後の一文だけ、少しだけ副長らしかった。


 新人の何人かが、緊張の中で小さく息を漏らした。


「研修を終了します」


 副長は言った。


「この後、彼女たちと顔を合わせる可能性があります。態度を急変させないように」


 隔離術式が解除される。


 扉の封印ラインが一つずつ消えていく。


 新人たちは立ち上がった。


 外へ出る扉が開く。


 その瞬間、レトの声が飛び込んできた。


「おつかれさま!」


 明るい声だった。


 重い講義の後には、少し場違いなほど。


 レトは紙袋を抱えて、ぱたぱたと近づいてきた。


「研修、長かった? お菓子あるよ!」


 ロジーがその横から顔を出す。


「差し入れランキング第一位、食堂のバタークッキー! 理由、無難! 万人受け! 粉が落ちるけど許容範囲!制服が白っぽくなるだけ!!」


 エルは透明な球体を持ち上げた。


「見る? 振ると星が出る。今日は、少しだけ」


 新人たちは一瞬だけ固まった。


 だが、副長が横で静かに見ている。


 最初に、軍務経験のある男が一歩前へ出た。


「ありがとうございます。いただきます」


 レトの顔が明るくなる。


「うん!」


 ロジーがすぐに詰め寄る。


「どれにする? 甘いの? しょっぱいの? 今なら新人さん初回投票権つき!」


「投票権?」


「お菓子の満足度調査!」


「では、参加します」


「よし!」


 エルが男を見上げる。


「星、見る?」


 男は、副長の講義を思い出した。


 怖がりすぎるな。


 崇めるな。


 知らなかった頃と同じ無知ではいるな。


 彼は少しだけ息を整えた。


「はい。見せてください」


 エルは透明な球体を軽く振った。


 小さな星が、隔離区画の白い廊下にこぼれた。


 銀河の渦が一つだけ生まれ、音もなく消える。


 それは恐ろしくは見えなかった。


 ただ、息を呑むほど静かだった。


「きれいですね」


 男が言った。


 エルは瞬きをした。


「うん」


 レトが隣で笑う。


「でしょ!」


 ロジーがすかさず記録する。


「新人さん、星オーナメント初見反応、きれいですね! いただきました!」


「この場での記録は禁止では?」


 副長を見ながら、男が思わず言う。


 ロジーはにやっと笑った。


「私の頭の中の感想ランキングだから、外に出さなければぎりぎり!」


 副長が後ろから言った。


「ぎりぎりではありません。後で確認します」


「副長、厳しい!」


「当然です」


 廊下に、小さな笑いが起きた。


 新人たちはその笑いの中に立っていた。


 四日目の研修で知った真実は、あまりにも重い。


 この宇宙の形すら変えてしまうほどの情報だった。


 だが、その真実を抱えたまま、目の前には三人の少女がいる。


 お菓子を配り、ランキングを作り、星を見せてくれる。


 箱庭の娘たち。


 制御しきれない存在。


 それでも、ここを居場所にしてくれている存在。


 新人たちは、その意味をまだ完全には理解していない。


 けれど、最初の一歩だけは分かった。


 恐怖でも、崇拝でもなく。


 まずは、名前を呼ぶこと。


 廊下の白い光の中で、レトが紙袋を差し出した。


「はい、どうぞ!」


 新人はそれを受け取った。


「ありがとう、レトさん」


 レトは少しだけ照れたように笑った。


 その後ろで、エルの星がもう一度だけ瞬いた。



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