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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち【旧版】  作者: 硝子玉の宇宙
箱庭の娘たち

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第131話-宇宙の奥で煌めいて

任務は、すでに終わっていた。


辺境惑星の衛星軌道上で発生した魔術災害は鎮静。孤立していた調査員は全員救助され、周辺空間の安定も確認された。


現地政府への引き継ぎを終えたレトは、任務を共にした調査員たちの船に同乗し、惑星監理局の回収艇との合流地点へ向かっていた。


惑星近傍の観測と現地調査を目的とした、中型の調査船。


操縦室の窓は広く、帰路の宇宙がよく見えた。


レトは後方の補助席に座り、床へ届かない足を揺らしている。


淡緑色の長い髪を、左側でまとめたワンサイドテール。


黒いリボンには、二つの青い硝子飾り。


計器の光を受けるたび、髪の横で小さく煌めいた。


「合流地点まで、あとどれくらい?」


「三十九分です」


操縦士が答える。


「長い」


「先ほど、一時間以内ならすぐだとおっしゃっていませんでしたか」


観測員が振り返り、笑った。


「任務中と、帰る時は違うの」


レトは窓の外へ視線を戻した。


遠い星々は動いていないように見える。


それでも船は、確実に惑星監理局へ近づいていた。


「早くお兄さんにお話したい」


「任務報告なら、先ほど送信済みですよ」


「報告じゃなくて、お話」


レトは胸元で両手を握った。


「今日ね、すっごく上手に空間をずらせたの。調査員さんたちも守れたし、壊れた観測機も回収できた!」


「ええ。レトさんがいなければ、救助は間に合いませんでした」


「ほんと?」


「本当です」


レトの瞳が輝いた。


「じゃあ、お兄さんにもいっぱい褒めてもらえるかも!」


操縦士が、回収艇へ接続を申請する。


間もなく、惑星監理局の識別符号が返された。


『こちら惑星監理局回収艇。調査船の識別を確認した』


レトは補助席から身を乗り出す。


「わたしもいるよ!」


僅かな間を置いて、回収艇を経由した別回線が開いた。


『確認している』


聞き慣れた声だった。


レトの顔が、一瞬で明るくなる。


「お兄さん!」


『任務完了報告は受けた。負傷は』


「ないよ! ちょっと疲れただけ!」


操縦室の入口に立っていた医務担当者が、即座に訂正した。


「魔力消耗があります。本人の申告より疲労しています」


「職員さん!」


『帰還後、医療班へ直行しろ』


「ええっ」


『異論は』


レトは口を尖らせた。


「……ない」


『よろしい』


「でも、そのあとお話する」


『ああ』


「今日ね、わたし――」


通信が途切れた。


次の瞬間、船体後部で閃光が弾けた。


船が大きく揺れ、操縦室の照明が赤へ切り替わる。


「長距離通信機、損傷!」


立体図に破壊箇所が表示された。


通信設備の全体ではない。


外部通信と予備回線を統括する制御核だけが、正確に撃ち抜かれている。


二撃目。


船体が傾き、警告音が重なった。


「推進制御、低下!」


今度は航行制御装置。


動力炉を壊して船を爆発させるのではなく、逃走能力だけを奪っている。


三撃目が、船首の観測器を貫いた。


通信。


航行。


観測。


調査船の機能が、順序立てて奪われていく。


「攻撃方向を特定!」


「熱源なし!」


「魔力反応もありません!」


「何も捉えられない!」


レトは補助席から立ち上がった。


先ほどまでの浮かれた笑みは、もうない。


「みんな、動かないで」


「レトさん?」


「船を送る」


質問を待たず、レトは消えた。


次の瞬間には、船外へ出ていた。


調査船のすぐそば。


レトが胸元で両手を合わせると、青白い硝子質の魔力が船体を覆っていく。


船首。


船尾。


外殻。


船内の空気。


乗員。


積載物。


現在の速度と進行方向。


そのすべてを、一つの転移対象として固定する。


送り先は、先ほどまで通信していた回収艇との合流地点。


座標は分かっている。


任務後の消耗した状態で、宇宙船一隻を長距離転移させる。


それでも、術式は組める。


船を送ることはできる。


レトは自分を転移対象へ含めなかった。


船を襲った何かが、転移の残滓を追うかもしれない。


転移先まで追跡されれば、船内の人たちはもう逃げられない。


回収艇まで襲われる。


惑星監理局へ繋がる航路を知られる可能性もある。


だったら、ここに残る。


自分が目の前にいれば、敵はきっとこちらを見る。


宇宙の一部が、微かに歪んだ。


次の攻撃。


射線は、船体中央の乗員区画へ向いている。


レトは残る魔力を術式へ注ぎ込んだ。


「行って!」


青白い硝子膜が、一斉に砕ける。


調査船が、宇宙から消失した。


遥か遠く。


指定した座標に、大きな転移反応が生じる。


成功した。


みんなを送れた。


「……できた」


安堵した途端、レトの身体から力が抜けた。


任務後の疲労。


大型船の長距離転移。


残った魔力は、もう僅かしかない。


それでも。


守れた。


遠くの星が、突然隠れた。


何かが、そこにいた。


全長二千メートルを超える黒い巨体。


艦船に似ているようで、どの艦船とも違う。


推進器がない。


窓がない。


艦橋も、砲門も、装甲の継ぎ目も見当たらない。


巨大な黒い多面体。


光を反射せず、熱も魔力も漏らさず、何の前兆もなく宇宙へ浮かんでいる。


黒い巨体は、転移した調査船を追わなかった。


表面の一部が、レトへ向けられる。


船を失った兵器が、次の目標を選んだ。


レトは小さく息を吐いた。


思った通りだった。


自分を残して、よかった。


「うん」


レトは周囲へ十二本の硝子短剣を造形した。


いつもなら、その何倍も作れる。


今は十二本を保つだけで、頭の奥が痛んだ。


それでも短剣を構え、黒い兵器を見上げる。


「わたしだけ見てて」


黒い表面が、僅かに窪んだ。


レトは射線を読み、横へ飛ぶ。


細い光が、先ほどまで胸のあった場所を通過した。


避けた。


そう思った時には、移動先へも光が届いていた。


左胸を撃ち抜かれる。


息が止まった。


小さな身体が回転し、赤い血が宇宙へ散る。


心臓と肺を貫かれていた。


全身を巡る硝子質の魔力が、壊れた魔力循環と生命活動を辛うじて繋ぎ止める。


生きている。


まだ動ける。


だからこそ、痛みも消えなかった。


「いた……い……!」


レトは左手で胸を押さえ、空間をずらした。


次の光が頭部を狙う。


射線を逸らしたはずだった。


光は曲げられた空間を貫き、頬を抉って通過した。


左耳の一部が失われる。


黒い兵器は、レトの肉体を解析している。


人間に似た身体の中から、致命傷になり得る場所だけを選んでいる。


人間なら、一発で死ぬ。


レトは人間ではない。


だから、一発では死ななかった。


違いは、それだけだった。


レトは、届かないと知りながら口を動かした。


「あなた、だれ!?」


返事はない。


レトは十二本の短剣を放った。


青白い軌跡が四方から黒い巨体へ殺到する。


最初の一本が外殻へ触れた。


澄んだ音を立て、短剣だけが砕ける。


装甲には傷一つつかない。


残る刃を、兵器の背後へ転移させる。


硝子短剣が出現するより先に、転移座標へ迎撃光が置かれていた。


刃は姿を現した瞬間に粉砕される。


転移先まで読まれている。


ならば、直接。


レトは空間を蹴った。


高速移動。


短距離転移。


軌道変更。


位置ずらし。


残った一本を左手に握り、黒い外殻へ突き立てる。


刀身へ亀裂が走った。


レトは自ら短剣を砕き、内部へ封じていた青白い高熱を解放する。


装甲の表面が剥離した。


しかし、その下から現れたのは、まったく同じ黒い層だった。


兵器の表面が変形する。


今度は、硝子短剣が破砕する瞬間より先に迎撃光が放たれた。


レトは辛うじて身を引く。


右肩が浅く削られた。


一度見せたものは、二度目には通らない。


それでもレトは止まらなかった。


十二本で足りないなら、一点へ集める。


短剣を作り直し、すべて同じ軌道へ重ねる。


一枚目の装甲を砕く。


二枚目へ熱を流し込む。


三枚目へ達する前に、短剣が全滅する。


だったら、もっと深く。


レトは黒い巨体の周囲へ空間の亀裂を走らせた。


装甲そのものを切断するのではない。


兵器の一部を、周囲の空間ごと別の座標へ引き剥がす。


亀裂が閉じる直前、黒い光が内部から迸った。


空間術式そのものが撃ち抜かれる。


反動で、レトの身体が弾き飛ばされた。


それでも止まらない。


外側が駄目なら、内側へ入る。


レトは装甲の僅かな剥離箇所を目印に、兵器内部への転移を試みた。


接続先が確定するより早く、転移経路へ干渉が入る。


空間が押し潰される。


レトは強制的に転移経路から弾き出され、腹部を光が貫いた。


「ぐ……っ!」


血が溢れる。


視界が揺れる。


それでもレトは兵器を見失わなかった。


倒さなければならない。


調査船を追うかもしれない。


回収艇へ向かうかもしれない。


監理局の航路を見つけるかもしれない。


ここで終わらせる。


絶対に。


レトは残った魔力を、右手へ集めようとした。


右手はまだある。


短剣を握れる。


戦える。


転移先を読むなら、転移しなければいい。


空間を曲げても撃ち抜くなら、曲げずに正面から行く。


装甲が何層あるのか分からないなら、全部を貫くまで攻撃する。


青白い光が、レトの掌へ集束する。


細い熱線ではない。


残った魔力を一点へ押し込んだ、太く不安定な光。


黒い兵器の内部に中枢があるなら、外殻ごと焼き抜く。


「これで……!」


レトが腕を突き出した。


青白い熱光線が宇宙を裂く。


黒い兵器の表面へ直撃する。


一層目。


二層目。


三層目。


黒い装甲が赤熱し、僅かに沈む。


通っている。


レトは全身の魔力を注ぎ込んだ。


「壊れろ……!」


兵器の別の面が開いた。


迎撃光が、熱線を制御する右腕へ向けられる。


レトは光線を止めなかった。


今止めたら、装甲が冷える。


もう一度、同じ場所へ攻撃を通せる保証はない。


あと少し。


もう少し。


迎撃光が右腕を貫いた。


肘から先が消し飛ぶ。


「う……ああっ!」


熱光線が途切れた。


赤熱していた装甲が、黒へ戻っていく。


あと少しだった痕跡さえ、内側から押し出された新しい装甲に覆われた。


レトの右腕から血が溢れる。


短剣の制御も。


熱線も。


精密な空間術式も、もう使えない。


それでもレトは、左手へ硝子を集めた。


ひびだらけの短剣が一本だけ生まれる。


一本あれば刺せる。


刺せば、砕ける。


砕ければ、熱が出る。


まだ倒せる。


倒さなきゃ。


レトは黒い兵器へ向かって飛んだ。


速度は、もう普段の何分の一にも届かない。


黒い表面が動く。


射線が、レトの進路へ重なる。


レトは左へずれた。


光が右脚を貫いた。


身体が回転する。


進めない。


なら、転移。


短距離なら。


まだ一度くらいなら。


座標を定める。


兵器の表面。


短剣が届く距離。


転移術式が開きかけた瞬間、その始点へ光が撃ち込まれた。


術式が砕ける。


空間の反動がレトの身体を打ち、胸と腹部の傷が再び開いた。


残った短剣も、手の中で砕けた。


透明な破片が、指の間から離れていく。


レトは、何も持たない左手を伸ばした。


届かない。


黒い兵器は、あまりにも遠い。


攻撃が通らない。


近づけない。


転移もできない。


次の短剣も作れない。


それでも倒さなければならない。


倒さなければ、みんなを追うかもしれない。


監理局へ来るかもしれない。


お兄さんのところへ行くかもしれない。


「だめ……」


レトは首を振った。


「だめ……!」


行かせない。


絶対に壊す。


わたしが倒す。


戦闘班だから。


みんなを守るから。


レトはもう一度、短剣を生み出そうとした。


攻撃術式を成立させられるだけの魔力は、もう残っていなかった。



惑星監理局回収艇との合流地点。


何もなかった宇宙空間が、青白く砕けた。


その中心から、任務先の調査船が出現する。


予定された進入方向ではない。


姿勢制御も失われ、船体は大きく傾いていた。


回収艇が緊急噴射を行い、衝突を回避する。


接舷が完了すると、調査船の船長が回収艇へ飛び込んできた。


「レトさんが残っています!」


「座標は!」


「分かりません! 正体不明の巨大兵器に襲われました!」


「レトはなぜ転移していない!」


船長は、強く拳を握った。


「私たちだけを逃がすためです。あれが転移を追うかもしれないから、自分が残ると……!」


報告は最優先回線で、惑星監理局へ送られた。


中央指令室の星図が、瞬く間に赤く染まる。


最後に正常な通信が行われた座標。


攻撃を受けた推定範囲。


調査船が転移してきた地点。


レトの空間魔術が残した痕跡。


技術班が転移元の逆算を開始する。


「空間歪曲が大きすぎます。現段階での誤差範囲は、半径四十七万キロ」


作戦統括官が指示を飛ばした。


「捜索部隊を扇状展開。戦闘班を前衛、救助艦を後方へ。調査船の外部記録から、敵性存在の形状を共有しろ」


副長は、調査船へ残された射線を見ていた。


「攻撃の順序は」


「通信、航行制御、観測器。その後、乗員区画です」


「船を破壊するのではなく、逃げられなくするための攻撃ですね」


「その可能性が高いです」


記録映像の中で、調査船が転移する。


黒い巨体は追わない。


宇宙へ残ったレトへ向きを変える。


副長の薄い笑みが消えた。


「レトが、船から標的を引き離した」


ジェレミーは星図を見つめていた。


「レトの残存魔力は」


「任務終了時点で、通常の三割以下です」


「大型船を転移させた場合は」


技術班職員が答えるまで、僅かな間があった。


「戦闘継続が困難な水準まで低下したと推定します」


レトは、戦いが始まる前に。


船のみんなを逃がすため、残された力の大半を使った。


ジェレミーの声は変わらなかった。


「捜索範囲を拡大しろ」


「現在の想定範囲を超えると、未調査宙域へ入ります」


「拡大しろ」


「黒い兵器との接触可能性が上がります」


「戦闘班を追加投入する」


「了解」


誰も、彼に休息を勧めなかった。


レトが一人で残っている。


今は、それだけが指令室のすべてだった。



黒い巨体の表面へ、複数の窪みが生じる。


射撃点。


レトの身体を囲むように展開されていく。


今度は、一つずつ狙うつもりではない。


同時に破壊するつもりだった。


レトは動かない右脚を引き寄せた。


武器はない。


右腕もない。


左手を開いても、硝子は生まれない。


胸の穴は塞がらない。


視界の端から、星が消えていく。


「……勝てない」


レトは、初めてそれを口にした。


誰にも届かない、小さな声だった。


「これ、わたし……勝てない……」


通信機はない。


お兄さんにも。


職員さんにも。


ロジーにも。


エルにも届かない。


レトは一人だった。


怖かった。


倒さなければならないのに。


みんなを守らなければならないのに。


何をしても届かなかった。


レトの頭の中から、戦うための考えが一つずつ消えていく。


敵の射線。


距離。


残存魔力。


転移可能範囲。


空間座標。


帰還経路。


どれも、もう考えられなかった。


黒い兵器の表面が開いている。


次に撃たれたら死ぬ。


それだけしか分からない。


死ぬ。


帰れない。


お兄さんに会えない。


任務は終わったのに。


調査員さんたちは帰したのに。


自分だけ帰れていない。


今日あったことを、まだ話していない。


いっぱい褒めてもらうはずだった。


「お兄さん……」


涙が目元から離れ、宇宙へ漂う。


「やだ……」


戦闘班員なら、敵を見なければならない。


射線を読まなければならない。


生き残る方法を考えなければならない。


けれど、その時のレトにはできなかった。


怖かった。


帰りたかった。


お兄さんのところへ帰りたかった。


ただ、それだけになった。


レトは左手を伸ばした。


惑星監理局の正確な座標を組むのではなく。


転移可能な距離を計算するのでもなく。


お兄さんの顔を思い浮かべた。


局長室。


いつもの机。


自分が勢いよく開ける扉。


名前を呼べば振り向いてくれる、冷たいようで優しい顔。


「帰る……」


術式になっていない魔力が、レトの周囲で揺れる。


「お兄さんのところ、帰る……!」


空間が歪みかける。


接続先は定まっていない。


距離も方向も、何もかもが曖昧だった。


恐怖と願いだけで、無理やり空間を開こうとしている。


黒い兵器が、その歪みへ照準を合わせた。


それでもレトは気づかなかった。


「帰りたい……!」


宇宙の奥の奥が、煌めいた。


星々のさらに向こう。


あまりにも遠く、小さな青白い点にしか見えない場所が、一度だけ強く輝いた。


次の瞬間。


一本の青白い線が、宇宙を走った。


光線ではない。


砲撃でもない。


何かが近づいてくる姿を、レトは見なかった。


始まりも。


途中も。


衝突した瞬間も。


何一つ知覚できなかった。


ただ、青白い線が黒い兵器へ伸び、その本体を通り抜けた。


一瞬遅れて。


黒い巨体の中央へ、向こう側の星が見えるほどの穴が開いた。


外殻も。


内部構造も。


奥深くに隠されていた中枢も。


すべてが一直線に穿たれている。


黒い兵器が傾いた。


表面へ亀裂が広がり、レトへ向けられていた射撃点が閉じていく。


内部の光が消えた。


沈黙。


「……え」


何が起きたのか、分からない。


穴の内壁は、熱で溶けていなかった。


爆発の痕跡もない。


巨大で硬い何かが、想像もできない速度で黒い兵器へ衝突し、そのまま全体を貫いたような断面。


周囲には、青白い光の残滓だけが漂っている。


見覚えのある色だった。


自分の魔力と、よく似た色。


けれど、何が通ったのかは見えなかった。


考える余裕もない。


意識が薄れていく。


「帰ら……なきゃ……」


勝てなかった。


自分は、敵を倒していない。


何に助けられたのかも分からない。


それでも。


帰らなければならない。


調査船のみんなは、監理局へたどり着いている。


お兄さんは探している。


絶対に、探してくれている。


レトは残った魔力を集めた。


足元で、小さな硝子片が砕ける。


生まれた青白い光は、普段の何分の一にも満たない。


それでもレトは。


惑星監理局のある方向へ。


進み始めた。



通信断絶から、五時間二十一分。


「局外周に、微弱な魔力反応!」


監視担当者の声が、中央指令室へ響いた。


星図の端。


消えかけた灯のような、青白い点。


「識別照合!」


「硝子質魔力を確認。個体識別――レトさんです!」


報告が終わるより早く、ジェレミーは指令室を出ていた。


緊急搬入口の外。


宇宙から、小さな青白い光が近づいてくる。


まっすぐには飛べていない。


少し進む。


軌道がずれる。


止まりかける。


それでもまた、弱々しく光る。


監理局外壁の保護領域へ入った瞬間、レトの空間魔術が解けた。


小さな身体が、搬入口へ落ちてくる。


ジェレミーが受け止めた。


血と、砕けた硝子片。


右腕がない。


胸には、塞がっていない穴がある。


頬も、左耳も、腹部も、右脚も壊れたまま。


淡緑色の髪は血で固まり、ワンサイドテールはほどけかけていた。


それでも。


二つの青い硝子飾りは、黒いリボンに残っている。


レトが、ゆっくり目を開けた。


「……お兄さん」


「いる」


「みんな……帰った?」


「調査船の全員を保護している」


レトの顔から、張り詰めていたものが抜けていく。


「よかった……」


「レト」


「わたし……」


息が続かない。


それでも、言わなければならないと思った。


「負けた……」


ジェレミーはレトを抱えたまま答えた。


「勝敗の報告は後だ」


「でも……勝てなかった……」


「レト」


静かな声だった。


けれど、明確だった。


「帰還を確認した」


レトの目から、涙が一つ流れる。


「帰って……きた?」


「ああ」


「ちゃんと?」


「よく帰った」


レトの身体から、力が抜けた。


「……よかった」


そのまま目を閉じる。


医療班が駆け寄った。


生命維持術式。


魔力循環補助。


損傷箇所の固定。


レトを乗せた担架が、医療区画へ運ばれていく。


ジェレミーは、自分の両手に付着した血を一度だけ見た。


そして指令室へ戻った。


「レトの帰還経路を逆算しろ」


声に揺れはない。


「彼女を襲ったものを確認する」



数時間後。


レトは医療区画のベッドで目を覚ました。


失った右腕は、ようやく再生を始めている。


胸部の損傷も塞がりかけ、全身へ固定術式と魔力循環補助装置が繋がれていた。


ベッドの横には、ジェレミーが座っている。


「お兄さん」


「起きたか」


「ずっといた?」


「必要な報告を処理していた」


「ここで?」


「ああ」


レトは少しだけ安心した。


そのあと、黒い兵器を思い出す。


何をしても届かなかった外殻。


人間の急所だけを選んだ射撃。


最後に、怖くなって何も考えられなくなったこと。


そして。


宇宙を横切った青白い線。


「お兄さん」


「話せるか」


「うん」


レトは、宙域で起きたことを話した。


船の機能が、一つずつ壊されたこと。


乗員を守るため、船だけを転移させたこと。


追跡されないよう、自分が残ったこと。


大きな黒いものが、自分へ向きを変えたこと。


何をしても通じなかったこと。


ずっと倒そうとしたこと。


怖くなって、お兄さんのところへ帰ろうとしたこと。


「でもね、ちゃんとした転移じゃなかった」


「そうか」


「どこに繋ぐとか、どれくらい遠いとか、分からなくなったの。お兄さんのところに帰りたいって、それしか考えられなかった」


ジェレミーは、否定も慰めもしなかった。


「その時に、光ったのか」


「うん」


レトは頷く。


「宇宙の奥が、光った。それから青白い線が走った」


「何が通ったかは見たか」


レトは首を横へ振る。


「見えなかった」


声が小さくなる。


「わたし、速いものなら、だいたい見えるのに。あれは線だけだった。来たところも、ぶつかったところも、何にも見えなかった」


「黒い兵器は」


「線が通った瞬間に、穴が開いた」


ジェレミーは立ち上がった。


「確認する」


壁面の観測画面が起動する。


技術班と情報班は、レトの帰還経路と調査船の記録から、すでに遭遇宙域を特定していた。


回収された黒い破片からは、魔力回路も既知の術式構造も検出されていない。


黒い巨体は、科学技術由来の自律兵器として暫定登録されていた。


観測記録が再生される。


動けなくなったレトへ、複数の射撃点が開く。


その時。


青白い線が画面を横切った。


「これ!」


レトが身を起こしかけ、固定術式に止められる。


記録を限界まで細分化する。


黒い兵器から離れた宙域へ、青白い歪みが発生した。


次の記録単位。


何もなかった場所に、巨大な天体が現れる。


透き通った硝子質の本体。


内部を走る、無数の青白い亀裂。


長く伸びる光の尾。


レトの左手が、髪飾りへ伸びた。


「……あの彗星」


硝子の彗星。


レトの発生母体。


レトが生まれた場所。


同時刻、遥か遠い本来の航路から、硝子の彗星は一瞬だけ消失していた。


現地へ出現した直後、その姿も観測記録から消える。


残されたのは、黒い兵器を貫く青白い線だけ。


彗星は兵器の中枢を一直線に破壊し、その先で再び消失した。


そして同じ瞬間。


本来の航路上へ戻っている。


何事もなかったように、青白い尾を引きながら。


衝突軌道が表示された。


黒い兵器を貫く線。


そのすぐ横に、レトがいた。


ほんの僅かに角度が違えば、レトも兵器とともに貫かれていた。


しかし軌道は、レトの身体を完全に外している。


黒い兵器の中枢だけを通っていた。


「……彗星が」


レトが呟く。


「わたしを避けたの?」


硝子の彗星が、レトへ固有の反応を示すことは、以前にも観測されていた。


レトが接近した時だけ、表面温度と魔力が安定した。


呼びかけに応じるように光が動き、その欠片をレトへ与えた。


今、黒いリボンについている二つの青い硝子飾りも、その時の欠片から作られたものだった。


ジェレミーは画面を見つめた。


「君への反応は、以前にも確認されている」


「うん」


「だが、今回どのように君の危機を知ったのか。何を基準に行動したのか。意識と呼べるものを持つのか。そこまでは分からない」


レトの指が、少しだけ緩んだ。


「そっか」


「ただし」


ジェレミーは、確認された結果だけを並べた。


「黒い兵器は、君を殺そうとしていた」


「うん」


「硝子の彗星は、その近くへ出現した。君を外し、兵器の中枢を貫いた」


レトは、もう一度画面を見た。


何も答えず、今も宇宙を進み続ける硝子の彗星。


「あんなに遠くにいたのに。通信もなかったのに」


レトは、泣きながら笑った。


「見つけてくれたんだね」


ジェレミーは、その答えを断定しなかった。


ただ、レトの頭へ手を置く。


「君は帰ってきた」


「うん」


「調査船の全員も帰還した」


「うん……!」


「それでいい」


「うん!」


解析記録は、彗星の異常航路離脱と未知兵器への衝突事案として、上位委員会へ緊急送付された。



その夜。


医療班から、ほんの短い時間だけ許可が下りた。


レトはジェレミーに抱えられ、観測窓の前へ来ていた。


右腕は固定されたまま。


歩くことも禁止されている。


肉眼で硝子の彗星を見ることはできない。


あまりにも遠い。


代わりに、小さな観測画面へ現在の姿が映されていた。


青白い尾を引きながら、静かに宇宙を進み続ける硝子の彗星。


レトは画面へ、小さく手を振った。


「わたし、帰ってきたよ」


彗星は答えない。


「船のみんなも、ちゃんと帰ったよ」


答えない。


「お兄さんに、よく帰ったって言ってもらった」


答えない。


「負けちゃったけど」


レトは少しだけ口を尖らせる。


「みんなは守れた」


ジェレミーが言った。


「今回の大型転移と残留判断は、後日検証する」


レトは、少し不安そうにジェレミーを見上げた。


「だめだった?」


「船を救った判断は否定しない」


「じゃあ、なんで?」


「次に同じ状況が起きた時、君を含めた全員を帰すためだ」


レトは黙った。


ジェレミーは続ける。


「帰還した者にしか、次の方法は作れない」


レトは瞬きをした。


それから少しだけ嬉しそうに、ジェレミーの胸へ頭を預ける。


「じゃあ、ちゃんと考える」


「ああ」


「次は、わたしもいっしょに帰る」


「ああ」


レトは再び観測画面を見た。


髪飾りの青い硝子が、画面の光を受けて煌めいている。


「助けてくれて、ありがとう」


遠い彗星は、何も答えなかった。


ただ青白い尾を引きながら。


レトが生きている宇宙の奥を、静かに進み続けていた。



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