第38話-私は悪い子
報復された者たちは、誰にも訴えられなかった。
証拠がなかったからではない。
証拠という形にする前に、自分たちが何をされたのか説明できなかった。
ある者は、眠れなくなった。
目を閉じるたびに、砕ける腕の感覚が戻る。
自分の腕ではない。
だが、痛い。
腹部を抉られた熱。
神性存在の声に頭蓋を満たされる圧迫感。
そして何より。
「助けなきゃ」と思ってしまう心。
それが、一番耐えがたかった。
ある者は、会議で発言できなくなった。
「戦力の有効活用」
そう言おうとした瞬間、喉が詰まる。
脳裏に、包帯だらけの小さな少女が浮かぶ。
任務だから。
誰かを守るから。
そう信じて、誰もいない宇宙で壊れていった背中。
言葉は、もう便利な道具ではなくなっていた。
ある者は、退役願を出した。
理由欄には何も書けなかった。
上官に問われても、ただ首を振った。
「私は、命令を扱う資格がありません」
それだけだった。
ある者は、逆に壊れたように仕事を続けた。
以前より慎重に。
以前より冷徹に。
以前より規則を守って。
秘匿通信という言葉を聞くたび、顔色を変えた。
監理局の名前が出るたび、指先が震えた。
ロジーの姿を思い出すからではない。
レトの痛みを思い出すからだった。
彼らは処分を受けた。
地位を失い、権限を失い、軍歴に消えない傷を負った。
だが本当の処罰は、書類の中にはなかった。
夜ごと、記憶の奥で始まる。
誰もいない避難航路。
聞こえるはずのない「助けて」。
砕ける身体。
それでも立とうとする少女。
そして彼らは、理解した。
ロジーは正義を執行しに来たのではない。
裁判をしに来たのでもない。
ただ、返しに来た。
自分たちが数字にした痛みを。
作戦成果に変換した苦しみを。
本人の性質と呼んで利用した優しさを。
実感として。
その後、惑星連合軍ではひとつの不文律が生まれた。
監理局所属の箱庭の娘に、監理局を通さず接触してはならない。
作戦名で釣ってはならない。
善意を命令に変えてはならない。
それは規則ではない。
恐怖だった。
けれど、最も重い変化は別にあった。
彼らは誰も、レトに謝罪できなかった。
許しを求めれば楽になる。
謝れば、少しは人間に戻れる。
それが分かっていた。
だからこそ、できなかった。
あの痛みを受け取った後では、謝罪すら自分のために見えた。
ある夜。
退役した元高官が、ひとりで空を見上げた。
遠くの惑星系に、硝子みたいな星の光があった。
彼は膝をつき、声もなく泣いた。
誰にも届かない。
記録にも残らない。
それでも、彼の中には残っている。
レトの痛み。
ロジーの声。
「忘れたら、また来るね」
彼は忘れなかった。
忘れられなかった。
◆
ロジーは、二度目も夜に来た。
報復のためじゃない。
仕返しのためでもない。
ただ、見に来た。
非公開医療施設。
軍の高官だった男は、そこで休職扱いになっていた。
身体は健康。
脳にも異常はない。
診断書にも異常はない。
それなのに職務復帰できない。
眠れないから。
病室の窓辺に、小さな影が座っていた。
「やっほ」
男は飛び起きた。
呼吸が止まりそうになる。
「き、み……」
「うん、私」
ロジーは足をぶらぶらさせる。
「安心していいよ」
少し間を置いて。
「今日は何もしない」
男は震えていた。
あの日と同じだった。
あの会議室。
あの痛み。
あの声。
思い出しただけで吐き気がする。
ロジーは黙って見ていた。
「怒りに来たのか」
男が聞く。
「違うよ」
「なら、何だ」
ロジーは少し考えた。
そして正直に答えた。
「見に来た」
男は意味が分からなかった。
ロジーも説明できなかった。
だから、しばらく黙った。
やがてロジーが言う。
「ねえ」
「……なんだ」
「まだ痛い?」
男は答えなかった。
答えられなかった。
代わりに、目を伏せた。
それだけで十分だった。
ロジーは窓の外を見る。
「私ね」
小さな声。
「たぶん悪いことした」
男が顔を上げる。
ロジーは続けた。
「だから、もうしない」
もちろん。
相手に謝るつもりはない。
許してもらうつもりもない。
でも。
ジェレミーに頭を撫でられた夜。
副長にハンカチを渡された夜。
レトが「いて」と言った夜。
あれから少し考えた。
「レトの痛みはなくならなかった」
ロジーは言う。
「あなたたちが痛くなっても」
静かな声。
「全然なくならなかった」
男は黙っていた。
ロジーも黙る。
病室は静かだった。
「君は」
男が掠れた声で言う。
「私たちを許したのか」
ロジーは即答した。
「許してないよ」
男は苦笑した。
その方が、妙に安心した。
「じゃあ何故来た」
ロジーは少し首を傾げる。
「分かんない」
本当に分からなかった。
でも。
「確認かな」
「確認?」
「うん」
ロジーは男を見る。
あの日、権限を振るっていた人間。
数字で判断した人間。
レトを囮にした人間。
でも今目の前にいるのは。
怯えている一人の人間だった。
ロジーは小さく息を吐く。
「ちゃんと後悔してるんだなって」
男は目を閉じた。
「している」
その答えに嘘はなかった。
ロジーにも分かった。
長い沈黙。
やがて男が聞く。
「監理局は知っているのか」
「知らない」
「そうか」
「たぶん気付いてるけど」
ロジーは苦笑した。
「局長も副長も頭いいから」
男は少しだけ笑った。
初めてだった。
ロジーが来てから。
「君は」
男が言う。
「危険だな」
ロジーは笑う。
「知ってる」
「君たちは危険だ」
男は続けた。
「レトも」
「うん」
「エルも」
「うん」
「そして君も」
ロジーは少しだけ考えた。
それから頷いた。
「そうだね」
否定しなかった。
箱庭の娘たちは危険だ。
人間より強く。
人間より長く覚え。
人間には届かない場所へ手を伸ばせる。
制御なんてできない。
でも。
ロジーは少しだけ笑った。
「だから監理局がいるんだと思う」
男は黙る。
「私たちを閉じ込めるためじゃなくて」
ロジーは立ち上がる。
「帰る場所を作るために」
その言葉に。
男は何も返せなかった。
ロジーは窓枠へ登る。
「じゃあね」
「待て」
男が呼び止める。
ロジーが振り返る。
男はしばらく迷った。
何を言えばいいのか分からなかった。
謝罪か。
後悔か。
弁解か。
どれも違う気がした。
結局。
出てきた言葉はひとつだけだった。
「レトは」
掠れた声。
「元気か」
ロジーは少し驚いた顔をした。
そして。
少しだけ嬉しそうに笑った。
「うん」
いつもの笑顔だった。
「元気になってきたよ」
男は目を閉じる。
それを聞けただけで十分だった。
次の瞬間。
ロジーは消えた。
痕跡は残らない。
記録も残らない。
監視映像にも映らない。
ただ。
その夜だけは。
男は少しだけ眠れた。
夢の中で。
包帯だらけの少女が。
泣きながら、それでも笑っていた。




