第41話-全部は、見られない
最初の異常は、有人測量艇から届いた自動警報だった。
右舷推進器、出力異常。
航路制御、不能。
緊急通信――
そこで途切れていた。
有人測量艇、管理番号S‐十二。
乗員四名。
辺境宙域に設置された観測標識の定期点検を終え、惑星監理局の中継拠点へ帰還する途中だった。
通信が途絶える直前、周辺宙域では大規模な魔力嵐が発生している。
観測標識の半数が停止。
長距離通信は乱れ、空間観測には無数の反射波が混ざった。
測量艇の航行記録も、最後の数分間だけが破損している。
推定酸素残量、五時間十四分。
捜索艇はすでに出ていた。
戦闘班が前方の危険物を排除し、調査班が魔力嵐の残滓を解析する。
情報班は、通信が切れるまでの記録を集めていた。
惑星監理局、中央指令室。
正面の星図には、赤い捜索区域が広がっていた。
小惑星。
廃棄された観測機。
旧式の中継施設。
何十年も前に航行不能となった宇宙船。
それらすべてが観測波を反射し、測量艇と似た反応を返している。
「S‐十二、定時報告の再照合完了。通信途絶以前に、乗員から異常報告はありません」
情報班職員が報告する。
「発着港の整備記録は」
作戦統括官が問う。
「端末が破損しています。自動同期前だったため、中央側に記録は残っていません」
「担当者への確認は」
「現在、連絡中です」
「急げ」
指令室の端に設けられた情報班用の席で、ロジーは複数の画面を同時に開いていた。
頭上のデバイスには、普段のようなかわいい表示はない。
航行時刻。
測量艇の質量。
推進器出力。
魔力嵐の進行方向。
乗員の勤務記録。
観測標識の異常停止時刻。
ロジーの指が忙しく動く。
「通信が切れた時点の速度は?」
「推定値しかありません」
「推定値でいいから全部ちょうだい。上限と下限も」
「送ります」
「積み荷の重量、出発時と帰還時で変わってる?」
「観測標識の交換部品を七基分消費しています」
「じゃあ軽くなってる。推進器が片方止まった後の回転速度、出発時重量で計算したらずれるよ」
作戦統括官がロジーを見る。
「修正する」
「あと、魔力嵐の外側に押し出されたとは限らない。推進器の出力が一瞬だけ上がってから止まったなら、中心側に入ってる可能性もある」
「根拠は」
「右舷推進器の異常が、出力低下とは書いてないから」
ロジーは自動警報を指差した。
「出力異常。高いか低いか分かんない。最初から片方が完全停止した前提にしないで」
作戦統括官は数秒だけ考え、計算条件を増やした。
星図上に複数の予測航路が表示される。
赤い捜索区域は、さらに広がった。
ロジーは顔をしかめた。
「広がった」
「可能性を切り捨てるよりはいい」
「よくないよ。時間ないもん」
ロジーの視線が、画面の端にある数字へ向く。
推定酸素残量、四時間五十七分。
数字は静かに減り続けていた。
◇
発着港の整備担当者と連絡がついたのは、その三分後だった。
通信画面に映ったのは、作業服姿の男性職員。
顔色が悪い。
『出航前点検では、異常なしと判断しました』
情報班主任が問い返す。
「記録端末が破損しているため、口頭で構いません。右舷推進器に関して、何か通常と異なる作業を行いましたか」
『ありません』
「軽微な調整も含めてください」
『……冷却管の固定具を締め直しました。それだけです』
「交換部品は」
『使用していません』
「封鎖処置、応急補修、魔力伝達管への処置は」
『していません』
職員は言い切った。
だが、その目は落ち着かない。
ロジーは画面を見つめた。
「ほんとに?」
『本当だ』
「記録がないからって、間違えても分かんないと思ってない?」
情報班主任がロジーを見る。
「ロジー」
「だって、この人なんか変」
『変とはなんだ』
「質問される前から、右上見てる。思い出してるんじゃなくて、言うこと決めてる顔」
『憶測で職員を疑うな』
「じゃあちゃんと思い出して!」
ロジーの声が大きくなる。
整備担当者も語気を強めた。
『人命がかかってるんだぞ! 隠すわけがないだろう!』
「だったら――」
「そこまでです」
情報班主任が会話を切った。
「こちらで確認します。通信を維持したまま待機してください」
『……了解』
通信音声が一時的に切られる。
ロジーは椅子の背へ寄りかかった。
「絶対なんかある」
「表情だけでは判断材料になりません」
「でも嘘ついてる」
「それを証明する記録はありません」
「記録が壊れてるから困ってるんでしょ!」
「だからといって、ないものをあることにはできません」
主任の言葉は正しい。
ロジーにも分かっていた。
分かっているから、余計に腹が立った。
目の前に答えがある気がする。
なのに、辿り着くための道だけが消えている。
指令室では、別の職員たちが調査を続けていた。
交換部品の在庫。
整備区画の入退室履歴。
作業服に残った樹脂成分。
他の整備員の証言。
時間が必要だった。
酸素残量は、時間を待ってくれない。
ロジーは自分の膝へ手を置いた。
ぎゅっと服を掴む。
少しだけ。
整備作業だけなら、狭い。
場所も分かる。
時間も分かる。
見るものも決まっている。
少しだけなら。
頭上のデバイスには、通常の情報処理画面が浮かんでいる。
外部通信の追加接続はない。
魔力探査も発生しない。
術式を展開した痕跡も残らない。
ロジーは誰にも言わなかった。
目を閉じることさえしなかった。
ただ、世界の奥に指をかけた。
アカシックレコード・オフライン。
世界が覚えている情報を索引する魔術。
見る魔術ではない。
探査する魔術でもない。
何かへ通信する魔術でもない。
そこに記録されたものへ、直接触れる。
第九発着港。
整備区画二番。
十五時十八分。
測量艇S‐十二。
右舷推進器。
一つずつ、索引を狭める。
記録が開いた。
ロジーの目の前に映像が現れたわけではない。
声が聞こえたわけでもない。
もっと直接的だった。
そこに何があったかを、知った。
右舷推進器の魔力伝達管。
髪の毛より細い亀裂。
交換部品なし。
熱膨張型樹脂による応急封鎖。
担当者が迷った時間。
帰還後に交換すればよいと判断したこと。
記録端末へ入力しようとした直前、端末が作業台から落ちたこと。
画面が割れたこと。
復元を後回しにしたこと。
全部で、十三分。
ロジーは世界の記録から指を離した。
頭上のデバイスが、一度だけ強く明滅した。
ごく短い警告表示。
処理負荷上昇。
ロジーは手で表示を払った。
「十五時十八分」
指令室の何人かが振り向く。
ロジーは整備担当者との通信を戻した。
「十五時十八分から十五時三十一分。右舷推進器の魔力伝達管に亀裂を見つけた。交換部品がなかったから、熱膨張型樹脂で封鎖した」
通信画面の向こうで、整備担当者の顔が凍った。
ロジーは続ける。
「記録端末、落として壊したよね。入力できなくなって、あとで復元しようとした」
『……どうして』
「合ってる?」
『どうして知ってる』
「合ってるか聞いてる!」
『……合っている』
指令室の空気が変わった。
作戦統括官がすぐに計算画面を開く。
「樹脂の製品番号は」
『予備保管庫の……四〇八型です』
「魔力嵐へ曝露された場合の反応は」
技術班職員が資料を呼び出す。
「急激に膨張します。伝達管を内側から圧迫し、瞬間的な出力上昇を起こした後、管そのものを破断させる可能性があります」
星図上の予測航路が更新される。
最初に推定されていた左旋回ではない。
右舷推進器が一瞬だけ過剰出力を起こしていれば、測量艇は進行方向を大きく変え、魔力嵐の中心側へ弾き飛ばされる。
赤い捜索区域の一部が消えた。
「捜索艇へ送信。重点区域を変更する」
作戦統括官が指示を出す。
指令室が一斉に動き始めた。
その中で、情報班主任だけがロジーを見ていた。
「ロジー」
「なに?」
「情報源を提示してください」
「整備担当者が認めたでしょ」
「あなたが最初に提示した情報の出所です」
「当たってた」
「質問に答えてください」
ロジーは主任を見なかった。
「今は救助が先」
「そうですね」
主任はそれ以上追及しなかった。
ただ、ロジーの頭上へ視線を向ける。
デバイスの負荷表示は、すでに通常値へ戻りつつある。
けれど、直前の急激な上昇は記録されている。
主任は静かに、その数値を保存した。
◇
測量艇は、まだ見つからなかった。
重点区域を絞ったことで捜索密度は上がった。
だが魔力嵐の中心部は、外側より観測障害がひどい。
調査班の探査波は乱される。
廃棄構造物の影に入れば、目視確認も難しい。
推定酸素残量、三時間四十一分。
ロジーは捜索艇から届く情報を整理していた。
「第三艇、反応なし。第四艇、廃棄観測機を誤認。第五艇、空間歪曲で予定航路から外れてる。修正指示送った」
「了解」
「七番観測標識は?」
「機能停止しています」
「最後の記録」
「魔力嵐発生の十二分前です」
「映像は?」
「ありません」
「音声」
「定時信号のみ」
「周辺を通った船」
「該当なし」
ロジーの指が止まる。
手掛かりが切れた。
重点区域には、機能を停止した観測標識が八基ある。
測量艇がどれかの近くを通った可能性は高い。
だが、観測標識側の記録は残っていない。
測量艇の記録も壊れている。
誰も見ていない。
どこにも情報がない。
普通の方法では。
「ロジー、休憩してください」
情報班主任が言った。
「やだ」
「連続処理時間が規定を超えます」
「まだ平気」
「先ほど、デバイスに急激な負荷上昇がありました」
ロジーの指先が、わずかに止まった。
「計算いっぱいしたから」
「そうですか」
主任は否定しなかった。
「では、その計算内容を提出してください」
「今まとめてる!」
「すでに十五分経過しています」
「細かいんだよ!」
「情報班ですから」
ロジーは頬を膨らませた。
いつもなら、そのまま何か言い返す。
けれど今日は、すぐに画面へ戻った。
主任は数秒だけ待った。
「十分休憩してください」
「酸素減ってる」
「あなたが休憩しても、捜索は止まりません」
「私の仕事は止まる」
「他の職員が引き継ぎます」
「私の方が速い」
「速さだけで職務を決めていません」
ロジーが振り返る。
「四人いるんだよ」
「分かっています」
「今も、どこかで待ってる」
「分かっています」
「じゃあ休んでる場合じゃないじゃん!」
指令室に声が響いた。
何人かの職員が一瞬だけ見る。
すぐに自分の作業へ戻った。
情報班主任は、声を荒げなかった。
「だからこそ、判断能力を維持してください」
「維持してる!」
頭上のデバイスに警告が浮かんだ。
疲労蓄積。
感情負荷上昇。
休息推奨。
ロジーは警告を消した。
「ほら、推奨。命令じゃない」
「私が命令します。十分休憩してください」
「主任のいじわる!」
ロジーは椅子から飛び降りた。
「休憩室行く!」
「走らないでください」
「走ってない! 怒って早歩きしてる!」
ロジーはぷりぷりしながら指令室を出ていった。
主任はその後ろ姿を見送る。
それから、隣の職員へ告げた。
「ロジーの処理を引き継いでください」
「はい」
「デバイス負荷記録も、医療班へ共有」
若い職員が、小声で尋ねる。
「主任」
「なんですか」
「あの整備記録……ロジーさんは、どうやって知ったんでしょう」
主任は画面を閉じた。
「分かりません」
「でも、以前にも」
「分かりません」
二度目は、はっきりとした言葉だった。
「分からないことを、知っていることにしないでください」
「……はい」
「ただし、記録は残します」
主任は、ロジーのデバイス負荷履歴を開いた。
今回だけではない。
出所を説明できない情報。
存在しないはずの記録。
削除済みの文章。
誰も見ていなかった場所の出来事。
その情報をロジーが口にした直後、デバイスの処理量が上昇する。
毎回ではない。
負荷の程度も違う。
魔力反応はほとんど観測されない。
何をしているのかは分からない。
それでも、繰り返された事実は消えない。
情報班主任は、新しい記録を八件目として追加した。
◇
ロジーは休憩室へ行かなかった。
指令室から二つ離れた、補助資料室に入った。
照明をつける。
誰もいない。
壁には簡易端末が一台。
椅子が二脚。
古い資料箱。
ロジーは扉を閉め、背中を預けた。
頭上のデバイスに、医療班からの通知が届く。
負荷記録を確認しました。
十分間、情報処理を停止してください。
「やだ」
小さく答え、通知を消す。
推定酸素残量。
三時間二十九分。
最初は狭くできた。
場所。
時間。
対象。
全部分かっていた。
だから、少し触るだけで済んだ。
今は違う。
通信が途切れた後。
魔力嵐の中心部。
広い宙域。
移動し続ける測量艇。
索引に使えるものは、S‐十二という識別番号だけ。
それでも、記録はある。
測量艇が移動したこと。
推進器が壊れたこと。
乗員が話したこと。
何かに衝突したこと。
それらは起きた。
起きたことを、世界は覚えている。
ロジーだけが、その記録へ届く方法を知っている。
誰にも教えていない。
監理局にも。
情報班主任にも。
副長にも。
局長にも。
レトにも。
エルにも。
これは、ロジーだけのものだった。
「ちょっとだけ」
ロジーは自分に言った。
「場所を見つけたら、すぐやめる」
デバイスが警告を表示する。
現在負荷を確認。
追加の高密度情報処理を推奨しません。
「分かってる」
休息してください。
「分かってるってば」
自己認識維持処理を優先します。
ロジーは、その表示を見つめた。
少しだけ怖くなった。
けれど、酸素残量を思い出す。
四人。
知らない人たち。
きっと怖がっている。
助けが来るか分からないまま、暗い船の中で待っている。
ロジーは両手を握った。
「私が見つける」
そして、世界の記録へ触れた。
アカシックレコード・オフライン。
測量艇S‐十二。
通信途絶後。
現在まで。
その指定は、あまりにも広かった。
索引が開く。
一つではない。
いくつもの記録が、同時に触れてきた。
S‐十二の出航。
整備。
乗員の会話。
過去の任務。
食事。
睡眠。
点検した観測標識。
交換した部品。
通信が途絶えた瞬間。
警報音。
推進器の破断。
回転する船体。
乗員の叫び。
壁へ叩きつけられた工具。
消えた照明。
予備電源。
酸素量。
現在位置。
現在位置。
現在位置。
ロジーは最後の一つを掴もうとした。
だが、記録は時刻順に綺麗に並んでいない。
「現在」は、触れている間にも過去になる。
一秒前の位置。
二秒前の位置。
三秒前。
五分前。
一時間前。
出航時。
以前の任務。
同じ識別番号を使っていた旧式船。
廃棄された部品。
S‐十二と呼ばれた区画。
十二番目の観測記録。
無数の類似した索引が、押し寄せる。
デバイスが不要なものを切り離す。
過去と現在を分ける。
測量艇と別の記録を分ける。
ロジー自身が知っている情報と、世界から流れ込んだ記録を分ける。
そのすべてを行いながら、同時にロジーの思考も支えていた。
呼吸。
言葉。
時間。
自分の名前。
ここがどこか。
今、何をしているのか。
それらを維持する処理が、少しずつ圧迫されていく。
処理負荷上昇。
「まだ」
情報量が安全値を超過。
「あとちょっと」
不要情報の分離に遅延。
「七番……」
一つの記録が触れた。
暗い船内。
誰かの声。
『青い光が見える』
別の声。
『標識か?』
『番号は――』
途切れる。
別の記録が重なる。
三十七年前の観測標識。
青い警告灯。
交換作業員。
七番。
十一番。
別の宙域。
違う船。
違う時間。
「どれ」
ロジーは呟いた。
「今の、どれ?」
デバイスの警告音が速くなる。
現在認識と参照記録の境界が低下。
「分けて」
処理能力不足。
「分けてよ!」
ロジーが頭上のデバイスを両手で押さえる。
触れられない。
それでも、押さえずにはいられなかった。
「今の七番。S‐十二。今日。今。今のやつ!」
記録が増える。
今日。
という言葉に結びつく、無数の記録。
朝食。
指令室。
整備担当者。
主任。
レトと話したこと。
エルが昨日作った小さな箱。
女子会の予定。
誰かの今日。
別の惑星の今日。
時間基準の違う文明。
過去の暦。
世界の中にある、膨大な「今日」。
「違う!」
ロジーの膝が震えた。
「私の今日!」
デバイスの光が白くなる。
冷却機構が開く。
小さな羽根状の部品が激しく震え、熱を逃がそうとする。
それでも温度は上がり続けた。
「私の……」
ロジーは言葉を止めた。
私の今日。
私。
ロジー。
情報班。
監理局。
補助資料室。
それを自分で思い出したのか。
デバイスに補助されたのか。
今触れている記録の中に書かれていたのか。
急に、分からなくなった。
「私……」
ロジーの顔から血の気が引いた。
「私、いま考えられてる?」
返事はない。
資料室には誰もいない。
「ねえ」
声が震える。
「私、これ、私が考えた?」
世界の記録は流れ続ける。
乗員の声。
警報。
青い光。
七番。
違う。
十一番。
暗い。
酸素。
ぶつかる。
回る。
怖い。
助けて。
誰かが言った。
誰が言った。
ロジーが言ったのかもしれない。
「助けて」
その声を、廊下を通りかかった職員が聞いた。
扉が開く。
「ロジー?」
ロジーは振り向かなかった。
職員の目に最初に入ったのは、白く発光するデバイスだった。
次に、床へ座り込みかけているロジー。
「医療班! 情報班主任! 至急!」
職員がロジーへ近づく。
「触らないで!」
ロジーが叫んだ。
「触ったら、どれが今か分かんなくなる!」
「ロジー、私を見てください」
「誰!?」
職員の足が止まった。
ロジーは目を見開いていた。
泣いている。
けれど、目の前の職員を見ていない。
「誰なの! いつの人!? 今いる!? 記録!?」
「今ここにいます」
「今っていつ!?」
廊下から情報班主任が駆け込んできた。
一目で状況を確認する。
高温警告。
処理量超過。
会話文脈の崩壊。
現在認識の低下。
何をしたのかは分からない。
だが、何が起きているかは分かった。
「ロジー」
主任が正面へ回る。
「私を見てください」
ロジーの瞳が動く。
一瞬だけ主任の顔で止まり、すぐに焦点を失う。
「主任?」
「はい」
「本物?」
「ここにいます」
「今の?」
「今の私です」
「前の記録じゃない?」
「違います」
「どうやって分かるの」
主任は答えに詰まらなかった。
「あなたが、私を見ているからです」
ロジーの唇が震えた。
「私、見てる?」
「見ています」
「私、いま考えられてる?」
「考えられています」
「ほんと?」
「はい」
医療班と技術班が到着する。
技術班職員がデバイスの状態を確認した。
「全処理領域が飽和しています。原因不明の情報処理が継続中」
「停止できますか」
「何の処理か識別できません」
技術班職員の指が動く。
「通常機能の一括停止は危険です。神経補助と自己認識維持まで止まります」
ロジーが怯えた顔をする。
「止めないで」
「止めません」
主任が即答する。
「デバイスは外しません」
「ほんと?」
「約束します」
「私、分かんなくなる」
「だから外しません」
技術班職員が別の画面を開いた。
「緊急安定処理を実行します。神経補助、現在認識、自己記憶を最優先。それ以外の処理へ供給されている機能を遮断します」
「それで止まるかは」
「分かりません」
主任は短く答えた。
「実行してください」
ロジーが首を振る。
「だめ」
「ロジー」
「まだ見つけてない」
その一言で、情報班主任は理解した。
何をしたかではない。
なぜしたかを。
「S‐十二ですか」
ロジーの目から涙がこぼれる。
「青い光。七番。十一番かも。暗くて。誰かが言ってた。でも、誰の記録か分かんない」
「もう探さなくていい」
「見つかってない!」
「捜索班が探しています」
「私なら見られる!」
「今のあなたは、見たものを区別できていません」
「できる!」
「できていません」
主任の声は厳しかった。
ロジーが息を詰まらせる。
「だって、助けないと」
「そのために、監理局があります」
「私も監理局だよ!」
「だから、命令します」
情報班主任はロジーの肩を掴んだ。
「情報班職員ロジー。現在の作業を中止してください」
ロジーは泣きながら主任を見た。
「やだ」
「中止してください」
「私、役に立てる」
「知っています」
「だったら!」
「役に立つことと、壊れることを同じにしないでください」
ロジーの顔が歪んだ。
技術班職員が緊急安定処理を実行する。
デバイスの白い光が、一度だけ大きく膨らんだ。
次の瞬間、すべての表示が消える。
世界の記録から、ロジーの指が引き剥がされた。
完全な遮断ではない。
デバイスが、ロジーを維持するために必要な処理だけを残し、それ以外を捨てた。
頭上の輪に、弱い桃色の光が戻る。
ロジーの身体から力が抜けた。
情報班主任が抱き止める。
「ロジー」
返事がない。
「名前を言えますか」
ロジーの唇が動く。
「……ロ」
「ゆっくりで構いません」
「ロジー」
「はい」
「私」
「そうです」
「情報班」
「はい」
「監理局」
「はい」
ロジーは主任の服を握った。
「主任」
「ここにいます」
「今?」
「今です」
「ほんとに?」
「はい」
ロジーは、ようやく主任の胸元へ顔を埋めた。
声を上げて泣いた。
いつもの騒がしい泣き方ではなかった。
小さく、途切れ途切れに息を吸う。
怖かった。
情報が多かったからではない。
痛かったからでもない。
自分が誰なのか。
ここがどこなのか。
今がいつなのか。
目の前にいる人が、本当に今ここにいるのか。
それが分からなくなりかけたことが、怖かった。
「やだ……」
主任の服を、もっと強く握る。
「全部、分かんなくなるのやだ……」
情報班主任は、ロジーの背中へ腕を回した。
「分かっています」
何をしたのかは、分からない。
ロジーが何に触れたのかも。
どこから情報が流れ込んだのかも。
それでも。
これを恐れていることだけは、知っていた。
◇
測量艇S‐十二が発見されたのは、それから一時間十九分後だった。
きっかけは、最初に判明した熱膨張型樹脂だった。
調査班は、樹脂が破裂した際に放出される微細な触媒粒子を特定。
魔力嵐の中心部に残る粒子の流れを追跡した。
作戦統括官が流出経路を逆算。
戦闘班の捜索艇が、廃棄された大型観測環の内側に挟まっていたS‐十二を発見した。
乗員四名。
全員生存。
船体は回転しながら観測環へ衝突し、外部から見えない位置で停止していた。
酸素残量、四十二分。
救助報告が医療区画へ届いた時、ロジーはベッドの上で毛布に包まれていた。
頭上のデバイスには、最低限の表示しかない。
神経補助安定。
現在認識維持。
高密度情報処理禁止。
ロジーは報告を聞き、目を大きくした。
「生きてる?」
情報班主任が頷く。
「四名全員、生存しています」
「ほんとに?」
「はい」
「今の話?」
「今の話です」
ロジーは、ほっと息を吐いた。
毛布の中へ少し沈む。
「七番は?」
「発見場所の近くにあったのは、十一番観測標識です」
ロジーは黙った。
「じゃあ、間違ってた」
「七番という情報が何を示していたのか、私たちには確認できません」
「私にも分かんなくなった」
「ですから、捜索情報としては使用していません」
ロジーは少しだけ唇を尖らせた。
「役に立たなかった」
「いいえ」
主任は救助報告を開いた。
最初の項目。
右舷推進器の応急封鎖。
使用された熱膨張型樹脂。
そこから導き出された、触媒粒子の追跡。
「最初の情報は、救助に繋がりました」
「でも、そのあと失敗した」
「そうですね」
優しく誤魔化さなかった。
ロジーは毛布を握った。
「私がもっとちゃんと見られたら、もっと早かった」
「何を見たのですか」
ロジーは黙った。
情報班主任は待った。
数秒。
十秒。
ロジーは答えなかった。
「言わない」
「そうですか」
「聞かないの?」
「あなたが言わないものを、無理に聞き出すつもりはありません」
ロジーが少しだけ顔を上げる。
「でも」
主任は、デバイスの負荷記録を表示した。
「あなたが出所を示せない情報を提示した直後、デバイスに急激な負荷が発生する」
過去の記録も並ぶ。
一件。
二件。
三件。
今回を含めて、八件。
「毎回ではありません。負荷の規模も異なります。あなたが何をしているのかも、私たちには分かりません」
ロジーは無言で画面を見た。
「ですが、同じ傾向が繰り返されていることは分かります」
「偶然かも」
「八回続けば、偶然として放置できません」
「私が何してるか知らないのに」
「知りません」
主任は即答した。
「知らないから、危険ではないとも判断できません」
ロジーは視線を逸らす。
その時、医療区画の扉が開いた。
ジェレミーと副長が入ってきた。
ロジーの背筋が、少しだけ伸びる。
「局長」
ジェレミーはベッド脇へ来ると、デバイスの状態を確認した。
「現在認識は」
「安定しています」
医療班主任が答える。
「ただし、負荷残響が残っています。本日は安静。三日間は情報処理を制限します」
「三日!?」
ロジーが叫んだ。
デバイスに警告が出る。
大声による負荷上昇。
「大声までだめなの!?」
「今はやめてください」
医療班主任に言われ、ロジーは口を押さえた。
ジェレミーが救助報告を机へ置く。
「何をした」
ロジーは黙った。
「……言わない」
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
ロジーが拍子抜けしたように瞬く。
ジェレミーは続けた。
「だが、今回のような事態は許可しない」
「何をしたか知らないのに?」
「デバイスを危険域まで使用したことは分かる」
「助けようとした」
「それも分かる」
「じゃあ」
「理由は、危険な行為を許可する根拠にならない」
ロジーの頬が膨らむ。
副長がベッドの反対側に立った。
普段と同じ、薄い笑み。
ただし、目は笑っていない。
「ロジー。あなたが秘匿しているものを、私たちは暴くつもりはありません」
ロジーは副長を見た。
「本当に?」
「ええ。話さないという選択も尊重します」
副長は少しだけ身を屈め、ロジーと視線を合わせた。
「ですが、沈黙の向こう側で何をしてもよい、という意味ではありません」
ロジーの表情が硬くなる。
「今回、あなたは許可された情報処理を離れ、別室で単独行動を行った。デバイスの警告を無視し、自己認識を失いかけました」
「まだ失ってない」
「失いかけました」
「戻ったもん」
「戻れなかった可能性があります」
ロジーは何も言えなかった。
副長の声は穏やかなままだった。
「私たちは、あなたが何をしていたのか知りません。ですから、その行為自体へ許可制度を設けることも、正しい使用法を指示することもできません」
それこそが、監理局の限界だった。
知らない技術を、安全に運用することはできない。
ロジーが説明しない以上、監理局から行使を命じることもできない。
「代わりに、確認できる事実へ制限を設けます」
副長が端末を開く。
「第一。出所を提示できず、別の手段でも確認できない情報は、作戦判断の主要根拠として使用しない」
ロジーは反論しようとして、やめた。
十一番と七番。
自分でも区別できなかった。
「第二。原因不明の急激なデバイス負荷を検出した場合、あなたを直ちに職務から外します」
「勝手に?」
「勝手にです」
「私の仕事なのに!」
「あなたの生命と自己認識に関わるためです」
「私が平気って言ったら?」
「今回も言いましたね」
ロジーが黙る。
「第三。休憩命令後の単独行動を禁止。医療班または情報班主任が安全を確認するまで、一人にならないこと」
「それ、監視じゃん」
「保護です」
「言い方変えただけ!」
「実態も違います。あなたが何をしているかを覗くのではなく、倒れた時に一人にしないためです」
ロジーは毛布を鼻の下まで引き上げた。
「やだ」
副長は微笑んだ。
「却下します」
「私の意見!」
「聞きました」
「採用して!」
「採用しません」
ロジーは毛布の中へ完全に隠れた。
「大人の横暴!」
「はい」
あまりにも素直に認められ、ロジーは毛布から目だけを出した。
ジェレミーが言った。
「ロジー」
「……なに」
「あなたに、四人を助ける責任のすべてはない」
「でも、助けられるかもしれなかった」
「可能性があることと、義務があることは違う」
「私がやらなかったせいで死んだら?」
「救助の判断は私が負う」
ジェレミーの声は静かだった。
「調査班は調査をする。戦闘班は救出する。情報班は情報を整理する。作戦統括官は判断を組み立てる。私が承認し、結果への責任を負う」
ロジーは毛布を握りしめる。
「あなた一人へ、監理局全体の仕事を背負わせるつもりはない」
「私、できること多いよ」
「知っている」
「みんなより知ってることもある」
「それも知っている」
「だったら使った方がいいじゃん」
ジェレミーは少しも迷わなかった。
「使った結果、あなた自身が情報として失われるなら、認めない」
ロジーが目を見開く。
ジェレミーは救助報告を指差した。
「今回の救助は、あなたが最初に示した情報から始まった。だが、救助を完了したのは監理局全体だ」
熱膨張型樹脂を確認した情報班。
触媒粒子を特定した調査班。
軌道を逆算した作戦統括官。
危険区域へ入った戦闘班。
船体を固定した技術班。
乗員を治療した医療班。
「あなたが全部を見る必要はない」
ロジーは小さく呟いた。
「でも、見られる」
副長が答える。
「いいえ」
ロジーが副長を見る。
「今回、見られませんでした」
厳しい言葉だった。
けれど、事実だった。
記録はそこにあった。
ロジーは触れた。
それでも、情報が多すぎれば区別できない。
見つけても、自分が誰か分からなくなれば持ち帰れない。
出所を説明できなければ、作戦の根拠にできない。
能力が届くことと、事件を解決できることは同じではなかった。
「あなたの力が弱いと言っているのではありません」
副長は続ける。
「強すぎるものを、あなた一人では支えられないと言っています」
ロジーはしばらく黙っていた。
やがて、毛布の中から片手を出す。
「報告書、書く」
医療班主任が即座に止める。
「情報処理は禁止です」
「一行だけ!」
「口述してください。主任が入力します」
ロジーは少し不満そうにしたが、情報班主任を見た。
主任が端末を開く。
「どうぞ」
ロジーは考えた。
「測量艇S‐十二救助」
主任が入力する。
「右舷推進器の応急処置に関する情報から、調査班が粒子を見つけた」
入力。
「作戦統括官が場所を計算して、戦闘班が見つけて、技術班が助けて、医療班が治した」
「正確には、戦闘班と技術班による共同救出です」
「じゃあ、それ」
主任が修正する。
「四人全員、生存」
最後の一文が入力された。
ロジーは画面を見た。
自分が何をしたかは書かれていない。
どうやって整備記録を知ったのかも。
情報源欄には、
出所非公開。整備担当者の証言により事実確認済み。
と記載されている。
ロジーはそこを指差した。
「未確認じゃないの?」
「整備担当者が認めた部分は、確認済みです」
「七番は?」
「記載しません」
「正解」
ロジーは小さく頷いた。
「分かんないものを、分かったことにしない」
情報班主任も頷く。
「情報班の基本です」
ロジーは少し考える。
「私のことも?」
主任の指が止まった。
「私が何してるか、分かんないんでしょ」
「はい」
「じゃあ、分かったことにしない?」
「しません」
「でも止める?」
「止めます」
「矛盾してない?」
情報班主任は、負荷記録を閉じた。
「あなたが何をしているかは分かりません」
ロジーを見る。
「あなたが苦しんでいることは、分かります」
ロジーは黙った。
頭上のデバイスが、弱い桃色に光っている。
今ここにいるロジーの思考を支え、記憶を繋ぎ、自分と他者の記録を分けている。
全部を見るためではない。
ロジーが、ロジーでいるために。
ロジーは毛布へ頬を埋めた。
「……次は、もっと狭くする」
副長がすぐに答える。
「次がある前提で話さないでください」
「独り言!」
「聞こえました」
「記録しないで!」
「情報班主任」
副長が呼ぶ。
「今の発言は記録対象ですか」
ロジーが勢いよく毛布から飛び出す。
「ちがう! 今のなし! 削除! 忘れて!」
情報班主任は、ようやく少しだけ笑った。
「残しません」
「ほんと?」
「本人が残さないと指定しましたから」
「よし!」
ロジーは満足そうに頷いた。
その直後、デバイスに警告が出る。
安静にしてください。
「分かってるよ!」
ロジーが怒鳴る。
すぐに次の警告。
大声を控えてください。
「デバイスまでいじわる!」
医療区画に、ほんの少しだけ笑いが起きた。
ロジーはまだ不満そうだった。
秘密を話すつもりもない。
たぶん、次に誰かが危険になれば、また一人で何とかしようとする。
監理局も、それを完全には防げない。
何を止めればよいのかさえ、知らないのだから。
それでも。
ロジーが出所のない答えを口にした時。
その直後にデバイスが悲鳴を上げた時。
急に静かになった時。
今が分かるかと尋ねた時。
監理局は、もう見逃さない。
秘密の中へ踏み込まなくても。
その向こう側で、小さなロジーが潰れかけていることだけは、見失わない。
全部は分からない。
だからこそ。
分かっていることだけで、守るのだった。




