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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち  作者: 硝子玉の宇宙


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第12話-副長って泣き虫なの?

惑星監理局の廊下は、今日もきれいだった。


磨かれた床は星明かりを薄く映して、天井の光はやわらかく、職員たちは忙しそうに行き交っている。


その真ん中を、レトは胸を張って歩いていた。


淡緑のワンサイドテールをふわふわ揺らし、黒リボンの青いキューブをきらりと光らせながら、両手に硝子細工の小さな短剣を抱えている。


「副長、どこかな」


レトは真剣だった。


今日の目的は、遊びではない。


副長を見つけること。


そして、元気にすること。


副長は、いつもにこにこしている。


どんなときでも、誰に対しても、やわらかく笑っている。


職員が失敗しても、敵の情報が入っても、ロジーが余計な記録を持ち込んでも、エルが許可済みかどうか微妙な魔法アイテムを持ってきても。


副長は、にこにこしている。


でも、レトは知っていた。


副長は、泣き虫だ。


なぜなら、レトが何かをすると、かなりの確率で副長は泣く。


しかも声を殺して、肩を震わせて、目元を押さえて、壁にもたれかかっている。


レトはその姿を何度も見ていた。


だから、わかっていた。


副長は、大人で、強くて、頼りになる人だけど。


本当は、とても繊細な人なのだ。


「……副長、今日もむりして笑ってるかもしれない」


レトは小さくうなずいた。


「わたしが見守らなきゃ」


その後ろで、通りすがりの職員が一瞬だけ足を止めた。


近くにいた別の職員と目が合う。


二人は、何も言わずに視線をそらした。


誰も訂正しなかった。


訂正できなかった。


なぜなら副長が泣いているように見える原因の大半は、レト本人だからである。


そしてそれを説明するのは、あまりにも難しかった。


廊下の角を曲がると、ちょうど副長がいた。


壁際で資料端末を片手に、職員へ指示を出している。


いつものように、整った笑みを浮かべていた。


「その件は情報班へ回してください。技術班には解析だけ依頼を。生活班への共有は、被害範囲が確定してからで構いません」


落ち着いた声。


柔らかな物腰。


でも、目の下が少しだけ赤い。


レトは息を呑んだ。


「……やっぱり」


副長は泣いた後だ。


レトにはそう見えた。


実際には、三十分前に食堂で、レトが頼んだプリンが、レトがお手洗いに行っている間に局長の前に配膳された些末を見ていたからだった。

無人のテーブルにプリンを配膳しておくと、レトが戻ってきたときにプリンを心配して慰める。

だから食堂班が、局長にプリンの見守りを頼んでいただけだった。

局長の前に置かれたプリンの皿を前にして、あまりにも真剣な顔で「ぷりん、あなたはわたしよりお兄さんに会いたかったの…?」と問いかけ、五秒後に「だめだよ、ぷりんはわたしに食べられるために生まれたんだよ、お兄さんも人のプリンと浮気しちゃだめだよ!」と、無実の局長を叱責してプリンを奪い返していた場面を、副長が遠巻きに目撃してしまっただけである。

局長は一切言い訳せず「すまない」とだけ言っていた。

それが耐えられなかった。


副長は廊下の柱の陰で限界まで笑いを噛み殺し、涙目になっていた。


だが、レトはそんな事情を知らない。


レトは硝子短剣をぎゅっと抱きしめ、決意を固めた。


「副長!」


呼ばれた副長が振り返る。


「レトさん」


その瞬間、副長の笑顔がほんの少しだけ固まった。


レトの顔があまりにも真剣だったからだ。


「どうしました」


「副長、だいじょうぶ?」


「……ええ。問題ありません」


「うそ」


レトは一歩近づいた。


丸い瞳で、まっすぐに副長を見る。


「目、赤いよ」


「……」


副長は一瞬だけ沈黙した。


近くにいた職員たちが、すっと視線を外した。


空気が、妙な方向に張り詰める。


副長は穏やかに微笑んだ。


「少し、目に埃が入っただけです」


「ほこり……」


レトは床を見た。


ぴかぴかだった。


天井を見た。


空調も完璧だった。


壁を見た。


清掃ロボットが誇らしげに通過していった。


レトは副長を見上げた。


「副長、やっぱりがんばって明るくしてる」


「いえ」


「本当は心が繊細なのに、みんなのために、にこにこしてる」


「いえ、レトさん」


「わたし、わかったよ」


「おそらく何もわかっていません」


副長の声はいつも通りだった。


だが、口元がわずかに震えていた。


レトはそれを見て、胸を痛めた。


「副長、泣きそうなの?」


「泣きません」


「もう泣いてるときある」


「それは」


副長が言葉を止めた。


言えない。


あなたが原因で笑いすぎて涙が出ています、とは言えない。


あまりにも失礼だ。


あまりにも本人が真剣だ。


そして何より、言ったらまた何かが始まる。


副長は判断した。


「……少し、疲れているのかもしれませんね」


それは逃げだった。


しかしレトには、決定的な証言だった。


「やっぱり!!」


レトの声が廊下に響いた。


「副長、つらかったんだね!」


「そこまでは言っていません、いや、辛いときはあります」


主にあなたのせいで。


「だいじょうぶ! わたしがいるから!」


レトは両手の硝子短剣をぱっと浮かせた。


青白い魔力がきらきらと弾け、短剣たちは花びらのように副長の周囲を漂う。


副長の護衛陣形である。


ただし距離が近い。


かなり近い。


副長の髪の横を、硝子短剣がすうっと通った。


「レトさん。護衛はありがたいですが、刃物を顔の近くに配置しないでください」


「副長は心が繊細だから、外から守るだけじゃだめ」


「外からも内からも、刃物で守られる覚えはありません」


「じゃあ、こころを守る陣形にする」


副長の心臓辺りに短剣が設置され、刃先をピシッと外に向けた。


「その概念を刃物で表現しないでください」


副長の肩が震えた。


職員の一人が、口元を押さえて横を向いた。


レトは、はっとした。


「副長、また震えてる……!」


「違います」


「寒いの?」


「違います」


「こわいの?」


「違います」


「じゃあ、泣きそうなの?」


「かなり違います」


副長は笑顔のまま、片手で口元を押さえた。


だめだった。


レトが真剣すぎる。


「こころを守る陣形」という言葉も、そのために硝子短剣を使おうとする判断も、全部がまっすぐで、全部が少しずれていて、しかも本人は本当に副長を心配している。


副長は限界に近かった。


「……失礼。少しだけ、壁を向きます」


副長はすっと背を向けた。


肩が震えた。


声は出していない。


けれど、完全に笑っていた。


レトには、泣いているようにしか見えなかった。


「副長……!」


レトは慌てて駆け寄った。


「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ!」


副長の背中に、小さな手がぽんぽんと触れる。


「副長は、えらいよ。いつもにこにこしてて、みんなにやさしくて、ロジーにちょっとだけいじわるで、エルに振り回されて、それでもちゃんと副長してて」


「……」


「でもね、泣いてもいいんだよ」


副長の肩が、さらに震えた。


「だれにも言わないから」


近くの職員は全員聞いていた。


しかし誰も言わなかった。


言える空気ではなかった。


レトは続けた。


「わたし、お兄さんに聞いたことあるよ。強い人は、泣かない人じゃなくて、泣いても立ってる人なんだって」


副長の震えが、少しだけ止まった。


「だから、副長は強いよ」


レトは心から言っていた。


その言葉には、勘違いが混ざっていた。


けれど、まっすぐな好意も混ざっていた。


副長は壁を向いたまま、静かに息を吐いた。


「……レトさん」


「うん」


「ありがとうございます」


「うん!」


「ですが、私は本当に泣いているわけではありません」


「うそだよ。泣いてる人は、みんなそう言う」


「……」


副長は負けた。


完全に負けた。


レトの中では、副長はもう「明るく振る舞う繊細な泣き虫」として確定している。


訂正の余地はない。


副長は振り返った。


目元に残った涙を指で拭い、いつもの笑みを浮かべる。


「では、こうしましょう。私は繊細な人間ということにしておきます」


「うん!」


「その代わり、レトさん」


「なに?」


「私が泣いているように見えても、毎回廊下の中央で励ますのは控えてください」


「どうして?」


「私の威厳に影響します」


「副長がみんなに大事にされてるってわかるから、いい影響だよ?」


「違う方向に影響します」


レトは首をかしげた。


副長はにこにこしていた。


その笑顔を見て、レトは少し安心した。


やっぱり副長は、笑っているほうが似合う。


でも、その笑顔の奥には、繊細な心がある。


レトはそう信じていた。


だから、放っておけない。


「副長」


「はい」


「わたし、これからも見てるね」


副長の笑顔が、わずかに硬直した。


「……見守りですか」


「うん。副長がむりしてないか、泣いてないか、ちゃんと近くで見てる」


「それは少し困りますね」


あなたに泣かされているので。


「困らないよ。わたし、戦闘班だもん。遊撃できるもん。どこでも見に行ける」


「それも困る理由です」


レトは胸を張った。


「副長が泣いてたら、わたしが励ます!」


「できれば泣いていないものとして処理してください」


「泣いてないふり、しなくていいよ」


「……」


副長は目を閉じた。


このままでは、また笑ってしまう。


非常に危険だった。


そこへ、廊下の向こうからロジーが現れた。


頭上のデバイスに小さな記録ウィンドウをいくつも浮かべながら、にやにやしている。


「なになに? 副長また泣いちゃってた?」


「ロジーさん」


副長の声が少し低くなった。


「記録は不要です」


「もうしてる」


「消してください」


「やだ。タイトルは『繊細泣き虫副長、レトに保護される』でいく」


「ロジーさん」


「はいはい、こわーい。副長、心が繊細なのに圧が強ーい」


レトはロジーを見た。


「ロジーも知ってたの?」


「なにを?」


「副長が泣き虫なこと」


ロジーは一瞬、副長を見た。


副長は、にこにこしていた。


ただし目が笑っていなかった。


ロジーは満面の笑みで言った。


「うん! 副長、泣き虫だよ!」


「ロジーさん」


「レト、守ってあげな。副長ってば、すーぐ泣くから」


「うん!」


副長は、静かにロジーの端末へ視線を向けた。


「ロジーさん。後で少し、お話があります」


「わー、大人の圧だ」


「ええ。大人の本気です」


「やだー! 泣き虫なのに仕返しはするんだ!」


「します」


レトは感心したようにうなずいた。


「副長、泣き虫だけど強い……」


「その分類から離れてください」


そのとき、ふわりと空間が揺れた。


エルが天井近くに浮かびながら現れる。


手にはチョコレートを持っていた。


「あ、面白いことしてる」


「エルさん。していません」


「副長、泣き虫になったの?」


「なっていません」


「じゃあ、泣くと花が出る魔法アイテム作る?」


「絶対に作らないでください」


「副長が泣くと、廊下が花畑になるやつ」


レトの目が輝いた。


「それ、いいかも!」


「よくありません」


「副長が泣いても、かなしくなくなる!」


「私は泣いていません」


「でも泣いたら、お花だよ?」


「まず泣かない方法を考えてください、いえ、泣いていませんが」


ロジーが笑いながら記録を増やした。


エルは楽しそうにくるくる浮いている。


レトは真剣に、副長の心のケア計画を考えている。


副長は、いつものようににこにこしていた。


そして、また少しだけ目元が潤んでいた。


今度は笑いすぎではない。


ほんの少しだけ、違った。


レトが本気で心配してくれていること。


その不器用な優しさが、あまりにもまっすぐだったこと。


それが少し、胸に触れた。


副長はレトの頭に手を置いた。


「レトさん」


「うん?」


「ありがとうございます。あなたがそう見てくれていることは、覚えておきます」


レトはぱっと笑った。


「うん! 副長はわたしが守るからね!」


「それは頼もしいですね」


「副長が泣いたら、わたしがなでなでする!」


「……それは、局長に誤解されそうなので控えめにお願いします」


「お兄さんにも言う!」


「言わないでください」


「副長は泣き虫だけど、すごくがんばってるって!」


「本当に言わないでください」


ロジーが小声で言った。


「これは局長に報告価値あるね」


「ロジーさん」


「はいはい、しないしない。たぶん」


エルがチョコを食べながら言う。


「ジェレミー、副長のこと慰めるかな」


「慰めません」


副長は即答した。


だが少しだけ、否定しないほうが良かったと思った。


レトはそんな副長を見上げて、にこにこ笑った。


副長も、にこにこしていた。


レトには、それが少しだけ無理をしている笑顔に見えた。


だから、レトは副長の袖をきゅっとつまんだ。


「副長」


「はい」


「今日、プリン食べる?」


「……なぜですか」


「甘いもの食べると、心がきらきらになるから」


副長は一瞬、目を細めた。


それから、静かに笑った。


今度の笑顔は、いつもの癖ではなかった。


「では、一つだけ」


「やった!」


レトは跳ねるように歩き出した。


副長の袖をつまんだまま、食堂へ向かう。


ロジーはにやにやしながら記録し、エルはふわふわ浮きながらついてくる。


副長は、連行されるように歩きながら、職員たちに軽く目礼した。


職員たちは、全員が何も見なかった顔をした。


廊下の先で、レトが振り返る。


「副長!」


「はい」


「今日は泣かないでね!」


副長は笑顔で答えた。


「努力します」


その直後、レトが大真面目な顔で言った。


「でも泣いても内緒にするからね!!」


あまりにも大きい声だった。

彼女は内緒が何か分かっているのだろうか。


副長は口元を押さえた。


肩が震えた。


レトは慌てた。


「副長!?」


ロジーが腹を抱えた。


エルが空中で拍手した。


副長は壁に片手をつきながら、声を殺して震えていた。


レトは半泣きで、副長の背中をさすった。


「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ、副長……!」


副長は、もう何も言えなかった。


ただ、にこにこしていた。


泣き虫だと思われたまま。


けれど、少しだけ。


それでもいいか、と思っていた。



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