第36話-レトの秘密作戦!
惑星系規模の神性存在が、目を開いた。
それは一体の怪物ではなかった。
恐怖だった。
祈りだった。
助けて、という声だった。
惑星ひとつでは足りないほどの精神集合が、災厄として形を持ったもの。
だから惑星連合軍は、監理局と共同作戦を組んだ。
民間居住惑星群の避難が完了するまで、神性存在の権能を逸らし、防衛線を維持する。
監理局側の指揮は明確だった。
レトは遊撃。
単独で中枢へ接触させない。
神性存在の視線を、一身に受けさせない。
それが絶対条件だった。
戦域外縁。
レトは砕けた衛星軌道の上を飛んでいた。
淡緑の髪が無重力に広がる。
周囲には、硝子短剣が星屑みたいに浮かぶ。
「右側の祈りの波、切るね!」
『許可する。深追いするな』
「了解っ!」
レトは笑って、空間を蹴った。
硝子短剣が走る。
神性存在の末端権能が裂け、黒い祈りの霧が散った。
その向こうで、避難船団が離脱していく。
守れている。
レトは嬉しかった。
任務だった。
誰かを守る任務だった。
その時、個人端末に秘匿通信が入った。
監理局回線ではない。
でも、軍用認証。
レトは一瞬だけ首を傾げて、それから出た。
「はいっ、レトです!」
『特別作戦指令だ』
低い声。
『南軌道避難路に、民間船団が取り残されている』
レトの顔が変わる。
「ほんと!?」
『監理局へ通している時間はない』
『君なら間に合う』
『作戦名、最後の避難路確保作戦』
作戦名。
任務。
誰かを守る。
レトの中で、それは全部同じ場所に刺さった。
『頼めるか』
レトは迷わなかった。
「了解! わたし、行く!」
でも。
そこに避難船団はいなかった。
最初から。
連合軍の一部が欲しかったのは、神性存在の視線を逸らすための囮。
監理局が絶対に許可しない手段。
神性存在の中枢へ、レトを近づけること。
小さくて、強くて、誰かを守ると言えば止まらない箱庭の娘を。
災厄の前に置くことだった。
南軌道。
そこは静かだった。
静かすぎた。
「避難船団のみなさーん!」
返事はない。
「いたら返事してー!」
何もない。
代わりに、星空そのものがレトを見た。
神性存在の視線。
惑星系全域の恐怖が、一点へ向く。
レトへ。
「……あ」
次の瞬間。
世界が潰れた。
痛みより先に、声が来た。
助けて。
死にたくない。
置いていかないで。
怖い。
怖い。
怖い。
何億もの声が、レトの頭の中へ流れ込む。
「ちが……」
レトは歯を食いしばる。
「わたし、助けに来たの……!」
硝子短剣を展開する。
でも、短剣は生まれた瞬間に砕けた。
神性存在の権能が、空間ごと圧縮していた。
骨が軋む。
皮膚が裂ける。
魔力が燃える。
左腕が、硝子みたいに砕けた。
「いっ……!」
悲鳴が漏れる。
でも、レトは止まらなかった。
「まだ、いるかも……!」
存在しない避難民を探して。
誰もいない航路を守るために。
レトは前へ進んだ。
監理局。
副長がモニターを見て、笑みを消した。
「レトの位置がおかしい」
職員が凍る。
「南軌道……? 指示していません!」
「通信記録は」
「ありません!」
副長の声が低くなる。
「誰が命令した」
その直後。
レトの生体反応が急落した。
魔力反応、限界域。
身体損壊率、危険域。
精神負荷、測定不能。
ジェレミーが立ち上がった。
「転送座標を出せ」
「局長、あそこは神性存在の中枢圏です!」
「出せ」
それだけだった。
レトはもう立てなかった。
両脚は砕けていた。
腹部には、空間圧壊で空いた傷。
右肩から胸まで、祈りの刃に裂かれている。
左腕はない。
それでも、残った手で硝子短剣を作ろうとしていた。
「任務……」
涙が浮かぶ。
「避難路……守るの……」
誰もいない。
でも、レトには声が聞こえていた。
助けて。
助けて。
助けて。
だから、立たなきゃいけない。
「わたし、えらいって……」
膝が崩れる。
「言ってもらうんだから……」
銃声がした。
神性存在の末端権能が弾ける。
もう一発。
さらに一発。
祈りの霧に、穴が空く。
レトが顔を上げた。
「お兄さん……?」
ジェレミーが歩いてきた。
ハンドガン一丁。
宇宙服も、重装備も、過剰な護衛もない。
ただ、撃つ。
神性存在の視線を撃ち抜くように。
レトへ向かう災厄を、ひとつずつ消していく。
「お兄さん……っ」
その声で、レトは崩れた。
「いたい……」
涙がこぼれる。
「お兄さん、いたい……!」
ジェレミーは膝をつき、レトを抱き上げた。
「知っている」
「避難船団、まだ……」
「いない」
レトの目が揺れる。
「え……?」
「そんな任務は存在しない」
静かな声だった。
でも、神性存在の声より強かった。
「君は帰る」
「でも、誰かが……」
「君だ」
ジェレミーは言った。
「今、助けるべきなのは君だ」
レトは口を開いた。
何か言おうとした。
でも、言葉にならなかった。
痛い。
怖い。
悔しい。
騙された。
でも、それより先に。
お兄さんが来てくれた。
その安心で、レトは子供みたいに泣いた。
帰還後。
医療棟は戦場になった。
医療班が叫ぶ。
技術班が魔力循環を繋ぐ。
生活班が泣きそうな顔で血を拭く。
副長は一度だけレトを見た。
そして、静かに踵を返した。
笑顔だった。
けれど職員たちは誰も、話しかけなかった。
ロジーは、医療棟の前にいた。
頭上のデバイスが細かく震えている。
「……記録、あるよ」
副長が足を止める。
「秘匿通信か」
「うん」
ロジーの声は、いつもの声じゃなかった。
「通信履歴はない。端末ログも消えてる。軍側の作戦記録にも残ってない」
副長は黙る。
「でも、言葉は世界に残る」
ロジーは端末を握りしめた。
「レトに作戦名を言った声も」
一拍。
「避難船団なんていないって知ってた会話も」
もう一拍。
「本人の性質を利用する、って言ったやつも」
副長の目が細くなる。
「局長へ」
「もう送った」
ロジーは小さく笑った。
泣きそうな顔で。
「私、記録係だから」
数時間後。
連合軍の臨時査問室。
ジェレミーは一人で入った。
資料を置く。
「確認する」
軍上層部は沈黙していた。
「君たちは、共同作戦の指揮系統を無視した」
誰も答えない。
「監理局を介さず、レトへ秘匿通信を行った」
沈黙。
「存在しない避難船団を理由に、神性存在の中枢圏へ誘導した」
ひとりが、硬い声で言った。
「結果として、惑星系全域への権能拡散は遅延しました」
ジェレミーはその男を見た。
「結果の話はしていない」
室温が下がったようだった。
「君たちは、子供の善意を兵器として扱った」
「彼女は戦闘員です」
別の将校が言う。
ジェレミーは否定しなかった。
「そうだ」
静かに。
「レトは監理局戦闘班所属の遊撃戦力だ」
そして、一歩近づく。
「だからこそ、正式な命令系統で動かす」
もう一歩。
「だからこそ、監理局が責任を持つ」
さらに一歩。
「だからこそ、君たちに触らせなかった」
誰も、次の言葉を出せなかった。
夜。
医療棟。
レトは包帯だらけで眠っていた。
再生は始まっている。
でも、痛みは消えない。
魔力焼損の熱が残っている。
神性存在の声も、まだ夢に混じっている。
ジェレミーはベッド横に座っていた。
レトが薄く目を開ける。
「お兄さん……」
「起きたか」
「わたし……失敗した?」
「していない」
「でも、避難船団……」
「存在しなかった」
レトの目に涙が浮かぶ。
「じゃあ、わたし……なんのために……」
ジェレミーはレトの手を取った。
「君は守ろうとした」
「でも、守る人いなかった」
「それでもだ」
レトは唇を震わせる。
「わたし、ばかだった?」
ジェレミーの声が少しだけ強くなった。
「違う」
レトがびくっとする。
ジェレミーはすぐ、声を落とした。
「君は優しかった」
それだけで、レトは泣いた。
「次からは確認しろ」
「うん……」
「私か、副長に」
「うん」
「誰かが助かると言われても」
「うん」
「作戦名を言われても」
レトは少しだけ涙目で口を尖らせた。
「作戦名、ずるい……」
「そうだな」
「任務っぽかった……」
「そうだな」
「わたし、任務だとがんばっちゃう……」
「知っている」
ジェレミーは、レトの髪を撫でた。
「だから、君が頑張りすぎない場所を作るのが、我々の仕事だ」
レトは小さく頷いた。
「お兄さんも、一緒に守ってくれる?」
「当然だ」
レトは安心して、また泣いた。
扉の外。
ロジーはその声を聞いていた。
エルもいた。
エルは壁にもたれて、ぼんやり天井を見ている。
「あたし、あれ嫌い」
「どれ?」
「レトに、いない人を助けさせたこと」
ロジーは黙った。
エルは続ける。
「いない人のために痛いの、さみしい」
ロジーは唇を噛む。
「うん」
その目は、もう査問室の方を見ていなかった。
もっと上。
軍上層部。
命令した人間たち。
記録に残らない場所。
「私も嫌い」
ロジーは小さく言った。
「だから、忘れさせない」
エルはロジーを見る。
「ロジー、こわい顔」
「うん」
ロジーは笑わなかった。
「今日は、こわい私でいい」




