第16話-今日は見てほしい日
惑星監理局、技術班検査室。
検査台の上に、二十八個の魔法アイテムが並んでいた。
大きいものは、子供用の椅子ほど。
小さいものは、指先に乗るほど。
宝石のように透き通ったもの。
柔らかそうな毛に覆われたもの。
勝手に震えているもの。
何もしていないのに、少しずつ色が変わるもの。
天井近くには、誰にも触れられていない帽子が浮いている。
床の隅では、脚の生えた小箱が隔離線の内側をぐるぐる走っていた。
その奥。
白い髪の毛先を淡い桃色に染めた小柄な少女が、検査台へ頬を押しつけていた。
エルだった。
「まだ?」
技術班の女性職員は、測定器の表示から目を離さなかった。
「まだです」
「ずっと、まだ」
「昨日の夜から二十八個も増やしたのは、エルさんです」
「三十二個」
「四個増えているんですか?」
女性職員が顔を上げた。
エルは黙った。
透明な袖の中から、小さな何かが転がり落ちる。
薄紫色の卵。
床へ落ちる直前に、卵から翼が生えた。
ばさばさと羽ばたきながら、検査室の天井へ逃げていく。
技術班員が捕獲用の網を伸ばした。
「一個」
エルの反対側の袖が、わずかに膨らんでいる。
「そちらも出してください」
「もうない」
袖の中で、ちりん、と音がした。
「出してください」
エルは少し考え、手のひらほどの硝子製の扉を取り出した。
続いて、小さな靴。
最後に、口のついた金色の筒。
「これで全部」
「本当ですか」
「たぶん」
「たぶんは禁止です」
女性職員は三つを未検査品の区画へ移した。
担当を引き継いだ男性職員が、追加された扉を見下ろす。
「これは?」
「どこかに繋がる扉」
「どこへ」
「開けた人が、行ったことのない場所」
「隔離」
扉は即座に赤い箱へ入れられた。
「靴は」
「履くと、今日いちばん面白いものを踏む」
「踏むんですか」
「うん」
「隔離」
「まだ歩いてない」
「歩かせません」
「筒は?」
エルが金色の筒を両手で持つ。
筒の先端にある小さな口が、ぱくぱくと動いた。
「嫌いな言葉を食べる」
「誰の嫌いな言葉ですか」
「持ってる人」
「どうやって判断しますか」
「聞く」
「何を」
「その人の中」
「隔離」
エルの手から筒が回収された。
赤い隔離箱が、また一つ増える。
その日の検査室では、すでに九個のアイテムが使用不可と判断されていた。
一つは、座った者の過去を椅子の背に刺繍する椅子。
一つは、眠っている間に「もっとよかった一日」を枕元へ置く箱。
一つは、喧嘩をした二人の声を入れ替える飴。
一つは、持った者が最も安心する温度まで部屋全体を変える毛布。
どれも壊れてはいなかった。
エルの意図から外れた動作もしていない。
正確に、作られた通りに働く。
だから使えなかった。
女性職員は検査表へ九つ目の印を入れた。
「今日は、どうしてこれほど作ったんですか」
エルは、回収された品々を眺めている。
「職員さんを見てた」
「いつものことですね」
「昨日、食堂で飲み物がこぼれた」
「ああ」
女性職員にも覚えがあった。
昼の混雑時。
若い職員が肘をぶつけ、隣の職員の飲み物を倒した。
それだけの出来事だ。
こぼした本人は青ざめた。
飲み物をかけられた職員は笑った。
近くにいた職員は布巾を取りに走った。
少し離れた席では、騒ぎに気づかず食事を続ける者がいた。
笑った職員を見て、さらに笑う者もいた。
逆に、笑われたのだと勘違いして、こぼした本人がますます小さくなる場面もあった。
「同じものを見たのに、みんな違った」
エルは言った。
「だから、いろいろ作ったら、もっと違うと思った」
女性職員は、検査台を見渡した。
二十八個。
三十二個。
正確な数は、まだ確定していない。
「すべてを今日試すつもりでしたか」
「うん」
「今日中には終わりません」
「明日もある」
「そういう問題ではありません」
女性職員は端末を操作し、検査済みの一覧を開いた。
安全性。
効果範囲。
可逆性。
停止条件。
使用者による選択の有無。
業務への影響。
そこまで通過したものは、三つだった。
「今日は、この三点だけです」
エルが起き上がる。
「三つ」
「三つです」
「少ない」
「二十八個を一度に試す方がおかしいんです」
「三十二個」
「増やさないでください」
◇
午後。
生活区画に近い小休憩室が、臨時の試用場所として開放された。
特別な告知はしていない。
通りがかった職員が、興味を持てば立ち寄る。
触らなくてもいい。
見ているだけでもいい。
検査済みの三つのアイテムは、丸い机の上に置かれていた。
赤い蓋の箱。
二つのくぼみがある白い皿。
銀色の縁を持つ小さな鏡。
エルは机の向こう側に座っている。
隣には、検査を担当した女性職員。
壁際には測定器。
監理局では、珍しい光景ではなかった。
エルが何かを作る。
技術班が検査する。
使えるものだけを、職員が試す。
危険なら止める。
面白ければ、少し遊ぶ。
最初に入ってきたのは、書類の束を抱えた監理班職員だった。
机の上の赤い箱を見る。
「今日は何ですか」
「開けて」
エルが答える。
女性職員が補足した。
「先に効果を聞きますか?」
監理班職員は少し迷った。
「聞かずに試します」
書類を脇へ置き、赤い蓋を開ける。
次の瞬間。
休憩室の天井が金色に光った。
見えない楽団が、盛大な音楽を奏で始める。
赤と白の紙吹雪。
小さな花火。
光でできた旗。
旗には、大きな文字が浮かんでいた。
おめでとう!
監理班職員は、箱を持ったまま固まった。
数秒後。
「……何がですか?」
エルは首を傾げる。
「今からすること」
「まだ何もしていません」
「だから、先に」
箱の中から、さらに盛大な歓声が上がる。
監理班職員が持っていた書類を見下ろす。
残業の申請書。
修正の差し戻し。
会議用資料。
どれも、まだ終わっていない。
「何を祝っているんです」
「箱を開けたあと、最初にしようとしたこと」
監理班職員の視線が、書類へ落ちた。
天井の光が、祝福するように瞬いている。
おめでとう!
「圧が強い」
職員が呟いた。
エルは女性職員を見る。
「圧?」
「期待されているように感じたんでしょう」
「お祝いなのに?」
「結果が出る前ですから」
監理班職員は、赤い箱を閉じた。
音楽と紙吹雪が消える。
静かになった休憩室で、彼は書類の束を見る。
もう一度、箱を見る。
また蓋を開ける。
盛大な音楽。
花火。
歓声。
おめでとう!
職員の口元が、わずかに緩んだ。
「今度は笑った」
エルがすぐに言う。
「さっきは嫌だったのに」
「嫌だから、もう一度見たくなることもあります」
「どうして?」
「自分でも分かりません」
職員は箱を閉じた。
書類を抱え直す。
「少なくとも、早く終わらせて黙らせようという気にはなりました」
「うれしい?」
「少し腹が立っています」
「でも、使う?」
「机には置きません」
職員は数歩進んだあと、振り返った。
「週末だけ貸してください」
エルは、少しだけ目を丸くした。
「嫌なのに?」
「嫌だからです」
監理班職員はそのまま休憩室を出ていった。
エルは、閉じられた赤い箱を見る。
「嫌だから、使う」
「人間には、そういうこともあります」
女性職員が答えた。
「変」
「ええ。わりと」
◇
次に白い皿を試したのは、食堂班の職員だった。
休憩中の菓子を二つ持ってきて、皿のくぼみへ一つずつ置く。
淡い黄色の焼き菓子。
小さな赤い果実菓子。
「どちらかを選べばいいんですか」
「うん」
食堂班職員は黄色い菓子を選んだ。
指で摘まみ上げる。
その瞬間。
選ばれなかった赤い菓子が、光に包まれた。
透明な飴細工の塔。
細かな金色の装飾。
花びらのような薄い菓子。
赤い果実菓子は、手のひらほどの小さな宮殿になった。
食堂班職員が動きを止める。
手に持った黄色い菓子を見る。
皿の上の宮殿を見る。
「……こちらに変えても?」
「いいよ」
黄色い菓子を皿へ戻し、赤い宮殿へ手を伸ばす。
すると。
赤い宮殿が元の小さな果実菓子へ戻った。
代わりに、黄色い焼き菓子が光り輝く。
何層もの花冠。
薄い羽。
星の粉。
今度はこちらが、豪華な菓子の城になった。
職員は手を止める。
赤を見る。
黄色を見る。
もう一度、黄色へ手を伸ばす。
黄色が戻る。
赤が宮殿になる。
反対へ手を伸ばす。
赤が戻る。
黄色が城になる。
「……エルさん」
「なに」
「これは、選ばなかった方が豪華になるんですね」
「うん」
「なぜ」
エルは少し考えた。
「選ばなかったものを見る時、人間の目が止まるから」
食堂班職員は、まだ菓子を選べずにいた。
休憩室へ入ってきた設備担当が、事情を聞いて笑う。
「さっさと最初の方を食べればいいでしょう」
「では、あなたが選んでください」
設備担当は皿の前へ立った。
迷わず、赤い菓子を選ぶ。
黄色い菓子が豪華な城になった。
設備担当は一度もそちらを見ず、赤い菓子を口へ放り込んだ。
城はすぐに元の菓子へ戻る。
食堂班職員が驚く。
「気にならないんですか」
「選んだあとに変えても仕方がないでしょう」
「豪華になったのに」
「見た目だけです」
「味も少し変わる」
エルが言った。
設備担当の動きが止まった。
皿を見る。
「先に言ってください」
「聞かれなかった」
設備担当は、食べてしまった赤い菓子をゆっくり噛む。
今さら戻せない。
黄色い菓子を見つめる。
「気になる?」
エルが尋ねる。
「気になりません」
そう答えながら、視線が離れない。
食堂班職員が笑った。
「さっきまで随分と立派なことを言っていましたね」
「食べ終えたので、比較できないのが惜しいだけです」
「それを気になると言うんですよ」
「違います」
二人は言い合いを始めた。
エルは黙って見ている。
最初に迷い続ける人。
迷わず選ぶ人。
選んだあとで気にする人。
他人が迷う姿を見て笑う人。
設備担当が、残った黄色い菓子へ手を伸ばした。
食堂班職員が先に取る。
「これは私がもらいます」
「なぜです」
「あなたは気にならないのでしょう」
「比較検証のためです」
「私もです」
菓子を持ったまま、二人は互いに譲らない。
エルは、ほんの少し口元を上げた。
「次は、三つにする」
女性職員がすぐに止めた。
「増やさなくていいです」
「もっと迷うよ」
「だからです」
◇
三つ目の鏡は、最初の二つほど人気がなかった。
外見は普通だった。
銀色の縁。
小さな台座。
顔が映る程度の大きさ。
ただし、鏡の中に映るものは、現在より七秒遅れていた。
手を上げる。
鏡の中の自分は動かない。
七秒後。
こちらが手を下ろした頃、鏡の中の自分が手を上げる。
最初に試した若い職員は、すぐに面白がった。
右を向く。
左を向く。
頬を膨らませる。
目を細める。
七秒後の鏡の中で、過去の自分が次々に変な顔をする。
本人は途中から笑い出した。
鏡の中の自分は、まだ真顔で変な顔を続けている。
「あ、これ面白い」
鏡の中の自分が七秒遅れて笑う。
それを見て、本人がさらに笑う。
笑いが追いつかない。
休憩室にいた職員たちもつられて笑った。
エルは、その様子をじっと見ていた。
別の職員は、鏡へ近づかなかった。
「試さない?」
「自分の顔を見て何が楽しいんですか」
「変わるよ」
「毎日見ています」
「七秒前は見てない」
「見なくても困りません」
その職員は最後まで鏡へ触れず、赤い箱だけを二度開けて帰っていった。
さらに別の職員は、鏡を数分間、無言で見続けた。
変な顔はしない。
笑いもしない。
ただ、自分が瞬きをする。
七秒後に、鏡の中の自分も瞬きをする。
それを何度も確かめる。
「何が面白い?」
エルが尋ねた。
職員は鏡から目を離さなかった。
「面白いとは思っていません」
「じゃあ、どうして見てる?」
「今の自分と、少し前の自分が同時にいるのが、妙な感じなので」
「嫌?」
「少し」
「でも見る?」
「見ますね」
また一つ。
嫌なのに見る。
エルは、職員と鏡を交互に眺めた。
試用時間が終わり、三つのアイテムは検査用の箱へ戻された。
通りがかった職員たちも、それぞれの仕事へ戻っていく。
最後に残ったのは、エルと技術班の女性職員だけだった。
「どうでしたか」
「もっと見たい」
「そうでしょうね」
「同じ人でも、途中で変わった」
「変わります」
「違う人は、もっと違った」
「そうですね」
エルは、閉じられた検査箱を見た。
「見られてるって知ってる時と、知らない時も違う?」
女性職員の手が止まる。
「違うと思います」
「じゃあ、知らない時も見たい」
「それは駄目です」
「まだ何もしてない」
「今、顔に書いてあります」
エルは自分の頬へ触れた。
「書いてない」
「そういう意味ではありません」
女性職員は検査箱を抱えた。
「今日の試用は終わりです。三点とも、技術班へ戻します」
「うん」
エルは素直に頷いた。
少なくとも、その場では。
◇
翌朝。
保守作業を終えた設備班職員が、生活区画へ戻ってきた。
夜をまたいだ作業だった。
予定外の故障。
狭い通路。
熱の残った機材。
何度もやり直した接続作業。
けれど修理は終わった。
報告も済んでいる。
あとは身体を洗い、少し眠ればいい。
同僚が隣を歩きながら尋ねる。
「腕は大丈夫か」
「大丈夫です」
「途中でぶつけていただろう」
「かすっただけです」
二人は廊下の角を曲がった。
壁際に、小さな鏡が置かれていた。
銀色の縁。
見覚えのない物ではない。
前日の試用を見ていた職員なら、すぐに分かる。
七秒遅れて映す鏡。
ただし、設備班職員は試用会に参加していなかった。
鏡の前を通過する。
何も起こらない。
少なくとも、そう見えた。
「医療班へ行った方がいい」
隣の職員が言う。
「大げさですよ」
設備班職員は軽く笑った。
その七秒後。
鏡の中に、廊下を歩いてきた二人が現れた。
設備班職員は、まだ笑っていなかった。
角を曲がった直後。
誰にも顔を見られていないと思っていた瞬間。
眉を寄せ、歯を食いしばり、右腕を庇っていた。
隣を歩いていた職員が、その姿を見た。
現実の本人を見る。
鏡を見る。
「大丈夫じゃないだろう」
設備班職員の笑みが消えた。
「これは、さっきの」
鏡の中では、過去の彼がまだ痛みに耐えている。
「どこから持ってきた」
廊下の端。
清掃用具を入れる大きな箱の陰から、白い髪が少しだけ見えていた。
設備班職員はそちらを見る。
「エルさん」
白い髪が引っ込んだ。
「出てきてください」
少しして、エルが箱の陰から顔を出した。
「見られてない時の顔、違った」
設備班職員は返事をしなかった。
隣の職員が、彼の右腕へ手を伸ばす。
触れられた瞬間、表情が歪む。
「医療班へ行くぞ」
「……分かりました」
今度は断らなかった。
歩き出す前に、設備班職員はエルを見る。
「これは、勝手に置いたんですか」
「うん」
「検査は」
「昨日した」
「設置の許可は」
「ない」
「そうですか」
怒鳴らなかった。
けれど、声が明らかに硬くなっていた。
エルは首を傾げる。
「鏡があって、よかった?」
設備班職員は、自分の過去の表情が消えていく鏡を見る。
「医療班へ行くことになったのは、よかったと思います」
「じゃあ、よかった」
「でも、勝手に見られたことは嫌です」
エルの動きが止まる。
「同じことなのに?」
「同じ出来事です。でも、同じ気持ちではありません」
「助かった。嫌だった」
「はい」
「両方?」
「両方です」
エルは鏡を見た。
七秒前の自分が、設備班職員を見上げている。
今の自分は、もう鏡を見ている。
二人のエルは、違う方向を見ていた。
「見られたくない顔だった?」
「見られたくなかったというより、自分で見せる相手を決めたかったんです」
「でも、見せなかった」
「はい」
「見せなかったら、痛いままだった」
設備班職員は少し黙った。
「そうかもしれません」
「じゃあ、鏡は間違ってない」
「鏡は間違っていません」
「じゃあ、あたし?」
「置き方です」
設備班職員は鏡の前へしゃがんだ。
エルと同じくらいの高さになる。
「助かったから、何をしてもいいわけではないでしょう」
エルは答えない。
「私は、医療班へ行きます。鏡には感謝します」
設備班職員は銀色の縁へ軽く触れた。
「エルさんにも、ありがとうと言います」
「うん」
「でも、次は勝手に置かないでください」
「ありがとうと、やめてが一緒にある」
「あります」
設備班職員は立ち上がった。
同僚に促され、医療区画へ歩いていく。
少し進んでから、振り返る。
「次に正式な試用会をする時は、呼んでください」
「嫌だったのに?」
「この鏡が嫌いなわけではありません」
設備班職員は、痛む腕を押さえながら言った。
「勝手に見られたのが嫌だったんです」
二人は廊下の向こうへ消えた。
エルだけが残る。
銀色の鏡には、七秒前の二人がまだ映っている。
設備班職員が立ち上がる。
同僚が支える。
エルが見送る。
やがて、鏡の中からも全員が消えた。
◇
鏡は技術班へ回収された。
エルは叱られた。
長い説教ではなかった。
技術班の女性職員は、無許可で持ち出したこと。
人目につかない位置へ設置したこと。
誰が映るか分からない状態で放置したこと。
その三点だけを確認した。
「分かった?」
「分かったところと、分からないところがある」
「どこが分かりませんか」
「見られたくないのに、見られたら助かること」
「両方あります」
「見なかったら、困る」
「そういうこともあります」
「見たら、嫌」
「そういうこともあります」
エルは検査台の上に置かれた鏡を見た。
「人間、難しい」
「今さらですね」
女性職員は、鏡を隔離棚へ運ぼうとした。
エルが袖を掴む。
「捨てる?」
「捨てません。機能そのものに問題はありませんから」
「じゃあ、また使う?」
「使い方を変えれば」
「どう変える?」
「それは、自分で考えてください」
「職員さん、教えない?」
「今回は教えません」
「どうして?」
「エルさんが作った物ですから」
女性職員は鏡を棚へ収めた。
透明な扉が閉まる。
施錠音。
「分かったら、また持ってきてください」
◇
二日後。
技術班の検査室へ、エルがやってきた。
両腕で、小さな鏡を抱えている。
銀色の縁。
七秒遅れて映す鏡。
ただし、鏡面は見えなかった。
正面に、白い二枚扉がついている。
観音開きの小さな蓋。
中央には、指をかけるための取っ手。
技術班の女性職員が、作業台から顔を上げた。
「持ち出したんですか」
「違う」
エルは、抱えている鏡を少し持ち上げる。
隔離棚には、元の鏡が残っている。
新しく作ったものだった。
「これは?」
「開けた人だけ、七秒前を見る」
女性職員は鏡を受け取った。
裏面。
縁。
扉。
停止機構。
一つずつ確認する。
「周囲の人には?」
「見えない。開けた人だけ」
「閉じれば止まる?」
「うん」
「他の人へ向けても?」
「開けた人しか映らない」
女性職員は、白い扉へ手をかけた。
「開けていい?」
エルが尋ねる。
「今から検査します」
「見てもいい?」
「ええ」
扉を開く。
鏡面に、今の女性職員が映っている。
まだ動かない。
七秒後。
鏡の中の彼女が、扉を開いた。
女性職員は少し笑った。
鏡の中の自分は真顔のままだった。
さらに七秒後。
鏡の中の彼女も笑った。
エルは、その変化をじっと見ている。
女性職員が鏡の扉を閉じる。
「なぜ笑ったか、分かりますか」
「分からない」
「そうですか」
「でも、見てもいい?」
「見られると分かっている時なら」
エルは小さく頷いた。
「もう一回、開けて」
「検査が終わってからです」
「まだ?」
「まだです」
「ずっと、まだ」
「今度は三十二個ありませんから、すぐ終わります」
エルは女性職員の隣へ椅子を運び、座った。
足は床へ届かない。
検査が始まる。
エルは測定器ではなく、職員の顔を見ている。
女性職員は、それに気づいていた。
それでも、何も言わなかった。
鏡の蓋が開くまでは。
エルも、ちゃんと待っていた。




