第25話:火炎魔神との卑劣な交渉
灼熱の熱波が吹き荒れる火山の火口。
煮えたぎるマグマの池の中央に浮かぶ黒曜石の台座の上に、紅蓮の輝きを放つ第二の武具「伝説の盾」は安置されていた。
だが、勇者が溶岩の川を渡りきり、二人の兵士が火傷を負った手で必死に荷物を抱えながら対岸へ辿り着いたその直後だった。
ゴゴゴゴゴッ……!
火口のマグマが異常なまでに激しく泡立ち、巨大な火柱と共に一体の巨人が姿を現した。
「我は炎の理を司る者……。聖なる盾を求めし愚か者どもよ、ここで永遠の灰に帰すがいい」
現れたのは、全身を流体のようなマグマと頑強な溶岩の装甲で覆った、巨大な火炎魔神であった。明確な意思と高度な知能を持ち、その全身から放たれる熱量は、先ほどの溶岩の川すら生温く感じるほどの絶大なプレッシャーを放っていた。
これまでの知能の低い魔物とは格が違う。それを悟った兵士二人は、極度の疲労と火傷の痛みに耐えながらも、必死に武器を構えようとした。
一方の勇者は、眉間に深いシワを寄せて盛大に舌打ちをしていた。
(チッ、面倒くさいのが出やがったな。普通に戦えば俺の敵ではないが……あんな全身火の塊のような奴に魔法を撃ち込めば、爆発してマグマが周囲に飛び散るに決まっている。俺の美しい顔や上等な服に火の粉が飛んで火傷でもしたらどうするんだ)
自身が傷つくリスク、いや、少しでも服が汚れるという不快感を極端に嫌った勇者は、ここで信じられない行動に出た。
彼は一切の魔法を練る構えを見せず、両手を軽く上げて敵意がないことを示しながら、魔神に向かって一歩前へと進み出たのである。
「待て、炎の魔神よ。私は無駄な争いを好まない。武器を収めるから、少し話を聞いてくれないか」
「……何だと?」
知能を持つ魔神は、人間の不可解な行動に訝しげに動きを止めた。
勇者は背後に立ち尽くす、息も絶え絶えの二人の若い兵士を親指で指し示した。
「その伝説の盾を私に譲ってくれるというのなら、後ろにいる新鮮な人間の肉を、お前への供物として差し出そう。私と戦って痛手を負うより、手っ取り早く腹を満たせた方がお互いのためだろう?」
「な……っ!?」
その言葉を聞いた瞬間、二人の兵士の顔から完全に血の気が引いた。
「ゆ、勇者様……? い、今、なんとおっしゃい……」
「耳が遠いのか? お前たちを餌にして盾を手に入れると言ったのだ」
勇者は冷酷な眼差しで、肩を震わせる兵士たちを振り返った。
「世界を救うための尊い犠牲になりたいのだろう? お前たちのようなゴミが、私の服を汚す手間を省くための取引材料になれるのだ、名誉に思え」
その目に、先ほどの迷宮で見せたような「作戦だから合わせてくれ」といった芝居がかった気配は一切なかった。彼は本気で、自分たちを魔物の餌として売り渡そうとしている。
両手を焼け焦がしてまで勇者の足場を作り、命を懸けて尽くしてきたというのに。その残酷すぎる現実と裏切りを前に、兵士たちの心はついに限界を迎え、絶望のどん底へと叩き落とされた。二人は武器を取り落とし、虚ろな目でその場にへたり込んだ。
火炎魔神は、勇者のそのあまりにも卑劣で浅ましい提案を聞き、腹の底から響くような声で嘲笑った。
「ククク……ハハハハハッ! なんという醜悪な人間だ! 同胞をいとも容易く裏切り、己の保身のために生贄に差し出すとはな! よかろう、その卑小な命と引き換えに、盾を譲ってやろ――」
魔神が人間たちを捕らえようと自身の炎の結界を解き、無防備に一歩前へ踏み出した。
まさにその瞬間だった。
「――馬鹿め。引っかかったな」
勇者の口元が、凶悪な三日月型に吊り上がった。
彼が降参のポーズを装って背後に隠していた右手に、極限まで圧縮された絶対零度の「究極氷結魔法」が、すでに完全に練り上げられていたのだ。
「なっ――!?」
驚愕に見開かれる魔神の目。
だが、油断しきって結界を解いた魔神の懐に一瞬で飛び込んだ勇者は、魔神の胸の中央で燃え盛る熱核(急所)に向かって、その右手を容赦なく叩き込んだ。
「砕け散れ、単細胞」
パキィィィィィィィンッ!!!
魔神が悲鳴を上げる暇すら与えなかった。
至近距離から急所に直接叩き込まれた超高密度の冷気が、魔神の強大な炎を一瞬にして打ち消し、全身を完全凍結させる。灼熱のマグマで構成されていた巨体は、瞬きする間に巨大な氷の彫像へと変わり、次の瞬間には無数の氷片となって火口の底へと粉々に崩れ落ちた。
「ふん、チョロいものだ。まともに戦うのも馬鹿らしい」
勇者は氷の粉となって消滅した魔神を見下ろし、服の埃を払うように軽く手を叩いた。
自分は指一本怪我をすることなく、服を汚すこともなく、最大の脅威を騙し討ちで消し去ったのだ。己の卑怯さを恥じるどころか、その完璧な狡猾さに勇者は心の底から酔いしれていた。
そして勇者は、もはや恐怖と絶望で完全に放心状態となっている二人の兵士には目もくれず、台座に置かれた「伝説の盾」へと悠然たる足取りで近づいていった。




