第44話:冷酷なる取引とクリスタルの秘密
ズズズ……ッ!!
玉座の奥から溢れ出した圧倒的な圧力が、謁見の間の大気を激しく震わせた。
床に擦り付けた勇者の顔面に、石畳の冷たさと重圧が容赦なく食い込む。呼吸すらままならぬ恐怖の中、はるか頭上から、世界の理すらねじ伏せるような底冷えのする声が降り注いだ。
「――辺境の砦を滅ぼし、あの地を守る神聖なるクリスタルを粉砕せよ」
空間そのものが意思を持って命令を下しているかのような、絶対的な言霊。
大魔王の言葉は、勇者の鼓膜を直接叩き、その脳髄に深く刻み込まれた。
(あ、あの砦を……? クリスタルを粉砕しろ……?)
恐怖に支配され、死の寸前にあった勇者の頭脳に、わずかな疑問が浮かび上がる。
世界を滅ぼさんとするこれほどの絶大な力、城の門番すら瞬殺した自分を存在だけでひざまずかせるような圧倒的な魔力があるのなら、なぜ大魔王自身の手で、あのちっぽけな人間の砦など一瞬で叩き潰さないのか。なぜ、わざわざ自分のような人間にそんな命令を下すのか。
その疑問を見透かしたかのように、側近であるマントの男が、嘲笑を浮かべながら一歩前へと出た。
「ふふ……首を傾げているな、泥棒よ。不思議に思うのも無理はない。なぜ我が君が、あの取るに足らない砦を放置しておられるのか」
男の影が、床に這いつくばる勇者の頭上を覆い隠す。
「あの忌まわしいクリスタルの放つ清冽な光は、我ら魔界の気に属する者の一切を激しく拒絶し、焼き尽くす厄介な代物でな。我々がいかに強大な力を持っていようと、あの神聖なる結界の核へ近づくことすら叶わぬのだ」
薄笑いを深めながら、男は冷酷な真実を口にする。
「だが……お前はどうだ? どれほど心が腐りきっていようとも、お前はれっきとした『人間の肉体と魂』を持っている。それどころか、あそこに蠢く愚民どもに『神の遣い』と崇められ、熱狂的に迎え入れられているではないか。お前ならば、何一つ警戒されることもなく、あの光の中心へと容易く近づき、その手を伸ばすことができる」
マントの男の言葉の端々に滲む、徹底した蔑みと冷徹な計算。
魔界の生けとし生きる者が決して触れることすらできない、あの砦を守護する聖なる存在。しかし、人間の身でありながら砦の頂点に立ち、民衆の絶大な信頼を勝ち取った勇者ならば、結界を通過し、その中心に鎮座するクリスタルへと直接刃を届かせることができる。
自分があの地下牢から異世界へ引きずり出され、圧倒的な身体能力を与えられ、伝説の武具を集めさせられた真の理由。
それは、大魔王の手が届かぬ場所にあるクリスタルを粉砕するための、ただ一度きりの使い捨ての鍵として選ばれたからに他ならなかった。
「もう理解できたであろう? お前がこれまで積み重ねてきた偽りの英雄劇も、裏切りも、全てはこの瞬間のためにあつらえられた舞台なのだよ」
大魔王の放つ絶望的な重圧と、マントの男が突きつける残酷な役割。
己がどこまでも都合の良い駒に過ぎなかったことを突きつけられながらも、勇者の心に湧き上がったのは怒りではなく、生き延びるための道が見えたことに対する、浅ましくも強烈な安心感であった。




