第61話-倫理的決裂
今回は2部構成だよ!
このお話は外部組織が箱庭の娘たちを兵器として、道具として扱おうとして交渉が決裂するおはなし。
共同戦線廃棄
その会議は、最初から失敗する予定ではなかった。
少なくとも、惑星監理局側はそう判断していた。
第六管制星系、外縁軌道会議施設。
星系維持組織が所有する中立会議棟は、外から見れば白い輪のような構造物だった。惑星を抱く軌道環の一部に埋め込まれ、窓の外には青灰色の巨大惑星と、その周囲を巡る細い衛星群が見えている。
会議室は広い。
だが、広さに対して人の数は多くない。
長卓の一方に、星系維持組織の幹部たち。
作戦局長、研究統括官、法務責任者、現地防衛隊司令、災害対策部門の主任官。
反対側に、惑星監理局。
中央にジェレミー・クリエット。
その右に副長。
後方に作戦統括官、外務班の代表、倫理監査主任、監理局書記官、そして数名の記録係。
箱庭の娘たちはいない。
それは当然だった。
この会議は、魔力災害対策の共同戦線を成立させるための最終調整であり、実働人員の顔見せではない。ましてや、監理局の保護対象であり職員でもある特殊存在を、外部組織の評価の場に座らせる理由などなかった。
卓上には、両組織の紋章が並んで投影されている。
星系維持組織の紋章は、五つの惑星とそれを囲う鎖。
監理局の紋章は、硝子の円環と、その内側に浮かぶ小さな星図。
最初の一時間、会議は驚くほど円滑に進んだ。
避難経路。
指揮権の分界。
通信障害時の優先命令。
民間人保護。
神性存在残滓が魔力災害へ転化した場合の初動。
危険区域の封鎖権限。
監理局の単独介入条件。
外部組織への事後報告義務。
どれも、揉める余地のある議題だった。
それでも議論は成立した。
星系維持組織の作戦局長は、丁寧な人物だった。言葉を選び、監理局の実績を認め、何度も「我々は監理局の専門性を信頼している」と言った。
法務責任者も、条約文面に関しては堅実だった。
監理局の介入権限が強すぎる箇所には慎重に異議を出し、しかし必要性が説明されれば引き下がった。
現地防衛隊司令は、やや硬い表情をしていたが、現場の被害を抑えることを第一に考えていた。
問題は、そこではなかった。
副長は、端末に表示された進行表へ視線を落とした。
残り議題は三つ。
共同指揮系統。
特殊人員の投入条件。
戦闘記録の共有範囲。
副長は、表情を変えなかった。
この議題に入る前に、監理局はすでに相手方へ資料を渡している。
外部公開範囲に沿った内部班の役割。
監理局職員の指揮権。
箱庭の娘たちに関する限定公開資料。
魔力生命体への人格権保護条項。
特殊存在を運用する際の禁止事項。
戦闘データ、肉体情報、魔力反応の採取制限。
本人同意が成立しない状況での接触禁止。
魔力生命体を兵器、資源、試験体として扱わないこと。
さらに、副長自身が講義を開いた。
講義は三時間に及んだ。
箱庭の娘たちは、一般に知られる魔力生命体とは違う。
人間に近い身体を持ち、血液があり、食事をし、眠り、痛みを感じる。
強大な能力を持つことと、傷つけてよいことは同義ではない。
再生可能性は、損耗を許可する理由にならない。
彼女たちは監理局の職員であり、保護対象であり、人格を持つ存在である。
能力使用は、監理局の判断と本人の状態評価を通して行われる。
そして最後に、副長はこう言った。
「理解したふりは、最も危険です。価値観は、作戦案と資料の言葉に出ます。どうか、言葉を軽く扱わないでください」
相手方の幹部たちは頷いた。
質問もあった。
反論もあった。
最終的には、全員が受講確認へ署名した。
だから、監理局はこの会議に来た。
信頼したからではない。
確認するためだった。
「では、特殊人員の投入条件に移ります」
星系維持組織の作戦局長が言った。
卓上の投影が切り替わる。
表示されたのは、魔力災害予測図だった。
第六管制星系外縁、鉱物惑星の地下に形成された魔力圧縮層。そこへ、神性存在残滓と推定される精神魔力の凝集体が流入している。
放置すれば、地下層が概念的に飽和し、惑星表面へ噴出する。
噴出した魔力は周辺都市の精神系統へ干渉し、大規模な集団錯乱、魔術暴走、設備破壊を引き起こす。
災害規模は大きい。
だが、まだ終わっていない。
対処できる段階だった。
作戦局長は淡々と説明した。
「我々の基本案は、現地防衛隊による地表封鎖、監理局調査班による地下層解析、技術班の安定化杭設置、戦闘班による外縁警護です。所要時間は七十二時間」
作戦統括官が頷いた。
「監理局側でも妥当な案と評価しています。時間はかかりますが、民間被害を抑えられる」
「はい」
作戦局長はそこで、少しだけ声色を変えた。
「ただし、代替案があります」
投影資料の右側に、新しい作戦案が現れた。
副長は、その表題を見た瞬間、目だけを細めた。
特殊魔力生命体投入案・高速終息型
会議室の温度が、一度だけ下がったように感じられた。
作戦局長は説明を続ける。
「監理局戦闘班所属の単騎遊撃個体を投入し、地下層中心部へ直接突入。空間干渉能力によって魔力圧縮核を分断、硝子質魔力による局所封止を実行する案です」
監理局側の誰も、まだ口を挟まなかった。
ジェレミーは無言だった。
副長も、笑みを保っている。
作戦統括官は、投影資料の細部を追っていた。
倫理監査主任は、資料上の語彙を記録している。
監理局書記官の指が、静かに端末を叩いていた。
作戦局長は、彼らの沈黙を了承と受け取ったのかもしれない。
「この案なら、所要時間は九時間まで短縮できます。地下層の飽和前に処理できるため、二次災害の可能性も大幅に減少する」
研究統括官が続けた。
「また、この災害は神性存在残滓と魔力生命体由来の高密度魔力が干渉する稀少事例です。戦闘記録、魔力応答、再生負荷、損傷後の出力変化などは、今後の災害対策研究に大きく寄与するでしょう」
副長は、そこで初めて口を開いた。
「いま、再生負荷と仰いましたか」
研究統括官は、微笑んだ。
「はい。もちろん、監理局の制限範囲内での記録共有を前提とします」
「資料を最後まで表示してください」
副長の声は穏やかだった。
作戦局長が端末を操作する。
投影資料が進む。
そこには、作戦損耗評価表があった。
投入対象。
想定接触時間。
被曝魔力量。
肉体破損確率。
機能低下時間。
再生所要期間。
帰還後の拘束検査時間。
取得可能データ。
その表の中央。
監理局側の視線が、同じ一点へ集まった。
許容損耗:右上肢欠損まで。視覚器官片側損傷は作戦継続可能範囲。全身硝子化汚染率三十二パーセントまで許容。
一秒。
誰も動かなかった。
二秒。
外務班代表の目が、はっきりと鋭くなった。
三秒。
戦闘班出身の作戦補佐員が、椅子の肘掛けを握った。音はしなかった。だが、その手に力が入ったことは、隣の職員には分かった。
倫理監査主任は、記録を止めなかった。
むしろ、より正確に入力し始めた。
監理局書記官は、表情を変えずに資料の保存権限を確認した。
ジェレミーは、投影資料を見ていた。
その目は冷たかった。
怒りというより、判定だった。
作戦局長は、その変化に気づいたらしい。
しかし、まだ意味を取り違えていた。
「もちろん、これは理論上の上限です。実際には監理局側の医療班が即時回収すれば、後遺障害は残らないものと――」
「残らなければ、よいと?」
副長が言った。
声はまだ静かだった。
研究統括官が、初めてわずかに眉を動かした。
「我々は感情論を軽視しているわけではありません。ですが、対象は通常人員ではなく、魔力生命体です。再生能力を持ち、通常戦力では代替できない機能を持つ。災害対策において、その特性を評価することは合理的です」
「講義を受けましたね」
副長が言った。
研究統括官は頷いた。
「受けました」
「資料も読んだ」
「当然です」
「署名もした」
「はい」
副長は、ほんの少しだけ笑った。
それは、会議開始時の柔らかい笑みとは違った。
「では、理解していないのではなく、理解した上でその表を作ったということですね」
研究統括官は、そこでようやく黙った。
作戦局長が割って入る。
「副長殿。誤解があるようです。我々は、彼女たちを軽視しているわけではありません。ただ、今回の災害は星系全体の問題です。最も有効な戦力を投入するのは当然であり――」
「彼女たち?」
副長は、言葉尻を拾った。
「いま、この資料で数値処理されているのは一名です。ですが、あなた方の認識では、すでに複数形なのですね」
作戦局長が口を閉じた。
法務責任者が、顔を硬くした。
副長は端末を操作した。
監理局側の内部資料ではない。
相手方が事前提出した補足資料だった。
投影に、別紙が出る。
魔力生命体戦力資源活用に関する将来的協力可能性
会議室の空気が、完全に変わった。
作戦局長の顔から、血の気が引いた。
「それは、まだ内部検討段階の――」
「共同戦線に関連する資料として提出されています」
監理局書記官が淡々と言った。
「提出時の分類ミスではありません。添付履歴、承認印、閲覧権限、いずれも正式な事前共有資料です」
研究統括官が小さく舌打ちした。
その音は小さかった。
だが、監理局側には十分だった。
副長が別紙の一部を読み上げる。
「第一段階。監理局所属魔力生命体の戦闘特性記録。第二段階。災害対策用投入基準の共同策定。第三段階。星系維持組織管轄下における準常設運用。第四段階。再生特性、魔力反応、損耗耐性の研究協力」
副長は顔を上げた。
「兵器体系ですね」
作戦局長は、声を低くした。
「違います。災害対策資源の合理的運用です」
その瞬間、監理局側の全員の視線が、作戦局長へ向いた。
鋭い。
だが、誰も怒鳴らない。
怒号が飛ばないことが、逆に恐ろしかった。
ジェレミーが、初めて口を開いた。
「その言葉を撤回する機会を与える」
作戦局長は、唇を引き結んだ。
会議室の外では、巨大惑星が静かに回っていた。
青灰色の雲の流れが、窓の向こうでゆっくりと渦を巻いている。
作戦局長は、その惑星を守る責任者だった。
その重さは本物だ。
だからこそ、自分の論理が正しいと信じていた。
「撤回しません」
彼は言った。
「我々は、星系の生命を守らねばならない。通常人員を消耗させるより、再生可能な魔力生命体を投入する方が合理的です。仮に一時的な身体損失が発生しても、最終的な被害総量が減るなら――」
ジェレミーの声が、言葉を断った。
「共同戦線は廃棄する」
あまりにも短い宣告だった。
作戦局長は一瞬、理解できなかったように見えた。
「……何と?」
「共同戦線は廃棄する」
ジェレミーは同じ言葉を繰り返した。
副長が続ける。
「予備協定第十四条、人格保護条項に対する重大な違反。第二十一条、監理局所属特殊人員への非承認研究目的接近。第三十条、戦闘記録および生体情報取得制限への抵触可能性。以上により、共同戦線の前提条件は失効しました」
法務責任者が立ち上がりかけた。
「待ってください。まだ正式締結前です。条項違反というより、文面調整で――」
「調整ではありません」
倫理監査主任が言った。
その声は低かった。
「あなた方は、箱庭の娘たちを人格存在として扱うことに同意した。その上で、身体欠損を許容損耗として表記し、研究データ取得を副目的に含め、将来的な常設運用まで検討していた。これは文面の問題ではありません。価値判断の問題です」
現地防衛隊司令が、苦い顔で口を開いた。
「我々の宙域で災害が起きている。共同戦線を破棄するなら、監理局は介入しないということか」
ジェレミーは司令を見た。
「介入する」
「では、何が違う」
「あなた方に、指揮権も、共同運用権も、特殊人員への接触権も与えない」
司令の眉が動いた。
ジェレミーは続けた。
「災害は監理局が処理する。あなた方は民間避難と宙域封鎖に専念しろ」
作戦局長が椅子を鳴らして立ち上がった。
「それは管轄侵犯だ!」
「違います」
副長が即座に返した。
「事前協定案の第六条。魔力災害が星系外へ波及し、神性存在残滓の拡散可能性がある場合、監理局は硝子玉の宇宙全体の存続維持権限に基づき、単独介入できる。あなた方も同意済みです」
「それは共同戦線を前提とした――」
「いいえ。単独介入条項です。共同戦線が不成立の場合の保険として入れたものです」
副長は、笑っていた。
「まさか初日に使うとは思いませんでしたが」
作戦局長の手が震えていた。
怒りか、屈辱か、焦りか。
おそらく、その全部だった。
「監理局は、魔力生命体数名の感情を、星系全体より優先するのか」
その問いは、会議室の床に落ちる前に、もう終わっていた。
監理局側の誰も、その問いを許さなかった。
ジェレミーが立ち上がる。
「違う」
彼の声は、静かだった。
「我々は、宇宙全体を優先している」
作戦局長が言葉を失う。
ジェレミーは続けた。
「君たちは、理解していない存在を資源と呼んだ。制御できない力を、運用できると思った。人格を持つ相手を、損耗表に入れた。再生するから失ってよいと判断した」
窓の外で、青灰色の惑星がゆっくりと光を受けた。
「その判断をする組織に、監理局の特殊人員は預けられない」
「我々は預かるなどとは――」
「共同戦線とは、そういうことだ」
ジェレミーの目は、まっすぐだった。
「背中を預ける。指揮を共有する。情報を渡す。負傷時に回収を任せる。撤退判断を信じる。君たちは、その信用を自分で捨てた」
作戦局長は何も言えなかった。
副長が、会議の記録終了処理を行う。
「本会議は、監理局判断により終了します。以後、星系維持組織との共同戦線協定は不成立。監理局は単独介入手続きへ移行。資料一式は上位委員会へ送付されます」
法務責任者が、最後の抵抗のように言った。
「上位委員会が、これを承認すると?」
副長は、穏やかに首を傾げた。
「もちろん」
その声には、確信しかなかった。
「上位委員会は、あなた方よりずっと多くを知っていますから」
会議は、そこで終わった。
誰も握手をしなかった。
監理局側は資料を閉じ、席を立った。
ジェレミーは振り返らなかった。
副長だけが最後に一度、相手方の卓上資料へ視線を落とした。
許容損耗。
その四文字が、まだ投影の隅に残っていた。
副長は端末を操作し、会議室の共有投影を終了させた。
文字は消えた。
だが、消えたのは投影だけだった。
記録は残る。
判断も残る。
そして、監理局は忘れない。
後日。
惑星監理局本部、上位委員会臨時審査室。
会議室の構造は、外縁軌道会議施設とは対照的だった。
窓はない。
壁は厚い。
遮音術式は六重。
記録は監査用の固定端末にのみ保存され、外部転送は許可制。
席にいるのは、ジェレミー、副長、監理局書記官。
上位委員会側からは、議長代理、複数の委員、監査官、法務顧問。
議題は一つ。
第六管制星系魔力災害への監理局単独介入承認。
ただし、誰も災害そのものから話し始めなかった。
上位委員会の議長代理が、提出資料を閉じた。
「星系維持組織との共同戦線廃棄判断について、監理局の主張は確認した」
ジェレミーは短く答える。
「はい」
「外部組織からは抗議が来ている。監理局による一方的な協定破棄、管轄宙域への侵犯、共同研究機会の不当な遮断。かなり強い文面だ」
副長が薄く笑った。
「研究機会と書きましたか」
「書いた」
議長代理の顔は渋かった。
「隠す気もないらしい」
上位委員会の一人が、資料をめくった。
「情報範囲を確認する。外部組織が知っていたのは、箱庭の娘たちが監理局所属または保護下の魔力生命体であること。人間と同様の痛覚、血液、食事、休息の必要があること。人格権を有し、兵器・資源・研究試料として扱ってはならないこと。戦闘参加は監理局判断に限定され、生体情報取得は禁止されること」
「その通りです」
副長が答えた。
「エルに関する情報は?」
「外部公開範囲では、箱庭の娘たちの一人として扱っています。特殊な魔術性物品を作る可能性があり、接触には監理局の許可が必要。この程度です」
「旧世代であること、創造者であること、硝子玉の宇宙維持との関係は?」
「非公開です」
「真名は?」
「非公開です」
「星系維持組織は知らない」
「知りません」
「だが、上位委員会は知っている」
「はい」
会議室の空気は重かった。
ここにいる上位委員会の人間たちは、外部組織とは違う。
彼らは監理局と同じ日常を過ごしているわけではない。
箱庭の娘たちの笑い声を毎日聞くわけではない。
食堂で同じ机に座るわけでも、廊下で小さな騒動に巻き込まれるわけでもない。
それでも、必要な情報は知っている。
レトがただの戦力ではないこと。
ロジーがただの記録端末ではないこと。
エルが、形式上の分類では測れない存在であること。
そして、箱庭の娘たちの扱いを誤れば、単なる倫理問題では済まないこと。
議長代理が言った。
「拒絶理由を、正式文書用に三点で整理する」
副長は頷いた。
「一つ目。宇宙の存続に関わるため」
法務顧問が確認する。
「外部提出文では、どこまで書く」
「高位特殊存在の心理的安定および監理局所属特殊人員の保護状態は、硝子玉の宇宙の広域安定に影響し得る、までです。旧世代、創造者、真名には触れません」
「妥当だ」
副長は続けた。
「二つ目。箱庭の娘たちは同僚であり、権利のある人格存在であるため。これを尊重しない組織へ預けた場合、消費、損耗、研究利用、拘束検査、常設運用へ進む危険が高い」
監査官が資料を見ながら言う。
「危険が高い、ではなく、既に資料上に現れている」
「では、そう書きます」
副長は少しだけ微笑んだ。
「三つ目。箱庭の娘たちは、人間が制御できる存在ではないため」
議長代理が、ゆっくり頷いた。
「ここが最も外部には伝わりにくい」
「ええ」
副長の声は淡々としていた。
「彼らは、制御できると思っている。損傷させても再生する、命令すれば出る、記録を取れば次に活かせる。兵器体系の発想です。しかし、箱庭の娘たちは兵器体系ではありません。彼女たちは従属物ではなく、自律した人格です。敵対すれば、まず信頼が失われる。信頼が失われた時点で、人間側は敗北します」
上位委員会の一人が、目を伏せた。
「そして、力の規模でも敗北する」
副長は否定しなかった。
「はい」
沈黙が落ちた。
それは恐怖の沈黙ではなかった。
責任を確認する沈黙だった。
ジェレミーが口を開いた。
「私は、あの組織に箱庭の娘たちを預けない」
誰も、その言葉を軽い感情論とは受け取らなかった。
ジェレミーは淡々と続けた。
「レトでなくてもよい作戦だった。時間をかければ、通常班で処理できる。相手方は、早く終わるから使いたがった。加えて、データが欲しかった。資料上も、言動上も、そこは明白だ」
議長代理が尋ねる。
「監理局単独介入時、箱庭の娘たちを投入する予定は」
「ない」
即答だった。
「戦闘班、調査班、技術班、医療班で対応する。七十二時間ではなく、八十六時間を見込む。安全係数を上げる」
「外部からは、非効率だと言われる」
「構わない」
ジェレミーは言った。
「効率のために、同僚を損耗表へ戻すつもりはない」
上位委員会の議長代理は、しばらくジェレミーを見ていた。
やがて、承認印を押した。
一人。
また一人。
委員たちの承認が、静かに積み重なる。
最終表示。
第六管制星系魔力災害に対する惑星監理局単独介入を承認。
星系維持組織の共同指揮権を認めず。
特殊人員への接触、情報取得、研究協力要請を全面停止。
必要範囲内での管轄宙域進入を許可。
副長は、わずかに頭を下げた。
「感謝します」
議長代理は苦い顔をした。
「感謝される話ではない。こちらも腹を括るだけだ」
そして、彼は最後の文面を追加した。
本件における監理局判断は、箱庭の娘たちの人格権および硝子玉の宇宙維持上の安全保障を根拠とする。
それが、上位委員会の答えだった。
星系維持組織からの抗議は、すぐに届いた。
管轄侵犯。
協定不履行。
共同研究権の侵害。
現地防衛隊の士気低下。
星系主権の軽視。
文面は強かった。
だが、監理局も上位委員会も退かなかった。
上位委員会は、正式回答を出した。
魔力災害が星系外へ波及する可能性があるため、惑星監理局の介入権限は有効である。
星系維持組織は、避難誘導、民間保護、外縁封鎖に協力せよ。
監理局所属特殊人員に対する直接要請、観測、接触、研究目的の情報取得を禁ずる。
それは、外交的にはかなり強い文面だった。
だが、それでも足りないくらいだった。
監理局の格納庫では、通常部隊が出撃準備を進めていた。
地下層解析用の観測杭。
低出力だが長時間維持できる封止結界。
魔力汚染環境用の防護服。
救助用搬送機。
医療班の後方待機設備。
戦闘班の外縁警護装備。
箱庭の娘たち用の装備は出されなかった。
短時間で終わる案ではない。
派手な案でもない。
英雄的な突入もない。
地味で、重く、時間がかかり、職員に負荷が分散する作戦だった。
作戦統括官は、出撃前の最終ブリーフィングで言った。
「今回、特殊人員は投入しない。理由は説明済みだ。現地組織から非公式の接触があっても応じるな。記録要請も断れ。観測機材を向けられた場合は、外務班へ報告。挑発には乗るな」
近接戦闘員が低く笑った。
「挑発される前提か」
外務班代表が言った。
「されます」
魔術砲撃担当が、嫌そうに眉を寄せた。
「面倒だな」
作戦統括官は頷いた。
「面倒だ。だが、面倒で済むならよい」
その言葉に、誰も笑わなかった。
現場は、予測通りだった。
星系維持組織の現地部隊は、監理局を歓迎しなかった。
通信回線には、必要最低限の応答だけが流れた。
宙域管制は遅く、通行許可は何度も確認された。
地表の防衛隊は、監理局の機材搬入に露骨な視線を向けた。
それでも、監理局は作業を止めなかった。
調査班が地下層の魔力流を測る。
技術班が安定化杭を打ち込む。
戦闘班が外縁で発生する魔力獣化した残滓を処理する。
医療班が汚染された作業員を回収する。
情報班の支援職員が、現地通信と監理局内部回線を切り分ける。
外務班が、星系維持組織の不満を受け止め続ける。
八十六時間の予定は、九十一時間まで伸びた。
途中、地下層の一部が破裂した。
現地防衛隊の一個分隊が退路を失った。
監理局の重装隊員が盾を展開し、近接戦闘員が通路を切り開き、魔術砲撃担当が崩落した空間の支柱を焼き固めた。
救助は成功した。
星系維持組織の司令は、通信越しに沈黙した後、短く礼を言った。
監理局側は、礼への返答を簡潔に済ませた。
貸しにするためではない。
情に訴えるためでもない。
ただ、必要なことをしただけだった。
最終封止は、四日目の未明に完了した。
惑星地下の魔力圧縮層は安定し、神性存在残滓は分割封印された。二次災害は発生せず、民間区域への精神干渉も防がれた。
被害はゼロではない。
だが、星系崩壊規模の災害は止まった。
監理局の作戦記録には、淡々とこう残された。
特殊人員投入なし。
外部組織との共同指揮なし。
民間被害、最小限。
監理局職員負傷、十二名。重傷二名。全員帰還。
その記録の最後に、作戦統括官が一文を加えた。
当該災害は、箱庭の娘たちを投入せずとも終息可能であった。
それは、誰かを責めるための文章ではない。
だが、読む者が読めば分かる。
外部組織が欲しがったのは、必要な戦力ではなかった。
早さだった。
便利さだった。
記録だった。
損耗させてもよいと誤認した、特別な誰かだった。
監理局本部へ帰還した後、副長は報告書の最終版を確認していた。
夜の監理班執務室は静かだった。
机上には、会議記録、上位委員会承認書、外部抗議文、作戦結果、倫理監査報告、今後の接触制限案が積まれている。
ジェレミーは窓際に立っていた。
外には、硝子玉の宇宙の星々が見える。
副長が言った。
「星系維持組織から、再協議の打診が来ています」
ジェレミーは振り返らない。
「条件は」
「共同戦線ではなく、災害対応協力協定に格下げ。特殊人員への接触禁止を受け入れる代わりに、監理局から通常班の教育派遣を求めています」
「研究統括官は」
「更迭予定だそうです。作戦局長は減俸と権限縮小。法務責任者は残留。現地防衛隊司令は、監理局への謝意を非公式に送ってきました」
「謝罪は」
「ありません」
ジェレミーは、少しだけ目を伏せた。
「そうか」
副長は、書類の最後に署名を入れた。
「謝罪がない方が、かえって分かりやすいですね。彼らはまだ、自分たちが何をしたか、倫理では理解していない。政治的には失敗したと理解しているだけです」
「なら、まだ預けられない」
「ええ」
副長は静かに頷いた。
「預ける必要もありません」
しばらく、二人は何も言わなかった。
箱庭の娘たちは、この部屋にはいない。
会議にもいなかった。
上位委員会の審査にもいなかった。
作戦にも出ていない。
抗議文も読んでいない。
自分たちの身体が、どんな表に入れられていたのかも知らない。
知らせるべきかどうかは、別の会議で判断されるだろう。
隠すためではない。
彼女たちの世界を、無遠慮な外部の言葉で汚さないために。
ジェレミーが言った。
「今回の件は、研修資料に入れろ」
副長は顔を上げる。
「新人向けですか」
「外部折衝担当向けだ。箱庭の娘たちを兵器扱いする者は、悪意があるとは限らない。むしろ善意と合理性で来る。その方が危険だ」
副長は、少しだけ笑った。
「講義の冒頭に使えそうですね」
「使え」
「題名はどうします?」
ジェレミーは、少し考えた。
「理解したふりをするな」
副長は端末へ入力した。
「良い題です」
そして、最後の処理を行う。
共同戦線協定案。
状態変更。
廃棄。
理由。
人格保護条項違反。
特殊人員の兵器化意図。
監理局との信頼関係不成立。
副長は保存を押した。
端末の画面から、協定案が閉じられる。
もう、その共同戦線は存在しない。
ただし、記録は残る。
監理局は、忘れない。
傷つけられたからではない。
怒ったからでもない。
報復のためでもない。
次に同じ視線が、同じ言葉が、同じ表が現れた時、即座に切り捨てるために。
ジェレミーは、窓の外を見たまま言った。
「宇宙を守るという言葉は、便利だ」
副長は、手を止めた。
ジェレミーは続ける。
「何かを犠牲にする理由に使える。誰かを黙らせる理由に使える。必要な損失だと呼べる。合理的だと書ける」
「ええ」
「だから、我々が先に線を引く」
副長は静かに頷いた。
「箱庭の娘たちは、線の内側です」
ジェレミーは振り返った。
「違う」
副長は目を細める。
ジェレミーは言った。
「同じ側だ」
副長は一瞬だけ黙り、それから穏やかに微笑んだ。
「訂正します」
彼は報告書の末尾に、短い内部注記を加えた。
監理局は、箱庭の娘たちを保有しない。
運用資源として扱わない。
彼女たちは監理局の同僚であり、保護対象であり、硝子玉の宇宙を共に生きる人格存在である。
この前提を共有できない組織とは、共同戦線を結ばない。
保存。
承認。
封緘。
夜の執務室に、静かな処理音だけが響いた。
それで終わりだった。
誰かが涙を流す場面はない。
抱きしめる場面もない。
小さな少女たちが傷ついたことを知って泣く場面もない。
ただ、大人たちが書類を閉じた。
会議を終わらせた。
協定を捨てた。
宙域へ入り、災害を止めた。
抗議を退けた。
次のために記録した。
それだけだった。
だが、監理局においては、それが守るということだった。
硝子玉の宇宙は、今日も続いている。
その内側で、誰かが眠り、誰かが働き、誰かが笑い、誰かが痛みを覚え、誰かがまた明日の任務へ向かう。
その日常を、損耗表に載せさせないために。
惑星監理局は、共同戦線を廃棄した。




