第7話:蹂躙と狂喜の宴
赤茶けた荒野を歩き始めて間もなく、男の周囲に再びおぞましい気配が渦巻き始めた。先ほどの魔法の爆発音と、風に乗って運ばれた血の匂いに引き寄せられたのだろう。先陣を切った数匹の残党どころではない。三十、いや五十匹は下らないであろう異形の魔物の群れが、ひび割れた大地や奇妙な植物の陰から次々と姿を現し、男を完全に包囲していた。
どれも赤黒く爛れた皮膚を持ち、鋭い牙から強酸性の唾液を垂らしている。並の人間であれば、その圧倒的な数と悍ましい姿を前にしただけで発狂し、絶望のままに食い殺されるのを待つしかないような地獄の光景だった。
だが、包囲網の中心に立つ男の顔に、恐怖の色は微塵もなかった。
「ククク……ハハハッ! ちょうどいい、俺の力がどれほどのものか、お前らのその薄汚い命で試させてやる」
男は歪んだ笑みを深めると、両手を高く天へと掲げた。かつて栄光の勇者として名を馳せていた頃の高位の召喚術。その感覚を思い出しながら、男は内なる魔力を一気に解放する。
途端に、男の足元の大地が赤黒い光を放ち、直径十メートルにも及ぶ巨大で複雑な魔法陣が浮かび上がった。淀んだ大気が震え、空間そのものが軋みを上げる。
「出でよ! 灰燼に帰す灼熱の化身、そして万物をすり潰す鋼の剛腕!」
詠唱とともに、魔法陣から天を衝くような炎の柱と、鼓膜を破るほどの地響きが噴き上がった。
炎の中から雄叫びを上げて飛び出してきたのは、全身から高熱の業火を噴き上げる巨大な「双頭の炎獣」である。周囲の空気が一瞬にして乾燥し、奇妙な植物たちが熱線だけで発火していく。
そしてもう一体、大地を割ってせり出してきたのは、全身が黒光りする未知の金属で覆われた「四腕の鋼鉄巨兵」であった。見上げるほど巨大なその姿は、ただそこに存在するだけで圧倒的な質量と暴力の気配を撒き散らしている。
「やれ。一匹残らず挽肉に変えてしまえ」
男の残酷な命令が下された瞬間、一方的な大虐殺が幕を開けた。
双頭の炎獣が大きく息を吸い込み、左右の口から極大の火炎放射を放つ。荒野は瞬く間に火の海と化し、逃げ惑う間もなく炎に飲み込まれた魔物たちが、断末魔の悲鳴を上げながら次々と消し炭になっていく。
生き残った魔物が死に物狂いで飛びかかろうとするが、それを四腕の鋼鉄巨兵が迎え撃つ。丸太のような四本の剛腕が風を切って振り下ろされ、魔物の群れを文字通り地面ごとすり潰していく。強靭な肉体など意味をなさない。グシャリ、バキィッという、骨が砕け肉が弾け飛ぶ湿った音が、心地よい音楽のように男の耳に響き渡った。
だが、男はただ後方で眺めているだけでは満足できなかった。己の内に渦巻く暴力的な衝動が、自らの手で直接命を蹂躙することを渇望していた。
「ははははっ! 足りない、全然足りないぞ! 俺の力はこんなものじゃない!」
男は狂ったように叫びながら、自ら魔物の群れの中心へと跳躍した。かつてのひ弱な彼では絶対に考えられない、常軌を逸した跳躍力とスピードだった。
着地と同時に、迫ってきた魔物の顔面を右の拳で全力で殴りつける。凄まじい破裂音とともに、魔物の頭部はまるで熟れた果実のように弾け飛び、首から上が完全に消失した。
返り血が男の顔や服にべったりと降り注ぐが、男は不快感を示すどころか、その生温かい血の感触にうっとりと目を細め、舌なめずりをした。
「どうした! お前らの牙はその程度か! 弱すぎるぞ!」
背後から襲い掛かってきた別の魔物の両顎を、男は振り返りざまに両手でガッチリと掴み取った。そして、新たに得た信じられないほどの異常な腕力に物を言わせ、上下に力任せに引き裂き始める。
「ギャアアアアッ!」
魔物が激痛にのたうち回り、必死に抵抗するが、男の表情には一切の慈悲はない。むしろ、命が苦しみもがく姿を見て、彼のサディスティックな喜びは頂点に達していた。メリメリと骨と肉が裂ける不気味な音が響き、男は生きたままの魔物を頭から真っ二つに引き裂いてみせた。内臓が散乱し、大量のどす黒い血が噴水のように吹き上がる。
すでに絶命している魔物の死骸に対しても、男の暴走は止まらなかった。
地面に転がる魔物の胴体を、男は何度も何度も狂ったように踏みつけ、蹴り飛ばし、原形をとどめなくなるまで徹底的に破壊し尽くした。必要以上の暴力、完全なるオーバーキルである。命を奪うことへの躊躇や罪悪感など微塵もない。ただただ、己の強大な力を振るい、他者を徹底的に破壊し尽くすという歪んだ快感だけに、男は完全に支配されていた。
数分後、赤茶けた荒野の一角は、魔物たちの残骸と血だまりで赤黒く染まりきっていた。原型を留めている魔物はもはや一匹もおらず、周囲にはむせ返るような血と焦げた肉の匂いが充満している。凄惨極まりない地獄絵図だった。
その広大な血の池の中心で、全身に返り血を浴びて真っ赤に染まった男が、天を仰いで両腕を広げていた。
「あーっはははははははっ!! 見たか! これが俺だ! これが選ばれし者の真の力だ!」
歓喜と狂気に満ちた咆哮が、淀んだ紫色の空へと吸い込まれていく。
彼の中にあるのは、弱者をいたぶり、圧倒的な力でねじ伏せるという最低で最も醜い優越感だけだった。かつて自分を陥れた者たちへの復讐心すら今は忘れ、ただ目の前にある命をすり潰す快楽に溺れている。
「俺は最強だ! 俺がこの世界のルールだ! 俺に逆らう奴は、人間だろうが魔物だろうが、全員こうしてミンチにしてやる!」
男の狂った高笑いが、いつまでも死の荒野にこだまし続けていた。彼の人間性は、力を取り戻したことで完全に底が抜け、もはや一欠片の理性も残っていなかった。




