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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち【旧版】  作者: 硝子玉の宇宙
箱庭の娘たち

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69/135

第69話-だいすきだけど、だめなこと?

68話の続きだよ。

一緒にお風呂に入るのはもうだめ。

じゃあ、遊ぶのは?一緒に寝るのは?抱きつくのは?

何がよくて、何がダメになるのかわからなくなっちゃうレト。

不安で胸がいっぱい。

翌朝。


レトは、いつもより静かだった。


食堂の席についている。


淡緑の長い髪は、左側のワンサイドテールにきちんと結ばれている。

青いキューブの髪飾りも揺れている。

プリンもある。

牛乳もある。


なのに、静かだった。


ロジーは向かいの席で、スプーンを持ったまま固まっていた。


「……レトが静か」


エルは隣でパンを小さくちぎっている。


「異常?」


「かなり」


ロジーはデバイスを起動しようとして、少し迷った。


いつものロジーなら即記録している。


『レト、朝食時に静音運用。原因不明。重大事案』


くらい書く。


でも、今日は書かなかった。


昨日のことがある。


浴室前で、レトは大泣きした。


お兄さんと一緒に入れない。


前は一緒だったのに。


どうして。


なんで。


そのあと、ジェレミーは廊下で待っていた。


レトは何度も呼んだ。


「お兄さん!」


「いる」


「ほんとにいる?」


「いる」


「絶対?」


「絶対だ」


そのやりとりを何度も繰り返して、ようやくレトは落ち着いた。


そのあと髪を乾かしてもらい、プリンを一個半食べて、少し笑った。


だから大丈夫だと思っていた。


でも、違ったらしい。


レトはスプーンを持ち上げ、プリンを見て、また下ろした。


ロジーが小声で言う。


「プリンに勝ってる……」


「勝負?」


エルが首を傾げる。


「普段なら、レトはプリンを見ると食べる。今日はプリンがまだ生存してる」


「プリン、強い?」


「今日は強い」


レトが、ぽつりと言った。


「プリンは悪くないよ」


ロジーとエルが同時にレトを見る。


レトはうつむいたまま、スプーンを握っていた。


「わたしが、考えてるだけ」


ロジーは、少しだけ表情を変えた。


騒がしい顔から、ちゃんと友達の顔になる。


「何を?」


レトは答えなかった。


その時、食堂の入口からジェレミーが入ってきた。


いつも通りだった。


無駄のない歩幅。

静かな表情。

黒いコーヒー。

資料端末。


ただそれだけで、レトの肩がびくっと動いた。


「お兄さん」


「レト」


ジェレミーは短く返事をした。


いつもなら、レトはぱっと顔を輝かせる。


今日も輝きかけた。


けれど、その直前で止まった。


レトは椅子に座ったまま、両手をぎゅっと膝の上に置いた。


ジェレミーはその変化を見逃さなかった。


「どうした」


「……あの」


「言え」


「怒らない?」


「内容による」


「じゃあ、やだ」


ロジーが小さく噴き出した。


「局長、そこは怒らないって言う流れじゃない?」


ジェレミーはロジーを見た。


「嘘は言わない」


「誠実が硬い!」


副長が、いつの間にか食堂の端にいた。


「朝から教育案件ですか」


ロジーが振り向く。


「副長、自然発生しないで」


「私は職員ですから、食堂に来ます」


「でもタイミングが副長」


「褒め言葉として受け取ります」


レトは、副長には反応しなかった。


それどころではなかった。


ジェレミーを見て、また目を伏せる。


「お兄さん」


「何だ」


「お兄さんと一緒に寝るのは、いい?」


食堂の空気が、一瞬だけ止まった。


ロジーがスプーンを置く。


エルもパンを置く。


副長の笑みが薄くなる。


生活班の職員が、厨房の奥で動きを止めた。


レトは慌てて続けた。


「ちがうの!」


「何が違う」


「えっと、ちがうの! 昨日、お風呂はだめって分かったの。分かったけど、そしたら、ほかのこともだめかもしれないって思って」


言葉が早くなる。


「お兄さんと一緒に寝るのはいい? お兄さんとご飯食べるのは? お兄さんと遊ぶのは? お兄さんに髪乾かしてもらうのは? お兄さんの隣に座るのは?」


レトの目に、また涙が浮かんだ。


「じゃあ、じゃあ……」


声が震える。


「お兄さんに抱きつくのは?」


その最後の言葉だけ、ひどく小さかった。


レトは両手を握りしめた。


「これもだめ?」


誰もすぐには答えなかった。


答え方を間違えると、レトはもっと傷つく。


許すものと、許さないもの。


条件付きで許すもの。


今はいいが、場所を選ぶもの。


相手の同意が必要なもの。


昨日、レトは「だめ」を覚えた。


でも、まだ「だめではない」を覚えていない。


ジェレミーは、コーヒーをテーブルに置いた。


そして、レトの向かいに座った。


「確認する」


レトは小さく頷いた。


「うん」


「まず、食事」


「うん」


「一緒に食べていい」


レトの目が少し開いた。


「ほんと?」


「いい」


「毎日?」


「時間が合えばな」


「お仕事がなかったら?」


「そうだ」


レトは、少しだけ息を吐いた。


「ご飯、いい」


ロジーが小声で言う。


「一項目クリア」


副長が静かに言った。


「ロジー、今日は実況を抑えめに」


「はい」


叱られていないのに敬語になった。


ジェレミーは続ける。


「遊ぶこと」


レトの肩がまた上がる。


「うん」


「いい」


「ほんと!?」


「いい。ただし、仕事中は駄目だ。危険な遊びも駄目だ。エルの魔法アイテムを使う場合は検査後だ」


エルが小さく頷いた。


「検査後」


ロジーも言う。


「女子会空間も、通行の邪魔にならない範囲!」


副長が微笑む。


「よく覚えていますね」


ロジーは胸を張った。


「議事録があるから!」


レトは少しだけ顔を上げた。


「じゃあ、お兄さんと遊ぶの、いい?」


「いい」


「チェスは?」


「いい」


「射撃訓練見せてもらうのは?」


「安全距離を守るなら」


「プリンを半分こするのは?」


「私の分を取るな」


「半分こ……」


「相談ならいい」


「相談したら、たまにいい?」


「たまにな」


レトの顔に、少しだけ光が戻った。


でも、すぐにまた曇る。


「じゃあ、髪」


ジェレミーは答える。


「乾かす手伝いはできる」


「昨日みたいに?」


「そうだ。場所を選ぶ。生活班の待機室か、共有スペース。お前が嫌なら断れる」


「嫌じゃない」


「それでも、断れると覚えろ」


レトは真面目に頷いた。


「断れる」


「そうだ」


「でも、今はしてほしい」


「なら、できる」


レトは小さく頷いた。


「髪、いい」


ロジーは小声で言う。


「二項目どころじゃなく進んでる」


副長は小さく咳払いした。


ロジーは口を押さえた。


ジェレミーは、少しだけ間を置いた。


「次に、寝ること」


レトの身体が固くなる。


「……うん」


「同じ寝台で寝ることは、基本的にしない」


レトの顔が一気に歪んだ。


「やっぱり……」


「最後まで聞け」


レトは唇を噛んだ。


「うん」


ジェレミーは静かに続ける。


「怖い夢を見た時、眠れない時、不安が強い時、私を呼んでいい」


レトは瞬きした。


「呼んで、いい?」


「いい」


「夜でも?」


「夜でもだ」


「お仕事してても?」


「緊急案件でなければ対応する。私が無理な時は、生活班か医療班が来る」


「お兄さんじゃない時もある?」


「ある」


レトの目がまた潤む。


ジェレミーは言葉を重ねた。


「だが、無視はしない」


レトは黙った。


「一緒の部屋で、私が椅子に座って待つことはできる。扉の外で待つこともできる。手を握ることも、必要ならできる」


「手」


「そうだ」


「寝るまで?」


「寝るまで」


「起きたら?」


「まだ必要ならいる。いない時は、誰が見ていたか記録を残す」


レトは眉を下げた。


「記録……」


ロジーが小さく手を挙げる。


「それ、私の出番では?」


ジェレミーが即答した。


「違う」


「はい」


ロジーはすぐ引っ込んだ。


レトは少し考えた。


「じゃあ、お兄さんと一緒に寝るのは、だめだけど……お兄さんに、そばにいてもらうのはいい?」


「そうだ」


「お兄さんが椅子で?」


「そうだ」


「わたしがベッド?」


「そうだ」


「怖い時だけ?」


「必要な時だ。毎日ではない」


「毎日じゃない……」


レトは少し寂しそうにした。


ジェレミーは言った。


「毎日そばにいなければ眠れないようにするのは、お前のためにならない」


「でも、そばにいてほしい」


「そういう日があるのはいい」


「ある」


「あるな」


「いっぱいあるかも」


「少しずつ減らせ」


「減らすの、やだ」


「減らす」


「お兄さん、冷たい」


「そうだな」


「でも、来てくれる?」


「来る」


レトは、そこでようやく少しだけ笑った。


泣きそうなままの、ぎこちない笑いだった。


「寝るの、ちょっといい」


「そうだ」


副長が穏やかに口を挟んだ。


「分類としては、同衾不可、夜間不安時の付き添い可、接触は本人希望と状況確認の上で限定的に可、ですね」


レトが副長を見る。


「どうきん?」


ロジーが即座に言った。


「同じ布団で寝ること」


「それはだめ?」


ジェレミーが答えた。


「基本的に駄目だ」


レトは少しむくれた。


「基本的にって、例外ある?」


「医療上、緊急性がある場合だけだ」


「緊急……」


「普通の寂しいは緊急ではない」


「寂しいは大事件だよ」


ロジーが小声で言う。


「レト基準では宇宙規模」


エルが頷いた。


「寂しい、広がる」


ジェレミーは二人を見た。


二人とも黙った。


レトはまた膝の上で指を握った。


「じゃあ……」


声が小さくなる。


「抱きつくのは?」


食堂が、もう一度静かになった。


今度はさっきより深かった。


レトは俯いている。


「これも、だめって言われたら……わたし、ちょっと……」


言葉が続かない。


だめ。


その一言で、レトの中の何かがまた崩れそうだった。


ジェレミーは、すぐには答えなかった。


答えを遅らせたのではない。


軽く言わないためだった。


「レト」


「うん」


「抱きつくことは、駄目ではない」


レトの目が、ぱっと上がった。


「ほんと!?」


「ただし、条件がある」


「条件……」


レトの顔が不安で固まる。


ジェレミーは指を一本立てた。


「一つ。相手に確認する」


レトは瞬きした。


「お兄さんに?」


「私にもだ」


「お兄さんでも?」


「私でも」


「えっと……抱きついていい?って聞く?」


「そうだ」


レトはすぐに身を乗り出した。


「お兄さん、抱きついていい!?」


「今は待て」


「なんでぇ!」


「説明中だ」


「説明長い!」


「大事な話だ」


レトはしゅんと座り直した。


「うん……」


ジェレミーは二本目の指を立てる。


「二つ。場所を選ぶ」


「場所?」


「会議中、任務中、危険区域、訓練中は駄目だ」


「廊下は?」


「状況による。通行の邪魔になるなら駄目だ」


「食堂は?」


「相手が食事中なら避けろ」


「お兄さん、今、コーヒー飲んでない」


「飲む前だ」


「じゃあ、飲む前は?」


「急ぐな」


ロジーが口を押さえて震えている。


副長も少しだけ横を向いた。


ジェレミーは三本目の指を立てた。


「三つ。やめてと言われたら、すぐ離れる」


レトは真剣に頷いた。


「うん」


「相手が私でもだ」


「お兄さんが、やめてって言うことある?」


「ある」


レトの眉が下がる。


「あるの……?」


「仕事中、怪我をしている時、武器を持っている時、判断が必要な時」


「わたしのこと嫌いな時?」


「それはない」


レトは止まった。


ジェレミーは、もう一度言った。


「それはない」


レトの目が、じわっと潤んだ。


「ほんと?」


「本当だ」


「やめてって言うの、嫌いだからじゃない?」


「違う」


「忙しいから?」


「そうだ」


「危ないから?」


「そうだ」


「わたしが悪いから?」


「違う」


レトは、そこで大きく息を吸った。


昨日からずっと胸の奥に刺さっていたものが、少しだけ抜けたようだった。


「……じゃあ、やめてって言われても、嫌われたんじゃない?」


「違う」


「あとで、また抱きついていい?」


「確認してからな」


レトはこくこく頷いた。


「確認する」


ジェレミーは四本目の指を立てた。


「四つ。お前も断っていい」


レトは首を傾げた。


「わたしが?」


「そうだ」


「お兄さんが抱きしめようとしたら?」


「嫌なら断れ」


レトは目を丸くした。


「お兄さんを?」


「そうだ」


「そんなの、しない」


「今はな」


「しないもん」


「それでも覚えろ」


レトは納得していない顔をした。


ジェレミーは言った。


「好きな相手でも、断っていい」


レトは黙った。


「私でもだ」


「……お兄さんでも」


「そうだ」


レトは、昨日の言葉を思い出した。


お兄さんでも線がある。


それは悲しい言葉だった。


でも、今は少しだけ違って聞こえた。


お兄さんでも、断っていい。


それは、レトが大事にされている言葉でもあった。


「じゃあ」


レトは小さく言った。


「わたしが、今日は抱きつかないって言っても、お兄さん怒らない?」


「怒らない」


「寂しくならない?」


「少しはなるかもしれない」


レトは目を丸くした。


「なるの!?」


「なる」


「お兄さんも!?」


「私も人間だ」


ロジーが小声で言う。


「今の、かなり重要発言では?」


副長が頷く。


「記録したくなる気持ちは分かります」


「していい?」


「公開範囲を絞るなら」


ロジーのデバイスが小さく光った。


ジェレミーはレトを見ていた。


「だが、怒らない。お前が断ることと、私がお前を大事に思うことは、別だ」


レトはスプーンを握ったまま、じっと考えた。


考えすぎて、プリンの存在を忘れている。


プリンはまだ生存していた。


やがて、レトは恐る恐る言った。


「お兄さん」


「何だ」


「今、抱きついていい?」


ジェレミーは答えた。


「いい」


その瞬間、レトは椅子から飛び出した。


ただし、途中で止まった。


ぴたりと。


食堂の床の真ん中で、両手を広げたまま固まる。


ジェレミーが見上げる。


「どうした」


レトは真剣な顔で周囲を見た。


「場所、だいじ」


ロジーが目を輝かせた。


「学習してる!」


レトはさらに言った。


「お兄さん、コーヒー持ってない」


「持っていない」


「武器持ってない?」


「持っているが、今は抜いていない」


「任務中?」


「今は朝食前だ」


「通行の邪魔?」


副長が周囲を見る。


「現時点では問題ありません」


レトは深く頷いた。


そしてもう一度、ジェレミーを見る。


「お兄さん、抱きついていい?」


ジェレミーは同じ答えを返した。


「いい」


レトは、今度こそ飛び込んだ。


勢いはあった。


でも、昨日までより少しだけ慎重だった。


ジェレミーの首にしがみつくのではなく、胸元にぎゅっと抱きついた。


ジェレミーは椅子に座ったまま、片腕でレトの背中を支えた。


強く抱き返しすぎない。


でも、突き放さない。


レトは顔を押しつけたまま、震える声で言った。


「だめじゃない」


「そうだ」


「お兄さん、だめじゃない」


「そうだ」


「お風呂はだめ」


「そうだ」


「一緒のベッドも、基本だめ」


「そうだ」


「でも、ご飯はいい」


「いい」


「遊ぶのもいい」


「いい」


「髪も、場所を選べばいい」


「そうだ」


「怖い時、そばにいてもらうのもいい」


「いい」


「抱きつくのも、聞いたらいい」


「そうだ」


レトは、ぎゅうっと力を込めた。


「いっぱい、いいの残ってる」


ジェレミーは短く答えた。


「残っている」


レトの目から、ぽろっと涙が落ちた。


でも、昨日のような大泣きではなかった。


不安が抜けていく涙だった。


「わたし、昨日、全部だめになるかと思った」


「ならない」


「女の子だから、お兄さんから離されるのかと思った」


「違う」


「進むと、遠くなるのかと思った」


ジェレミーは、少しだけレトの背中に手を置いた。


「遠くするためではない。お前が、自分で近づき方を選べるようにするためだ」


レトは顔を上げた。


「近づき方」


「そうだ」


「わたしが選ぶ?」


「そうだ」


「お兄さんも選ぶ?」


「そうだ」


「二人で?」


「そうだ」


レトは少し考えた。


そして、泣き顔のまま笑った。


「じゃあ、抱きつき作戦は、共同作戦?」


ロジーが耐えきれずに机を叩いた。


「作戦名きた!」


副長が目を閉じた。


「来ましたね」


エルが小さく手を挙げる。


「作戦には、確認がいる」


レトはぱっとエルを見た。


「そう! 確認がいる!」


ロジーはデバイスを展開した。


「作戦名、どうする? 『お兄さん抱きつき許可確認作戦』?」


レトは真剣に悩んだ。


「長い」


「じゃあ、『ぎゅー確認作戦』」


「かわいい!」


エルが頷いた。


「ぎゅー確認」


副長が穏やかに言った。


「正式書類には載せませんよ」


ロジーは即答した。


「女子会議事録には載せます!」


「公開範囲は?」


「三人と局長と副長と生活班!」


「広い」


「じゃあ、三人と局長と、あとプリン」


「プリンに閲覧権限はありません」


「プリンは関係者だよ! 今日ずっと見守ってた!」


レトがジェレミーから少し離れ、慌てて席に戻った。


「プリン!」


プリンはまだあった。


レトはスプーンを手に取り、深刻な顔でプリンを見る。


「待っててくれたの?」


ロジーがすかさず記録しようとして、ジェレミーを見る。


ジェレミーは何も言わなかった。


ロジーは小さく記録した。


『プリン、境界教育中のレトを待機』


副長が覗き込む。


「公開範囲」


ロジーは胸を張る。


「本人だけ閲覧!」


「よろしい」


レトはプリンを一口食べた。


そして、ぱっと顔を明るくした。


「おいしい!」


ロジーが両手を上げる。


「レト復活!」


エルも小さく拍手した。


「プリン、勝った?」


レトは口の中のプリンを飲み込んで、首を振る。


「違うよ、エル」


「違う?」


「プリンはね、勝ち負けじゃないの」


「じゃあ、なに?」


レトは真剣に言った。


「味方」


食堂班の職員が厨房の奥で肩を震わせた。


ジェレミーはコーヒーを手に取る。


副長は薄く笑う。


ロジーは記録する。


エルはプリンを見て、小さく頷く。


「味方」


レトはもう一口プリンを食べた。


その後、ちらっとジェレミーを見る。


「お兄さん」


「何だ」


「ご飯のあと、少し遊んでいい?」


「何をする」


「確認の練習」


「抱きつく練習か」


「うん」


「何度もはしない」


「三回」


「一回」


「二回」


「一回」


「一回半」


ジェレミーは少しだけ眉を動かした。


「抱きつきに半分はない」


レトは真剣に考えた。


「じゃあ、一回長め」


「普通の一回だ」


「普通の一回ってどれくらい?」


副長が端末を開きかけた。


ジェレミーが言った。


「測定するな」


副長は端末を閉じた。


ロジーが小声で笑った。


レトは、プリンを食べながら、また少し安心した顔になった。


全部だめになったわけではない。


線は増えた。


でも、線の外に追い出されたわけではない。


線の引き方を覚えれば、近づける。


聞いていい。


断っていい。


待ってもらっていい。


抱きついていい時もある。


お兄さんは、遠くなったのではない。


レトが、自分の足で近づく練習を始めただけだった。


食後。


レトは食堂の端に立ち、深呼吸した。


ジェレミーはその前に立つ。


ロジーは少し離れた席で、デバイスを構えている。


エルは隣で見ている。


副長はさらに後ろで、明らかに面白がっている。


レトは真剣な顔で言った。


「お兄さん」


「何だ」


「今、抱きついていいですか」


ロジーが目を見開く。


「敬語!」


副長が小さく笑う。


「緊張していますね」


ジェレミーは答えた。


「いい」


レトは一歩近づいた。


途中で止まる。


「武器、抜いてない?」


「抜いていない」


「お仕事中じゃない?」


「今は違う」


「嫌じゃない?」


「嫌ではない」


レトは、ほっとした顔で笑った。


「じゃあ、ぎゅーします」


「しろ」


レトは抱きついた。


今度は、勢いではなかった。


ちゃんと近づいて、ちゃんと腕を回して、ちゃんと相手の反応を待つような抱きつきだった。


ジェレミーは、片手で背中を支えた。


レトは目を閉じる。


「できた」


「そうだ」


「わたし、ちゃんと聞けた」


「できた」


「えらい?」


「えらい」


レトは嬉しそうに笑った。


ロジーはデバイスに記録名を入力する。


『ぎゅー確認作戦・第一回成功』


少し考えて、補足を入れた。


公開範囲:本人たち、ロジー、エル。

副長は見ていたので既読扱い。


副長が言った。


「既読扱いとは」


ロジーは胸を張った。


「見てたから!」


エルはぽつりと言った。


「確認してから、近づく」


レトはジェレミーに抱きついたまま、こくんと頷いた。


「うん」


エルは少し考えて、レトに両手を向けた。


「レト。あたしも、ぎゅーしていい?」


レトはぱっと顔を上げた。


「いい!」


そして、すぐに言い直した。


「あ、待って。今、お兄さんにぎゅーしてるから、順番!」


エルは頷いた。


「順番」


ロジーが勢いよく手を挙げる。


「私も予約!」


レトは笑った。


「ロジーも!」


ジェレミーは静かに言った。


「食堂の通行を塞ぐな」


三人は同時に答えた。


「はーい!」


レトの声は、もう震えていなかった。


境界線は、まだ少し怖い。


でも、その線の向こうには、消えた愛情ではなく、守られた愛情があった。


レトはそれを、少しだけ覚えた。


そしてその日の午後、女子会空間に新しい貼り紙が増えた。


『ぎゅーは確認してから』


その下に、レトの字で小さく追記がある。


『だめって言われても、嫌われたわけじゃない』


さらにその下に、ロジーの字。


『でも、いいって言われたら超うれしい』


最後に、エルの字。


『順番』



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