第22話:騙し討ちの兜
腐海の迷宮の最奥。有毒ガスが渦巻く劣悪な通路を抜けた先には、不自然なほど空気が澄み渡った巨大な石室が広がっていた。
その空間の中央、苔むした古びた石の台座の上に、鈍い銀色の輝きを放つ豪奢な兜が鎮座していた。周囲の腐敗した環境を一切寄せ付けない清らかな波動。間違いなく、第一の武具「伝説の兜」である。
「おお……あれが……」
生き残った四人の兵士たちが、疲労と恐怖で青ざめた顔にわずかな希望の光を浮かべた。
だが、伝説の武具がすんなりと手に入るはずもない。彼らが一歩足を踏み入れた瞬間、石室の奥の暗がりから、岩をすり潰すような地響きと共に巨大な影が鎌首をもたげた。
「シャアアアアアアッ!!」
鼓膜を破らんばかりの威嚇音と共に姿を現したのは、大木ほどの太さを持つ巨大な毒蛇の化け物だった。全身を覆う黒緑色の鱗からは絶えず強酸性の猛毒が分泌され、床の石をジュージューと溶かしている。人間など丸呑みにできるほどの巨大な顎には、獲物を即死させる凶悪な牙がびっしりと並んでいた。
圧倒的な捕食者のプレッシャーを前に、四人の兵士たちは絶望に足を震わせた。
だが、彼らは逃げ出さなかった。砦の民の希望を背負っているという純粋な使命感、そして背後にいる「救世主」を守らねばならないという決死の覚悟が、彼らを突き動かした。
「ゆ、勇者様はお下がりください! ここは我々が盾になります!」
四人の兵士は震える手で剣や槍を構え、勇者をかばうように化け物の前に立ちはだかった。
その健気で自己犠牲に満ちた姿を背後から見つめながら、勇者は内心で酷薄な計算を巡らせていた。
(ちっ、図体ばかりデカい悍ましい化け物め。俺の強大な魔法を使えばあんなトカゲもどき、一瞬で灰にできる。だが……)
勇者は自分の着ている、砦で最も上等な生地で作らせた真新しい服を見下ろした。
(真正面から戦って、万が一にもあの汚らしい毒液や返り血が俺の服に飛び散ったらどうする。それに、あんな臭い化け物にわざわざ近づいて手を汚すのも馬鹿らしい)
勇者にとって、目の前の脅威は「どうやって倒すか」ではなく、「どうやって自分だけが一切の不快感を味わわずに安全に処理するか」でしかなかった。そして彼の邪悪な視線は、己を護るために立ちはだかっている四人の若い兵士たちへと向けられた。
「よく聞け、誇り高きガイナックスの戦士たちよ!」
勇者は突如として、悲壮感と威厳に満ちた声を張り上げた。
「あの化け物の鱗は硬く、並の攻撃では通じない。私の『究極の殲滅魔法』で一撃のもとに葬り去る必要がある! だが、その魔法を練り上げるには数秒の時間がいる。お前たち、私のためにあいつの注意を引いてくれ!」
「究極の、魔法……!」
「はいっ! 我々の命に代えましても、必ず隙を作ってみせます!」
勇者の言葉に、若者たちの瞳に決死の炎が宿った。
自分たちのような取るに足らない命でも、世界を救う救世主の役に立てる。その無垢な忠誠心と大義への盲信が、恐怖を塗り潰したのだ。
「うおおおおおおっ!!」
四人の兵士たちは雄叫びを上げ、巨大な毒蛇に向かって捨て身の突撃を開始した。
彼らの貧弱な武器では、毒蛇の鱗に傷一つ刻むことはできない。それでも彼らは必死に槍を突き立て、石を投げ、化け物の注意を勇者から逸らそうと奮闘した。
「シャアアアッ!」
苛立った毒蛇が、目障りな虫をすり潰すように巨大な尾を振り回す。
「ぐあっ!」
吹き飛ばされた二人が壁に激突し、血を吐いて倒れ伏す。残る二人の兵士も限界だった。巨大な毒蛇は彼らを完全に標的と定め、その凶悪な顎を大きく開き、二人を頭から噛み砕こうと急降下してきた。
「今だ、勇者様! 魔法を……っ!」
死を覚悟した兵士が、振り返らずに叫ぶ。彼らは信じていた。勇者の魔法が化け物を打ち倒し、間一髪で自分たちを救ってくれると。
だが、背後に立つ勇者の顔には、嘲るような残酷な笑みが張り付いていた。
彼の右手には、すでに極大の熱量を持った爆炎の魔法が、いつでも放てる状態で完全に練り上がっていたのである。詠唱の時間など最初から必要なかった。ただ、確実に命中させ、かつ自分が安全圏から高見の見物をするために、彼らを「固定された肉の的」として使っただけである。
「ご苦労だったな、肉盾ども。まとめて消し飛べ」
勇者は躊躇うことなく、その右手を振り下ろした。
毒蛇の巨大な牙が兵士たちの肉体に食い込もうとした、まさにその瞬間。
勇者の手から放たれた目眩しのような閃光と、超高密度の爆炎が、毒蛇の巨体もろとも、直下にいた二人の兵士を完全に飲み込んだ。
ドゴォォォォォォォォォォォンッ!!!
凄まじい轟音と共に、灼熱の業火が石室全体を焼き尽くす。
「ぎゃあああああっ!?」
炎の中で響いたのは、化け物の断末魔か、それとも信じていた男に背後から焼き殺された若者たちの絶叫か。
圧倒的な破壊力が空間を蹂躙し、巨大な毒蛇は黒焦げの肉塊となって吹き飛び、その足元にいた二人の兵士は骨すら残さずに灰と化して消滅した。
爆風が収まり、もうもうと立ち込める黒煙の中を、勇者はゆっくりと歩き出した。
自身の周囲に張った魔法障壁のおかげで、彼の服には血の一滴、煤の欠片すら付着していない。
「完璧だ。やはり俺の頭脳と魔法に敵うものなどこの世には存在しない」
勇者は、微塵も罪悪感を抱くことなく、ただ己の圧倒的な力と卑劣な作戦の成功に陶酔していた。
壁際で倒れ、奇跡的に爆発の直撃を免れた残りの二人の兵士が、すすり泣きながら顔を上げる。
彼らの目に映ったのは、仲間の命を消し飛ばした炎の残滓を踏み越え、一切の感情を持たない冷酷な瞳で台座へと歩み寄る勇者の姿だった。
勇者は台座に手を伸ばし、鈍く輝く「伝説の兜」を無造作に掴み上げた。
「まずは一つ目。大魔王の首を落とすための、神への階段を上ったというわけだ」
仲間の無惨な死を悼む言葉など、ただの一言もない。
薄暗い石室の中に、己の野心と絶対的な力に酔いしれる最低の男の下品な高笑いだけが、いつまでも反響し続けていた。




