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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち  作者: 硝子玉の宇宙


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第5話-子供と大人、無垢と警戒

 惑星監理局の中央廊下は、通行量が多い。


 監理班、情報班、技術班、医療班、生活班、戦闘班、調査班。部署をまたぐ職員たちが行き交い、端末を片手に報告を読み、通信を受け、時には走り出しそうになって副長に見つかり、静かに早歩きへ修正する。


 だから、本来なら廊下に物を広げてはいけない。


 通行の妨げになる。


 安全上の問題もある。


 備品なら即座に回収されるし、職員なら注意を受ける。


 だが、その日の中央廊下には、きらきらしたアクセサリーと小さなおもちゃが盛大に広げられていた。


「はい注目ー! 第二百三十七回、廊下できらきらかわいいランキング、臨時改訂版を開催しまーす!」


 ロジーだった。


 ピンク色の髪を左右のおさげにした、小柄な少女。頭上に浮かぶデバイスが、まるで司会進行用の照明みたいに明滅している。


 廊下の床には、透明なシートが敷かれていた。


 その上に、星形のヘアピン、硝子玉のストラップ、小さなリボン、謎の丸いぬいぐるみ、手のひらサイズの歯車玩具、光るシール、用途不明のきらきらした板などが整然と並べられている。


 整然と。


 騒がしい本人に反して、配置だけは異様に正確だった。


 通行帯は確保されている。非常時の搬送ルートも塞いでいない。壁面端末へのアクセスにも支障はない。床面センサーを避け、清掃ロボットの巡回線まで一本だけ残されている。


 つまり、廊下で遊んでいるように見えて、規則違反ぎりぎりの範囲内に収めていた。


 情報班の職員が、通りすがりにそれを見てため息をついた。


「ロジー、廊下は展示会場じゃないよ」


「展示会じゃないもん。ランキング発表だもん」


「それも駄目」


「大丈夫! 避難導線、搬送導線、清掃ロボ導線、全部確保済み! あと転倒リスク評価も出してる!」


 ロジーが指を振ると、空中にホログラム表が出た。


 導線図。


 危険度。


 通行予測。


 職員別の足運び傾向。


 清掃ロボットが左折時に一・八秒だけ迷う地点。


 すべてが表示されている。


 情報班の職員は黙った。


「……よくそこまでやったね」


「廊下で安全にかわいいを広げるには知性が必要だからね!」


「知性の使い方」


「最高でしょ!」


 ロジーは胸を張った。


 そこへ、生活班の職員が端末を抱えて歩いてきた。ロジーの床展示を見て足を止め、半分笑いながら声をかける。


「ロジー、今いい?」


「いいよ! この星ヘアピンの評価中だけど!」


「西側居住区の水循環ログ、昨日の夜から数値が少し揺れてる。情報班に照会する前に、前例あるか聞きたくて」


「西側、居住区、夜間、水循環、揺れ幅は?」


「三パーセント未満。周期は不規則」


 ロジーのテンションは変わらない。


 手にはまだ星ヘアピンを持っている。


 床にはおもちゃが並んでいる。


 けれど、その軽率な雰囲気に対して、言葉は正確無比だった。


「過去五年で似た揺れは四件!二件はフィルター交換直前だった、ひとつは居住区側の温度制御系と連動した誤差。残りひとつは技術班が試験運用してた節水術式の干渉だって!今回は周期が不規則なら、たぶん温度制御系じゃない。昨日の夜、技術班が西側の配管近くで何かしてた?」


「してた。小型魔力ポンプの交換」


「じゃあそれ!ロジーちゃん正解!交換後の初期同期が甘い。水循環そのものはまだ危険値じゃないけど、放置すると朝の使用量ピークで警告が出るかも。技術班に、交換機の初期同期ログと、三番系統の逆流抑制値を見てって言ってみて!」


 生活班の職員が端末に入力する。


「助かる。根拠、報告に引用していい?」


「いいよ。タグは情報班・設備相関・水循環・魔力ポンプ初期同期。あと、私の名前は出しても出さなくてもいい、やっぱ出して!!」


「出すよ。ありがとう」


「お礼はこのリボンの評価でいいよ!」


「え、評価?」


「この赤いやつ、かわいいと思う? 単体だと強いけど、星ヘアピンと並べると主張が喧嘩してる気がする!」


 生活班の職員は、ほんの少しだけ反応が遅れた。


 今、配管系統の異常予測を正確に返した相手が、同じ呼吸でリボンと星ヘアピンの相性に全力で悩んでいる。


 ロジーには、よくあることだ。


 それでも、慣れきることはない。


「……星ヘアピンと並べるなら、少し離した方がいいかも」


「やっぱり! 距離が大事! 人間関係とアクセサリー配置は距離感!」


「急に名言みたいにする」


「記録していいよ!」


「それはロジーの仕事でしょ」


「そうだった!」


 ロジーは笑いながら、ホログラム表に新しい項目を追加した。


 通り過ぎた職員たちは、何人か振り返る。


 騒がしい。


 幼い。


 廊下でおもちゃを広げて、きらきらしたものに点数をつけている。


 だが、仕事の話を振られた瞬間、その頭の中から出てくる情報は正確で、速く、余計な装飾がない。


 子供の感性に、大人以上の知識。


 そして時折、そのどちらでも説明できない気配が混じる。


 長く生きた者のような、という表現は正しくないのかもしれない。


 ロジーの身体は幼い。


 声も、仕草も、笑い方も、どうしようもなく子供っぽい。


 けれど、彼女が記録を扱う時だけ、廊下の空気がわずかに深くなる。いくつもの出来事を、いくつもの時間を、同時に見比べているような目をする。


 情報班の職員は、それを見るたびに思う。


 この子は、ここに座って遊んでいる。


 けれど、ただ遊ばせているわけではない。


 監理局は、ロジーを便利な記録装置として扱わないようにしている。扱ってはいけないと、何度も確認している。


 彼女は職員で、子供で、箱庭の娘で。


 そして、たぶん、そのどれか一つだけに押し込めた瞬間、こちらが何かを間違える。


「はい、次! この謎の丸いやつ、かわいいけど用途が不明なので加点!」


「用途不明で加点なの?」


 通りすがりの技術班職員が聞いた。


「用途が分かったら普通になっちゃうかもしれないじゃん!」


「未知への評価が高い」


「技術班もそうでしょ?」


「否定できない」


 廊下に笑いが起きた。


     ◆


 同じ頃、中央廊下の反対側では、エルがちまちまと歩いていた。


 浮かずに歩くと、彼女の歩幅は小さい。


 白い髪の毛先に淡いピンク色を揺らしながら、ぺた、ぺた、と床を踏む。靴音はほとんどしない。気を抜くとふわりと浮いてしまうため、歩いているだけで少し集中しているようにも見えた。


 その両手には、小さな箱が抱えられている。


 箱の中には、魔法アイテムが入っていた。


 少なくとも、職員たちはそう予想した。


 エルが箱を抱えて廊下を歩いている時、それがただのお菓子である確率は低い。もちろん、たまに本当にお菓子のこともあるので油断はできない。


「おはよう、エル」


 医療班の職員が声をかける。


「おはよう」


 エルは足を止め、少し顔を上げた。


「これ、見る?」


「何かな」


「押すと、眠くない人がちょっとだけ眠そうな気分になるボタン」


 医療班の職員は、微笑んだまま一拍置いた。


「……それは医療班で確認してから使おうね」


「うん。使ってない」


「えらい」


「押す?」


「押さないかな」


「そっか」


 エルは素直にうなずき、また歩き始めた。


 少し進むと、今度は技術班の職員が壁面端末を点検していた。


「エルさん、おはようございます」


「おはよう。これ、見る?」


「新作ですか?」


「たぶん。昨日、できた」


「昨日できたものは、まず技術班へ提出してください」


「今、持っていく途中」


「それなら安心です」


 技術班の職員は笑った。


 エルは箱を少しだけ開けた。


 中には、丸い銀色の鈴が入っている。


「鳴ると、探し物がこっちを見つけてくれる鈴」


「探し物が、こちらを?」


「うん」


「……対象は物品限定ですか?」


「たぶん」


「人や記憶や概念は対象に入りますか?」


「試してない」


「試さずに提出してください」


「分かった」


 エルは箱を閉じた。


 技術班の職員は笑顔を保っていた。


 保っていたが、端末を持つ指先だけが少し速く動いた。技術班共有チャンネルに、短い警戒通知が送られる。


 未検査アイテム。探し物誘導系。対象範囲不明。エル本人は技術班へ移動中。穏やかに受け入れ準備。


 監理局の職員たちは、エルに対して優しい。


 それは本当だった。


 廊下で会えば挨拶をする。話しかけられれば立ち止まる。彼女が見せたがるものを、可能な範囲でちゃんと見る。子供をあしらうようにはしない。けれど怖がらせるような態度も取らない。


 エルはふわふわしている。


 何を考えているのか分かりにくい。


 けれど、誰かに何かを見せたがる時の彼女は、少しだけ分かりやすい。自分が作ったものを、誰かがどう受け取るのか見ている。反応を待っている。人間の感じ方を、ひとつずつ確かめている。


 だから職員たちは、できるだけ穏やかに返事をする。


 ただし。


「ねえ」


 エルが、通りかかった生活班の職員に声をかけた。


「なあに?」


「これ使ったら、幸せ?」


 その一言で、空気がほんのわずかに変わった。


 悟られるほどではない。


 足を止めた職員は、にこやかな表情を崩さなかった。周囲の職員も、急に振り向いたりはしなかった。だが、近くの壁面端末に向かっていた技術班の職員が、何気なく視界の端でエルを確認する。少し離れた監理班の職員が、通信の音量を下げる。生活班の職員は、ほんの半拍だけ答えを選んだ。


 エルは箱の中から、小さな布の花を取り出していた。


 花びらは淡く光っている。中心に、銀色の鈴が縫い込まれている。揺らすと、音ではなく、柔らかい光がこぼれた。


「これを見たら、眠れない人が、ちょっと笑うかなって思った」


 生活班の職員は、ゆっくり息を吸った。


「そうだね。眠れない人が、これを見て少し安心できたら、それは嬉しいと思う」


「嬉しいのは、幸せ?」


「その人が、そう感じたなら」


 エルは目を瞬かせた。


「感じない人もいる?」


「いるかもしれない。眠れない理由は、人によって違うから」


「じゃあ、全員に使うのはよくない?」


「うん。まずは、その人に聞いた方がいいと思う」


 生活班の職員の声は穏やかだった。


 決して否定しすぎない。


 決して肯定しすぎない。


 エルが差し出す創造物は、たいてい優しい顔をしている。小さくて、綺麗で、誰かのために作られているように見える。


 けれど、彼女の「幸せ」は、時々、人間の境界線を軽々と越えようとする。


 未知の結末を招く。


 だから職員たちは慎重になる。


 エルを怖がっているわけではない。


 ただ、彼女が持っているものの大きさを知っている。


 少なくとも、知らないふりをしてはいけない程度には知っている。


「聞く」


 エルは言った。


「使う前に、聞く」


「うん。それがいいと思う」


「分かった」


 エルは布の花を箱へ戻した。


 そして、生活班の職員を見上げる。


「教えてくれて、ありがと」


「どういたしまして」


 その返事を聞いたエルは、少し満足そうに歩き出した。


 ぺた、ぺた。


 小さな歩幅で、技術班へ向かう。


 その後ろ姿を見送って、生活班の職員は静かに肩の力を抜いた。


 近くにいた監理班の職員が、軽く目を合わせる。


 大丈夫だった。


 そう確認し合う程度の、小さな視線。


 誰も騒がない。


 誰も彼女を遠ざけない。


 ただ、答えを間違えないようにする。


 この廊下では、それも日常の一部だった。


     ◆


 ロジーのランキング会場は、ロジーが一人で盛り上がっていた。


「はい! 暫定一位は、青い星ヘアピン! 理由は、単体性能、光反射、レトの髪飾りとの親和性、あと私が好き!」


「最後、主観じゃない?」


 調査班の職員が言った。


「ランキングに主観が入らないと思うな!」


「堂々としている」


「でも客観指標もある! 光量、形状、触感、組み合わせ適性、食堂で落とした時の見つけやすさ!」


「食堂で落とす前提?」


「起きうる事故は評価項目!」


 ロジーは自信満々だった。


 その横で、清掃ロボットが透明シートの端に到達し、進路を迷って止まっている。


 ロジーはすぐに気づいた。


「あ、ごめん。そこ通る?」


 清掃ロボットは返事をしない。


 ロジーはシートの端を持ち上げ、巡回線を広げた。


「はい、どうぞ!」


 清掃ロボットが通過する。


「えらい! 今日も床を綺麗にしてる!」


 通りすがりの職員が笑った。


「ロジー、清掃ロボにまで話しかけるんだ」


「レトのリスペクト!」


「リスペクトならいいかな…いいかなあ?」


「レトは本気でお願いするからね。私は軽率に褒めるだけ」


「軽率に褒める」


「みんな褒められたら嬉しいでしょ。ロボもたぶん、仕事効率が上がる」


「根拠は?」


「私なら嬉しい!」


「主観」


「主観は大事!」


 ロジーがそう言ったところで、情報班の通信が入った。


 職員の端末ではなく、ロジーの頭上のデバイスに直接、光が走る。


 ロジーの明るさは変わらない。


「やほ、ロジー!うん。第三資料庫の照会? 対象、星域移民記録の古い版? いつの? 七十二年前。旧版と改訂版の差分? あるよ。今送るね!注意点は三つだけ。ひとつ、当時の自治表記は今と違う。ふたつ、移民船団の番号が後年の資料で統合されてる。みっつ、政治的に面倒な注釈があるから、外部提出版では注釈十九を落とさないで。落とすと意味が変わって記録の意味が消える!!」


 周囲の職員たちは、さりげなく足を止めた。


 ロジーは床に座ったまま、片手で星ヘアピンを分類し、もう片方の手でホログラムを操作している。


「送ったよ、見れた?ううん。違う、それは改訂版の索引。原本系は黒タグ。うん、それ。大丈夫。あと五分後に副長がその件聞くと思うから、先に要約作っといたほうが安心安全!」


 通信が切れる。


 ロジーは何事もなかったように、星ヘアピンを一位の枠へ置いた。


「この子が一位!」


「今の、何?」


 技術班の職員が思わず聞いた。


「仕事!」


「それは分かる」


「七十二年前の資料照会!」


「よく即答できるね」


「見たことあるし」


「七十二年前の資料を?」


「昔も見たけど、見るのは今でもできるじゃん!」


 ロジーはけろっとしていた。


 その言い方には、何でもないような軽さがある。


 けれど、聞いた職員は少しだけ黙る。


 資料を読んだことがある。


 覚えている。


 引き出せる。


 それだけなら、優秀な情報班員の能力として説明できる。 だが、規模と範囲が人間の能力を越えている。


 だがロジーの言葉には、時々、時間の距離を距離として扱っていないような響きがある。昨日の菓子の味も、七十二年前の移民記録も、同じ棚から同じ手つきで取り出しているような感覚。


 子供が床でおもちゃを並べている。


 その姿は間違いなく本当だ。


 だが、その小さな背中の向こうに、底の見えない記録の層がある。


 職員は、軽く息を吐いた。


「ロジー」


「なに?」


「無理はしてない?」


 ロジーは顔を上げた。


 一瞬だけ、デバイスの光が静かになる。


 それから彼女は、いつもの調子で笑った。


「してるかも! 今はランキングで忙しいからね!」


「そっか」


「心配するなら投票して! このリボン何点?」


「八十五点」


「高い! 理由は?」


「色がいい」


「雑! でも採用!」


 ロジーはまた騒ぎ出した。


 職員も笑った。


 深く踏み込みすぎない。


 でも、見ないふりもしない。


 ロジーと付き合うには、その距離感が必要だった。


     ◆


 エルは技術班へ向かう途中で、更に三回足を止めた。


 一回目は、医療班の職員に布の花を見せるため。


 二回目は、設備技師に「探し物がこっちを見つける鈴」の構造を見せようとして、構造が存在しないことを思い出したため。


 三回目は、廊下の窓際で休憩していた職員に声をかけるためだった。


「疲れてる?」


 エルが聞いた。


 職員は缶飲料を片手にしていた。夜勤明けの顔だったが、エルを見ると穏やかに笑った。


「少しね。でも休憩すれば大丈夫」


「これ、見る?」


「何かな」


 エルは箱から小さな透明の羽根を取り出した。


「持つと、体がちょっと軽くなる羽根」


「それは便利そうだね」


「使う?」


 職員は笑顔のまま、言葉を選んだ。


「今はやめておくよ。体が軽くなるのは助かるけど、疲れている時は、自分で疲れていることが分かるのも大事だから」


 エルは羽根を見た。


「軽くなったら、幸せだと思った、あなたは幸せ?」


 また、その問いだった。


 廊下の空気が、ほんの少しだけ細くなる。


 職員は缶飲料を置き、エルと目線を合わせるように少しかがんだ。


「軽くなって嬉しい時もあると思う。でも、疲れたから休まなきゃ、って分かることも、たぶん大事なんだ」


「休まなきゃは幸せ?」


「休めるなら、そう感じる人もいる」


「休めない人は?」


「その人には、休めるように手伝うのがいいかもしれない。でも、何が一番いいかは、その人に聞いた方がいい」


 エルはじっと聞いていた。


 責められているとは思っていないようだった。


 ただ、情報を受け取っている。


 人間は、こう答える。


 疲れている人に、軽くなる羽根を渡せばいいわけではない。


 疲れを消すことと、幸せになることは、同じではない場合がある。


「人間、分かりづらいね」


「うん。私たちも、自分で自分のことが難しい時があるよ」


「そうなんだ」


「そうなんだよ」


 エルは透明の羽根を箱へ戻した。


「じゃあ、これは技術班に見せてから、使いたい人に聞く」


「それがいいと思う」


「ありがと」


「どういたしまして」


 エルはまた、ちまちまと歩き始めた。


 職員はそれを見送ったあと、近くの壁に軽く背を預けた。


 緊張していたことに、少し遅れて気づく。


 エルとの会話は、楽しい。


 彼女は突拍子もないものを持ってくるし、発想は自由で、返事も素直だ。廊下で会えば、今日は何を作ったのかと聞きたくなる。彼女が何かを見せたがる姿は、微笑ましい。


 けれど、監理局の職員にとって絶対に間違えられない問いが来る。


 それは幸せ?


 たったそれだけの言葉が、職員たちの中にある警戒の糸を震わせる。


 なぜならエルは、ただ質問しているだけではないからだ。


 少なくとも、職員たちはそう理解している。


 彼女は本気で「幸せ」を形にすることができる、それが人間にとって本当に幸せなのか、誰にも即答できない。善意だから安全とは限らない。優しいから小さいとも限らない。


 だから、答える。


 丁寧に。


 穏やかに。


 彼女の好奇心を折らず、けれど人間の境界を少しずつ伝えるように。


 それが、監理局でエルと暮らすということだった。


 局長権限による統制下の情報、外部には知られてはいけない情報を、エルと職員は持っている。

     ◆


 やがて、ロジーのランキング会場と、エルの技術班行きの道が合流した。


 中央廊下の真ん中あたり。


 ロジーが床いっぱいに広げたきらきら群を前に、エルが足を止める。


「ロジー、なにしてるの」


「かわいいランキング!」


「かわいい」


「エルも投票する?」


「する」


「はい! この青い星ヘアピン、何点?」


 エルはしゃがんだ。


 星ヘアピンをじっと見る。


 職員たちも、なんとなく見守る。


「光る」


「うん!」


「レトの髪飾りと、近い」


「分かる! そこ高評価!」


「でも、レトのとは違う」


「違うね」


「じゃあ、これはこれで、いい」


「点数!」


「点数……」


 エルは少し考えた。


「星三つ」


「100点基準なの!」


「星三つ」


「聞いてないっ!!」


 ロジーが叫ぶ。


 エルは気にせず、箱をロジーの前に置いた。


「これも、ランキングする?」


「する! 何これ!」


「探し物がこっちを見つける鈴と、眠くない人がちょっと眠そうな気分になるボタンと、体がちょっと軽くなる羽根と、プリンの揺れを残すかもしれない布」


「最後のまだ未完成じゃん!」


「うん」


「未知のかわいさ…ランキング対象としては最高!」


 ロジーは目を輝かせた。


 周囲の職員たちは、同時に一歩だけ近づいた。


 自然な動作だった。


 誰も慌てていない。


 けれど、未検査の魔法アイテムが床の上のアクセサリー群に混ざる前に、さりげなく確認する必要があった。


 技術班の職員がしゃがむ。


「エルさん、それは提出予定のものですね」


「うん。見せてから持っていく」


「では、ランキングは外観のみでお願いします。使用は禁止です」


「外観のみ!」


 ロジーが復唱した。


「鳴らさない、押さない、持って軽くならない、プリンを揺らさないかもしれない!」


「プリンを揺らさないなら完璧です」


「揺らさない!私えらいから!」


「えらいですね」


 ロジーは得意げにうなずいた。


 エルも真似してうなずく。


 二人が床に並んで、未検査アイテムの外観ランキングを始めた。


「一位はこの羽根! 透明感がすごい!」


「でも鈴も、丸い」


「丸さ加点! でも危険度不明で審査保留!」


「保留」


「このボタン、押したくなるから危ない!」


「押す?」


「押さない! 押したい気持ちを評価する!」


「押したいのに押さないの、えらい」


「もっと褒めて!」


「えらい」


「やったー!」


 職員たちは笑った。


 笑いながら、見守っていた。


 ロジーははしゃいでいる。


 エルも楽しそうにしている。


 床に広がるきらきらしたものと、用途不明の道具たち。通行帯を確保しながら見物する職員。清掃ロボットが再び近づき、ロジーが「あ、ごめんね!」とシートを持ち上げる。


 どこを切り取っても、ばかばかしくて平和な光景だった。


 それでも、監理局の職員たちは知っている。


 この平和は、完全な管理の上に成り立っているわけではない。


 ロジーの情報索引能力を、監理局がすべて把握しているわけではない。


 エルの発想を、監理局が完全に予測できるわけでもない。


 箱庭の娘たちは、制御しきれる存在ではない。


 それは危険だから遠ざける、という意味ではなかった。


 むしろ逆だ。


 彼女たちは、ここにいてくれている。


 ロジーは廊下の床におもちゃを並べ、仕事を振られれば正確に応え、職員の投票に本気で喜ぶ。


 エルはちまちまと歩き、挨拶をし、作ったものを見せ、人間の答えをひとつずつ聞いてくれる。


 監理局が彼女たちを管理しているのではない。


 彼女たちが、監理局を居場所にしてくれている。


 その事実を、職員たちはよく知っていた。


「ねえロジー」


 エルが言った。


「なに?」


「これ、幸せ?」


 ロジーは床いっぱいのアクセサリーとおもちゃを見た。


 通行帯ぎりぎりで笑っている職員たちを見た。


 技術班が警戒しながらも、ちゃんとランキング表を覗いているのを見た。


 清掃ロボットが待っているのを見た。


 そして、自分のホログラム表に、星ヘアピンが暫定一位として輝いているのを見た。


「幸せ!」


 ロジーは即答した。


 周囲の職員たちが、ほんの一瞬だけ息を止める。


 だが、ロジーは続けた。


「少なくとも、私は今かなり楽しい! みんながどうかは、みんなに聞く! はい、アンケート取ります! 今この状況、楽しい人ー!」


 ロジーが手を挙げた。


 エルも真似して手を挙げた。


 近くの職員が、笑いながら手を挙げる。


 ひとり、またひとり。


 技術班の職員も、控えめに手を挙げた。


 医療班の職員も。


 生活班の職員も。


 清掃ロボットは手がないので、そのまま待機していた。


「清掃ロボは?」


 エルが聞く。


「通してあげたら楽しいかもしれない!」


 ロジーはシートを持ち上げた。


 清掃ロボットが、すいっと通過する。


「はい、清掃ロボも参加!」


「参加」


 エルは満足そうにうなずいた。


 廊下に、また笑いが起きる。


 その笑い声を聞きながら、少し離れたところで副長が立ち止まっていた。


 金髪の細身長身。いつもの薄い笑顔。手元の端末には、廊下使用許可の臨時申請画面が開かれている。


 申請者欄には、なぜかすでにロジーの名前が入っていた。


 許可理由欄には、こう書かれている。


『かわいいランキング開催のため。安全導線確保済み。職員の精神衛生に若干寄与する可能性あり。たぶん。』


 副長は少しだけ肩を震わせた。


 それから、許可を押した。


「副長!」


 ロジーが目ざとく見つける。


「投票して!」


「私は通りすがりです」


「通りすがり票!」


「その制度は初耳ですね」


「今作った!」


「では、この青い星ヘアピンに一票」


「分かってる! 副長、分かってる!」


 ロジーが歓声を上げる。


 エルが副長に布の花を見せる。


「これは?」


「幸せかどうかは、使用者に確認してから判断するべきものですね」


 副長は即答した。


 エルは少し目を開いた。


「みんな、同じこと言う」


「大事なことですから」


「そっか」


 エルは布の花を大切そうに箱へ戻した。


 副長は微笑んだ。


「ですが、見た目は良いと思います」


「ランキングする?」


「外観のみなら」


「ロジー、外観のみだって」


「分かってる! 鳴らさない押さない軽くならない揺らさない!」


「よろしい」


 副長はその場を離れなかった。


 通行の邪魔にならない位置に立ち、廊下で繰り広げられる奇妙なランキングを眺めている。


 監理局の中央廊下は、今日も忙しい。


 報告が飛び、職員が行き交い、端末が鳴り、清掃ロボットが床を磨く。


 その真ん中で、ロジーはきらきらしたものに点数をつけ、エルは小さな問いを抱えて歩き、職員たちは笑いながら、慎重に、穏やかに、その日常を支えていた。


 箱庭の娘たちは、制御盤の中に収まらない。


 規則だけでは測れない。


 けれど、呼びかければ振り向く。


 挨拶をすれば返してくれる。


 プリンがあれば集まってくる。


 面白そうなことがあれば、廊下の床に全部広げてしまう。


 それを許せる範囲に整えながら、許せない一線だけは越えないようにそっと支える。


 それが惑星監理局の日常だった。


「はい、最終結果ー!」


 ロジーが高らかに宣言する。


「一位、青い星ヘアピン! 二位、透明の羽根! 三位、謎の丸いやつ!」


「謎の丸いやつ、強い」


 エルが言った。


「用途不明の未来性が評価されました!」


「未来性」


「副長、講評!」


 突然振られた副長は、少しだけ考えた。


「通行の邪魔にならない範囲で開催された点は評価します。未検査物品の使用を避けた点も良好です。ただし、次回からは事前申請をしてください」


「はーい!」


「あと、清掃ロボットへの配慮は継続してください」


「清掃ロボ、次回審査員にする?」


「それは本人に確認を」


「本人……」


 エルが清掃ロボットを見た。


 清掃ロボットは、静かに床を磨いていた。


 ロジーは真剣な顔でうなずく。


「難しいね」


「難しいですね」


 副長は笑った。


 廊下は今日も、少しだけ騒がしい。


 そして、その騒がしさを、誰も本気で嫌がってはいなかった。



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