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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち【旧版】  作者: 硝子玉の宇宙
箱庭の娘たち

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第124話-おとうさんと、おかあさん

三人には、ずっとやってみたいことがあった。


街へ外出するたび、窓越しに見ていた。


広い砂場。

色のついた滑り台。

高く揺れるブランコ。

鉄棒。

ぐるぐる回る遊具。


そこで遊ぶ、たくさんの子供たち。


走って、転んで、笑って、順番を取り合って、親に叱られて、また遊ぶ。


レトは、その光景を見るたびに窓へ両手をついていた。


「いいなあ……」


ロジーは頭上のデバイスで、遠くから遊具の構造を拡大していた。


「滑り台! ブランコ! 砂場! 公園設備の記録だけで百三十二件ある!」


エルは、滑り台を下りてきた子供が笑う様子をじっと見ていた。


「上って、下りるだけなのに、楽しそう」


「だからやりたいの!」


レトが振り返る。


「三人で、公園で遊びたい!」


ロジーも拳を上げた。


「公園遊具全種体験記録!」


エルは少し考えたあと、小さく頷いた。


「あたしも、上って下りたい」


そうして外出申請が提出された。


目的欄には、レトの字で大きく、


公園であそぶ!!!


と書かれていた。


その下には、ロジーが追記した詳細な行動計画。


さらにその下には、エルが描いた、滑り台らしき斜めの線と、丸い三人の絵。


監理班によって正式に承認され、生活班の女性職員二名が同伴することになった。



公園へ到着した瞬間。


レトは、入口で両手を広げた。


「公園だーっ!!」


「走らないでください!」


生活班の職員が叫ぶ。


レトは一歩目を踏み出した姿勢のまま固まった。


「……走っちゃだめ?」


「園内では周囲を確認してください。小さな子供もいますから」


「わかった!」


レトは全身で歩き始めた。


歩いている。


本人としては、歩いているつもりだった。


ただし一歩が大きく、腕が激しく振られ、ほとんど競歩になっている。


ロジーが後ろから追いかける。


「レト待って! 到着時の全景映像! 最初の反応! 正面から撮らせて!」


「あとで! 滑り台が待ってる!」


「滑り台は逃げない!」


「でも、ほかの子が使っちゃう!」


「順番で使うものです!」


生活班の職員が再び注意した。


レトは急停止した。


「順番!」


「そうです」


「わたし、守れる!」


レトは滑り台の列の最後尾へ並んだ。


前には、小さな子供が三人。


レトは待っている間も、身体を左右に揺らしていた。


階段を上る子供。


滑り降りる子供。


笑い声。


順番が一人分進むたび、レトも一歩進む。


「次、わたし?」


「まだ二人います」


「次の次?」


「その次です」


「わかった!」


そして、ようやくレトの番が来た。


階段を一段ずつ上る。


普段なら空間魔術で一瞬で上がれる高さだった。


だが今日は、自分の足で上った。


滑り台の頂上へ座る。


下を見る。


生活班の職員が手を振っていた。


ロジーがデバイスのカメラを向けている。


エルはいつの間にか、滑り台の横から顔だけを出して観察していた。


レトは両手を上げた。


「いくよーっ!」


滑った。


「わあああああっ!」


ほんの数秒。


それでもレトは、地面へ着くなり飛び上がった。


「すごい! 勝手に下に行った!」


ロジーが駆け寄る。


「重力だよ!」


「重力、楽しい!」


「記録! レト、重力の娯楽性を発見!」


エルは滑り台を見上げた。


「あたしもする」


エルは階段を上った。


頂上で座り、少しだけ身体を前へ傾ける。


するすると下りる。


地面へ着いたエルは、そのまま数秒座っていた。


レトが駆け寄る。


「エル、どうだった!?」


エルは滑り台を振り返った。


「上にいたあたしが、下にいる」


「うん!」


「不思議」


「楽しい?」


エルは少し考えた。


「もう一回したい」


「楽しいってことだよ!」


次はブランコだった。


ロジーは座った瞬間から、デバイスに揺れ幅、周期、最高到達点を表示させた。


「見て! 一定周期で往復する! 足を伸ばすタイミングで振幅増加!」


「ロジー、すごい高い!」


隣のブランコで、レトも夢中になって足を振る。


「もっと! もっと高く!」


「空間魔術は禁止ですよ!」


生活班の職員が釘を刺す。


「使ってないよ!」


「硝子質の魔力が漏れています!」


レトの背後には、彗星の尾のような青白い光が伸びていた。


「これは、楽しくて出ただけ!」


「抑えてください!」


一方、エルはほとんど揺れていなかった。


静かに座り、足先だけをぶらぶらさせている。


レトが呼びかけた。


「エル、こいで!」


「こぐ?」


「足をこうするの!」


レトが大きく足を伸ばして見せる。


エルも真似をした。


少し揺れた。


もう一度。


さらに揺れた。


白い髪の毛先が、淡いピンクの弧を描く。


エルは前へ進むたび、目を少しだけ細めた。


後ろへ戻るたび、レトとロジーが見える。


前。


後ろ。


前。


後ろ。


「エル、楽しい?」


エルは揺れながら答えた。


「空が近くなって、二人のところに戻る」


「それ、すっごく楽しいね!」


次は砂場。


レトは硝子細工の要領で、砂を精密に積み上げようとした。


しかし乾いた砂はすぐに崩れた。


「なんで!?」


「水を混ぜるんだよ!」


近くにいた子供が教えてくれた。


レトは目を輝かせた。


「ほんと!?」


「うん。こうするの」


子供が小さなバケツで水を運ぶ。


レトも同じように水を汲み、砂へ混ぜた。


今度は固まった。


「できた!」


レトは子供と一緒に、小さな城を作った。


ロジーは、その過程を最初から最後まで記録した。


「砂、水分含有率によって成形性が変化! あと共同作業によって楽しさが増加!」


「ロジーも作って!」


「私、撮影係!」


「一緒に作るのも記録だよ!」


「それはそう!」


エルは砂の上に手を置いていた。


指の間から、さらさらと砂が落ちる。


「いっぱいあるのに、一つずつは小さい」


やがてエルは、砂で小さな人の形を三つ作った。


不格好な丸い頭。


短い手足。


三つ並んで、手を繋いでいる。


レトが覗き込む。


「これ、わたしたち?」


「うん」


「かわいい!」


ロジーがすぐに撮影した。


「三人砂像、記録完了! 保存区分、永久!」


「永久?」


「永久!」


日が傾くまで、三人は遊び続けた。


鉄棒にぶら下がるレト。


回転遊具を回しすぎて、自分まで目を回すロジー。


登るための遊具を、頂上まで上ったあと、降り方が分からなくなって座り込むエル。


生活班の職員たちは何度も止め、助け、順番を教え、飲み物を渡した。


それでも三人は疲れを知らないように遊んだ。


少なくとも、日が傾き始めるまでは。



夕方になると、公園にいた子供たちは少しずつ帰り始めた。


「もう帰るよ」


母親に呼ばれた子供が、まだ遊びたいと首を振る。


「あと一回!」


「一回だけね」


父親が滑り台の下で待っている。


滑り終えた子供を抱き上げ、そのまま肩へ乗せて歩いていく。


別の子供は、両親の間でそれぞれの手を握っていた。


三人で並んで、夕焼けの道を帰っていく。


砂場でレトに水の使い方を教えてくれた子供も、迎えに来た母親へ駆け寄った。


「おかあさん、見て! お城作った!」


「すごいね。誰と作ったの?」


「あの緑の髪のお姉ちゃん!」


母親がこちらへ頭を下げる。


レトも大きく手を振った。


「またねーっ!」


子供も手を振り返した。


「またねー!」


やがて、その小さな背中は母親と手を繋ぎ、公園の外へ消えた。


レトは、しばらく入口を見ていた。


「……帰ったね」


ロジーが隣へ来る。


「夕方だからね」


「みんな、迎えに来た」


「うん」


エルも二人の隣に立った。


公園は少しずつ静かになっていく。


さっきまで響いていた笑い声が減り、空いたブランコだけが風で小さく揺れていた。


レトは生活班の職員を見た。


「わたしたちも帰る?」


「はい。監理局へ戻りましょう」


「職員さんと?」


「もちろんです」


レトは頷いた。


「そっか」


監理局へ帰る。


いつもの場所へ。


食堂がある。


部屋がある。


ロジーとエルがいる。


職員さんたちがいる。


お兄さんもいる。


だから寂しくはない。


寂しいはずがなかった。


それでもレトは、公園を出る直前にもう一度だけ振り返った。


親に手を引かれて帰っていく子供たちの姿は、もう見えなかった。



監理局へ戻ったレトは、いつものように局長室へ駆け込んだ。


「お兄さん!」


執務机で報告書を読んでいたジェレミーが顔を上げる。


「走るな」


「走ってない! ちょっと速く歩いただけ!」


「そうか」


「今日ね、公園で遊んだの!」


レトは机の前まで来ると、両手を大きく広げた。


「滑り台した! 上から下に勝手に行くの! 重力が遊びになるんだよ!」


「知っている」


「お兄さん、滑り台したことあるの!?」


「ある」


「いつ!?」


「昔だ」


「ずるい! 教えてくれなかった!」


レトは頬を膨らませたあと、すぐに次の話へ移った。


「ブランコもした! ロジーが数字をいっぱい出してた! わたしはすっごく高くなったけど、魔術は使ってないよ。ちょっと魔力が出ただけ!」


「同じようなものだ」


「違うもん!」


ジェレミーは書類を机に置いた。


レトの話は続いた。


砂場で城を作ったこと。


知らない子供が水の使い方を教えてくれたこと。


エルが遊具の上から降りられなくなったこと。


ロジーが回りすぎて真っ直ぐ歩けなくなったこと。


生活班の職員が何度も「周囲を見てください」と言っていたこと。


レトは身振り手振りを交えながら、今日の全部を話した。


ジェレミーは遮らずに聞いていた。


だが、話が終わりに近づくにつれて、レトの声は少しずつ小さくなった。


「それでね、夕方になったら……みんな帰ったの」


「そうか」


「おかあさんとか、おとうさんが迎えに来てた」


ジェレミーは黙ってレトを見た。


「手、繋いでた」


「そうだな」


「肩に乗せてもらってる子もいた」


「いたのか」


「うん」


レトは笑おうとした。


けれど、うまく笑えなかった。


「みんな、帰る場所があるんだね」


ジェレミーの目が、ほんの僅かに細くなる。


「レトにもある」


「うん。監理局」


「そうだ」


「ロジーも、エルも、職員さんもいる」


「ああ」


「お兄さんもいる」


「ああ」


レトは机の横へ回った。


いつもなら、そのままジェレミーの隣へ行って、もっと近くで話す。


今日は、何も言わずに立っていた。


ジェレミーは椅子を少し引いた。


「どうした」


「わかんない」


レトは俯いた。


「楽しかったの。すっごく楽しかった」


「そうか」


「でも、みんなが帰るの見たら……なんか、変になった」


胸元を押さえる。


「ここが、ちょっとだけ、きゅってなった」


ジェレミーは立ち上がった。


レトは、一歩近づく。


また一歩。


そして、そっとジェレミーの服を掴んだ。


普段のレトなら、勢いよく抱きつく。


大きな声で甘える。


撫でてと要求する。


今日は違った。


触れていいのか確かめるように、指先だけで服を握っていた。


ジェレミーは何も聞かなかった。


レトの背へ腕を回し、静かに抱き寄せる。


それだけで、レトの指から力が抜けた。


レトはジェレミーの胸へ顔を埋めた。


知っている匂い。


知っている体温。


ずっと自分を守ってくれた腕。


レトは親を知らない。


生まれた時から、親という存在がそばにいたわけではない。


硝子の彗星から生まれて。


監理局へ来て。


そこで初めて、自分を待ってくれる人を知った。


間違えたら叱ってくれる人。


帰ってこなければ探してくれる人。


泣けば抱きしめてくれる人。


自分がここにいていいと、何度でも教えてくれた人。


ジェレミーは親ではない。


少なくとも、二人の間でそう呼んだことは一度もなかった。


レトにとって、ずっと「お兄さん」だった。


それなのに。


今日だけは、胸の奥に浮かんだ言葉を、止められなかった。


ジェレミーの服へ顔を押しつけたまま。


聞こえるかどうかも分からないほど、小さな声で。


「……ぱぱ」


ジェレミーの目が見開かれた。


ほんの一瞬。


銃弾が飛んできても揺らがない男が、完全に動きを止めた。


レトは、自分で口にした言葉に驚いたように身体を固くした。


「……ちがう」


逃げるように言う。


「いまの、ちがうの。お兄さんは、お兄さんで……」


ジェレミーの腕に、少しだけ力が加わった。


レトの言葉が止まる。


ジェレミーはすぐには何も言わなかった。


レトの背を、ゆっくりと一度だけ撫でる。


それから、いつもと変わらない静かな声で言った。


「違わなくていい」


レトは顔を上げなかった。


「……いいの?」


「ああ」


「ぱぱって呼んでも?」


ジェレミーは一度だけ目を閉じた。


開いた時には、もういつもの静かな顔に戻っていた。


けれど、レトを抱く腕だけは解かなかった。


「レトが、そう呼びたい時はな」


レトの肩が、小さく震えた。


泣き声はなかった。


ただ、ジェレミーの胸へもっと深く顔を埋めた。


「……ぱぱ」


今度は、さっきより少しだけはっきりしていた。


ジェレミーは答える。


「ああ」


「今日ね、公園で遊んだの」


「聞いた」


「すっごく楽しかった」


「そうか」


「また行きたい」


「申請を出せ」


「一緒に来てくれる?」


ジェレミーは、ほんの僅かに息を吐いた。


「予定を確認する」


「来てほしい」


「分かった」


レトは、ようやく小さく笑った。


局長室の机には、まだ処理途中の報告書が残っていた。


監理局は動き続けている。


判断を待つ案件も、危機対応も、宇宙規模の責任も消えてはいない。


それでもジェレミーは、レトが自分から離れるまで動かなかった。


夕方の公園で、子供たちは親と一緒に帰っていった。


レトもまた、自分の帰る場所へ帰ってきた。


ずっと前から、そこにいた人の腕の中へ。



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