第十六章 銀河鉄道管理局からの逃亡
ハルカからの返答は、予定より早く夕方に来た。
第八遅延区の主任を通じて届いた、短い文書だった。
──第三十二条第七項に基づき、緊急遅延処置を宣言します。対象、灯野ミオおよび十和田ネム。暫定的遅延証明書の発行手続きを開始します。ただし、時刻中枢への登録には、本局の端末へのアクセスが必要です。星見すずな、補助車掌キップ、本局へ向かうこと。鐘ヶ瀬ハルカ。
すずなは文書を二度読んだ。
ハルカは動いた。
「本局へ行く必要があります」
すずなはミオに言った。
「本局って、どこにあるの?」
「銀河鉄道の中央だ。中央列車で行ける。ただし、中央列車は、管理局の主要路線を走る。セイが第八にいる今、中央列車の駅には監視が置かれている可能性がある」
キップが伝えた。
「回避できますか」
「方法によっては」
すずなは考えた。中央列車への乗車、監視の回避、本局への到達。それぞれに問題がある。でも、一つずつ対処できるかもしれない。
「第八の主任に、協力をお願いできますか」
第八の主任は、話を聞いて少しだけ目を細めた。
「本局の端末にアクセスするためですね」
「はい。ハルカ主任が暫定証明書を発行しても、時刻中枢への登録がなければ有効にならない。本局へ行く必要があります」
「中央列車の検札を通る方法が必要ですね」
「はい」
「第八には、中央列車の乗務員と古い付き合いがあります。頼んでみることはできます。ただし、確約はできません」
「お願いします」
主任が連絡を取っている間、すずなはミオとネムに状況を伝えた。
「本局へ行きます。中央列車に乗ります」
「わたしたちも行くの?」
ネムが尋ねた。
「一緒に来てもらいます。ミオとネムをここに置いていくわけにはいきません」
「連れて行ってくれるの?」
ミオが尋ねた。
「はい」
「危なくない?」
「危ないかもしれません。でも、ここにいても、状況は変わりません。動いた方がいい」
ミオは少しだけ考えた。それから頷いた。
「わかった。行く」
「ネムは」
「行く。すずなとミオお姉ちゃんと一緒なら、行く」
主任が戻ってきた。
「乗務員に話を通しました。今夜の中央列車に乗せてもらえます。ただし、検札は通常通り行われます」
「検札を通るためには」
「通常の切符が必要です。ミオさんとネムさんは記録のない存在なので、切符を発行できません」
「方法はありますか」
「一つある。遅延乗客として扱う方法だ。ハルカ主任が緊急遅延処置を宣言した。その対象者として、遅延処理中の乗客という扱いで乗車できる可能性がある」
キップが伝えた。
「規則の根拠は」
「第六条第三項。遅延処理中の乗客は、担当駅員の同行のもと、必要な移動を行うことができる」
「わたしが担当駅員として同行する」
「そうだ。見習い駅員が担当、という点で問題にされる可能性はあるが、規則上は禁止されていない」
「やってみます」
主任が手配してくれた。今夜の中央列車は、第八遅延区の隣の駅から出発する。そこまで移動する必要があった。
「急ぎましょう、出発まで、あまり時間がありません」
すずなが言った。
すずなたちは、第八遅延区を出た。
隣の駅への移動は、徒歩だった。
第八遅延区から徒歩で行ける範囲に、中央路線の小さな駅がある。キップが道を知っていた。夜の銀河の縁を、すずなたちは歩いた。
道は暗く、星の光だけが足元を照らしていた。ネムはミオの手を握って歩いた。すずなはキップの案内に従いながら、周囲を確認した。管理局の人員が来ていないか、監視がいないか。
「誰もいませんか」
すずなは尋ねた。
「今のところは。ただし、油断するな」
キップが注意する。
歩きながら、ミオがすずなの隣に来た。
「すずな」
「はい」
「本局に着いたら、どうするの?」
「時刻中枢へ向かいます。ハルカ主任が発行した暫定証明書を、時刻中枢に登録します。それができれば、ミオとネムの存在が、暫定的に管理局の記録に載ります」
「暫定的に、ってことは」
「セイが承認しなければ、無効になります。でも、登録されている間は、少なくとも処理の対象から外れます」
「時間を稼ぐってこと」
「はい。その間に、セイと正式に話し合います」
「話し合って、どうにかなると思う?」
「わかりません。でも、やってみなければわかりません」
「やってみなければ、という言い方、すずならしいね」
「そうですか」
「うん。失敗するかもしれないけど、やってみる、ってことでしょ」
「そういうことになります」
「好きだよ、そういうとこ」
すずなは答えなかった。答えの代わりに、少しだけ歩調を合わせた。
駅が見えてきた。小さな駅で、照明が一つだけ灯っている。ホームに、中央列車が停まっていた。
現役の路線を走る列車だけあって、廃止路線とは全然違う。黒い車体に、銀色の模様が入っている。窓が大きく、中に乗客の姿が見えた。
「乗りましょう」
すずなは言った。
ホームへ上がった。乗務員が一人、扉のそばに立っていた。第八の主任から連絡を受けていたらしく、すずなたちを見て頷いた。
「遅延処理中の乗客の同行ですね」
「はい。第六条第三項に基づいて」
「確認しました。どうぞ」
乗り込んだ。
中央列車の内部は、管理局の区間列車より広く、座席も多い。乗客がいくつかのグループに分かれて座っていた。すずなたちは端の座席へ向かった。
座ってすぐ、キップが命じた。
「後ろを確認しろ」
すずなはさりげなく後ろを見た。
列車の後方の扉から、制服を着た二人が乗り込んできた。管理局の制服だった。第七の制服ではない。本局所属の制服だ。
「監視です」
すずなは小声で言った。
「気づかれたか」
キップが呟く。
「まだわかりません。ただ、同じ列車に乗りました」
「どうするの?」
ミオが小声で尋ねた。
「このまま乗り続けます。動くと、かえって目立ちます」
「このままで、大丈夫?」
「わかりません。でも、今できることは、普通に見えることです」
列車が動き出した。
中央列車は速かった。廃止路線の静けさとは全然違う、力強い走り方をする。窓の外に銀河が流れた。速度があるせいで、星がより速く流れて見えた。
ネムが窓の外を見た。
「速い」
「中央列車ですから」
「好き」
「窓を見ていていいです」
ネムは窓に顔を近づけた。流れる銀河を、目を輝かせて見ていた。
しばらくして、検札が来た。
乗務員が通路を歩いてきた。すずなは準備していた書類を出した。ハルカが発行した緊急遅延処置の宣言書と、遅延処理中の乗客の同行を示す記録だ。
「確認します」
乗務員はそう言って、書類を見た。
「灯野ミオ、十和田ネム、遅延処理中の乗客として同行」
「はい」
「担当駅員は、見習いですが」
「第六条第三項に禁止規定はありません」
「確認しました」
乗務員は通り過ぎた。
すずなは息を吐いた。
「通った」
ミオが小声で言った。
「はい」
「すずな、すごい」
「規則を読んでいただけです」
「じゅうぶんすごい」
後方の二人が、乗務員と話しているのが見えた。何かを聞いているらしかった。乗務員は首を横に振っているように見えた。
「乗務員が、監視に話しているのを確認したか」
キップが尋ねた。
「見えました」
「先手を打つ必要があるかもしれない」
「どういう意味ですか」
「次の停車駅で降りられる可能性がある。本局まで行くなら、その前に対処する必要がある」
「対処とは」
「車両を移る。監視の視野から外れる」
「車両を移っても、列車の中にいる限り、見つかります」
「時間を稼ぐためだ。本局の駅に着くまでの時間を稼げれば、あとはホームで動ける」
すずなは列車の構造を確認した。中央列車は複数の車両から成っている。前方へ移れば、少しは時間が稼げる。
「移ります」
すずなたちは、荷物を持って前方の車両へ移動した。
車両の連結部を通るとき、外の景色が見えた。銀河が流れる景色が、連結部の小さな窓から見えた。速度があるから、手を伸ばせば届きそうなくらい銀河が近く見えた。
「すごいね」
ネムが言った。
「そうですね」
「流星野の橋より、もっと近い」
「ネムは、その橋からよく銀河を見ていたんですか?」
「お父さんと。夏の夜に。寒くなるまで」
「また見られるといいですね」
「うん、見られると思う」
「なぜですか」
「すずながいるから」
すずなはネムを見た。八歳の外見をした少女が、真剣な顔をして言っていた。
「ありがとうございます」
「お礼を言うのはこっちだよ。ずっと一緒にいてくれてるから」
連結部を抜けて、前方の車両に入った。後方の二人の監視がこちらへ来るより先に、座席を確保した。
しばらくして、列車が減速した。
「停車する。ただし、本局の駅ではない。中間の駅だ」
キップは伝える。
「降りますか」
すずなは確認を取った。
「降りると、陸路を移動することになる。時間がかかる。このまま乗り続ける方がいいが」
停車した駅のホームに、管理局の制服を着た人員が何人かいた。こちらを確認しているように見えた。
「降りなければならないかもしれません」
「どうする」
キップに聞かれ、すずなは考えた。ホームに人員がいる。このまま乗り続ければ、次の停車駅でも同じ状況かもしれない。でも、ここで降りたとしても、本局への移動手段を考える必要がある。
そのとき、列車が動き出した。
停車していた時間が短かった。ホームの人員が何か言っているのが窓から見えたが、列車はそのまま動いた。
「動きました」
ミオが言った。
「乗務員が、出発させてくれたのかもしれない。第八の主任の付き合いが、効いたか」
「助かりました」
列車はまた速度を上げた。銀河が流れ始めた。
後方の車両から、監視の二人が移動してくる気配があった。
「来るぞ」
キップが伝えた。
「わかっています」
「どうする」
「このまま、本局の駅まで行きます。着いてしまえば、ホームで動けます。本局の構造は、第七とは違う。人員が多い分、紛れる隙間もあります」
「本局の構造を知っているか」
「研修資料で読みました」
「役に立つな、研修資料」
「役に立ちます」
後方から二人が来た。こちらの車両の端に立って、すずなたちを確認した。動こうとはしていない。監視しているだけだった。
「怖い」
ミオが小声で言った。
「大丈夫です。まだ、何もしていません」
すずなは言った。
「何かされる前に、どうにかなるの?」
「本局に着けば」
「着かなかったら」
「着きます」
「言い切るんだね」
「着くと思っているので」
ミオはすずなを見た。すずなは前を向いていた。窓の外に銀河が流れる。列車は速く、安定していた。
「すずな」
「はい」
「ありがとう」
「何のためにですか」
「一緒にいてくれて」
「当然です」
「当然じゃないよ。当然にしてくれてるのは、すずなだから」
すずなは答えなかった。
窓の外に、大きな光が見えてきた。建物の光だった。駅の光だった。
「本局の駅だ」
キップが言った。
「着きました」
すずなは安堵したような声で呟く。
列車が減速した。ゆっくりと、でも確実に、本局の駅へ向かっていた。
ホームが見えてきた。本局の駅は大きかった。第七の何倍も広く、複数のホームがある。乗客も駅員も多い。
「降りたらすぐ、人の多い方向へ向かいます。キップ、時刻中枢への道を知っていますか」
「知っている。本局に以前来たことがある」
「案内してください」
「わかった」
列車が止まって、扉が開いた。
後方の二人も動いた。こちらへ向かってくる。
「急ぎます」
すずなたちはホームへ出た。人の流れの中へ入った。大きな駅のホームは、乗客で混んでいた。その中を、キップの指示に従って動いた。
右へ、左へ、通路を抜けて、階段を上がった。本局の建物は大きく、通路が入り組んでいた。
「まだ後ろにいますか」
「離れた。ただし、まだ完全ではない」
「どこへ」
「もう少し、この先だ」
すずなたちは走った。
ネムがついてくる。小さな体で、一生懸命足を動かしていた。ミオがネムの手を引き、すずなはキップの示す方へ駆けた。
長い廊下を抜けた。
扉の前に来た。大きな扉だった。金属製で、本局の章が刻まれている。
「時刻中枢の入口だ」
キップが言った。
「入れますか」
「権限が必要だ。通常は本局職員の権限が必要だが」
「ハルカ主任の宣言書があります」
「試してみろ」
すずなは宣言書を端末にかざした。
扉が、音もなく開いた。
「入ります」
すずなたちは扉を抜けた。
扉が後ろで閉まった。
そこは、広い空間だった。
天井が高く、壁に沿って無数の光が並んでいた。星図のような、時刻表のような、それ以外の何かのような、複雑な光のパターンが、壁全体に広がっていた。
「時刻中枢」
すずなは呟く。
「そうだ、全世界の時刻表が、ここにある」
ミオが、その光を見ていた。無数の光が流れる空間を、広い目で見ていた。
「ここに、みんなの時刻表があるの?」
「はい」
「わたしのも?」
「あるはずです。消滅確認リストに記録されていたので」
「消滅したものも、ここに残ってるんだ」
「記録として、残っているはずです」
ミオは光を見た。どれがどの人の時刻表なのか、すずなには判断できなかった。でも、無数の光の中のどれかが、ミオの時刻表だ。
「端末はどこですか?」
すずなはキップに尋ねた。
「中央だ」
空間の中央に、端末が一台あった。すずなは向かった。
ハルカの宣言書と暫定証明書のデータを呼び出し、入力欄に指を置いた。
そのとき、空間の別の扉が開いた。
すずなは手を止めた。
烏丸セイが入ってきた。
穏やかな顔で、音もなく歩いて、すずなたちの前に立った。
「来ましたね。思ったより早かった」
「入力します」
すずなは伝えた。
「止めません。入力させましょう」
セイに言われ、すずなは手を止めた。
「なぜですか」
「話し合いをするためです」
セイは穏やかに言った。
「登録が完了してから、話しましょう。暫定証明書が登録されても、本局の承認がなければ無効になる。承認するかどうかは、話し合いのあとに決めます」
「話し合いが終わったら、承認しない可能性があります」
「あります」
「それでも、入力させてくれますか」
「あなたたちには、少し時間が必要だと思いました。それだけです」
すずなはセイを見た。穏やかな目が、こちらを見ていた。悪意はない。底が見えない。でも、今は入力させてくれると言っている。
すずなは端末へ向き直り、データを打ち込んだ。ハルカの宣言書、暫定証明書、対象者の情報。
登録完了、という表示が出た。
壁の光の中に、二つの新しい光が加わった。小さな光だったが、確かにあった。
「登録された」
キップが言った。
「ミオとネムの存在が、暫定的に記録されました」
すずなが続けて伝える。
ミオは壁の光を見た。新しく加わった二つの光を探すように、見ていた。
「どれがわたしの?」
「わかりません。でも、あの中にあります」
「ある。ちゃんと、ある」
「はい」
「なくなってない」
「なくなっていません」
ミオは光を見ていた。それから、すずなを見た。
「ありがとう」
「まだ暫定です。セイの承認が必要です」
「でも、ある。今、ある」
「あります。話し合いをしましょう、星見すずなさん」
すずなはセイを向いた。
「はい」
時刻中枢の光が、壁全体に広がっていた。全世界の時刻表が、ここにある。その中に、ミオとネムの光が、今、加わっていた。
話し合いは、ここから始まる。
すずなは一度だけ、ミオを見た。ミオが頷いた。
すずなはセイを見た。
「始めましょう」




