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人間、あたしに命令するな
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ここはあたらしいエピソード置き場にするよ!そのうちかえます!
惑星ラーディアを襲った地殻魔力災害から、半年が過ぎていた。
惑星内部を走る魔力脈の連鎖破裂。
地下都市の沈下。
高濃度魔力の地表噴出。
都市間交通網の寸断。
発災から二日で、惑星政府の救助能力は限界へ達した。
三日目。
ラーディア政府は上位委員会を通じ、惑星監理局へ正式な救助要請を出した。
監理局は即日介入した。
技術班が地殻崩壊の連鎖を抑え、戦闘班が避難経路を塞ぐ岩盤と敵性化した魔力構造物を排除した。
医療班は地上と軌道上へ救護区画を展開。
生活班は避難者を受け入れ、情報班は破壊された行政記録を復元した。
多くの人間が死んだ。
いくつもの町が消えた。
それでも、惑星文明は残った。
半年後。
惑星監理局は、投入した支援物資と復興事業の状況を確認するため、再びラーディアへ降りた。
◇
出発前。
監理局の会議室では、最後の確認が行われていた。
正面の大型画面には、ラーディア政府から提出された復興報告書が表示されている。
帰還完了率。
居住設備の再建率。
医療機関の稼働状況。
行方不明者の処理件数。
資料上では、復興は順調だった。
ジェレミー・クリエットが、視察団の職員を見渡す。
「今回は復興視察だが、儀礼訪問ではない」
隣には副長。
情報班、技術班、医療班、外務班、監理班、事後処理班の責任者が席についている。
「提出記録と、災害時にこちらが保存した原記録を照合する。差異があれば現地確認へ移行する」
短い返答が重なった。
会議卓の端には、エルが座っていた。
白いボブヘアー。
淡い桃色の毛先。
小さな身体。
胸元には、レトが作った硝子の星飾りが揺れている。
ジェレミーがエルを見る。
「エル」
「うん」
「強い願望呼応反応があれば、場所と感じたことを伝えろ」
「分かった」
「それ以上はするな」
「言うだけ」
「そうだ」
ジェレミーは職員たちへ視線を戻した。
「エルの反応は証拠ではない。捜索範囲を広げるための情報として扱う。記録、観測、現地状況を確認し、判断と責任は監理局が負う」
「了解しました」
副長が応じる。
エルも小さく頷いた。
大規模災害の後には、救助完了と記録された場所で、まだ誰かが助けを求め続けていることがある。
帰りたい。
見つけてほしい。
声を聞いてほしい。
人間が拾えなかった強い願いへ、エルが反応する場合がある。
ただし、エルは人間の心を読むわけではない。
嘘を見抜くわけでもない。
悪人を判別するわけでもない。
感じ取った後を、人間の組織である監理局が引き受ける。
エル一人へ、見つけることも、判断することも、裁くことも背負わせない。
そのための同行だった。
◇
監理局の視察船が着陸した首都中央港には、新しい白い石が敷かれていた。
半年前には負傷者と避難民で埋め尽くされていた広場に、今は黒い復興記念碑が立っている。
表面には、銀色の文字が刻まれていた。
生き延びたすべての者へ。
救いの手を差し伸べたすべての者へ。
ラーディアは再び歩き始める。
ジェレミーは、記念碑を一度見ただけで通り過ぎた。
その隣には副長。
後方には各班の責任者たちが続く。
一行の中央には、エルもいた。
惑星政府へ開示されているエルの肩書きは、監理局所属の特殊環境観測員。
特殊な魔力生命体であること。
無断接触、身体検査、試料採取を禁止すること。
能力行使を要求しないこと。
本人の意思を無視した移動命令を出さないこと。
明かされているのは、それだけだった。
旧世代。
真名。
硝子玉の宇宙との関係。
そのような情報は、一切開示されていない。
ラーディア政府側の視察責任者は、復興統括局長ダレス・オルモだった。
五十代。
灰色の髪。
痩せた頬。
災害後に設置された復興統括局の責任者として、住民帰還、支援物資の分配、都市再建を指揮してきた人物である。
ダレスは、ジェレミーへ深く頭を下げた。
「再度のご来訪に、惑星政府を代表して感謝申し上げます」
「予定通り確認する」
「必要な記録は、すべて用意しております」
ダレスは、副長と各班責任者へ順番に挨拶した。
最後にエルへ向き直る。
「エル殿も、長旅お疲れさまでございました」
態度に失礼はない。
声も穏やかだった。
近づきすぎない。
触れようとしない。
事前文書に記載された注意事項を、正確に守っている。
ダレスはエルを警戒していた。
能力が分からない。
危険性も分からない。
それでも、監理局が一人の魔力生命体を異様なほど慎重に扱っていることだけは理解していた。
刺激するべきではない。
無礼を見せれば、少なくとも重大な外交問題になる。
だが。
尊重しているわけではなかった。
人間の形をしている。
言葉も話す。
監理局では、構成員として扱われているらしい。
それでもダレスにとって、エルは監理局が管理する用途不明の特殊個体だった。
その認識を、彼は完璧な礼儀の下へ隠していた。
「追加の配慮事項はございますか」
ダレスは、エルではなくジェレミーへ尋ねた。
「事前文書の通りだ」
「視察中、こちらから質問を行う場合は」
「本人に聞け」
ダレスの目が僅かに動く。
「本人、ですか」
「そう言った」
「承知いたしました」
すぐに頭を下げる。
表情は崩さなかった。
◇
最初の確認地点は、第一帰還居住区だった。
災害によって住居を失った人間のために建設された、新しい集合住宅群。
広場では子供たちが遊び、共同食堂から温かな匂いが流れている。
政府の提出記録では、予定入居率九十四パーセント。
復興統括局の説明にも、表面上の不自然さはなかった。
情報班が住民記録を照合する。
医療班は診療所の利用状況を確認。
技術班は水、電力、生活設備の稼働量を測定していた。
エルは、居住棟に並ぶ窓を見上げた。
「ここ、少ない」
外務班職員が尋ねる。
「何が少ないのですか」
「帰ってきた人間」
ダレスが答えた。
「予定帰還者の九割以上が入居しております」
エルは窓を見たまま、首を傾げる。
「でも、少ない」
副長が情報班へ言った。
「名簿とは別系統で、実居住数を再計算してください」
「承知しました」
ダレスが口を挟む。
「住民登録記録は、既に提出しております」
「登録人数を疑っているとは言っていません」
副長は端末を見たまま答えた。
「確認です」
水使用量。
電力消費。
食料配給量。
廃棄物量。
診療所の利用数。
住民登録とは独立した記録から、実際に生活している人数を推定する。
三分後。
情報班職員が報告した。
「登録人数に対し、実居住推定は八十三パーセントです」
ダレスの部下が答える。
「職場宿舎へ一時移動している住民が含まれています」
「該当者一覧を提出してください」
「後ほど――」
「今、お願いします」
副長の声は穏やかだった。
ダレスは端末を操作し、記録を提出した。
エルの一言だけで判断したわけではない。
独立した記録から、差異が確認された。
それでもダレスには。
魔力生命体の曖昧な発言によって、監査項目が増やされたように見えた。
◇
次は、復興記念医療棟だった。
医療設備は正常。
供与された医薬品の在庫も、提出記録と一致している。
視察は問題なく進んでいた。
医療棟を出る直前。
エルが廊下に掲示された、長い名簿の前で止まった。
災害後、死亡を確認された人間たちの名前。
黒い板の上へ、白い文字が並んでいる。
エルは、しばらくそれを見ていた。
「名前、足りない」
ダレスが振り返る。
「確認された死亡者は、全員記載されています」
エルは名簿から目を離さない。
「呼んでる人の名前、ない」
情報班主任が端末を開いた。
「災害時の未照合者記録を再抽出します」
ダレスは抑えた声で言った。
「死亡者照合は完了しております」
ジェレミーが答える。
「確認するだけだ」
情報班は、災害時の救難信号、避難所受付、搬送記録、死亡確認記録を再照合した。
結果。
二十九名分の救難発信者が、死亡者名簿にも帰還者名簿にも存在していなかった。
「未処理の行方不明者を確認しました」
情報班主任が報告する。
エルが名簿を見上げる。
「名前、どこにしたの」
ダレスは一瞬だけ黙った。
「災害時の混乱による記録不備でしょう」
「どこ?」
「現在、情報班が確認しております」
エルは、それ以上聞かなかった。
ダレスもエルを見なかった。
一度目。
エルが少ないと言った。
監理局が独立記録を確認し、数字の不一致を発見した。
二度目。
エルが名前が足りないと言った。
監理局が原記録を照合し、未処理の行方不明者を発見した。
ダレスの中で。
エルの言葉と、その後に起きる監理局の行動が、少しずつ一つのものへ結びつき始めていた。
◇
三つ目の視察地点は、旧第三区画だった。
半年前、地盤沈下によって甚大な被害を受けた地域。
地上部分は再建され、新しい市場が開かれている。
石畳。
仮設店舗。
復興資材で建てられた住宅。
人間が歩き。
商人が声を上げ。
子供たちが走っている。
ダレスが説明していた。
「第三区画の帰還率は八十八パーセント。商業設備の稼働率は七十二パーセントまで――」
エルが止まった。
市場の中央。
足元の石畳を見ている。
副長の端末が、低い警告音を発した。
願望呼応反応。
エルの胸元で。
硝子の星飾りが、小さく揺れていた。
風ではない。
エルがしゃがみ込む。
石畳へは触れない。
その下へ耳を澄ませるように、僅かに首を傾げた。
「エル」
ジェレミーが呼ぶ。
「下」
「何がある」
「人間」
エルは石畳の奥を見たまま言った。
「帰りたいって言ってる」
ジェレミーは即座に通信を開いた。
「復興視察を中止する。緊急確認へ移行」
命令が続く。
「情報班、惑星行政記録の更新権限を監査下へ置け。技術班、地下構造を広域走査。医療班、出動準備。戦闘班は軌道待機から降下。副長、上位委員会へ介入予告」
「了解しました」
全員が動いた。
エルの言葉だけではない。
既に実居住人数の差異がある。
未処理の行方不明者もいる。
願望呼応反応が、それらと同じ区画で発生した。
緊急確認へ移行するには十分だった。
情報班が、行政記録の削除、更新、権限変更を凍結する。
技術班が地中探査機を展開。
医療班は救助装備へ切り替えた。
軌道上から戦闘班の降下艇が発進する。
その時。
ダレスは袖口の通信端末へ触れた。
「第四安全規程へ移行。現地職員は所定位置で待機せよ」
政府職員への通常指示に聞こえた。
通信は短く。
復興統括局内部の回線へ送られた。
その直後。
情報班が行政網を監査下へ置く。
以後の命令送信は、すべて遮断された。
副長はダレスの動きを記録したが、その場で彼を拘束する根拠はまだなかった。
ダレスが前へ出る。
「局長。特殊個体の感覚だけで、惑星行政へ介入されるおつもりですか」
ジェレミーが彼を見る。
「違う」
短く答える。
「既に複数の記録不整合がある。エルの反応は追加情報だ。判断したのは監理局だ」
技術班長が報告する。
「地下八百四十メートル。提出図面にない空洞を確認」
ダレスの部下が答える。
「旧輸送坑です」
「生命維持設備が稼働しています」
「地熱観測施設でしょう」
「呼吸に伴う二酸化炭素変動を検出」
画面が拡大される。
「生体反応、三百八十七」
市場から音が消えたように感じられた。
「うち、小児相当四十六」
ダレスの背後で、政府職員の一人が顔を伏せる。
ジェレミーが命じた。
「地下施設を緊急保護対象へ指定」
ダレスが反論する。
「汚染隔離施設です」
医療班主任が端末を見る。
「周辺汚染値は基準以下です」
「内部には残留汚染の可能性がある」
「医療班が判断します」
「惑星政府の管理施設です」
「今は監理局の緊急保護対象だ」
ジェレミーは副長を見る。
「復興統括局の現地指揮権を停止」
「了解しました」
監理班職員がダレスを囲む。
情報班が行政網の指令系統を切り替えた。
ダレスの端末へ、赤い表示が出る。
緊急介入により権限停止。
それ以上の問答はなかった。
戦闘班が地下への進入経路を確保。
技術班が隔壁の解錠を開始。
医療班が大気と魔力汚染を測定しながら先行する。
事後処理班は市場の住民を退避させ、地上構造を保全する。
エルは、自分から進入口を離れた。
人間たちの救助が始まったから。
ジェレミーが言う。
「エル。聞くだけにしろ」
「うん」
「魔法は使うな」
「分かった」
◇
地下施設への進入は、開始から四分で成功した。
第一隔壁。
第二隔壁。
いずれも復興統括局独自の認証装置によって封鎖されていた。
内部にいたのは、灰色の作業着を着た人間たちだった。
痩せた身体。
番号だけが記された識別帯。
監理局職員を見ると、多くが後退した。
「惑星監理局です」
医療班職員が両手を見える位置へ上げる。
「救助に来ました」
誰も近づかなかった。
奥から、年老いた女性が出てきた。
「前にも、そう言われた」
「誰にですか」
「地上へ帰すって」
女性は、監理局の紋章を見る。
「でも、作業区画へ連れていかれた」
「今回は、監理局が直接地上へお連れします」
女性はすぐには信じなかった。
制服。
医療器具。
救助用転送標識。
半年前に見た監理局の紋章。
一つずつ確認する。
やがて。
奥で誰かが泣き始めた。
地上のエルが顔を上げる。
「近くなった」
副長が確認する。
「願いがですか」
「うん」
情報班へ記録される。
地下には既に人間がいる。
監理局は現場と観測に基づき、救助を継続した。
◇
情報班は十五分で、地下施設の記録を掘り起こした。
無登録の鉱山労働者。
債務によって移動を制限された家族。
出生届を受理されなかった子供。
行政記録に存在しない居住区。
災害発生時。
地下から救難信号が送られていた。
だが、当時の鉱業管理部門は、その座標を監理局へ渡さなかった。
違法労働区画の存在が発覚することを恐れたためだった。
住民たちは、自力で地下避難区画へ逃げて生き残った。
災害終息後。
復興統括局は彼らを救助しなかった。
地上はまだ危険だと偽り。
外部への連絡を禁じ。
監理局から供与された食料と医薬品を最低限だけ配給し。
復興作業へ投入した。
地上の家族には、全員死亡と通知した。
さらに。
住民登録。
家族関係。
出生記録。
就労記録。
医療記録。
災害時の救難信号。
存在を裏づける記録が、複数の行政網から意図的に削除されていた。
死亡したことにされた者すら、死亡者名簿には載せられていない。
生きている者としても。
死んだ者としても。
記録されていなかった。
情報班主任が報告する。
「組織的な記録抹消を確認。責任者二十六名を特定しました」
エルが、情報班の画面を見る。
並んでいるのは、削除履歴だった。
人間の名前。
一つずつ。
消去済みと表示されている。
「名前、消したの?」
情報班主任が答えた。
「はい。行政記録から意図的に削除されています」
エルはダレスを見る。
「名前、どこにしたの」
ダレスは数秒だけ黙った。
「行政上、存在しない者として処理しただけです」
市場の空気が、僅かに変わった。
風は止まらない。
光も消えない。
大きな魔力反応もない。
ただ。
ダレスの胸元にある識別証から。
復興統括局長という役職表示が、一瞬だけ消えた。
名前は残っている。
ダレス・オルモ。
それだけが、白い表示欄へ残された。
数秒後。
役職名は元へ戻った。
警告は出ない。
端末異常も記録されない。
副長が、エルを見る。
エルはダレスから目を逸らしていなかった。
「存在しない?」
声は小さかった。
ダレスは答えなかった。
ジェレミーが短く命じる。
「証拠を保全。対象二十六名を緊急拘束」
「了解しました」
監理班が惑星各地へ展開する。
救助も止まらない。
◇
地下から、最初の住民が地上へ運び出された。
痩せた老人。
脚を負傷した男。
小さな子供。
副長がエルへ尋ねる。
「まだ反応はありますか」
「ある」
「方向は」
「奥」
副長は地下隊へ指示する。
「最奥部を再走査してください」
返答はすぐに来た。
『閉鎖された小区画を確認。生体反応七』
救助班が経路を変更する。
数分後。
七名全員の生存が確認された。
ダレスは、その様子を見ていた。
あの魔力生命体が何かを言う。
監理局が調べる。
そして、人間が見つかる。
実際には、記録、観測、現場、証言が揃っている。
エルの言葉は情報の一つにすぎない。
だが、ダレスの目には。
人間の行政記録より。
自分の役職より。
魔力生命体の短い言葉が重く扱われているように見えた。
自分の権限が失われた理由を。
自分たちの行為ではなく。
エルの存在へ押しつけていた。
その時。
技術班の端末が、鋭い警告音を発した。
「地盤支持部に機械式爆薬を確認!」
別の職員が、地下制御記録を解析する。
「自動証拠隠滅処理が進行中!」
ジェレミーが問う。
「起動時刻は」
「十二分前です!」
副長がダレスを見る。
旧第三区画で。
エルが地下を指し示し。
監理局が緊急確認へ移行した直後。
ダレスが送った、第四安全規程。
あの短い指示が起動命令だった。
情報班が行政網を凍結する、僅か数秒前。
一度起動した後は、地下の独立した機械系統で進行するよう設計されていた。
遠隔停止はできない。
副長がダレスの両腕を拘束する。
「最初から、埋めるつもりでしたか」
ダレスは答えなかった。
ジェレミーは既に地下へ命令を出している。
「救助班は前進。生存者を最短経路へ集めろ。戦闘班は爆薬を切り離せ。技術班、遅延処理。軌道医療艦は転送範囲を最大化」
誰もダレスへ説明を求めない。
救助が最優先だった。
起爆まで八十六秒。
地下では、職員たちが走っている。
負傷者。
子供。
歩けない人間。
全員を運び出すには、時間が足りない。
それでも誰も諦めない。
一人でも多く。
一秒でも早く。
エルは、地下進入口を見ていた。
硝子の星が激しく揺れる。
願望呼応値が、計測上限を越えた。
帰りたい。
助けて。
子供だけでも。
空を見たい。
死にたくない。
願いが重なる。
それでもエルは、まだ動かなかった。
戦闘班が爆薬を解体している。
技術班が起爆を遅らせている。
医療班が人間を運んでいる。
監理局が、間に合わせようとしている。
ダレスは拘束されたまま、その姿を見た。
そして笑った。
乾いた。
壊れた声だった。
「また、それか」
副長が拘束具を締める。
「黙りなさい」
「そいつが何か言えば、貴様らは全部動かす」
ジェレミーの視線が向く。
ダレスは叫んだ。
「人数を数え直せ!」
「名簿を調べ直せ!」
「地下を掘れ!」
「奥を探せ!」
一つずつ。
エルの発言と、その後の監理局の行動を挙げる。
「その個体の曖昧な反応一つで、半年の復興を潰すのか!」
副長の声が低くなる。
「記録、観測、証言、物的証拠に基づく介入です」
「黙れ!」
ダレスはエルを睨んだ。
今まで隠していたものが、初めて顔へ出ていた。
侮蔑。
嫌悪。
恐怖。
地下から、小さな子供が運び出される。
酸素吸入器。
閉じた目。
細い腕。
ダレスは、その子供を見た。
「無登録者だ!」
「帰還計画にも、人口統計にも含まれていない!」
「名前も記録もない人間を、今さら地上へ出して誰が責任を持つ!」
ジェレミーが一歩、ダレスとの間へ入る。
「黙れ」
命令だった。
ダレスは止まらなかった。
「魔力生命体ごときの戯言で、助ける価値もない、存在しない人間に、どれだけ資源を使うつもりだ!」
エルの胸元で。
硝子の星が止まった。
願望呼応警告が消える。
数値が下がったのではない。
測定機器が、何を基準としてエルを測っていたのかを失った。
エルが、ゆっくり振り返った。
◇
怒っているようには見えなかった。
眉は動かない。
口元も変わらない。
拳も握っていない。
ただ。
ダレスを見ている。
その視線を受けた瞬間。
ダレスの識別証から、役職名が消えた。
復興統括局長。
その文字だけがなくなった。
名前は残る。
ダレス・オルモ。
人間の身体も。
記憶も。
名前も失われていない。
人間が人間へ与えた肩書きだけが。
エルの前で、何かを決める力を失っていた。
周囲の端末に表示されている情報は消えていない。
救助指示も。
班の配置も。
地下構造図も正常に動いている。
それでも。
局長。
班長。
管理官。
責任者。
そこに記された役職は今。
世界を支配する称号には見えなかった。
一人ずつの名前だけが。
異様な重さを持って残っていた。
ダレスが拘束された身体を捩る。
エルから離れようと、石畳を蹴る。
距離は変わらなかった。
指一本分も。
どこへ逃げようとしても。
そこはエルの前だった。
軌道上の星図が乱れる。
都市の測量網。
惑星の自転観測。
地下構造図。
すべての座標表示が、一斉に基準点を失った。
代わりに。
市場へ立つ小さな少女の位置が。
あらゆる画面の中央へ表示される。
惑星が動いたわけではない。
エルが大きくなったわけでもない。
ただ。
人間が中心だと決めていた測り方が。
仮のものとして外されただけだった。
起爆装置の表示は動いている。
五十八秒。
五十七秒。
五十六秒。
数字は減る。
だが。
爆発という出来事までの距離は、一秒も縮まらない。
時間は進んでいる。
機械も動いている。
それでも。
その結果だけが。
エルのいる現在へ近づくことを許されていなかった。
ダレスの呼吸が乱れる。
彼は監理局職員へ向けて叫んだ。
「たかが魔力生命体程度が何を偉そうに…!!」
誰も答えない。
救助班は地下を走る。
技術班は起爆装置へ介入する。
監理班は各地の関係者を拘束している。
監理局は任務を続けている。
「下等な…人間以下の生き物が!その小娘に命令しろ!今すぐ黙れとッッ!!」
ダレスが叫ぶ。
「我々の星の復興だ!!」
エルが一歩、進んだ。
「この…ッ!魔力で湧いてくるだけの虫けらのような小娘に…!こんな……!!」
距離は縮まらない。
「今すぐに止まれ!止まれッ!!私たちの前から……消えろ!!!」
最初から。
ダレスのいる場所が、エルの前だった。
人間の作った役職も。
行政区域も。
惑星という大きささえも。
彼女との間へ置けるものではなかった。
名前を存在そのものとして知るものが。
人間の言葉を使って。
人間を見た。
「人間、あたしに命令するな」
声は小さかった。
怒鳴ってはいない。
それでも。
惑星上のすべての音が。
その言葉の後ろへ下がった。
警報。
救助通信。
軌道艦の駆動音。
地殻を流れる魔力。
人間の呼吸。
何も消えていない。
ただ。
エルの声より先に出ることをやめていた。
ダレスの口が開く。
言葉は出た。
それでも。
彼の命令がエルへ届くための距離は、この世界に存在しなかった。
エルが、地下から運び出される人々を見る。
番号だけが記された識別帯。
名前を奪われた人間。
存在しないものとして処理された人間。
「名前を消した」
ダレスが震えながら答える。
「記録上の処理だ……!」
「いなかったことにした」
「行政上、存在しない者だ!」
エルは、地上へ運び出された子供を見る。
細い胸が上下している。
生きている。
エルが言った。
「いるよ」
それだけだった。
目の前に。
三百八十七人の人間がいる。
ダレスが作った記録よりも。
彼の決めた行政処理よりも。
その事実の方が先に存在していた。
「名前はその人間のもの、大切な証」
エルは、ダレスへ視線を戻す。
「人間が、勝手に人間を消すな」
起爆装置の表示が零へ近づく。
五。
四。
三。
戦闘班が最後の爆薬へ到達する。
技術班が信号を切断する。
二。
一。
撃針が落ちる。
火花が生まれる。
起爆薬へ触れる。
爆発は起きなかった。
不発ではない。
故障でもない。
火薬も。
装置も。
物理法則も正常だった。
ただ。
三百八十七人を殺すという結果だけが。
エルのいる世界へ到達できなかった。
地下では亀裂が走る。
岩盤が軋む。
崩落が始まろうとする。
それでも。
救助経路へ岩石は落ちてこない。
砕けた石は存在する。
重さもある。
落下も始まっている。
だが。
人間のいる場所へ届くという結果だけがない。
技術班の補強装置が展開される。
戦闘班が経路を確保する。
医療班が担架を運ぶ。
エルが救助を終わらせるのではない。
監理局の職員たちが。
自分たちの手で。
一人ずつ助けていく。
ダレスは、それを見ていた。
自分が消した名前を持つ人間たちが。
地上へ帰ってくる。
「存在しない者だ……」
掠れた声だった。
「助ける価値など……」
エルの黄金色の瞳が、僅かに細くなる。
「幸せの邪魔するなら、消えて」
光はなかった。
音もなかった。
術式も。
魔力反応も。
転移痕も。
何一つ観測されなかった。
ダレスがいなくなった。
監理班の拘束具だけが、石畳へ落ちる。
同時刻。
軌道上の監理局艦。
最上位独立封鎖区画。
空だった隔離房の中に、ダレスが現れた。
地面へ伏せさせられていた姿勢のまま。
外傷なし。
記憶欠損なし。
精神干渉なし。
衣服以外の所持品なし。
名前も。
肉体も。
記憶も残されている。
エルは、ダレスの存在を否定しなかった。
ただ。
人間の帰還を妨げられる場所から。
彼を消した。
残る二十五名は。
惑星各地へ派遣されていた監理班によって、一人ずつ拘束された。
政府庁舎。
企業本部。
星間港。
移動車両。
逃走を試みた者。
証拠を消そうとした者。
すべて監理局職員が確保した。
誰を拘束するかを決めたのは、エルではない。
情報班が確認した記録。
監理班の判断。
ジェレミーの命令。
監理局という組織だった。
◇
最後の一人が地上へ運び出された時。
惑星上の観測装置が、再び通常の座標を示し始めた。
都市の中心。
惑星の自転軸。
恒星との距離。
標準時刻。
人間が使っていた基準が、一つずつ戻っていく。
ダレスの識別証にも、役職名が戻った。
ただし。
それが再び彼へ権限を与えることはなかった。
エルは、市場の中央に立っている。
小さな身体。
白い髪。
淡い桃色の毛先。
胸元の硝子の星。
監理局職員でさえ。
すぐには声をかけられなかった。
ジェレミーだけが歩いた。
一歩ずつ。
エルの前まで。
「エル」
白い髪が僅かに動く。
「ジェレミー」
声はまだ遠かった。
「全員、出た」
エルが救助区域を見る。
医療班が動いている。
意識のない人間。
泣く子供。
家族の手を握る老人。
誰も魔法で笑わされてはいない。
苦しみも。
恐怖も。
怒りも残っている。
それでも、生きている。
ジェレミーが言った。
「ここから先は、監理局が引き受ける」
エルは彼を見る。
「ダレスは?」
「封鎖区画で生存を確認した」
「名前、ある?」
「ある」
「ほかの人間は?」
「二十五名全員を拘束した」
「消された名前は?」
「戻す」
「全部?」
「一人ずつ確認する」
エルは、しばらくジェレミーを見ていた。
ジェレミーは手を伸ばさない。
触れようともしない。
ただ、そこに立っている。
「エル。戻れ」
短い命令だった。
エルは一度だけ瞬きをした。
「うん」
その一言で。
最後に残っていた異常が消えた。
市場は、ただの市場へ戻る。
建物は本来の高さを取り戻す。
惑星は、再び人間が測れる大きさへ収まる。
エルは、小さな少女に見えた。
白い髪。
桃色の毛先。
身長百三十九センチ。
胸元の硝子の星。
それでも。
その場にいた者は。
もう誰も。
その小ささを。
弱さとは思わなかった。
◇
地下施設から、三百八十七名全員が救出された。
重症者、四十一名。
生命危機、七名。
児童四十六名。
死亡者は出なかった。
復興統括局の指揮権は全面停止。
惑星政府中枢と上位委員会による合同監査が開始された。
地下労働区画の存在。
災害時の救難信号遮断。
住民記録の削除。
家族関係の抹消。
出生記録の破棄。
復興支援物資の流用。
強制労働。
医療制限。
証拠隠滅を目的とした自動爆破処理。
すべてが記録された。
ダレスを含む二十六名は、正式な拘束処理を経て、上位委員会の特別法廷へ送致された。
復興統括局に所属していた者全員が、同じ処分を受けたわけではない。
地下住民の存在を知らなかった者。
命令へ反対していた者。
食料や医薬品を増やしていた者。
救難信号を外部へ残そうとしていた者。
一人ずつ。
情報班が記録を照合し。
監理班が事情を確認し。
責任を分けた。
エルの怒りで、人間の処遇を決めたのではない。
監理局は。
記録。
証言。
物的証拠。
実際に行われた行為。
それらによって判断した。
◇
復旧された住民台帳には。
三百八十七人分の名前が戻された。
出生記録を持たなかった子供には。
本人と家族が望んだ名前が、正式に登録された。
死亡したことにされていた者は、生存者として訂正された。
家族関係も。
医療記録も。
就労履歴も。
一つずつ戻された。
復興記念碑の碑文も改められた。
抽象的な言葉だけではなく。
災害で死亡した者。
行方不明となった者。
地下から救出された者。
確認できたすべての名前が刻まれた。
後日。
監理局が最終確認に訪れた時。
エルは、新しい記念碑の前へ立った。
長い名前の列。
エルは指先で触れずに。
一つずつ目で追っていく。
最後まで確認してから。
小さく言った。
「いる」
それだけだった。
◇
惑星政府側に残された映像には。
エルの姿しか映っていなかった。
小さな少女。
声も正常。
人間の言葉。
魔力反応なし。
術式反応なし。
空間転移反応なし。
だが。
彼女が発話する直前。
惑星上のすべての計測機器が、一時的に基準点を失っていた。
何を中心に距離を測るのか。
何を現在時刻とするのか。
何を座標として記録するのか。
人間が作った役職も。
行政区分も。
惑星という大きささえも。
彼女との間を隔てるものではなくなっていた。
惑星政府は、詳細な説明を求めた。
監理局は応じなかった。
公開報告へ記されたのは。
未報告の要救助者三百八十七名を確認したこと。
監理局が緊急介入を実施したこと。
全員を救助したこと。
大量殺害未遂に関与した二十六名を拘束したこと。
それだけだった。
エルの名前すら、報告にはなかった。
現場にいた人間たちは。
最後まで、エルが何者なのかを知らなかった。
ただ。
人間の名前を記録から消し。
人間を存在しなかったものとして扱った男へ。
名前を存在そのものとして知るものが。
人間の言葉で。
「人間、あたしに命令するな」
そう告げたこと。
そして。
人間をいなかったことにした者へ。
「幸せの邪魔するなら、消えて」
そう宣告しながらも。
その男の名前も。
命も。
存在も奪わなかったことだけを。
誰も忘れなかった。




