第129話-エルのたからもの
惑星監理局の廊下を、箱が歩いていた。
正確には、箱の下から小さな足が二本だけ見えている。
箱は両腕で抱えるには少し大きく、持ち主の顔を完全に隠していた。歩くたびに左右へふらふら揺れ、角を曲がるたびに壁へぶつかりそうになる。
向こうから歩いてきた職員は、足を止めた。
「エルさん?」
箱も止まった。
少し遅れて、箱の横から白い髪が覗いた。
毛先の淡いピンク。
その下から、琥珀色の瞳が職員を見上げる。
「うん」
やはりエルだった。
両手で大きな木箱を抱え、身体の前へ突き出すようにして運んでいる。
箱は古びていた。
側面には細かな傷があり、角の金具は少し曇っている。蓋を留める金具も片方だけ歪んでいて、歩くたびに中から、からから、かちん、と小さな音が鳴った。
職員は箱を見た。
エルが運んでいる。
大きい。
古い。
中で何かが鳴っている。
まず疑うべきことは一つだった。
「それも魔法アイテムですか?」
「違う」
エルは即答した。
職員は少し安心した。
だが、エルが作ったものではないから安全とは限らない。
「では、何を運んでいるんです?」
エルは、箱を抱え直した。
小さな身体が箱の後ろへまた隠れる。
「たからばこ」
職員は瞬きをした。
「宝箱?」
「うん」
「どこへ持っていくんですか?」
「中庭」
「中庭で何を?」
「並べる」
箱の中で、かちん、と何かが転がった。
「見る」
エルはそれだけ言うと、再び歩き出した。
三歩進んだところで、箱の右端が壁へ近づく。
「エルさん、右です」
エルが少し左へ寄った。
今度は反対側が壁へ近づく。
「左へ寄りすぎです」
エルが止まった。
箱の横から顔を出し、壁と職員を見比べる。
「廊下、狭いね」
廊下は、監理局の職員が大型機材を運べる程度には広かった。
「箱が大きいんです」
「そうかも」
「持ちましょうか?」
職員が手を伸ばす。
エルは箱を少しだけ自分の方へ引いた。
「これは、あたしが持つ」
拒絶する声ではなかった。
ただ、そうすると決めている声だった。
職員は伸ばした手を引っ込めた。
「分かりました。では、中庭まで案内します」
「知ってるよ」
「壁に当たりそうなので」
エルは少し考えた。
「じゃあ、壁を見てて」
「承知しました」
職員はエルの斜め前を歩いた。
右。
少し左。
そのまま真っすぐ。
階段は使わず、昇降機へ。
箱を抱えた小さなエルは、職員の指示に従いながら、ゆっくり中庭へ向かった。
◇
中庭には、柔らかな光が差し込んでいた。
花壇の花が風に揺れ、小さな水路が静かな音を立てている。
エルは芝生の中央まで箱を運ぶと、ようやく地面へ置いた。
どすん。
箱の中身が、がらがらと鳴る。
エルは箱の前へ座り、少し歪んだ金具を両手で外した。
蓋を開ける。
職員は、思わず中を覗き込んだ。
そして、何も言えなくなった。
宝箱の中に入っていたのは、宝石でも、魔術具でも、珍しい遺物でもなかった。
折れた木の棒。
端の欠けた食器。
使い終わった菓子の包み紙。
色褪せた細いリボン。
古い施設利用証。
何かの機械から外れた小さな歯車。
乾燥して茶色くなった花。
片方しかない手袋。
文字の消えかけた備品札。
ひびの入った硝子玉。
曲がった金属製の匙。
絵の描かれた小さな紙切れ。
そして、用途の分からない細々とした物が、箱いっぱいに詰め込まれていた。
どう見ても、がらくただった。
エルは、その中から折れた木の棒を取り出した。
芝生の上へ、そっと置く。
次に、欠けた食器。
包み紙。
古い札。
一つずつ、丁寧に並べていく。
職員は少し迷ってから、エルの向かいへ腰を下ろした。
「これは、何の棒ですか?」
エルは折れた木の棒を見た。
「職員さんが、旗を作った」
「旗?」
「廊下を歩く日。あたしが、どこへ行けばいいか分からなかったから」
エルは指先で棒を転がした。
「職員さんが、紙をつけて持ってた。ついてきて、って」
「その旗の持ち手ですか」
「うん。途中で折れた」
エルは小さく頷いた。
「でも、あたし、迷わなかった」
職員は木の棒をもう一度見た。
ただの折れた棒だった。
だが、エルにとっては違うらしい。
「こちらの食器は?」
「最初に、甘いのをもらったお皿」
白い小皿は、縁の一部が欠けていた。
模様もない。
監理局の食堂で長く使われていた、ごく普通の食器に見える。
「何を食べたんです?」
「分からない」
「覚えていないんですか?」
「名前を知らなかった」
エルは皿を両手で持ち、光へ透かすように眺めた。
「白くて、やわらかくて、甘かった。あたしが食べたら、作った職員さんが笑った」
少し間を置いて、エルは続けた。
「だから、甘いのは、人間が笑うものだと思った」
「それは少し違う気もしますが……」
「今は、違うって知ってる」
エルは皿を元の場所へ戻した。
次に取り出したのは、色褪せたリボンだった。
元は淡い青だったのだろう。
何度も触れられたのか、布の端が毛羽立っている。
「これは?」
「結んでもらった」
エルは自分の白い髪へ触れた。
「髪が長かった時」
職員は一瞬、現在の短いボブヘアーを見た。
「エルさんにも、髪の長い時期があったんですか?」
「少しだけ」
「誰に結んでもらったんです?」
エルは答えなかった。
その代わり、リボンを指先で撫でた。
「その人、結ぶの下手だった」
「そうなんですか」
「すぐ取れた」
「それは残念でしたね」
エルは、わずかに首を振った。
「でも、何回も結んだ」
その言葉で、職員はそれ以上聞かなかった。
エルは、乾いた花を取り出した。
花弁はほとんど落ち、細い茎だけが残っている。
「これはね、もらった」
「誰からです?」
「知らない人」
「知らない人から?」
「街で、泣いてた」
エルは花を見たまま話す。
「だから、あたし、見てた。そしたら、その人が、ずっと見ないでって言った」
職員の胸に、嫌な予感が走った。
「……何かしましたか?」
「何もしてない」
職員は、こっそり息を吐いた。
「それなら、よかったです」
「一緒に座った」
「はい」
「しばらくしたら、その人、泣くのをやめた」
エルは、枯れた花を芝生の上へ置いた。
「帰る時に、くれた」
「何の花か分かりますか?」
「分からない」
「枯れてしまっていますね」
「うん」
エルは花を見ていた。
「でも、泣いてた人がくれたのは、これ」
職員は、それ以上、花の状態について何も言わなかった。
箱の中には、そんなものばかりが入っていた。
魔術訓練で職員が使った、壊れた計測具の留め金。
エルが初めて自分で書いた文字の紙。
食堂で飲み物をこぼし、職員と一緒に拭いた時の古い布。
名前も知らない整備士が、余った部品で作ってくれた小さな輪。
外出先で子供と交換した、きらきらした石。
眠ってしまったエルへ誰かが掛けた、小さな毛布の切れ端。
どれも、物としての価値はほとんどなかった。
中には、なぜ残しているのか、持ち主でなければ分からないものもある。
だが、エルは一つずつ覚えていた。
どこにあったか。
誰が触れたか。
誰が笑ったか。
誰が怒ったか。
どんな言葉を言われたか。
その時、自分が人間の何を知ったか。
エルが見ているのは、並べられた物ではなかった。
その向こうに残っている時間だった。
職員は、箱の中から転がり出た小さなボタンを拾った。
「これは?」
エルはボタンを見た。
しばらく黙る。
「分からない」
「分からないものもあるんですね」
「うん。でも、捨てなかった」
「大切なものかもしれないから?」
エルは少し考えた。
「大切だったことを、忘れたのかもしれないから」
職員の手が止まった。
エルはボタンを受け取り、箱の蓋の上へ置いた。
「物があれば、思い出すかもしれない」
「思い出せなかったら?」
「持ってる」
エルは答えた。
「分からなくなっても、大切だったかもしれないから」
中庭に、静かな風が吹いた。
色褪せたリボンが、芝生の上でわずかに揺れた。
職員は、目の前に並べられたがらくたを見回した。
宝石は一つもない。
高価なものもない。
魔法アイテムもない。
けれど、確かにこれは、エルの宝箱だった。
「エルさん」
「なに?」
「どうして今日、並べようと思ったんです?」
エルは箱の中を覗いた。
「増えたから」
「何がです?」
「大切なもの」
エルがそう言った時、中庭の入口から声が響いた。
「エルーっ!」
淡緑の長い髪を揺らして、レトが走ってくる。
その後ろから、ピンク髪のツインおさげを弾ませたロジーが追いかけていた。
「レト、待って! 中庭では周り見て! あと私が先に見つけたんだから第一発見者記録は私!」
「いま競争してないもん!」
「走ってる時点で競争っぽい!」
二人はエルの前まで来ると、芝生に並んだ大量の物を見て止まった。
レトが目を丸くする。
「わあ……なにこれ?」
「たからもの」
エルが答えた。
ロジーはその場にしゃがみ込み、並べられた物を高速で見回した。
「すごい! 古い! 種類ばらばら! 来歴情報ほしい! 全部聞きたい!」
「一個ずつね」
「もちろん! 一個ずつ全部聞く!」
レトは、ひびの入った小さな硝子玉を見つけた。
「あっ、これ知ってる!」
エルがレトを見る。
「知ってる?」
「うん! わたしが最初に作ってあげたやつ!」
レトは硝子玉を拾い、嬉しそうに光へかざした。
「まだ持ってたの?」
「持ってるよ」
「ひび入ってるよ。直そうか?」
エルは少し考えてから、首を振った。
「このままがいい」
「どうして?」
「レトが、作るの失敗したって泣いたから」
レトの動きが止まった。
「……覚えてたの?」
「うん」
「わたし、それ、すっごく前の……」
レトはひびの入った硝子玉を両手で包んだ。
頬が少し赤くなる。
「そっかぁ……」
ロジーは、箱の端から古い紙切れを見つけた。
「これ、私の字じゃない?」
紙には、大きく勢いのある文字で、
三人で女子会する! ぜったい!
と書かれていた。
ロジーは目を見開いた。
「これ、最初の女子会計画書!」
「うん」
「保存してたの!?」
「たからものだから」
ロジーの頭上デバイスが、ぱっと明るく光った。
「エルーっ!」
ロジーは勢いよくエルへ抱きついた。
エルの身体が少し傾く。
「ロジー、重い」
「感動の重さ!」
レトも反対側からエルへ抱きついた。
「わたしも!」
「レトも重い」
「愛情の重さだもん!」
エルは二人に挟まれたまま、少しだけ考えた。
それから、左右の二人へ腕を回した。
「二人も、たからもの」
レトとロジーの顔が、ぱっと輝く。
エルは地面に置かれた箱を見た。
「ふたりが入る箱に変えなきゃ」
「えっ」
「じょうだん」
エルはふたりにほっぺたをつねられた。
三人を見て、職員は笑った。
たぶん、エルにとってはこの瞬間もたからものになるんだろう。




