第34話:王座への要求
砦の広場を包み込む狂信的な熱狂と歓声を背に、勇者と王の二人は最奥にある謁見の間へと足を踏み入れた。
ギィィィ……バタンッ!
重厚な扉が閉ざされた瞬間、外の喧騒はくぐもった音へと変わり、部屋の中には静寂が降りた。
王は涙で濡れた顔をハンカチで拭いながら、痛ましげな表情で勇者を振り返った。
「勇者殿……よくぞ、よくぞ過酷な試練を乗り越え、ご無事で戻られました。五人の若者たちの最期、さぞやお辛かったでしょう。どうか今は、その身を休めて――」
「くくっ……」
王の労いの言葉を遮るように、勇者の口から場違いな笑い声が漏れた。
「ゆ、勇者殿……?」
王が怪訝な顔をした次の瞬間。
勇者の顔から、先ほどまで民衆の前で見せていた「悲劇の英雄」としての慈悲深く痛ましい仮面が、跡形もなく消え去った。
代わりに浮かび上がったのは、他者を塵芥のように見下す、底知れぬ傲慢さと強欲に満ちた絶対者の冷酷な貌であった。
シュァンッ!
空気を裂く鋭い音と共に、青白い光と不気味な赤紫色の瘴気を纏った「伝説の剣」が閃き、その鋭利な切っ先が、寸分の狂いもなく老いた王の喉元へと突きつけられた。
「なっ……!?」
突然の凶行に、王は息を呑み、全身を硬直させた。剣身から放たれる桁外れの魔力と、勇者の瞳に宿る純然たる殺意が、王の喉笛を氷のように冷たく撫でる。
「ゆ、勇者殿!? 一体、何の真似です!?」
「静かにしろ、老いぼれ」
勇者は血と泥にまみれた顔のまま、這いずる虫を見下ろすような目で王を睨み据えた。
「五人の若者の最期が辛かっただと? 冗談を言うな。あんな薄汚い荷物持ちども、俺が安全に迷宮を抜けるための囮として使い潰してやっただけだ。雪山の谷底に蹴り落とし、アンデッドの群れに生きたまま食わせてやったよ。実にいい悲鳴を上げていたぞ」
「な……っ……」
信じられない言葉に、王の顔から完全に血の気が引いた。
先ほどの広場での涙は。若者たちの尊い犠牲を称えたあの熱弁は。全て、民衆を騙すための卑劣な芝居だったというのか。
目の前にいるのは、人類を救う救世主などではない。大魔王にも劣らぬ、底なしの悪意を持った化け物だ。王はようやく、勇者の本性に気がついたのである。
「き、貴様……っ! なんという恐ろしい男だ! 衛兵! 衛兵を――!!」
「呼んでみろ。だが、誰も来ないし、誰も信じないぞ」
勇者は喉元に突きつけた剣をピタリと止めたまま、薄く笑って首を傾げた。
分厚い扉の向こう側からは、今この瞬間も、広場を埋め尽くす民衆たちの熱狂的な大合唱が響き渡っている。
『勇者様万歳!』
『我らの救世主万歳!』
「聞こえるか? お前が愛してやまない民草どもは、俺を神と崇め、狂ったように涙を流して感謝している。今、お前が外へ飛び出して『勇者は若者たちを見殺しにした悪魔だ』と叫んだところで、誰が信じる? むしろ、若者たちの尊い犠牲を汚し、大魔王を倒す唯一の希望を迫害する狂王として、お前自身が民衆の怒りを買って吊るし上げられるのがオチだぞ」
「あ……あぁ……っ」
王は絶望に唇を震わせた。勇者の言う通りだ。民衆の心は、すでに完全にこの悪魔に掌握されている。
さらに、王は目の前の男から発せられる絶大な暴力のプレッシャーに気づいていた。伝説の武具を全て揃えた勇者の力は、もはや人間の理解を超えている。衛兵を何百人呼ぼうが、この男に傷一つ負わせることは不可能なのだ。
物理的な力でも、民衆の支持という政治的な力でも、王は完全に詰まされていた。
完全に主導権を握ったことを確信し、勇者は王の喉元からわずかに剣を引くと、絶対的な支配者としての要求を突きつけた。
「よく聞け、王よ。大魔王を討伐した暁には、この砦の王座を私に譲れ」
冷酷で、一切の拒否を許さない響きが謁見の間に落ちる。
「私が大魔王を玉座から引きずり下ろし、この世界の絶対的な支配者となるのだ。お前たちガイナックスの民は、永遠に俺を神として崇め、俺のために働き、俺に全てを捧げる奴隷となる。もしこの要求を呑まないというのであれば……私は今ここでお前を斬り捨て、大魔王の討伐などやめて元の世界へ帰るだけだ。後は結界が破れ、砦の全員が魔物に食い殺されるのを待つがいい」
「くっ……うぅ……っ」
あまりの非道な脅迫。人類の存亡を人質に取った、最悪の簒奪。
王は悔しさに血の涙を流し、強く握りしめた拳から血が滴り落ちた。しかし、反論の言葉を紡ぐことはできなかった。
勇者の要求を拒絶すれば、人類は今日ここで終わる。民の未来を繋ぐためには、悪魔に魂を売り渡すしかなかったのだ。
圧倒的な暴力と、狂信という名の鎖。
逃げ場を完全に塞がれた王を前に、全てを計算通りに進めた勇者の歪んだ高笑いが、薄暗い謁見の間を満たしていった。




