第19話:骨の髄までの搾取
旅立ちの準備という名目で、勇者が真っ先に向かったのは、砦の最下層に設けられた地下備蓄庫だった。
そこは、大魔王の軍勢に包囲された状態にあるガイナックスの民たちが、来るべき過酷な冬を越すために、文字通り血の滲むような思いで少しずつかき集め、厳重に管理してきた命の綱である。薄暗い石室の中には、乾燥させた豆や穀物、塩漬けにされた硬い肉、そしてわずかながらも貴重な治癒のポーションが木箱に収められていた。本来であれば、砦を治める王の許可なく誰も立ち入ることのできない神聖な場所であった。
しかし、案内した兵士たちが畏れ多くて立ち入ることも躊躇う中、勇者は土足でズカズカと備蓄庫の奥へと踏み込んだ。
「ふむ、しけた倉庫だが……まあいい。これとこれ、それにあの木箱に入っている干し肉を全部出せ。ああ、そっちの棚にあるポーションは瓶ごと全て俺の荷物に入れろ」
勇者はまるで自分の所有物を整理するかのように、備蓄庫の中でも特に上等で栄養価の高いもの、そして希少な回復薬を次々と指差し、没収を命じた。
その言葉を聞いた瞬間、案内役を務めていた初老の兵士の顔からサッと血の気が引いた。
「お、お待ちください、勇者様! そ、そのポーションは、魔物との戦いで重傷を負った兵士たちのための最後の備え……。それに、その干し肉と穀物を全て持っていかれては、砦の女子供たちがこの冬を越せずに餓死してしまいます!」
初老の兵士は冷たい石の床に膝をつき、涙ながらに懇願した。これらを奪われることは、砦の半分の人間の確実な死を意味する。大魔王を倒す前に、砦の内側から崩壊してしまうのだ。
しかし、勇者はそんな悲痛な叫びを鼻で笑い飛ばした。
「餓死するだと? それがどうした。俺がこの砦を離れている間に、俺の魔力が尽きたり怪我をしたりして大魔王に敗れれば、冬を待つまでもなくお前らは全員魔物に食い殺されるんだぞ。お前たちのちっぽけな命と、世界を救うこの俺の命、どちらが重いかなど考えるまでもないだろう」
勇者は冷酷な眼差しで兵士を見下ろし、威圧的な低い声で凄んだ。
「世界を救う私に必要なものだ。お前たちのその下らない命が惜しければ、四の五の言わずに黙って差し出せ。それとも、私がここで討伐の旅を取りやめて、お前たちを見捨ててやろうか?」
絶対的な力の差と、世界を救うという大義名分を盾に取られた卑劣極まりない脅迫。兵士は唇を血が滲むほど強く噛み締め、悔し涙をぽろぽろとこぼしながら、それ以上何も言うことができなかった。ここで勇者の機嫌を損ねれば、人類の希望は完全に絶たれてしまうのだ。
「さっさと荷造りをしろ。俺の手を煩わせるな」
勇者の非情な命令により、砦の民たちが冬を生き延びるための希望は、全て無情にも麻袋や木箱に詰め込まれ、勇者の私物として強奪されていった。
物資の略奪を終えた勇者が次に行ったのは、これら大量の荷物を運ばせるための「奴隷」の選別だった。
砦の広場には、大魔王討伐の旅に同行するという名誉を与えられようと、砦の中でも特に体力に自信のある若い兵士たちが何十人も整列していた。彼らの目は希望に輝き、伝説の救世主と共に世界を救うための戦いに赴けるのだと、純粋な使命感に燃えている。
勇者はその列の前をゆっくりと歩きながら、兵士たちの顔や体格を値踏みしていった。
「お前、それとお前、あとはあそこにいる三人だ。前へ出ろ」
勇者が指名したのは、特に屈強な肉体を持ち、背中に大きな荷物を背負えそうな五人の若者だった。選ばれた彼らは感極まった顔で前に進み出ると、勇者の前で深く膝をつき、忠誠の礼をとった。
「はっ! 勇者様にご指名いただき、光栄の極みに存じます! この命に代えましても、勇者様をお守りし、大魔王討伐の盾となりましょう!」
若者の一人が震える声で誓いを立てる。その健気で純粋な忠誠心は、見ている者の心を打つほどに真っ直ぐなものだった。
「うむ、頼りにしているぞ。共に世界を救おうではないか」
勇者は表面上は慈悲深い微笑みを浮かべ、彼らの肩を順番にポンと叩いてみせた。周囲で見ていた民衆からは、おお、と感動のどよめきが漏れる。
しかし、勇者の腹の中は全く別の邪悪な計算で満たされていた。
馬鹿な連中だ。俺がお前らのようなひ弱な弱虫どもに背中を預けるわけがないだろうが。お前らの役目は、俺がさっき巻き上げた大量の荷物を背負って歩く、ただの駄獣だ。
勇者にとって、彼らは仲間などでは断じてない。ましてや戦力としてなど最初から数えてすらいなかった。
もし未踏の迷宮で厄介な罠があれば、こいつらを先に歩かせて肉盾にしてやればいい。凶悪な魔物の群れに不意を突かれた時は、荷物ごとこいつらを囮にして投げ捨ててやれば、俺はその隙に安全な場所から強力な魔法を撃ち込めるというわけだ。使い捨ての道具としては、実に都合のいい駒だ。
純粋な瞳で自分を見上げる若者たちを、勇者は内心でゲラゲラと下品に嘲笑っていた。他人の命を尊ぶ心など、この男には微塵も存在しない。あるのは、自分がどれだけ楽をして、どれだけ安全に神の座へと登り詰めるかという、果てしなく身勝手な打算のみである。
「さて、荷物の準備はできたな。さっさとそれらを背負え」
勇者が顎でしゃくると、若者たちは自分の背丈ほどもある巨大な荷袋を背負い上げた。中身は全て、勇者が砦から搾取した食料や水、ポーションである。あまりの重さに彼らの足が震え、顔が歪むが、勇者は手伝うどころか早く歩けと冷たく急かすだけだった。
砦の備蓄を骨の髄まで搾取し、純粋な若者たちを使い捨ての奴隷として引き連れ、勇者は傲慢に胸を張りながら歩き出す。その姿は世界を救う聖者などではなく、全てを貪り食う醜悪な化け物そのものであった。




