第30話-起こさないで
エルがその星へ行った理由は、遺物を見つけたからではない。
呼ばれたからだ。
声ではない。
通信でもない。
魔力反応でもない。
もっと古いもの。
名前の残響だった。
旧世代。
宇宙よりも長い時間を生きる存在。
現実と精神の境目がなく、思考するだけで想像を具現化するものたち。
彼らにとって、名前はただの呼び名ではない。
存在そのものだ。
名前が意味する力しか使えない。
名前が否定されれば、存在も壊れる。
エルの本当の名前、elkore_felico。
本当の幸せ。
だからエルは、幸せになるための魔法なら何でもできる。
けれど、旧世代の遺物には、そういう“名前だったもの”の欠片が残っていることがある。
それは道具ではない。
眠っている意味だ。
忘れられた願いだ。
まだ形になりきっていない、誰かの存在の残骸だ。
その日、エルはそれを聞いた。
――目が覚めそう。
――起きたら、たぶん壊しちゃう。
――寝かせて。
そうお願いされた気がした。
だからエルは、一人で行った。
監理局に報告すれば、正式部隊が組まれる。
封鎖が敷かれる。
解析班が動き、警備が展開し、遺物は“危険物”として扱われる。
それは正しい。
でも、その一連の刺激で、遺物が目覚めるかもしれなかった。
だから、エルは思った。
あたしなら、静かに寝かせられる。
そう思ってしまった。
それが、間違いの始まりだった。
帰還から三日間。
レトとロジーは、何も知らされなかった。
正確には、最低限だけ知らされた。
エルは帰還した。
怪我をした。
命に別状はない。
詳細は封鎖中。
独断行動は禁止。
関連情報への接触は禁止。
それだけ。
レトは初日、医療区画の境界線の前にずっと座っていた。
「わたし、任務じゃないから行かない」
何度もそう言った。
誰に言うでもなく。
自分に言い聞かせるみたいに。
でも足元には、薄い硝子片が何度も生まれては消えた。
怒っているのではない。
いや、怒っていた。
けれどそれ以上に、怖かった。
「エルががまんしたなら、わたしもがまんする」
そう言いながら、レトは泣いた。
通りかかった戦闘班員たちは、全員ひやひやしていた。
誰かが不用意に「敵」という単語を出しただけで、レトの瞳に青白い熱が灯る。
誰かが「残党」と言いかけると、空気が硝子みたいに硬くなる。
副長が一度だけ近づいた。
「レトさん。今のあなたは、とても偉いですよ」
レトはぼろぼろ泣きながら言った。
「じゃあ、えらいから、エルのとこ行っていい?」
副長は一瞬だけ沈黙した。
「だめです」
「うぅ……」
その場にいた職員全員が、内心で胸を押さえた。
かわいそうだった。
でも、行かせられなかった。
ロジーの三日間は、もっと静かで危なかった。
情報班の自席に座っている。
仕事もしている。
資料整理も、通常処理も、全部こなしている。
ただ、頭上のデバイスがずっと不安定だった。
検索しようとする。
止める。
接続しようとする。
遮断する。
記録に触れようとする。
手を引っ込める。
その繰り返し。
周囲の情報班員は、誰も軽口を叩けなかった。
ロジーが笑わない。
それだけで、情報班は十分怖かった。
「ねえ」
ロジーが隣の職員に言った。
「私、まだ何も見てないよ」
「……はい」
「偉くない?」
「かなり偉いです」
「だよね」
ロジーは笑った。
でも目が笑っていなかった。
「じゃあ、褒めて」
「ロジーさん、偉いです」
「もっと」
「めちゃくちゃ偉いです」
「うん」
ロジーは端末に視線を戻した。
「じゃあ、まだ見ない」
その場にいた職員たちは、あとで語った。
あの三日間の情報班は、封印区画より緊張感があった、と。
二日目。
レトは訓練場にいた。
ただし、模擬戦は禁止されていた。
「今のレトさんに戦闘刺激を入れるな」
それが戦闘班への通達だった。
だからレトは、硝子短剣の整列だけをしていた。
一本。
二本。
三本。
きれいに並べる。
また崩す。
また並べる。
「わたし、勝手に行かない」
ぽつり。
「エルがだめって言ったから」
ぽつり。
「お兄さんが待てって言ったから」
ぽつり。
「でも、任務になったら、行く」
その瞬間、短剣が一斉に宙で止まった。
見ていた戦闘班員が、背筋を伸ばした。
「……正式任務が出たら、お願いします」
「うん」
レトは涙目で笑った。
「そのときは、わたし、ちゃんとやる」
だから怖かった。
ちゃんとやるレトは、強いから。
三日目。
ロジーは医療区画前に来た。
レトもいた。
二人は並んで座った。
中には入れない。
詳細も聞けない。
けれど、エルの気配だけはある。
ロジーが言った。
「レト、今すぐ走ったら止められる?」
「止められる」
「誰に?」
「お兄さん」
「局長いなかったら?」
「……副長」
「副長いなかったら?」
レトは少し考えた。
「エル」
ロジーは黙った。
それから、少しだけ笑った。
「じゃあ、無理だ」
「うん」
二人はそのまま座っていた。
周囲の職員は、通るたびに胃が痛くなった。
この二人が静かにしていることが、いちばん怖い。
泣き叫ぶほうがまだ安心できる。
怒鳴るほうがまだ止めやすい。
けれど二人は、静かに待っていた。
エルが我慢したから。
自分たちも我慢する。
それだけで、三日間を耐えていた。
そして三日目の夕方。
正式任務が降りた。
情報班へ。
敵組織の全資料解析。
資金経路、通信経路、旧世代遺物への接触履歴、関係者洗い出し。
ロジーは命令書を受け取った瞬間、顔を上げた。
「合法?」
上司が頷く。
「合法です」
「正式?」
「正式です」
「見ていい?」
「見てください」
ロジーのデバイスが、静かに青く光った。
「じゃあ、全部見る」
その声は、いつもの騒がしいロジーではなかった。
情報班のロジーだった。
同時刻。
戦闘班へ。
敵組織残存拠点の捜索。
旧世代遺物関連施設の制圧補助。
封印区画警備。
必要時、遊撃戦力としてレトを投入。
レトは命令書を両手で受け取った。
何度も読む。
「正式任務」
頷く。
「許可あり」
頷く。
「お兄さんの承認あり」
頷く。
それから、ぱっと顔を上げた。
「行ける」
戦闘班員が言う。
「行けます」
レトの周囲に、硝子短剣が生まれた。
今度は震えていなかった。
怒りだけでもない。
悲しみだけでもない。
任務になった。
守るために動ける。
「わたし、ちゃんとやる」
三日間、監理局中をひやひやさせた二人が、ようやく動き出した。
勝手にではない。
暴走でもない。
監理局の命令で。
正式な手順で。
エルが壊さなかったものを守るために。
その報告を聞いたエルは、医療区画のベッドの上で小さく呟いた。
「……えらいね」
隣にいたジェレミーが言った。
「君もだ」
エルは少し考えた。
「でも、ばかだった」
「そうだな」
「怒る?」
「もう怒った」
「抱っこは?」
ジェレミーはため息をついた。
そして、エルをそっと抱き上げた。
「今回だけだ」
「うそ」
「……今回だけではない」
エルは、少しだけ笑った。
三日間の我慢が、ようやく終わった。
でも、誰も忘れない。
エルが一人で行った理由も。
一人で行ってはいけなかった理由も。
レトとロジーが、動かずに耐えた三日間も。
全部、監理局の記録に残った。




