第11話-女子会の後はおかたづけ
後日、情報班区画
――ロジーは何もしなかったことにした
第七食堂臨時閉鎖事件の報告書は、非常に整っていた。
敵性遠隔干渉の検知。
第七食堂への誘導。
エルの魔法空間を利用した魔力反射環境の構築。
レトの硝子質魔力による経路封鎖。
副長による干渉術式の逆探知。
敵エージェント組織の投降誘導。
すべて、必要な内容だけが書かれていた。
もちろん、書かれていないこともある。
たとえば。
副長がレトの「笑顔から真顔に帰れない」発言に本気でツボったこと。
ロジーが「お姉さんなので」という一言でパフェ一口目を譲らされたこと。
敵組織がレトの待機かわいい写真を恐れて投降したこと。
それらは、公式記録には存在しない。
ただし、ロジーの私的記録には存在する。
正式には存在しないことになったものを、存在しない場所に、きちんと残しておく。
それが彼女の悪癖であり、仕事であり、生き方だった。
事件後の深夜。
情報班区画の一角で、ロジーはひとり、椅子の上に膝を抱えて座っていた。
頭上のデバイスが、静かに青白く回転している。
昼間の騒がしさはない。
ツインおさげも少し乱れていて、足元には飲みかけのジュースが置かれている。
目の前には、何もない。
けれどロジーが指を鳴らすと、空間にホログラムが展開された。
膨大な名簿。
顔写真。
所属組織。
偽名。
本名。
経歴。
資金経路。
通信履歴。
使用術式。
接触した企業。
協力者。
脅迫された者。
買収された者。
そして、監理局技術を狙った理由。
まさに今、敵が隠していた個人情報のすべて。
ロジーはそれを眺めた。
しばらく。
本当に、ただ眺めていた。
「あーあ」
声は軽い。
けれど、昼間より少し低かった。
「副長のおかげで、私がなにもしなくて済んじゃった」
彼女の指先が、ホログラムの上を滑る。
一人のエージェントの顔写真が拡大される。
表向きは民間技術者。
裏では監理局外部協力機関に接近し、通信帯域の脆弱性を探っていた。
次に別の顔。
元軍属。
魔術干渉波の設計担当。
ロジーのデバイスに直接触れようとしたわけではないが、その内部構造を解析するための式を書いた。
次。
資金提供者。
次。
仲介人。
次。
逃亡用の身分を用意した者。
次。
次。
次。
ロジーは笑っていた。
いつもの、人懐っこくて騒がしい笑顔ではない。
自分を害しようとした者への嫌悪を含む顔だった。
「アカシックレコード・オフライン」
その言葉と同時に、ホログラムの表示が変わる。
ただの名簿ではなくなった。
無数の記録が、糸のようにつながっていく。
誰が誰に命じたのか。
誰がどこで嘘をついたのか。
誰が本当は怖がっていたのか。
誰が金のために動き、誰が思想のために動き、誰がただ自分より弱いものを分解して知った気になりたかったのか。
全部、見える、まるで自分が経験しているように、数多の人間の経験に、実感が伴う。
ロジーはそれを見ていた。
見て、分類して、理解して、保存して。
そして、つまらなそうに頬杖をついた。
「……私のこと、解析する気だったんだ」
ぽつりと呟く。
「私の魔術を。私のデバイスを。私の頭の中を」
ホログラムの光が、ロジーの瞳に映る。
「ばかじゃないの」
声は小さい。
「私だって、私のこと全部わかんないのに」
デバイスが一瞬だけ遅れて回転した。
ロジーの目が、わずかに揺れる。
けれど彼女はすぐに笑った。
「ま、いいけど」
指を振る。
敵の情報が、ひとつの巨大なフォルダにまとめられた。
フォルダ名は、簡素だった。
【第七食堂に無断参加した人たち】
ロジーはそれを見て、少し考えた。
「うーん、かわいくない」
フォルダ名を書き換える。
【女子会荒らし】
「よし」
そのまま、しばらく眺める。
眺めて。
眺めて。
まるで、そこにいる人間たちの顔を一人ずつ覚えるみたいに。
「副長は優しいね」
ロジーは言った。
「ああやって、投降できる道を残してあげるんだから」
ホログラムの中で、投降信号のログが点滅している。
副長は敵を追い詰めた。
けれど、潰さなかった。
必要な情報を提出させ、身柄を拘束し、手続きに乗せた。
監理局の副長としては正しい。
上品で、冷静で、現実的で、誠実な対応。
ロジーは口元を歪める。
「大人だよねえ」
自分なら、どうしただろう。
考えるまでもない。
ロジーは、記録する。
記録して、理解して、逃げ道を塞いで、相手が自分のしたことを後悔するより先に、もう何もできない状態にする。
ロジーは弱い。
力はない。
身体も小さい。
頭だって、デバイスがなければまともに回らない。
だから、次が起こらないように、絶対に逃がさない。
記録を握るということは、相手の未来を握ることだ。
「……ほんと、副長のおかげで」
ロジーは笑った。
「私、なにもしなくて済んじゃった」
その言葉は、昼間の軽口みたいにも聞こえた。
でも、違う。
しなくて済んだ。
敵の過去を掘り返して、関係者全員の人生を分解して、必要なら表に出して、必要なら裏に沈める。
そういうことを、しなくて済んだ。
副長が先に止めたから。
レトが硝子で塞いだから。
エルがかわいい空間を作ったから。
監理局が、三人を守る形を選んだから。
ロジーは、今回は何もしなくていい。
それが、少しだけつまらなくて。
少しだけ、安心した。
「保存」
ホログラムが一度、強く輝く。
全情報が、ロジーの記録領域に格納される。
それから彼女は、空中に小さなアイコンを表示した。
ゴミ箱フォルダ。
ロジーは【女子会荒らし】フォルダを指先でつまむ。
「はいはい。おしまい」
ぽい、と投げた。
フォルダは空中で放物線を描き、ゴミ箱フォルダに吸い込まれた。
かわいらしい効果音が鳴る。
ぽこん。
ロジーは満足げにうなずいた。
「記録は消さないけどね」
ゴミ箱フォルダの奥。
削除済みのふりをした、絶対に消えない記録領域。
そこへ、敵組織の個人情報は沈んだ。
誰にも見せない。
今は使わない。
報告書にも出さない。
でも、必要になったらいつでも取り出せる。
ロジーは椅子の上で伸びをした。
「ま、今回は副長の勝ちってことで」
その時、情報班区画の扉が静かに開いた。
副長が立っていた。
いつもの薄い笑顔。
手には、温かい飲み物の入った紙カップが二つ。
ロジーは目を細める。
「うわ。見てた?」
「いいえ」
「絶対見てたでしょ」
「巡回です」
「深夜に紙カップ二つ持って?」
「偶然です」
「その偶然、片方ココアじゃん」
「余りました」
「私の好きなやつが?」
「偶然です」
ロジーはじっと副長を見た。
副長は穏やかに微笑んだまま、ココアを机に置いた。
「ロジーさん」
「なに」
「何もしなくて済んだなら、今日は寝てください」
ロジーは一瞬だけ黙った。
それから、わざとらしく頬を膨らませる。
「副長ってさあ、ほんと嫌な大人だよね」
「褒め言葉として受け取ります」
「褒めてない」
「知っています」
ロジーはココアを手に取った。
温かい。
腹立つくらい、ちょうどいい温度だった。
「……副長」
「はい」
「次に私が何かしそうだったら、また先にやる?」
副長は少しだけ目を伏せた。
「必要であれば」
「大人げなく?」
「ええ」
副長は上品に微笑んだ。
「大人げなく」
ロジーは小さく笑った。
「じゃあ、今回は許してあげる」
「ありがとうございます」
「でもパフェ一口目の件は許してない」
「お姉さんでしたね」
「うるさい」
副長の肩が、ほんの少し震えた。
ロジーはすかさず指差す。
「あ、笑った」
「感銘です」
「局長に禁止されたでしょ、それ」
「ここには局長がいません」
「うわ、大人げな」
ロジーはココアを飲みながら、ゴミ箱フォルダをちらりと見た。
中身は見えない。
見せるつもりもない。
けれど、そこにある。
彼女が何もしなかった証拠。
彼女が何かできた証拠。
彼女が今回は、それをしなくて済んだ証拠。
ロジーはデバイスの光を少し落とした。
「ね、副長」
「はい」
「次の女子会、私が一口目だから」
「申請書に明記しておきましょう」
「エルの申請書、どうせまた『かわいいから』しか書いてないよ」
「その場合は差し戻します」
「片付けは副長がするって書いてあったら?」
「却下です」
ロジーはけらけら笑った。
深夜の情報班区画に、その声が小さく響く。
副長は何も言わず、もう一つの紙カップを手に取った。
ゴミ箱フォルダの中で、【女子会荒らし】は静かに眠っている。
削除されたふりをして。
忘れられたふりをして。
ロジーが、いつか必要になるその日まで。




