第38話:蹂躙される防衛網
粉々に吹き飛んだ城門の残骸を踏み越え、勇者は魔王城の内部へと足を踏み入れた。
外観に違わず、内部もまた途方もなく広大であった。巨大な黒大理石の柱が立ち並ぶエントランスホールは、人間の王城などとは比較にならない荘厳さと、濃密な死の気配に満ちている。
だが、勇者がその広間の中心に足を踏み入れた途端、床、壁、そして天井に、血のように赤い無数の魔法陣が一斉に浮かび上がった。
侵入者を感知して自動で発動する、魔王城の防衛トラップである。
次の瞬間、頭上からは骨すらも瞬時に溶かす強酸の雨が降り注ぎ、四方の壁からは空間そのものを焼き尽くす極大の獄炎が迸った。さらに足元の床からは、鋼鉄をも貫く無数の氷柱が槍のように突き出してきた。
どれか一つでも直撃すれば、並の人間など一瞬で跡形もなく消滅する必殺の罠の連撃。
しかし、勇者は防御魔法を詠唱するどころか、立ち止まることすらなく歩き続けた。
ガインッ! バチバチバチッ!
強酸も、獄炎も、氷柱も、勇者の身体に届くことはなかった。
不気味な赤紫色の瘴気を纏った伝説の鎧が、全ての攻撃を自動的に弾き返し、無害な光の粒子へと変換して霧散させていく。勇者の髪の毛一本、マントの裾のわずかな汚れすら、これらの罠ではつけることができなかった。
「ふん。随分と派手なだけの歓迎だな。花火の代わりにもならないぞ」
勇者が退屈そうに鼻を鳴らしたその時、空間が歪み、大広間に数十体の影が転移してきた。
漆黒の甲冑に身を包み、四本の腕に巨大な戦斧や大剣を構えた者。あるいは、全身から濃密な魔力を立ち昇らせている高位の魔術師たち。
大魔王が直属として従える、魔界の精鋭部隊であった。
「愚かなる人間よ! 我が君の城に足を踏み入れたこと、あの世で後悔するがいい!」
指揮官らしき巨大な魔族が咆哮を上げると同時に、精鋭たちは一斉に襲いかかってきた。
後衛の魔術師たちが放つ、雷撃や重力波といった最上級の攻撃魔法が嵐のように勇者に降り注ぎ、前衛の魔族たちが床を砕くほどの踏み込みで巨大な武器を振り下ろす。
しかし、勇者の顔には嘲りの笑みが張り付いたままだった。
「遅い。そして、弱い」
ドッ、ガガガガガンッ!!
最上級の攻撃魔法も、巨漢の魔族が渾身の力で振り下ろした戦斧も、全てが伝説の鎧の目に見えない防壁に阻まれ、乾いた音を立てて弾き返された。魔族たちの驚愕の表情を前に、勇者は面倒くさそうに背中の伝説の剣を引き抜いた。
そして、剣の重さだけで振るうように、ただ適当に腕を真横に薙ぎ払った。
ザァァァァァァァァンッ!!!
剣の軌跡から、どす黒い赤紫色の瘴気を伴った漆黒の剣閃が放たれた。
それはもはや斬撃というより、空間そのものを削り取る破壊の波であった。
「なっ――!?」
悲鳴すら上がることはなかった。
漆黒の波に飲まれた精鋭の魔族たちは、強固な甲冑ごと上半身と下半身に分かたれ、次々と床に崩れ落ちた。剣閃の勢いはそれだけでは止まらず、魔王城を支える巨大な黒大理石の柱を何本も容易くへし折り、はるか遠くの分厚い城壁までもぶち抜いて、ようやく霧散した。
たった一振り。息一つ乱すことなく放たれた無造作な一撃で、大広間にいた数十体の精鋭部隊は全滅し、魔王城の一部が半壊したのだ。
後に残されたのは、血の海と砕けた岩の瓦礫だけである。
「ははっ、脆い、脆すぎる! なんだこれは、紙切れを切る方がまだ手応えがあるぞ!」
圧倒的すぎる蹂躙劇に、勇者は愉快そうに肩を揺らして笑った。
その後も、上層へと向かう階段や回廊で、次々と大魔王の軍勢が立ち塞がった。凶暴な魔獣の群れ、姿を消して襲い来る暗殺部隊、結界を張り巡らせた魔術師の陣形。
だが、その全てが勇者にとっては「障害」ですらなかった。
鎧が全ての攻撃を無効化し、勇者が剣を振るうたびに、魔族たちの肉体は城の堅牢な壁ごとあっけなく切り刻まれ、吹き飛んでいく。
死闘の気配など微塵もない。一切のダメージを受けず、魔力もほとんど消費していない勇者は、大きく口を開けて欠伸を一つした。
「大魔王の軍勢などこの程度か。欠伸が出る」
緊張感などどこにもなかった。
血の海と化した回廊を、まるで休日の遊園地でも散歩するかのような、軽やかでふざけた足取りで進んでいく。敵が現れれば虫を払うように剣を振り、壁が邪魔になればそのまま切り崩して直進する。
「さあ、玉座はどこだ? 早く俺にその席を明け渡せ、大魔王」
絶対的な力と底なしの増長に支配された男は、魔王城の防衛網を文字通りただの紙屑のように踏みにじりながら、ついに城の最上層へと続く大階段にその足をかけた。




