最終章 定刻から外れた駅員
キップも戻ってきた。巡回を終えたらしく、すずなの肩に乗った。
「新しい乗客はどうだった」
「そらという子でした。また来ると言っています」
「定刻から外れた人が見える、ということだったな」
「はい」
「管理局へ来る素質がある」
「そうかもしれません」
「採用するつもりか」
「まだそこまでは。ただ、来るたびに話を聞きます。この場所が何かを、少しずつ知ってもらえれば」
「吾輩が来たころを思い出すな」
「どういう意味ですか?」
「吾輩も、最初は規則だけを知っていた。この場所が何かを、時間をかけて知っていった」
「今は知っていますか」
「だいたいは。ただし、まだ整理中の部分もある」
「キップも整理中ですか」
「悪いか」
「悪くありません。整理中でいいと思っています」
「新人も同じことを言っていた」
「言いました」
「お前らは揃いも揃って、整理中だな」
「整理し続けることが、考え続けることなので」
「難しいことを言う」
「最近、セイに言いました」
「セイが何と言った」
「整理が終わることはないかもしれない、と言いました」
「珍しいな、セイが」
「少しずつ、変わってきている気がします」
「そうかもしれない」
キップはしっぽを揺らした。
すずなたちは、しばらくホームにいた。
夜の第七遅延区が続いていた。遠くを、列車が通った。乗り遅れた人たちの列車が、今夜も銀河の縁を走っていた。
ミオが呼んだ。
「ねえ、すずな」
「はい」
「さっき、そらに言ってたこと」
「何を」
「来るべき場所に来た気がする、って言ったそらに、ここにいていい、って言ってた」
「言いました」
「最初に言ったのは、すずなだったね」
「何が、ですか」
「ここにいていい、って。わたしに言ったのは、すずなが最初だった」
すずなは少し考えた。
「明示的には、言っていませんでした」
「でも、伝わってた」
「そうですか」
「うん。言葉にしなくても、伝わることってある。すずなから、ここにいていい、って伝わってた。だから、いることを選んだ」
「そうだったんですか」
「そうだった。だから、そらにちゃんと言ってたの、よかったと思う。ここにいていい、って、言葉にして」
「言えましたか」
「言えてた。最初よりも、言いやすくなってるんじゃないかな、すずなも」
「そうかもしれません。ミオと一緒にいて、学んだことです」
「また言う」
ミオはふふっと笑った。
「お互い様だって言ったじゃん」
「お互い様です」
「じゃあ、ありがとうは言わなくていい」
「言います」
「お互い様ならいらない」
「それでも言います」
「なんで」
「言いたいので」
ミオは少しの間、すずなを見た。それから、小さく笑った。
「じゃあ、わたしも言う。ありがとう、すずな」
「どういたしまして」
「それ、初めて言った」
「そうですか」
「うん。どういたしまして、って。すずながどういたしましてって言うとは思わなかった」
「言ったことがありませんでしたか」
「なかった。いつも、礼は不要です、とか、当然です、とか言うから」
「今日は、言いたかったので」
「なんで」
「ミオがありがとうと言ったから、どういたしまして、と返したかったです」
「それだけ?」
「それだけです」
ミオはまた笑った。今夜で一番、力のある笑い方だった。
「すずな」
「はい」
「遅れてきた未来が、ここで育つといいね」
「遅れてきた未来?」
「そら、のことです。遅れてきた未来、って感じがした。来るべきタイミングに、ちゃんと来た感じ」
「そうですね。遅れても、来ることができる」
「ここがそういう場所だから」
「そうです」
「わたしも、遅れてきた未来だったのかもしれない。消えた未来から来たけど、ちゃんと来た」
「来ました。ここに来ました」
「来てよかった」
「よかったです」
「すずなもそう思う?」
「思います。ミオが来てくれてよかったと、今も思います」
ミオは答えなかった。
代わりに、すずなの隣に少し近づいた。肩が触れる距離で、並んで立った。
ネムが歌っていた。空を泳ぐ魚の歌が、ホームに広がっていた。
キップがすずなの肩の上で、しっぽをゆっくり揺らしていた。
すずなは懐中時計を取り出した。
針が動いていた。
管理局の定刻ではなかった。でも、止まってもいなかった。
ミオの方向、ネムの方向、キップのいる肩の方向、そして今夜そらが来た方向へ。第七遅延区全体を示すように、針は今夜動いていた。
すずなはそれを見た。
見てから、ポケットにしまった。
ノートを開いた。記録を書いた。日付と、時刻と、場所。
それから、今夜のことを書いた。鳴海そらが来たこと、定刻から外れた人が見える少女だったこと、また来ると言ったこと。
書き終えて、一行だけ付け加えた。
──遅れてきた未来が、ここへ来た。いつでも来られる場所が、ここにある。
ノートを閉じた。
ミオが尋ねた。
「書いた?」
「書きました」
「何を書いたの」
「今夜のことです」
「全部?」
「大事なことは、全部」
「わたしとのやり取りも?」
「書きました」
「また恥ずかしいことが記録される」
「大事なことなので」
「大事かなあ」
「大事です。ミオが言ったことは、大事です。覚えておく価値があります」
「だから書くの?」
「残しておくためです。来たことが、なくなってしまわないように」
ミオは少しの間、黙っていた。
「さっき、そらに言ってたことと同じだ」
「同じです。そらに言ったことは、ミオにも当てはまることでした」
「わたしのことも、なくなってしまわないように記録してるの?」
「最初から、そうしています」
「最初から? 貨物車両で見つけたときから?」
「あの夜から、名前を書きました。灯野ミオ、と」
「一番最初の記録」
「はい」
「今も残ってる?」
「残っています」
「見せてもらえる?」
すずなはノートをめくり、あの夜の記録を開いた。
日付と、時刻。七番線貨物車両、調査継続中。
その下に、灯野ミオ、という名前があった。
ミオはそれを見た。
「わたしの名前だ」
「はい」
「一番最初に書いた名前だ」
「そうです」
「消えてない」
「消えていません」
ミオは記録を見ていた。古い記録だったが、字はちゃんと読めた。灯野ミオ、という文字が、そこにあった。
「ありがとう。ちゃんと残してくれて」
「残します。これからも、残します」
「ずっと?」
「ずっと」
「約束?」
「約束します」
ミオはノートから目を上げた。ホームを見て、夜の第七遅延区を見た。
「ここは、変な場所だね」
「そうですね」
「でも、好きだよ」
「わたしも、好きです」
「一番好きなのは?」
すずなは少し考えた。
「ミオがいることです。ミオがここにいるから、ここが好きです」
ミオは何も言わなかった。
でも、少しだけ、すずなの腕に手を重ねた。触れるかどうかの距離ではなく、ちゃんと触れた。
すずなはそのままにした。
ネムの歌が続いていた。キップがしっぽを揺らしていた。ホームの琥珀色の照明が、すずなたちを照らしていた。
遠くを、列車が通った。
銀河の縁を走る列車が、今夜も乗り遅れた人たちを乗せて、走っていた。
その列車が向かう先に、第七遅延区がある。
定刻から外れた駅員と、消えた未来から来た少女たちと、小さな時刻獣が待っている場所が。
遅れても来られる場所が、ある。
それは、管理局の正規記録には載っていない。
でも、すずなのノートには、ちゃんと書いてある。
今夜も、明日も、書き続ける。
それが、定刻から外れた駅員の仕事だから。
すずなの懐中時計は、今日も動いている。
管理局の定刻ではない。
でも、止まってもいない。
すずなたちだけの時刻を、静かに刻んでいる。
銀河の縁を、今夜も列車が走る。
すずなたちが、次の遅延駅へ向かう。
遅れてきた未来が、今日もここに来る。
(了)




