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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち【旧版】  作者: 硝子玉の宇宙
箱庭の娘たち

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68/135

第68話-どうして一緒にお風呂入っちゃダメなの!!?

箱庭の娘たち、特にレトは身体と情緒の発達が別。

ロジーはちっちゃいけど大人たちより長生き。

エルは宇宙より長生き。

レトは、二人より大きいけど一番若い。

だから、心は誰より子供なの。

「どうして!!!」


惑星監理局、生活区画。


浴室前の廊下に、レトの声が響いた。


「どうしてお兄さんとお風呂入っちゃいけないの!!!!」


完全な大泣きだった。


淡緑の長い髪を左側で結んだまま、レトはタオルを抱きしめ、涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。


「前は一緒だったのに……!!」


しゃくりあげる。


「なんでぇ……」


廊下の端で、生活班の女性職員が困った顔をしている。


医療班の職員もいる。


副長もいる。


そして、少し離れたところにジェレミー・クリエットが立っていた。


ジェレミーはいつものように、声を荒げなかった。


「レト」


「いや!」


レトは即答した。


「お兄さん、だめって言った!」


「言った」


「じゃあいや!」


「理由を聞け」


「聞いたらだめが増えるもん!」


ロジーが廊下の曲がり角から顔を出した。


「うわ、すごい泣いてる」


「ロジー!」


レトは泣きながら振り向いた。


「ロジーも言って! お兄さんとお風呂入っていいって!」


ロジーは一瞬で真顔になった。


「それは無理」


「なんでぇ!!」


「無理なものは無理!」


ロジーは両手でばつ印を作った。


「レト、それは情緒の問題としては分かるけど、生活倫理と身体境界の問題として無理!」


「わかんない!」


「だよね!」


ロジーは勢いよく頷いた。


「分かんないよね! だから泣いてるんだよね!」


「うん!!」


「でも無理!」


「ロジーのばかぁ!」


ロジーは胸を押さえた。


「今のはちょっと刺さった!」


エルもいつの間にか来ていた。


白髪のボブを揺らし、浴室前の表示を見上げている。


「お風呂は、戦場?」


副長が微笑んだ。


「今のところ、情緒的にはそうですね」


エルはレトを見る。


「レト、負けてる?」


「負けてない!」


レトは泣きながら叫んだ。


「わたしは、お兄さんとお風呂入りたいだけ!」


その言葉に、生活班の職員たちが少しだけ視線を落とした。


笑えない。


かわいいわがままではある。


けれど、ただ笑って済ませる話ではなかった。


レトが言う「前」は、監理局に保護されたばかりの頃のことだ。


あの頃のレトは、ジェレミー以外の大人に過剰に緊張していた。


生活班が近づくだけで固まり、医療班の検査で泣き、知らない職員がタオルを差し出すだけで、青白い硝子片が床に散った。


だから、最初の身の回りの世話はジェレミーがした。


食事。


着替え。


怪我の手当。


眠る前の確認。


そして、入浴の補助。


それは甘やかしではなかった。


保護だった。


レトがまだ、監理局という場所を安全だと信じられなかった頃。


ジェレミーだけが、レトにとって「怖くない大人」だった。


だから許された。


だから必要だった。


けれど、今は違う。


レトは監理局の廊下を走れる。


職員さんと呼べる相手が増えた。


生活班の女性職員に髪を乾かしてもらえる。


医療班に痛いところを言える。


ロジーやエルと女子会ができる。


戦闘班として任務に出て、帰ってきて、報告できる。


できることが増えた。


だから、できなくなることも増えた。


それが、レトには分からなかった。


「やだ……」


レトはタオルをぎゅっと握った。


「できること増えたら、いいこと増えるんじゃないの……?」


声が小さくなる。


「なんで、できないこと増えるの……?」


ジェレミーは、そこでようやく歩いた。


レトの前まで来て、膝をつく。


目線を合わせる。


「レト」


「……やだ」


「お前を遠ざけているわけではない」


「遠ざけてる」


「違う」


「だって、お兄さん、来ない」


「行かない」


その言い方は、優しかった。


でも、揺れなかった。


レトの顔がまた歪む。


「ほらぁ……」


「私は、お前の身体をお前のものにするために行かない」


レトは泣きながら瞬きした。


「……からだ?」


「そうだ」


ジェレミーは短く言った。


「前は、お前が自分で選べなかった。怖がっていた。誰に頼ればいいか分からなかった。だから私が手伝った」


「うん……」


「あれは必要な世話だった」


「うん」


「今のお前は違う」


レトは、何か言おうとして口を閉じた。


ジェレミーは続ける。


「今のお前は、嫌なことを嫌だと言える。生活班の職員に頼める。自分でできることも増えた。なら、私が同じ場所に入り続ける理由はない」


「でも、わたしは嫌じゃない!」


「今はな」


レトは息を詰まらせた。


ジェレミーの声は静かだった。


「今のお前が嫌ではなくても、これからのお前が嫌になるかもしれない」


「ならない!」


「なるかもしれない」


「ならないもん!」


「それを、今の私が決めてはいけない」


レトは言葉をなくした。


ジェレミーは、レトのタオルを握る手を見た。


「身体の世話には、線がある。親しい相手でも越えない線だ。保護者でも、育てた相手でも、局長でも同じだ」


「お兄さんでも?」


「私でもだ」


その言葉は、レトにとって一番痛かった。


お兄さんでも。


お兄さんなら大丈夫。


お兄さんなら特別。


お兄さんなら何でもいい。


そう思っていた場所に、静かに線が引かれた。


レトはぼろぼろ泣いた。


「わたし……女の子だから?」


ジェレミーは少しだけ黙った。


ロジーも黙った。


副長も、生活班の職員も、誰も口を挟まなかった。


ジェレミーは答えた。


「それも関係する」


レトの肩が震える。


「やだ……」


「だが、それだけではない」


ジェレミーは続けた。


「男だから、女だから、というだけでお前を分けたいわけではない。身体を見せること、触れられること、世話をされることには、相手と場面を選ぶ権利がある。それを覚えるためだ」


「けんり……」


「お前が断るための力だ」


レトは顔を上げた。


「断るため?」


「そうだ」


「お兄さんが、入らないことが?」


「お前がいつか、誰かに嫌だと言うための練習になる」


ジェレミーは、レトの目をまっすぐ見た。


「私が例外になり続ければ、お前は“好きな相手なら線を越えてもいい”と覚えるかもしれない」


レトは、ゆっくり首を横に振った。


「お兄さんは、嫌なことしないもん」


「私はしない」


ジェレミーは即答した。


「だが、お前が世界で出会う全員が私ではない」


レトは固まった。


それは、レトにとって難しい言葉だった。


お兄さんは安全。


お兄さんは優しい。


お兄さんは怖くない。


でも、世界の全員がお兄さんではない。


その当たり前が、突然とても冷たく聞こえた。


レトは小さく言った。


「……じゃあ、女の子になると、怖いこと増えるの?」


ロジーが小さく息を吸った。


副長の目が、少しだけ細くなる。


エルは、じっとレトを見ていた。


ジェレミーは言った。


「怖いことを増やさないために、境界を覚える」


レトは泣きながら聞いていた。


「自分の身体は自分のものだ。誰に見せるか、誰に世話を頼むか、誰を近づけるか。それをお前が選ぶ」


「お兄さんは?」


「私は、お前が選べるようになるまで待つ側だ」


「待つ……」


「必要なら廊下で待つ。呼ばれたら返事をする。怖くなったら生活班を呼ぶ。終わったら髪を乾かす手伝いはできる。茶も用意する」


レトの涙が少し止まった。


「髪……乾かしてくれる?」


「それはできる」


「お風呂のあと?」


「お前が望むならな。場所は脱衣室の外か、生活班の待機室だ」


「お兄さん、待ってる?」


「待つ」


「どこにも行かない?」


「行かない」


レトは、また泣いた。


でも、今度の泣き方は少し違った。


大声ではなかった。


ぐずぐずと、子供みたいに鼻をすすりながら、タオルに顔を埋めた。


「……やだ」


「そうか」


「でも、分かったかも」


「そうか」


「でも、やだ」


「それでいい」


ジェレミーは手を伸ばし、レトの頭を軽く撫でた。


「嫌だと思っていい。納得に時間がかかっていい。だが、規則は変えない」


「お兄さん、冷たい……」


「そうだな」


「冷たいけど、行かないで」


「行かない」


レトはしばらく黙っていた。


やがて、生活班の女性職員をちらっと見る。


「……職員さん」


「はい」


「髪、あとで絡まったら助けて」


女性職員の表情が、ふっと柔らかくなった。


「もちろんです」


「あと、怖くなったら呼んでいい?」


「はい。すぐ行きます」


「お兄さんも返事して」


ジェレミーが頷く。


「する」


「扉の外から?」


「扉の外から」


「絶対?」


「絶対だ」


レトは、ぐしぐしと目元を拭いた。


そして、まだ不満そうな顔のまま、浴室の入口へ向かった。


三歩進んで、振り返る。


「お兄さん」


「何だ」


「わたし、えらい?」


ジェレミーは一拍置いた。


「えらい」


レトの顔が少しだけ崩れた。


泣きそうで、嬉しそうで、でもまだ納得しきれていない顔。


「……終わったら、プリン食べたい」


「用意する」


「二個」


「一個だ」


「今、わたし、がんばってるのに」


「一個半」


レトは涙で濡れた顔のまま、真剣に考えた。


「……半分は?」


「私の分を半分渡す」


その瞬間、ロジーが口を押さえた。


「局長のプリン譲渡……これは強い……」


副長が穏やかに言う。


「記録区分は?」


ロジーは即答した。


「レトの情緒回復補助記録。公開範囲、本人たちと生活班!」


「よろしい」


エルは小さく頷いた。


「プリンは、境界を越えられる?」


ジェレミーは答えた。


「越えない。分けるだけだ」


エルは少し考えた。


「分けるのは、いいね」


「そうだな」


レトは浴室の入口で、もう一度だけジェレミーを見た。


「お兄さん」


「何だ」


「前のこと、なくならない?」


ジェレミーの表情は変わらなかった。


でも、声は少しだけ柔らかかった。


「なくならない」


「前は一緒だったこと」


「必要だった。大事な時間だった。それは変わらない」


「じゃあ、だめになったんじゃなくて……終わった?」


「そうだ」


ジェレミーは言った。


「あの世話は終わった。お前が進んだからだ」


レトは、唇をぎゅっと結んだ。


そして、泣きそうな声で言った。


「進むの、ちょっとやだ」


「そうか」


「でも、進んだら、お兄さんが待っててくれる?」


「待っている」


「じゃあ……進む」


その言葉を言うのに、レトはとても時間をかけた。


言い終わったあとも、不満そうだった。


寂しそうだった。


でも、浴室の中へ入っていった。


扉が閉まる。


数秒後。


中から、レトの声がした。


「お兄さん!」


ジェレミーは即座に答えた。


「いる」


「ほんとにいる?」


「いる」


「ロジーも?」


「いるよー!」


「エルも?」


「いる」


「副長は?」


副長は微笑んだ。


「おりますよ」


少し間が空いた。


「……副長は、なんでいるの?」


ロジーが吹き出した。


副長は穏やかに答えた。


「見守りです」


「見守りなら、ちょっと遠くにいて」


「承知しました」


副長は本当に三歩下がった。


ロジーは腹を抱えて笑いそうになりながら、必死に声を抑えた。


エルは廊下の床に座り、扉を見ている。


「レト、進んでる」


ジェレミーは壁際に立ったまま答えた。


「そうだ」


「進むと、泣く?」


「泣くこともある」


「でも、待ってる人がいる」


「そうだ」


エルは少しだけ目を細めた。


「じゃあ、進むのは、ひとりじゃないね」


ジェレミーは答えなかった。


ただ、扉の向こうでまたレトが呼んだ。


「お兄さん!」


「いる」


「プリン、一個半、忘れないでね!」


「忘れない」


「あと、髪!」


「分かっている」


「あと、えらいってもう一回言って!」


ジェレミーは、ほんのわずかに息を吐いた。


「えらい」


扉の向こうで、レトが小さく笑った。


まだ泣き声混じりだった。


でも、笑った。


ロジーはそっとデバイスを起動し、記録名を入力した。


『レト、境界を覚えた日』


少し考えて、消す。


そして書き直す。


『お兄さんが外で待っていた日』


そっちの方が、レトらしい気がした。



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