第31話:伝説の剣と偽りの神
背後から聞こえていた若き兵士の断末魔と、亡者たちの不気味な咀嚼音は、分厚い魔法の壁の向こう側で完全に途絶えていた。
絶対的な静寂に包まれた「絶望の奈落」の最深部。その中央に設けられた古びた祭壇に、青白い清冽な光を放つ一振りの剣が深々と突き刺さっていた。
「美しい……これこそが、神の力を束ねる最後の鍵か」
勇者はうっとりとした表情で祭壇に歩み寄り、伝説の兜越しにその剣を見つめた。
兜、盾、鎧、そしてこの剣。世界に散らばった四つの武具を全て揃えた者は、人の理を超越し、天地を揺るがす神のごとき存在へと昇華する。王が語ったその伝承がいよいよ現実のものとなる瞬間に、勇者の心臓は強欲な歓喜で激しく早鐘を打っていた。
勇者は伝説の鎧に包まれた腕を伸ばし、迷うことなく剣の柄を力強く握りしめた。
そして、一気にそれを台座から引き抜く。
ズゥゥゥゥン……ッ!!!
その瞬間、奈落の底はおろか、世界そのものが震えたかのような重低音が鳴り響いた。
引き抜かれた伝説の剣が強烈な閃光を放ち、勇者がすでに装備していた兜、盾、鎧と激しく共鳴し始めたのだ。四つの武具から溢れ出した膨大なエネルギーが渦を巻き、勇者の体を光の柱となって包み込む。
「おお……おおおおおっ!! 力が、力が湧き上がってくるぞ!!」
桁外れの強大な力が、勇者の全身の血管を焼き尽くさんばかりの勢いで駆け巡った。
しかし、その直後、奇妙な現象が起きた。
本来であれば所有者を清らかに包み込むはずの武具の「聖なる光」が、勇者の肉体から溢れ出す絶大な魔力と触れ合った瞬間、まるで異物を排除しようとするかのように激しく反発し、バチバチと火花を散らし始めたのだ。
だが、それも一瞬のことであった。
あの地下牢で目を覚まして以来、勇者の肉体の底から湧き上がり続けている「得体の知れない異常な力」は、武具の持つ神聖な波動を圧倒的な暴力で強引にねじ伏せ、強制的に同化を始めたのである。
清冽だった青白い光は、瞬く間にどす黒い赤紫色へと変色し、勇者の周囲には空間をチリチリと焦がすような不気味な瘴気が立ち上り始めた。それは明らかに、世界を救う勇者が放つべきオーラではなく、何か別の、恐るべき邪悪な力の顕現であった。
しかし、極限まで増長しきった勇者の頭脳に、その力の異常さや違和感を察知するだけの冷静さは微塵も残っていなかった。
彼はただ、己の内で武具の力ごと爆発的に膨れ上がった未曾有のエネルギーにただただ酔いしれ、狂喜の叫びを上げていた。
「はーっはっはっはっは!! 見ろ、この圧倒的な魔力を! この無敵の肉体を! ついに、ついに俺は神になったのだ!!」
勇者は自身の全能感を確かめるように、握りしめた伝説の剣を、目の前の広大な空間に向けて無造作に一振りした。
魔力など一切込めていない。ただ、軽く手首を返しただけの動作。
ザァンッ!!!
直後、剣の軌跡から放たれた漆黒の斬撃波が、鼓膜を破壊するほどの轟音と共に奈落の空間を完全に両断した。
斬撃は硬い岩盤を豆腐のように切り裂き、広間を支えていた巨大な石柱を次々とへし折り、はるか上層の地殻までをも一直線に貫通していった。
ゴゴゴゴゴゴォォォォッ!!
奈落の迷宮の半分が、たった一振りの剣圧によって完全に崩壊した。
天井から巨大な岩盤が雨のように降り注ぎ、地割れが走り、アンデッドの群れもろとも全てが瓦礫の底へと沈んでいく。もし普通の人間であれば、この崩落に巻き込まれて圧死しているところだが、伝説の鎧を纏い、歪な神の力を得た勇者には、降り注ぐ数千トンの岩石すらも触れた瞬間に粉々に砕け散り、傷一つ負うことはなかった。
もうもうと立ち込める粉塵の嵐の中で、勇者は自分の生み出した絶大な破壊力を目の当たりにし、恍惚とした表情で自身の両手を見つめた。
「素晴らしい……! これが、これこそが神の力! これほどの力があれば、大魔王の結界など紙屑も同然だ!」
勇者の目に、もはや怯えや計算高さすら消え去っていた。
あるのは、己がこの世界で唯一絶対の存在であるという、狂気に満ちた確信だけである。
「待っていろよ、大魔王。貴様が玉座にふんぞり返っていられるのも今のうちだ。この俺がその首を刎ね、貴様の全てを奪い取ってやる。そして砦の愚民どもを永遠の奴隷とし、俺は真の創造主としてこの世界に君臨するのだ!」
崩壊する奈落の底で、神を僭称する偽りの救世主の高笑いが響き渡る。
四つの伝説の武具を揃え、不気味な赤紫色のオーラを纏った限界突破の怪物は、世界の全てを己の足元にひざまずかせるため、血塗られた帰還への途についた。




