第125話-ロジーがバグってる日
惑星監理局、食堂。
朝食を終えたロジーは、頭上のデバイスへ新しいアプリを導入していた。
桃色の画面に、小さなハートが次々と浮かんでは消えていく。
中央には、向かい合う二人の人影と、きらきらした文字が表示されていた。
『恋するふたりの相性診断』
二人を同時に映すだけで、恋愛相性を百分率で表示する。
無料で利用できる、ごくありふれた娯楽アプリだった。
「見て見て!」
ロジーは向かいに座るレトとエルへ画面を向けた。
「二人の恋愛相性が分かるんだって!」
レトが身を乗り出す。
「恋愛相性!」
エルも画面を覗き込んだ。
「好きの数字?」
「恋愛として、どれくらい合ってるかって数字!」
「高いと、結婚する?」
「診断しただけでは結婚しないよ!」
導入画面に、確認項目が次々と現れた。
カメラへのアクセスを許可しますか?
「許可!」
マイクへのアクセスを許可しますか?
「許可!」
会話補助機能との連携を許可しますか?
「許可!」
音声コンテンツの代替出力を許可しますか?
「許可!」
周辺環境に応じた広告の最適化を許可しますか?
「許可!」
レトが首を傾げる。
「ロジー、ちゃんと読んだ?」
「読んだ読んだ! こういうの、許可しないと動かないから!」
最後に、小さな注意書きが流れた。
本アプリは、商品、映像作品、音声番組等の広告によって運営されています。
ロジーはすでに、レトとエルへカメラを向けていた。
「二人とも、もっとくっついて!」
◇
レトとエルが肩を並べる。
レトはエルの手を握り、期待に満ちた顔で画面を見つめた。
「わたし、エルのこと大好き!」
「あたしも、レト好き」
「じゃあ、百だね!」
ロジーが診断を開始する。
二人の顔が桃色の枠で囲まれ、画面いっぱいにハートが舞った。
恋愛相性を診断中……
診断完了!
レトとエルの恋愛相性――三十四パーセント!
レトの笑顔が固まった。
「ひくい……」
エルも数字を見つめる。
「好きなのに」
「これは恋愛相性だから!」
ロジーが慌てて説明する。
「二人は親友とか、姉妹みたいな大好きなんだよ! 恋愛の好きとは違うから、数字が低くても――」
不意に、ロジーの声が柔らかくなった。
「ずっと、平気なふりをしてた」
レトとエルが同時にロジーを見る。
ロジー自身も、口を開いたまま止まった。
「……え?」
確かに自分の声だった。
自分の口が動いた感覚もある。
それなのに、そんなことを言おうとは考えていなかった。
レトが心配そうに尋ねる。
「何を平気なふりしてたの?」
「何も!」
「でも、いま言ったよ?」
「間違えた!」
「何を?」
「分かんないけど、間違えたの!」
エルがロジーの顔を見つめる。
「つらかった?」
「つらくない!」
「平気?」
「平気!」
「ふりじゃない?」
「ふりじゃない!」
ロジーは頭上のデバイスを見上げた。
画面には診断結果が表示されているだけだった。
警告はない。
思考補助にも遅延はない。
記憶も途切れていない。
徹夜したせいで、言葉の選択を誤ったのかもしれない。
ロジーは無理やりそう結論づけた。
「二人は恋愛じゃなくても仲良し! はい、この話は終わり!」
レトはまだ不安そうだった。
「ほんとに平気?」
「平気だってば!」
ロジーの口が、再び勝手に動いた。
「誰にも分かるわけない」
食堂の喧騒が、急に遠くなったように感じられた。
ロジーの背中を冷たいものが走る。
今の言葉にも、発する前の意図がなかった。
「……違う」
レトが身を乗り出す。
「何が分からないの?」
「何もない!」
「でも、誰にも分からないって」
「思ってない!」
エルが静かに言う。
「分かりたい」
「違うの! 二人に分かってほしくないなんて思ってない!」
「じゃあ、何を思ってる?」
「二人が大好き! 何にも困ってない! 私は普通!」
レトとエルは顔を見合わせた。
その視線が怖くなり、ロジーは勢いよく立ち上がった。
「仕事行く! もう始業時間だから!」
ロジーは食堂を出た。
レトとエルも、すぐに後を追った。
◇
廊下を歩きながら、ロジーは口元へ触れていた。
発声器官に異常は感じない。
言葉を組み立てる感覚も、いつもと変わらない。
先ほどの発言も、記憶には残っている。
ただ、言葉を選んだ記憶だけがなかった。
「何だったの……」
レトがロジーの隣へ並ぶ。
「医療班に行く?」
「行かない!」
「でも、二回も変なこと言ったよ」
「寝てないから!」
エルが後ろから言う。
「寝てないと、思ってないこと言う?」
「言う時もある!」
「ほんと?」
「……あるかもしれない!」
廊下の向こうから、情報班主任が歩いてきた。
腕には、朝の整理対象となる資料を抱えている。
「ロジー。昨日依頼した分類作業は終わっていますか」
「もちろん! 全部終わってるよ!」
今の言葉は、間違いなくロジー自身が選んだものだった。
主任が頷く。
「では、午前中に提出してください」
「分かった!」
その直後。
ロジーの声が、平坦に続いた。
「あなたの顔を見るだけで、吐き気がする」
情報班主任の足が止まった。
レトが目を見開く。
エルもロジーを見る。
ロジーは、自分が何を言ったのか理解した瞬間、顔から血の気を失った。
「違う!」
情報班主任は怒らなかった。
まずロジーの顔色を見て、呼吸の様子を確かめた。
「気分が悪いのですか」
「悪くない!」
「吐き気はありますか」
「ない!」
「では、私に対して強い不満がありますか」
「ない! 主任さん好き!」
「無理にそう答えなくても構いません」
「無理じゃない!」
「最近、私の接し方に問題がありましたか」
「何もされてない!」
「業務上、つらいことがある?」
「ない!」
情報班主任は数秒間、ロジーを観察した。
「今の発言を覚えていますか」
「覚えてる」
「なぜ言ったのですか」
「分かんない……」
「分からない?」
ロジーは慌てて首を振った。
「ただの言い間違い!」
「長い文章を、内容ごと?」
ロジーは答えられなかった。
情報班主任は、それ以上廊下で問い詰めなかった。
「まず資料を提出してください。その後、休憩を取りましょう」
「休まなくていい!」
「昨夜は何時間眠りましたか」
ロジーは視線を逸らした。
「……寝てない」
「徹夜ですね」
「一日くらい平気!」
「作業能力の話ではありません。ロジー自身の状態を確認しています」
情報班主任は端末へ短い記録を残した。
睡眠不足。
発言内容と直後の否定に大きな不一致。
本人は身体的不調と対人関係上の問題を否定。
現時点では、経過観察。
ロジーは、その記録を横目で見た。
自分でも原因が分からない。
そのことを知られれば、もっと心配される。
デバイスが壊れたのかもしれない。
禁忌書物の影響が戻ったのかもしれない。
あるいは、自分でも気づかないところで、本当に周囲を嫌っているのかもしれない。
「何でもないから」
ロジーは小さく言った。
情報班主任は、否定も肯定もしなかった。
◇
情報班の記録室。
提出された資料には、一つも問題がなかった。
分類は正確。
引用元も揃っている。
機密区分にも誤りはない。
情報班主任は最後まで確認してから、資料を閉じた。
「作業能力に異常はありません」
「でしょ!」
「ですが、午前の業務量を減らします」
「なんで!」
「発言の不整合が続いています」
「もう大丈夫!」
「原因は分かりましたか」
「寝不足!」
「そう判断できる根拠は?」
「ほかにないから!」
情報班主任はロジーの正面ではなく、少し離れた隣の席へ座った。
「最近、言葉にできないほどつらいことがありますか」
「ない!」
「誰かに、話すことを止められていますか」
「止められてない!」
「誰かを庇っていますか」
「庇ってない!」
「自分が周囲の負担だと感じていますか」
「感じてない!」
ロジーの口が、突然低くなった。
「ここには、もう私の居場所はない」
記録室が静まり返った。
ロジーは椅子を蹴るように立ち上がった。
「違う!」
周囲の職員たちが振り向く。
「ここが好き! 情報班が好き! ずっとここにいる!」
情報班主任は声を荒げなかった。
「座ってください」
「今のは違うの!」
「分かりました。まず座りましょう」
「何が分かったの!?」
「今の発言が、ロジーの本意ではないということです」
「本意じゃない!」
「では、なぜ出たのですか」
「分かんない!」
言ってから、ロジーは口を押さえた。
情報班主任の表情が変わった。
「自分でも分からないのですね」
「違う!」
「何が違いますか」
「言葉が、ちょっと変になっただけ!」
「意思とは関係なく?」
「そこまで大げさじゃない!」
「ロジー」
情報班主任の声が柔らかくなる。
「今、誰もロジーを責めていません」
「分かってる!」
「取り繕う必要もありません」
「取り繕ってない!」
「無理に元気でいる必要もない」
「無理じゃない!」
「では、少し休みましょう」
「私を病人みたいに扱わないで!」
ロジーの口が、鋭く続けた。
「あなたなんかに、私の何が分かるの」
情報班主任の目が僅かに見開かれた。
ロジー自身も凍りつく。
「……違う」
主任は何も言わない。
「そんなこと思ってない」
「分かりました」
「主任さんに分かってほしくないなんて、思ってない!」
「分かりました」
「怒ってる?」
「怒っていません」
「ほんと?」
「はい」
優しく答えられるほど、ロジーは怖くなった。
情報班主任は、ロジーが感情を制御できなくなりかけていると思っている。
だが、ロジー自身にも、それを完全に否定する根拠がなかった。
「私、変じゃない」
ロジーは自分へ言い聞かせるように呟いた。
「ロジー」
「変じゃないから!」
情報班主任は反論しなかった。
「休憩室へ行きましょう」
「行かない!」
「業務命令ではありません」
「じゃあ行かない!」
「お願いです」
主任の声が、さらに柔らかくなる。
「今は、一人にならないでください」
ロジーの顔が引きつった。
そこまで深刻に見られている。
そのこと自体が、さらに恐ろしかった。
◇
休憩室。
中央の椅子にロジー。
右にレト。
左にエル。
少し離れた場所には、生活班の女性職員がいた。
監視ではない。
問い詰めるためでもない。
ただ、ロジーを一人にしないためだった。
ロジーは頭上のデバイスを操作していた。
異常履歴。
発話記録。
会話支援設定。
どこにも警告はない。
「何も壊れてない……」
レトが隣から画面を覗き込む。
「変なところ、ない?」
「ない」
「じゃあ、ロジーの方?」
ロジーの手が止まる。
「違う」
「ごめん」
「怒ってない」
「でも、怖い顔してる」
「怖くない!」
エルがロジーの袖を握る。
「手、震えてる」
「寝てないから!」
「何が怖い?」
「何も怖くない!」
「自分の言葉?」
ロジーは答えられなかった。
レトがロジーの顔を覗き込む。
「ほんとは、何かつらい?」
「つらくない!」
「わたしたちに言えない?」
「言うことがない!」
「そばにいていい?」
「いて!」
ロジーの口が、冷たく続けた。
「二人とも、いい加減うっとうしい」
レトの手が離れた。
エルもロジーの袖から手を放した。
ロジーは、自分の発言を理解した瞬間、顔を歪めた。
「違う!」
レトは何も言わなかった。
「そんなこと思ってない!」
エルが静かに尋ねる。
「そばにいない方がいい?」
「いて!」
「でも、うっとうしい?」
「うっとうしくない!」
レトの目が潤む。
「わたしたち、しつこかった?」
「違うってば!」
「無理に一緒にいなくていいよ」
「一緒にいて!」
「どっちなの?」
「いてほしい! 大好き!」
レトは泣きそうな顔のまま、ロジーを見つめた。
「何を信じればいいのか、分かんないよ」
「私が二人を大好きってこと!」
ロジーは二人の手を取ろうとした。
その瞬間。
「触らないで!」
ロジー自身の鋭い声が響いた。
ロジーの手が止まる。
レトが一歩下がった。
エルも動かなかった。
「違う……」
ロジーの声が震える。
「触ってほしい。二人にいてほしい」
「ほんと?」
「ほんと!」
「無理してない?」
「無理してない!」
生活班職員が、静かにロジーへ近づいた。
「ロジーさん」
「何でもない!」
「まだ、何も尋ねていません」
「でも、医療班を呼ぶんでしょ!」
職員は否定しなかった。
「今すぐ何かを強制するつもりはありません」
「じゃあ呼ばないで!」
「ただ、このまま一人で抱えさせることもできません」
「何も抱えてない!」
「発言するたびに、ひどく怯えています」
「言いたくないことが出るから!」
休憩室が静まった。
生活班職員が、慎重に尋ねる。
「自分の意思とは違う言葉が出るのですか」
ロジーは俯いた。
「……分かんない」
「分からない?」
「私が言ってる。私の声だし、私の口が動いてる。でも、言うつもりじゃなかった」
「いつからですか」
「朝」
「なぜ、今まで話さなかったのですか」
ロジーの目に涙が浮かぶ。
「私が壊れてるって、思われそうだったから」
生活班職員の表情が、痛ましいものへ変わった。
「壊れているとは決めていません」
「でも、みんな思ってる!」
「心配しています」
「同じじゃん!」
「違います」
「違わない!」
ロジーの口が、静かに動いた。
「私がいなくなれば、みんな幸せになれる」
レトが息を呑んだ。
エルがロジーの服を掴む。
生活班職員の表情が一段階変わった。
ロジーは泣きそうな顔で首を振る。
「違う! 今のも違う!」
「ロジーさん」
「いなくならない! そんなこと思ってない!」
「分かりました」
「信じて!」
「信じています」
「じゃあ、そんな顔しないで!」
「どんな顔ですか」
「私がいなくなると思ってる顔!」
生活班職員は、はっきり答えた。
「可能性を無視できないだけです」
ロジーの目から涙が落ちた。
「ないのに……」
「それを確認しましょう」
「私、壊れてない……」
「壊れていないことを確かめるためです」
医療班へ連絡が入った。
◇
医務室。
身体検査。
魔力循環。
脳活動制御。
思考補助。
記憶連続性。
デバイス中核。
いずれも通常範囲だった。
医療班主任は結果を確認する。
「身体と中核機能に、急性の異常はありません」
ロジーは大きく息を吐いた。
「ほら……!」
「徹夜による疲労はあります」
「それだけ!」
「ただし、発話の不整合については、まだ原因が分かりません」
ロジーの顔が再び強張る。
主任はロジーの正面ではなく、横へ座った。
「自分を傷つけたいと思っていますか」
「思ってない!」
「ここからいなくなりたい?」
「なりたくない!」
「周囲が自分のせいで不幸になると思う?」
「思わない!」
「レトさんやエルさんを煩わしいと思う?」
「絶対思わない!」
「情報班主任に嫌悪感がある?」
「ない!」
「では、それらの発言は、自分の考えではない?」
「たぶん……」
「たぶん?」
「自分で言ったから、分かんなくなるの!」
ロジーは頭を抱えた。
「思ってないはずなのに、言った後に、本当はどこかで思ってたのかもって……!」
レトが息を呑む。
エルもロジーを見る。
「でも違うの! 二人をうっとうしいなんて思ってない! 触らないでなんて思ってない!」
医療班主任は落ち着いた声で尋ねる。
「発言する直前に、考えや感情はありますか」
「ない」
「自分以外の声が聞こえますか」
「聞こえない」
「誰かに命じられている感覚は?」
「ない」
「口が勝手に動く?」
「言い終わってから気づく」
「発言中の記憶は?」
「ある」
「自分の言葉だという感覚は?」
ロジーは少し考えた。
「声も、言い方も私。でも、中身だけ知らない」
医療班主任は記録を取った。
「言語生成機能の異常か、発話候補へ別の情報が混入している可能性があります」
ロジーの顔色が変わる。
「デバイス、壊れてる?」
「まだ分かりません」
「直る?」
「原因を確認します」
「直らなかったら?」
「一つずつ確かめましょう」
ロジーは頷こうとした。
その口が、笑いを含んだ声を出した。
「心配してるふりなんかしないで。どうせ私が壊れるのを待ってるんでしょ」
医務室の空気が凍った。
ロジー自身の目が見開かれる。
「違う……!」
医療班主任は反論しなかった。
「そんなこと思ってない!」
「分かりました」
「待ってないって言って!」
主任は、はっきり答えた。
「誰も、ロジーさんが壊れることを望んでいません」
ロジーの目から涙が溢れる。
「知ってる……! 私も知ってるのに……!」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃない!」
ロジーは自分の口を両手で押さえた。
「次に何を言うか、分かんない……!」
レトがロジーへ近づこうとする。
ロジーは手を伸ばしかけ、途中で止めた。
また、ひどい言葉が出るかもしれない。
レトも足を止める。
「ロジー」
「近くにいて。でも、何か言っても信じないで」
「どれを信じればいいの?」
「分かんない……」
ロジーは泣きながら答えた。
医療班主任は監理班へ連絡を入れた。
◇
副長が医務室へ到着した。
同席者は必要最小限だった。
医療班主任。
情報班主任。
技術班職員。
レトとエル。
副長は、泣き腫らしたロジーの前へ座った。
いつもの薄い笑みはなかった。
「ロジー」
「はい……」
「身体とデバイス中核に、重大な異常は確認されていません」
「でも、言葉が変なの」
「聞いています」
「私、レトとエルを嫌いじゃない」
「分かっています」
「主任さんも、医療班も嫌いじゃない」
「分かっています」
「でも、次に何を言うか分からない」
「それを確認するために来ました」
副長は、ゆっくり尋ねた。
「外部から発話を強制されている感覚はありますか」
「ない」
「頭の中に、自分以外の声は?」
「聞こえない」
「思考が途切れる?」
「途切れない」
「記憶が抜ける?」
「抜けない」
「言葉だけが、意図と異なる?」
「うん……」
「朝、普段と違うことをしましたか」
ロジーは考えた。
「朝ごはん食べた」
「ほかには」
「レトとエルと話した」
「デバイスを操作しましたか」
「いつもしてる」
「新しい機能を使いましたか」
ロジーは一瞬止まった。
「遊びのアプリを一個入れた」
技術班職員が顔を上げる。
副長は表情を変えずに尋ねた。
「どのようなものですか」
「恋愛相性診断」
「提供元は確認しましたか」
「……してない」
「権限は」
「いっぱい出たけど、全部許可した」
情報班主任が目を閉じた。
副長は、この場では何も言わなかった。
「技術班に、現在動いている外部処理だけを確認させてください」
ロジーの顔が強張る。
「デバイスの中、見るの?」
「個人記録や中核制御には触れません」
「変なものが見つかったら?」
「対処します」
「私が壊れてたら?」
「壊れていると決めつけるための確認ではありません」
「でも……」
「ロジー」
副長の声が少し柔らかくなる。
「原因が分からないままの方が、怖いでしょう」
ロジーは涙を拭い、ゆっくり頷いた。
「……うん」
「確認してもよいですか」
「うん」
技術班職員が、ロジーのデバイスへ検査用の表示を展開した。
思考補助。
言語形成。
記録参照。
認識処理。
中核系統は正常。
次に、外部アプリの稼働一覧。
最上部に、桃色のハートが表示されていた。
『恋するふたりの相性診断』
「これですか」
技術班職員が尋ねる。
「朝、入れたやつ」
「現在も裏側で動作しています」
「閉じたのに?」
「画面を閉じただけです」
処理内容が展開される。
カメラ入力。
周辺音声取得。
状況解析。
利用者傾向分析。
広告コンテンツ取得。
音声コンテンツの代替出力。
会話補助機能への接続。
技術班職員の動きが止まった。
「原因の可能性があります」
全員が画面を見る。
「音声広告の出力先が、ロジーさんの会話補助機能へ設定されています」
ロジーが瞬きをする。
「音声広告?」
「映画、ドラマ、音声番組などの広告台詞を、ロジーさんの声として出力しているようです」
「……広告?」
ロジーは、しばらく意味を理解できなかった。
レトが恐る恐る尋ねる。
「うっとうしいって言ったのも?」
技術班職員が広告再生履歴を開いた。
家族ドラマ『離れたい娘たち』予告音声。
「一致しています」
「触らないで、は?」
恋愛映画『その手を離して』予告音声。
「広告です」
エルが尋ねる。
「ロジーがいなくなれば、みんな幸せ?」
連続ドラマ『ひとり消えた食卓』予告音声。
「広告です」
情報班主任へ向けた暴言。
医療班への疑念。
居場所がないという言葉。
誰にも分かるわけがないという言葉。
すべて、再生履歴が残っていた。
アプリは周囲の会話を解析し、その場に馴染みやすい台詞を選んでいた。
あまりにも自然にロジーの声へ混ざったため、誰も広告だと気づかなかった。
ロジー自身さえも。
「全部……広告だったの?」
技術班職員が頷く。
「確認できる問題発言は、すべて再生履歴と一致しています」
ロジーの身体から力が抜けた。
「私、壊れてない……?」
「中核、思考、記憶、言語形成に異常はありません」
「ほんとに?」
「はい」
ロジーの目から大粒の涙が落ちた。
安心した瞬間、それまで堪えていた恐怖が一気に溢れ出した。
「よかったぁ……!」
ロジーはその場で泣き崩れた。
「私、ほんとにみんなが嫌いになったのかと思った……! 自分でも知らないところで、そんなこと思ってたのかと思った……!」
レトがロジーへ抱きつく。
「嫌いじゃない?」
「大好き!」
「うっとうしくない?」
「うっとうしくない!」
「触っていい?」
「触って! ずっといて!」
エルも反対側からロジーへくっついた。
「あたしも?」
「エルも大好き!」
「ロジーの言葉?」
「今のは私!」
技術班職員がアプリの隔離操作を始める。
停止する直前、新しい広告が読み込まれた。
暗い施設。
警告灯。
追い詰められた人物。
ロジーの口が低く動く。
「止めるなら、この場所ごと終わらせる」
全員が一瞬だけ固まった。
ロジーは泣きながら叫ぶ。
「いまの、たぶん広告!」
技術班職員が即座に履歴を確認する。
「広告です」
副長が短く指示した。
「隔離を続行してください」
「了解しました」
桃色の表示が消える。
広告処理が停止する。
外部アプリが完全に隔離された。
「発話干渉停止。中核機能、思考補助、記録機能、すべて正常です」
ロジーはレトとエルに抱きつかれたまま、しばらく泣いていた。
「よかった……私、私だった……」
副長は安堵したように息を吐く。
「ええ」
情報班主任も静かに頷いた。
「最初から、ロジーはロジーでした」
ロジーは涙で濡れた顔を上げる。
「主任さん」
「はい」
「私、主任さんの顔を見ても吐き気しない」
「分かっています」
「ほんとに好き」
「ありがとうございます」
「私のこと、何も分からないなんて思ってない」
「それも分かっています」
ロジーは医療班主任を見る。
「壊れるのを待ってるなんて、思ってない」
「ええ」
「ずっと心配してくれてたの、分かってる」
「はい」
「医療班も大好き」
医療班主任は少しだけ微笑んだ。
「ありがとうございます」
ロジーは副長へ向き直る。
「副長も大好き」
「それは光栄ですね」
「いまの、絶対私だから!」
「疑っていません」
「何回でも言うから!」
「どうぞ」
ロジーは泣きながら、周囲を順番に見た。
「レト、大好き!」
「わたしも!」
「エル、大好き!」
「あたしも、ロジー好き」
「主任さん、大好き!」
「はい」
「医療班も、生活班も、技術班も大好き!」
技術班職員は少し戸惑いながら答えた。
「ありがとうございます」
「副長も大好き!」
「二度目ですね」
「まだ言う!」
ロジーは胸へ両手を当てた。
「みんな大好き! ずっと大好き! 誰にも消えてほしくない! 私も消えない!」
一度、息を吸う。
「ここが私の居場所! 情報班も、監理局も大好き! ずっといる!」
レトがロジーの腕へしがみつく。
「いまの、全部ロジー?」
「全部私!」
エルがロジーを見上げる。
「もっと言う?」
「言う!」
ロジーは涙を拭うこともせず、声を張った。
「レトもエルも、主任さんも、副長も、みんな大好き!」
言葉は途中で変わらなかった。
ロジーが選んだ通りの言葉が、ロジー自身の声で最後まで続いた。
それが嬉しくて、ロジーの目からまた涙が溢れた。
「ちゃんと言える……!」
レトが笑う。
「いっぱい言えてるよ!」
「もっと言っていい?」
「いいよ!」
「大好き!」
「わたしも大好き!」
エルも頷く。
「あたしも、ずっと好き」
ロジーは二人を抱き締めた。
「ずっと大好き!」
周囲の職員たちは、もう質問をしなかった。
ロジーが自分の言葉を確かめるたびに、静かに受け止めた。
◇
局長室。
ジェレミーは、副長と技術班職員からの報告を最後まで聞いた。
ロジーは執務机の前に立っていた。
右にレト。
左にエル。
情報班主任も同席している。
「中核機能に異常はないんだな」
ジェレミーが確認する。
技術班職員が答えた。
「ありません。外部アプリの広告出力が、会話補助機能へ接続されていました。すでに完全隔離しています」
「発話は」
「正常です」
ジェレミーはロジーを見る。
「何か話せ」
ロジーの肩が僅かに跳ねた。
それから、ゆっくり口を開く。
「局長、大好き」
局長室が静かになった。
ロジーは慌てて続ける。
「いまのは私! 広告じゃない!」
ジェレミーは短く答えた。
「分かっている」
「ほんと?」
「ああ」
ロジーの目から、また涙が落ちた。
「局長の顔を見るの、疲れてない」
「そうか」
「一番嫌いでもない」
「分かっている」
「優しいふりしてるとも思ってない」
「それも分かっている」
「ほんとに大好き」
「ああ」
ジェレミーの返事は短かった。
それでも、一つも疑わなかった。
ロジーは堪えきれず、また泣き始めた。
「よかったぁ……!」
ジェレミーは執務机の前から回り込み、ロジーの前へ立った。
「怖かったか」
ロジーは大きく頷く。
「私が、私じゃなくなると思った……」
「ならない」
「でも、私の声で、知らない言葉が出たの」
「ああ」
「レトとエルを嫌いなのかもって思った」
「違っただろう」
「うん……!」
「お前は、レトとエルが好きだ」
「大好き」
「情報班も」
「大好き!」
「監理局も」
「大好き!」
「私もか」
「大好き!」
ジェレミーはロジーの頭へ手を置いた。
「それでいい」
ロジーは顔を上げる。
「怒らないの?」
「注意はする」
ロジーの顔が少し曇った。
「でも、いまは怒鳴らない?」
「ああ」
「どうして?」
「十分に怖い思いをしただろう」
ジェレミーは静かに続けた。
「原因が分からないまま、自分を疑っていた」
「壊れてるって思われるのが怖かったの……」
「分かっている」
「ごめんなさい」
「確認せずにアプリを入れたことも、権限を読まなかったことも、異常をすぐに報告しなかったことも、後で一つずつ話す」
「うん……」
「今は、お前の言葉が戻ったことの方が先だ」
ジェレミーの手が、ロジーの頭を軽く撫でた。
ロジーは胸へ手を当てる。
「私、ロジー」
「ああ」
「情報班のロジー」
「ああ」
「レトとエルが大好き」
「知っている」
「主任さんも、副長も、みんな大好き」
「そうか」
「局長も、ずっと大好き」
ジェレミーは僅かに目を細めた。
「私も、お前を大切に思っている」
ロジーの口が開いたまま止まる。
「局長が言った……」
「言ったな」
「もう一回」
「一度で聞け」
「広告じゃない?」
「私の口から広告は出ない」
レトが隣で笑った。
「お兄さんも、ロジーのこと大好きなんだ!」
「大好きとは言っていない」
「大切は、大好きと同じだよ!」
エルも頷く。
「大切は、好き」
ロジーは泣きながら笑った。
「じゃあ、局長も私が大好き!」
「勝手に決めるな」
「でも、違うって言わない!」
ジェレミーは答えず、ロジーの頭から手を離した。
副長が穏やかに言う。
「ロジー。私にも、もう一度お願いします」
「副長、大好き!」
「ええ。私もロジーを大切に思っています」
「副長は素直!」
「局長と違いまして」
「副長」
「はい」
情報班主任もロジーを見る。
「私にも、もう一度聞かせてください」
ロジーはすぐに振り返った。
「主任さん、大好き! 情報班も大好き! ずっとここで一緒に仕事したい!」
主任は小さく頷いた。
「私たちも、ロジーと働き続けたいと思っています」
ロジーの涙がまた溢れる。
「よかった……!」
レトがロジーの手を握る。
「わたしも、ずっと一緒!」
エルも反対側の手を握った。
「あたしも」
ロジーは二人の手を強く握り返す。
「みんな大好き!」
「うん!」
「ずっと大好き!」
「うん!」
「何回でも言う!」
「言って!」
ロジーは声を張った。
「レト、大好き!」
「わたしも!」
「エル、大好き!」
「あたしも」
「主任さん、大好き!」
「ありがとうございます」
「副長、大好き!」
「ええ」
「局長、大好き!」
ジェレミーは一度だけ頷いた。
「聞こえている」
「監理局のみんな、大好き!」
今度の言葉も、最後まで変わらなかった。
ロジーが伝えたかった通りの形で、全員へ届いた。
ロジーは泣きながら笑った。
「全部、私の言葉!」
ジェレミーが答える。
「ああ」
副長も頷く。
「間違いなく」
情報班主任も続ける。
「よく聞こえました」
ロジーは、何度も頷いた。
◇
自室。
寝台の中央にロジー。
右にレト。
左にエル。
三人は同じ毛布の中にいた。
ロジーの目元は、泣き続けたせいで赤く腫れている。
「私、今日、一生分くらい大好きって言った」
「まだ足りないよ」
レトが答えた。
「まだ?」
「わたしの分、もっと言って」
ロジーはレトの手を握る。
「レト、大好き」
「わたしもロジー大好き!」
エルがロジーの反対の手を握った。
「あたしの分」
「エルも大好き」
「あたしも」
「二人とも、ずっと大好き」
「うん」
「何を言っても信じないでって言ったけど、今は信じていいからね」
レトが尋ねる。
「これから、また変なことを言ったら?」
「すぐ教える」
「ロジーの言葉か分からなかったら?」
「一緒に確認する」
エルが言う。
「原因が分からなかったら?」
ロジーは少し考えた。
「分からないって、ちゃんと言う」
「怖くても?」
「怖くても」
「壊れたと思われそうでも?」
「一人で隠さない」
レトがロジーの手を強く握った。
「一緒に怖がるから」
エルも反対側の手を握る。
「あたしもいる」
ロジーは二人の手を離さなかった。
「ありがと」
静かな部屋に、デバイスの睡眠補助音が流れる。
思考も。
言葉も。
記憶も。
すべて、いつも通りに繋がっていた。
ロジーは目を閉じる前に、もう一度だけ言った。
「みんな大好き」
レトが答える。
「わたしも」
エルも答えた。
「あたしも」
「ずっと大好き」
「ずっと」
「うん」
ロジーは二人の手を握ったまま、眠りへ落ちていった。




