第2話-硝子の彗星の1日
レトの紹介エピソードだよ!
レトは、青いキューブの髪飾りに触れる癖がある。
考え事をしている時。戦闘前に呼吸を整える時。お兄さんに褒めてもらったあと、どうしていいか分からなくなった時。あるいは、ロジーが勢いよく近づいてきて、エルが横から不思議なものを差し出してきて、世界が少し賑やかすぎると思った時。
左側頭部で結ばれた淡緑のワンサイドテール。
その黒いリボンに、青いキューブが二つついている。
透明すぎない。けれど濁ってもいない。光を受けると、深い宇宙の底から青白い熱が灯るようにきらめく。硝子でありながら、ただの硝子ではない。宝石のように美しいが、装飾品として生まれたものでもない。
それは、レトがかつて自分の生まれた場所から受け取った欠片だった。
硝子の彗星。
レトはそこから生まれた。
親がいたわけではない。名前を呼んでくれる誰かが、最初からそばにいたわけでもない。星々の間を流れる彗星の中で、硝子質の魔力が長い時間をかけて凝り、熱を持ち、形を探し、やがて一人の少女になった。
なぜ少女の姿になったのか、レト自身にも分からない。
ただ、最初にあったものは覚えている。
冷たい光。無数の硝子片。青白い熱。遠くに見える星。自分の体の輪郭がまだ曖昧で、指先が透けそうで、声の出し方も分からなかった頃のこと。
周りにあったものは、全部、自分に近かった。
硝子片。彗星の核。凍った塵。光を反射する無機質な破片たち。
命はない。言葉もない。返事もしない。
それでもレトには、それらがまったく遠いものには思えなかった。
今はもう、レトも知っている。
物は物だ。返事はしない。意思もない。人と同じように扱うことが、物にとって正しいわけではないことも学んだ。
それでも、自分はあちら側から来たのだと思うことがある。
動かないもの。話さないもの。光を反射して存在するもの。
その近くから生まれてきた。
髪飾りの青いキューブは、それを忘れないためのものでもあった。
けれど、今のレトにとって、それは過去だけを示すものではない。
彗星がくれた欠片を、監理局の技術班が安全処理して、リボンに加工してくれた。
そして最後に、ジェレミー・クリエットがレトの髪に結んだ。
レトの中では、それはお兄さんが作ってくれたものに近かった。
あの日、ジェレミーはいつもの静かな顔で、レトの髪を整えていた。
「きつくないか」
「うん」
「重くはないか」
「重くない。きらきらしてる」
「そうか」
淡々とした声だった。
けれど、指先は丁寧だった。
レトはそれをよく覚えている。
硝子の彗星から生まれた自分に、人間社会で暮らすための形をくれた人。名前を呼び、服を選び、食事を教え、歩き方を見守り、泣いた時には理由を聞いてくれた人。
お兄さん。
レトにとって、ジェレミーはただの局長ではない。
この硝子玉の宇宙で、自分が迷子ではないと教えてくれた人だった。
◆
惑星監理局の朝は早い。
宇宙を背景に浮かぶ巨大施設は、外から見ると冷たく静かに見える。けれど中は、案外よく動く。
夜勤明けの職員が食堂へ向かう。技術班が端末を抱えて廊下を走る。医療班が検査予定を確認している。生活班は、今日も箱庭の娘たちが元気であることと、元気すぎないことを祈っている。
レトは自室の鏡の前で、髪飾りを確認していた。
黒いリボン。青いキューブが二つ。
少しだけ曲がっている気がする。
「む……」
レトは右に直した。
今度は左に傾いた気がした。
左に直した。
今度は全体が強そうな角度になった。
「これはこれで、戦闘班っぽい……?」
扉が開く。
朝の確認に来た生活班の職員が、鏡の前のレトを見て、数秒だけ沈黙した。
「レト、その角度で行くの?」
「だめ?」
「だめじゃないけど、今日は髪飾りが先に任務へ出そう」
「そんなに?」
「そんなに」
職員は近づき、手早くリボンを整えた。
右、左、固定具。
慣れた手つきで、青いキューブがちょうどよく揺れる位置に収まる。
「はい。これで大丈夫」
「ありがとう!」
「今日、戦闘班訓練だよね」
「うん! それと、お昼にプリンがあるか確認する」
「今日の優先順位、どっちが上?」
「同じくらい!」
「即答すると思った」
職員が笑う。
レトは鏡の中の自分を見る。
淡緑の髪。黒いリボン。青いキューブ。
ちゃんとしている。
それだけで、今日の自分もちゃんと始められる気がした。
「似合ってる?」
「似合ってるよ」
「ほんと?」
「ほんと」
レトの顔がぱっと明るくなる。
褒められるのは好きだ。
けれど、髪飾りを褒められるのは、少し特別だった。
それは彗星の欠片であり、監理局の技術であり、お兄さんが結んでくれたものでもある。
レトの始まりと、今の居場所が、同じリボンに結ばれている。
だから、今日も大丈夫だと思えた。
◆
食堂には、すでに朝の匂いが満ちていた。
焼いたパン。温かいスープ。職員用の濃い飲み物。甘い果物。妙に栄養効率だけを追求した、色気のない固形食。
レトはトレーを持って、窓際の席へ向かった。
ロジーがすでに座っている。
前には朝食と端末が三つ。端末の一つには監理局の予定表、もう一つには食堂メニュー、残りの一つには「今日かわいいもの暫定ランキング」と表示されている。
エルは隣の椅子に座っていた。
座っているように見えるが、よく見るとほんの少し浮いている。
手元には、小さな星型の何かがあった。
「おはよう!」
レトが言うと、ロジーが顔を上げた。
「おはよう、レト! 今日の髪飾り、角度よし! 揺れよし! かわいさ、朝から高得点!」
「点数つくの?」
「つくよ。私の中で」
「何点?」
「九十二点」
「高い!」
「残り八点は、訓練後の汗と達成感で伸びる余地」
「成長型だ!」
レトはうれしそうに席へ座った。
エルが星型の何かを掲げる。
「レト、朝の星」
「食べ物?」
「食べ物じゃない。朝を、ちょっと上手にする」
「朝を上手に?」
レトが首をかしげる。
ロジーが端末から顔を上げた。
「エル、その説明だと不安しかないよ」
「大丈夫。朝が、少し朝になるだけ」
「もう朝だよ?」
「もっと」
エルは小さな星型の魔法アイテムを、食卓の真ん中に置いた。
星はふわりと浮いた。
次の瞬間、食堂の窓から差し込む光が、テーブルの上で小さな朝焼けの形にほどけた。
パンの湯気が金色にきらめく。
スープの表面に、小さな星雲のような模様が浮かぶ。
ロジーの端末に表示されていた「今日かわいいもの暫定ランキング」の一位が、勝手に「朝」と書き換わった。
「おおー!」
レトが目を輝かせる。
「朝がすごい!」
「朝が主張してる!」
ロジーも思わず身を乗り出した。
エルは満足そうにうなずく。
「朝、上手」
その瞬間、近くの職員の濃い飲み物まで、無駄に爽やかな光を放ち始めた。
職員はカップを持ったまま固まった。
「……私の眠気対策飲料が、希望みたいな色に」
ロジーがはっとした。
「エル」
「なに?」
「検査は?」
「してない」
テーブルの空気が止まった。
レトはパンを持ったまま固まる。
ロジーの端末には、なぜか「検査してない」が大きく表示された。
エルはそれを見て、小さく言う。
「端末、正直」
「正直なのはいいけど!」
ロジーが慌てて立ち上がる。
「未検査アイテム食堂内発動! 効果はかわいい! でも未検査!」
「かわいいなら、だめ?」
「かわいくてもだめ!」
生活班の職員が遠くから歩いてくる。
顔は笑っている。
しかし手には、魔法アイテム回収用の小型ケースがあった。
「エル」
「はい」
「朝を上手にする前に、検査を上手にしようか」
「そっか」
エルは素直に朝の星を手に取った。
星は最後にぽん、と小さく光り、レトのパンの上に小さな朝焼け模様を残して消えた。
レトはそれを見つめる。
「食べていい?」
生活班の職員は確認用の小型計測器をかざした。
「……普通のパンです」
「やった!」
レトは朝焼け模様のパンをかじった。
味は普通だった。
でも、見た目がすごく朝だった。
「おいしい?」
エルが聞く。
「朝の味がする」
「パンの味じゃない?」
「パンの味もする!」
ロジーが頭を抱えながら、記録している。
「未検査発動、被害なし。かわいさ大。生活班により回収。レト、朝を食べる」
「朝を食べた!」
「食べてない。パンだよ」
「でも朝っぽかった!」
エルは少しだけ嬉しそうだった。
生活班の職員は回収ケースを閉じ、ため息をつく。
「エル、次は先に検査」
「うん。朝の前に検査」
「朝の前に検査というか、発動の前に検査ね」
「発動の前に検査」
「よし」
レトはパンを食べながら、思った。
今日も、かなり朝だ。
◆
惑星監理局、戦闘班訓練室。
広い床面に、白いラインが幾何学的に引かれている。壁は衝撃吸収材で覆われ、天井には複数の観測装置が埋め込まれていた。
魔力反応。速度。軌道。熱量。空間歪曲率。
模擬戦闘に必要なあらゆる数値が記録される。
その中央で、レトは髪飾りに触れた。
青いキューブが指先で小さく鳴る。
「レト、準備は?」
戦闘班の職員が声をかける。
レトは振り向いた。
「できてる!」
返事は明るい。
けれど、立ち方は変わっていた。
食堂でパンをかじっていた時の、ふわふわした姿ではない。ロジーに点数をつけられて頬をふくらませていた時の姿でもない。
戦闘班所属、単騎、遊撃。
レトは惑星監理局の戦力である。
小さな体に宿る魔力量は膨大で、硝子質の魔力は空間に干渉する。特に彼女が好むのは、硝子細工の短剣だった。透明な刃を無数に作り、浮かべ、飛ばし、空間を縫うように展開する。
それは美術品のように見える。
そして、戦場では恐ろしく速い。
訓練室の端で、副長が記録端末を持っていた。
金髪の細身長身。薄い笑顔。今日もいつものように、何を考えているのか少し分かりにくい顔をしている。
副長は戦闘班ではない。
だが、局長の補佐として、全体指揮や緊急時の判断を担う立場にある。必要なら現場にも出る。訓練の観察も、ただの見学ではなかった。
「レトさん」
「なに?」
「今日の訓練内容を確認します」
「勝つ!」
「いえ」
「すごく勝つ!」
「違います」
「じゃあ、いっぱい勝つ!」
「全部、勝敗です」
レトはむっとした顔をした。
副長は淡々と端末を操作する。
「本日は単騎遊撃能力の確認と、有人連携時の安全評価を行います」
「有人連携?」
「人間の戦闘班員と同じ戦場に出た場合、どこまで安全に動けるかの確認です」
「人間の人、いるの?」
「実際の隊員は入りません。まだ危険ですから」
「危険……」
レトの声が少し小さくなった。
副長はその反応を見逃さず、すぐに言葉を足した。
「レトさんが危険な子だ、という意味ではありません。あなたの力が大きいという意味です」
「うん」
「単騎で敵陣を崩す能力は、非常に高い。ですが、味方と並んで動くには、力の外縁を細かく畳む必要があります」
「外縁」
「あなたの硝子が届く範囲。熱が触れる範囲。空間が歪む範囲。短剣が飛ぶ範囲。全部です」
レトは髪飾りに触れた。
「今日は、それを見る?」
「はい」
副長は訓練室中央の奥を示した。
床から、三体の模擬敵がせり上がる。
一体は重装甲型。
一体は高機動型。
一体は術式展開型。
さらにその周囲に、人間戦闘班員を想定した青い人型ホログラムが三つ投影された。
青い人型は、攻撃しない。
ただ、戦場にいる。
守るべき味方として。
「目標は、敵性想定三体の制圧。味方ホログラムへの接触、熱干渉、空間歪曲影響は減点。訓練室設備への過負荷も減点です」
「勝つだけじゃだめ?」
「だめです」
「難しい」
「難しいから訓練です」
レトは少し考えて、うなずいた。
「じゃあ、味方に当てない。装置も壊さない。敵は止める」
「良い整理です」
「それで勝つ!」
「はい」
副長が少しだけ目を細める。
「今日の合言葉は」
「合言葉あるの?」
「全体を見る」
「全体を見る!」
「声量は十分です」
「やった!」
「まだ始まっていません」
「始まったらもっとやる!」
「ほどほどにしてください」
戦闘班の職員が笑った。
レトは訓練室中央に立つ。
明るさが、体の内側へ収まっていく。
浮き上がりそうな気持ちを、足裏で床に押さえる。
髪飾りに触れる。
青いキューブが冷たくて、少し落ち着いた。
「開始三十秒前」
戦闘班の職員が告げる。
副長の声が続く。
「レトさん。今回は速く倒すことより、味方を残すことを優先してください」
「うん」
「味方が残っていなければ、勝利とは呼びません」
レトは真剣な顔でうなずいた。
「分かった」
「三、二、一」
合図が落ちる。
「開始」
床を蹴る音はなかった。
レトの姿が消えた。
次の瞬間、訓練室の空気に、青白い線が走る。硝子の短剣が十二本、円を描いて展開された。刃は光を透かしながら、模擬敵の装甲を狙って降る。
重装甲型が前進する。
高機動型が横へ跳ぶ。
術式展開型が床面へ魔力を流す。
レトは右に現れた。
正確には、右に現れたように見えた。
空間を薄い硝子の膜で切り替えるように、彼女は位置を変える。瞬間移動と呼んでもいい。高速移動と呼んでもいい。見る者によって認識が追いつかないだけで、レトの中では、道筋がちゃんとある。
硝子を置く。
そこを通る。
世界の継ぎ目を、少しだけ自分に優しくしてもらう。
「一体!」
重装甲型の関節部に短剣が差し込まれる。
装甲は破らない。
動力だけを止める。
巨体が膝をついた。
「味方影響なし」
副長が読み上げる。
レトの表情が明るくなる。
うまくできた。
次もできる。
高機動型がレトの背後へ回る。
レトは振り向かない。
足元に薄い硝子の板を置いた。
高機動型の軌道が、ほんの少しだけ逸れる。青い味方ホログラムの横をすり抜けるはずだった敵の動きが、壁際へ追い込まれる。
「二体!」
短剣が浮かぶ。
刃は首元一センチ手前で停止した。
判定音。
レトは笑った。
「できてる!」
その声に、わずかに弾みが混じった。
術式展開型が、床面に大きな拘束陣を開く。
白いラインが光る。
青い味方ホログラムの一つが、拘束陣の端に重なっていた。
レトは見た。
床面。
側面。
味方の位置。
敵の中心。
短剣の残数。
副長の言葉。
全体を見る。
見えていた。
見えていたからこそ、思った。
今なら、全部まとめて止められる。
敵も。
術式も。
味方に届く前に。
レトの魔力が跳ねた。
青白い熱が、空気を塗り替える。
硝子短剣が増えた。
三十。
四十。
五十。
「レトさん、展開数上昇」
副長の声が飛ぶ。
レトは聞こえていた。
けれど、止まらなかった。
「大丈夫! ぜんぶ止める!」
透明な刃が、訓練室の天井近くまで広がる。
光の羽根ではない。
硝子の嵐だった。
術式展開型の周囲に、短剣が一斉に降る。
刃は敵を貫く寸前で止まるはずだった。
けれど、敵性想定の外殻が、レトの魔力圧に耐えきれなかった。
ばきん、と音がした。
次の瞬間、術式展開型が大きくひしゃげた。
破片は飛び散らない。
レトの魔力がすぐに押さえ込んだ。
だが、訓練室の床面に描かれた拘束陣ごと、敵性想定は潰れ、白いラインが一部焼け焦げた。
観測装置の一つが、高い警告音を鳴らす。
さらに二つ。
天井の端で、赤い表示が点滅した。
副長の端末にも、負荷警告が並ぶ。
「空間歪曲率、上限接近。観測装置二番、三番、記録遅延。訓練室設備に過負荷」
青い味方ホログラムは消えていない。
直接の被弾はない。
けれど、三つのうち一つが大きく揺らぎ、足元の座標を失って膝をついた。
人間なら、転倒していた。
レトはそこでようやく止まった。
「……あ」
訓練室の空気が静まり返る。
硝子短剣が、まだ空中に浮いている。
多すぎる。
綺麗だった。
けれど、綺麗すぎて危なかった。
「終了」
副長が言った。
その声は大きくない。
けれど、訓練室全体に通った。
「全刃、解除」
レトは慌てて両手を下ろした。
硝子短剣が光へほどけて消えていく。
青白い熱が薄れ、空気が戻る。
破壊された敵性想定だけが、訓練室の中央でひしゃげたまま残っていた。
観測装置が、まだ警告音を鳴らしている。
副長は端末を見て、静かに言った。
「装置が悲鳴をあげていますね」
「えっ」
レトの顔色が変わった。
次の瞬間、彼女は天井下の観測装置の方へ走っていた。
「ごめんね! 痛かった!? ごめん、強くしすぎた!」
背伸びをし、届かないので近くの壁際へ回り込み、観測装置の下にある保護カバーをそっと撫でる。
訓練室の職員たちが、なんとも言えない顔になった。
副長は一拍置いてから言う。
「レトさん」
「なに!?」
「比喩です」
「比喩……」
「装置に痛覚はありません」
「……知ってる」
レトはゆっくり手を下ろした。
顔が赤い。
「知ってるけど、悲鳴って言ったから……」
「私の表現が不適切でした」
「うう……」
副長は端末を閉じた。
少しだけ、声を柔らかくする。
「ですが、今の反応は悪いことではありません。壊したものに気づき、謝ろうとした。そこは大事です」
「でも、壊した」
「はい」
副長は否定しなかった。
レトはひしゃげた敵性想定を見る。
重装甲型と高機動型は制圧されている。
術式展開型は、制圧ではなく大破していた。
味方ホログラムは消えていない。
けれど、一つは座標を失っていた。
「敵は、止めたよ」
「止めました」
「味方、当たってない」
「直接は」
副長の声は穏やかだった。
だからこそ、逃げ道がなかった。
「ですが、人間の戦闘班員が隣にいた場合、今の魔力圧で姿勢を崩していました。場合によっては、転倒後に二次被害が出ます」
「……うん」
「敵性想定の破壊も、今回は訓練装置だから済みました。実戦であれば、破片、熱、空間の歪み、周辺構造物への影響が出ます」
「うん」
「単騎遊撃なら、非常に優秀です。敵陣に放り込めば、短時間で戦況を崩せるでしょう」
副長はレトを見た。
「ですが、人間と肩を並べて戦うには、まだ難しい」
レトは黙った。
その言葉は、叱責ではなかった。
それでも、胸の奥に刺さった。
人間と並べない。
守りたいのに。
隣に立ちたいのに。
自分の強さが、味方を押してしまう。
「レトさん」
副長が続ける。
「これは失格ではありません。今日、その課題が見えたことが訓練の成果です」
「成果……」
「はい。あなたは強い。強すぎるほどに。だから、これから覚えるのは、もっと強くなる方法だけではありません」
「じゃあ、なに?」
「小さく使う方法です」
レトは顔を上げた。
「小さく」
「はい。味方の横で、味方を倒さず、敵だけを止める。装置に悲鳴をあげさせず、人間の足元を揺らさず、それでも敵を制圧する」
「できるかな」
「できます」
副長は即答した。
レトが瞬きをする。
「ほんと?」
「はい。できるようにするために、ここで訓練しています」
その言い方は、淡々としていた。
けれど、疑っていなかった。
レトは髪飾りに触れた。
青いキューブは、訓練室の光を受けて揺れている。
壊れていない。
ほどけていない。
レトは小さく息を吸った。
「……次は、装置に悲鳴あげさせない」
「比喩ですが」
「比喩でも!」
「分かりました」
「味方も倒さない」
「はい」
「敵も、必要以上に壊さない」
「それが今日の課題です」
レトはひしゃげた敵性想定に向かって、少しだけ頭を下げた。
「壊しすぎてごめん」
副長は何も言わなかった。
戦闘班の職員たちも笑わなかった。
その謝罪が、物に向けたものなのか、訓練に向けたものなのか、自分の力に向けたものなのか、レト自身にも少し分からなかった。
ただ、言わないといけない気がした。
それからレトは顔を上げる。
「副長」
「はい」
「わたし、単騎遊撃は向いてる?」
「非常に」
「人間と一緒は?」
「これからです」
「じゃあ、これからやる」
「はい」
副長は薄く笑った。
「そのために、まず医療班と技術班の確認へ行きましょう」
「うん」
「それと、観測装置へ謝罪した件は記録に残します」
「残さなくていい!」
「重要な情緒反応です」
「恥ずかしい情緒反応だよ!」
戦闘班の職員が、今度こそ少し笑った。
レトも、少しだけ頬をふくらませた。
悔しい。
恥ずかしい。
でも、悪いだけの気分ではなかった。
できていないところが分かった。
できるようになりたいことが増えた。
それは、たぶん、訓練としては良い日だった。
◆
訓練後の確認は、いつもより少し長かった。
魔力循環、体温、装備状態、空間干渉の残り、硝子短剣の回収率。
さらに、訓練室設備への過負荷記録、味方ホログラムへの影響推定、敵性想定の破損度合い。
医療班と技術班の職員が手際よく確認し、端末に結果を並べていく。
「体温、高めだけどいつも通り」
「うん」
「魔力循環は訓練後として許容範囲。ただし一瞬跳ねてる」
「調子に乗ったところ?」
「たぶんそこ」
「うう……」
「短剣の回収漏れなし。髪飾りも傷なし」
「ほんと?」
「ほんと。かなり動いたけど、ズレてない」
レトはほっとした。
訓練で失敗することより、髪飾りが壊れる方が嫌かもしれない。
もちろん、戦闘班としてはそれでは駄目なのだろう。
でも、大事なものは大事だった。
技術班の職員が別端末を見ながら言う。
「観測装置二番と三番は再調整。修理というほどではないね」
「ほんと?」
「ほんと」
「ごめんって言ってたって、伝えて」
「装置に?」
「……技術班に」
「うん。伝えておく」
職員は笑った。
レトは少しだけ赤い顔で、報告確認欄を押した。
「はい、終了。昼食行っていいよ」
「プリンあるかな」
「今日は必要そうだね」
「訓練後のプリンは、勝利にも反省にも効くから」
「万能薬みたいに言う」
「万能じゃないけど、強い」
レトは軽く手を振って、検査室を出た。
次の予定は決まっている。
プリンである。
◆
食堂は、訓練室とは別の意味で騒がしかった。
昼食の時間を少し過ぎていたが、監理局の食堂はいつも誰かがいる。任務明けの職員、会議前に軽食を取る者、夜勤に備えて早めの食事をする者。大型ホログラムには本日のメニューと、各班からの連絡事項が並んでいる。
レトは入り口で立ち止まった。
「プリンある!?」
真っ先に確認する。
食堂班の職員が笑った。
「あるよ。訓練後だから大きい方?」
「大きい方!」
返事は迷いなかった。
トレーにプリンを乗せてもらい、レトは食堂の奥へ向かった。窓際の席に、ロジーとエルがいる。
ロジーはテーブルいっぱいに紙ナプキンを広げ、その上にシールを並べていた。エルは椅子に座っているようで、よく見ると少し浮いていた。二人の間には、食べかけの映えスイーツと、用途不明の小さな魔法アイテムが置かれている。
「レトだ!」
ロジーが手を振る。
「訓練どうだった? 勝った? 負けた? 副長に何か言われた? 面白いことあった?」
「敵は止めた! 敵想定を壊しすぎた! 装置に謝った! 人間と一緒はまだ難しいって言われた!」
ロジーは一瞬で端末を構えた。
「情報が多い! 順番に!」
「敵は止めた!」
「うん!」
「敵想定を壊しすぎた!」
「うん!?」
「装置が悲鳴をあげてるって副長が言ったから、ごめんねって撫でに行った」
ロジーは口元を押さえた。
肩が震えている。
「ロジー、笑ってる」
「笑ってない。記録者として震えてるだけ」
「笑ってる!」
「だって、レトが装置に謝りに行くの、かわいすぎるし、でも状況はたぶん結構重大だし、感情が忙しい」
「忙しいのは分かる」
ロジーは深呼吸して、端末に記録を打ち込んだ。
「で、人間と一緒はまだ難しいって?」
「うん」
レトはプリンの器を見つめる。
「単騎遊撃は向いてるって。敵陣を崩すのはすごくいいって。でも、人間の人が近くにいたら、わたしの魔力圧で倒れちゃうかもって」
「そっか」
ロジーの声が、少しだけやわらかくなった。
「レト、しょんぼり?」
「ちょっと」
「でも、できないって言われたんじゃないでしょ」
「これからって言われた」
「じゃあ、これからだね」
「うん」
エルがレトを見ていた。
「レト、強いの、広い」
「広い?」
「うん。レトの強い、外まで来る」
エルは両手を広げた。
「あたしも、広くなるとだめって言われる」
「エルも?」
「うん。広いと、いっぱい変わる」
レトは少しだけ目を丸くした。
エルの言葉は、いつも少し不思議だ。
でも、今日は少しだけ分かった。
力が広すぎると、届かなくていいところまで届く。
自分は敵だけを止めたいのに、味方の足元まで揺らしてしまう。
「じゃあ、わたしも小さくする練習する」
「うん」
「エルも?」
「あたしも」
「一緒だ」
「一緒」
エルが少しだけ嬉しそうにした。
ロジーがその瞬間を逃さず記録する。
「今のいいね。強すぎる二人の、ちいさくする練習」
「ロジーも何か練習ある?」
「私は、記録したい気持ちをちょっとだけ待たせる練習」
「みんな練習してる!」
「監理局は練習するところでもあるからね」
ロジーが胸を張った。
その直後、エルが横から小さな硝子のスプーンを差し出した。
「レト、これ使う?」
「なに?」
「プリンが最後まできれいにすくえるスプーン」
「使う!」
レトは即答した。
エルはスプーンをレトの手に置く。
その瞬間、スプーンの先が少しだけ光った。
レトは何の疑いもなく、プリンに差し込む。
ぷるん、と表面が揺れた。
スプーンがプリンをすくう。
すると、すくった跡がすぐに滑らかになった。
減っている。
確かに減っている。
けれど、表面だけは新品のように美しく整っている。
「すごい!」
レトの目が輝く。
「プリンがずっときれい!」
「最後まできれいにすくえる」
エルが満足そうに言った。
ロジーも思わず身を乗り出す。
「これは映える……! レト、もう一回!」
レトはもう一口すくった。
また、表面がきれいに整う。
カラメルの流れまで、なぜか美しい曲線になる。
「おおー!」
「芸術プリンだ!」
ロジーがホログラムを展開し、記録を始める。
そこで、ぴたりと手が止まった。
「エル」
「なに?」
「検査は?」
「あ」
食堂の空気が、朝に続いて再び止まった。
レトはスプーンを持ったまま固まる。
ロジーの端末に、朝と同じように「検査してない」が表示された。
「端末、また正直!」
「学習してる」
エルが言った。
「そこじゃない!」
ロジーが立ち上がる。
「未検査アイテム食堂内発動、本日二回目! 効果はプリンの美観維持! 被害は今のところレトのテンション上昇!」
「テンション上昇は被害なの?」
レトが聞く。
「場合による!」
食堂班の職員が、すでに回収ケースを持って来ていた。
朝より速い。
たぶん、警戒していた。
「エル」
「うん」
「食堂で未検査アイテムを使わない」
「朝も言われた」
「昼も言います」
「忘れちゃってごめんなさい」
エルは素直にスプーンを差し出した。
食堂班の職員が回収ケースに入れる。
レトは名残惜しそうにスプーンを見た。
「すごかったのに……」
「検査して戻ってきたら使えるかも」
ロジーが言う。
「ほんと?」
「安全なら」
「安全でありますように」
レトはプリンに向かって祈った。
「祈る対象、そこ?」
「プリン用だから」
ロジーは笑いながら記録する。
エルは少しだけ考えてから言った。
「次は、先に検査する」
「朝も聞いた!」
「昼も言う」
「よし、記録しておく」
ロジーが端末に大きく書いた。
エル、次は先に検査する。
その横に、小さく追記する。
たぶん。
「たぶんって書いた?」
「書いた」
「ロジー、正直」
「端末に似てきた」
エルがうなずく。
レトはきれいに整ったまま少し減ったプリンを見て、悩んだ。
「これ、もう食べていい?」
食堂班の職員が計測器をかざす。
「プリン自体は問題なし。表面がやたら綺麗なだけ」
「やった!」
レトは大きめのプリンにスプーンを入れた。
今度は普通のスプーンだ。
表面は普通に崩れた。
それはそれで、プリンらしくて良い。
ひと口食べる。
甘さが舌の上でほどけて、訓練で熱を持っていた体が少しずつ落ち着いていく。レトは目を細め、スプーンを持つ手に力を込めた。
ロジーがその反応を記録する。
エルがプリンをじっと見る。
「プリン、戦闘後に強い?」
「強いよ」
「どう強い?」
「うれしくなる」
「それは強い」
エルは真面目にうなずいた。
いつもの食堂。
いつもの三人。
レトは、この時間が好きだった。
◆
食堂の少し離れた席で、ジェレミー・クリエットはコーヒーを飲んでいた。
黒いカップから、湯気が細く立ち上っている。手元には端末と数枚の書類。食堂にいても仕事をしているのは、局長らしいと言えば局長らしい。
だが、局長室ほど張り詰めた空気はない。
ジェレミーは時折、書類から目を離し、食堂全体を見ていた。騒がしい職員たち、食堂班の動き、ロジーのホログラム、エルの布袋、そしてプリンを食べるレト。
レトはその視線に気づいた。
スプーンを持ったまま、ぱっと顔を上げる。
「お兄さんいた!」
ロジーがにやっとする。
「行く?」
「行く!」
「プリン持って?」
「持ってく!」
「護送対象、プリン」
「重要対象!」
レトはトレーを持ち上げ、ジェレミーの席へ向かった。
歩幅が少し大きい。けれどプリンが揺れないように慎重でもある。青いキューブの髪飾りが、彼女の動きに合わせて小さく光った。
「お兄さん!」
ジェレミーが顔を上げる。
「訓練は終わったのか」
「終わった! 敵を止めた!」
「そうか」
「敵想定、壊しすぎた」
「怪我は」
「ない!」
「ならいい」
「でも、味方の人が近くにいたら危なかったって。人間と一緒は、まだ難しいって言われた」
「そうか」
ジェレミーは静かに頷いた。
驚かなかった。
大げさに慰めることもしなかった。
それが少しだけ、レトにはありがたかった。
「単騎遊撃には向いてるって」
「事実だ」
「人間と一緒は、これからって」
「それも事実だ」
「お兄さんもそう思う?」
「ああ」
ジェレミーの声は淡々としていた。
けれど、冷たくはなかった。
「レトは強い。敵の中に一人で入れば、戦況を大きく変えられる。だが、人間の戦闘班員は、レトほど速く動けない。レトほど熱に強くない。空間の揺れにも弱い」
「うん」
「だから、人間と並ぶなら、ただ強く動くだけでは足りない」
「小さく使う」
「そうだ」
レトはプリンの器を見た。
それから、ジェレミーのコーヒーを見る。
「お兄さん、プリン食べる?」
「急だな」
「訓練の話、ちょっと苦かったから」
「なるほど」
「プリンと合う?」
「合うと思う」
「じゃあ食べて」
レトは真剣な顔でプリンをすくった。
自分が一番おいしいと思う場所を選んでいる。端ではない。真ん中でもない。カラメルが少しだけ混ざり、甘さが強すぎないようにすくう。
それをスプーンに乗せて、ジェレミーの方へ差し出す。
ジェレミーは一瞬だけ止まった。
周囲の職員が見ている。
ロジーも見ている。
エルも見ている。
少し離れた入り口付近では、副長がコーヒーを持ったまま立ち止まっている。
ジェレミーは静かに息を吐き、スプーンを受け取った。
「もらおう」
レトはじっと見ていた。
ジェレミーがプリンを食べる。
「どう?」
「美味しい」
レトの顔が一気に明るくなった。
「でしょ!」
「ああ」
「食堂班のプリン、すごいんだよ。さっき一瞬だけ、すごくきれいにすくえた」
「未検査品か」
「……うん」
「回収されたか」
「された」
「ならいい」
「いいの?」
「回収されたならな」
ジェレミーはそう言って、コーヒーを飲んだ。
レトは少し安心して、自分のプリンをもう一口食べる。
ジェレミーと一緒にいる時、レトはいつもより幼くなる。
ロジーといる時のように騒がしくなりすぎない。エルといる時のように不思議なものへ引っぱられすぎない。副長といる時のように、むきになることも少ない。
お兄さんのそばは、レトにとって帰る場所に近い。
硝子の彗星から生まれた自分が、誰かの家族のように扱われてもいいのだと、最初に教えてくれた場所。
人間ではない始まりを持っていても。
物に話しかける癖があっても。
戦場で硝子の刃を浮かべる存在でも。
ここに座って、プリンを分けてもいい。
お兄さんに今日のことを話してもいい。
「今日ね、装置に謝っちゃった」
「聞いた」
「もう聞いたの!?」
「副長から簡易報告が来ている」
「早い!」
「重要な情緒反応らしい」
「それ、副長も言ってた!」
レトは顔を赤くした。
ジェレミーは少しだけ笑った。
「悪いことではない」
「そうなの?」
「ああ。壊したものに気づけるなら、壊さないようにもなれる」
レトは黙った。
その言葉は、すとんと胸に落ちた。
壊したものに気づく。
壊さないようになる。
それなら、今日の失敗も、ただの失敗ではないのかもしれない。
「お兄さん」
「なんだ」
「わたし、もっと強くなるね」
ジェレミーはレトを見た。
「そうか」
「うん。でも、強くなるだけじゃなくて、小さく使えるようになる。人間の人と一緒に戦えるようになる。味方を倒さない。装置も悲鳴あげさせない」
「比喩だ」
「比喩でも!」
「そうだな」
ジェレミーは少しだけ笑った。
「それでいい」
レトは髪飾りに触れた。
青いキューブは、今日もそこにある。
硝子の彗星がくれた欠片。
技術班が整えてくれた形。
お兄さんが結んでくれたリボン。
ロジーが何度も記録した光。
エルが綺麗だと言って、じっと見つめた色。
副長が訓練中に揺れていないか確認して、何も言わずにうなずいた飾り。
レトは、自分がどこから来たのかを忘れない。
でも、それだけで自分が決まるわけではないことも、今は少し分かっている。
硝子の彗星から生まれた。
お兄さんに育てられた。
ロジーと騒いで、エルと不思議なものを見て、副長に教えられて、戦闘班で訓練して、食堂でプリンを食べる。
敵を壊しすぎてしまう日もある。
装置に謝ってしまう日もある。
人間と並ぶには、まだ難しいと言われる日もある。
それでも、その全部がレトだった。
「お兄さん、もうひとくち食べる?」
「レトの分が減るぞ」
「お兄さんにも分けたいの。わたしのご褒美だから、わたしがうれしい気持ちをあげたいの」
「そうか」
「うん!」
レトは自信満々に言った。
少し離れた席で、ロジーが「みんな静かに、記録してる」と小声で騒いでいた。
エルは「ジェレミーが笑顔」と言った。
副長は通りすがりのふりをしながら、「食堂班に確認しましょう」と余計なほど真面目に言った。
ジェレミーは、カップを置いた。
「では、半分もらおう」
「半分!?」
「嫌ならひとくちでいい」
「半分あげる!」
レトは慌ててプリンを守るように抱え、それから少し考えて、ちゃんと半分に分け始めた。
「それ、半分?」
ロジーが小声で言った。
「半分!」
「大きい方がレト側に寄ってる」
「気のせい!」
「記録上は七対三」
「ロジー!」
レトは慌てて、もう少しだけジェレミー側に寄せた。
完璧な半分にはならなかった。
けれど、レトは真剣だった。
その様子を、ロジーが記録している。エルが見ている。副長が笑いをこらえている。ジェレミーが静かに待っている。
硝子玉の宇宙は、閉じた世界だ。
外側とは隔絶されている。
それでもその内側には、レトが手放したくないものが、たくさんあった。
青いキューブが揺れる。
硝子の彗星から来た少女は、プリンを半分に分けながら、自分の居場所をまたひとつ確かめていた。
気に入ってくださったら、評価やリアクション、ブックマークなどしてくださると、とっても嬉しいです(≧∀≦*)




