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とある勇者の逆転劇  作者: 八咫 日本


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第35話:苦渋の決断と次章への序曲

冷ややかな伝説の剣の切っ先を喉元に突きつけられたまま、老いた王は深く、深く絶望の淵へと沈み込んでいった。

分厚い扉の向こうからは、勇者を神と崇め、その名を狂信的に叫び続ける民衆たちの歓声が波のように押し寄せてくる。目の前に立つ男は、人類を救うために遣わされた聖者などではなく、他者の命を踏みにじり、己の欲望を満たすことしか頭にない最悪の怪物であった。

だが、大魔王の脅威が刻一刻と迫る中、この怪物にすがりつく以外に人類が生き延びる道は残されていない。

もしここで自分が勇者を拒絶すれば、結界は破られ、数万の民が魔物に無惨に食い殺されるだろう。大魔王という破滅を避けるためには、勇者という新たな独裁者に全てを売り渡すしかなかった。

「……承知、いたしました」

沈黙の末、王は喉元から絞り出すようにそう答えた。

その瞳からは、悔しさと無念さのあまり血の涙がこぼれ落ち、石造りの床を赤く染めていく。

「大魔王を討ち果たし、この世界に光を取り戻してくださるのであれば……私は喜んで、この玉座をあなた様に明け渡しましょう。ガイナックスの未来は、勇者殿の御手に委ねます」

それは、民の命を繋ぐためだけに自らの誇りも地位も全て投げ打った、王の痛ましくも気高い自己犠牲の決断であった。

しかし、勇者の歪んだ心には、そんな王の悲壮な決意など欠片も響かない。ただ、自分の思い通りに事が運んだという下劣な達成感だけが満ち溢れていた。

「素晴らしい判断だ。せいぜい私が帰ってくるまでに、玉座を綺麗に磨いておくことだな」

勇者はニヤリと口角を吊り上げると、王の喉元から剣を引き、背中の鞘へと乱暴に納めた。

「では、私はこれより大魔王の城へと向かう。私が神の座に就き、この世界の全てを手に入れるための最後の仕上げだ」

勇者は床に崩れ落ちて咽び泣く王を一瞥だにせず、マントを翻して謁見の間の扉へと向かった。

扉に手をかけた瞬間、勇者の口から腹の底に溜まっていた歓喜が爆発した。

「くくく……あっははははははっ! はーっはっはっはっは!!」

己の知略と圧倒的な力に酔いしれた、どこまでも邪悪で傲慢な高笑い。

その声は謁見の間に虚しく反響し、王の心をさらに深く抉っていった。

扉を開け、再び熱狂する民衆の前に姿を現した勇者は、瞬時に「悲劇を乗り越えた慈悲深き救世主」の顔へと戻り、群衆に向かって力強く手を掲げた。

その姿を見た砦の民たちは、もはや彼を疑う余地など微塵もなく、歓喜の涙を流して熱烈な祈りを捧げ続ける。

(伝説の兜、盾、鎧、そして剣。大魔王の結界を破るための全ての武具は揃った)

勇者は熱狂する群衆を見下ろし、己の内に渦巻く絶大な力と野心を確かめるように強く拳を握りしめた。

(さらに、この単純な馬鹿どもは俺を神と崇め、王も俺に玉座を譲ることを誓った。もはや俺を阻むものは何一つない)

かつて、元の世界で仲間から見下され、どん底の地下牢で泥水をすすっていた惨めな男の姿は、そこにはない。

圧倒的な力、民衆の狂信、そして世界の絶対的な支配権という確約。全てを手に入れたと信じて疑わない最低の男の胸には、無限に膨張した自信と強欲だけが詰まっていた。

「待っていろ、大魔王。貴様の時代は今日で終わりだ」

勇者は砦の民衆たちに見送られながら、ただ一人、大魔王が待つ魔界の最深部へと歩み出した。

この時、彼はまだ気づいていなかった。自分が身に纏っている伝説の武具から放たれる光が、不気味な赤紫色に変色していることの意味を。

そして、自分が手に入れたと信じているこの絶対的な状況すらも、全ては大魔王が仕組んだ緻密で残酷な盤上の出来事に過ぎないということを。

神の座を夢見る底なしに傲慢な男による、破滅への片道切符。

真の絶望と恐怖が待ち受ける大魔王の城へと向け、最悪の進軍がついに幕を開けた。

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