第40話-父の日作戦!
惑星監理局の朝は、いつも通り少し騒がしい。
廊下を清掃ロボが走り、技術班が昨日壊れた観測端末の復旧状況を確認し、戦闘班の職員たちが訓練室へ向かっていく。
その中を、レトは両手で小さな箱を抱えながら、いつもよりずっと慎重に歩いていた。
「右、異常なし……左、異常なし……箱、かわいい……中身、もっとかわいい……」
箱は淡い青色の包み紙で包まれている。
リボンは黒。
その中央には、レトが硝子質の魔力で作った小さな透明の星飾りがついていた。
いつもの短剣みたいな鋭い硝子細工ではない。
丸くて、少しいびつで、でも光を受けると青白くきらきらする、小さな星。
レトはそれを胸元にぎゅっと抱きしめた。
「今日は父の日……父の日……でも、お兄さんはお父さんじゃなくてお兄さん……でも、いっぱい育ててくれたから……でもでも、お兄さんはお兄さん……」
廊下の角で、通りかかった職員が足を止めた。
「レトさん、何か任務ですか?」
レトはぱっと顔を上げた。
「そう、任務っ!」
職員は即座に察した。
「重要任務ですね」
「うん! お兄さんに贈り物を渡す任務だよ!」
その瞬間、近くの資料室の扉がほんの少しだけ開いた。
隙間から、ロジーのピンク色のおさげが見えた。
「ふむふむふむふむ」
ロジーはデバイスのカメラを起動していた。
「レトが父の日で局長にプレゼント。これは歴史的資料。保全対象。映像、写真、音声、会場、導線、全部必要」
「ロジー?」
レトが振り向く前に、ロジーは扉を閉めた。
そのまま全力で走った。
向かった先は、会議室予約端末。
ロジーは迷いなくタッチパネルを叩く。
「第一大会議室、予約! 使用者、情報班ロジー! 目的、重要記録作業! 時間、今から丸一日!」
端末が確認音を鳴らした。
第一大会議室。
上位委員会の議員を迎える時にも使う、監理局でかなり格式のある部屋である。
ロジーは腕を組み、にやりと笑った。
「よし。占拠完了」
背後から、ふわっとした声がした。
「なに占拠したの?」
エルだった。
白髪の毛先が淡くピンクに揺れている。
ロジーは振り返って、両手を広げた。
「父の日会場!」
「父の日会場」
「レトが局長にプレゼント渡すの! その場を普通の局長室で済ませるのは、記録者として許されない!」
「へえ」
エルは少し首を傾けた。
「きれいにする?」
「する!」
ロジーは即答した。
「父の日おめでとう、って飾る! あと撮影用の背景! あと局長が入ってきた瞬間にレトが照れたり跳ねたりするから、その角度を押さえる! 局長は表情が薄いけど絶対ちょっと目元が変わるから、そこも撮る!」
「ジェレミーの目元」
「そう! 局長の目元!」
「たぶん、見逃したらもったいないね」
「分かってるじゃん!」
ロジーはエルの手を取った。
「手伝って、エル!」
「うん。あたし、きれいな空間作る」
その日、第一大会議室は完全に封鎖された。
扉にはロジーの手書きでこう貼られていた。
『重要記録作業中。入室禁止。副長絶対禁止。レトはもっと禁止』
その貼り紙を見た副長は、廊下でしばらく無言になった。
「……私も禁止ですか」
通りかかった職員が言った。
「副長、笑ってますよ」
「笑っていません」
「かなり笑ってます」
「気のせいです」
会議室の中は、すでに会議室ではなくなっていた。
エルが天井近くに、小さな硝子の星をたくさん浮かべている。
光源はないのに、星々は淡く光っていた。
壁にはロジーが作った文字飾り。
『父の日おめでとう』
ただし、その下に小さく、
『お兄さんありがとう記録会』
と追加されていた。
さらにその横に、
『レトがかわいい確認会場』
と勝手に書き足されていた。
エルは長机をひとつずつ動かし、空間を柔らかく広げるように整えた。
本来なら重厚な会議用の部屋なのに、そこにはやわらかい白い布がかけられ、青と黒のリボンが飾られている。
中央には小さな台。
そこにレトが贈り物を置けるようになっていた。
ロジーは床に座り込み、カメラ位置を何度も確認していた。
「正面カメラ、横カメラ、局長の表情用カメラ、レトのぴょんぴょん用カメラ、エルの観察用カメラ、予備、予備の予備」
「多いね」
「足りないよ!」
「足りないんだ」
「だってレトは動く! 感動すると跳ねる! 泣きそうになったらお兄さんに突撃する! 局長は受け止める! その瞬間、絶対にブレたらだめ!」
エルは、ふむ、と頷いた。
「あたし、空間をちょっとだけやわらかくする。ぶつかっても痛くないように」
「最高!」
「でも人間に危ない変化はしない」
「そこは大事!」
ロジーは立ち上がり、両手を腰に当てた。
「本日の作戦名は、父の日お兄さんありがとう大記録作戦!」
エルは拍手した。
「長い」
「大事なもの全部入れたら長くなった!」
一方その頃、レトは局内のあちこちを慎重に移動していた。
贈り物は、ただの硝子細工ではない。
小さな卓上飾りだった。
透明な硝子の台座の上に、青白い彗星がひとつ浮かんでいる。
その下には、精密な硝子細工で小さな惑星監理局が作られていた。
局長室。
会議室。
食堂。
廊下。
訓練室。
ロジーがよくいる資料室。
エルがいつの間にか寝ている中庭。
そして、台座の一番前に、レトが小さく彫った文字。
『お兄さんへ。わたしを見つけてくれてありがとう』
レトはそれを何度も確認していた。
「文字、曲がってない……たぶん曲がってない……かわいい……でも、お兄さんはもっとかっこいいのが好きかな……ううん、わたしが作ったから大丈夫……たぶん……」
戦闘班の職員たちが通りかかった。
「レト、珍しく緊張してるな」
「してない!…してるっ!」
レトは曖昧なまま即答した。
しかし箱を抱く手はぷるぷるしていた。
職員たちは顔を見合わせた。
「局長に渡すのか?」
「そう!」
「なら大丈夫だ。局長は絶対に喜ぶ」
「ほんと?」
「本当」
「絶対?」
「絶対」
レトの顔がぱあっと明るくなった。
「じゃあ、わたし、えらい?」
「もうえらい」
「まだ渡してないのに?」
「準備してる時点でえらい」
レトはその場で小さく跳ねた。
「えへへへへへ!」
職員たちは揃って目を細めた。
今日はなにもせず、レトを見守ろうという共通意識が生まれていた。
そして夕方。
レトは箱を抱え、いよいよ局長室へ向かおうとしていた。
廊下の照明が少し落ち、窓の外の星が見え始める時間。
レトは局長室へ続く角を曲がろうとした。
その瞬間。
「確保!」
「確保」
左右からロジーとエルが現れた。
「ふぇっ?」
ロジーがレトの右腕を取り、エルが左手を取った。
「レト、こっち!」
「ごめんね、今はお兄さんに会いに行かなきゃいけないの!お兄さんの局長室、あっちなの!」
「今日は会議室!」
「なんで!?」
「いいから!」
「いいから」
「わたし、お兄さんに贈り物を渡す任務が!」
「その任務の会場を用意したの!」
ロジーは満面の笑みで言った。
「レトには内緒で!」
「内緒!?」
レトは目を丸くしたまま、二人に引っ張られていった。
第一大会議室の前に着く。
扉の貼り紙はすでに外されている。
ロジーが胸を張った。
「では、開場!」
扉が開いた。
レトは、息を止めた。
会議室いっぱいに、淡い星の光が浮かんでいた。
白い布。
青と黒のリボン。
天井を巡る透明な硝子星。
壁いっぱいの文字。
『父の日おめでとう』
『お兄さんありがとう記録会』
『レトがかわいい確認会場』
中央の小さな台。
その周りには、まるで贈り物を待つためだけの空間みたいに、やわらかな光が集まっていた。
レトの目が、みるみる潤んだ。
「ロジー……エル……これ……」
ロジーは得意げに胸を張った。
「丸一日占拠した!」
「占拠……制圧作戦?」
レトはそう言いながら、声が震えていた。
エルが淡々と言う。
「ちゃんと予約したから、だいじょうぶ」
「ほんと?」
「ほんと」
ロジーが片手を上げた。
「撮影準備も完璧!」
「撮るの!?」
「撮るに決まってるじゃん! 今日を残さないなんてありえないでしょ!」
レトは箱を抱えたまま、ぽろぽろ涙をこぼした。
けれど、悲しい顔ではない。
顔じゅうで笑っていた。
「わたし……わたし、ここで渡していいの?」
「もちろん!」
「いいよ」
「お兄さん、喜ぶ?」
「絶対喜ぶ!」
「ジェレミー、たぶん静かに喜ぶ」
「静かに!」
レトは何度も頷いた。
「じゃあ……呼ぶ!」
ロジーが素早く通信端末を操作した。
「局長、第一大会議室までお願いします。重要です。ものすごく重要です。あと、絶対に今すぐです」
通信の向こうで、ジェレミーの声がした。
『何が起きた』
「父の日です!」
少し沈黙。
『……了解した』
通信が切れた。
ロジーは親指を立てた。
「来る!」
レトは一気に緊張した。
「ま、待って! リボン曲がってない? 髪、変じゃない? わたし、かわいい?」
ロジーが即答した。
「かわいい!」
エルも頷いた。
「かわいい」
「ほんと?」
「記録上でも、今のレトはかなりかわいい状態!」
「見た感じもかわいい」
「えへ……えへへへ……」
そして、扉が開いた。
ジェレミーが入ってきた。
いつもの黒い服。
いつもの落ち着いた足取り。
表情も大きくは変わらない。
だが、部屋を見た瞬間、ほんの少しだけ目が細くなった。
ロジーのカメラが、無音でその瞬間を捉えた。
「撮れた」
ロジーが小声で勝利宣言した。
ジェレミーは会議室を見回し、それからレトを見て、台座に置かれた箱を見た。
「レト」
「お兄さん!」
レトは箱を抱えて一歩前に出た。
そのまま勢い余って走り出しそうになり、必死にこらえた。
「今日は……父の日で……でも、お兄さんはお父さんじゃなくて、お兄さんで……でも、わたしのこと、ずっと見ててくれて……育ててくれて……守ってくれて……」
言葉が渋滞した。
レトは一度深呼吸した。
それから、両手で箱を差し出した。
「お兄さん、ありがとう!」
ジェレミーは静かに近づいた。
膝を折って、レトと目線を合わせる。
「受け取っていいか」
「はい!」
ジェレミーは箱を受け取った。
リボンをほどく手つきは、とても丁寧だった。
包み紙を開き、中の硝子細工が現れる。
青白い彗星。
小さな監理局。
そして文字。
『お兄さんへ。わたしを見つけてくれてありがとう』
部屋が静かになった。
ロジーも、珍しく何も言わなかった。
エルは、浮いている星の光を少しだけ弱めた。
ジェレミーは硝子細工をしばらく見ていた。
それから、レトを見た。
「レト」
「はいっ」
「これは、私の局長室に置く」
レトの顔が弾けた。
「ほんと!?」
「ああ」
「毎日見る?」
「見る」
「朝も?」
「朝も」
「夜も?」
「夜も」
「お仕事中も?」
「仕事に支障が出ない範囲で見る」
「支障出るくらい見て!」
「それはできない」
「お兄さんまじめ!」
ジェレミーの口元が、ほんのわずかに緩んだ。
「ありがとう、レト」
その一言で、レトは限界を迎えた。
箱も包み紙も置いたまま、ジェレミーに飛びついた。
「お兄さんっ!」
ジェレミーは当然のように受け止めた。
レトはぎゅううっとしがみつく。
「わたし、がんばった!」
「分かっている」
「えらい?」
「えらい」
「かわいい?」
「かわいい」
「お兄さん、わたしのこと好き?」
ジェレミーは一拍だけ置いた。
それから、いつも通りの声で言った。
「好きだ」
レトは顔を真っ赤にして、ジェレミーの胸元に額を押しつけた。
「えへへへへへへへへへ……!」
ロジーは両手で口を押さえながら、無音で足踏みしていた。
「撮れてる撮れてる撮れてる撮れてる……!」
エルは隣で、じっと二人を見ていた。
「父の日って、いいね」
「いいでしょ!」
ロジーは小声で言った。
「来年はもっと大きい会場にしよ」
「宇宙規模?」
「そこまでは怒られる!」
「そっか」
その時、扉の外から副長の声がした。
「入室しても?」
ロジーは叫んだ。
「今いいところだから、ちょっと待って!」
「私は一日中締め出されていますが」
「重要記録中!」
「なるほど。では後で見せてください」
「編集してからね!」
「無編集版もお願いします」
「副長わかってる!」
レトはジェレミーに抱きついたまま、顔だけ上げた。
「お兄さん」
「なんだ」
「父の日、おめでとう」
ジェレミーは少しだけ首を傾けた。
「私は父ではない」
「うん。お兄さん」
「父ではないが、レトのことは娘のように想っている」
レトは満面の笑みのまま、なにも喋らなかった。
ジェレミーはただ、レトの頭に手を置いた。
「ありがとう」
「うん!」
「また、頼んでいいか」
レトは固まった。
「来年も……?」
「ああ」
「また作っていいの?」
「もちろん」
レトはぱあっと輝いた。
「ロジー! エル! 来年も会議室!」
ロジーが拳を突き上げた。
「予約戦争、勝つ!」
エルが頷いた。
「来年はもっと星を増やす」
ジェレミーは静かに言った。
「業務に支障のない範囲で」
三人は同時に答えた。
「はーい!」
その声が会議室の星に反射して、きらきらと広がった。
父の日の会議室は、夜まで少しだけ明るかった。
局長室の机には、その日のうちに小さな硝子細工が置かれた。
青白い彗星と、小さな監理局。
そして、その前を通るたびに、レトは必ず確認する。
「お兄さん、今日も見た?」
ジェレミーはそのたびに答える。
「見た」
「かわいい?」
「かわいい」
「えへへへへへ!」
その一連の会話まで、ロジーは当然のように記録していた。
記録名は、
『父の日お兄さんありがとう大記録作戦・初年度完全版』
だった。




