第55話-お外みたいなところ
中庭の芝生は、午後の光を吸って、ふかふかに温まっていた。
惑星監理局の中庭は、職員たちが休憩に使う場所でもあり、レトたちが「お外みたいなところ」と呼んでいる場所でもある。
本物の空ではない。
硝子玉の宇宙の内側にある、管理された庭。
けれど、空はちゃんと青く見えるし、風も吹く。
芝生は足の裏をくすぐるし、花壇には小さな花が揺れている。
そのど真ん中で、レトが仰向けに転がっていた。
淡緑色の長い髪が芝生に広がって、左側のワンサイドテールがぽふん、と枕みたいになっている。
エメラルドグリーンの瞳は半分とろんとしていて、両手は胸の上に乗せられていた。
「……わたし、いま、すごくだらだらしてる」
隣でロジーがうつ伏せになりながら、頭上のデバイスで何かを記録していた。
「うん。かなりだらだらしてる。これは歴史的だらだら。監理局中庭だらだら記録、午後の部」
「午後の部ってなに?」
「午前の部がなかったから、いま作った」
「ロジー、すぐ作る」
「記録は作った瞬間から存在するのです!」
ロジーは得意げに言って、芝生の上でころんと横向きになった。
そして二人の間に、エルが座っていた。
白髪の毛先に淡いピンクが混ざったボブヘアーが、風で少しだけ揺れる。
エルは小さな布袋を膝に乗せて、そこから魔法アイテムをひとつずつ取り出していた。
「今日は、だらだらするもの、いっぱい」
「わあああ!」
レトが勢いよく起き上がろうとして、途中で力尽きたみたいにまた芝生へ沈んだ。
「……見たい。でも起きたくない」
「わかる。すごくわかる」
ロジーも腕だけを伸ばした。
「エル、こっちに出して。私たちは今、重力に負けてる」
「重力、つよい?」
「つよい。今日の重力はわるいやつ」
「そっか」
エルは納得したように頷いて、袋から小さな硝子の鳥を取り出した。
透き通った鳥だった。
胴体はビー玉くらいの大きさで、翼は薄い硝子細工。光が当たるたびに、青や桃色の反射が芝生に散った。
「これは?」
レトが寝転がったまま首だけ向ける。
「なまけ鳥」
エルが淡々と言った。
「なまけどり」
ロジーが即座に復唱した。
「鳴くと、近くの人がちょっとだけ、もっとだらだらしたくなる」
「危険物じゃん」
「危険?」
「業務時間に使ったらだめなやつ」
「うん。だから中庭」
エルが鳥の頭をちょん、と撫でる。
硝子の鳥は小さく羽ばたいて、三人の真ん中に降りた。
そして。
「ぴよぉ……」
ものすごく気の抜けた声で鳴いた。
その瞬間、レトの身体から、すとん、と力が抜けた。
「ふあ……」
ロジーのデバイスのカメラが、少しだけ下を向いた。
「これは……だめ……」
「だめ?」
エルが首を傾げる。
「気持ちよすぎてだめ」
ロジーは両手を芝生に投げ出した。
「記録、後回し……」
「ロジーが記録を後回しにした!」
レトが目を丸くする。
「大事件だよ!」
「大事件だけど、いま動くのは無理」
「わかる」
エルはなまけ鳥を見つめた。
「成功」
なまけ鳥は得意げに胸を張った。
硝子なのに、なぜか得意げだった。
次にエルが取り出したのは、小さな雲だった。
手のひらに乗るくらいの、白くて丸い雲。
綿菓子みたいにふわふわしていて、下の方に小さな金色の鈴がついていた。
「これは、ころころ雲」
エルがぽん、と空中へ放る。
ころころ雲は、ふわん、と浮かんでから、ゆっくり三人の周りを漂いはじめた。
そしてレトの頬に、ぽす、と当たった。
「ひゃ」
レトが小さく声を上げる。
ころころ雲は逃げるように離れて、今度はロジーの頭に乗った。
「わっ、冷たい。いや、冷たくない。なんか……ひんやりして、ふわふわで、眠くなる」
「ころころ雲は、乗ったところをちょうどよくする」
「ちょうどよく?」
「うん。暑かったら少し涼しく、寒かったら少しあったかく、寂しかったら少しくっつく」
「最後だけ情緒に踏み込んでるね」
ロジーが言うと、ころころ雲は返事をするみたいに、鈴をちりんと鳴らした。
その音につられて、レトが両手を伸ばす。
「わたしにも乗って」
ころころ雲は、レトの胸元まで降りてきて、ぽふ、と乗った。
レトは一瞬固まったあと、ぎゅっと目を細めた。
「……これ、すき」
「レト、完全にとろけてる」
「とろけてないもん。わたし、ちゃんとしてるもん」
そう言いながら、レトの声はもう半分眠たかった。
エルは少しだけ嬉しそうに、ころころ雲を見た。
「レトに、ちょうどいい」
「うん。すっごくちょうどいい」
レトは雲を両腕で抱きしめる。
「これ、連れて帰っていい?」
「いいよ」
「ほんと?」
「うん。でも、夜に勝手に冷蔵庫へ行く」
「なんで?」
「自分が雲だと思ってるから」
「雲って冷蔵庫に行くの?」
「この子は行く」
「そっかあ」
レトは納得した。
ロジーはすかさずデバイスを起動し直した。
「記録。ころころ雲、夜間に冷蔵庫へ移動。理由、自認が雲。詳細不明。かわいいので許可」
「許可するの、ロジー?」
「かわいいものは私の管轄にしていきたい」
「それ怒られるやつ」
「怒られる前にかわいくすれば勝ち」
「ロジー、つよい」
「でしょ」
そう言ってロジーは胸を張ったが、寝転がったままなので、あまり威厳はなかった。
エルはまた袋へ手を入れる。
今度は、小さな硝子の皿を出した。
皿の上には何も乗っていない。
「これは、だらだらおやつ皿」
「おやつ!」
レトが反射で上半身を起こした。
なまけ鳥が「ぴよぉ」と鳴いた。
レトはまた倒れた。
「おやつなのに……身体が……」
「なまけ鳥、強い」
ロジーが震える声で言った。
「おやつ皿は、見ている人が、今いちばんだらだら食べたいものを出す」
エルが皿を芝生の上に置く。
まず、レトが皿を見た。
ぽん。
小さなプリンが出た。
しかも、カラメルがきらきら光っている。
「プリン!」
レトが勢いよく手を伸ばす。
なまけ鳥がまた鳴いた。
「ぴよぉ……」
「プリン……遠い……」
実際には手を伸ばせば届く距離だった。
ロジーが横から、そっとスプーンを渡す。
「がんばれレト。腕をあと十センチ動かすだけ」
「十センチって、どれくらい?」
「今のレトにとっては宇宙の果て」
「そんなに……」
レトは真剣な顔でスプーンを握りしめた。
ぷるぷる震えながら、プリンをすくう。
そして、ようやく口に入れた。
「……おいしい」
その一言があまりにも幸せそうだったので、ロジーが即座にデバイスを向ける。
「記録しました」
「撮った?」
「撮った」
「かわいく撮れた?」
「かわいく撮れた」
「じゃあいいよ」
レトは満足そうにまた寝転がった。
次にロジーが皿を見る。
ぽん。
皿の上に、虹色の小さなゼリーが山盛りになった。
星型、花型、ハート型。
ひとつひとつが透明で、中に小さな光が閉じ込められている。
「かわいい!」
ロジーが完全に起きた。
「これはだめ。かわいい。記録しなきゃ。食べる前に撮る。角度違いで撮る。光の反射も撮る。エル、これ名前なに?」
「ロジーのだらだらゼリー」
「私の名前入った!」
「うん。ロジーが見たから」
「じゃあこれは私のゼリー!」
「うん」
「レト、見て。私のゼリー」
レトはプリンを口に入れたまま、のんびり横を見る。
「かわいい」
「でしょ。ひとつあげる」
「いいの?」
「いいよ。私はかわいいものを共有できる女」
ロジーが星型のゼリーをレトの口元に持っていく。
レトはぱくっと食べた。
「きらきらの味がする」
「きらきらの味って何?」
「わかんない。でもきらきら」
「記録します。きらきら味」
最後にエルが皿を見る。
ぽん。
皿の上に、小さな白い丸餅みたいなものが三つ出た。
レトとロジーが同時に覗き込む。
「なにこれ?」
「もち?」
エルはひとつ摘まんで、じっと見た。
「みんなが食べてるの、楽しそうだったから」
「エルのだらだらおやつは、みんなが食べてるのを見て食べたくなったもの?」
「うん」
ロジーが一瞬だけ目を細めた。
でも、しんみりするより先に、レトが嬉しそうに笑った。
「じゃあ、三人で食べよ!」
「うん」
エルは小さく頷いた。
三人で白い丸餅をひとつずつ持つ。
食べると、ほんのり甘くて、少しだけ冷たくて、噛むたびにぱちぱちと小さな星みたいな音がした。
ロジーが目を輝かせる。
「口の中で小規模天体観測が起きてる」
「すごい」
レトが頬を押さえる。
「わたしの口の中、宇宙だ」
「この宇宙の中にいる私たちの口の中に宇宙があるから、入れ子構造だね」
「いれこ?」
「難しい話」
「じゃあ、あとで聞く」
「たぶん私もあとで忘れてる」
「ロジーも?」
「うん。だらだら中だから」
エルは二人のやりとりを聞きながら、口の中の小さな星の音に耳を澄ませていた。
「ぱちぱち、楽しい」
「エル、かわいい!」
レトが急に言った。
エルは瞬きをする。
「かわいい?」
「うん。いまのエル、すごくかわいい」
「同意。ぱちぱちに耳を澄ませる創造者、かなりかわいい」
「そっか」
エルは少しだけ考えてから、もう一度、白い丸餅を見た。
「じゃあ、これはかわいいおやつ」
「名前決定!」
ロジーがデバイスに入力する。
「かわいいおやつ。効果、食べると口の中でぱちぱちする。副作用、三人がちょっと嬉しい」
「副作用?」
レトが首を傾げる。
「いい副作用」
「じゃあ、いっぱいあっていいね」
「いいね」
しばらく、三人は何もせずにごろごろしていた。
なまけ鳥が、たまに「ぴよぉ」と鳴く。
ころころ雲が、レトの上からロジーの背中へ、ロジーの背中からエルの膝へ、ぽふぽふ移動する。
だらだらおやつ皿は、誰かが見つめるたびに小さなおやつを出した。
レトが見ればプリン。
ロジーが見れば映えるゼリー。
エルが見れば、三人で分けられる小さなお菓子。
途中で、戦闘班の職員が中庭の横を通りかかった。
彼は一瞬足を止めた。
芝生の上に、箱庭の娘たちが三人。
ひとりはプリンを抱えて寝転がり、ひとりはゼリーを撮影しながら寝転がり、ひとりは硝子の鳥に指先を差し出している。
職員は静かに目を細めた。
そして、何も見なかったことにして通り過ぎようとした。
その瞬間、なまけ鳥が鳴いた。
「ぴよぉ……」
職員の足が止まった。
「……休憩を五分延長します」
職員は真顔でそう呟き、中庭の端のベンチに座った。
ロジーが顔を上げる。
「あ、被害者が出た」
「被害者?」
レトがプリンのスプーンをくわえたまま言う。
「なまけ鳥の効果範囲に入った」
「じゃあ、いっしょにだらだら?」
「そういうこと」
エルは職員の方を見て、少しだけ手を振った。
職員は無言で会釈した。
ただし、その顔はかなりゆるんでいた。
やがて、ころころ雲がふわふわと飛んでいき、職員の頭の上に乗った。
職員は抵抗しなかった。
ロジーが小声で言う。
「見て。完全に受け入れてる」
「ころころ雲、すごいね」
レトが感心する。
「だれにでも、ちょうどいい」
エルが言った。
「それ、すごくいいアイテムじゃん」
「うん」
「でも業務中は禁止」
「うん」
エルはちゃんと頷いた。
「副長に怒られる?」
レトが少し不安そうに言う。
ロジーは寝転がったまま、びしっと親指を立てた。
「大丈夫。副長はたぶん、怒る前に使い道を考える」
「こわい」
「そしてジェレミー局長の椅子に、こっそりころころ雲を置く」
「お兄さんに?」
レトがぱっと顔を輝かせた。
「お兄さん、ちょうどよくなる?」
「なるかも」
「お兄さん、いつもちゃんとしてるから、ちょっとだらだらしてもいいよね!」
「いいと思う」
エルが頷く。
「ジェレミー、たまに、かたい」
「お兄さんはかっこいいんだよ」
「かっこよくて、かたい」
「うん!」
レトはなぜか誇らしげだった。
そのころ、局長室ではジェレミーが小さくくしゃみをしていたが、三人は知らない。
中庭では、だらだらの午後が続いていた。
レトはころころ雲を抱いたまま、うとうとしはじめた。
ロジーは寝転がりながらも、半分眠った目で記録を続けている。
エルは二人の間に座って、なまけ鳥の硝子の翼を撫でていた。
「エル」
レトが眠たそうに呼ぶ。
「なに」
「また、これしよ」
「うん」
「ロジーも」
「する。次はだらだら大会にする」
「大会?」
「誰が一番だらだらできるか」
「わたし、勝てるかな」
「レトは強敵だよ」
「えへへ」
レトは嬉しそうに笑って、それから完全に目を閉じた。
ロジーも少し遅れて、芝生に頬をつけた。
「記録……中庭……だらだら……三人……かわいい……」
そこで入力が止まる。
エルは二人を見た。
風が吹く。
ころころ雲が、二人の上に半分ずつかかる。
なまけ鳥は小さな硝子の足で芝生を歩き、エルの膝に戻ってきた。
エルはその鳥を両手で包むように持って、ぽつりと言った。
「だらだら、いいね」
誰も返事をしなかった。
レトは眠っている。
ロジーも眠っている。
中庭の端では職員がベンチで静かに目を閉じている。
だからエルは、もう一度だけ小さく言った。
「また、つくる」
その声に反応したみたいに、なまけ鳥が小さく鳴いた。
「ぴよぉ……」
午後の中庭は、もう少しだけ、何もしない時間を許してくれた。




