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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち【旧版】  作者: 硝子玉の宇宙
箱庭の娘たち

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第117話-旧世代発話緊急時案

ギャグエピソードです!

――石はごみじゃない


惑星監理局、生活区画。


最初に異常を聞いたのは、廊下を巡回していた監理班職員だった。


第四保管室の前を通り過ぎようとした、その時。


閉じた扉の向こうから、聞き慣れない声が響いた。


「Redonu ilin tuj! Ili ne estas rubaĵoj! Ne kuraĝu nomi ilin rubaĵoj――!」


高い声。


ものすごい速度。


一切淀まず、息継ぎすらほとんどない長い発話。


そして、明らかな怒り。


巡回職員の足が止まった。


顔から表情が消える。


言葉の意味は、まだ取っていない。


けれど、誰が喋っているのかは分かる。


エル。


普段使っている人間の言葉ではない。


エルが旧世代として本来使用していた言葉だった。


職員は扉へ近づかなかった。


視線も向けすぎない。


呼びかけることも、内部を確認することもせず、携帯端末の緊急報告欄を開いた。


音声通信ではない。


振動も通知音も発生させない、監理班専用の無音回線。


生活区画第四保管室。

エルさんの旧世代発話を確認。

感情状態、強い怒り。

発話継続中。

室内状況、不明。


送信から三秒も経たず、返答が届いた。


その場を維持。


続けて、指示が追加される。


扉への接触禁止。

呼びかけ禁止。

能動走査禁止。

発話翻訳停止。

記録照合停止。

エルさんに関知される可能性のある行動を全面停止。


巡回職員は、了承の一文字だけを返した。


それ以上は何もしない。


監理局は、旧世代の言葉を翻訳できないわけではなかった。


過去に蓄積された発話記録。


エル本人の協力によって作られた語彙対応表。


構文解析。


概念密度の分解。


人間の言葉へ置き換えるための補助系統。


完全な翻訳には至らなくても、発話内容を短時間で把握する手段は存在する。


だが、旧世代の言葉は単なる音声ではない。


エルの本質と近い言葉である。


監理局の翻訳設備は、音を拾って単語を置き換えるだけではない。


発話に含まれる概念へ接触し、その構造を解析する。


エルが、その接触を感知する可能性があった。


見られた。


調べられた。


意味へ触れられた。


そう認識させるだけで、現在の怒りの対象が変化するかもしれない。


だから監理局は、翻訳できるからこそ翻訳しなかった。


何も見ない。


何も聞き返さない。


何も働きかけない。


怒っているエルの前で、完全な無反応を作る。


ただし。


その静止の裏側では、緊急対応が恐ろしい速度で進んでいた。


第四保管室の周辺では、何も変わらない。


照明も通常のまま。


警報も鳴らない。


近くの隔壁も動かさない。


エルのいる部屋へ接続された設備には、一切の遠隔命令を送らない。


その代わり、三つ先の通路から人員の流れを変更。


生活区画への新規進入を停止。


周辺職員を、理由を伏せたまま別経路へ誘導。


医療班、技術班、魔術制御班、精神保護室、戦闘班へ最高優先度の無音招集。


非常時転移座標を生活区画外へ再設定。


周辺宙域の監視密度を引き上げる。


上位委員会への緊急連絡回線を仮開放。


局長ジェレミー・クリエットへ直通報告。


副長による現場統括開始。


すべてが動いていた。


だが、第四保管室の前だけは静かだった。


誰も近づかない。


誰も扉を叩かない。


誰も意味を読まない。


誰もエルへ触れない。


室内から、再び声が響く。


「Ŝtonoj ne devas moviĝi! Tio estas normala por ŝtonoj! Ĉu vi forĵetos la plankon ĉar ĝi ne promenas!? Ĉu vi forĵetos la murojn!?」


先ほどよりも声が大きい。


怒りは収まっていない。


巡回職員は、自分が直接認識できる情報だけを無音回線へ送る。


発話継続。

声量上昇。

破壊音なし。

泣き声なし。

第三者の声なし。


数秒後、魔術制御班から報告が届く。


施設基幹観測値に異常なし。


室内を調べた結果ではない。


監理局全体に常時存在する、通常運用の観測値を確認しただけである。


空間。


時間。


重力。


熱。


魔力循環。


生命反応。


硝子玉の宇宙そのものの安定値。


どれにも、明確な変化はなかった。


それでも、安全とは判断できない。


エルが旧世代の言葉で怒っている。


それも、人間の言葉では足りないほど激しく。


原因は不明。


対象も不明。


室内に第三者がいる反応はない。


ならば、エルは誰に怒っているのか。


何に怒っているのか。


観測できない旧世代由来事象が発生している可能性。


エル自身の真名に関わる異常を認識している可能性。


硝子玉の宇宙そのものへ怒りを向けている可能性。


どれも、監理局にとっては宇宙規模の緊急事態だった。


巡回職員の端末へ、副長から指示が届く。


局長へ報告済み。


室内側から明確な接触があるまで静止を継続。


翻訳系統は起動しない。


状況が変化しても、独断でエルさんへ働きかけないこと。


職員が了承を返した、その時。


離れた廊下から、小さな足音が聞こえた。


軽い。


速い。


そして、この状況にはまるで似合わないほど楽しそうだった。


「ちょっと通してー!」


待機中の職員たちが一斉に振り向く。


ピンク色のツインおさげ。


厚い上着。


頭上に浮かぶデバイス。


ロジーだった。


しかも、にやにやしている。


情報班職員が進路を塞ぐ。


「ロジーさん。現在、この先は最高度緊急対応区域です」


「知ってる!」


「では、下がってください。エルさんへの接触、観測、翻訳を含む全行動が停止されています」


「それも知ってる!」


「なら、なぜ来たんですか」


「何に怒ってるか分かってるから!」


周囲の職員の表情が変わった。


魔術制御班主任が尋ねる。


「発話を解析したのですか」


「してないよ」


ロジーは頭上のデバイスを指さした。


「監理局の翻訳系統には触ってない。聞こえたから分かっただけ」


「旧世代の言葉を?」


「エルが喋る言葉なら、今までいっぱい記録してるからね!」


ロジーは胸を張った。


翻訳設備のように、発話の概念へ接触したわけではない。


人間が知っている言語を聞き取るように、ロジー自身が意味を理解しただけだった。


魔術制御班主任は、なおも表情を緩めない。


「それで、危険性は」


ロジーは第四保管室の扉を見た。


中から、まだエルの怒声が響いている。


「危険性……」


少し考える。


さらに口元が緩む。


「エルの機嫌については、かなり危険」


「宇宙への影響を聞いています」


「ないない。たぶん全然ない」


職員たちの間に、わずかな動揺が走った。


「何に怒っているんですか」


「それはね」


ロジーはデバイスを操作した。


情報班職員が止めるより早かった。


第四保管室の扉の横に、大きなホログラムが展開される。


監理局が、エルに関知される可能性を考慮して停止していた字幕表示。


それを、事情を知っているロジーが勝手に始めた。


「ロジーさん!」


「大丈夫だって!」


室内から響く旧世代の言葉に合わせて、ホログラムへ人間の言葉が表示される。


「Redonu ilin tuj! Ili ne estas rubaĵoj! Ne kuraĝu nomi ilin rubaĵoj――!」


『今すぐ返して!

あれはごみじゃない!

あれをごみって呼ばないで!!』


職員たちは黙った。


エルの発話は続く。


「Ŝtonoj ne devas moviĝi! Tio estas normala por ŝtonoj!」


『石は動かなくていいの!

石が動かないのは普通なの!!』


巡回職員が瞬きをした。


魔術制御班主任が、ゆっくりロジーを見る。


ロジーは口元を押さえた。


肩が震えている。


「Ĉu vi forĵetos la plankon ĉar ĝi ne promenas!? Ĉu vi forĵetos la murojn!?」


『動かないものを捨てるなら、床も捨てるの!?

壁も捨てるの!?』


待機していた戦闘班員が、静かに顔を背けた。


生活班職員が唇を強く結ぶ。


まだ笑ってはいけない。


状況の全容は分かっていない。


エルは本気で怒っている。


そして、ロジーは許可なく字幕を表示している。


だが。


少なくとも、エルが宇宙そのものへ怒っているわけではないらしい。


副長からロジーのデバイスへ文字通信が届く。


状況を説明してください。


ロジーはにやにやしたまま、小声で答えた。


「第四保管室に、エルが昔作った魔法アイテムがあったみたい」


新しい文字が表示される。


種類は。


「自動お片付け箱」


誰も喋らなかった。


ロジーは、頭上のデバイスに届いている別の情報を表示する。


それは監理局が第四保管室へ送り込んだ観測映像ではなかった。


自動お片付け箱が、自身の作業記録として周辺へ垂れ流していた保守用の映像だった。


旧式の魔法アイテムであるため、通信の秘匿処理すらない。


近くにいたロジーのデバイスが、その公開信号を自動受信していた。


ロジーは映像と旧世代の発話内容を見て、緊急事態ではないと判断したのだった。


壁面に室内映像が投影される。


床に座るエル。


白髪の毛先は乱れている。


両手を握りしめ、顔を真っ赤にして、小さな箱へ向かって旧世代の言葉で怒鳴っていた。


箱には、丸い車輪と小さな腕がついている。


正面には笑顔が描かれていた。


その箱が、明るい声で言う。


『動いていない不要物を回収しました! お部屋がきれいで幸せです!』


エルが両手を振り上げた。


「Ili dormis!」


字幕。


『寝てただけ!!』


ロジーが吹き出しかける。


慌てて両手で口を塞ぐ。


映像の中で、自動お片付け箱は得意げに蓋を閉じていた。


箱の中には、たくさんの石が入っている。


丸い石。


平たい石。


透き通った石。


少しだけ光る石。


特に特徴のない灰色の石。


エルが人間の街や、監理局の庭や、外出先で拾ってきた「かわいい石」だった。


『分類不能。使用目的なし。長期間静止。不要物と判断しました!』


「Ĉiu havas malsaman formon! Ĉiu estas bela alimaniere! Vi ne havas okulojn por beleco――!」


『全部、形が違うの!

全部、違うかわいさなの!

おまえには、かわいいを見る目がない!!』


技術班職員が下を向いた。


肩が小刻みに揺れていた。


魔術制御班主任が咳払いをする。


「発話内容は理解しました」


声が少し硬い。


「しかし、旧世代由来の魔法アイテムであれば、安全確認は必要です」


ロジーが頷く。


「それは必要。お片付け判定が雑すぎる」


映像の中で、自動お片付け箱が新たな対象を発見した。


床に置かれていた、エルの丸いクッションだった。


小さな腕が伸びる。


クッションを掴む。


『動いていない柔軟物を検出しました!』


エルの顔色が変わった。


「Ne tuŝu tion」


『それに触らないで』


『使用中の反応なし。不要物と――』


「NE TUŜU MIAN KUSENON――――!!」


廊下全体を震わせる大声。


字幕がホログラムいっぱいに広がった。


『あたしのクッションに触らないで――――!!』


職員たちの身体が反射的に強張った。


施設基幹部で監視していた魔術制御班の画面に、警告が走る。


一瞬だけ。


ほんの一瞬だけ、第四保管室周辺の空間値が揺れた。


自動お片付け箱の腕が止まる。


クッションを静かに床へ戻す。


『重要物として再分類しました!』


エルは涙を目いっぱい溜めたまま、箱を指さした。


「Tro malfrue!」


『遅い!!』


ロジーがついに耐えきれなくなった。


壁へ手をつく。


声を出さないよう歯を食いしばりながら、全身を震わせている。


副長から、新しい指示が届いた。


原因を自動お片付け箱の自律判定不良と暫定特定。


宇宙構造への差し迫った危険なし。


エルさんへの接触禁止を解除。


ただし、入室は本人の許可を得ること。


巡回職員が、ようやく小さく息を吐いた。


周辺区画で待機していた各班も、緊急対応の段階を一つ引き下げる。


ただし、完全解除ではない。


旧世代由来物品が存在する以上、技術班の確認が終わるまでは警戒を継続する。


ロジーが第四保管室の扉へ近づいた。


軽く三回ノックする。


「エルー。入っていい?」


内部の発話が止まった。


少しして、人間の言葉が返ってくる。


「……ロジー?」


「うん」


「箱、止めて」


「いいよ」


「石、全部出して」


「全部出す」


「記録してない?」


ロジーの笑顔が深くなった。


「してる」


扉の向こうが静かになった。


「……消して」


「やだ」


再び、旧世代の言葉が始まった。


「Kial vi ĉiam registras tiajn aferojn!? Estas aliaj gravaj aferoj en la universo――!」


ロジーのデバイスが即座に字幕を表示する。


『どうしてロジーは、いつもこういうことばかり記録するの!?

宇宙には、もっと大事なことがあるでしょ!!』


ロジーは扉へ寄りかかりながら答えた。


「これも大事だよ!」


「Ne estas grave!」


『大事じゃない!!』


「エルが石を大切にしてる記録!」


「Ne nomu ĝin tiel bele!」


『きれいに言い換えないで!!』


待機していた職員たちは、全員黙っていた。


笑ってはいけない。


エルは本気で怒っている。


涙まで溜めている。


自動お片付け箱も、実際に誤作動している。


監理局の初動対応も正しい。


接触を止めたことも。


翻訳を停止したことも。


局長へ報告したことも。


すべて正しかった。


だからこそ、誰も笑ってはいけなかった。


それでも戦闘班員の一人が、耐えきれず壁の方を向いた。


生活班職員は口元を手で隠した。


魔術制御班主任は、基幹観測画面を必要以上に真剣な顔で見つめていた。


情報班職員は、勝手に字幕を表示したロジーを叱るべきか、字幕の誤訳がないか確認するべきかで迷っていた。


ロジーだけが、最初から最後までにやにやしていた。



事件後。


自動お片付け箱は技術班へ回収された。


内部から回収された石は、合計六十八個。


エルは一つ一つを確認しながら、


「これは丸い」


「これは少し平たい」


「これは光に透かすときれい」


「これは普通っぽいところがかわいい」


「これはロジーが蹴りそうになったから助けた」


と説明した。


技術班は、すべての石を別々の管理袋へ入れて返却した。


自動お片付け箱の調査結果も提出された。


物品の移動能力に危険性はない。


空間や精神への干渉もない。


ただし、不要物の判定基準が、


一定時間、自発的に動かなかったもの。


という、どうしようもなく雑な設定になっていた。


しかも、その設定をしたのは昔のエルだった。


技術班職員がその事実を伝えると、エルはしばらく黙った。


それから、箱を見つめて言った。


「昔のあたし、片付けを分かってない」


ロジーが即座に記録した。


エルはまた怒った。


監理局の正式な事案記録には、次のように記された。


事案分類:旧世代由来物品の自律判定不良。

初動対応:適正。

人的被害:なし。

宇宙構造への影響:なし。

回収物:石六十八点、クッション一点。

原因:不要物判定条件の設計不備。

設計者:エル。


特記事項には、次の一文が追加された。


旧世代発話の解析は技術的に可能であるが、本事案では対象への関知を避けるため実施しなかった。


その下には、副長による追記があった。


ロジーによる独断の翻訳字幕表示については、情報班内で指導を実施すること。


さらに、その下。


ロジーによる追記があった。


翻訳字幕付き映像記録あり。永久保存推奨。


追記を発見したエルは、再び旧世代の言葉で怒った。


監理局では、同じ無音初動が即座に開始された。


しかし今回は、ロジーが一秒も待たずに字幕を表示した。


『ロジーの記録を永久保存しないで!!』


緊急対応は、開始から七秒で解除された。



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