第41話:崩れ去る全能感と絶対的格差
「だ、黙れ……! 俺を誰だと思っている!」
マントの男の冷酷な嘲笑に、勇者は全身にまとわりつく死の恐怖を振り払うかのように叫んだ。
震える両手に力を込め、床に落ちそうになっていた伝説の剣を必死に構え直す。伝説の武具から立ち上る赤紫色の瘴気が、勇者の虚勢に呼応するように激しく燃え上がった。
「俺は四つの伝説の武具を全て手に入れた、この世界の新たな神だぞ! 泥棒だと? ふざけるな、大魔王の首を刎ね、その玉座も権力も、全て正当に受け継ぐのはこの俺だ! 見せてやる、神の力を……!」
恐怖を怒りにすり替え、勇者が自らの絶大な魔力を爆発させようと一歩踏み出した、まさにその瞬間だった。
――ピチャリ。
玉座の奥、薄暗い布の向こう側に座る影から、ほんの一滴。
大魔王の魔力が、ただ空間に「漏れ出した」だけだった。
「……あ、ぇ……?」
勇者の踏み出した足が、空中でピタリと止まる。
直後、世界が反転した。
上下の感覚が消失し、頭上から見えない巨大な大陸がそのまま落ちてきたかのような、物理的かつ絶望的な重圧。
「あ、がっ、ぁぁ……っ!」
勇者の身体から燃え上がっていた赤紫色の「神の如きオーラ」は、大魔王から漏れ出した途方もない魔力の海に呑み込まれた瞬間、まるで暴風雨の中に放り出された一本の蝋燭の火のように、一瞬にしてプツンと吹き消されてしまった。
次元が違う。格が違う。存在の根源そのものが決定的に違う。
勇者がこれまでの道程で「絶大だ」と信じて疑わなかった自らの力など、大魔王という底なしの深淵の前では、文字通りチリ芥ほどの価値もなかったのだ。
「ひっ……あ、あ、ああ……」
勇者の身体は、極限の恐怖によって完全に硬直した。
指一本動かすことができない。呼吸すらままならず、喉からはヒューヒューという情けない空気が漏れるだけだ。眼球だけが痙攣し、玉座の奥の影を凝視したまま凍りついている。
「う、そ、だ……こんな、こんなこと……」
ガチガチと歯の根を鳴らし、勇者の瞳からボロボロと絶望の涙がこぼれ落ちた。
絶対防壁である伝説の鎧は、傷一つなくその輝きを保っている。しかし、どれほど無敵の鎧を纏おうとも、中にいる勇者自身の精神と魂が、大魔王のただそこにある威圧感だけで完全にへし折られてしまったのだ。
己が神だという錯覚。大魔王を倒して世界を支配するという野望。民衆を騙し、仲間を殺してまで築き上げた砂上の楼閣が、たった数秒で音を立てて完全に崩れ去っていく。
本能が、細胞が、魂が、絶叫と共に理解していた。
勝てるわけがない。刃を向けることすら許されない。これは、人間がどうにかできる相手ではない。
圧倒的で、絶対的な格差。
神を気取っていた偽りの救世主は、大魔王の影を前に、ただ一歩を踏み出すことすらできず、完全なる敗北と死の恐怖にその精神を粉々にすり潰されていた。




