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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち【旧版】  作者: 硝子玉の宇宙
長編-旧世代の残光

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第28話-旧いかおり

旧世代の落としもの


その星は、地図上では無名に近かった。


文明はある。

街もある。

港も、市場も、灯りもある。

けれど監理局の重要監視対象ではない。旧世代災害の記録も、神性存在の兆候も、表向きには存在しなかった。


だからこそ、エルはひとりで来た。


「……ん」


星の外縁部。

廃棄された採掘都市の跡地。

風化した金属柱と、半分砂に埋もれた古い歩道。


エルは白い髪を揺らしながら、瓦礫の間を歩いていた。

毛先の桃色が、薄曇りの光を拾って淡く滲む。


一人散策。


もちろん、監理局が許可するはずがない。


エル単独。

護衛なし。

申請なし。

目的地未共有。


監理局の規定なら、始末書どころでは済まない。


けれどエルは、ふらりと来てしまった。


理由は単純だった。


旧世代由来の遺物が、ある。


そう感じたからだ。


「旧いにおい、する」


エルは瓦礫の前でしゃがみこんだ。

指先で砂を払う。

そこにあったのは、黒ずんだ小さな金属片だった。


ただの金属ではない。

名前の残響があった。


旧世代は、名前に縛られる。

名前が存在そのもの。

力も、意味も、終わり方も、名前に従う。


だから、その欠片に残った意味は、エルにはわかってしまう。


「……これ、放っておいたらだめなやつ」


監理局に持ち帰るべきだった。

正式に封印し、解析し、誰にも触らせないようにするべきだった。


でも、エルは通信を入れなかった。


怒られるからではない。


いや、少しはある。


けれどそれ以上に、これが本物なら、通信の一瞬で誰かに拾われる可能性があった。

旧世代由来の遺物は、欲しがる者がいる。

価値を理解していなくても、力だけを求める者がいる。


だから、先に回収しようとした。


その判断は、間違いではなかった。


間違いだったのは、エルがひとりだったことだ。


空が裂けた。


音もなく、黒い降下艇が雲の下から現れた。

一機、二機、三機。

都市跡の上空を包囲するように展開し、装甲兵が次々と降りてくる。


エルは立ち上がった。


「……あ」


相手は、エルを見ていた。

偶然ではない。


遺物を探している。

そして、エルがそれに触れた瞬間を見ていた。


指揮官らしき兵士が、低い声で命じる。


「対象個体、排除。遺物を確保しろ」


エルは首を傾げた。


「それ、だめ」


「撃て」


最初の衝撃が、エルの身体を吹き飛ばした。


小さな身体が瓦礫に叩きつけられる。

肩が潰れ、腕が変な方向へ曲がる。

白い髪が砂と血で汚れた。


エルは、すぐには起き上がらなかった。


起き上がれないのではない。

死なない。

この程度では、エルは死なない。


でも、痛かった。


「再生反応あり」


「旧世代関連個体の可能性」


「拘束ではなく破壊を優先。残骸でも価値がある」


次の攻撃が来た。


腹部。

脚。

頭部横。

何度も、何度も。


エルは抵抗しなかった。


できなかったのではない。


しなかった。


許可がないから。


監理局の許可なく、単独で出た。

監理局の手順なく、旧世代遺物に接触した。

監理局の監視なく、敵性組織に襲撃された。


この時点で、エルはもう自分を信用できなかった。


痛い。

怖い。

腹が立つ。

いやだ。


その感情のまま魔法を使ったら、どうなるかわからない。


エルの魔法は、技術ではない。

術式を組むものではない。

幸せを願えば、世界がそう変わる。


なら、今のエルが願う幸せは何か。


痛くないこと。

怖くないこと。

誰もあたしを傷つけないこと。

あの人たちがいなくなること。

この場所ごと、なかったことになること。


それは、星ひとつを壊す願いになりかねない。


「……だめ」


エルは血の混じった息で呟いた。


「いま、あたしがやったら、だめ」


装甲兵の足が、エルの背中を踏んだ。


遺物の欠片が、エルの手から転がる。

兵士がそれを拾う。


「確保」


エルは指を伸ばした。


「それ、だめ……」


足が、さらに強く押しつけられた。


ごみみたいだった。


邪魔なものを踏み、蹴り、壊れたか確認して、使えないなら捨てる。

そんな扱いだった。


エルは地面に頬を押しつけられたまま、空を見ていた。


この星の空は、思ったよりきれいだった。


「……あたし、散歩してただけなのに」


そのとき、空間が鋭く割れた。


監理局の転移門。


続いて、戦闘班が雪崩れ込んだ。


「対象確認!」


「エルさん発見!」


「遺物保持者、敵部隊中央!」


通信越しに、ジェレミーの声が響いた。


『全員、殺傷を最小限に抑えろ。遺物を破損させるな。エルの周辺半径二十メートル、火力制限』


戦闘班が一斉に動いた。


黒い装甲兵たちは反応したが、遅い。

監理局の戦闘班は、正規の急襲部隊を相手にするための部署ではない。


それ以上のものを相手にするための部署だ。


転移。

拘束術式。

遮断結界。

装甲の関節を撃ち抜く精密射撃。

逃走経路の封鎖。


敵の指揮官が叫ぶ。


「撤退しろ! 遺物を――」


言葉は最後まで続かなかった。


銃声が一つ。


指揮官の手元の装置だけが破壊される。


ジェレミーが、転移光の中から歩いてきた。


ハンドガンを下ろさないまま、冷たい目で戦場を見た。


「撤退は許可しない」


敵部隊の士気が折れた。


数分後、全てが終わった。


遺物は回収された。

敵組織の部隊は捕縛された。

通信妨害装置も押収された。

この組織が旧世代由来の遺物を独占し、解析し、兵器化しようとしていた証拠も、その場で押さえられた。


監理局の勝利だった。


被害は、最小限だった。


エル以外は。


ジェレミーが、瓦礫の横に膝をついた。


エルは血と砂にまみれていた。

身体は再生を始めている。

砕けた部位がゆっくり戻り、裂けた皮膚が閉じていく。


それでも、痛みは残っている。


エルはぼんやりジェレミーを見た。


「……見つかった」


「見つけた」


「勝手に来た」


「知っている」


「怒る?」


「怒る」


「いま?」


ジェレミーは、エルの髪についた砂を払った。


「今は違う」


エルは少しだけ目を細めた。


「……あたし、魔法使わなかった」


「ああ」


「使ったら、だめだった」


「ああ」


「えらい?」


ジェレミーはすぐに答えなかった。


その沈黙が、エルには少し怖かった。


やがて彼は、静かに言った。


「よく耐えた」


その言葉を聞いた瞬間。


エルの顔が、くしゃりと歪んだ。


涙が出た。


最初は一粒だけだった。

それから、止まらなくなった。


「……こわかった」


小さな声だった。


戦闘班の何人かが、動きを止めた。

ジェレミーは振り返らずに言う。


「作業を続けろ」


全員が、すぐ動いた。


エルは泣いた。


「あたし、痛かった。いやだった。すごく、いやだった」


「そうか」


「あの人たち、あたしのこと、ごみみたいにした」


「そうだな」


「でも、あたしが怒ったら、もっとだめになるかもしれなかった」


「わかっている」


「あたし、がまんした」


「見ていた」


「ジェレミー」


「何だ」


「帰っていい?」


ジェレミーは、エルの小さな身体を慎重に抱き上げた。


「帰る」


エルは、彼の服を弱く掴んだ。


「……レトとロジーには」


「まだ知らせていない」


「なんで?」


「先走る危険があった」


エルは涙で濡れた目を瞬かせた。


「うん」


少し考えてから、震える声で言った。


「正しい」


「そうだ」


「でも、怒るね」


「怒るだろうな」


「泣く?」


「泣くだろう」


エルはジェレミーの胸元に額を寄せた。


「……あたしも、泣いちゃった」


「泣いていい」


「旧世代なのに?」


「関係ない」


「硝子玉の宇宙、作ったのに?」


「関係ない」


「ごみみたいにされたのに、死なないのに?」


ジェレミーは、少しだけ腕に力を込めた。


「関係ない」


エルは、また泣いた。


今度は声が出た。

幼くて、途切れ途切れで、いつもの淡々とした響きがどこにもない泣き声だった。


戦闘班は見ないふりをした。

医療班は搬送準備を急いだ。

回収班は遺物を封印容器に収めた。


誰も、エルを創造者として扱わなかった。


その場にいたのは、勝手に外へ出て、危ないものを見つけて、敵に踏みにじられて、それでも壊さずに耐えた、小さな女の子だった。


転移門が開く。


監理局へ帰る光の中で、エルは小さく言った。


「……ただいまって、言える?」


ジェレミーは答えた。


「言える」


「怒られるのに?」


「怒られても、帰っていい」


エルは泣きながら、ほんの少しだけ頷いた。


「そっか」


そして、硝子砂の星から、エルは帰還した。



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