第33話:狂信の出迎え
遠く荒野の果てから歩み寄る一つの影を発見し、人間最後の砦は見張り台からの歓喜の鐘の音に包まれた。
ギギギギギ……ドスンッ!
重厚な鉄と木の門がゆっくりと開かれ、待ちわびていた王とガイナックスの民衆たちの前に、一人の男が姿を現した。
伝説の兜、盾、鎧、そして背に負った大剣。神々しい四つの武具を完全に身に纏った勇者の帰還である。しかし、その輝かしい装備とは裏腹に、彼の姿は顔からマントに至るまで赤黒い血と泥にまみれ、まるで凄絶な死闘をくぐり抜けてきたかのようにボロボロだった。
そして何より、砦の民たちをざわつかせたのは、勇者の背後に誰もいないことだった。
出発の時、山のような荷物を背負い、誇らしげに彼に付き従っていった五人の若き兵士たちの姿が、どこにも見当たらないのだ。
「ゆ、勇者様……! お戻りになられたのですね!」
歓喜に湧き上がっていた民衆の声が、徐々に戸惑いのざわめきへと変わっていく。若者たちの家族が、群衆の中から不安げに首を伸ばして門の外を探した。
その時である。
勇者は数歩よろめくように前へ出ると、突如としてその場にガクンと膝から崩れ落ちた。
「勇者様!?」
慌てて駆け寄ろうとする王と民衆を前に、勇者は血に汚れた両手で顔を覆い、肩を激しく震わせ始めた。
「王よ……そして、ガイナックスの民たちよ。申し訳、ない……。私に、私にもう少しだけ力があれば……っ!」
極限の疲労と悲しみに満ちた、絞り出すような掠れた声。道中で何度もリハーサルを重ねた、完璧な演技の幕開けだった。
勇者のただならぬ様子と、その言葉の響きに、砦の広場は水を打ったように静まり返った。
「あの大魔王の放った凶悪な魔物の群れや、絶望的な迷宮の罠を前に、彼らは一歩も退きませんでした。五人の勇敢な若者たちは、皆、私をかばって……立派に散っていきました……っ! 彼らの尊い犠牲がなければ、私はこの剣を持ち帰ることはできなかった!」
その言葉が響き渡った瞬間、最前列にいた若者の母親が悲鳴を上げてその場に泣き崩れた。
他の家族たちも、愛する者の死という残酷な現実に顔を覆い、広場は一瞬にして深い絶望と悲しみの底に叩き落とされそうになった。
だが、勇者は悲しみが疑念や怒りに変わる隙を一切与えなかった。
彼は覆っていた手をどけ、血と涙(もちろん魔力で流した嘘泣きである)に濡れた顔を上げると、広場全体に響き渡るような力強い声で叫んだのだ。
「泣かないでくれ、ガイナックスの民たちよ! 彼らは逃げて死んだのではない! 世界の未来をこの私に託し、誇り高く笑って散っていったのだ! 彼らの命を無駄にしないためにも、私が、私が必ず大魔王を倒す!!」
ビシッと天を指差す勇者のその姿は、悲劇を乗り越えて立ち上がる、まさしく真の救世主そのものであった。
その瞬間、民衆の心の中で、何かが完全に弾けた。
極限の生活を強いられ、大魔王の恐怖に怯え続けてきた彼らにとって、勇者の言葉はただの慰めではなく、魂を根底から揺さぶる『神の啓示』となったのだ。
「おおおおおおっ……! なんという、なんという気高き魂か!」
王がボロボロと涙を流しながら、勇者の足元に深くひれ伏した。
「若者たちは……我らの息子たちは、勇者様をお守りし、大義のために尊い犠牲となったのだ! 彼らこそ、ガイナックスの誇り! 真の英雄だ!」
「勇者様、どうかご自分を責めないでください! 彼らも、勇者様のそのお言葉を聞いて、必ずや天国で報われているはずです!」
「勇者様万歳! 勇者様万歳!!」
悲しみの嗚咽は、いつしか狂信的な歓声と号泣の渦へと変わっていた。
息子を失った母親でさえも、「あの子は勇者様の盾になれて幸せだった」と涙を流して勇者に祈りを捧げている。
誰一人として、「なぜ勇者だけが無傷で武具を独占しているのか」「強大な力を持つ勇者が、なぜ若者たちを守れなかったのか」という当然の疑問を抱こうとはしなかった。
真実を知らない人々は、自らの手で若者たちを囮にし、雪山から蹴り落とし、生きたまま魔物に食わせた悪魔に向かって、神への祈りと同等の感謝を捧げているのだ。奪われた命すらも、勇者の偉大さを飾り立て、崇め奉るための都合の良い美談として、完全に消費されてしまったのである。
(くくく……あっははははは! 傑作だ! まるで俺が書いた台本通りに動きやがる!)
涙を流し、悲痛な顔を作って民衆の祈りを受け止めながら、勇者の内心はこれ以上ないほどの歓喜と嘲笑で満ち溢れていた。
この瞬間、勇者は単なる救世主という枠を超え、この砦における『絶対不可侵の神』として完全に君臨したのだ。
「さあ、勇者様! どうか中へ! 疲れたお体を休めてくだされ!」
王に恭しく促され、熱狂する民衆の歓声の海を割って歩き出す勇者。
血塗られた嘘と底なしの悪意によって築き上げられた狂信の出迎え。
全ての民衆の心を掌握し、世界を支配するための盤石な土台を完成させた最低の男は、次なる計画――この砦の全ての権力を簒奪するため、謁見の間へと足を踏み入れた。




