第29話-ただいま
境界線の外
監理局の医療区画に、転移光が落ちた。
白い搬送ベッド。
血と砂に汚れた白髪。
桃色の毛先。
包帯ではまだ追いつかないほど、再生途中の小さな身体。
職員たちは叫ばなかった。
「エルさん帰還。医療班、再生補助開始」
「旧世代由来遺物、封印容器へ」
「局長指示。戦闘記録は第一級封鎖」
淡々と、速く、正確に動く。
レトとロジーには、まだ知らせていない。
先走るからだ。
レトは飛び出す。
泣きながらでも敵の残党を探しに行く。
ロジーは見る。
知らなくていい深度まで、事実を掘り返す。
だから伏せられた。
エルは処置台の上で、ぼんやり天井を見ていた。
「……帰った」
ジェレミーが横に立つ。
「帰った」
「レトとロジー、知らない?」
「知らない」
「そっか」
少し沈黙してから、エルは小さく言った。
「怒るね」
「怒る」
「泣く?」
「泣くだろう」
「……あたしも、泣いた」
「知っている」
エルは目を閉じた。
「言わないの?」
「今は言わない。君の治療と初動処理が先だ」
「正しい」
「そうだ」
正しい。
でも、やさしくはない。
そのことを、部屋にいる全員がわかっていた。
やがて医療区画の外が、少しだけ騒がしくなった。
「エルは?」
レトの声だった。
職員の声が続く。
「レトさん、ここから先は――」
「エルは?」
いつもの明るさがない。
呼吸が乱れている。
続いて、ロジーの声。
「ごまかさないで。医療区画に封鎖がかかってる。第一級封鎖。エルでしょ」
沈黙。
レトとロジーは、もう気づいていた。
顛末は知らない。
けれど、異常だけはわかる。
ジェレミーは扉の方へ向かった。
医療区画の入口。
境界線の向こうに、レトとロジーがいた。
レトは青白い熱を瞳に宿している。
ロジーの頭上デバイスは、異常な速度で明滅している。
「お兄さん」
レトが言った。
「エル、いるよね」
「いる」
「怪我してる?」
「している」
レトの顔が歪んだ。
「誰に」
「答えられない」
ロジーが一歩前へ出た。
「顛末を開示して」
「しない」
「局長命令?」
「局長命令だ」
「理由は?」
「君たちが冷静ではないからだ」
ロジーの唇が震えた。
「冷静じゃないよ」
レトがぽつりと言った。
「エルが怪我してるのに、冷静じゃないよ」
床の端に、細い硝子片が生まれかけた。
ジェレミーが静かに見る。
「レト」
それだけで、硝子片は止まった。
でも消えない。
ロジーの声は低かった。
「私なら調べられる」
「知っている」
「今すぐ全部見られる」
「だから止めている」
「……ずるい」
「そうだ」
「エルが何をされたか、私たちだけ知らないなんて、ずるい」
その時、奥から小さな声がした。
「ロジー」
二人が同時に固まる。
処置台の上で、エルが少しだけ顔を向けていた。
「レト」
レトの目から、すぐ涙が落ちた。
「エル」
「来ちゃだめって、言われた?」
「言われた」
「来た?」
「来た」
「そっか」
エルは、少しだけ笑おうとした。
でもうまくいかなくて、表情が泣き顔に戻った。
「ただいま」
レトは境界線の手前で止まったまま、両手を握りしめた。
「おかえり」
ロジーも言った。
「おかえり。……何があったの」
エルは首を横に振った。
「まだ、だめ」
「なんで」
「あたしが、がまんしたから」
ロジーが息を呑む。
エルは続けた。
「レトもロジーも、がまんして」
レトが泣きながら言った。
「わたし、助けに行きたかった」
「うん」
「敵、やっつけたかった」
「うん」
「でも、もう終わった?」
「終わった」
「お兄さんが?」
「うん。戦闘班も」
レトはその場にしゃがみこんだ。
「じゃあ、わたし、がまんする」
ロジーは黙っていた。
デバイスの光だけが、不安定に揺れている。
ジェレミーが言う。
「入室は許可しない。ここで待つことは許可する」
ロジーが小さく返す。
「記録は」
「禁止だ」
「検索は」
「禁止だ」
「推測は」
「それは止められない。だが動くな」
ロジーは悔しそうに顔を歪めた。
「……わかった」
レトとロジーは、境界線の外に座った。
入らない。
聞かない。
飛び出さない。
掘り返さない。
エルが壊さなかったものを、自分たちが壊さないために。
処置室の中で、エルは目を細めた。
「えらいね」
レトが泣きながら首を振った。
「エルがえらい」
ロジーが膝を抱えたまま呟く。
「えらいけど、ばか」
「うん」
「ほんとにばか」
「うん」
「でも、おかえり」
エルは、また少し泣いた。
「……ただいま」
その夜、レトとロジーには、最後まで顛末は知らされなかった。
ただ、エルが帰ってきたことだけを知らされた。
エルが生きていることだけを、許された。
それだけで、二人は境界線の外に座り続けた。
監理局は動き続ける。
報告書が積まれ、封印容器が運ばれ、敵組織の情報が精査される。
でも医療区画の入口だけは、少し違った。
泣き疲れたレト。
一度も記録を取らないロジー。
眠りかけながら、二人の気配を探すエル。
誰も入れない境界線の外で、二人は朝まで待っていた。
◆
封印番号:E-0級-旧世代遺物
エルが帰還してから三日後。
惑星監理局地下封印区画。
普段は静かなその場所に、監理班、技術班、調査班の責任者たちが集まっていた。
厚い隔壁。
三重結界。
魔力遮断層。
情報遮断層。
そして中央には、小さな封印容器。
黒ずんだ金属片が収められている。
見た目は本当に何でもない。
ただの破片だ。
だからこそ恐ろしい。
「旧世代由来であることを確認」
「名称不明」
「機能不明」
「起動条件不明」
「危険度評価不能」
報告が続く。
監理局ではよくある報告ではない。
むしろ最悪に近い報告だった。
分からない。
それが一番危険だからだ。
監理班責任者が書類を閉じた。
「E-0級封印案件として扱います」
誰も異論を挟まない。
旧世代由来。
それだけで十分だった。
その頃。
局長室。
「ごめんなさい」
エルは正座していた。
小さい。
すごく小さい。
机の向こうではジェレミーが腕を組んでいる。
「勝手に外出したな」
「した」
「単独行動したな」
「した」
「危険物に接触したな」
「した」
「報告しなかったな」
「した」
素直だった。
言い逃れもしない。
エルは俯いた。
「怒ってる?」
「怒っている」
「すごく?」
「すごく」
エルはしゅんとした。
「ごめんなさい」
ジェレミーは少し沈黙した。
そして言った。
「君は運が良かった」
エルが顔を上げる。
「今回は助かった」
静かな声だった。
「戦闘班が間に合った」
「うん」
「敵が旧世代を理解していなかった」
「うん」
「遺物が即時起動しなかった」
「うん」
「だが、どれか一つ違えば結果は変わっていた」
エルは何も言わない。
ジェレミーは続けた。
「私は局長だ」
「うん」
「だから叱る」
「うん」
「君が誰であろうと叱る」
エルは小さく頷いた。
「うん」
それから。
少しだけ沈黙が落ちた。
エルは俯いている。
怒られている最中だから。
でも。
次の瞬間。
ふわりと身体が浮いた。
「あれ」
ジェレミーが抱き上げていた。
エルが固まる。
「え」
「終わりだ」
「終わり?」
「説教は終わりだ」
エルが瞬きをした。
「え」
ジェレミーはそのまま抱き締めた。
強くはない。
壊れないように。
でも離さないように。
「無事でよかった」
エルが固まる。
完全に固まる。
旧世代。
創造者。
硝子玉の宇宙。
そんな肩書きが全部吹き飛ぶくらい固まる。
「……」
「……」
数秒。
十秒。
二十秒。
そして。
「……うん」
小さな声が漏れた。
「ただいま」
「おかえり」
エルは目を閉じた。
少しだけ泣きそうだった。
その頃。
情報班。
ロジーの机に、一枚の正式命令書が置かれた。
ロジーは三日間ずっと待っていた。
勝手な調査は禁止。
アクセスも禁止。
記録の閲覧も禁止。
だから待った。
待つしかなかった。
命令書を開く。
そこに書かれていた内容を見た瞬間。
ロジーの目が変わった。
仕事の目になった。
「やっとだ」
頭上デバイスが淡く光る。
命令内容。
敵組織の全情報解析。
資金経路。
関係者。
潜伏拠点。
関連研究機関。
押収資料。
全部。
ロジーの担当だった。
「ふふ」
久しぶりに笑った。
怖い笑いではない。
安心した笑いだった。
「じゃあ、やるか」
彼女は端末を開く。
「待ったんだからね」
小さく呟く。
「ちゃんと合法的に全部見る」
情報班が動き始めた。
戦闘班。
レトも命令書を受け取っていた。
敵組織残党の捜索支援。
封印区画警備。
回収済み拠点の再確認。
正式任務。
レトは命令書を何度も読んだ。
「正式」
確認。
「正式任務」
確認。
「許可済み」
確認。
「お兄さん許可」
確認。
三回確認した。
それから。
ふわっと笑った。
「行ける」
周囲の戦闘班員たちが少し安心した。
三日間のレトは危なかった。
暴走はしない。
規則も守る。
でも。
ずっと怒っていた。
静かに。
ずっと。
今は違う。
任務になった。
許可が出た。
だから動ける。
「がんばる」
硝子短剣が一つ生まれる。
「ちゃんとやる」
戦闘班員が笑う。
「頼んだぞ」
「うん!」
今度のレトは迷わない。
私情ではない。
正式な任務だ。
だから全力だった。
その日の夕方。
局長室のソファ。
エルが座っている。
隣にはレト。
向かいにはロジー。
三人とも無言。
少しだけ変な空気。
やがてロジーが言った。
「エル」
「ん」
「ばか」
「うん」
レトも言った。
「ばか」
「うん」
「すごくばか」
「うん」
エルは全部認めた。
ロジーがため息をつく。
レトもため息をつく。
そして。
レトがそっとエルの肩に寄りかかった。
ロジーも反対側から寄る。
エルが挟まれる。
「重い」
「我慢して」
「我慢して」
「理不尽」
二人とも即答だった。
エルは少しだけ笑った。
理不尽だった。
でも嫌ではなかった。
だから何も言わなかった。
局長室の窓の外では、監理局が忙しく動いている。
封印された旧世代遺物。
始まった調査。
動き出した情報班。
動き出した戦闘班。
問題はまだ終わっていない。
むしろこれからだ。
それでも。
少なくとも今だけは。
三人とも、ちゃんと監理局にいた。
それだけで十分だった。




