第27話:暴風の霊峰と見捨てられた命
灼熱の地獄から一転、一行が足を踏み入れた第三の探索地は、全てを凍てつかせる白魔の世界であった。
第三の武具「伝説の鎧」が眠るとされる「暴風の霊峰」。
一寸先も見えない猛吹雪が絶え間なく吹き荒れ、刃物のように鋭い氷点下の烈風が、容赦なく体温と体力を奪っていく。ただ立っているだけでまつ毛や髪の毛が凍りつき、呼吸をするたびに肺が内側から凍りつくような極寒の地獄だった。
しかし、先頭を歩く勇者の足取りは、まるで春のうららかな陽気の中を散歩しているかのように軽やかであった。
彼が手に入れた「伝説の兜」と「伝説の盾」は、それ自体が周囲の過酷な環境から所有者を守る微弱な加護を放っていた。それに加え、勇者自身が展開している「防寒の結界」により、彼の周囲だけは完全に外気から遮断され、快適な温度が保たれているのだ。
その数歩後ろを、生き残った二人の若い兵士が、足まで埋まるほどの深い雪を必死に掻き分けながら進んでいた。
彼らの装備は、砦を出発した時の薄汚れた粗末な布の服のままである。勇者は彼らに防寒具を与えることなど一切せず、自分のための食料やポーションが入った巨大な荷物を背負わせたまま、この猛吹雪の中を歩かせていた。
前回の火山で負った両手の酷い火傷は、今度は極度の冷気によって凍傷を引き起こし、黒く変死した皮膚から流れる血は凍りついて氷柱のようになっていた。
「がはっ……う、あ……」
ついに、限界が訪れた。
後ろを歩いていた兵士の一人が、ガクンと膝から崩れ落ち、深い雪の中に顔から倒れ込んだのだ。
異常な重さの荷物がのしかかり、すでに凍傷で感覚を失った手足は、何度雪を掻いてもピクリとも動かない。全身がガタガタと痙攣し、彼の命の灯火が今まさに吹き消されようとしていた。
「おい、立ち止まるな。さっさと歩け」
立ち止まった勇者が、振り返って冷酷に言い放つ。
雪に倒れ伏した兵士は、すがるような目で勇者の顔を見上げた。彼の瞳には、前回の火口での一件を経て完全に歪み切った「救世主への狂信」がまだ残っていた。勇者様なら、きっと大義のために自分を助けてくれるはずだ。指先一つで温かい炎の魔法を出して、自分を救ってくれるに違いない。
「ゆ、勇者……様……。もう、一歩も……足が……っ。どうか、温かい、魔法を……」
ガチガチと歯を鳴らしながら、涙を凍らせて命乞いをする若者。
だが、勇者の瞳に宿っていたのは、慈悲でもなければ哀れみでもなかった。ただの「使い物にならなくなった道具」を見る、無機質で氷のように冷たい嫌悪だけである。
(チッ、とうとう壊れやがったか。これ以上歩けないというなら、ただの重りだ。……まあいい。食料も減ってきたところだし、荷物持ちはあと一人いれば十分だろう)
勇者は倒れた兵士の傍らに歩み寄ると、温かい魔法をかけるどころか、兵士が背負っていた巨大な荷物の紐を乱暴にナイフで切り裂いた。
そして、荷物の中から自分のための食料と貴重なポーションだけを素早く抜き取ると、隣で震えながら立ち尽くしているもう一人の兵士の背中に、それを無造作に押し付けた。
「ゆ、勇者様……? それは……」
「お前のような足手まといに使う魔力はない。ここで世界のために死ね」
雪に倒れる兵士に向けて、勇者は何の感情もこもっていない声でそう言い放った。
「え……?」
温かい魔法をもらえると信じ切っていた兵士の顔が、絶望と理解不能の感情に凍りつく。
「お前の役目はここまでだ。荷物を運べない奴隷など、この俺には必要ない」
次の瞬間、勇者は革靴の裏で、倒れている兵士の胸を力任せに蹴り飛ばした。
「ああっ……!?」
ただでさえ身動きが取れなかった兵士の体は、勇者の常軌を逸した筋力によって大きく弾き飛ばされた。
そして、彼が倒れていた場所のすぐ横に広がる、底が見えないほど深く切り立った雪山の急斜面へと、声にならない悲鳴と共に真っ逆さまに転がり落ちていったのである。
「あ……あああ……っ!」
残された最後の一人の兵士が、絶叫と共に斜面の下を覗き込む。
しかし、猛吹雪の白魔は落下していく仲間の姿を一瞬で飲み込み、もはや微かな声すらも聞こえてこなかった。凍傷で動けない体で、この猛吹雪の谷底に突き落とされることが何を意味するか。それは完全なる、そして最も残酷な死であった。
「……よし、身軽になったな。さあ、行くぞ」
共に砦を出発した五人の若者のうち、四人が死んだ。
それも魔物の手によってではなく、全て自分が差し出し、見殺しにし、そして直接手を下したのだ。しかし勇者は、靴についた雪を払うだけで、微塵の罪悪感も抱いてはいなかった。
むしろ、邪魔な荷物が減って清々したとでも言わんばかりの足取りで、再び霊峰の頂上を目指して歩き始める。
「な、なぜ……」
残された最後の兵士は、吹きすさぶ吹雪の中で一人、ガタガタと震えながら立ち尽くしていた。
彼の歪んだ信仰心をもってしても、今目の前で起きたあまりにも非道な仕打ちを、「高度な心理戦」や「大義のための犠牲」として処理することは不可能だった。
ただ自分が楽をするためだけに、動けなくなった仲間を見捨て、ゴミのように蹴り落とした。
その純然たる『悪』の姿を目の当たりにし、兵士の心の中で何かが決定的に壊れる音がした。
「さっさとついてこい。お前もあの谷底に落ちたいのか?」
振り返りもしない勇者の冷酷な声に、兵士はビクッと体を震わせる。
もはや、大義も希望もそこにはない。あるのは、逆らえば間違いなく殺されるという、絶対的な暴力への恐怖だけ。死んでいった四人の仲間の重みと、彼らの無念を一人で背負わされ、最後の兵士は涙を凍らせながら、悪魔の背中を追って絶望の雪山を登り続けるしかなかった。




