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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち  作者: 硝子玉の宇宙


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第18話-レトが生まれた場所

これは、少し昔のおはなし。

レトがまだ、自分の生まれた場所を知らなかった頃。


レトの本体、硝子の彗星


――上位委員会保護指定案件――


惑星監理局の会議室に、いつものような緊張が満ちていた。


長机の上には、星図、魔力測定値、空間観測記録、そしてひとつの立体映像が浮かんでいる。


青白い尾を引く、巨大な硝子の彗星。


透明で、鋭くて、どこか儚い。


光を受けるたびに内部で無数の亀裂のような輝きが走り、彗星というより、宇宙を横切る巨大な硝子細工に見えた。


それが――レトの本体だった。


正確には、レトが生まれた母体。


硝子玉の宇宙を逆行し、高エネルギーの魔力を噴出しながら漂っていた硝子の彗星。


そこから自然発生した箱庭の娘。


それがレト。


今は戦闘班所属、単騎遊撃担当。


お兄さん、と局長に駆け寄ってくる、淡緑髪の小さな娘。


プリンが好きで、作戦名を勝手につけて、褒められると全身で喜んで、硝子の短剣を無数に浮かべて惑星規模の危機に飛び込んでいく子。


その子の“はじまり”が、今、上位委員会の正式議題になっていた。


「本件を、上位委員会直轄保護対象として指定する」


議長の声は淡々としていた。


だが、そこに冷たさはなかった。


ジェレミー・クリエットは、資料から視線を上げた。


「理由を確認してもよろしいですか」


「無論だ」


議長は立体映像の彗星を見た。


「第一に、あの硝子彗星は高密度魔力体であり、旧世代由来ではないにせよ、通常の天体とは異なる。破壊、採取、観測干渉、いずれも予測不能な影響を及ぼす可能性がある」


「妥当です」


ジェレミーは短く答えた。


議長は続けた。


「第二に、レト職員の発生母体である。箱庭の娘たちに関する倫理規定に照らし、本人の出自に関わる存在を、資源、研究対象、兵器素材として扱うことは認められない」


会議室の空気が、わずかに変わった。


監査系の委員も、外務班の連絡官も、監理班の書記官も、誰も口を挟まなかった。


ただ、静かに聞いていた。


「第三に」


議長はそこで一度、言葉を切った。


少しだけ、声の硬さが緩んだ。


「……あの子を、守る必要がある」


ジェレミーの指が、資料の端で止まった。


「レトを、ですか」


「そうだ」


議長は正面からジェレミーを見た。


「レト職員は戦闘班所属であり、重大案件において幾度も成果を上げている。それは記録上、疑いようがない。だが、彼女は兵器ではない。職員であり、保護対象であり、硝子玉の宇宙に生まれた一個の生命だ」


別の委員が、低く補足した。


「彼女が自分の出生をどう受け止めるかは、まだ分からない。だが、いつか知る日が来る。その時、自分のはじまりが誰かに削られ、研究材料にされ、権利のない物として扱われていたと知れば……それは、我々の失態では済まない」


ジェレミーは黙っていた。


淡々とした顔。


いつもと同じ、冷静な局長の顔。


けれど、監理局書記官は気づいていた。


彼の手が、ほんの少しだけ強く組まれていることに。


議長は言った。


「ジェレミー・クリエット局長。上位委員会は、当該硝子彗星を保護指定する。監理局による観測は許可するが、干渉、採取、接触、軍事利用、民間研究機関への情報提供を全面的に禁じる」


「承知しました」


「また、保護名目を明文化する」


議長は、資料を一枚めくった。


「指定名――“レト発生母体硝子彗星”。通称はまだ定めない。本人へ伝える際は、監理局長および医療班、心理担当官の判断に従うこと」


ジェレミーは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。


「……ご配慮に感謝します」


議長は厳格な顔のまま、少しだけ息を吐いた。


「感謝されることではない。遅すぎたくらいだ」


その言葉に、外務班の連絡官が目を丸くした。


上位委員会が、監理局に対して“遅すぎた”と認めるなど、滅多にない。


いや、ほとんどない。


議長は淡々と続けた。


「レト職員は、監理局のために戦っている。ならば、監理局と上位委員会は、彼女が戦わなくていい場所を守らねばならない」


会議室は静かだった。


けれど、その静けさは冷たくなかった。


誰も茶化さない。


誰も、過剰な情緒として扱わない。


ただ、全員が同じ結論を共有していた。


レトのはじまりを守る。


レト自身がまだ知らない、大切な場所を守る。


それは行政判断であり、倫理判断であり――たぶん、愛情でもあった。



その日の夕方。


局長室の扉が、勢いよく開いた。


「お兄さーーん!」


淡緑色のワンサイドテールを揺らして、レトが飛び込んでくる。


ジェレミーは書類から顔を上げた。


「レト。扉は開けるものだ。突入するものではない」


「開けたもん!」


「速度の問題だ」


「えへへ!」


レトは叱られているのに、嬉しそうに笑った。


それから、ジェレミーの机の横へちょこちょこと寄ってくる。


「お兄さん、会議だった?むずかしいやつ?」


「ああ」


「勝った?」


「会議は勝敗ではない」


「でもお兄さん、いつも勝ってる感じする!」


「それは誤解だ」


レトは納得していない顔で、机の端に両手を置いた。


「じゃあ、今日はどんな会議?」


ジェレミーは少しだけ黙った。


レトはまだ知らない。


硝子の彗星のこと。


自分がどこから来たのか。


青白く燃える巨大な硝子の尾から、ある日、ひとりの小さな娘が生まれたこと。


いつか話す必要がある。


けれど、今ではない。


今のレトには、まず受け止められる形で、少しずつ伝えるべきだ。


ジェレミーは椅子を引いた。


「レト」


「なあに?」


「君に関係する、良い決定があった」


「わたしに?」


レトの目がきらっと輝く。


「作戦!?」


「作戦ではない」


「任務!?」


「任務でもない」


「じゃあ、プリン!?」


「違う」


「んんー……」


レトは頬をふくらませた。


ジェレミーは、その丸い頬を見て、少しだけ声をやわらげた。


「君の大切なものを、守ることになった」


レトはぱちぱちと瞬きをした。


「わたしの大切なもの?」


「ああ」


「お兄さん?」


「私も含まれるかもしれないが、今回は違う」


「ロジー?」


「違う」


「エル?」


「違う」


「きらきらシール?」


「違う」


「プリン?」


「違う」


レトは真剣な顔になった。


「じゃあ……わたしの短剣?」


「それも違う」


「むずかしい!」


レトは両手を上げた。


ジェレミーは静かに言った。


「君が生まれた場所に関わるものだ」


レトの表情が、ふっと止まった。


幼い顔のまま、少しだけ空気が変わる。


「わたしが、生まれた……」


「ああ」


「……それ、あるの?」


「ある」


ジェレミーは答えた。


「君のはじまりに関わるものが、今も存在している」


レトはしばらく黙っていた。


いつものように飛び跳ねない。


質問を重ねない。


ただ、机の端を小さな手で握っていた。


「それ……こわいもの?」


「違う」


「わたし、そこから出てきたの?」


「そう考えていい」


「……わたしの、おうち?」


ジェレミーは即答しなかった。


その言葉は、正確ではない。


だが、レトにとっては、たぶん一番近い。


「君がそう呼びたいなら、そう呼んでいい」


レトの瞳が揺れた。


「おうち……」


小さな声だった。


「わたしの、最初のおうち」


ジェレミーは頷いた。


「その最初の場所を、上位委員会が保護することになった」


「上位委員会が?」


レトは少し驚いた顔をした。


上位委員会。


レトにとっては、たまにお兄さんを会議に連れていく、ちょっと偉くて、ちょっと怖くて、でも最近はお菓子をくれる人もいる場所。


「なんで?」


ジェレミーは言った。


「君のことを、皆が守りたいからだ」


レトは固まった。


「……みんな?」


「ああ」


「お兄さんだけじゃなくて?」


「私だけではない」


「監理局だけじゃなくて?」


「上位委員会も含めてだ」


レトは何かを言おうとして、口を開けた。


でも、言葉が出なかった。


かわりに、目がどんどん潤んでいく。


ジェレミーは静かに待った。


レトは、ぷるぷると唇を震わせた。


「わたしのこと……みんな、守りたいの?」


「ああ」


「わたし、戦闘班なのに?」


「ああ」


「わたし、強いのに?」


「強さと、守られなくていいことは別だ」


レトの目から、ぽろっと涙が落ちた。


「わたし……守る方だよ?」


「そうだ」


「お兄さんも、みんなも、わたしが守るんだよ?」


「知っている」


「でも……」


レトは机の端をぎゅっと握った。


「でも、わたしも、守ってもらっていいの?」


ジェレミーは席を立った。


ゆっくりとレトの前に膝をつき、目線を合わせる。


「当然だ」


レトは、泣き顔のままジェレミーを見た。


「当然?」


「当然だ」


ジェレミーは繰り返した。


「君は職員だ。戦闘班だ。任務を遂行する力がある。それは事実だ」


「うん……」


「だが同時に、君はレトだ。守られるべき存在でもある」


「……レトだから?」


「ああ。レトだからだ」


その瞬間、レトは顔をくしゃっと歪めた。


次の瞬間には、ジェレミーに抱きついていた。


「お兄さんっ……!」


「レト」


「わたし、うれしい……!」


ジェレミーは片手でレトの背を支えた。


小さな体は、ぎゅうっとしがみついてくる。


「わたし、うれしいけど、なんか、むねがぎゅってする……!」


「それでいい」


「いいの?」


「ああ。大切にされた時、人はそうなることがある」


「わたし、人じゃないよ?」


「では、箱庭の娘もそうなる」


レトは泣きながら笑った。


「えへへ……そっかあ……」


しばらく、レトはジェレミーの胸元に顔を押しつけていた。


そして、ぽつりと言った。


「ねえ、お兄さん」


「なんだ」


「いつか、見に行ける?」


ジェレミーはすぐには答えなかった。


硝子の彗星は危険だ。


高密度魔力体であり、観測すら慎重に行う必要がある。


レト本人への影響も未知数だ。


だが。


いつか。


「準備が整えば」


ジェレミーは言った。


「君が望むなら、見に行こう」


レトは顔を上げた。


涙で目元が濡れているのに、瞳はきらきらしていた。


「ほんと?」


「ああ」


「お兄さんも一緒?」


「当然だ」


「ロジーも?」


「本人が望めば」


「エルも?」


「危険性評価次第だ」


「エルは勝手についてきそう!」


「それは否定できない」


レトはくすっと笑った。


それから、またジェレミーに抱きついた。


「わたしの、最初のおうち……みんなが守ってくれるんだ」


「ああ」


「じゃあ、わたしも守る」


「何をだ」


レトは涙を拭きながら、胸を張った。


「みんな!」


ジェレミーは小さく息を吐いた。


「結局、君はそう言うのだな」


「だって、わたし戦闘班だもん!」


「そうだな」


「でもね」


レトは少しだけ声を小さくした。


「守ってもらうのも、ちゃんとする」


ジェレミーの表情が、ほんの少しだけ和らいだ。


「それでいい」



その夜。


情報班の記録室で、ロジーは空中モニターを眺めていた。


表示されているのは、上位委員会の保護指定文書。


もちろん、正式閲覧権限のある範囲だけだ。


「ふーん」


ロジーは椅子の上で膝を抱えた。


「上位委員会も、やるじゃん」


隣でエルが、ふわふわと浮かんだ硝子細工の星を指でつついている。


「レト、うれしそうだった」


「そりゃそうでしょ」


ロジーは少しだけ目を細めた。


「自分のはじまりを、物じゃなくて、大切な場所として扱ってもらえたんだもん」


エルは首を傾げた。


「はじまりを守ると、今のレトも守れる?」


「守れるよ」


ロジーは即答した。


「過去を雑に扱われると、今の自分まで雑にされた気がする時があるから」


エルはしばらく黙った。


それから、小さく頷いた。


「じゃあ、守る」


「うん」


「レトの彗星、守る」


「私も記録する。ちゃんと、誰かが勝手なことしないように」


ロジーはモニターを閉じた。


「レトにはまだ難しいかもだけどさ」


少しだけ、声がやわらかくなる。


「あの子、自分が思ってるより、ずっと大事にされてるんだよね」


エルはぽつりと言った。


「レト、かわいいから」


「それもある」


ロジーは真顔で頷いた。


「でも、それだけじゃない」


「うん」


「レトが、レトだから」


エルは、その言葉をゆっくり飲み込んだ。


「レトが、レトだから」


「そう」


ロジーは笑った。


「これ、今日の重要記録ね」



翌朝。


食堂では、なぜかレトがいつもより少し胸を張っていた。


「きょうのわたしは、守られレトです!」


重装隊員が黙ってスープを啜る。


近接戦闘員がレトを見た。


食堂責任者が「なんだそのかわいい称号は」と笑った。


レトは得意げに両手を腰に当てる。


「わたしの大切なもの、上位委員会が守ってくれるんだって!」


「おお」


「すごいじゃねえか」


「正式保護指定か?」


「たぶん!」


「たぶんで胸張るな」


レトはにこにこした。


「でもね、わたしもみんなを守るから、つまり、みんなで守りあい作戦!」


魔術砲撃担当がコーヒーを置いた。


「作戦名が出たぞ」


遊撃補佐員が静かに頷く。


「採用でいいと思う」


「えへへ!採用!」


その時、食堂の入口にジェレミーが現れた。


レトはぱっと振り返った。


「お兄さん!」


「騒がしいと思ったら、やはり君か」


「お兄さん!作戦名できた!」


「聞かないという選択肢は」


「ない!」


ジェレミーは諦めた顔で、わずかに首を振った。


レトは両手を広げて、食堂中に聞こえる声で宣言した。


「みんなで守りあい作戦!」


食堂が、一瞬静かになった。


それから、誰かが小さく拍手した。


ひとり。


またひとり。


やがて食堂全体に、ぱちぱちと温かい拍手が広がった。


レトは目を丸くした。


「えっ、えっ?」


食堂責任者が笑う。


「いい作戦名だ」


重装隊員が頷く。


「悪くない」


近接戦闘員が親指を立てる。


「採用だな」


ロジーは端末を構えながら叫んだ。


「はい記録!レトの公式作戦名、みんなで守りあい作戦!」


エルはプリンを持って、淡々と言った。


「成功報酬、プリン」


「プリン!?」


レトの顔が一瞬で輝いた。


ジェレミーはそれを見て、静かに言った。


「レト」


「なあに、お兄さん!」


「君の作戦は、既に始まっている」


レトはきょとんとした。


それから、満面の笑みになった。


「うん!」


淡緑の髪が揺れる。


青白い硝子の魔力が、ほんの少しだけ指先で光る。


宇宙のどこかには、巨大な硝子の彗星が漂っている。


レトのはじまり。


誰にも削られず、奪われず、利用されず。


ただ、守られるものとして。


そして今、食堂の真ん中には、その彗星から生まれた小さな娘がいる。


みんなを守ると言いながら。


みんなに守られていることを、少しずつ覚えながら。


「お兄さん!」


レトはプリンを掲げた。


「わたし、守られながら守る!」


ジェレミーは、ほんのわずかに笑った。


「それでいい、レト」


レトは嬉しそうに笑った。


硝子の彗星は、遠い宇宙で静かに輝いている。


その光は、もう孤独な漂流ではない。


監理局が見ている。


上位委員会が守っている。


ロジーが記録している。


エルが覚えている。


ジェレミーが約束している。


そしてレトは、まだ知らないはじまりへ向かって、今日も元気に走っていく。


みんなで守りあい作戦。


それは、レトが初めて知った。


「守られること」もまた、任務のひとつなのだという、温かい作戦だった。



数ヵ月後

――硝子の彗星に会いに行こう――

それは、上位委員会による保護指定から数ヵ月が経ったころだった。


惑星監理局の食堂で、レトはプリンを食べていた。

いつもの席。


いつもの昼休み。


ロジーは隣で映え角度を探しながらプリンを撮影していて、エルはスプーンを持ったまま、じっと宙を見ていた。


「エル?」


レトが首を傾げる。


「プリン、きらいになった?」


「ううん。すき」


「じゃあ、なんで食べないの?」


エルはスプーンをくわえたまま、淡々と言った。


「彗星に会いに行こう」


レトのスプーンが、ぴたりと止まった。


ロジーのデバイスも、空中で小さく停止音を鳴らした。


「……すいせい?」


レトの声が、少しだけ小さくなる。


「うん」


エルは頷いた。


「レトの、最初のおうち」


レトはプリンを見た。


それから、エルを見た。


またプリンを見た。


「……でも、あぶないって」


「だいじょぶ」


エルはいつもの調子で言った。


けれど、声は少しだけ丁寧だった。


「だから、お願いする」


「お願い?」


「あの彗星に」


ロジーが椅子からずり落ちかけた。


「待って待って待って、エル。彗星にお願いって言った?」


「うん」


「意思あるの?」


「ある、かもしれない」


「かもしれない!?」


エルは食堂の窓の外を見た。


遠い遠い宇宙。


硝子玉の壁より内側、星々の海の向こうを、青白い硝子の彗星がゆっくり漂っている。


「レトは、あそこから生まれた。だから、まったく何もない石じゃないと思う」


ロジーは一瞬だけ黙った。


それは、記録者として否定しきれない言葉だった。


高密度魔力体。


自然発生母体。


箱庭の娘を生んだ天体。


単なる無機物と断定するには、あまりにも出来事が大きすぎる。


「……それで、お願いして、どうするの?」


「魔力、抑えてもらう」


エルはレトを見た。


「あたしがお願いして、魔力抑えてもらうから、降り立とう」


レトの瞳が、ゆっくり揺れた。


「……降りるの?」


「うん」


「わたしが?」


「うん」


「お兄さんも?」


「ジェレミーも」


「ロジーも?」


「ロジーも」


「エルも?」


「あたしも」


レトは、スプーンをぎゅっと握った。


いつもなら「作戦!?」と跳ねるところだった。


でも、今日のレトは跳ねなかった。


プリンの表面に映る自分の顔を見つめたまま、ぽつりと言った。


「……会えるの?」


エルは答えた。


「会いに行く」



もちろん、ジェレミー・クリエットが即座に許可するはずがなかった。


局長室。


ジェレミーは執務机の向こうで、沈黙していた。


その前に、レト、ロジー、エルが並んでいる。


レトは両手を前で握りしめている。


ロジーは浮遊デバイスに安全資料を山ほど表示している。


エルはふわっと立っている。


「エル」


ジェレミーの声は冷静だった。


「君の提案は理解した。だが、現時点で許可できる内容ではない」


「どうして?」


「危険だからだ」


「魔力は抑えてもらう」


「それが確実である保証がない」


「お願いする」


「お願いで危機管理は成立しない」


エルは少し考えた。


「じゃあ、お願いと観測」


「それでも不足だ」


ロジーが小さく手を上げた。


「局長、いちおう補足すると、エルの言い方はふわふわだけど、提案そのものは完全に無謀ってわけじゃないよ」


ジェレミーはロジーを見る。


「説明を」


「まず、彗星の魔力放射は周期的に低下するタイミングがある。ここ数ヵ月の観測で、外層魔力の流れはかなり安定してる。さらにレトの魔力波形と近似してる領域があって、そこならレト本人への拒絶反応は低い可能性がある」


ロジーのデバイスに、青白い波形が並ぶ。


「ただし、直接降下は論外。まず遠隔接近、次に無人探査機、次にエルの魔法アイテムを使った限定足場形成、それから短時間滞在。段階踏めば、まあ、絶対無理ではない」


「絶対安全でもない」


「それはそう」


ロジーはあっさり頷いた。


「でも、レトのはじまりを、レトが一生見られないものとして扱うのも違うと思う」


ジェレミーの視線が、少しだけ揺れた。


レトはずっと黙っていた。


ジェレミーは、その小さな沈黙を見逃さなかった。


「レト」


「……うん」


「君は行きたいのか」


レトはすぐに答えなかった。


小さな手が、ぎゅっと服の裾を握る。


「こわい」


その一言に、部屋の空気が変わった。


レトは続けた。


「わたし、そこから生まれたんだよね。でも、わたし、そのことあんまり覚えてない。おうちかもしれないけど、知らないところ。会いたいけど、こわい」


ジェレミーは黙って聞いていた。


「でもね」


レトは顔を上げた。


「お兄さんと一緒なら、行きたい」


ジェレミーの表情は変わらない。


けれど、目だけがほんの少しやわらいだ。


「私が同行することは前提だ」


「ほんと?」


「ああ」


「手、つないでくれる?」


「必要なら」


「必要!」


「では、つなぐ」


レトの目が少し潤んだ。


でも、泣かなかった。


「わたし、会ってみたい。わたしの最初のおうちに」


ジェレミーは深く息を吐いた。


それから、エルを見る。


「エル。君に条件を出す」


「うん」


「魔法による直接的な環境改変は禁止する。彗星の魔力抑制は、君の一方的な作用ではなく、対象の反応確認を含めること。レトの精神・身体に直接干渉しないこと。異常値が出た時点で即時撤退。私の撤退命令には従うこと」


「わかった」


「本当に理解しているか」


エルは少しだけ首を傾げ、それから真面目に言った。


「レトを、勝手に幸せにしない。レトが会いたいぶんだけ、会う。こわくなったら、帰る」


ジェレミーは数秒、エルを見つめた。


「……よろしい」


レトの顔がぱあっと輝く。


「じゃあ!」


「上位委員会の承認が必要だ」


「えっ」


「当然だ。保護指定対象だ」


レトはしょんぼりした。


ロジーが肩をすくめる。


「まあ、そこは手続きだね」


エルが淡々と言う。


「じゃあ、会議に行こう」


ジェレミーは眉間を押さえた。


「君たちはなぜ、会議を散歩のように言う」



上位委員会の反応は、意外なほど早かった。


反対はあった。


当然だった。


レト発生母体硝子彗星は、保護指定された高密度魔力体。


そこへ本人を連れていくなど、倫理的にも安全保障上も簡単に認められる話ではない。


だが、議長は長い審議の後で言った。


「これは研究ではない」


会議室が静まる。


「資源調査でも、軍事利用でも、魔力干渉実験でもない。本人が、自分の出自に触れるための訪問である」


別の委員が続けた。


「許可条件を厳格化すべきだ。滞在時間、同行者、観測班、撤退基準、全て文書化する」


「同意する」


「レト職員の意思確認は?」


「局長立ち会いのもとで実施済み」


「心理担当官の所見は?」


「恐怖反応はあるが、訪問意思は安定。強制性なし」


「エルの関与は?」


そこで少し空気が硬くなった。


ジェレミーは正面を向いたまま答えた。


「制限付きで必要です。彗星との接触交渉、魔力抑制の補助、緊急時の退避路形成。ただし、精神干渉および不可逆的環境改変は禁止します」


議長は目を細めた。


「エル本人はその制限を理解しているか」


エルは椅子に座り、足を少し浮かせながら言った。


「レトが会いたいから、会いに行く。あたしが見せたいものを見せるんじゃない」


会議室が、少しだけ静かになった。


「レトが泣いたら?」


「聞く」


「帰りたいと言ったら?」


「帰る」


「彗星が反応しなかったら?」


「待つ。だめなら帰る」


「君が、レトのために何かしてやりたいと思ったら?」


エルは少し考えた。


そして言った。


「ジェレミーを見る」


ジェレミーの手が一瞬止まった。


議長も、数秒だけ黙った。


「……判断を仰ぐ、という意味か」


「うん」


「よろしい」


その後、訪問計画は正式に承認された。


作戦名は、レトが勝手につけた。


「ただいま言ってみる作戦!」


ロジーが即座に記録した。


ジェレミーは訂正しなかった。



出発当日。


観測艦の窓の外に、硝子の彗星が見えていた。


それは想像よりも、ずっと大きかった。


青白い尾を引きながら、黒い宇宙を静かに横切っている。


硝子でできた山脈のような表面。


内部を流れる光。


時折、亀裂のように走る魔力の脈。


レトは窓に両手をついて、息を止めていた。


「……きれい」


ロジーは隣で記録している。


「外層魔力、安定。放射量、予測値より低い。エル、もう何かした?」


「まだ」


エルは窓の前に立った。


黄金色の瞳で、彗星を見る。


「これから、お願いする」


ジェレミーが確認する。


「一方的な干渉ではないな」


「うん」


エルは小さく手を伸ばした。


魔法の光は、派手には広がらなかった。


ただ、空間に淡い白い輪ができた。


それは命令ではなく、扉を叩くようなものだった。


エルは静かに言った。


「こんにちは」


レトがびくっとした。


彗星へ向けた言葉なのに、まるで自分に向けられたように感じた。


エルは続ける。


「レトが、会いに来た。あなたから生まれた子。会ってもいい?」


宇宙は静かだった。


ロジーのデバイスだけが、細かな測定音を鳴らしている。


一秒。


十秒。


三十秒。


何も起きない。


レトの手が、ジェレミーの袖を掴んだ。


ジェレミーは何も言わず、その手を取った。


その瞬間。


彗星の表面に、青白い光が走った。


魔力放射量が、一段、下がった。


ロジーが息を呑む。


「……外層魔力、低下。違う、抑制されてる。自発的に流れを内側へ引いてる」


エルは頷いた。


「いいって」


レトは、ジェレミーの手を握ったまま、彗星を見た。

「……わたし、行っていいの?」


ジェレミーは答えた。


「撤退基準を維持したまま、降下する」


「うん!」


「手は離さない」


「うん!」


「怖くなったら言いなさい」


「うん!」


エルが少しだけ浮いた。


「じゃあ、足場を作る」


硝子の彗星の表面へ向けて、透明な道が伸びる。


それはエルが作ったものではあったが、彗星に無理やり突き刺さるものではなかった。


そっと、置かれるように。


受け入れられるように。


青白い光の上に、透明な桟橋が降りた。



最初に足を下ろしたのは、ジェレミーだった。


次にレト。


小さな靴が、硝子の地面に触れる。


きん、と澄んだ音が鳴った。


レトは息を止めた。


「……あったかい」


ロジーがすぐに記録する。


「表面温度、外部観測値より低い。局所的にレト周辺だけ安定化してる。これ、歓迎反応って記録していい?」


ジェレミーが言う。


「断定は避けろ」


「じゃあ、“歓迎に類似した反応”」


「それなら許可する」


エルはしゃがみこんで、硝子の地面に手を当てた。


「がんばってる」


「彗星が?」


「うん。レトが熱くないようにしてる」


レトは地面を見た。


透明な硝子の奥に、青白い光が流れている。


まるで血管みたいだった。


けれど怖くない。


レトの魔力に、少し似ていた。


「……こんにちは」


レトは小さく言った。


「わたし、レト」


返事はない。


言葉はない。


でも、足元の光が、ふわっと明るくなった。


レトの目が丸くなる。


「お兄さん、いま、光った」


「ああ」


「聞こえたのかな」


「可能性はある」


「わたしのこと、知ってるのかな」


ジェレミーは少しだけ考えた。


「少なくとも、拒んではいない」


その言葉で、レトの顔がくしゃっと歪んだ。


「そっか……」


レトは膝をついた。


硝子の地面に、小さな手を置く。


「わたし、ここから生まれたんだね」


青白い光が、レトの手の下でゆっくり揺れる。


ロジーは記録していたが、何も言わなかった。


エルも黙っていた。


ジェレミーだけが、レトの隣に膝をつく。


レトは震える声で言った。 


「わたし、覚えてないよ」


光が揺れる。


「ごめんね。わたし、ここにいたこと、あんまし覚えてない」


また、光が揺れる。


レトの瞳から、ぽろぽろ涙が落ちた。


「でもね、わたし、元気だよ」


硝子の彗星に、青白い脈が走る。


「お兄さんがいるよ」


ジェレミーの手を、レトがぎゅっと握る。


「ロジーもいる。エルもいる。監理局のみんなもいる。プリンもある。わたし、作戦いっぱいする。短剣も作れる。飛べる。みんな守れる」 


言葉が、少しずつ涙に混ざっていく。 


「だからね、あのね」


レトは一生懸命、笑おうとした。


「わたし、生まれてよかったよ」


その瞬間。


硝子の彗星全体が、淡く光った。


外層から、尾の先まで。


青白く、静かに。


まるで巨大な硝子細工の宇宙が、呼吸したみたいに。

ロジーのデバイスが警告音を鳴らしかけて、すぐに止まった。


「魔力上昇……じゃない。発光だけ。熱量変化なし。攻撃性なし。これ、なに……」


エルがぽつりと言った。


「うれしい、かもしれない」


レトは泣きながら、硝子の地面に額を近づけた。


「ただいま」


言葉は、震えていた。


「ただいま、でいいのかな」


ジェレミーが静かに言った。


「君がそう言いたいなら、それでいい」


レトは頷いた。


「ただいま」


硝子の彗星の光が、もう一度やさしく揺れた。



滞在時間は、たった七分だった。


安全基準上、それ以上は許可されなかった。


けれどレトにとって、その七分はとても長かった。


硝子の地面に触れた。


光る尾を見た。


自分の魔力と似た流れを感じた。


言葉は返ってこなかったけれど、拒まれなかった。


熱くなかった。


怖くなかった。


帰り際、レトは何度も振り返った。


「また来てもいい?」


エルが彗星に向けて聞く。


すると、足元の光が細く伸びて、レトの靴先に触れた。


ロジーが小さく笑った。


「肯定反応、って書きたいなあ」


ジェレミーが言う。


「“拒絶反応なし”にしておけ」


「局長、情緒がない」


「記録文書だ」


レトは涙を拭いて笑った。


「また来るね!」


光が、きらりと揺れた。


「わたし、また来る!お兄さんと、ロジーと、エルと!」


少し間を置いて、レトは胸を張る。


「あと、プリンの話もする!」


ロジーが吹き出した。


エルは真顔で頷いた。


「大事」


ジェレミーは否定しなかった。


透明な桟橋を戻る途中、レトはジェレミーの手を強く握っていた。


怖いからではなかった。


離したくなかったからだった。



監理局へ戻った後。


上位委員会には、分厚い報告書が提出された。


ロジーの記録映像。


観測班の数値。


エルの魔力干渉ログ。


ジェレミーの所見。


心理担当官の面談記録。


そして最後に、レト本人の短い感想文が添付された。


文字は少し大きくて、ところどころ丸い。


『すいせいにあいました。

こわかったけど、あったかかったです。

わたしは、うまれてよかったです。

また行きたいです。

こんどは、すいせいにもプリンのことを教えます。


レト。』


議長はその文書を読んで、長い間黙っていた。


隣の委員が言った。


「……次回訪問の申請が来るでしょうか」


議長は答えた。


「来るだろうな」


「許可しますか」


議長はレトの感想文を見つめたまま言った。


「条件を満たせば」


そして、ほんの少しだけ声をやわらげた。


「守るとは、閉じ込めることではない」



その夜。


局長室の窓際で、レトはジェレミーの膝の横に座っていた。


膝の上ではない。


でも、かなり近い。


手はまだつないでいる。


「お兄さん」


「なんだ」


「わたし、彗星に会った」


「ああ」


「おうちだった」


「そうか」


「でも、いまのおうちは、ここ」


ジェレミーはレトを見た。


レトは少し照れた顔で笑った。


「お兄さんがいるところ」


ジェレミーは数秒、返事をしなかった。


それから静かに言う。


「それは光栄だ」


「えへへ」


レトは窓の外を見る。


遠くに、青白い光が一筋だけ見えた気がした。


本当に見えたのか、ただそう思っただけなのかは分からない。


でも、レトは手を振った。


「またね」


そして、小さな声で付け足す。


「わたし、ちゃんとここにいるよ」


ジェレミーの手が、レトの手を握り返した。


「知っている」


「うん」


レトは嬉しそうに笑った。


硝子の彗星は、遠い宇宙を静かに進んでいる。


もうただの観測対象ではない。


研究材料でも、危険天体でも、保護指定文書の中だけの存在でもない。


それはレトのはじまりで。


レトが初めて「ただいま」と言った場所で。


そして、レトが「いまのおうちはここ」と言えるようになるために、必要だった遠い光だった。


彗星から戻るため、透明な足場を渡って観測艦へ乗り込んだ直後だった。


ハッチが閉まり、気密音が短く響く。


ロジーの浮遊デバイスが、空中に観測値をばっと投影した。


「外層魔力、再上昇――あ、いや、これ……待って」


レトはまだ窓に張りついていた。


さっきまで立っていた硝子の彗星が、青白い光を内側へためこんでいくのが見える。


静かだった表面の光脈が、一気に速くなる。


きらきら、ではない。


ごうごう、でもない。


もっと、胸がどきっとするような、勢いの前触れだった。


「お兄さん、なんか、ひかってる」


ジェレミーはすぐ前方モニターへ視線を向けた。


「操舵、距離を取れ。観測優先、接触回避」


「了解」


艦内に、少しだけ緊張が走る。


ロジーが数値を追いながら、早口で言った。


「抑えてた分を戻してる。いや、戻すっていうか、解放してる! さっきまでレトのために出力を抑えてた反動かも!」


エルは窓の向こうを見たまま、ぽつりと言った。


「うれしかったんだと思う」


「うれしくて、こんなになる!?」 


「なるよ」


エルの声は、いつものふわふわした調子だった。


その次の瞬間。


硝子の彗星が、弾けたみたいに飛んだ。


青白い尾が、宇宙の黒をまっすぐ切り裂く。


一瞬でそこにいた位置から遠ざかり、長い光の筋だけが残る。


巨大な硝子の塊のはずなのに、重さなんて最初からなかったみたいに。


抑えていたものを全部ほどいて、ただ行きたい方へ飛んでいくみたいに。


レトが、思わず声を上げた。


「わああっ!!」


艦橋の観測員の一人が小さく息を呑む。


「速い……」


別の職員が、呆然と計器を見る。


「推定速度、再計算が追いつきません」


ロジーはモニターを見ながら、半分笑っていた。


「なにそれ、めちゃくちゃじゃん。かわいいとこあるじゃん」


エルが、光の尾を指さした。


「レトみたいだね」


レトは、ぱちぱちと瞬きをした。


「わたし?」


「うん」


エルはレトを見る。


「会うために、がんばっておとなしくしてた。帰ったら、もういいやってなって、びゅーんってした」


ロジーが吹き出す。


「それはほんとにレト」


「えっ、えっ」


レトは自分を指さした。


「わたし、そんな感じ?」


ジェレミーが静かに答えた。


「心当たりはある」


「お兄さんまで!?」


「任務前は比較的指示を聞くが、任務後に気が緩むと急に動きが大きくなる」


「そ、それは……ちょっとだけ……」


「ちょっとではない」


レトは口をむっとさせた。


でも、窓の向こうの青白い尾を見たら、すぐにその顔がほどけた。


彗星はもうずいぶん遠い。


それでも、透明な光だけはよく見えた。


元気いっぱいに飛んでいく。


自由で、まっすぐで、速くて、きれいで。


たしかに少し、レトみたいだった。


レトは窓に手をついたまま、小さく笑った。


「……そっか」


「なにが?」


とロジー。


レトは少し考えてから、うれしそうに言った。


「わたし、あそこから生まれたんだなあって、ちょっとわかった気がする」


エルが、こくりと頷く。


「似てるよ」


「ほんと?」


「うん。きれいで、まっすぐで、がまんして、でもほんとは元気いっぱい」


ロジーがにやにやする。


「あと急に飛ぶ」


「それはもう言わなくていい!」


「あと周りがひやっとする速さ出す」


「ロジー!!」


艦内に小さな笑いが広がった。


さっきまで緊張していた観測員たちまで、少しだけ肩の力を抜く。


ジェレミーは腕を組んだまま、遠ざかる彗星を見ていた。


「……あの彗星がレトの発生母体である、という事実については、今まで記録と理論で理解していた」


レトが振り向く。


「うん」


「だが今の挙動は、妙に納得がいく」


ロジーが笑う。


「局長、それ、かなりひどい言い方かも」


「客観的所見だ」


「お兄さん、ひどい?」


「褒めている」


「ほんとに?」


「ほんとだ」


レトはちょっとだけ疑わしそうな顔をしたあと、また窓の外を見た。


青白い尾は、もう星の光に溶けそうになっている。


でも、レトにはまだ見えている気がした。


「ねえ」


小さな声で、レトが言う。


「わたしに会えて、うれしかったのかな」


その場が静かになる。


ロジーも、すぐには言葉を挟まなかった。


エルは少しだけ首を傾げて、彗星の消えた方を見る。


ジェレミーが答える前に、エルが言った。


「うれしかったよ」


レトはエルを見た。


「わかるの?」


「ちょっとだけ」


エルは曖昧なまま頷いた。


「だって、会ってる間、ずっとがんばって静かにしてた。レトが帰る時も、また来ていいってした。いなくなったら、我慢やめて飛んでった」


そして、少しだけ笑う。


「たぶん、元気なとこ見せたかったんだと思う」


レトの瞳が、やわらかく揺れた。


「……わたしに?」


「うん」


ロジーも、今度は素直に頷いた。


「っぽいね。記録的にも、ただの魔力解放にしてはタイミングが感情的すぎる」


「感情的って、彗星なのに?」


「レトの母体だもん。ただの石じゃないでしょ、もう」


レトは、じっと窓の外を見つめた。


それから、へにゃっと笑う。


「えへへ……そっか」


ジェレミーがその横顔を見る。


レトは、うれしそうだった。


けれど、騒がしい嬉しさじゃない。


胸の奥に、じんわり広がるような嬉しさだった。


「お兄さん」


「なんだ」


「わたし、ちょっと、似ててよかったかも」


「そうか」


「きれいだったし、すっごく速かったし」


「それは否定しない」


「あと、元気だった」


ジェレミーは小さく頷いた。


「それも、君らしい」


レトはますますうれしくなって、ジェレミーの袖をつかんだ。


「わたし、また会いに行きたい」


「正式手続きを踏めばな」


「うん!」


「次回も安全基準は守る」


「うん!」


「勝手に飛び出さない」


「うん!」


「本当だな」


「……がんばる!」


ロジーがすかさず記録した。


「はい、“がんばる”いただきました。遵守確約ではない」


「ロジー!!」


エルはくすっと笑って、レトの頭をなでた。


「次は、もっとゆっくり会えたらいいね」


「うん!」


「でも、飛んでくのも見れてよかった」


「うん! なんかね、なんか……」


レトは胸の前でぎゅっと手を握った。


「すっごく、元気で、うれしくなった」


窓の向こうでは、もう彗星の尾もほとんど見えない。

ただ、宇宙のどこか遠くへ、青白いきらめきが駆け抜けていった余韻だけが残っていた。


それはたしかに、レトみたいだった。


守るために強くて。


会いたい相手の前では少しがんばっておとなしくして。


終わったら、抑えていたエネルギーをぱっと解いて、すごい勢いで飛んでいく。


小さくて、まっすぐで、きらきらしていて。


ジェレミーは、静かにそう思った。


――ああ。たしかに、レトみたいだ。


するとその時、レトが満面の笑みで振り返る。


「お兄さん! わたしも、あんなふうに飛んでいい!?」


ジェレミーは即答した。


「だめだ」


「なんでぇ!?」


「艦内だからだ」


ロジーがけらけら笑い、エルは「それはそう」と頷いた。


レトはむーっとしながらも、すぐにまた窓の外を見る。


その顔は、しょんぼりではなく、どこか誇らしげだった。


遠い宇宙で飛んでいく硝子の彗星。


その光を見送るレトの頬は、少しだけ赤くて、うれしそうで。


まるで、自分のはじまりから「元気にやってるね」と言ってもらえた子みたいだった。


観測艦が、硝子の彗星を後にして航路を安定させたころだった。


遠ざかっていく青白い尾を、レトはまだ窓に張りつくみたいに見ていた。


もうほとんど光の筋しか見えないのに、名残惜しそうに、ずっと。


「またね……」


小さく手を振る。


その時だった。


こつん。


艦体のどこかで、ほんの小さな音がした。


ロジーの浮遊デバイスがぴこん、と反応する。


「ん?」


ジェレミーがすぐに視線を上げた。


「報告」


操舵席の職員が計器を確認する。


「微小接触です。速度差は小。損傷なし」


ロジーが空中モニターを広げる。


「外部カメラ、外部カメラ……あっ、待って。なにこれ」


映像に映っていたのは、観測艦の外装に軽く引っかかるように留まった、小さな硝子の欠片だった。


透明な硝子ではない。


ほんのり青い。


彗星の尾の光をそのまま切り取ったみたいな、澄んだ青。


レトが目を丸くする。


「わっ……きれい……!」


エルはその映像を見るなり、すぐに言った。


「プレゼントだ」


ロジーが笑う。


「断言した」


「うん。たぶんそう」


ジェレミーは慎重に問い返す。


「根拠は」


エルは淡々としていた。


「わざと、やわらかく当ててる。傷つけないように。見送りの時の、あれ」


レトはぱちぱち瞬きをした。


「えっ、じゃあ……」


青い欠片を見つめる。


「わたしに?」


「たぶん」


レトの顔が、みるみるうれしそうになる。


「わたしに、くれたの?」


ロジーは記録しつつ肩をすくめた。


「状況証拠はかなりそれっぽいね。彗星が加減して微小破片を飛ばした、って言うととんでも理論だけど、相手があの彗星ならもう否定しにくい」


ジェレミーは数秒だけ考え、それから命じた。


「回収班。慎重に回収。魔力隔離ケースを使用しろ。技術班と観測班に一次確認を依頼する」


「了解」


レトはジェレミーの袖を引っ張った。


「お兄さん、お兄さん」


「なんだ」


「プレゼント、だって」


「現時点では断定しない」


「でも、そうかも!」


「そうかもしれない」


「えへへ……」


レトはそれだけで、もう十分うれしそうだった。




回収された硝子片は、局へ戻ってすぐ技術班と調査班、そしてエルの立ち会いのもとで確認された。


サイズは親指の先より少し大きいくらい。


表面は自然に割れたらしい鋭さを残していたが、不思議と危険な感じは薄い。


内部には青白い光の線が一本だけ閉じ込められていて、角度を変えるたびに静かにきらめく。


魔術機材整備士が、手袋越しにケースをのぞきこむ。


「……これはまた、とんでもなく綺麗なもんだな」


武装開発担当は難しい顔をしていた。


「高密度魔力反応はあるが、攻撃性なし。安定している。というより……妙に従順だな」


ロジーが即座に記録する。


「従順な彗星の欠片。かわいい」


「記録文言としては却下だ」


とジェレミー。


レトはケースの前で、じっと欠片を見ていた。


触りたいけど、勝手に触っちゃだめだと分かっているから、両手を背中で組んで。


「これ、わたしの……?」


ジェレミーは答える。


「君への贈与物である可能性が高い。安全確認の後、保有を認める方向で調整する」


「ほんと!?」


「ああ」


レトの顔がぱあっと明るくなった。


「じゃあ、だいじにする!」


エルがケースを見ながら言う。


「整えたら、もっときれいになるよ」


レトが振り向く。


「ととのえる?」


「うん。角を危なくないようにして、身につけられるようにする」


ロジーがすかさず乗ってくる。


「いいじゃん、加工しようよ。しまっとくより、レトが持ち歩けるほうが絶対いい」


「持ち歩く……!」


レトはもうその時点でかなり乗り気だった。


「お兄さん、わたし、これつけたい」


「用途は?」


「えっと……えっと……」


少し考えてから、瞳をきらきらさせて言う。


「髪飾り!」


左側のサイドテールを、ぴこんと指さす。


「ここに!」


エルがうんうん頷く。


「いいと思う」


ロジーも笑う。


「似合う。絶対似合う。青いの、レトの魔力っぽいし」


ジェレミーは欠片を見る。


そしてレトの髪を見る。


それからもう一度欠片を見て、静かに結論を出した。


「安全加工が前提だ」


「やったあ!」




加工は、小さな共同作業になった。


技術班が基礎の整形を担当し、エルが魔法で材質の安定を補助し、ロジーが横から口を出し、レトは見学席でそわそわし続ける。


「まだ!?」


「まだ」


「もうちょっと!?」


「もうちょっと」


「見ていい!?」


「見てるだろうが」


魔術機材整備士が苦笑する。


武装開発担当は、珍しく仕事机の上で小さなアクセサリーを扱うことになり、やや不本意そうな顔をしていた。


「なぜ私が兵装ではなく髪飾りを加工しているんだ……」


設備技師が笑う。


「いいじゃねえか、たまには平和なもん作れ」


「平和かどうかは素材次第だ」


「でも、かわいいですよね」


遊撃補佐員が静かに言うと、武装開発担当は一瞬黙ってから、


「……素材の輝度は悪くない」


とだけ答えた。


ロジーがにやにやする。


「今の“かわいい”の遠回し表現だ」


「違う」


エルは、整形途中の欠片を手のひらで包み、淡い光を与えた。


「レトが痛くないようにしてね」


その言葉に応えるみたいに、青い硝子片の光が、やわらかく落ち着く。


もともとは不規則な欠片だったそれは、少しずつ形を整えられ、やがて小さな青いキューブになった。


完全な立方体というより、少しだけ角の丸い、硝子らしい柔らかさのある立体。


中には、彗星の尾を思わせる青白い光の線が一本。

揺らすと、きらりと星みたいに瞬く。


「できた」


技術班の手から、完成した髪飾りが小さな台の上に置かれる。


レトは、息を呑んだ。


「……わあ」


それしか言えなかった。


きれいだった。


青くて、透明で、冷たそうなのに、どこかあたたかく見える。


彗星の欠片。

自分のはじまりから届いた、小さな贈りもの。


エルが言う。


「つけよう」


レトはこくこくと頷いた。




髪飾りは、左のワンサイドテールの結び目の少し上に付けられた。


淡緑の髪の中に、ひとつだけ青い光。


ロジーが「ちょっと待って、記録、記録」と騒ぎながら角度を変え、エルは「かわいい」と素直に言い、周囲の職員たちも思わず手を止めて見てしまう。


レトはそわそわしながらジェレミーの前に立った。


「……お兄さん」


「なんだ」


「どう?」


ジェレミーは、しばらくレトを見た。


淡緑の髪。

左のサイドテール。

そこに揺れる、小さな青いキューブ。


レトの魔力の色にも、彗星の光にも似た、澄んだ青。


「似合っている」


レトの顔が一気に明るくなる。


「ほんと!?」


「ああ」


「かわいい!?」


ジェレミーは一瞬だけ間を置いてから答えた。


「かわいい」


レトはその場でぴょんと跳ねた。


「やったあ!!」


ロジーが吹き出す。


「局長に“かわいい”もらった、はい重要記録」


「記録しなくていい」


「する!」


エルはレトの髪飾りを下からのぞきこむ。


「彗星、うれしいと思う」


レトは、そっと青いキューブに触れた。


「……これ、彗星がくれたんだよね」


誰も、軽々しく断言はしなかった。

けれど、否定する人もいなかった。


あのタイミング。

あのやさしい接触。

あの青い光。


きっとそうだと、みんな思っていた。


レトはうれしそうに笑う。


「えへへ……じゃあ、ずっとつける」


「任務中も?」


とロジー。


「うん!」


ジェレミーが即座に口を挟む。


「戦闘時の安全固定は別途確認する」


「うっ」


「激しく動いても外れないようにしよう」


「…うん!」

 



その日の夜。


局長室で、レトはソファの背にもたれて座りながら、何度も手鏡をのぞいていた。


見るたびに、青いキューブが揺れる。


「きれい……」


ぽつりとつぶやく。


ジェレミーは書類仕事の手を止めずに言った。


「気に入ったようだな」


「うん!」


レトは満面の笑みで頷く。


「わたしのはじまりが、ここにあるみたい」


青いキューブに、そっと触れる。


「なんかね、うれしいの。会いに行ったのも、プレゼントくれたのも、ぜんぶほんとだったんだなあって」


ジェレミーは静かにレトを見る。


レトは、ただ飾りが増えて喜んでいるだけじゃなかった。


自分の出自が、遠い怖いものではなく、今の自分とつながるやさしいものとして手元にある。

そのことが、たぶんうれしいのだ。


「お兄さん」


「なんだ」


「これ、宝物」


「そうか」


「わたし、だいじにする」


「そうするといい」


レトは、へへっと笑った。


そして少しだけ照れた顔で言う。


「……お兄さんにも、見えるところにつける」


「もう十分見えている」


「いっぱい見て」


「業務に支障がない範囲でな」


「えへへ」


でもレトは楽しそうだった。


青いキューブは、局長室の灯りを受けて小さく光る。

まるで遠い宇宙から切り取られた、ひとつぶの星みたいに。


こうして。


宇宙船にこつんと当たった硝子の欠片は、彗星からのプレゼントとして整えられ、レトの左のワンサイドテールを飾る青いキューブの髪飾りになった。


それは、ただの装飾品じゃない。


レトが自分のはじまりに会いに行った記念で。

遠い彗星が返してくれた、たしかな返事で。

そして、レトがこれからもずっと身につけていく、小さな宝物だった。


青いキューブの髪飾りと、上位委員会へのお礼


レトが手紙を書いたのは、彗星から戻って数日後のことだった。


局長室のソファではなく、今日はきちんと机に向かっている。

淡緑色のワンサイドテールには、あの青いキューブの髪飾りが揺れていた。


目の前には便箋。


白い紙に、少し大きめの丸い文字。


レトは真剣な顔でペンを握りしめている。


「お兄さん」


「なんだ」


「“ありがとう”って、何回書いたらいい?」


ジェレミーは書類から顔を上げた。


「一度で伝わる」


「でも、いっぱいありがとうだよ?」


「なら、理由を書きなさい」


「理由!」


レトはうんうん唸りながら、便箋へ向き直る。


そして、ゆっくり書いた。


『 上位委員会の議員さんたちへ


レトです。

わたしの彗星を守ってくれて、ありがとうございます。

わたしは彗星に会いに行けました。

こわかったけど、あったかかったです。

彗星は、わたしに青い硝子をくれました。

髪飾りになりました。

すごくきれいです。

見せたいです。

ありがとうございました。


レト』




書き終えたレトは、便箋を両手で持ち上げた。


「お兄さん、見て!」


ジェレミーは受け取って、目を通す。


誤字は少しある。

文も幼い。

けれど、必要なことは全部書いてあった。


「よく書けている」


「ほんと!?」


「ああ」


「じゃあ、これ持っていく!」


「送付するのではないのか」


レトはきょとんとした。


「髪飾り、見せたいもん」


ジェレミーの手が止まる。


レトは左のサイドテールを指さした。


青いキューブが、局長室の灯りを受けて小さく光る。


「議員さんたちが守ってくれたから、わたし、彗星に会えたんだよ。彗星がプレゼントくれたんだよ。だから、ちゃんと見せたい」


「……なるほど」


「だめ?」


ジェレミーは即答しなかった。


上位委員会の宇宙ステーション。

正式な議会施設。

監理局とは違う、政治と監査と責任判断の場所。


そこにレトを連れていくことは、不可能ではない。

むしろ、保護指定案件の当事者による謝意表明としては正当な訪問理由になる。


ただし。


「レト」


「なあに?」


「議会施設では走らない」


「うっ」


「大声で作戦名を叫ばない」


「ううっ」


「議場の椅子に座らない」


「すわってみたい……」


「だめだ」


「はーい……」


ジェレミーは静かに息を吐いた。


「正式に訪問申請を出す。許可が下りれば同行する」


レトの顔がぱあっと明るくなる。


「お兄さんも一緒!?」


「当然だ」


「やったあ!」


レトはその場で跳ねそうになり、ジェレミーの視線に気づいて、両足をぎゅっと床に押しつけた。


「……議会施設では、走らない練習」


「今は局長室だ」


「じゃあ跳ねていい?」


「ほどほどにしなさい」


レトは小さくぴょんと跳ねた。





訪問当日。


上位委員会の宇宙ステーションは、硝子玉の宇宙の中でも特別な場所だった。


巨大な輪状構造の中央に議会塔が伸び、外壁には星明かりを受ける白銀の装甲が並んでいる。

監理局よりも静かで、広くて、どこか冷たい。


でも、窓の向こうには星がよく見えた。


レトはジェレミーの隣を歩きながら、何度も髪飾りを触っている。


「レト」


「はい!」


「触りすぎると固定具が緩む」


「はい……」


手を下ろす。

三秒後、また触りそうになる。

ジェレミーが見る。

レトがぴたっと止まる。


同行しているロジーは、後ろで肩を震わせていた。


「レト、完全に遠足前の子じゃん」


「遠足じゃないもん! お礼任務だもん!」


「お礼任務」


ロジーのデバイスが即座に記録した。


「作戦名?」


「うん! “ありがとう届ける作戦”!」


ジェレミーが前を向いたまま言う。


「議場内で叫ばないように」


「今ちいさく言ったもん!」


「今の声量は小さくない」


エルはレトの横をふわっと歩きながら、青いキューブを見ている。


「今日も光ってる」


「うん!」


「彗星も、ついてきてるみたい」


レトは少し照れた顔になった。


「えへへ……そうかな」


その言葉を聞いた案内役の上位委員会連絡官が、前方で表情を崩しかけた。


だが、職務中なので必死に戻す。


「こちらです。議員の皆様は小会議室にてお待ちです」


「小会議室?」


レトが首を傾げる。


「議場じゃないの?」


連絡官は穏やかに答えた。


「本日は公式審議ではなく、謝意表明のための面会です。議場よりも、落ち着いてお話ししやすい部屋をご用意しました」


「そっか!」


レトはにこっと笑った。


「ありがとう!」


連絡官は一瞬固まり、それから小さく咳払いをした。


「……恐れ入ります」


ロジーが小声で言う。


「一撃入ったね」


ジェレミーは聞こえないふりをした。



---


小会議室には、数名の議員がいた。


保護指定議決に参加した者たち。

議長。

監査系の委員。

外務担当の委員。

普段は厳しい顔で資料を読み、監理局の判断を容赦なく問いただす人々。


その全員が、入室してきたレトを見た瞬間、ほんのわずかに表情を変えた。


淡緑色の髪。

左側のワンサイドテール。

そこに揺れる、青いキューブの髪飾り。


議長が最初に口を開いた。


「レト職員。よく来ました」


レトは少し緊張して、背筋を伸ばした。


「はい! レトです!」


ジェレミーが小さく言う。


「声量」


「はい、レトです……!」


少し小さくなった。


議員たちの何人かが、資料で口元を隠した。


レトは両手で封筒を持ち、議長の前まで歩いていく。


そして、ぺこっと頭を下げた。


「お手紙、書きました」


議長は両手で受け取った。


「ありがとう。読ませてもらいます」


「はい!」


そこでレトは、もじもじした。


「あの」


「どうしました」


「髪飾り、見てもらってもいいですか」


議長は一瞬だけ目を細めた。


「もちろん」


レトはぱっと顔を上げ、左のワンサイドテールを少し持ち上げた。


青いキューブが、会議室の白い照明を受けて光る。


中に閉じ込められた青白い線が、星の尾みたいにきらりと揺れた。


「これ、彗星がくれました」


会議室が静かになった。


レトは続ける。


「宇宙船に、こつんって当たったんです。欠片でした。エルがプレゼントだって言って、技術班のみんなが整えてくれて、髪飾りになりました」


少し誇らしげに、でもとても大切そうに。


「議員さんたちが、わたしの彗星を守ってくれたから、わたし、会いに行けました。だから、これ、見せたかったです」


監査系の委員が、ゆっくり息を吐いた。


「……そうですか」


その声は、いつもの審議の時よりずっと柔らかかった。


外務担当の委員が静かに言う。


「よく似合っています」


レトの瞳が輝いた。


「ほんと!?」


ジェレミーが横で小さく咳払いする。


レトは慌てて姿勢を正す。


「ありがとうございます!」


議長は手紙を机に置き、レトを見た。


「レト職員」


「はい!」


「その髪飾りは、あなたのものです。誰かが研究のために取り上げることはありません。保護指定対象から発生した贈与物として、あなたの所有を認める議事補足を残します」


レトは一瞬、意味が分からない顔をした。


ロジーが小声で翻訳する。


「それ、正式に“レトの宝物です”って記録してくれるってこと」


レトの顔が、みるみる明るくなる。


「わたしの宝物って、議会で決めてくれるの!?」


議長は真面目に頷いた。


「必要なら」


「すごい!」


ジェレミーが再び小さく言う。


「声量」


「すごいです……!」


今度はちゃんと小さくした。


議員たちは、もう隠しきれずに微笑んでいた。



---


その後、小会議室は不思議な空気になった。


本来なら、監理局長と上位委員会議員が向き合う場は、もっと硬い。

責任、権限、手続き、監査、承認。

言葉ひとつで空気が張り詰める場所。


けれど今日は、テーブルの中心にレトの手紙が置かれ、議員たちは青い髪飾りについて質問していた。


「重さはありますか」


「ちょっとだけ!」


「魔力反応は日常生活に影響しませんか」


「技術班がだいじょぶって言いました!」


「戦闘時は外すのですか」


レトはそこで、きゅっと眉を寄せた。


「できれば、つけたいです」


ジェレミーが即座に補足する。


「任務時の装着可否は、固定具と防護処理の検証後に判断します」


議長が頷く。


「妥当です」


レトはしょんぼりしたが、すぐに髪飾りを触って小さく笑った。


「でも、ふだんはずっと一緒です」


監査系の委員が、静かに言った。


「その欠片は、あなたが彗星に受け入れられた証のようにも見えますね」


レトは少し驚いた顔をした。


「うけいれられた?」


「ええ。少なくとも、拒まれなかった。あなたが帰る時、彗星は何かを渡した。それは、記録上とても重要な出来事です」


ロジーがにこにこする。


「そうそう。私の記録でもめちゃくちゃ重要」


「ロジーは何でも重要って言うもん」


「これは本当に重要!」


エルが淡々と言う。


「彗星、レトが好きなんだと思う」


議員たちが一斉にエルを見る。


エルは悪びれもせず、青いキューブを指さした。


「好きじゃなかったら、くれない」


会議室に、妙な沈黙が落ちた。


旧世代であるエルの言葉を、どこまで正式見解として扱うべきか。

議員たちは一瞬、政治的判断を迷った。


ロジーがすかさず言う。


「はい、公式記録では“友好的反応の可能性”にしておきまーす」


ジェレミーが頷く。


「それが適切だ」


レトだけが、にこにこしていた。


「好きだったら、うれしいなあ」


議長は、そのレトの顔を見ていた。


議会決定。

保護指定。

危険評価。

倫理規定。


そうした言葉の先に、今、この小さな娘がいる。


自分のはじまりから届いた欠片を髪に飾って、議員たちへお礼を言いに来ている。


議長は静かに言った。


「レト職員」


「はい」


「こちらこそ、来てくれてありがとう」


レトは目を丸くした。


「議員さんが、ありがとう?」


「ええ」


「なんで?」


議長は少し考えた。


「我々の決定が、書類の上だけのものではなかったと分かったからです」


レトは首を傾げる。


まだ少し難しい。


議長は言い直した。


「あなたがその髪飾りを見せに来てくれたことで、我々が守ったものの意味が、よく分かりました」


レトは、青いキューブにそっと触れた。


「意味……」


「ええ。守れてよかった」


その言葉を聞いた瞬間、レトの目が潤んだ。


でも、今日は泣かないように少し頑張った。


「わたしも」


小さな声で言う。


「守ってもらえて、よかったです」


会議室は静かだった。


冷たい静けさではない。


誰も急かさず、誰も茶化さない。

レトの言葉が、ちゃんと最後まで届くのを待っている静けさだった。





面会が終わった後、レトたちはステーションの展望回廊へ案内された。


透明な強化窓の向こうに、星の海が広がっている。


遠くのどこかを、硝子の彗星が飛んでいるのだろう。


レトは窓際に立ち、青いキューブの髪飾りを軽く揺らした。


「議員さんたち、こわくなかった」


ロジーが笑う。


「普段は結構こわいよ」


「そうなの?」


「局長が答弁してる時とか、空気ぴりぴり」


ジェレミーは否定しない。


「職務上、必要な緊張だ」


エルは窓の外を見ながら言った。


「でも今日は、やわらかかった」


「うん!」


レトは嬉しそうに頷く。


「みんな、わたしの髪飾り見てくれた。似合うって言ってくれた。宝物って、決めてくれるって」


「正確には所有権と保護扱いの議事補足だ」


「たからもの!」


「……そうだな」


ジェレミーは訂正を諦めた。


レトは窓に映る自分を見る。


淡緑の髪。

左のサイドテール。

青いキューブ。


それは、以前の自分にはなかったもの。


でも今は、そこにあるのが当たり前みたいに見える。


「お兄さん」


「なんだ」


「わたし、今日ちゃんとありがとう言えた?」


「ああ」


「手紙も渡せた?」


「ああ」


「髪飾りも見せられた?」


「ああ」


「声、大きすぎなかった?」


ジェレミーは少しだけ間を置いた。


「概ね許容範囲だ」


「おおむね?」


ロジーが横から言う。


「まあまあセーフってこと」


「やった!」


レトは嬉しそうに跳ねかけて、ここが上位委員会の宇宙ステーションだと思い出し、ぴたっと止まった。


「……走らない」


ジェレミーが頷く。


「よろしい」


エルが小さく拍手した。


「えらい」


ロジーも拍手する。


「議会施設適応レト、記録」


「えへへ!」


その時、窓の外で、小さな青白い光が流れた。


本当に彗星だったのか。

ただの遠い流星だったのか。

観測値を見なければ分からない。


でも、レトは迷わず手を振った。


「見せてきたよー!」


上位委員会の展望回廊に、レトの声が明るく響く。


今度は少しだけ大きかった。


ジェレミーが横を見る。


「レト」


「今のは彗星に言ったから、だいじょうぶ!」


「理由になっていない」


ロジーがけらけら笑った。


エルは窓の向こうへ、同じように手を振った。


そしてレトは、青いキューブの髪飾りを両手で大事そうに包む。


「ありがとうって、ちゃんと言えた」


それは、議員たちへの言葉でもあり。


彗星への言葉でもあり。


自分のはじまりを守ってくれた、みんなへの言葉でもあった。


こうして、レトの青いキューブの髪飾りは、ただの宝物から少しだけ変わった。


上位委員会の議員たちが見届けた、正式な宝物。


レトが守られた証。


そしてレト自身が、守ってくれた人たちへまっすぐ「ありがとう」を届けに行った記録になった。

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