表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち  作者: 硝子玉の宇宙


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/27

第2話-硝子の彗星

 レトは、青いキューブの髪飾りに触れる癖がある。


 考え事をしている時。戦闘前に呼吸を整える時。お兄さんに褒めてもらったあと、どうしていいか分からなくなった時。あるいは、ロジーに急に抱きつかれて、エルが横から不思議なものを差し出してきて、世界が少し賑やかすぎると思った時。


 左側頭部で結ばれた淡緑のワンサイドテール。


 その黒いリボンに、青いキューブが二つついている。


 透明すぎない。けれど濁ってもいない。光を受けると、深い宇宙の底から青白い熱が灯るようにきらめく。硝子でありながら、ただの硝子ではない。宝石のように美しいが、装飾品として生まれたものでもない。


 それは、レトがかつて自分の生まれた場所から受け取った欠片だった。


 硝子の彗星。


 レトはそこから生まれた。


 親がいたわけではない。名前を呼んでくれる誰かが、最初からそばにいたわけでもない。星々の間を流れる彗星の中で、硝子質の魔力が長い時間をかけて凝り、熱を持ち、形を探し、やがて一人の少女になった。


 なぜ少女の姿になったのか、レト自身にも分からない。


 目を開けた時、そこには冷たい光があった。無数の硝子片が漂う空間。青白い熱。遠くに見える星。自分の体の輪郭がまだ曖昧で、指先が透けそうで、声の出し方も分からなかった。


 けれど、寂しいとは思わなかった。


 周りにあったものが、全部、自分に近かったからだ。


 硝子片。彗星の核。凍った塵。光を反射する無機質な破片たち。


 命はない。言葉もない。返事もしない。


 それでもレトには、それらがまったくの他人には思えなかった。


 人間が人間の体温に安心するように、レトは物の沈黙に安心した。そこに意思がないと知る前から、そこに悪意がないことだけは知っていた。


 だから今でも、物に話しかけてしまうことがある。


 センサー関知で開いた自動ドアにお礼を言う。椅子に少しだけ乗っていいかと聞く。行く手を阻む自動清掃機に通してと泣きそうになる。手動の器具がうまく扱えず、いじわるしないでと小さく言ってしまう。


 それは人間の社会では普通ではない。


 レトも、もう知っている。


 物は物だ。返事はしない。意思もない。だから敬称はつけない。人と同じように扱うことが、物にとって正しいわけではないことも学んだ。


 けれど、根っこの部分だけは変わらない。


 自分は、あちら側から来た。


 動かないもの、話さないもの、光を反射して存在するもの。その近くから生まれてきた。


 髪飾りの青いキューブは、それを忘れないためのものでもあった。


 彗星がくれた欠片を、お兄さんがリボンに留めてくれた。


 正確には、監理局の技術班が安全処理と加工をして、最終的にジェレミー・クリエットがレトの髪に結んだ。


 けれど、レトの中では、それはお兄さんが作ってくれたものに近かった。


 あの日、ジェレミーはいつもの静かな顔で、レトの髪を整えていた。


「きつくないか」


「うん」


「重くはないか」


「重くない。きらきらしてる」


「そうか」


 淡々とした声だった。


 けれど、指先は丁寧だった。


 レトはそれをよく覚えている。


 硝子の彗星から生まれた自分に、人間社会で暮らすための形をくれた人。名前を呼び、服を選び、食事を教え、歩き方を見守り、泣いた時には理由を聞いてくれた人。


 お兄さん。


 レトにとって、ジェレミーはただの局長ではない。


 この硝子玉の宇宙で、自分が迷子ではないと教えてくれた人だった。


     ◆


 惑星監理局、戦闘班訓練室。


 広い床面に、白いラインが幾何学的に引かれている。壁は衝撃吸収材で覆われ、天井には複数の観測装置が埋め込まれていた。魔力反応、速度、軌道、熱量、空間歪曲率。模擬戦闘に必要なあらゆる数値が記録される。


 その中央で、レトは髪飾りに触れた。


 青いキューブが指先で小さく鳴る。


「レト、準備は?」


 戦闘班の職員が声をかける。


 レトは振り向いた。


「できてる!」


 返事は明るい。


 けれど、立ち方は変わっていた。


 食堂でプリンを前にした時の、ふわふわした姿ではない。廊下で手動ドアに懇願していた時の、今にも泣きそうな姿でもない。


 戦闘班所属、単騎、遊撃。


 レトは惑星監理局の戦力である。


 小さな体に宿る魔力量は膨大で、硝子質の魔力は空間に干渉する。特に彼女が好むのは、硝子細工の短剣だった。透明な刃を無数に作り、浮かべ、飛ばし、空間を縫うように展開する。


 それは美術品のように見える。


 そして、戦場では恐ろしく速い。


「開始三十秒前」


 訓練室の端で、副長が記録端末を持っていた。


 金髪の細身長身。薄い笑顔。今日もいつものように、何を考えているのか少し分かりにくい顔をしている。


 副長は戦闘班ではない。


 だが、局長の補佐として、全体指揮や緊急時の判断を担う立場にある。必要なら現場にも出る。訓練の観察も、ただの見学ではなかった。


「レトさん」


「なに?」


「今日は手動扉ではありません。相手は動きます」


「知ってるよ、もうっ!」


「安心しました」


「副長、まだ言うの!?」


 レトが頬をふくらませる。


 副長は微笑んだまま端末に視線を落とした。


「開始前の緊張緩和です」


「ぜったい違う!からかってる!!」


 戦闘班の職員が笑いをこらえる。


 レトはむっとしたまま、訓練室中央に戻った。けれど、その口元は少しだけ緩んでいた。


 副長は、そういう人だ。


 レトから見ると、いつも余裕がある大人。


 なんでも知っていて、なんでも先に気づいて、困った時にはさりげなく助けてくれる。けれど、助けたあとに必ず少しだけからかう。レトが恥ずかしくなって怒ると、楽しそうに笑う。


 悪い人ではない。


 むしろ、かなり優しい。


 でも、たぶん少しだけ意地悪だ。


 レトはそう思っている。


 そして、その少しだけ意地悪なところも、嫌いではなかった。


「三、二、一」


 合図が落ちる。


「開始」


 床を蹴る音はなかった。


 レトの姿が消えた。


 次の瞬間、訓練室の空気に、青白い線が走る。硝子の短剣が十二本、円を描いて展開された。刃は光を透かしながら、模擬敵の装甲を狙って降る。


 相手役の戦闘班員が横へ跳んだ。


 短剣が床に刺さる寸前で砕け、硝子の粒になる。破片は飛び散らない。レトの魔力がすぐに回収し、次の刃へ組み直す。


「右!」


 誰かが叫ぶ。


 レトは右にいた。


 正確には、右に現れた。


 空間を薄い硝子の膜で切り替えるように、彼女は位置を変える。瞬間移動と呼んでもいい。高速移動と呼んでもいい。見る者によって認識が追いつかないだけで、レトの中では、道筋がちゃんとある。


 硝子を置く。


 そこを通る。


 世界の継ぎ目を、少しだけ自分に優しくしてもらう。


「そこ!」


 戦闘班員の模擬弾が放たれた。


 レトは避けない。


 前に出た。


 青白い魔力がレトの周りで燃える。熱を持つ光が弾道を歪ませ、同時に二本の短剣が相手の足元へ突き立つ。刃は攻撃ではなく、移動制限。相手が一瞬止まる。


 その一瞬で、レトは背後に回った。


 首元へ、硝子の短剣を一センチ手前で止める。


「一本!」


 判定音が鳴った。


 レトはすぐに距離を取る。


「次!」


 息は少し弾んでいる。


 瞳は明るい。


 戦うことが好き、というより、全力で動けることが好きなのだ。自分の魔力を、誰かを傷つけるためではなく、守るための形に整えていく感覚。訓練室なら失敗できる。仲間なら止まってくれる。だからレトは、ここで何度も自分の形を確かめる。


 硝子の彗星から生まれた自分が、人間の組織で、誰かと並んで戦う。


 それが嬉しい。


 次の相手が前に出た。


 レトは両手を開く。


 短剣が増える。十、二十、三十。細い硝子の刃が空中に並び、まるで透明な羽根のように広がった。


 副長の端末に数値が跳ねる。


「出力上昇。許容範囲内」


 副長は静かに言った。


 その声を聞いて、レトは少しだけ安心した。


 副長が見ている。


 戦闘班のみんなが見ている。


 だから、少し強く出しても大丈夫。


「もうちょっと強くするね!」


 レトが床を蹴った。


 青白い光が、訓練室を駆け抜けた。


     ◆


 模擬戦闘は、レトの勝ち越しで終わった。


 ただし、最後の一戦で彼女は足を取られ、見事に転んだ。


 短剣の展開に意識を割きすぎて、床面の拘束術式に気づくのが遅れたのだ。受け身は取った。怪我はない。戦闘班としては十分に許容できる失敗だった。


 それでもレトは、床に座ったまましばらく動かなかった。


「……床が転ばせてきた」


「床は何もしていませんよ、レトさん」


 副長が言った。


「術式のせい?」


「そうですね」


「でも床にあったから、床も共犯!」


「共犯ですか」


 副長の肩が小さく震えた。


 レトはそれを見逃さなかった。


「副長、笑ってる」


「いえ」


「笑ってる!」


「訓練結果に満足しているだけです」


「それ、誤魔化してる時の言い方!」


 戦闘班の職員たちは、片づけをしながら温かい目で見ていた。


 副長は端末を閉じ、レトの前にしゃがむ。


「最後の拘束術式への反応は遅れましたが、その前の短剣展開はよかったです。相手の退路を潰す動きも、以前より自然でした」


「ほんと?」


「はい」


 副長は少しだけ真面目な声になった。


「レトさんは、速さだけで押す必要はありません。あなたの硝子は、綺麗に並べるほど強くなる。焦らず、空間全体を見ることです」


 レトは瞬きをした。


 からかわれると思っていたところに、きちんと褒められた。


 こういう時の副長はずるい、とレトは思う。


 普段は意地悪っぽく笑っているのに、大事な時だけ、ちゃんと大人の顔をする。レトが転んでも笑うけれど、怪我をしていないかは必ず見ている。からかうけれど、できたことは見落とさない。


「……うん。見る。全体」


「よろしい」


「副長」


「はい」


「さっきわたしの発言で笑ったのは、あとでお兄さんに言う」


「それは困りましたね」


「困ってない顔してる!」


 レトは立ち上がり、訓練用の上着をぱたぱた払った。


 汗で頬が少し赤い。髪飾りの青いキューブは、訓練室の光を受けて揺れている。激しく動いても、リボンはほどけていなかった。


 お兄さんが結んでくれたものだから。


 そう思うと、胸の奥が少し誇らしくなる。


     ◆


 食堂は、訓練室とは別の意味で騒がしかった。


 昼食の時間を少し過ぎていたが、監理局の食堂はいつも誰かがいる。任務明けの職員、会議前に軽食を取る者、夜勤に備えて早めの食事をする者。大型ホログラムには本日のメニューと、各班からの連絡事項が並んでいる。


 レトは入り口で立ち止まった。


「プリンある!?」


 真っ先に確認する。


 食堂班の職員が笑った。


「あるよ。訓練後だから大きい方?」


「大きい方!」


 返事は迷いなかった。


 トレーにプリンを乗せてもらい、レトは食堂の奥へ向かった。窓際の席に、ロジーとエルがいる。


 ロジーはテーブルいっぱいに紙ナプキンを広げ、その上にシールを並べていた。エルは椅子に座っているようで、よく見ると少し浮いていた。二人の間には、食べかけの映えスイーツと、用途不明の小さな魔法アイテムが置かれている。


「レトだ!」


 ロジーが手を振る。


「訓練どうだった? 勝った? 負けた? 面白い負け方した?」


「勝った! 最後だけ床に負けた!」


「床に負けたんだ!」


「共犯だったの!」


「何と!?」


 ロジーが身を乗り出す。


 レトはトレーを置き、プリンを守るように自分の前へ引き寄せた。


「拘束術式」


「じゃあ、床じゃなくて術式じゃん」


「でも床にあった」


「床、巻き込まれ事故」


 ロジーは笑いながら、すでにホログラムに記録を書き込んでいる。


 レトはスプーンを持ったまま、それを少し眺めた。


 ロジーは何でも記録する。


 楽しいことも、くだらないことも、誰かの失敗も、誰かの小さな変化も。レトがプリンを食べる時に最初にどこからすくうかまで、たぶん記録している。


 最初は少し不思議だった。


 でも今は、ロジーがそうする理由を全部ではないにしても、少しだけ分かる気がしている。


 ロジーは、消えてしまうものが怖いのだ。


 言葉にしない。騒いで、笑って、何でも見たがって、誰にでも近づいていく。けれどその奥に、忘れたくないという気持ちがある。


 だからレトは、ロジーに記録されることを嫌ではないと思っている。


 ロジーの中に残るなら、自分の今日も、少し遠くまで行ける気がする。


「ロジー」


「なに?」


「わたし、今日は全体を見るって言われた」


「副長に?」


「うん」


「おー、ちゃんとした助言だ!」


「いつもちゃんとしてるよ。ちょっと意地悪だけど」


「副長は意地悪を礼儀正しく包んで出してくるからね」


 ロジーは深くうなずいた。


 エルが横から、小さな硝子のスプーンを差し出す。


「レト、これ使う?」


「なに?」


「プリンが最後まできれいにすくえるスプーン」


「使う!」


「技術班に見せた?」


「まだ」


「じゃあだめ!」


 ロジーが即座に止めた。


 レトは伸ばしかけた手を止める。


 エルは「あ」と言って、スプーンを自分の方へ引っ込めた。


「そっか。検査まだだった」


「もー、エル! 食堂で未検査アイテム出しちゃだめって言われてるでしょ!」


「思い出した」


「出す前に思い出して!」


 エルは悪びれずに、スプーンを小さな布袋にしまった。


 レトはその様子を見て、少し笑った。


 エルは、不思議だ。


 レトやロジーと同じように箱庭の娘と呼ばれている。けれど、レトはエルのことを、自分と同じとは思っていない。


 遠い。


 とても遠い。


 隣に座ってプリンを見ている時でも、エルの目は時々、レトには見えない何かを見ている。中庭で遊んでいる時も、局長室で魔法アイテムを見せる時も、エルの周りだけ世界の形が少し柔らかい。


 でも怖くはない。


 エルはレトのことを見てくれる。


 分からないことは分からないまま、近くにいてくれる。レトが喜ぶと、不思議そうにする。ロジーが騒ぐと、楽しそうに眺める。人間の心を全部分かっているわけではないのに、分かりたいと思っているように見える。


 レトにとってエルは、空みたいな子だった。


 近くにあるのに、全部は届かない。


 でも、そこにあると安心する。


「エル」


「なに?」


「あとで検査してもらって、返ってきたら、そのスプーン使わせて!」


「うん。レトのプリン用にする」


「やった!」


「私の分は!?」


 ロジーが手を上げる。


「ロジーは、映えスイーツが最後まで映えたまま食べられるフォーク」


「採用!」


「いや、まず検査!」


 レトが言うと、ロジーが笑った。


「レトが止める側になった!」


「わたし、ちゃんと学習してるもん」


「えらいえらい」


 ロジーがレトの頭を撫でようとする。


 レトはプリンを持ったまま少しだけ避けた。


「プリンこぼれちゃう!」


「プリン優先!?ロジーちゃんより!!?」


「うん!」


 レトは大きめのプリンにスプーンを入れた。


 表面がぷるんと揺れる。


 ひと口食べる。


 甘さが舌の上でほどけて、訓練で熱を持っていた体が少しずつ落ち着いていく。レトは目を細め、スプーンを持つ手に力を込めた。


 ロジーがその反応を記録する。


 エルがプリンをじっと見る。


 いつもの食堂。


 いつもの三人。


 レトは、この時間が好きだった。


     ◆


 食堂の少し離れた席で、ジェレミー・クリエットはコーヒーを飲んでいた。


 黒いカップから、湯気が細く立ち上っている。手元には端末と数枚の書類。食堂にいても仕事をしているのは、局長らしいと言えば局長らしい。


 だが、局長室ほど張り詰めた空気はない。


 ジェレミーは時折、書類から目を離し、食堂全体を見ていた。騒がしい職員たち、食堂班の動き、ロジーのホログラム、エルの布袋、そしてプリンを食べるレト。


 レトはその視線に気づいた。


 スプーンを持ったまま、ぱっと顔を上げる。


「お兄さんいた!」


 ロジーがにやっとする。


「行く?」


「行く!」


「プリン持って?」


「持ってく!」


 レトはトレーを持ち上げ、ジェレミーの席へ向かった。


 歩幅が少し大きい。けれどプリンが揺れないように慎重でもある。青いキューブの髪飾りが、彼女の動きに合わせて小さく光った。


「お兄さん!」


 ジェレミーが顔を上げる。


「訓練は終わったのか」


「終わった! 勝った!」


「そうか」


「最後だけ副長にいじわるされた」


「そうか、後で呼び出す」


「床にころばされたって言ったの」


「なるほど」


 ジェレミーは状況を理解したらしい。


 ほんの少しだけ、口元が緩んだ。


 レトはそれを見逃さなかった。


「いま笑った?」


「少しな」


「お兄さんも笑うんだ……」


「私も笑う」


「知ってるけど、ちょっとだけだから」


 レトは向かいの席に座った。


 プリンをトレーごと置き、ジェレミーのコーヒーを見る。


「苦いやつ?」


「ああ」


「プリンと合う?」


「合うと思う」


「じゃあ、お兄さんもプリン食べる?」


「レトの分だろう」


「お兄さんならいいよ!」


 レトは真剣な顔でプリンをすくった。


 自分が一番おいしいと思う場所を選んでいる。端ではない。真ん中でもない。カラメルが少しだけ混ざり、甘さが強すぎないように掬う。


 それをスプーンに乗せて、ジェレミーの方へ差し出す。


 ジェレミーは一瞬だけ止まった。


 周囲の職員が見ている。


 ロジーも見ている。


 エルも見ている。


 少し離れた入り口付近では、副長がコーヒーを持ったまま立ち止まっている。


 ジェレミーは静かに息を吐き、スプーンを受け取った。


「もらおう」


 レトはじっと見ていた。


 ジェレミーがプリンを食べる。


「どう?」


「美味しい」


 レトの顔が一気に明るくなった。


「でしょ!」


「ああ」


「食堂班のプリン、すごいんだよ」


「知っている。レトがよく報告してくれるからな」


「報告してる!」


「プリンの状態、甘さ、揺れ方、カラメルの量」


「大事だから!」


「大事だな」


 ジェレミーはそう言って、コーヒーを飲んだ。


 レトは満足そうに自分のプリンをもう一口食べる。


 ジェレミーと一緒にいる時、レトはいつもより幼くなる。


 ロジーといる時のように騒がしくなりすぎない。エルといる時のように不思議なものへ引っぱられすぎない。副長といる時のように、からかわれてむきになることも少ない。


 お兄さんのそばは、レトにとって帰る場所に近い。


 硝子の彗星から生まれた自分が、誰かの家族のように扱われてもいいのだと、最初に教えてくれた場所。


 人間ではない始まりを持っていても。


 物に話しかける癖があっても。


 戦場で硝子の刃を浮かべる存在でも。


 ここに座って、プリンを分けてもいい。


 お兄さんに今日のことを話してもいい。


「今日ね、いじわるだけじゃなくて、副長が褒めてくれた」


「そうか」


「全体を見るって。わたしの硝子は、綺麗に並べるほど強くなるって」


「良い助言だ」


「うん。でも床のことで笑ってた」


「それも副長らしい」


 ジェレミーは淡々と言った。


 その声に少しだけ呆れが混じっていたので、レトはまた嬉しくなった。


 お兄さんは、副長のことを信頼している。


 副長は、お兄さんを尊敬している。


 その二人の間には、レトにはまだ全部分からない、大人同士の関係がある。仕事の重さや、判断の責任や、言葉にしない信頼がある。


 レトはそれを難しいと思う。


 でも、嫌いではない。


 いつか自分も、そういうふうに誰かを支えられるようになりたいと思う。


 今はまだ、手動ドアに負けかけるけれど。


「お兄さん」


「なんだ」


「わたし、もっと強くなるね」


 ジェレミーはレトを見た。


 その視線は静かだった。


 急かさない。驚かない。大げさに褒めない。ただ、レトの言葉を正面から受け取る。


「そうか」


「うん。戦闘班だし、みんな守りたいし、あと、床にも負けないようにする」


「床は敵ではない」


「副長は?」


「特定条件下を除いて味方だ」


 ジェレミーは少しだけ笑った。


 レトは髪飾りに触れた。


 青いキューブは、今日もそこにある。


 硝子の彗星がくれた欠片。


 技術班が整えてくれた形。


 お兄さんが結んでくれたリボン。


 ロジーが何度も記録した光。


 エルが綺麗だと言って、じっと見つめた色。


 副長が訓練中に揺れていないか確認して、何も言わずにうなずいた飾り。


 レトは、自分がどこから来たのかを忘れない。


 でも、それだけで自分が決まるわけではないことも、今は少し分かっている。


 硝子の彗星から生まれた。


 お兄さんに育てられた。


 ロジーと騒いで、エルと不思議なものを見て、副長にからかわれて、戦闘班で訓練して、食堂でプリンを食べる。


 その全部が、レトだった。


「お兄さん、もうひとくち食べる?」


「レトの分が減るぞ」


「お兄さんにも分けたいの!わたしのご褒美だから、わたしがうれしい気持ちをあげたいの」


「そうか」


「うん!」


 レトは自信満々に言った。


 少し離れた席で、ロジーが「みんな黙ってて!録画してる!」と静かに騒いでいた。


 エルは「ジェレミーが笑顔…」と言った。


 副長は通りすがりのふりをしながら、「食堂班に確認しましょう」と余計なほど真面目に言った。


 ジェレミーは、カップを置いた。


「では、半分もらおう」


「半分!?」


「嫌ならひとくちでいい」


「半分あげる!」


 レトは慌ててプリンを守るように抱え、それから少し考えて、ちゃんと半分に分け始めた。


 完璧な半分にはならなかった。


 けれど、レトは真剣だった。


 その様子を、ロジーが記録している。エルが見ている。副長が笑いをこらえている。ジェレミーが静かに待っている。


 硝子玉の宇宙は、閉じた世界だ。


 外側とは隔絶されている。


 それでもその内側には、レトが手放したくないものが、たくさんあった。


 青いキューブが揺れる。


 硝子の彗星から来た少女は、プリンを半分に分けながら、自分の居場所をまたひとつ確かめていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ