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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち  作者: 硝子玉の宇宙


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第20話-安全プリン

外部研究組織〈リオル魔力生命体研究機構〉の視察申請は、完璧に近かった。


申請書類は整っている。

研究目的は明確。

持ち込み機材の一覧も、魔力計測器、観察記録端末、非侵襲型の魔力波形測定器のみ。

事前面談に来た責任者も、礼節をわきまえていた。


「我々はあくまで、魔力生命体の自律性と社会適応について学びたいのです。監理局の保護方針には敬意を持っています」


言葉は穏やかだった。

表情も崩れない。

箱庭の娘たちを「検体」と呼ばず、「彼女たち」と呼んだ。


だからこそ、監理局は少しだけ警戒した。


誠実に見える者ほど、誠実である証明に時間がかかる。

魔力生命体の研究機関。

それは、分類上は箱庭の娘たちと無関係ではない。


副長は視察許可書に目を通しながら、いつもの薄い笑みを浮かべていた。


「書類は綺麗ですね。綺麗すぎるくらいです」


作戦統括官が眉間にしわを寄せる。


「疑わしい点は?」


「現時点ではありません。なので、正式に通します」


「警戒は?」


「当然、最大です」


ジェレミーは局長席で短く言った。


「規定通りに扱え。規定から外れた瞬間、終わりだ」


その日、リオル研究機構の一行は、惑星監理局へ入った。


案内役は外務班と監理班。

視察経路は事前に決められ、立ち入り可能区域も制限済み。

研究者たちは終始礼儀正しく、過度に近づくことも、無許可で撮影することもなかった。


ロジーが遠くからじーっと見ていた。


「んー……ちゃんとしてるね。ちゃんとしすぎてて、逆に記録価値ある」


「ロジー、見すぎ」


「見学者を見学するのも監理局の文化でしょ?」


「そんな文化はない」


外務班職員に即答され、ロジーは「えー」と頬を膨らませた。


レトは、その日は食堂へ向かう途中だった。


いつものように、廊下をてくてく歩く。


「右、異常なし。左、異常なし。床、ぴかぴか! 今日もえらい! わたし、おなかすいた! 異常なし!」


本人はかなり真剣だった。

ただスムージーと、できればプリンが欲しかっただけなのに、歩行はすでに任務になっていた。


視察団のひとりが、ちょうどその廊下にいた。


監理局職員の姿はない。

少なくとも、見える範囲には。


その男は、穏やかに膝を折った。


「レトちゃん」


レトはぴたっと止まった。


「はいっ」


「君のことは資料で見たよ。とてもいい子なんだね」


「えへへ」


レトの顔が一瞬で緩む。


「わたし、いいこ?」


「うん。すごくいい子だ」


「すごく……!」


レトの両手が胸の前でぎゅっと握られた。

褒められると弱い。

とくに、真正面から言われると、レトはすぐ嬉しくなる。


男は白い手袋の指先で、小さな包みを取り出した。

透明な飴だった。

淡く青白く光る、硝子細工みたいな飴。


「だから、内緒でお菓子をあげるよ」


「おかし!」


レトの瞳がきらきらした。


「内緒?」


「うん。レトちゃんだけに」


「わたしだけ……!」


それは、レトにとってかなり強い言葉だった。

特別。

いい子。

お菓子。

しかも硝子みたいできれい。


レトは両手で包みを受け取った。


「ありがとう! わたし、ちゃんと味わってたべるね!」


男が微笑んだ。


「うん。今、食べていいよ」


レトは包みを開けた。

きらり、と飴が廊下の照明を受けて輝く。


その瞬間だった。


『レトさん、たべないでください』


廊下の放送が鳴った。


声は副長だった。


いつもの柔らかい声。

けれど、その奥にある温度は低い。


レトの手が止まった。


「ふぇ?」


『その飴を口に入れないでください。ゆっくり床に置いて、一歩下がってください』


「え、え、でも、お菓子……」


『外部からの貰い物は、必ず検査にかける。監理局の絶対手順です』


レトの背筋が伸びた。


「ぜったい手順……!」


その言葉には弱い。

任務も手順も、レトにとっては真剣なものだった。


レトは飴を見た。

男を見た。

もう一度、飴を見た。


「た、たべません!」


レトはものすごく慎重に飴を床へ置いた。

そして、ぴょこんと後ろへ跳ねる。


「わたし、手順を守りました!」


『大変よくできました。そのまま動かないでください』


その直後、天井でも壁でも床でもない空間から、極小の光点がいくつも浮かび上がった。


極小カメラドローン。

普段は空調のゆらぎ、照明の反射、壁面の模様に紛れるほど小さい。

監理局には、一見すると監視カメラのない場所がある。


それはブラフだった。


監理局に死角はない。


男の表情が、初めて崩れた。


「これは、誤解です」


廊下の角から、監理班職員が現れた。

反対側から外務班。

さらに少し遅れて、戦闘班が無言で通路を塞ぐ。


副長も歩いてきた。


笑っている。

いつものように。


けれど、レトはその笑顔を見た瞬間、なぜか少しだけ怖くなった。


「副長……?」


「レトさん。こちらへ」


「はい……」


レトがとてとて副長の後ろへ移動すると、戦闘班職員がそっと間に入った。

男との距離が完全に切られる。


副長は床の飴を見た。


「無許可の物品授受。対象は箱庭の娘。しかも職員不在に見える地点を選んだ」


「ですから、誤解です。子供に菓子を渡しただけで」


「その言い訳をするために、子供扱いしたわけですね」


副長の声は穏やかだった。


「便利ですからね。子供に見える相手なら、規定違反も善意に見せやすい」


男は黙った。


副長は通信端末に触れた。


「証拠保全。対象者を隔離。視察団全員の行動ログを固定。持ち込み品を再検査。医療班、分析班、現場へ」


『了解』


レトは副長の背中の後ろで、だんだん不安そうになっていた。


「わたし……お菓子、もらっちゃった」


副長は振り返った。


「受け取っただけです。食べていません」


「でも、内緒って言われて、うれしくなっちゃった」


「内緒にしなかったので、偉いです」


「スピーカーが言ってくれたから……」


「スピーカーではなく私です」


レトは唇をむにゅっと結んだ。


「わたし、いいこ?」


副長は少しだけ笑みを深めた。


「はい。とても」


そのあと、飴は魔力隔離ケースに入れられた。


分析結果は、すぐに出た。


飴に含まれていたのは、魔力生命体の身体構成要素、その大部分を占める魔力流動を一時的に麻痺させる特殊薬品だった。


人間が口にしても、せいぜい苦味と軽い胃痛程度。

だが、箱庭の娘のように魔力と肉体構造が深く結びついた存在に使えば、身体機能の停止、魔術行使不能、意識混濁、最悪の場合は生命維持への干渉まで起こり得る。


つまり、菓子ではない。


拘束具だった。


ジェレミーは報告を聞いたあと、しばらく無言だった。


局長室の空気が凍る。


「レトは」


「無事です。摂取していません」


「そうか」


それだけ言って、ジェレミーは立ち上がった。


怒鳴らなかった。

机も叩かなかった。

ただ、銃を持っていない手が、ほんのわずかに握られていた。


副長は淡々と続けた。


「リオル魔力生命体研究機構への視察許可を即時停止。全員を規定区域内に隔離済み。外部通信は遮断ではなく、監理局立ち会いのもと記録保存。こちらに不利な手順不備はありません」


「潰せ」


「合法的に?」


「当然だ」


副長はにこりとした。


「承知しました。正式な手順に則って、徹底的に」


そこからの監理局は速かった。


証拠映像。

音声記録。

飴の成分分析。

持ち込み品の隠蔽履歴。

申請書類との差異。

事前面談での虚偽申告。

研究機構内部で作成された薬品ロット番号。

魔力生命体への無許可投与実験計画。

過去の失踪記録との照合。


ロジーは情報班の席で、にこにこしながら端末を叩いていた。


「わー、すごい。表に出してる研究報告、きれいすぎ。裏帳簿、きたなすぎ。記録価値は高いけど、人間性の評価が地の底」


「ロジー、余計なことはするな」


作戦統括官が言う。


ロジーは振り返らずに答えた。


「してないよ。正式照会で出てくる範囲だけ。……正式照会でこんだけ出てくるの、もう終わりだけど」


監理局は、違法な制裁をしなかった。


必要がなかった。


監理局は監理局として動いた。

法的手続き、監査請求、研究認可の停止、関連機関への通達、被害未遂の告発、保有薬品の押収、資金流入経路の調査。

逃げ道になりそうな条文は先に塞ぎ、言い訳になりそうな曖昧さは証拠で潰した。


副長は外部機関との会議で、終始穏やかだった。


「我々は感情的な報復を求めていません。ただし、魔力生命体を無断で薬品投与対象にする研究機関を、研究機関として存続させる理由もありません」


相手側の弁護担当が言った。


「まだ実害は出ていないはずです」


副長は笑った。


「未遂で済んだのは、こちらの監視体制が正常に機能したからです。加害側の情状にはなりません」


その一言で、部屋の空気は決まった。


リオル魔力生命体研究機構は、合法的に、正式な手順に則って、徹底的に解体された。


後日。


食堂で、レトはプリンを前にして固まっていた。


白いお皿。

ぷるぷるのプリン。

カラメルはきれいな琥珀色。

いつもなら即座に目を輝かせて、スプーンを握りしめるところだった。


しかし今日のレトは違った。


真剣な顔で、プリンを見つめている。


「これは……」


隣のロジーが端末を構える。


「出た。レトのプリン鑑識」


レトはスプーンを構えた。


「これは……毒プリン……!?」


食堂職員が即答した。


「安全プリンです」


「でも、ぷるぷるしてる」


「安全にぷるぷるしています」


「カラメルが、あやしい色」


「安全なカラメル色です」


「甘い匂いでわたしを油断させようとしてる」


「おいしい匂いです」


レトはむむむっと眉を寄せた。


「証明できますか!」


食堂職員は、待ってましたと言わんばかりに、小さな札を取り出した。


『検査済:安全』

『外部由来物質なし』

『魔力流動阻害成分なし』

『食堂班おすすめ』


レトは札を見た。

プリンを見た。

札をもう一度見た。


「食堂班おすすめ……!」


その言葉は強かった。


ロジーが横から言う。


「私も検査ログ見たよ。安全プリン。むしろ幸福度上昇成分が多い」


「幸福度上昇成分!」


「砂糖」


「お砂糖つよい!」


そこへエルがふわふわ歩いてきた。


「あたしも食べる」


「エル、これは安全プリンだよ!」


「そっか」


エルはすとんと席に座った。


「じゃあ、幸せプリンだね」


レトの顔がぱあっと明るくなった。


「幸せプリン!」


そこへジェレミーも来た。


レトはすぐ振り返る。


「お兄さん! これは安全プリンです!」


「そうか」


「毒プリンじゃなかった!」


「よかったな」


ジェレミーはレトの隣に立ち、プリンの皿を見た。

それから、レトの頭にそっと手を置く。


「外でもらったものは食べるな。迷ったら職員を呼べ」


「はい!」


「怖くなったら、私を呼べ」


レトは一瞬、目を丸くした。

それから、両手でスプーンを握ったまま、こくこく頷いた。


「呼ぶ。ぜったい呼ぶ。お兄さん、すぐ来てくれる?」


「行く」


「すぐ?」


「すぐだ」


レトは安心したように笑った。


「じゃあ、プリン食べる」


「食べろ」


レトはスプーンでプリンをすくった。

まだ少しだけ慎重に匂いを嗅ぐ。


「安全……?」


食堂職員、ロジー、エル、ジェレミーがほぼ同時に言った。


「安全」


レトはぱくっと食べた。


次の瞬間、頬がゆるゆるに溶けた。


「おいしい……!」


ロジーがすかさず撮影する。


「はい記録。毒プリン疑惑、完全解決」


「毒じゃなかった! プリンは味方!」


「よかったねえ」


エルが自分のプリンをつつきながら言う。


「プリン、疑われてかわいそうだった?」


レトははっとした。


「プリン、ごめんね……」


ジェレミーが静かに言った。


「レト」


「はい」


「プリンに謝る必要はない」


「……はい」


少しだけ恥ずかしくなったレトは、耳まで赤くなりながらプリンを食べた。


その日からしばらく、食堂には新しい札が増えた。


『安全プリンです』

『安全タルトです』

『安全スムージーです』

『レトさん確認済み』


レトは毎回、真剣に確認した。


「これは……安全スムージー!」


「はい、安全スムージーです」


「これは……安全タルト!」


「はい、安全タルトです」


「これは……」


食堂職員が先に言った。


「安全牛乳です」


レトは満面の笑みで両手を上げた。


「監理局、すごい!」


ロジーは笑いすぎて椅子から落ちかけた。


副長は少し離れた席で、それを見ながら穏やかに紅茶を飲んでいた。


「副長、笑ってます?」


隣の職員が聞く。


「いいえ」


「肩が震えてますけど」


「安全な震えです」


その言葉が、翌週の監理局で少しだけ流行った。


安全プリン。

安全スムージー。

安全な震え。

安全な廊下。

安全なレト。


そして、レトは今日も食堂でプリンを食べる前に、真剣な顔で札を確認する。


「安全確認、完了!」


それから、嬉しそうに笑う。


「いただきます!」



後日、食堂

食堂班は、レトのためにいつもより少しだけ豪華なプリンを用意していた。

つやつやのカラメル。

ふるふるの本体。

上には小さなクリーム。


レトは席に座って、スプーンを握ったまま、じーっとプリンを見つめている。


「……」


食堂班の職員が、少し心配そうに覗き込んだ。


「レトさん? どうしました?」


レトは真剣な顔で言った。


「これは、安全プリン?」


レトは先日の事件から、まだ警戒心が解けきっていなかった。

監理局では受けない悪意が、まだレトの中には残っていた。


「安全プリンです」


「ほんと?」


「はい。監理局食堂班製造、材料確認済み、調理工程記録済み、提供者登録済みの安全プリンです」


「……でも、お菓子の顔をして近づいてくる危険、ある」


「プリンは近づいてきていません。提供しました」


レトはスプーンを少しだけ構える。


「毒味しなきゃ」


「待ってください」


そばにいた職員が即座に止めた。


レトはきょとんとする。


「なんで?」


「レトさんが自分で毒味したら、それはただの実食です」


「毒味だよ?」


「毒味は、毒がないか確認するために誰かが先に食べることです」


「うん。だから、わたしが先に食べる」


「レトさん本人が食べるなら、確認対象が被害を受けます」


レトはスプーンを持ったまま固まった。


「……わたし、毒味に向いてない?」


「向いていません」


「ええ……」


そこへジェレミーが食堂に入ってくる。


レトはぱっと顔を上げた。


「お兄さん!」


「どうした」


「安全プリンかどうか、毒味しようとしたら止められた」


ジェレミーは一瞬だけ沈黙した。


「当然だ」


「でも、毒味しなきゃ安全かわからないもん」


「お前が毒味をするな」


「じゃあ、お兄さんがする?」


食堂班が一斉に震えた。


「局長を毒味役にする発想!」


「だめです! 局長もだめです!」


ジェレミーは冷静に席についた。


「私が確認する」


「食べる?」


「食べない確認もある」


レトは目を丸くする。


「食べない毒味……?」


「材料記録、提供者、食堂班の確認、監視記録。そういう手順で安全を確認する」


レトはプリンを見つめる。


「手順プリン……」


「安全確認済みプリンだ」


「お兄さんが見た?」


「ああ」


「食堂班さんが作った?」


「そうだ」


「知らない人のプリンじゃない?」


「違う」


「監理局のプリン?」


「監理局のプリンだ」


レトの表情が、少しずつほどけていく。


「じゃあ……安全プリン?」


「ああ。安全プリンだ」


レトはようやくスプーンを入れた。


ぷるん、と揺れるプリン。


レトは一口食べる。

そして、ふにゃっと笑った。


「……安全プリン、おいしい」


食堂班の職員たちが、ほっと息を吐いた。


「よかった……」


「警戒心が育ったのはいいことですが、食べ物への信頼が傷ついている……」


「これは食堂班の長期ケア案件ですね」


レトは二口目を食べながら、真剣に言う。


「これからプリンには、身分証をつけたほうがいいと思う」


ジェレミーが眉をわずかに動かす。


「プリンに身分証」


「うん。安全プリン証」


ロジーが通りかかって、即座に食いついた。


「なにそれ、作る!」


「ロジー!」


「安全プリン証、絶対かわいいじゃん! 発行番号つけよ! 監理局認証マークもつけよ! 食堂班の署名も!」


食堂班が小さく呻いた。


「また業務が増える……」


ロジーはもう端末を開いている。


「大丈夫、テンプレ作るから! プリンにちっちゃい旗立てよ!

『監理局認証・安全プリン』って!」


レトの目が輝く。


「旗!」


ジェレミーが静かに言う。


「食品に不要な装飾を増やすな」


「じゃあ皿の横!」


「それなら許可する」


ロジーが勝った顔をした。


「やった! 公式安全プリン制度、発足!」


「まだ発足していない」


しかし翌日。


食堂のプリン皿の横には、小さなカードが添えられていた。


監理局認証

安全プリン

提供:食堂班

確認:ジェレミー・クリエット


レトはそれを見た瞬間、胸の前で手をぎゅっと握った。


「お兄さんの確認つき……!」


そして、誇らしげにカードをプリンへ見せた。


「プリン、あなた安全なんだね。よかったね」


近くの職員が小声で言う。


「プリンに話しかけてる」


「でも今回は安心確認だから……」


「かわいいから記録していいですか」


ロジーがすでに録画していた。


「もうしてる!」


ジェレミーは少しだけため息をついたが、止めなかった。


レトは安全プリンを大事そうに食べながら、にこにこ笑う。


「これなら、こわくない。

知らない人のお菓子はだめ。

監理局の安全プリンは、だいじょうぶ」


ジェレミーは頷く。


「正しい区別だ」


レトはスプーンを掲げる。


「わたし、成長してる!」


「している」


「毒味しないで確認できる子!」


「そうだ」


レトは満足げに、最後のひとくちを食べた。


その日の食堂班記録には、こう残された。


件名:安全プリン制度について

発端:レトさんが自分で毒味をしようとしたため

結論:本人による毒味は禁止

対応:監理局認証カードを添付

効果:非常に良好

備考:レトさんはプリンに人格を見いだしているため、今後も優しく扱うこと


そしてジェレミーの追記。


警戒心は維持。恐怖にはしないこと。



安全プリン制度ができてから、レトは食堂で少しだけ慎重になった。


プリン皿の横にある小さなカードを確認する。


監理局認証・安全プリン

確認:ジェレミー・クリエット


「よし……安全プリン」


レトはスプーンを持つ。


でも、ふと、隣に立っていた食堂班の職員を見上げた。


「……あなたは安全?」


職員が固まる。


「え?」


レトはまじめな顔で、もう一回たずねる。


「あなたは?」


食堂班の職員は背筋を伸ばした。

レトは研究機関の人間に騙されかけた、レトの中でその事実がじわじわと現実味を帯びてきていた。


「私は監理局食堂班所属の職員です」


「職員さんは、毒職員じゃない?」


食堂全体が停止した。


ロジーの端末が、無音で録画を開始する。


「ど、毒職員……?」


レトはとても真剣だった。


「プリンは安全カードついてる。

でも、プリンを持ってきた職員さんが毒職員だったら、プリンちゃんが危ないかもしれない」


「プリンちゃんが危ない」


「わたしも危ない」


「それはそうですが、言い方が」


レトはじーっと職員を見る。


「あなた、毒じゃない?」


職員は両手を上げた。


「毒ではありません」


「ほんと?」


「ほんとです」


「毒職員は、自分で毒ですって言う?」


「言わないと思います」


「じゃあ、わからない……!」


職員が助けを求めるように周囲を見る。


「局長を呼んでください」


数分後。


ジェレミーが食堂へ来た。


レトはすぐに駆け寄って、ジェレミーの袖を掴む。


「お兄さん!」


「どうした」


「プリンは安全だった。でも、職員さんが安全かまだわからない」


「職員が?」


「毒職員じゃないか確認しなきゃ」


ジェレミーは一瞬だけ目を閉じた。


「毒職員という分類はない」


ロジーが横から手を上げる。


「でも名称としてはちょっとかわいいよね」


「かわいくない」


「毒職員さん、字面が強い」


「採用しない」


レトは不安そうに食堂班の職員を見る。


「お兄さん、この職員さんは安全?」


「ああ。安全だ。監理局の職員だ」


「ほんとに?」


「身分確認済み、勤務記録確認済み、食堂班所属。毒物取扱記録なし。お前に危害を加える理由もない」


レトは少し考えた。


「じゃあ……安全職員?」


「そうだ」


職員は深々と頭を下げた。


「安全職員です」


ロジーが端末に入力する。


「出た、安全職員」


ジェレミーが即座に言う。


「制度化するな」


でもレトはぱあっと安心した顔になった。


「安全職員さん!」


「はい、安全職員です」


「プリン持ってきてくれてありがとう!」


食堂班の職員は胸を押さえた。


「いえ……こちらこそ……」


ロジーがにやにや笑う。


「うわ、毒職員から安全職員に昇格した」


「私は最初から安全です」


レトはまだ少しだけ不安そうに、次の職員を見る。


「あなたも安全?」


「安全です」


「あなたは?」


「安全です」


「あなたも?」


「安全です」


食堂班の職員たちが、順番に自己申告していく。


「食堂班、安全です」


「調理器具、安全です」


「配膳カート、安全です」


「今日のクリーム、安全です」


レトはだんだん安心していく。


「よかった……食堂、毒じゃない……」


「食堂が毒だったら大事件です」


ジェレミーはレトの頭に手を置いた。


「レト。不安になったとき確認するのは正しい。ただし、相手を毒職員と呼ぶのはやめなさい」


「だめ?」


「だめだ。相手が悲しむ」


レトははっとして、食堂班の職員にぺこっと頭を下げた。


「ごめんなさい。毒職員って言って」


職員は優しく笑った。


「大丈夫ですよ。怖かったんですよね」


レトはこくんと頷く。


「ちょっとだけ。やさしい顔をした危険がいたから……」


「…ここにいるのは安全職員だけです」


「うん」


「そして私も、安全職員です」


「うん!」


ジェレミーが小さく息を吐く。


「その呼称も定着させるな」


翌日。


食堂の掲示板に、ロジー作の小さな表示が貼られていた。


本日の食堂班:安全職員です

本日のプリン:安全プリンです

毒職員はいません


ジェレミーはそれを見て、静かに剥がそうとした。


その横でレトが、ものすごく安心した顔をしていた。


「お兄さん……毒職員、いないって」


ジェレミーの手が止まる。


「……今日だけ残す」


ロジーが勝利の顔で端末を構えた。


「記録しました」


レトは安全プリンを前に、食堂班の職員へにこっと笑う。


「安全職員さん、いただきます!」


「はい。どうぞ」


レトはひとくち食べて、ふにゃっと笑った。


「安全職員さんの安全プリン、おいしい」


その日の食堂班記録には、こう残された。


件名:安全確認対象の拡大について

発端:レトさんが配膳職員を“毒職員”ではないか確認したため

対応:本人確認、所属確認、局長による安全宣言

結果:安心して喫食

備考:毒職員という語は原則禁止。ただしレトさんの不安表現として扱い、叱責ではなく説明で対応すること


ジェレミーの追記。


警戒心は肯定する。人への疑念は手順で解消させる。


ロジーの追記。


安全職員ステッカー案、提出予定。


ジェレミーの再追記。


却下。



職員休憩室・毒職員事件の余波


職員休憩室。

昼休憩の時間。


そこには、箱庭の娘たちはいない。

レトもロジーもエルも不在。

つまり、職員たちが気を抜いていい、数少ない時間だった。


食堂班の職員が、紙コップのコーヒーを持って席についた瞬間。


向かいの職員が、口元を押さえて震え出した。


「……なあ」


「なんだよ」


「毒職員って……」


「やめろ」


「おまえ、毒職員って……ふはっ」


「やめろって言ってるだろ!」


周囲の職員たちが一斉に吹き出した。


「毒職員さん、今日の勤務どうですか」


「毒は抜けましたか」


「安全確認カード、首から下げてください」


「本日の食堂班:毒性なし」


「うるせえ! 安全職員だ!」


休憩室が爆笑に包まれる。


食堂班の職員は耳まで赤くして、コーヒーを机に置いた。


「お前らな、あの場にいたら笑えないぞ。レトさん、めちゃくちゃ真剣だったんだからな」


「分かってる、分かってる」


「不安だったんだよな」


「だから本人の前では絶対笑わない」


「でも、毒職員は無理」


「語感が強すぎる」


「本人の純度が高いぶん、刺さる」


別の職員が、笑いすぎて涙目になりながら言う。


「しかもお前、ちゃんと両手上げて『毒ではありません』って言ったんだろ?」


「言うしかないだろ!」


「職務経歴で一番おもしろい答弁じゃん」


「監理局食堂班所属、毒ではありません」


「履歴書に書け」


「書くか!」


そこへ、別の食堂班職員が入ってくる。


「お疲れさまです。あ、毒職員さん」


「お前まで言うな!」


「安全職員でしたっけ?」


「そうだよ!」


「昇格おめでとうございます」


「昇降してねえ!」


休憩室の端では、戦闘班の職員が真面目な顔で腕を組んでいた。


「しかし、訓練成果としては良好だ」


「急に真面目になるな」


「不審者、食物、提供者。対象を分けて警戒できている。重要な進歩だ」


「それはそう」


「ただし呼称が毒職員だった」


また笑いが起きる。


食堂班の職員が机に突っ伏した。


「もうだめだ……俺の名前、毒職員になってる……」


「大丈夫だ。安全職員に上書きされた」


「それも嫌なんだよ」


「いいじゃん。レトさんに安全って認定されたんだぞ」


「それは……まあ……ちょっと嬉しいけど」


その一言で、周囲がにやっとする。


「嬉しいんだ」


「安全職員、嬉しいんだ」


「レトさんに『安全職員さん』って呼ばれたもんな」


「かわいかった?」


食堂班の職員は、抵抗しようとして、できなかった。


「……かわいかった」


休憩室が一瞬、静かになる。


そして全員が頷いた。


「それは仕方ない」


「安全職員になるわ」


「俺も呼ばれたい」


「安全技術班です」


「安全戦闘班です」


「安全戦闘班は意味が矛盾してるだろ」


「安全に戦闘します」


「監理局っぽい」


そこへ副長が入ってきた。


全員が少し背筋を伸ばす。


副長は休憩室を見回し、食堂班の職員を見る。


「安全職員」


「副長まで!?」


休憩室が崩壊した。


副長は涼しい顔のまま続ける。


「失礼。正式には食堂班所属、安全確認済み職員でしたね」


「正式化しないでください!」


「レトさんの心理的安定に寄与した。良い対応でした」


その言葉に、食堂班の職員は少しだけ黙る。


「……ありがとうございます」


副長は頷いた。


「ただし、毒職員という呼称は本人の前では禁止ですよ」


「分かってます」


「ロジーさんにも広めさてはいけません」


全員が沈黙した。


「……もう遅いのでは?」


「たぶん記録されてます」


「ステッカー案、出してました」


副長は眉間を押さえた。


「局長が却下したはずですが」


「ロジーさん、却下されるまで正式には却下じゃないって言ってました」


「却下されています」


「でも第二案を出す気でした」


副長が深く息を吐く。


「安全職員さん、止めておいてください」


食堂班の職員が悲鳴を上げた。


「俺の仕事増えてるじゃないですか!」


その時、休憩室の扉が開きかけた。


全員がぴたりと止まる。


淡緑の髪が、ちらっと見えた気がした。


食堂班の職員が反射的に立ち上がる。


「レトさん!?」


しかし入ってきたのは、ただの別部署の職員だった。


「え、なにこの空気」


全員が一斉に息を吐く。


「びっくりした……」


「本人が来たかと思った……」


「本人の前では絶対笑うなよ」


「泣かせたら局長案件だぞ」


「局長案件というか、監理局全体の罪悪感案件だな」


食堂班の職員はコーヒーを一口飲み、少しだけ笑った。


「まあ……レトさんが安心してプリン食べられるなら、安全職員でもいいけどな」


周囲がにやにやする。


「おっ」


「認めた」


「安全職員、就任」


「やめろ!」


休憩室の掲示板に、面白がった副長がメモを貼った。


本日の教訓:

手順に則り、安全職員であることを明示しなさい。

毒職員という呼称は、レトさんの前では使わないこと。

今回は真面目に、傷つきます。


その下に、別の誰かが追記した。


ただし本人不在時は笑ってよい。


さらにその横に、副長の字で一文。


節度を守りなさい。


最後に、食堂班の職員本人が赤ペンで殴り書きした。


俺は安全職員だ。




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